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冬の明日 - (2010/12/19 (日) 12:33:34) のソース
//>>814 投稿日:2010/12/19(日) 00:06:55 「澪、見てみろよ!」 「なんだよ?」 テーブルの上の準備をしていたら、律が陽気な声を上げた。 窓際に立って外を見ている律が、外を見つめながら私に手招きする。 少しばかり興奮したような口調が気になった。 私は持っていた物を置いて立ち上がり、律の横へ移動する。 窓の外を見た。 「雪だ」 もう辺りは真っ暗で、向かいの家の屋根も黒の輪郭がほんのり見える程度だ。 その染みいるような黒の世界に、白い花びらが待ってるような光景。 私が思わず呟いた一言。それは花びらじゃなくて、紛れもなく雪だってわかってる。 だけど幻想的な視界の色は、息をすることさえも忘れかけた。 久しぶりに見る。一年ぶり。いや、[[もっと]]――……。 高校に入ってからは、見たのかな。見たのかもしれないけど、覚えていない。 いつだって雪が降っているのは、私の心の中と、詩の中だけだったから。 「いやー、久しぶりに見るよなー」 「そうだな……」 律が笑い掛けてきて、私は笑い返した。 だけど、ただ雪が降ったことへの高揚だけが心に湧いたわけでもなくて。 幻想的で、静かで。それでも圧倒的な綺麗さなんてものがあることを。 無邪気に雪に喜んでいた、子どもの頃の私と律ではないんだということも。 「澪、そろそろケーキ食べるか」 「ああ。ホワイトクリスマスなんて、初めてだな」 私と律は同時に、部屋の中央のテーブルに振り返った。 テーブルの上には、二人で食べるしては少し大きな円形のケーキ。 クラッカーも、サンタを模した人形も飾ってある。 今日はクリスマスだった。 ■ 私は大人になりすぎた。 雪を見るだけで、家を飛び出したくなるほど興奮することもなくなった。 今でも雪を見ると関心はするけれど、心躍るほどでもないんだ。 別の事に、心が躍ってばかりだから。 クリスマスになるだけで、サンタを待ちきれなくなることもなくなった。 今でもプレゼントはもらえるけれど、思わず笑顔が零れるほどでもないんだ。 物じゃなくて、こいつが欲しいから。 大晦日の夜も、夜中の零時まで起きているのが簡単になった。 子どもの頃はいつも九時には寝ていて、いつもより遅く起きていられるのが楽しみで。 今でもカウントダウンはしみじみするけど、昔ほどドキドキしないんだ。 だって隣にいるこいつのことでドキドキしてばかりだから。 私は大人になりすぎた。 律と一緒にいられるだけで、それだけで嬉しいと。ずっと思っていたのに。 子どもの頃は、ただ傍にいるだけで幸せだとずっと―ー……。 だけど私は、頭がよくなりすぎたんだ。 学力じゃない。偏差値でもテストの点数が良くなった事をいってるんじゃない。 怖い。怖いよ。 律といるのが、怖いよ。 幸せすぎて怖いよ。 ケーキをむしゃむしゃと食べる律。嬉しそうに、美味しそうに笑顔を見せる。 私は向かいに座って、その様子をじっと見ていた。 「なに? 澪」 「……なんでもない」 不安そうな表情、見せちゃったかな。 私はフォークを片手に持ったまま、目を逸らしてテーブルの隅を見た。 だけど容赦ないほどに、律の優しい声は降りかかってくる。 「うーそだ。なんか考えてるだろ」 「嘘じゃな――」 「嘘だろ」 言葉を遮られて、私は目線を戻した。 律の瞳は、凛とした強さを含んで私を射抜いていたのだ。 いい加減にしろ。 でも、いい加減になんかしないで。 「言えよ」 律は怒っているわけでもなく、諭すように言い放った。 吐き出せば楽になる? でも律がなんと返してくれるのか怖い。 「……律は」 「うん」 「律は、怖くないのかよ!」 私は声を荒げた。言ってからしまったとも思った。律は驚いたように目を見張る。 その驚嘆の眼差しが、私の怒鳴り声に対してなのかどうかもわからなかった。 それとも、私の言った言葉の意味が通じたのだろうか。 通じてるわけがない。 私は、俯いた。 「もう一年が……終わるんだぞ。終わっちゃうんだよ! 律はそれをなんとも思わないのか? 私は……嫌なんだ。楽しかった一年が、終わっちゃうのが」 終わりは、悲しいよ。 だから私は大人になりすぎたんだよ。 子どもの頃は、いつまでもいつまでも律と一緒にいれるって信じてた。 でも、ちょっとずつ大人になって。いろんな事を知って。 いつか、終わりが来ることを知ってしまった。 一年一年が積み重なって、ずっとずっと未来に、『終わる』んだ。 私と律の人生の内の、大切な大切な一年が、もう終わるんだ。 それが悲しい。 そんなの考えたくないよ。 でも、一年は終わっちゃうんだ。 律と一緒の時間が、どんどん流れて行ってるんだ。 「楽しい時間は、すぐに過ぎちゃうんだ……。 律ともっと一緒にいたいのに。