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SS31 - (2010/12/01 (水) 22:18:14) のソース
//>>734 投稿日:2009/12/13(日) 00:47:07 降りしきる雨が校庭に染み込む音と匂いを感じながら、 澪は観音開きの片側だけが閉じられた、生徒通用口のガラス扉に寄りかかる。 冷たいガラスには、赤字で大きく『締切』と書かれた貼り紙。 そのガラスに、触れている背中や肘をじわじわ冷やされる。 下校時間をとうに過ぎ、他の生徒の姿は見当たらない。テスト対策に図書室で勉強をしていたら、 気づいた時には外は大雨。すっかり帰るタイミングを失ってしまった。 おまけに、朝の[[天気予報]]は確認した筈なのに、肝心の傘を忘れて来ていた。 やっぱり自分は、律の言うとおりどこか天然なのかもしれない、などと自嘲しながら雨が上がるのを待つ。 この天気の中、カッターシャツにベスト姿ではさすがに寒い、澪は自分の体を抱き締めるように、腕を組んだ。 そして曇天の空を見上げる。 この季節ならまだ明るい筈の時間だが、低く黒い雲に覆われ太陽の輝きは見えない。 薄暗闇の学校に、自分1人。 改めて意識すると、寒さ以外の理由で身体が震える。 「早く止まないかな」 それを紛らわすように、あえて独り言を言ってみる。 しかし、一向に雨は止む気配を見せない。 澪は、ガラス扉に寄りかかる前にした確認をもう一度試みる。 やはりスクールバッグの中から折り畳み傘が見つかるような事は無かった。 ふう、と溜め息。そして再び雲を睨みながら空を見上げ、 「雲の向こうは、いつも晴れてるのにな……」 羨ましそうに、それ以上に寂しそうに呟く。 視線は空に送ったまま、澪はふとあるメロディーを思い浮かべていた。それが、雨音に混じって幻聴として聴こえる。 去年、まだ軽音部が4人だった時に、初めて録音した思い出の曲だ。 今の気持ちにはぴったりかなと考えながら目をとじる。 そしてそのメロディーに従って鼻歌を歌い始めた。 翼をください 誰もいないのを良いことに、他人にも聴こえる程度に高い音を奏でる。いよいよサビに差し掛かろうという所で、 ぷあっ 不意に音が響いた。 目を開き、その音がした方へ振り向く。 自分の左隣、開かれた方の扉を挟んだ向こう側の壁に、ハーモニカを構えた律が、同じように寄りかかっていた。 「律!?いつのまに……」 「続けてよ」 澪の顔を見ないまま、その言葉を遮る律。 「続けるって、さっきのか?あれはほんの暇つぶしで……」 「良いから、ほらほら」 何が良いんだ、と首を傾げつつ、周りを見回す。2人以外に人影は無い。 「……じゃあ、最初から」 「ん、分かった」 律はハーモニカに唇を触れさせると、丁寧に前奏から始める。 校庭へと視線を移し、もう一度その目をとじた澪は、 今度は鼻歌ではなく、その歌声を響かせる。 生徒通用口の前で、2人だけの演奏会。 雨音にかき消され2人が奏でるメロディーは他の誰にも届かない。 結局澪は、最後まで歌いきった。 それに少し遅れて伴奏を終えた律が、ハーモニカを持ったまま拍手。 「やっぱり、澪は凄いな」 「何だよ、急に」 「だってさ、ほら」 律の言葉に、目を開ける澪。 濡れた校庭に、濡れた街並みに、幾本かの光がさしていた。 あれだけ降っていた雨は、五分足らずの間にすっかり上がったようだった。 「澪が歌うだけで、空だって泣くのをやめちゃうんだからさ」 「なんだか、律の柄じゃないな」 澪は口元を手で覆ったまま笑う。 本当は、律が来たから晴れたんだと思う、なんて言ってみたかったのだが、どうしても言葉には出来なかった。 気恥ずかしさを誤魔化す為に笑い続ける。 「な、なんだよー?あたしそんなに変な事言ったか」 あまり律の機嫌を損ねない内に、澪は涙を拭って笑いを収める。 「っごめんごめん。律にしてはさ、なんか感傷的だなって」 「雨のせいだ、雨の」 そう言ってそっぽを向いた律の耳が、みるみる赤くなっていく。 澪も、律を視界から外す。明るくなり始めた空に顔を向けた。吹き付ける微風は、まだ雨の香りが混ざる。 「でも、どうしたんだよ律?唯達と帰ったんじゃなかったのか?」 「そう、なんだけどさ、なんか忘れ物した気がして……」 「戻って来たのか?」 「うん」 「それで、結局何を忘れてたんだ?」 そう聞いたが、律からなかなか返事が来ない。澪が顔を向けると、そっぽを向いたままの律が、ボソリと一言。 「……澪」 「へ?」 理解できないまま固まる澪と、律の目が合う。 「澪、傘忘れてたなぁって」 「傘?……あ、ああ、傘ね」 一瞬変な勘違いをした自分の頭を恨む澪。表情には出さずに、言葉を続ける。 「それでわざわざ、傘、持ってきてくれたのか?」 「……うん。いらないお節介だったけどな」 白い歯を見せながら、律も空を見る。 「ううん、嬉しいよ。ありがとう、律」 「おぉ。澪にしては素直じゃん」 「あ、雨のせいだ、雨の」 今度は澪がそっぽを向くが、 「もう止んでるって」 「ああ、そうだったな」 長くは続かず、2人は笑顔を向けあう。 雲の流れが速い。先程まで空を覆っていた雨雲は、細く千切られながら夕焼けの空に消えて行った。 その空を見上げたまま、2人は言葉を交わす。 「澪。雨、止んだけど。帰らなくて良いの?」 「律は?」 「家はほら、緩いから」 「じゃあ、もう少しこのまま。良いか?」 「……わかった、つき合うよ」 「ありがとう、律」 「雨のせい?」 「違うよ。お礼、言いたかったんだ。色々とね」 夕日で朱色に染められた校庭に、ハーモニカの音色が響く。 澪は空を見ながら、その音に聞き入っていた。体は、もう震えない。 それでも、 「雨も、悪くないかな」 また、独り言を呟いてみた。 #comment