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 梓と別れて、私は澪の家に行った。  随分久しぶりに訪れる気がするなあ。半年ぶり位だろうか。  受験に失敗してからは家からほとんど出なかったし、澪は私の家に住むようになったから。  ここは私にとってもう一つの家みたいなものだけど、それでも懐かしい感じはした。  家に入ると、澪のお母さんに出会った。それも随分久しぶりだ。 「あらりっちゃん。久しぶりね」 「どうもー」 「……」  玄関の扉を閉めながら挨拶をするが、お母さんは私をじっと見つめた。目を白黒させている。  顔に何かついているのかと思ったけど、別にこれという違和感はない。  お母さんは、優しく宥めるように目を細めて続けた。 「なんか、澪から聞いてた話と違うわね」 「え?」 「あの子、半年くらい前から、たまに家に帰るとりっちゃんの事ずっと話しててね。  元気がないとか、あんまり笑わないみたいな事漏らしてたの」  澪は週に一度だけ自分の家に帰っていたけど、そんな事を話していたのか。  申し訳ないと思う反面、それでも私の事を想ってくれてたんだなあって嬉しい気持ちもあった。  それに、澪が私の元気のなさに憂いていたのは、もう『過去』のことなのだ。 「でも、拍子抜けしたわ。どんな暗い顔のりっちゃんが来るんだろうって想像してたのに、以前と全然変わらないじゃないの」  つまり澪は、昨日あたり私が澪の家にお呼ばれすることをお母さんに話していたのだろう。  そしてお母さんは、澪が以前より話していた『笑わない私』が来ると思って構えていたら、  立ち直ってえらく普通な私が登場して驚いたというわけか。  なんか笑えないな。 「ま、それでこそりっちゃんよ」 「なんか照れますね」 「その顔が可愛いって澪もよく言うわ」  さらっと言うなよ。 「澪は二階よ。ゆっくりしていってね」 「ありがとうございます」  お母さんは、手を振って家の奥――まあ正確に言うとキッチンの方へ行ってしまった。  その後ろ姿は、とても澪に似ていた。  私は、懐かしい空気の中、階段を上がって澪の部屋に向かう。  いきなり入って驚かせよう。  私はあまり足音を響かせないように階段を――。 「律?」  上がれなかった。  私は諦めて階段を普通に上って、部屋に入った。 「超能力者か」 「わかるんだよ、律の足音は……というより驚かそうという魂胆がさ」 「むう」  澪は勉強机についていた。机の上には何も広がっていない。  勉強してたわけでもなさそうだし、特に何かしていたというわけでもなさそうだった。  私は澪のベッドに座って、左右に手をつきつつ澪に尋ねた。 「ムギ、どうだった?」  つい数時間前、私は梓と、澪はムギと話してきた。けじめ、というより話をしておきたかったのだ。  私が昨日そう澪に提案すると、澪もムギと話したいと思っていたらしく、唯との会話の後にメールでそれぞれ誘ったのだった。  それをちょうどさっき話をつけてきて、ここに来ている。  もう十一時で、梓と話したのは二時間も前だ。  それから、話が終わり次第澪の家に戻るように決めていた。  それは澪の提案で、なぜ私の家ではなく澪の家なのか皆目見当もつかなかったけど、それもいいかなと思ってやってきたのだった。 「やっぱり、最初は落ち込んでたけど……でも、最後は笑ってくれたよ」 「そっか」  ムギには色々と悪い事をした。うるさい、なんて怒鳴ったりもした。  だけど、私はムギの事を嫌ってなんかいないという事は、澪は澪の言葉を通じて伝えてくれたと思う。 「梓は、どうだったんだ?」 「同じだったよ。私と澪を別れさせたのを、すごく後悔しててさ……」  私は手元が寂しかったので、澪のベッドの脇に寄せてあったうさちゃん人形を手にとって抱いた。  さっきの梓の様子は、簡単に思い出された。 「でも、最後はやっぱり笑ってた。澪を幸せにしてくれってさ」  私は澪に笑いかけた。  