ROCK!!3 - (2010/12/02 (木) 19:44:00) の1つ前との変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
授業中、何度も携帯をパタパタしたけど連絡はなかった。
おかしいなあ……澪先輩たち、正午に合格発表って言ってたのに。
もし結果がわかったら真っ先に私や憂にメールするって約束してくれたのに。
携帯の画面に新着メールの表示はない。もう正午はとっくに過ぎて、あと五分ほどで授業自体が終わってしまう。
さっきまで緊張したり、合格しますようにって祈ってたけどなんだか拍子抜けだ。
もしかして私に連絡するの忘れてるのかな?
チラリと憂の方を見ると、机の陰で携帯をじっと見つめていた。
どうやら彼女にもメールは届いていないようだ。憂にもメールが来ないなんてどういうことだろう。
そうこうしていると、午前の授業終了を告げるチャイムが鳴った。
結局先輩たちからは何の連絡も来なかった。
起立して礼をすると、教室は弁当を広げるクラスメイトで騒ぎ立つ。
何の表示もない画面を見つめながら座っていると、純がやってきた。
「梓ー、先輩たちから何か来た?」
「ううん……さっきから待ってるんだけど来なくて」
純の後ろから憂が顔を覗かせる。
「憂は唯先輩から何かなかったの?」
憂は不安そうに首を振った。
「何かあったのかな……」
「まさか、全員不合格とか」
純が縁起でもない事を言った。
「いや、唯先輩や律先輩ならともかく、澪先輩まで落ちるってのは」
考えられない。澪先輩が落ちるなんて考えられない。
元より成績がよかったみたいだし、公立の推薦狙えるレベルだったのだ。
そりゃ先輩たちの受けた女子大もそこそこのレベルだけど、澪先輩に限って落ちるなんてことはあり得ないだろう。
「じゃあなんで連絡ないんだろうね」
純が私の机にお弁当を置いた。
結局連絡がないまま、私は自宅に帰ってきていた。もう五時になろうとしている。
(……先輩たち、どうだったのかな)
澪先輩に電話をしたら電源が切られていたし、メールの返事もない。
他の三人の先輩にもとりあえず電話を一通り掛けてみたけど、全員出なかった。
四人全員と連絡が取れないなんてどういうことだろう。
何かの事件に巻き込まれたとかじゃないよね……。
落ち着けないまま一人でギターを弾いていると、携帯が鳴った。
「……!」
やっとだ。画面には律先輩の名前が表示されている。
澪先輩ではなかったのはちょっと残念だけど、でもようやく先輩たちと話せる。
おおよそ全員合格してお茶を飲みに何処かに寄っていて、電源を切っていただけとかであろう。
「はいもしもし! 律先輩ですか?」
声高にそう尋ねるが、向こう側はいたって静かだ。
「律先輩?」
数秒の沈黙の後、返事。
「梓……」
この違和感はなんだろう。
冗談なんかじゃない。空気が。
律先輩の声は酷くか細くて、普段の先輩とは印象が大分違う聞こえ方だった。
先輩は少し何かを溜めて、ゆっくりと告げた。
「――ごめん。私だけ落ちた」
え?
という疑問詞だけが頭に浮かんで浮かんで、消えなかった。
「本当にごめん」
悟りを開いたような声色に、鳥肌までも感じる。
律先輩だけ不合格?
想像していた笑顔の未来は、音を立てて壊れたような気がした。
何を言えばいいかわからない。
「あ、あの……えっと、え?」
「混乱しちゃうよなそりゃ。本当にごめん。私だけ不合格だったんだ」
不合格不合格。律先輩だけが。
じゃあ澪先輩は合格してるの?
何を考えてるんだ私は。
律先輩が落ちちゃったのに。澪先輩の事を考えてる。
むしろべったりだったあの二人が別れることに喜んでいるなんて。
「え、でも他に滑り止め受けてますよね……?」
「……澪たちがいなきゃつまらないから全部辞めてきた」
えええ、ってことは律先輩浪人?
