catechismo a milano
2006.4.1 復活祭について1・出エジプト記(12章1節~8)
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匿名ユーザー
出エジプト記/12章1節~8
ファラオがイスラエルの民をかたくなに去らせようとはしなかったので、
主はエジプトに災いをもたらします。
数々の災いが起こりますが、最終的にはファラオの長男はじめ、エジプト中の初子(人も動物も)が撃たれる(死ぬ)という災いによって、ファラオはイスラエル人を解放します。
過ぎ越し(lapasqua)は、旧約聖書の中で、自由を奪われ、奴隷の苦しみを叫んでいたイスラエルの人々を、主が自由に導いた時。その始まり(神の恵み)を記念するための契約の日をさすとの事です。具体的には…↓
主の過越
1:エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。
アロンとは(モーセと行動を共にしていた兄弟)…出エジプト記4.14~
主はついに、モーセに向かって怒りを発して言われた。「あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。わたしは彼が雄弁なことを知っている。その彼が今、あなたに会おうとして、こちらに向かっている。あなたに会ったら、心から喜ぶであろう。彼によく話し、語るべき言葉を彼の口に託すがよい。わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう。彼はあなたに代わって民に語る。彼はあなたの口となり、あなたは彼に対して神の代わりとなる。あなたはこの杖を手に取って、しるしを行うがよい。」
2:「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。
3:イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。
生贄の小羊…旧約聖書の中の小羊は、動物の小羊でした。しかし、新約の時代、真の神の小羊の犠牲により、それ以降動物の生贄は必要とされなくなります。
真の小羊とは、イエス・キリストのことに他なりません。
4:もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない。
ここで家族、共同体の大切さを知る事ができます。
5:その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。
6:それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、
7:その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。
8:そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。
9:肉は生で食べたり、煮て食べてはならない。必ず、頭も四肢も内臓も切り離さずに火で焼かねばならない。
10:それを翌朝まで残しておいてはならない。翌朝まで残った場合には、焼却する。
11:それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。
酵母を入れないパン…おいしくないでしょう。ぱさぱさしていることでしょう。しかし、この日を境にイスラエル人はどういった行動を取らなければならないのか…長い旅に出なければならないという事を踏まえれば、酵母の発酵をまって、美味しい食事をゆっくりとることが許されない状況だというのがわかります。腰紐、靴、杖、そして急いで食べるという行動も、すべて
「すぐに発つことのできる状態にしておく」ための準備です。
”ミサで使用されるホスチア(聖餅)も酵母が入っていないパンなのだ”とシスターはおっしゃっていました。なるほど。
12:その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。
13:あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。
なぜ血を鴨居と柱に塗らなければならないのか…恐ろしく思える部分でもありますが、
ここでその意味が明らかになります。
主がその日にファラオに神が与える災いを、イスラエルの民に与えないよう
死の天使が血のしるしを見て民を判断できるよう、示したことだったのです。
14:この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。
記念する=子供へと、語り伝えてゆくようにという事。
人間はついつい、日々の忙しさに流され、その日かぎりの生き方をしてしまいます。
表面的に生きていると、その時々に起こった「人生の恵み」さえもついつい
見逃してしまいます。”記念する”という言葉の中には、”今、恵みがわたしたちの日常の中でも働いていること”を実感するという意味合いがあります。
年に一度の過ぎ越し際ではありますが、日曜日のミサの中でも、また毎日の生活の中でも
記念する=神との契約を思い出す、恵を実感する ことを実際は続けていかなければならないというお話。
15:七日の間、あなたたちは酵母を入れないパンを食べる。まず、祭りの最初の日に家から酵母を取り除く。この日から第七日までの間に酵母入りのパンを食べた者は、すべてイスラエルから断たれる。
16:最初の日に聖なる集会を開き、第七日にも聖なる集会を開かねばならない。この両日にはいかなる仕事もしてはならない。ただし、それぞれの食事の用意を除く。これだけは行ってもよい。
17:あなたたちは除酵祭を守らねばならない。なぜなら、まさにこの日に、わたしはあなたたちの部隊をエジプトの国から導き出したからである。それゆえ、この日を代々にわたって守るべき不変の定めとして守らねばならない。
18:正月の十四日の夕方からその月の二十一日の夕方まで、酵母を入れないパンを食べる。
19:七日の間、家の中に酵母があってはならない。酵母の入ったものを食べる者は、寄留者であれその土地に生まれた者であれ、すべて、イスラエルの共同体から断たれる。
20:酵母の入ったものは一切食べてはならない。あなたたちの住む所ではどこでも、酵母を入れないパンを食べねばならない。』」
主の言葉を受け、モーセは早速行動にうつします。
21:モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。
22:そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。
23:主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。
24:あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。
25:また、主が約束されたとおりあなたたちに与えられる土地に入ったとき、この儀式を守らねばならない。
26:また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、
27:こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」民はひれ伏して礼拝した。
ユダヤ教の過ぎ越しの儀式では、この問答を実際に子供が歌う形でおこなうそうですよ。
28:それから、イスラエルの人々は帰って行き、主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。
旧約聖書の中の”過ぎ越し”は、
イスラエルの民にとって奴隷だった苦しい時期
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← 過ぎ越す
神により解放され、自由を手にする時代
というポイントを通過する重要な日であることがこの章で
わかります。
奴隷
死 失敗
---------- ----------- -------------- ← 過ぎ越す
自由 復活 成功
その重要な一瞬(過ぎ越し)によって、大きな進歩が起こるということ
「”失敗と成功は紙一重”って言うでしょう。」とシスターはさらっと
解説します。過ぎ越す時を忘れない、心得るというのは
生きていく中でかなり重要なことなのだなという事が、
じわじわと実感されてきました。仕事も迷いも何か重要なポイントで
がーんと方向性が開けてきたりするものです。
聖土曜日(パスクワの前日)、真っ暗にした教会の中に
lucedicristoを歌いながら入場し、蝋燭を一ずづつつけて行く
という儀式があるそうですが、これも死(暗闇)からの
復活(光)をあらわす儀式だそうです。
新約聖書に見られる”過ぎ越し”を、次は見てみましょう。