澪は、それに顔を赤くして目を逸らす。 「……十分幸せだけどな」 「え?」 「い、いや何でもない。それより……ちょ、ちょっと待っててくれ」  澪は振り払うように急いで部屋を出て行った。    本当は聞こえてたけど。  私も恥ずかしくって、お礼も肯定もできなかった。      少しして、澪が帰ってきた。  お盆の上に乗せた、丸いケーキと共に。 「あ」  それを見て思い出した。  ……今日、私誕生日じゃん。  澪は部屋の中央の小さなテーブルにそれを乗せて、私に言った。 「その様子だと忘れてたみたいだな」 「いやあ……すっかり忘れてた」  澪は微笑みながら蝋燭をケーキの上に立てて行く。一本二本……と目で数える。  十九本かあ。  私、十九歳なんだなあ……。  しんみりと暖かい思いに浸る。  もう十九年も生きてる。  その内の九年、澪と一緒なんだ。    手際良く蝋燭に火をつけていく澪。  私はそれを茫然と見つめた。  九年前。もう九年前なんだなあ。  澪と出会って。あの公園で落ち込んでる澪ちゃんに声を掛けてから。  あの瞬間から、すでにこの気持ちは始まってた。  それが今も続いてるなんて。  幸せだって思う。 「な、なんだよじろじろと」 「んーにゃ、なんでもないよ」  澪は電気を消した。  部屋を、十九個の炎だけが照らした。  澪の顔はぼんやりと浮かんでいて、目が綺麗だった。 「……で?」  少し静かになったので、私はそう漏らす。  澪は狼狽した。 「あ、いや……えっと、その……」  何にそんな態度を取っているのかわからなかった。  照れてるような恥ずかしがっているような。  それがなんでかは、直後にわかった。    澪は歌いだした。 「はっ……はっぴばーすでー、とぅーゆー……」      いつも歌う時は上手なのに。  緊張と恥ずかしさで、酷く詰まった歌だった。  いつもならからかってた。  でもそうはしないまま。  澪の歌を聞いていた。  ――ハッピバスデーディア 「りーつー……」  微笑ましくて。  可愛くて。  頬が緩む。 「ハッピーバースデー、トゥーユー……」  澪が目配せした。  私は頷いて。  十九個全部吹き消した。  ドラムの体力と肺活量舐めんなよと思った。   「……ああ、恥ずかしかった」  澪は手で顔を仰いだ。  電気をつけて、ケーキから蝋燭を取り除く私。 「面と向かってそれ歌ったの、久しぶりだったからな澪」  出会ってからずっとお互いの誕生日は、二人だけで祝ってきた。  だけど高校生ぐらいになると、あんまりその歌は歌わなくなってた。  やっぱり思春期というのもあるし、恥ずかしいし、ちょっと大人になってた時期だったから。  でもさっき澪が歌ってくれたのは。  恥ずかしいのに歌ってくれたのは。  私たちがまた新しく踏み出した一歩を、祝ってのことだったんじゃないかと思った。  澪は咳払いをして、ナイフでケーキを切り分けるにかかる。丸いケーキの中央に乗っているチョコレートが目に入った。 「チョコどうする?」 「主役は律だし、律が食べろよ」 「馬鹿野郎。澪だって主役だろ」 「いや誕生日なのはお前だろ!」  澪と見つめあった。  私は、どういうわけか吹き出した。 「……ぷっ」 「……ふふ」 「あははは!」  しょうもない。  本当に些細な事だけど。  どうでもいいような事だけど。  失って気付くこともある。  だから、こんな会話も幸せで。  思わず笑っちゃうんだ。 「ほら律……ケーキ」 「サンキュ」  澪はナイフを器用に使って、一緒に持ってきていた皿に小分けしたケーキを移し替えた。  それからケーキの中央のチョコを手で掴み、私の皿にちょこんと置いた。  澪が自分の分を皿に移し替えると同時に、私は気付いたように声を掛ける。 「澪、やっぱりこのチョコ半分な」 「いいのかよ」 「よくよく考えると、主役は二人って言っておいて私だけチョコっておかしいじゃん」 「なんだよそれ」  澪はくすくす笑った。  