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2006.6.10祈りについて、聖母マリアへの祈り、詩編34と23

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匿名ユーザー

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10.6.2006
祈りについて
聖母マリアへの祈り 
詩編 / 34
詩編 / 23

祈りについて

前回に続いて「祈り」について学んでゆきます。

 さてさて、神につくられ、救われ、神の霊によって生きているわたしたち。
 そのつながりは、夫婦のように親子のように強いものです。

 このつながりは、そこに相手がいないときでさえ心に残る強いもの。
 例えば遊びに夢中になっているちいさな子ども。
 お母さんが「さあ、今のうちに!」と家事をするためにそっと
 子どものそばを離れると&
 子どもはすぐにそれを察して、泣き出す、ついてくる、声を出す。

 そんなに強いつながりがあっても、親子は言葉によって更に強いつながりを
 もたなければいけませんね。夫婦の会話だって大事です!
 
 自分の中に確実にある、神への意識をもちながら
 言葉を交わすように祈りをささげる。

     こんな説明を受けると、祈りの大切さがじわっとしみてまいりますね。

祈りの方法は、大きくわけると3つ。
 1)vocale 言葉
 2)meditazione 黙想
 3)contemprazione 眺める(神の言葉を聞く)

聖書の中に出てくる重要人物、モーセやアブラハム、ノア、
他の預言者たちも、皆要所要所であらゆる祈りを行っています。
モーセはイスラエルの民の言葉を神に伝え、その言葉を皆に伝えるための
仲介の祈りを。アブラハムは神の言葉に従い(聞くことも祈りである)その先に何が起こるか
聞くこともせず神を信じて大切な息子までを犠牲として捧げようとします。

祈りのときに大切なのは
雑念を振り払い、心を入れて祈ること。
心が具体的に生きるために、私達は肉体をもつのだから
それを使って声を出し、言葉の祈りをささげる。

長いお祈りを唱えるとき、(ロザリオなどは特に、繰り返しなので)
口だけが動いて、頭はどこか違うことを考えがち。
雑念がどうしても入ります。でも、シスターがおっしゃるには
「雑念(映像のように)は目の前に現れるけれども、それに目を留めないで
流れていくままにさせておいて、祈りを続けるようにすればよい」
そうですよ。



聖母マリアへの祈り Ave Maria

恵あふれる聖マリア、
主はあなたとともにおられます。
主はあなたを選び、祝福し
あなたの子イエスも祝福されました。
神の母 聖マリア、罪深いわたしたちのために、
今も、死を迎える時も祈ってください。アーメン。


このお祈りは「主の祈り」と共に大事な祈りですね。
マリアのための祈りでありながら、神の恵みを認め、賛美する祈りとなっています。
神の恵みに満たされる...恵あふれる聖マリア。
 神の前でマリアは空っぽの花瓶のようであったから
 神によって満たされることができた。恵をすべて受ける準備が出来ていた。
 神がマリアの中に幸福(BENE)を置かれた。=benedetta祝福されたもの。(benedetta-benedicere-benedire)
  神によって祝福された偉大な女性。だからこの場面を描いた絵画の中で、天使はマリアに跪いているのです。

はじめの部分は、このように神の母としてマリアが賛美されています。
後半は、わたしたちのために。
主イエスは十字架の傍に立つマリアと弟子ヨハネに、
「あなたの子です。あなたの母です。」と言われた。
マリアさまはこの時、私達人間を、ご自分の子として受けてくださった。

あなたの子となった私達のために、苦しいとき、死を迎えるときにも共に祈ってください。
わたしたちのために祈ってください。

死を受け入れることは、容易ではありませんね。
でも、その時もマリア様は近くに居られ、祈ってくださっている。
短い祈りですが、暖かく、大きな願いが込められた祈りです。
  このとき、シスターのお母様のお話を聞きました。
  毎日マリア様にこの祈りとともに願ったたのだから、苦しいときにはきっと必ず
  傍にいてくださる。そう信じられるエピソードでした。
  やっぱり祈りって大事です!