私は追いつかない心と言葉に焦る。
「じゃ、じゃあ、浪人するんですか」
わざわざ聞かなくてもわかる。でも言葉を紡がなきゃ気まずい。
あんなに快活な律先輩が、ここまで静かなのは変だから。
やっぱり落ちたことショックなんだろうな……。
「予備校に通うよ。一年後、もう一回同じところ受ける」
「じゃあ私と一緒ですね」
一年後先輩と同時に受験かあ……なんかやっぱりおかしいなあ。
もしそれで合格なら同い年だし、律先輩ではなくて同級生になってしまう。
滑稽な関係になっちゃうな。それはそれでまたからかわれちゃうかもしれないけど、それもいいかな。
五人でまた色んな事できたり、澪先輩と色んな事話すの楽しみだな。
律先輩がこのままニートになるんじゃないかと心配していたけど、どうにか立ち直ってくれそうだとわかって。
さっき頭の中で砕けた明るい未来は、少しだけ色を取り戻した。
後一年、私と律先輩は先輩たちの待つ女子大をそれぞれ頑張って合格するんだ。
なんだか勉強する気が出てきた瞬間だった。
律先輩は申し訳なさそうに言った。
「実は……澪も大学を辞めたんだ」
「――」
「だから、澪と頑張ってもう一回あの女子大に合格する」
「――」
え?
「――ごめんな梓。もう私、先輩じゃないけど……でも皆でまた音楽やりたいからさ……一年遅れだけど、またバンド組もうな」
うんそうですね。やりたい、バンド活動したい。
いつまでも放課後ティータイムでやりたいって。
思ってたし、澪先輩や唯先輩、ムギ先輩とも皆で音楽やっていきたいって思ってる。
だから受験生の私はあの女子大に向けて頑張ってた。
でもそれは二の次で、やっぱり何処か澪先輩と一緒にいたいって思ってた。
私、澪先輩の事が好きなんだ。
そういうの駄目だとか、女同士だとか――澪先輩には律先輩がいるから駄目だって思って。
ずっと我慢してきて。だから律先輩が落ちちゃったて聞いて、内心喜んでる私がいた。
やっと、やっと澪先輩と律先輩が離れるって。
距離が開いちゃうって。
そんな状況に喜んでる私は、なんて悪い子なんだろうって思う。
だけどそうだった。
律先輩はいつだって澪先輩を一人占めしてた。私だって澪先輩の事大好きだ。
二人きりで演奏だってしたかったし、お話したり勉強だって教えてほしかった。
だけど澪先輩の視線の先には、いつだって律先輩がいたんだ。
それが悔しくて。どうして私を見てくれないのって。
嫉妬だって笑われるから表情にも出さないで生活してきた。
澪先輩の事諦めようって思って唯先輩やムギ先輩とも仲良くした。
でも無理だった。
やっぱり部室で視界に映ってるのは、いつだって澪先輩だった。
澪先輩が大好き。
なのに、また律先輩に取られちゃうなんて。
澪先輩はやっぱり律先輩を選んじゃうんだって。
どうしようもないというのはこの事か。何か叫んだり捌け口を探したい。
でもそんなのない。私の心の中に黒いモヤモヤした痛みはすぐに広がって、袋小路に迷い込む。
痛いの嫌いだから、何処かへ行ってと心の中で懇願したって、この痛みはすぐに引いていかない。
「梓……?」
「み、澪先輩も……ですか」
「私も馬鹿だって思うけど……でもあいつがそう決めたんだ。二人でやっていくよ」
馬鹿だって? 私は奥歯を噛み締めた。
澪先輩は律先輩が大好きで、それで大学を辞めた。
そうは言ってないけど絶対そうだ。その選択を馬鹿だなんて罵る権利は、律先輩にだってないはずなのに!
だからってそう律先輩に言う勇気もない。
馬鹿なのは律先輩だ。だから落ちたんだ。
澪先輩の気持ち、何にもわかってないのに。
どうして澪先輩は律先輩しか見えないの?