私も釣られて笑った。  パキンとチョコレートを半分に割って、澪の皿に置いた。 「じゃあ食べようぜ」 「ああ……本当に、誕生日おめでとう」 「ありがと、澪」  ケーキにフォークを入れた。  ふわふわした感触は、どうも私の心の中みたいだった。  おいしすぎた。 「律……」 「ん?」  二人がフォークを置いたと同時に、澪が私の名前を呼んだ。  澪の顔は、とても真っ赤だった。 「……実はさ、昨日まで誕生日忘れてたんだ……ごめん」  そんな事を言い出した。  目を逸らしている澪。  私はなんだ、と笑いつつ返した。 「そんなこと、私も忘れてたんだぜ自分の誕生日」 「でも、なんというか……謝りたかったんだ」  忘れてたことは、確かに嬉しいことじゃあないけど。私も一年中、澪の誕生日の事を考えてるわけじゃない。  それに、澪が私の誕生日を忘れてしまうぐらい色んな事に悩んでいたのも知ってる。  それが私たちの事だったし、私自身も忘れていたから特に思うこともなかった。  でも、澪にとって。  私の誕生日を忘れるのって、謝るべきことなんだなって。  それがちょっと嬉しいと思った。 「律は、私と律のアルバムを見て、私に会いたくなったって……言ったよな」  昨日の帰り道に言ったことだ。  澪は微笑んでるような、それでもちょっと不安そうな微妙な表情でケーキを見つめている。  それはただ恥ずかしくて、私と目線を合わせることができないからだと思う。  私は何も言わずに、澪の言葉に耳を傾けた。 「私も、似たような感じで……アラーム、設定してたんだ。  律の誕生日の前の日に、こっそり誕生日プレゼント買いに行く予定だったんだ。  それを設定したの、随分前で。ちょっと楽しみにしてた。でも、いろんなことがあって、忘れちゃってたんだ」  忘れさせるような出来事がありすぎた。  それを思い出しただけで――澪と一緒にいなかった時間を思い出すだけで辛い。  澪の表情も、きっとそんな気持ちからなんじゃないかってなんとなく思った。 「一人で泣いてたんだ。  でも、アラームが……アラームが鳴って、予定の内容を見たんだよ。  『誕生日プレゼントを買いに行く』って予定で。  その時、思い出したんだ。  律の誕生日の事も、今までの律との思い出も。  去年は何プレゼントしたとか、私の誕生日はとか……。  もうずっとずっと一緒だったことを、思い出して。    私も、律に会いたくなったんだよ」  澪の曇っていた表情は、次第に晴れやかになっていった。  辛い時を思い出して語る時は、その時の気持ちを思い出す。  でもその辛い瞬間から抜け出す瞬間を思い出すと、その時の笑顔も思い出せる。  思い出はずっと残るから。  私たちを縛りもするし、いつまでも不安にもさせる。  だけどそれは時に、とても私を――私たちを勇気づけるものにもなりうるんだ。  今回私と澪を勇気づけたのは。  お互い一緒にいた『思い出』だから。 「その時ちょうど、律からメールが来たんだ」 「ちょうど? マジで?」 「偶然にしちゃすごいなとは思ったけど」 「……ぷっ」  数秒見つめ合って、笑った。  恥ずかしいけど、通じ合ってるんだなって思った。  考えることもタイミングも同じ。  私の気持ちが澪の気持ち。  澪の気持ちが、私の気持ちだ。    私と澪は、繋がってるんだ。  今までもずっと。  これからもずっと。  二日後に、部室で全員が集まることに決めた。  『放課後ティータイム』として、演奏する再会。  私たちの再会を、延期続けていたのは私だ。  でも今は、胸張って言える気がするんだ。  隣に澪がいる。  あの時のような不安もない。  一緒にいるから。  部長の田井中律だぞって。  勢いよくドラムを叩ける気がするんだ。 「澪」 「うん?」 「……この後さ、私の家で練習しようぜ」    澪は一瞬驚いたが、すぐに満面の笑みを返してくれた。  五日前にも約束した。二人で演奏しようって。  