catechismo a milano
ヨハネによる福音(3.14-21)
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ヨハネによる福音3章
イエスとニコデモ
1:さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。
2:ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
3:イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
4:ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
5:イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
6:肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
7:『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
8:風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
9:するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。
10:イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。
11:はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。
12:わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。
13:天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。
14:そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。
民族記21.4-9
主が逆らう民に向けて、炎の蛇を送る。蛇ににかまれて人々はバタバタ死んでゆく。民のためにモーセは祈り、主の仰せの通り、青銅で作った蛇を旗竿の先に掲げる。
15:それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
蛇が人をかんでも、その人が旗竿につけられた青銅の蛇を仰ぐと命を得た。
16:神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
17:神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
18:御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。
19:光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。
20:悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。
21:しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。」
十字架をながめる=十字架につけらてたものをながめるということ。
=神の愛をながめる→神の愛を信じる→そこに救いがある。
主イエスが十字架につけられた姿、両手を水平に伸ばした様子は、そのままこちらにむかって私達を抱擁されるようにも感じますね。grande abbraccio! と、シスターは言っていました。なるほど。