catechismo a milano
2006.5.27聖霊とは?貧しい者への福音(イザヤ61章1節-9)詩篇72(ソロモンの詩)
最終更新:
匿名ユーザー
27.5.2006
平和の王(イザヤ書11.1-10)主の僕の召命
(イザヤ書42.1-9)
貧しい者への福音 (イザヤ書61.1-9)
詩篇72
貧しい者への福音
(イザヤ書 / 61章 1節 -9)
1:主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。
ルカによる福音書4.18-21に、この部分が出てきます。
主イエスは故郷ナザレで聖書を朗読しようとしたとき、巻物にこのイザヤ61の箇所を認めます。
そしてこの聖書の言葉は今日、あなたがたが耳にしたとき実現した。と語り始めます。
しかしまだその時は満ちていなかった。憤慨するナザレの人々を後に、
主イエスはするっと人々の間を抜け(人ごみを掻き分けではなく、きっとすっと風のように
通り抜けたのでしょう)立ち去ります。イザヤ書の記述が現実のものとなるなら、ここで民衆がイエス様の行く手を阻むことなど到底出来ないのですから。
2:主が恵みをお与えになる年/わたしたちの神が報復される日を告知して/嘆いている人々を慰め
3:シオンのゆえに嘆いている人々に/灰に代えて冠をかぶらせ/嘆きに代えて喜びの香油を/暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた/正義の樫の木と呼ばれる。
現在も、およそ25年に一度(改正が幾多かあったようですが)聖年L'ANNOSANTOがバチカンにおいて定めらるとの事。
4:彼らはとこしえの廃虚を建て直し/古い荒廃の跡を興す。廃虚の町々、代々の荒廃の跡を新しくする。
5:他国の人々が立ってあなたたちのために羊を飼い/異邦の人々があなたたちの畑を耕し/ぶどう畑の手入れをする。
6:あなたたちは主の祭司と呼ばれ/わたしたちの神に仕える者とされ/国々の富を享受し/彼らの栄光を自分のものとする。
7:あなたたちは二倍の恥を受け/嘲りが彼らの分だと言われたから/その地で二倍のものを継ぎ/永遠の喜びを受ける。
8:主なるわたしは正義を愛し、献げ物の強奪を憎む。まことをもって彼らの労苦に報い/とこしえの契約を彼らと結ぶ。
9:彼らの一族は国々に知られ/子孫は諸国の民に知られるようになる。彼らを見る人はすべて認めるであろう/これこそ、主の祝福を受けた一族である、と。
正義=神の前で正しいことを行うこと。
ここまでに書かれていることは、すべて主イエス・キリストの歩みを予告しています。すべてのプロセスが一致し、そして予言であるがゆえか、すべての言葉が詩情をおび、美しく書かれています。
この章は、聖マリアへの賛美、祈りとも言われる(取れる)ようです。
10段に、「わたしは主によって喜び楽しみ、わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る」という箇所が出てくるのですが、これはまさに神に使命を与えられたマリアの喜びととれます。この箇所のあとに「花婿のように輝きの冠を~花嫁のように宝石で~」と続きます。黙示録でも見た宇宙のマドンナ、光り輝く聖母の美しいイメージが思い浮かびますね。
詩編 / 72編
詩篇は紀元前1000年頃、主にダビデ王とソロモン王によって書かれた(詠われた)もの。
シスター達は、詩篇を、毎日毎日4週続けて1から繰り返し唱えてゆくそうですよ。
詩編/72編
【ソロモンの詩。】
神よ、あなたによる裁きを、王に/あなたによる恵みの御業を、王の子に/お授けください。
王が正しくあなたの民の訴えを取り上げ/あなたの貧しい人々を裁きますように。
今の政治家達のためにも、この詩篇を唱えてあげたほうが&
といった会話が...!(話はそれますが!)
山々が民に平和をもたらし/丘が恵みをもたらしますように。
王が民を、この貧しい人々を治め/乏しい人の子らを救い/虐げる者を砕きますように。
王が太陽と共に永らえ/月のある限り、代々に永らえますように。
この箇所で、君が代(日本国家)の千代に八千代にさざれ石の~を思い浮かべたというシスター。政治的なドウノコウノというのはさて置き、流石です!
王が牧場に降る雨となり/地を潤す豊かな雨となりますように。
生涯、神に従う者として栄え/月の失われるときまでも/豊かな平和に恵まれますように。
王が海から海まで/大河から地の果てまで、支配しますように。
砂漠に住む者が彼の前に身を屈め/敵が塵をなめますように。
自分の治めるちいさな世界、自分の力を神に大してはまったく貧しいものに過ぎないと言う謙虚な心を持って、王は祈りをささげているのです。
タルシシュや島々の王が献げ物を/シェバやセバの王が貢ぎ物を納めますように。
すべての王が彼の前にひれ伏し/すべての国が彼に仕えますように。
王が助けを求めて叫ぶ乏しい人を/助けるものもない貧しい人を救いますように。
弱い人、乏しい人を憐れみ/乏しい人の命を救い
不法に虐げる者から彼らの命を贖いますように。王の目に彼らの血が貴いものとされますように。
叫ぶ貧しい人...今の地球で貧しい地域の人たちは、どうしているのでしょうか?その悲痛な叫びに耳を傾ける人は?貧しい人々は、自分達の自由を訴える権利があるのに、それを叫ぶ声がありません。その声となってあげる存在というのが重要になってくるのです。
貧しいものの血~それは流されるけれども、そうだとしてもそれが貴いものとされるように。神の国で高く上げられるものとなりますように。
王が命を得ますように。彼にシェバの黄金がささげられますように。彼のために人々が常に祈り/絶え間なく彼を祝福しますように。
この地には、一面に麦が育ち/山々の頂にまで波打ち/その実りはレバノンのように豊かで/町には人が地の青草ほどにも茂りますように。
王の名がとこしえに続き/太陽のある限り、その名が栄えますように。国々の民は皆、彼によって祝福を受け/彼を幸いな人と呼びますように。
主なる神をたたえよ/イスラエルの神/ただひとり驚くべき御業を行う方を。
栄光に輝く御名をとこしえにたたえよ/栄光は全地を満たす。アーメン、アーメン。エッサイの子ダビデの祈りの終り。
先に平和の王(イザヤ書/11章1節-10)でみた、エッサイの株の考えがあると、この詩篇の一説一説が、主イエス・キリストにつながる貴いそして美しい賛歌となっていることがじわっと解ってきます。3週に渡って聖霊を中心にみてきたのですが、旧約~新約への移り変わり、創世記からはじまっていた聖霊の働きを、受ける力が鈍ってきたところで救い主によって、更にその恵の力が強く受けられるようになったという一貫した流れを、
ちょっとづつではありますが目から鱗の思いで、聖書の中に認められた気が致します。
フランスのかの有名なノートルダム(シャルトル大聖堂)
のステンドグラスに、エッサイの樹のイメージがあります。

えだがもっと伸びて、いちばん上に主イエス・キリストの姿が
見られます。下のページに各部分の写真が細かく載っています。
http://www.diocese-chartres.com/cathedrale/vitraux/jesse.htm