でもあの時は叶わなかった。  だけど、今は。 「わかったよ……ただ半年ぶりに触るベースなんてたかが知れてるぞ」 「私も同じだから構わないよ。二日後までに完璧にしてみせる」 「おい無理すんなよ」 「澪と一緒にセッションしてれば余裕だよ」 「……馬鹿律」  澪は照れくさそうに笑った。  澪と一緒ならなんでもできる。  それこそ、ドラムを叩くことも、笑うことも。  生きていくことも。 「……律のドラムなんて、久しぶりだな」 「かなりなまってるからなあ……まあ高校の時ほど叩けないよきっと」 「でも、言ってたよな律」 「ん? 何を?」 「ドラムを嫌いになったわけじゃないって」  私は一瞬も、ドラムを嫌いになったことはなかった。  嫌いになってたのは、それを叩く私だったから。  なんでもかんでも否定して、嫌いになった半年間。  嫌いにならなかったのは、澪とドラムだけだった。 「……うん。ドラムは、私の原点だからな」  ドラムだけじゃない。  『過去』の何かが、私の原点だ。  澪と一緒にいるのも、大好きだって思う気持ちも。  全部私の中にある。  それを、私はこの半年で学んだ、ような気がした。  受験に失敗しなければ、こんな気持ちになることはなかったかもしれない。  あの苦しみは、ここにある幸せの対価。  それで十分。  細かい事は、どうでもいいや。  私は澪がいればいいんだ。  それでいいんだ。  ――失敗したことが恥ずかしい。嫌われてるかも、と知るのが怖い。  ――罵られるのが怖い。嫌われるのが怖い。会うのが怖い。  そんなのもうどうでもいいよ。  なんでそんな事に悩んでたんだ。  私には、澪がいるから。  そんな弱い私なんか、簡単に倒せるんだよ。  澪と一緒なら。  澪が一緒だから、私は私になれる。     ■    そして、『放課後ティータイム』としての再会の日。 [[戻>ROCK!!30]]|[[TOP>ROCK!!]]|[[次>ROCK!!32]]
 梓と別れて、私は澪の家に行った。  随分久しぶりに訪れる気がするなあ。半年ぶり位だろうか。  受験に失敗してからは家からほとんど出なかったし、澪は私の家に住むようになったから。  ここは私にとってもう一つの家みたいなものだけど、それでも懐かしい感じはした。  家に入ると、澪のお母さんに出会った。それも随分久しぶりだ。 「あらりっちゃん。久しぶりね」 「どうもー」 「……」  玄関の扉を閉めながら挨拶をするが、お母さんは私をじっと見つめた。目を白黒させている。  顔に何かついているのかと思ったけど、別にこれという違和感はない。  お母さんは、優しく宥めるように目を細めて続けた。 「なんか、澪から聞いてた話と違うわね」 「え?」 「あの子、半年くらい前から、たまに家に帰るとりっちゃんの事ずっと話しててね。  元気がないとか、あんまり笑わないみたいな事漏らしてたの」  澪は週に一度だけ自分の家に帰っていたけど、そんな事を話していたのか。  申し訳ないと思う反面、それでも私の事を想ってくれてたんだなあって嬉しい気持ちもあった。  それに、澪が私の元気のなさに憂いていたのは、もう『過去』のことなのだ。 「でも、拍子抜けしたわ。どんな暗い顔のりっちゃんが来るんだろうって想像してたのに、以前と全然変わらないじゃないの」  つまり澪は、昨日あたり私が澪の家にお呼ばれすることをお母さんに話していたのだろう。  そしてお母さんは、澪が以前より話していた『笑わない私』が来ると思って構えていたら、  立ち直ってえらく普通な私が登場して驚いたというわけか。  なんか笑えないな。 「ま、それでこそりっちゃんよ」 「なんか照れますね」 「その顔が可愛いって澪もよく言うわ」  さらっと言うなよ。 「澪は二階よ。ゆっくりしていってね」 「ありがとうございます」  お母さんは、手を振って家の奥――まあ正確に言うとキッチンの方へ行ってしまった。  その後ろ姿は、とても澪に似ていた。  