「じゃあ……本当にごめんな」
律先輩は終始元気がないまま、電話を切った。
去年の事を思い出す。
大好きな澪先輩の姿や、放課後ティータイムの皆の姿。
お茶を飲んだりお話したり……色んな事をしたけど、やっぱり澪先輩の隣にいるのは律先輩だった。
そこにいるのが当たり前のように。いなきゃいけないと見せつけるかのようにいつも一緒にいたあの二人。
私なんかじゃ、律先輩には敵わないのかな。
片手に携帯を持ったまま、私はその場に座り込んでしまった。
■
「この前やった模試を返すぞ」
予備校での授業も午後に入って、私は少しだけ疲れていた。
元々勉強を頑張るタイプではないし、受験前も本気でバリバリとやったということはない。
私には澪という心強い味方がいたので、きっと大丈夫だと信じていたからだろう。だから失敗したんだ。
今でもいつも澪と一緒に勉強するけど、わからないと駄々をこねたり、すぐに諦めるような事はしなくなった。
本当にわからないところだけ澪に質問するようにする。
澪の解説は昔から丁寧でわかりやすい。正直高校の先生や塾の先生よりも頭に入ってくる。
それは澪だからなのか、澪の解説が良いからなのかはわかりかねるけど。
先生が一人一人名前を呼んで、模試の結果の紙を返していく。
澪は緊張した面持ちで今か今かと待っていた。私は少し呆れて声をかける。
「なんだ澪。結果が楽しみなのか?」
「そうだな。自分自身手応えはあったと思うんだ」
澪の名字は『秋山』だから出席番号一番、ということはない。
予備校の在籍番号というものはあるが、それは先着順で、澪と私は一番違いで澪が先だ。
だから澪が席を立つと同時に私も立つ。高校時代は出席番号が離れてて、澪のテストの結果が楽しみだったな。
とある雑誌で好きな子のテストの結果が知りたい人が多いと書いてあったけど、どうやらマジなようだ。
「律はどうなんだ? よかったのか」
「ぼちぼちだな。やっぱりずっと高校時代に頑張ってきた人には敵わないよ」
この予備校のクラスはそこそこレベルの高い連中が何人かいる。
予備校に入学してすぐに行ったテストでクラス三十人中何位だったかでレベルが決まると風の噂で聞いたが、
私は二十三位で下位もいいところだった。澪は十一位とバリバリで上位だった。
やっぱり上位になる人は高校時代もずっと勉強してきた人だろうし、多分大学受験をするつもりはなかったんだろうなと思う。
難関大学を受けるつもりで自分から浪人した人が上位を占めているのだろう。
受験に失敗してここに来たのはせいぜいこのクラスの半分に満たないだろう。
澪の名前が呼ばれて、私と同時に席を立った。縦に並んで、教卓で待つ先生から順番に結果を受け取る。
この模試はこの予備校校内の模試で、全校生徒――とは行っても浪人生の学年――の総合順位が出る。
それなりに大きな予備校だから、確か浪人生は百人ぐらいいたかな。
先生は私たちに渡すと、また別の生徒の名前を呼んで行く。澪が席に戻りながら私に尋ねた。
「何番だった?」
「……六十七番」百人中。
正直微妙すぎる。中の下か。
今は六月で、入試に失敗してから一ヶ月くらいは本当に勉強はしなかったし、本格的に勉強を始めたのは予備校に入学した四月からだ。
まだちゃんとやり始めて二ヶ月。澪もそう簡単に伸びないと言ってくれる。
やっぱり高校時代に本気で勉強していなかったからかな。
「澪はどうだった」
「二十五番……」
「すげえじゃん」
いや冗談抜きですごいと思う。
「あ、ありがと」
澪は照れながら席に座った。可愛いなあ。
本当、私にはもったいない奴だよ。
少なくともいっつも調子こいてたくせにいざって時に一人だけ失敗する大馬鹿野郎な私なんかより、澪にお似合いな奴はいっぱいいる。
美人だし綺麗な髪だし何やらせても器用だし、そりゃちょっと怖がりだったり恥ずかしがりやなところもあるけど……。
考えれば考えるほど、葛藤は渦巻く。
お似合いな奴はたくさんいるけど、誰にも渡したくない。
澪の事、大好きだから誰かと一緒になってほしくない。
私と一緒にいてほしい。
でもそんな大層な事望むほど、私はそれだけの事を澪にしてやれる自信もない。
だけど澪が大学辞めるって言ってくれて、内心嬉しくもあった。
澪が遠くに行っちゃうんじゃないかって怖くて。
似たような気持ちになった事は何度もある。澪が他の誰かと仲良くなったりした時、嫉妬したり。
ああいう気持ちに似た何かというか……。
情けねえなあ私って。
「律?」
「え、な、何?」
「さっきから何回呼んでると思ってんだ?」
ごめんと謝ると、澪は少し目を逸らしてしまった。
最近ずっと澪に謝ってばっかりだ。
そういうのが澪をさらに悲しませちゃうってのはわかってるのに。
だけど私の全てがなんとなく罪になっているというか、失敗が何でも罪悪感に変わってしまっていた。
澪が今隣にいるのも、一緒に勉強してるのも、全部私が受験に失敗したからなんだって思うといたたまれない。
もちろん受験に成功していてもいつだって澪の傍にいるつもりだし、一緒に勉強はするつもりだった。
だけど状況はまるで違い、浪人なんて風当たりはまるでよくないし。
