村上祐資

  • 極地での建築研究を専門とし、2010年秋のエベレストが初参加。2011年春のシシャパンマ遠征では発電担当として招聘された。
  • 東大大学院時代には南極越冬隊に参加。寒冷地・悪天候下の経験は豊富のようだったが、高所耐性は低かったようで、2011年のシシャパンマではBC入り前のニュエラム(3750m)で高度障害を発症した。ところが栗城隊は何の対応策もとらずに漫然とスケジュール通りの前進を続行したため当然のように症状が悪化。BC到着時には肺水腫になってしまい2日後には引き返すと言う事態に・・・。
  • BCから下山後は遠征隊には戻らず、すぐに日本に帰国。
  • 発電する電源は何のためのものか不明だったが、実際には電動式ガモウバッグ(※)兼酸素カプセルの電源だったようだ。

(※)可搬式高圧治療袋。ポンプによって内部を加圧し擬似低高度を作り出すことによって高山病の症状を緩和させる治療道具。初期症状(軽症)や症状が出ていない時点での使用は馴化の遅れを招く為禁止されている。

村上さん肺水腫で下山』 栗城史多公式ブログ 2011-05-10
村上さんの調子が悪くなったのは、
ニュエラム村(3800m)を出発した時だった。
SpO2は80を越えており、出発するには絶好の体調だ。
しかし、歩き始めてからしばらくして息切れをおこし、2日間付きっきりで登ってきた。
ベースキャンプに着いてからは、朝まで「ウ~」とうなされていたほど。

(中略)

朝、村上さんの体調が悪化。
咳をして横になって寝られない状況だった。
これは明らかに肺水腫の兆候である。
一刻も早い下山が必要だった。

(中略)

村上さんに衛星電話を持たせ、
ロメスという若いシェルパを一人つけて下山させた。
しかし2時間後に、そのロメスが一人ベースキャンプに戻ってきた。
何があったのかと聞くと、道を間違えて
村上さんが動けなくなったとのことだった。
そして村上さんから本のしおりのようなものに
GPSの数字が書かれていた。「肺から血が出た」とも書かれていた。
村上さんはヒマラヤに慣れていない。
天気も悪く、だいぶ精神的にもきている。
そこでサーダーとカメラマンの石井さん、シェルパのカミさんが
医療用の酸素ボンベを持って向かった。
向かう時、一緒にいた門谷君(通称ジャンボ、体が大きくご飯を食べる量がはんぱじゃない)が「これでいっぱいご飯が食べられる」と不謹慎なジャンボ冗談が飛び出す。
現在、村上さんはシェルパ2名と共に
ニュエラム村付近まで下りている。

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最終更新:2013年02月05日 20:24