私は、懐かしい空気の中、階段を上がって澪の部屋に向かう。  いきなり入って驚かせよう。  私はあまり足音を響かせないように階段を――。 「律?」  上がれなかった。  私は諦めて階段を普通に上って、部屋に入った。 「超能力者か」 「わかるんだよ、律の足音は……というより驚かそうという魂胆がさ」 「むう」  澪は勉強机についていた。机の上には何も広がっていない。  勉強してたわけでもなさそうだし、特に何かしていたというわけでもなさそうだった。  私は澪のベッドに座って、左右に手をつきつつ澪に尋ねた。 「ムギ、どうだった?」  つい数時間前、私は梓と、澪はムギと話してきた。けじめ、というより話をしておきたかったのだ。  私が昨日そう澪に提案すると、澪もムギと話したいと思っていたらしく、唯との会話の後にメールでそれぞれ誘ったのだった。  それをちょうどさっき話をつけてきて、ここに来ている。  もう十一時で、梓と話したのは二時間も前だ。  それから、話が終わり次第澪の家に戻るように決めていた。  それは澪の提案で、なぜ私の家ではなく澪の家なのか皆目見当もつかなかったけど、それもいいかなと思ってやってきたのだった。 「やっぱり、最初は落ち込んでたけど……でも、最後は笑ってくれたよ」 「そっか」  ムギには色々と悪い事をした。うるさい、なんて怒鳴ったりもした。  だけど、私はムギの事を嫌ってなんかいないという事は、澪は澪の言葉を通じて伝えてくれたと思う。 「梓は、どうだったんだ?」 「同じだったよ。私と澪を別れさせたのを、すごく後悔しててさ……」  私は手元が寂しかったので、澪のベッドの脇に寄せてあったうさちゃん人形を手にとって抱いた。  さっきの梓の様子は、簡単に思い出された。 「でも、最後はやっぱり笑ってた。澪を幸せにしてくれってさ」  私は澪に笑いかけた。  澪は、それに顔を赤くして目を逸らす。 「……十分幸せだけどな」 「え?」 「い、いや何でもない。それより……ちょ、ちょっと待っててくれ」  澪は振り払うように急いで部屋を出て行った。    本当は聞こえてたけど。  私も恥ずかしくって、お礼も肯定もできなかった。      少しして、澪が帰ってきた。  お盆の上に乗せた、丸いケーキと共に。 「あ」  それを見て思い出した。  ……今日、私誕生日じゃん。  澪は部屋の中央の小さなテーブルにそれを乗せて、私に言った。 「その様子だと忘れてたみたいだな」 「いやあ……すっかり忘れてた」  澪は微笑みながら蝋燭をケーキの上に立てて行く。一本二本……と目で数える。  十九本かあ。  私、十九歳なんだなあ……。  しんみりと暖かい思いに浸る。  もう十九年も生きてる。  その内の九年、澪と一緒なんだ。    手際良く蝋燭に火をつけていく澪。  私はそれを茫然と見つめた。  九年前。もう九年前なんだなあ。  澪と出会って。あの公園で落ち込んでる澪ちゃんに声を掛けてから。  あの瞬間から、すでにこの気持ちは始まってた。  それが今も続いてるなんて。  幸せだって思う。 「な、なんだよじろじろと」 「んーにゃ、なんでもないよ」  澪は電気を消した。  部屋を、十九個の炎だけが照らした。  澪の顔はぼんやりと浮かんでいて、目が綺麗だった。 「……で?」  少し静かになったので、私はそう漏らす。  澪は狼狽した。 「あ、いや……えっと、その……」  何にそんな態度を取っているのかわからなかった。  照れてるような恥ずかしがっているような。  それがなんでかは、直後にわかった。    澪は歌いだした。 「はっ……はっぴばーすでー、とぅーゆー……」      いつも歌う時は上手なのに。  緊張と恥ずかしさで、酷く詰まった歌だった。  いつもならからかってた。  でもそうはしないまま。  澪の歌を聞いていた。  ――ハッピバスデーディア 「りーつー……」  微笑ましくて。  可愛くて。  頬が緩む。 