一年がもっと長ければいいのに。 だけど、時間は止まらないんだ。 それが、苦しくて」 時間なんて止まっちゃえばいいのに。 そうすれば、怖い思いはしなくて済むんだ。 『もしかしたら』の可能性も存在しなくなって。 律がいなくなるかもって不安も、私がいなくなるかもって不安もなくなるんだ。 楽しい時間が永遠であることを約束されるのを、ずっと切望してるのに。 神様は叶えてくれないよ。ああ、神様って歌ったって。 カーペットを見つめる私。 律はどんな顔をしてるんだろう。 「澪」 名前を呼ばれて、私は顔を上げた。 キスをされた。 「……っ」 されるがままに。だけど静かに受け入れた。 しばらくそうやってから、律は唇を離す。 そして、ニッコリ笑った。 「時間が止まったら、もうキスなんてできないんだぜ」 律は、右手でそっと私の左頬に触れた。 「こうやって澪に触れられるのもさ」 「律……」 「澪の気持ちは、わかるよ。楽しい時間がずっと続けばいいなって。 それがいつ終わっちゃうかわかんないから、幸せな『今』のままでいたいのも。 だからって、未来を諦めたくないんだ」 律は白い歯を見せた。ドキッとした。 「大学生になった澪だって見たいし、OLになった澪だって見たい。 もしかしたら教師になる澪がいるかもしれないし、ナースもありうるじゃん」 本気で言ってるのか、ふざけていってるのかわからない。 でも律の無邪気で裏のない笑顔は、くだらない氷を溶かし始めていた。 「な、ナースになんかならないぞ!」 「じゃあ、何になるんだ澪は?」 「何って――」 私は、何になるんだろう。将来の夢なんか、ないよ。 これから受験する大学だって、高校だって、部活だって。全部全部――……。 律を基準に決めてきたんだから。 だから、なりたいものなんて……。 「ないけど、ある」 「どっちだよ!」 私は、息を吐いた。 「律といるのが、私のなりたいものだ」 「――」 「なりたいものっていうか、そういうのじゃないけど……」 ああ、でも。 純粋に、『将来』って物を考えた時さ。 律がいないなんて、考えられないんだ。 「お、お前なあ! さっきまで悩んでたやつが、こ、ここでそんなこと! よく恥ずかしげもなく言えるもんだな! ば、ばかやろー!」 「照れるな照れるな。でも、本当だぞ」 私って、馬鹿だなあ。 悩んでて妙に心がモヤモヤしてたくせに、単純だ。 律に声をかけてもらったら、そんなのちっぽけにしか思えないや。 何が時間なんか止まれだ。 やっぱり、私と律はいつまでも一緒にいるんだから。 時間なんてどうでもいいじゃないか。 大人になりすぎたけど。生きて行くことが昔よりも怖いけど。 でも、未来は約束されてるんだ。 約束なんていらないけど、でも、一緒にいるって決めてるから。 決めてるんなら、もう離れることなんてないよな。 「律、見ろよ。雪が本格的に降り始めたぞ」 「あ、ホントだ! 明日は積もるかな?」 私と律は立ち上がって、窓際に寄った。 さっきは、はらはらと穏やかに暗闇に降り注いでいた雪。 今は窓の向こうを、真っ白に染め上げる勢いで舞っている。 「澪、今日は……」 律がチラッと私を見た。 さっきまで私に格好良く、それでいて優しく語りかけてたくせに。 こういう甘い上目遣いだけは、本当に敵わない。 「泊まっていくよ。もちろん、最初からそのつもりだったし」 「ホントか!」 「ああ」 明日は雪が積もる。そしたら、私と律は何ができる? 昔見たいに、雪合戦もできる。 雪だるまを作れる。 かまくらをつくって、二人で中に入ったりだって出来る。 大人になりすぎたけど、私たちはいつだって子どもだ。 だから、子どもみたいに『明日』が楽しみだったりするんだ。 楽しい時間が、過ぎ去ってしまうのは怖いけど。 だけどそれを感じさせない幸せは確かにここにあるんだ。 「律、プレゼントは――」 「ああ」 「……プレゼントは、今年もベッドで、な」 律は笑った。 六年ぐらい、毎年同じプレゼントだ。 「……年中ベッドでプレゼントもらってるし」 「こ、こら! 恥ずかしいこというな!」 「お前だってさっき恥ずかしい事言ってたじゃんかよー」 「そ、それとこれとは話が……っておいこら聞いてるのか!」 「ほら澪。ケーキ、お前の残りの分食べちまうぞ」 「あーおい! 待て!」 ■ 「なあ律」 「何、澪?」 ベッドの中で、私は律を呼んだ。 同じベッドの中で隣り合っている律は、能天気に返事する。 私は、顔を隠すように布団にもぐりながら尋ねた。 「来年も……よ、よろしくな」 まだクリスマスだろって自分に言いたいけれど。 言っておきたかったんだ。 律の笑い声が聞こえた。 「何当たり前な事言ってんだよ澪。来年も、その来年も、ずっとさ。 またこうやってケーキ食べて、一緒に寝たりするんだよ!」 約束なんていらない。 約束しなくたって、『見えない約束』が繋いでるから。 「メリークリスマス」 私と律は、抱き合った。 ■終■ #comment