三年生の時元気一杯だったくせに受験に失敗なんて恥ずかしいったらありゃしないよな。
あーあ、高校時代に戻りたいなあ。
「で、なんだよ」
教室はまだ模試を返す喧騒に飲まれている。
澪に問うと、携帯の画面を見せてきた。
そこには、ムギらしい少しぽわぽわしたような……それでいて落ち着いた物腰を感じる言葉遣いで文章が綴られている。
ムギはあんまり変わらないみたいだな。
「……八月、唯たち帰ってくるんだな」
また胸が締め付けられる思いだった。
唯とムギは女子大の近くでそれぞれ一人暮らしをしている。
ムギは家の援助もあってかそれなりにすごい、ほぼ一戸建てみたいなところに住んでるらしい。
唯は唯で質素ながらも生活に支障はないところに住んでいるようだ。
卒業式から一回も会ってないから様子はよく知らない。
たまにメールがくる程度だった。だけど返事をしたことはなかった。
「でさ、ムギたちが会わないかって言ってるんだよ」
澪が何を言いたいのかなんとなくわかってた。
だけど。
「澪一人で会ってきなよ」
「えっ……」
携帯を澪に突き返しながら言うと、澪は顔をしかめた。
まあそうだよな。
「な、なんでだよ!」
一応教室なので、澪も声は抑えつつも私に怒鳴った。
模試の返却で教室自体は騒がしい。だから怒鳴る澪の声も、そんな教室の喧騒に飲まれた。
なんでって。
なんでだよ。
「……なんとなく、会いたくない」
皆と一緒にいたこと。
一緒に演奏してた事。
大学も四人で一緒に行こうって言ったこと。
私だけ受験に失敗したこと。
皆来年があるって言ってくれたこと。
そういうの全部、私の中で生きている。
だから、前みたいにいられない事が悩ましい。
自分が恨めしいんだ。
確かに来年がある。来年受験するよ。皆と同じ大学に行けるって夢は叶う。
だけど溝はできちゃったと思う。
努力が足りなかったって思われて、『皆と同じ大学に行く』という夢に本気でなかったって思われても仕方ない。
仕方ないけど、そういう風に思われてる。この結果に恐ろしさだって感じる。
皆で笑いあってたのは『過去』だったんだ。
皆いい人だ。澪も唯もムギも大好きな友達だ。
皆私の事をなんとも思ってないかもしれない。
別に『本気じゃなかった』なんて思ってなくて、本当に私の事を心配したり、期待して待っててくれてるかもしれない。
私の事を蔑んだり、嫌いになったりはしていないと思う。
だけど、皆がそうでも私がそうじゃない。
私は私が嫌いになった。
皆が見ていた『田井中律』は、こんな子じゃなかったと思う。
だから、会えない。
会いたくない。
澪以外と会いたくない。
■
私が皆に会いたくないって言った時、澪に嫌われるかもって思った。
放課後ティータイムの中で、私はムギと唯、そして梓を信じ切れていない。
大好きな友達で仲間だ。一緒にバンドを組んでいたいし笑いあっていたい大切な奴らなのは私も分かっている。
とってもいい奴で、誰かを悪く言ったりだとか、そういうことはしないんだって私だって思う。
だけど、だけどだけど。
やっぱり私の事、見損なったり、軽蔑したりしてるんじゃないかって。
不安で怖い。怖くて怖くてたまらない。
私が皆なら、受験に失敗した友達を見てなんて思うんだろう。
しかもその友達が、受験の時期だっていつもハイテンションな奴だったりしたら。
誰かにいっつも頼ってばかりで、鉛筆を転がして受験を乗り越えようとしてる奴がいたら。
やっぱり勉強真面目にしてなかったんだろ、って。
そう思っちゃうかもしれない。
だから怖い。
また皆で笑いあえるようになるのに、時間がかかる。
まだ会うのには早すぎる。
でも澪だけは。
澪にだけ傍にいてほしい。
わがままだって思われちゃうかもしれないけど。
私にとって澪は、そういう相手で。いてくれなきゃ、私はこんな不安と罪の重さに押し潰されちゃうかもしれない。
澪がいなかったら、どうなっていたんだろうって思う。
澪がいなかったら澪がいなかったら。
澪がいないなんて嫌だ。
澪が大学を辞めたって言った時、ちょっとだけ胸が痛かった。
また私の所為で澪に迷惑かけたって。
それもこれも全部私が落ちたからなんだなあと思うと、また責任と罪は体中に重く圧し掛かった。
澪は私の所為じゃないって言ってくれたけど、私が落ちなきゃ澪は大学を辞める必要もなかった。
折角公立捨てたのに、全部パアなんだなって思うとまた私の中に痛みは広がっていく。
だけど澪は言ったんだ。
そうするのは全部、律と一緒にいるためだって。
そんな一言だけで、私はここにいれる。
生きていられるんだ。
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授業中、何度も携帯をパタパタしたけど連絡はなかった。
おかしいなあ……澪先輩たち、正午に合格発表って言ってたのに。
もし結果がわかったら真っ先に私や憂にメールするって約束してくれたのに。
携帯の画面に新着メールの表示はない。もう正午はとっくに過ぎて、あと五分ほどで授業自体が終わってしまう。
さっきまで緊張したり、合格しますようにって祈ってたけどなんだか拍子抜けだ。
もしかして私に連絡するの忘れてるのかな?