「ハッピーバースデー、トゥーユー……」  澪が目配せした。  私は頷いて。  十九個全部吹き消した。  ドラムの体力と肺活量舐めんなよと思った。   「……ああ、恥ずかしかった」  澪は手で顔を仰いだ。  電気をつけて、ケーキから蝋燭を取り除く私。 「面と向かってそれ歌ったの、久しぶりだったからな澪」  出会ってからずっとお互いの誕生日は、二人だけで祝ってきた。  だけど高校生ぐらいになると、あんまりその歌は歌わなくなってた。  やっぱり思春期というのもあるし、恥ずかしいし、ちょっと大人になってた時期だったから。  でもさっき澪が歌ってくれたのは。  恥ずかしいのに歌ってくれたのは。  私たちがまた新しく踏み出した一歩を、祝ってのことだったんじゃないかと思った。  澪は咳払いをして、ナイフでケーキを切り分けるにかかる。丸いケーキの中央に乗っているチョコレートが目に入った。 「チョコどうする?」 「主役は律だし、律が食べろよ」 「馬鹿野郎。澪だって主役だろ」 「いや誕生日なのはお前だろ!」  澪と見つめあった。  私は、どういうわけか吹き出した。 「……ぷっ」 「……ふふ」 「あははは!」  しょうもない。  本当に些細な事だけど。  どうでもいいような事だけど。  失って気付くこともある。  だから、こんな会話も幸せで。  思わず笑っちゃうんだ。 「ほら律……ケーキ」 「サンキュ」  澪はナイフを器用に使って、一緒に持ってきていた皿に小分けしたケーキを移し替えた。  それからケーキの中央のチョコを手で掴み、私の皿にちょこんと置いた。  澪が自分の分を皿に移し替えると同時に、私は気付いたように声を掛ける。 「澪、やっぱりこのチョコ半分な」 「いいのかよ」 「よくよく考えると、主役は二人って言っておいて私だけチョコっておかしいじゃん」 「なんだよそれ」  澪はくすくす笑った。  私も釣られて笑った。  パキンとチョコレートを半分に割って、澪の皿に置いた。 「じゃあ食べようぜ」 「ああ……本当に、誕生日[[おめでとう]]」 「ありがと、澪」  ケーキにフォークを入れた。  ふわふわした感触は、どうも私の心の中みたいだった。  おいしすぎた。 「律……」 「ん?」  二人がフォークを置いたと同時に、澪が私の名前を呼んだ。  澪の顔は、とても真っ赤だった。 「……実はさ、昨日まで誕生日忘れてたんだ……ごめん」  そんな事を言い出した。  目を逸らしている澪。  私はなんだ、と笑いつつ返した。 「そんなこと、私も忘れてたんだぜ自分の誕生日」 「でも、なんというか……謝りたかったんだ」  忘れてたことは、確かに嬉しいことじゃあないけど。私も一年中、澪の誕生日の事を考えてるわけじゃない。  それに、澪が私の誕生日を忘れてしまうぐらい色んな事に悩んでいたのも知ってる。  それが私たちの事だったし、私自身も忘れていたから特に思うこともなかった。  でも、澪にとって。  私の誕生日を忘れるのって、謝るべきことなんだなって。  それがちょっと嬉しいと思った。 「律は、私と律のアルバムを見て、私に会いたくなったって……言ったよな」  昨日の帰り道に言ったことだ。  澪は微笑んでるような、それでもちょっと不安そうな微妙な表情でケーキを見つめている。  それはただ恥ずかしくて、私と目線を合わせることができないからだと思う。  私は何も言わずに、澪の言葉に耳を傾けた。 「私も、似たような感じで……アラーム、設定してたんだ。  律の誕生日の前の日に、こっそり誕生日プレゼント買いに行く予定だったんだ。  それを設定したの、随分前で。ちょっと楽しみにしてた。でも、いろんなことがあって、忘れちゃってたんだ」  忘れさせるような出来事がありすぎた。  それを思い出しただけで――澪と一緒にいなかった時間を思い出すだけで辛い。  澪の表情も、きっとそんな気持ちからなんじゃないかってなんとなく思った。 「一人で泣いてたんだ。  でも、アラームが……アラームが鳴って、予定の内容を見たんだよ。  