エベレスト(1回目)

ルート

ラインホルト・メスナーが1980年に単独登頂を成し遂げた際のチベット側から入るルート。ネパール側ルートと違い氷河のアイスフォール帯を通過せず、多数のハシゴによる架橋を必要としないためメスナーが単独を達成する為に採用した。前半はチベット側ノーマルルートと同じだが、北稜の途中からトラバースした後にグレート・クーロワール(ノートン・クーロワール)を通って山頂に至る。このグレート・クーロワールが最大の難所であり核心部といえるのだが、栗城が撤退したのはグレート・クーロワールの手前だった。
NHKで放送された際のルート図(クリックで拡大)

シェルパを15人も雇っている

同時期にエベレストの横にあるラクパ・リに登った登山隊「山の会 カランクルン」の記録
現在、チョモランマには七大陸最高峰単独無酸素というのを売りにしている
北海道の栗城さんがメスナールートから狙っいるそうで、15人のシェルパと入っています。
春のマナスル近藤隊のボチボチトレックのハンドリングですから、顔見知りのシェルパがいるかも
しれませんが、彼らはBCにテントだけを残し、全員がABCに上がっています。

※ABCは6400mにある前進ベースキャンプのこと

シェルパがルート工作、シェルパが雪崩に巻き込まれる

一人ではノースコル(7000m)に登れず、「撮影隊のため」と称してシェルパがルート工作している。

栗城史多 公式ブログ
2009/9/8
(6400mのABCにて)
明日から、いよいよ登山開始です。7000mのノースコルに上がります。
2日前にシェルパが偵察に上がりましたが、6800mで雪崩れに合い、1名負傷。その後、上まで上がらず戻ってきました。
明日は、僕1人だけの登山です。

2009/9/9
突然ですが、栗城隊副隊長の森下です。

栗城は6時35分にABCを出発し、ホワイトアウト、雪の降る中、ノースコルを目指しました。
視界が悪く、ルートが分かりづらい事と、膝位の重い深雪のため、時間切れとなりました。6,750m地点に荷物をデポし、ABCに戻って来ました。
現在も雪が降り続けております。明日、撮影隊のために、ルート工作が行われるはずですが、明朝、雪の状況で判断します。

※この年は栗城隊以外には登山隊が入っていない*1

登頂断念した後、酸素ボンベを持ったシェルパに救助される。

最終的に7950m地点で下山開始し、C2(7700m)で酸素ボンベを持ったシェルパに救助される。

太陽はもう横ではなく、下に向き始め、
エベレストが赤く夕日に染まり始めた。
「生と死の分岐点です。もう迷うな。」
森下副隊長から「死」という言葉が出てきた。
「一度、C2に戻り、体力を回復させて明日行こう。」
しかし、それは嘘だということはすぐに分かる。
C2に引き返したとしても標高が7700もある。
無酸素で体力が回復することはない。
エベレストの単独・無酸素のアタックは1度しかないのだ。
引き返す、ということ。
それは「敗退」を意味する。
しかし、太陽は沈み、手と足の感覚がなくなってきた。
「C2に戻り、明日挑戦します。」
そう言いながら涙を流し、脚を来た方に向けた。
 (中略)
前の前に星が見えるのだが、その星は左右に動き始め、
そして徐々に近づいてくる。
体は寒く、何も食べてないのに嘔吐だけをした。
でも嘔吐をすると呼吸をしているようで、
まだ生きている感覚がする。
C2に近づいたころ、星は僕の目の前にきた。
それは救助のために向かってきてくれたシェルパの一人だった。
お湯を口に入れられた時、胸が熱くやけどしそうだった。
そして、無線でシェルパと合流したことを告げた時、
無線の置くから、ABCの歓声が聞こえた。

この様子はNHK「7サミット 極限への挑戦」やTBS「バース・デイ」でも放送された。
下記のブログに詳しいレポートがある。
  • 今回のエベレスト登山を特集したTBSテレビ『バース・ディ』の放送を鋭く分析したブログ

酸素ボンベを使用しなかった?

酸素ボンベを使ったことが無いため救助されたときにボンベを使用できなかった、と証言しているが
実際には過去に酸素ボンベ使用経験がある。

栗城ブログ 2010-05-20
http://ameblo.jp/kurikiyama/day-20100520.html (魚拓とそのキャプチャ画像
(シェルパの)テンバは昨年のエベレストの時に、必死に下山中に助けに来てくれた。
一緒にテントに入り、テンバが「酸素を吸った方がいい!」と言う。
二人で酸素ボンベに手をつけるが、
二人とも使ったことがないので空気は漏れ、
最後は使用せずに下山したことがあった。

5月 9日 ABCへ下山 みんな会いたかったよ!!
そして初めて酸素ボンベを使います。超楽しみです。
撮影隊用の余りの酸素ボンベなのですが、手足は暖かくなるし、
頭は冴えるみたいです。ちなみに酸素ボンベを業界用語で「神」というみたいです。
天国にいってきま~す。

ピッケル問題


スケジュール

7月末までカイラス巡礼を掲げてチベット高原で順応していた。
ただし結局カイラスまでは到達していない。

実際の行程表

8月16日 日本出発
8月27日 BC(5300m)到着
8月28日 BC
8月29日 BC→タシゾン(4200m) 隊員の体調不良のため
8月30日 タシゾン(4200m)→BC
8月31日 BC→5800m地点? 詳細は不明
9月1日 5800m地点?
9月2日 ABC(6400m)到着 ABCは前進ベースキャンプのこと
~9月8日 ABC 9月6日にシェルパが6800m地点まで登るが雪崩に巻き込まれて負傷
9月9日 ABC→6750m地点→ABC
9月10日 ABC シェルパがルート工作
9月11日 ABC
9月12日 ABC→C1(ノースコル、7000m)
9月13日 C1→7250m→C1
9月14日 C1→7600m→ABC 7600m地点で生中継
~9月21日 ABC

アタックステージ

9月22日 ABC→C1
9月23日 C1→C2(7700m)
9月24日 C2→7950m→C2 シェルパに救助される
9月25日 C2→ABC


後日談

2015年の年末になって公式ブログで下記のエントリをUPした。


そこで登るなら中国側と決めていましたが、2009年10月1日に国慶節という中国の60周年を祝う国家行事があり、チベットなどの複雑な政治の問題が絡み、「10月1日までに国外に出よ」とう通達がありました。

10月中旬に登頂を予定していた僕はベースキャンプの撤収も含めたらとても間に合なく、途中で下山となりました。



中国側の『通告』が遠征前の申請の時点であったのか、入山許可と引き換えの条件だったのか、遠征中に急遽このような通告が行われたのかは明らかにしておらず、どうとでも取れるミスリードを誘いがちな文なのは言うまでもない。

ただし、どの時期での通告にしろここまでの重要事項をまったく明らかにしていないことは批判を免れないであろう。 出発前から判っていたのなら、BC入りからわずか一ヶ月で順応・ルート工作・撤収を済ませるというスケジュール自体に無理があることは明白であるのに隠蔽していたことになるし、遠征中であれば『共有』を売りにしている人間が成否に関わる重大な事象を報告していないからだ。

なお、これまでに著書ではこの件について全く触れられていないうえ、「気圧の関係上有利な9月中の登頂を狙う」ことになっている。登頂生中継の予定日も9月27~28日となっていて、『10月中旬の登頂を狙っていたが中国政府の横槍で変更を余儀なくされた』ということ自体が虚偽である可能性が高いだろう。
最終更新:2015年12月30日 14:51