チラリと憂の方を見ると、机の陰で携帯をじっと見つめていた。
どうやら彼女にもメールは届いていないようだ。憂にもメールが来ないなんてどういうことだろう。
そうこうしていると、午前の授業終了を告げるチャイムが鳴った。
結局先輩たちからは何の連絡も来なかった。
起立して礼をすると、教室は弁当を広げるクラスメイトで騒ぎ立つ。
何の表示もない画面を見つめながら座っていると、純がやってきた。
「梓ー、先輩たちから何か来た?」
「ううん……さっきから待ってるんだけど来なくて」
純の後ろから憂が顔を覗かせる。
「憂は唯先輩から何かなかったの?」
憂は不安そうに首を振った。
「何かあったのかな……」
「まさか、全員不合格とか」
純が縁起でもない事を言った。
「いや、唯先輩や律先輩ならともかく、澪先輩まで落ちるってのは」
考えられない。澪先輩が落ちるなんて考えられない。
元より成績がよかったみたいだし、公立の推薦狙えるレベルだったのだ。
そりゃ先輩たちの受けた女子大もそこそこのレベルだけど、澪先輩に限って落ちるなんてことはあり得ないだろう。
「じゃあなんで連絡ないんだろうね」
純が私の机にお弁当を置いた。
結局連絡がないまま、私は自宅に帰ってきていた。もう五時になろうとしている。
(……先輩たち、どうだったのかな)
澪先輩に電話をしたら電源が切られていたし、メールの返事もない。
他の三人の先輩にもとりあえず電話を一通り掛けてみたけど、全員出なかった。
四人全員と連絡が取れないなんてどういうことだろう。
何かの事件に巻き込まれたとかじゃないよね……。
落ち着けないまま一人でギターを弾いていると、携帯が鳴った。
「……!」
やっとだ。画面には律先輩の名前が表示されている。
澪先輩ではなかったのはちょっと残念だけど、でもようやく先輩たちと話せる。
おおよそ全員合格してお茶を飲みに何処かに寄っていて、電源を切っていただけとかであろう。
「はいもしもし! 律先輩ですか?」
声高にそう尋ねるが、向こう側はいたって静かだ。
「律先輩?」
数秒の沈黙の後、返事。
「梓……」
この違和感はなんだろう。
冗談なんかじゃない。空気が。
律先輩の声は酷くか細くて、普段の先輩とは印象が大分違う聞こえ方だった。
先輩は少し何かを溜めて、ゆっくりと告げた。
「――ごめん。私だけ落ちた」
え?
という疑問詞だけが頭に浮かんで浮かんで、消えなかった。
「本当にごめん」
悟りを開いたような声色に、鳥肌までも感じる。
律先輩だけ不合格?
想像していた笑顔の未来は、音を立てて壊れたような気がした。
何を言えばいいかわからない。
「あ、あの……えっと、え?」
「混乱しちゃうよなそりゃ。本当にごめん。私だけ不合格だったんだ」
不合格不合格。律先輩だけが。
じゃあ澪先輩は合格してるの?
何を考えてるんだ私は。
律先輩が落ちちゃったのに。澪先輩の事を考えてる。
むしろべったりだったあの二人が別れることに喜んでいるなんて。
「え、でも他に滑り止め受けてますよね……?」
「……澪たちがいなきゃつまらないから全部辞めてきた」
えええ、ってことは律先輩浪人?
