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2006.9.23エリヤを力づける天使(列王記上19章1節-18)

最終更新:

milano

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9月23日 
シスターのesercizio spiritualeから
 [[守護天使のお話~祈り>2006.9.23 祈りについて 守護の天使]]
御使いとして天使が出てくる一節
失望のどん底にあるエリアを導く声。
 [[列王記上19.1->2006.9.23エリヤを力づける天使(列王記上19章1節-18)]]

今日は守護の天使のお祈りを教わりました。
ところで「守護の天使」は聖書の中に
たくさん色々な場面にいろいろな姿で出てきます。
以前、聖霊についてと、映画ILGRANDESILENZIOの
話をシスターから伺ったとき
、あわせて
「列王記上」の19章を読みました。

この19章の前半、エリヤを力づけた御使いとは?

列王記上19章1節-18
(19.5-8)
 彼はえにしだの木の下で横になってねむってしまった。
 御使いが彼に触れて言った。
 「起きて食べよ。」見ると、枕もとに焼き石で焼いたパン菓子と
 水の入った瓶があったので、エリヤはそのパン菓子をたべ、
 水を飲んで、また横になった。
 主の御使いはまた戻ってきてエリアに触れ、
 「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ」
 と言った。エリヤは起きて食べ、飲んだ。
 その食べ物に力づけられた彼は、四十日四〇夜歩き続け
 ついに神の山ホレブに着いた。

偉大な預言者エリヤですが、いつわりの神バアルの預言者を
皆殺しにしたことから、時の王アハブの后、イゼベルの
恐ろしいメッセージ(~あなたの命を預言者の一人の命のように
していなければ。。。)を受け、恐れ逃げ出します。

荒れ野(カラッカラに乾いた荒涼とした砂漠、神への信仰が試される場所、
エリヤの疲れきった心を表す)
 に一人入り えにしだ(水を幹に沢山含んだ
大変燃えにくい樹。)
 の木の下に来てすわり
自分の命が絶えるのを願って「主よ、わたしの命をとってください。
わたしは先祖にまさる者ではありません。」
と願います。

そこまで絶望しているエリヤ。
しかし、主の御使い(天使)は、絶望し、疲れきって眠るエリヤを
おこし、食べるように、飲むようにと言うのです。
そしてまた眠ったエリヤに、旅は長いと告げ、また食べさせ、飲ませる。

死ぬために逃げた。それなのに行く先はもう、神の山ホレブと
決まっている。逃げたはずが、神の導く道を歩んでいた。

 パンを食べ、水を飲むイメージは、聖体拝領につながりますね。
 聖体(主の体)は私たちの心を強め、慰め、支える。
 力を与えてくれるもの。
 エリヤは強い。エリヤの信仰は本当に強いものだった。
 時には挫折して死にたくなる時もあるが、神の言葉が来れば
 すぐにそれに乗ることができる。
 
 人が大変辛い思いをしたときに、耐え難く思い
 「私は信仰を失いました」と言うことがありますね。
 シスターはこういいます。信仰を失うのではなくて、
 はじめからその信仰はなかったのでは。
 本当の意味の信仰は、周りが燃え尽きても芯は残る。
 エリヤの心のように何があっても消されることはないもの。

 まだ辛い気持ちを抱えながら、主の食物に力を与えられ
 エリヤは40日40夜の長い旅路を歩き始めます。

ESCI!
(19.9)
 エリヤはそこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。見よ、そのとき
 主の言葉があった。「エリヤよ、ここで何をしているのか」

(19.11)
 主は、「そこを出て、山の中で主の前にたちなさい」と言われた。

 主はエリヤに
出てくるようにとおっしゃいます。
 苦しみ、やる気をなくした人に「出てきなさい!」と。
 「ほっといてください!」と答えたくなる人が大半なのでは
 ないかと思われる状況。
 でも、来るのを待つ、時が過ぎるのを待つのではなく
 自らが出て行かなければ何も始まらないのです。

 世界は想像できないぐらいに広く、私たちの個人的な苦しみ
 は表面的な、一時的な事。閉じこもっていては
 何も変わることはない。

 ここで何をしているのですか?
 何を求めているのですか?

(19.13)
 エリヤは外套で顔を覆い、出てきて、洞穴の入り口に立った。
 そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ。ここで何をしているのか。」

 
エリヤが顔を覆いながらも外に踏み出したとき、
 主の声は、すでにわかりきっているであろう事をあえて
 たずねてきます。そして、それにエリアが答えた時
 新しいエリヤの取るべき具体的な道が告げられます。
 
 間違ってしまったとき、力の出ないとき
 天使に祈る。神への取次ぎを願う。
 自分から外に出てゆく。
 はじめて道が開ける。
 主イエス・キリストが、この世に人として生まれ生き、
 苦しみを背負い、しかし何時でも行くべき地に向かって
 進んで行かれた。
 ちいさな私たちがこの生き方を真似、進むためには
 傷ついたエリヤを40日も歩ませた天使の
 強い助けが必要になって来ます。そこでどうすればいいのか?

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