『誕生日プレゼントを買いに行く』って予定で。  その時、思い出したんだ。  律の誕生日の事も、今までの律との思い出も。  去年は何プレゼントしたとか、私の誕生日はとか……。  もうずっとずっと一緒だったことを、思い出して。    私も、律に会いたくなったんだよ」  澪の曇っていた表情は、次第に晴れやかになっていった。  辛い時を思い出して語る時は、その時の気持ちを思い出す。  でもその辛い瞬間から抜け出す瞬間を思い出すと、その時の笑顔も思い出せる。  思い出はずっと残るから。  私たちを縛りもするし、いつまでも不安にもさせる。  だけどそれは時に、とても私を――私たちを勇気づけるものにもなりうるんだ。  今回私と澪を勇気づけたのは。  お互い一緒にいた『思い出』だから。 「その時ちょうど、律からメールが来たんだ」 「ちょうど? マジで?」 「偶然にしちゃすごいなとは思ったけど」 「……ぷっ」  数秒見つめ合って、笑った。  恥ずかしいけど、通じ合ってるんだなって思った。  考えることもタイミングも同じ。  私の気持ちが澪の気持ち。  澪の気持ちが、私の気持ちだ。    私と澪は、繋がってるんだ。  今までもずっと。  これからもずっと。  二日後に、部室で全員が集まることに決めた。  『放課後ティータイム』として、演奏する再会。  私たちの再会を、延期続けていたのは私だ。  でも今は、胸張って言える気がするんだ。  隣に澪がいる。  あの時のような不安もない。  一緒にいるから。  部長の田井中律だぞって。  勢いよくドラムを叩ける気がするんだ。 「澪」 「うん?」 「……この後さ、私の家で練習しようぜ」    澪は一瞬驚いたが、すぐに満面の笑みを返してくれた。  五日前にも約束した。二人で演奏しようって。  でもあの時は叶わなかった。  だけど、今は。 「わかったよ……ただ半年ぶりに触るベースなんてたかが知れてるぞ」 「私も同じだから構わないよ。二日後までに完璧にしてみせる」 「おい無理すんなよ」 「澪と一緒にセッションしてれば余裕だよ」 「……馬鹿律」  澪は照れくさそうに笑った。  澪と一緒ならなんでもできる。  それこそ、ドラムを叩くことも、笑うことも。  生きていくことも。 「……律のドラムなんて、久しぶりだな」 「かなりなまってるからなあ……まあ高校の時ほど叩けないよきっと」 「でも、言ってたよな律」 「ん? 何を?」 「ドラムを嫌いになったわけじゃないって」  私は一瞬も、ドラムを嫌いになったことはなかった。  嫌いになってたのは、それを叩く私だったから。  なんでもかんでも否定して、嫌いになった半年間。  嫌いにならなかったのは、澪とドラムだけだった。 「……うん。ドラムは、私の原点だからな」  ドラムだけじゃない。  『過去』の何かが、私の原点だ。  澪と一緒にいるのも、大好きだって思う気持ちも。  全部私の中にある。  それを、私はこの半年で学んだ、ような気がした。  受験に失敗しなければ、こんな気持ちになることはなかったかもしれない。  あの苦しみは、ここにある幸せの対価。  それで十分。  細かい事は、どうでもいいや。  私は澪がいればいいんだ。  それでいいんだ。  ――失敗したことが恥ずかしい。嫌われてるかも、と知るのが怖い。  ――罵られるのが怖い。嫌われるのが怖い。会うのが怖い。  そんなのもうどうでもいいよ。  なんでそんな事に悩んでたんだ。  私には、澪がいるから。  そんな弱い私なんか、簡単に倒せるんだよ。  澪と一緒なら。  澪が一緒だから、私は私になれる。     ■    そして、『放課後ティータイム』としての再会の日。 [[戻>ROCK!!30]]|[[TOP>ROCK!!]]|[[次>ROCK!!32]]

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