私は追いつかない心と言葉に焦る。
「じゃ、じゃあ、浪人するんですか」
わざわざ聞かなくてもわかる。でも言葉を紡がなきゃ気まずい。
あんなに快活な律先輩が、ここまで静かなのは変だから。
やっぱり落ちたことショックなんだろうな……。
「予備校に通うよ。一年後、もう一回同じところ受ける」
「じゃあ私と一緒ですね」
一年後先輩と同時に受験かあ……なんかやっぱりおかしいなあ。
もしそれで合格なら同い年だし、律先輩ではなくて同級生になってしまう。
滑稽な関係になっちゃうな。それはそれでまたからかわれちゃうかもしれないけど、それもいいかな。
五人でまた色んな事できたり、澪先輩と色んな事話すの楽しみだな。
律先輩がこのままニートになるんじゃないかと心配していたけど、どうにか立ち直ってくれそうだとわかって。
さっき頭の中で砕けた明るい未来は、少しだけ色を取り戻した。
後一年、私と律先輩は先輩たちの待つ女子大をそれぞれ頑張って合格するんだ。
なんだか勉強する気が出てきた瞬間だった。
律先輩は申し訳なさそうに言った。
「実は……澪も大学を辞めたんだ」
「――」
「だから、澪と頑張ってもう一回あの女子大に合格する」
「――」
え?
「――ごめんな梓。もう私、先輩じゃないけど……でも皆でまた音楽やりたいからさ……一年遅れだけど、またバンド組もうな」
うんそうですね。やりたい、バンド活動したい。
いつまでも放課後ティータイムでやりたいって。
思ってたし、澪先輩や唯先輩、ムギ先輩とも皆で音楽やっていきたいって思ってる。
だから受験生の私はあの女子大に向けて頑張ってた。
でもそれは二の次で、やっぱり何処か澪先輩と一緒にいたいって思ってた。
私、澪先輩の事が好きなんだ。
そういうの駄目だとか、女同士だとか――澪先輩には律先輩がいるから駄目だって思って。
ずっと我慢してきて。だから律先輩が落ちちゃったて聞いて、内心喜んでる私がいた。
やっと、やっと澪先輩と律先輩が離れるって。
距離が開いちゃうって。
そんな状況に喜んでる私は、なんて悪い子なんだろうって思う。
だけどそうだった。
律先輩はいつだって澪先輩を一人占めしてた。私だって澪先輩の事大好きだ。
二人きりで演奏だってしたかったし、お話したり勉強だって教えてほしかった。
だけど澪先輩の視線の先には、いつだって律先輩がいたんだ。
それが悔しくて。どうして私を見てくれないのって。
嫉妬だって笑われるから表情にも出さないで生活してきた。
澪先輩の事諦めようって思って唯先輩やムギ先輩とも仲良くした。
でも無理だった。
やっぱり部室で視界に映ってるのは、いつだって澪先輩だった。
澪先輩が大好き。
なのに、また律先輩に取られちゃうなんて。
澪先輩はやっぱり律先輩を選んじゃうんだって。
どうしようもないというのはこの事か。何か叫んだり捌け口を探したい。
でもそんなのない。私の心の中に黒いモヤモヤした痛みはすぐに広がって、袋小路に迷い込む。
痛いの嫌いだから、何処かへ行ってと心の中で懇願したって、この痛みはすぐに引いていかない。
「梓……?」
「み、澪先輩も……ですか」
「私も馬鹿だって思うけど……でもあいつがそう決めたんだ。二人でやっていくよ」
馬鹿だって? 私は奥歯を噛み締めた。
澪先輩は律先輩が大好きで、それで大学を辞めた。
そうは言ってないけど絶対そうだ。その選択を馬鹿だなんて罵る権利は、律先輩にだってないはずなのに!
だからってそう律先輩に言う勇気もない。
馬鹿なのは律先輩だ。だから落ちたんだ。
澪先輩の気持ち、何にもわかってないのに。
どうして澪先輩は律先輩しか見えないの?