詩編。5巻150編の信仰の詩集。

それの殆どはダビデ王によるもので、
当時は琴cetraやタンバリンのような楽器の奏でる
音楽にあわせて読み上げられた(歌われた)ものだそうです。

この旧約時代の詩編を使って
新約時代の私達が祈りをささげる。

個人的に苦しいときも悲しいときも、怒ったときも寂しいときも
個人的な感情をはなれて、皆と共に教会の声として
神を賛美し、神のもとに私達の心は喜ぶと口に出して言う。
一日の終わりに、シスター達は詩編で祈りを行うそうです。

長くなってしまうので、どうしようか?と思いましたが
とても綺麗な詩なので、この日見た詩編34と、有名な23(主は羊飼い)を
下に掲載します。



(アルファベットによる詩)
詩編 / 34編1節
【ダビデの詩。ダビデがアビメレクの前で狂気の人を装い、追放されたときに。】

どのようなときも、わたしは主をたたえ/わたしの口は絶えることなく賛美を歌う。
わたしの魂は主を賛美する。貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。
わたしと共に主をたたえよ。ひとつになって御名をあがめよう。
わたしは主に求め/主は答えてくださった。脅かすものから常に救い出してくださった。
主を仰ぎ見る人は光と輝き/辱めに顔を伏せることはない。
この貧しい人が呼び求める声を主は聞き/苦難から常に救ってくださった。
主の使いはその周りに陣を敷き/主を畏れる人を守り助けてくださった。
味わい、見よ、主の恵み深さを。いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は。
主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。
若獅子は獲物がなくて飢えても/主に求める人には良いものの欠けることがない。
子らよ、わたしに聞き従え。主を畏れることを教えよう。
喜びをもって生き/長生きして幸いを見ようと望む者は
舌を悪から/唇を偽りの言葉から遠ざけ
悪を避け、善を行い/平和を尋ね求め、追い求めよ。
主は、従う人に目を注ぎ/助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。
主は悪を行う者に御顔を向け/その名の記念を地上から絶たれる。
主は助けを求める人の叫びを聞き/苦難から常に彼らを助け出される。
主は打ち砕かれた心に近くいまし/悔いる霊を救ってくださる。
主に従う人には災いが重なるが/主はそのすべてから救い出し
骨の一本も損なわれることのないように/彼を守ってくださる。
主に逆らう者は災いに遭えば命を失い/主に従う人を憎む者は罪に定められる。
主はその僕の魂を贖ってくださる。主を避けどころとする人は/罪に定められることがない。


 冒頭は、まさに祈りの精神。
 神を賛美し、いつもそれを言うことによって、自分たちの魂、心をもそれに
 従うように作り上げてゆくことができる。
 求める声、叫ぶ声
 貧しいものが求める声(声をだして私達は求めなければいけない)を
 必ず聞いて救い出してくださる。(出エジプト記のイスラエルの民の声を思い出してください。)
 最後のほうに、主に従う人には災いが重なるが&
 真福八端を思い出します。
 主に従うものを、主は救ってくださいます。「骨の一本も損なわれることのないように」!
 いままで聖書でみてきたものが、凝縮されているような(新約、旧約ともに)詩であることがわかります。



詩編 /23編1節

【賛歌。ダビデの詩。】
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしても
あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ
わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り
恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り
生涯、そこにとどまるであろう。


  賛美でありながら、神に対する、信頼、やすらぎの祈りでもあります。
  この詩編を教皇様は5月、ベネディクト十六世アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所での演説で
  用いられています。

  今まで何度かシスターはこうおっしゃいましたね。
  「この世の(目に見える)世界で満足しない。」
  主の家に帰り、生涯そこにとどまる。
  このフレーズはその言葉にかさなる箇所と言えるのでしょう。




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