「じゃあ……本当にごめんな」
律先輩は終始元気がないまま、電話を切った。
去年の事を思い出す。
大好きな澪先輩の姿や、放課後ティータイムの皆の姿。
お茶を飲んだりお話したり……色んな事をしたけど、やっぱり澪先輩の隣にいるのは律先輩だった。
そこにいるのが当たり前のように。いなきゃいけないと見せつけるかのようにいつも一緒にいたあの二人。
私なんかじゃ、律先輩には敵わないのかな。
片手に携帯を持ったまま、私はその場に座り込んでしまった。
■
「この前やった模試を返すぞ」
予備校での授業も午後に入って、私は少しだけ疲れていた。
元々勉強を頑張るタイプではないし、受験前も本気でバリバリとやったということはない。
私には澪という心強い味方がいたので、きっと大丈夫だと信じていたからだろう。だから失敗したんだ。
今でもいつも澪と一緒に勉強するけど、わからないと駄々をこねたり、すぐに諦めるような事はしなくなった。
本当にわからないところだけ澪に質問するようにする。
澪の解説は昔から丁寧でわかりやすい。正直高校の先生や塾の先生よりも頭に入ってくる。
それは澪だからなのか、澪の解説が良いからなのかはわかりかねるけど。
先生が一人一人名前を呼んで、模試の結果の紙を返していく。
澪は緊張した面持ちで今か今かと待っていた。私は少し呆れて声をかける。
「なんだ澪。結果が楽しみなのか?」
「そうだな。自分自身手応えはあったと思うんだ」
澪の名字は『秋山』だから出席番号一番、ということはない。
予備校の在籍番号というものはあるが、それは先着順で、澪と私は一番違いで澪が先だ。
だから澪が席を立つと同時に私も立つ。高校時代は出席番号が離れてて、澪のテストの結果が楽しみだったな。
とある雑誌で好きな子のテストの結果が知りたい人が多いと書いてあったけど、どうやらマジなようだ。
「律はどうなんだ? よかったのか」
「ぼちぼちだな。やっぱりずっと高校時代に頑張ってきた人には敵わないよ」
この予備校のクラスはそこそこレベルの高い連中が何人かいる。
予備校に入学してすぐに行ったテストでクラス三十人中何位だったかでレベルが決まると風の噂で聞いたが、
私は二十三位で下位もいいところだった。澪は十一位とバリバリで上位だった。
やっぱり上位になる人は高校時代もずっと勉強してきた人だろうし、多分大学受験をするつもりはなかったんだろうなと思う。
難関大学を受けるつもりで自分から浪人した人が上位を占めているのだろう。
受験に失敗してここに来たのはせいぜいこのクラスの半分に満たないだろう。
澪の名前が呼ばれて、私と同時に席を立った。縦に並んで、教卓で待つ先生から順番に結果を受け取る。
この模試はこの予備校校内の模試で、全校生徒――とは行っても浪人生の学年――の総合順位が出る。
それなりに大きな予備校だから、確か浪人生は百人ぐらいいたかな。
先生は私たちに渡すと、また別の生徒の名前を呼んで行く。澪が席に戻りながら私に尋ねた。
「何番だった?」
「……六十七番」百人中。
正直微妙すぎる。中の下か。
今は六月で、入試に失敗してから[[一ヶ月]]くらいは本当に勉強はしなかったし、本格的に勉強を始めたのは予備校に入学した四月からだ。
まだちゃんとやり始めて二ヶ月。澪もそう簡単に伸びないと言ってくれる。
やっぱり高校時代に本気で勉強していなかったからかな。
「澪はどうだった」
「二十五番……」
「すげえじゃん」
いや冗談抜きですごいと思う。
「あ、ありがと」
澪は照れながら席に座った。可愛いなあ。
本当、私にはもったいない奴だよ。
少なくともいっつも調子こいてたくせにいざって時に一人だけ失敗する大馬鹿野郎な私なんかより、澪にお似合いな奴はいっぱいいる。
美人だし綺麗な髪だし何やらせても器用だし、そりゃちょっと怖がりだったり恥ずかしがりやなところもあるけど……。
考えれば考えるほど、葛藤は渦巻く。
お似合いな奴はたくさんいるけど、誰にも渡したくない。
澪の事、大好きだから誰かと一緒になってほしくない。
私と一緒にいてほしい。
でもそんな大層な事望むほど、私はそれだけの事を澪にしてやれる自信もない。
だけど澪が大学辞めるって言ってくれて、内心嬉しくもあった。
澪が遠くに行っちゃうんじゃないかって怖くて。
似たような気持ちになった事は何度もある。澪が他の誰かと仲良くなったりした時、嫉妬したり。
ああいう気持ちに似た何かというか……。
情けねえなあ私って。
「律?」
「え、な、何?」
「さっきから何回呼んでると思ってんだ?」
ごめんと謝ると、澪は少し目を逸らしてしまった。
最近ずっと澪に謝ってばっかりだ。
そういうのが澪をさらに悲しませちゃうってのはわかってるのに。
だけど私の全てがなんとなく罪になっているというか、失敗が何でも罪悪感に変わってしまっていた。
澪が今隣にいるのも、一緒に勉強してるのも、全部私が受験に失敗したからなんだって思うといたたまれない。
もちろん受験に成功していてもいつだって澪の傍にいるつもりだし、一緒に勉強はするつもりだった。
だけど状況はまるで違い、浪人なんて風当たりはまるでよくないし。
三年生の時元気一杯だったくせに受験に失敗なんて恥ずかしいったらありゃしないよな。
あーあ、高校時代に戻りたいなあ。
「で、なんだよ」
教室はまだ模試を返す喧騒に飲まれている。
澪に問うと、携帯の画面を見せてきた。
そこには、ムギらしい少しぽわぽわしたような……それでいて落ち着いた物腰を感じる言葉遣いで文章が綴られている。
ムギはあんまり変わらないみたいだな。
「……八月、唯たち帰ってくるんだな」
また胸が締め付けられる思いだった。
唯とムギは女子大の近くでそれぞれ一人暮らしをしている。
ムギは家の援助もあってかそれなりにすごい、ほぼ一戸建てみたいなところに住んでるらしい。
唯は唯で質素ながらも生活に支障はないところに住んでいるようだ。
卒業式から一回も会ってないから様子はよく知らない。
たまにメールがくる程度だった。だけど返事をしたことはなかった。
「でさ、ムギたちが会わないかって言ってるんだよ」
澪が何を言いたいのかなんとなくわかってた。
だけど。
「澪一人で会ってきなよ」
「えっ……」
携帯を澪に突き返しながら言うと、澪は顔をしかめた。
まあそうだよな。
「な、なんでだよ!」
一応教室なので、澪も声は抑えつつも私に怒鳴った。
模試の返却で教室自体は騒がしい。だから怒鳴る澪の声も、そんな教室の喧騒に飲まれた。
なんでって。
なんでだよ。
「……なんとなく、会いたくない」
皆と一緒にいたこと。
一緒に演奏してた事。
大学も四人で一緒に行こうって言ったこと。
私だけ受験に失敗したこと。
皆来年があるって言ってくれたこと。
そういうの全部、私の中で生きている。
だから、前みたいにいられない事が悩ましい。
自分が恨めしいんだ。
確かに来年がある。来年受験するよ。皆と同じ大学に行けるって夢は叶う。
だけど溝はできちゃったと思う。
努力が足りなかったって思われて、『皆と同じ大学に行く』という夢に本気でなかったって思われても仕方ない。
仕方ないけど、そういう風に思われてる。この結果に恐ろしさだって感じる。
皆で笑いあってたのは『過去』だったんだ。
皆いい人だ。澪も唯もムギも大好きな友達だ。
皆私の事をなんとも思ってないかもしれない。
別に『本気じゃなかった』なんて思ってなくて、本当に私の事を心配したり、期待して待っててくれてるかもしれない。
私の事を蔑んだり、嫌いになったりはしていないと思う。
だけど、皆がそうでも私がそうじゃない。
私は私が嫌いになった。
皆が見ていた『田井中律』は、こんな子じゃなかったと思う。
だから、会えない。
会いたくない。
澪以外と会いたくない。
■
私が皆に会いたくないって言った時、澪に嫌われるかもって思った。
放課後ティータイムの中で、私はムギと唯、そして梓を信じ切れていない。
大好きな友達で仲間だ。一緒にバンドを組んでいたいし笑いあっていたい大切な奴らなのは私も分かっている。
とってもいい奴で、誰かを悪く言ったりだとか、そういうことはしないんだって私だって思う。
だけど、だけどだけど。
やっぱり私の事、見損なったり、軽蔑したりしてるんじゃないかって。
不安で怖い。怖くて怖くてたまらない。
私が皆なら、受験に失敗した友達を見てなんて思うんだろう。
しかもその友達が、受験の時期だっていつもハイテンションな奴だったりしたら。
誰かにいっつも頼ってばかりで、鉛筆を転がして受験を乗り越えようとしてる奴がいたら。
やっぱり勉強真面目にしてなかったんだろ、って。
そう思っちゃうかもしれない。
だから怖い。
また皆で笑いあえるようになるのに、時間がかかる。
まだ会うのには早すぎる。
でも澪だけは。
澪にだけ傍にいてほしい。
わがままだって思われちゃうかもしれないけど。
私にとって澪は、そういう相手で。いてくれなきゃ、私はこんな不安と罪の重さに押し潰されちゃうかもしれない。
澪がいなかったら、どうなっていたんだろうって思う。
澪がいなかったら澪がいなかったら。
澪がいないなんて嫌だ。
澪が大学を辞めたって言った時、ちょっとだけ胸が痛かった。
また私の所為で澪に迷惑かけたって。
それもこれも全部私が落ちたからなんだなあと思うと、また責任と罪は体中に重く圧し掛かった。
澪は私の所為じゃないって言ってくれたけど、私が落ちなきゃ澪は大学を辞める必要もなかった。
折角公立捨てたのに、全部パアなんだなって思うとまた私の中に痛みは広がっていく。
だけど澪は言ったんだ。
そうするのは全部、律と一緒にいるためだって。
そんな一言だけで、私はここにいれる。
生きていられるんだ。
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