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Two of us3 - (2011/06/11 (土) 05:21:11) のソース

 お風呂に入った。律は幽霊だから、制服のままお風呂に入ってきた。
 あまりにも違和感のある光景だった。私は裸で律は制服姿。別に一緒にお風呂に入るだけならわけない。
 だけど、私だけが脱いでいるという状況が恥ずかしかった。
 でも、傍にいるためには仕方ないことかもしれなかった。私は一人で浴槽に浸かり、律はプラスチックの椅子に腰かける。
 しかし、ブレザーの律はどういう感覚なのだろう。幽霊というのはよくわからない。
 お風呂の中は湯気が立っていて暖かいが、正直制服のままで入ったら蒸れて暑いはず。だけど、律は顔色一つ変えていなかったのだ。
「律は、暑くないのか?」
 浴槽に入って、縁に頬杖を突きながら問うてみた。律はちょっと唸ってから答える。
「うん。暑くはないな。なんか変な感じ。私はあんまり幽霊になった感じじゃなくて、なんか普段通り体があるようにしか感じないんだよな」
「でも、暑くはないって?」
「ああ。でもなんでだろーな。こういう場所来ると、やっぱり自分幽霊なんだなって信じちゃうよな」
 また律は笑った。私は笑えなかったけど。
 どういう感じなんだろう。本来暑い場所に入って、まったく暑くもならないというのは。
 律には実体がない。それは、私のいるこの環境に、律は干渉を一切しないということだった。
 物には触れる。律は椅子に座っているし、シャワーだって持てる。
 だけど、シャワーから出る水はどうしても透ける。
 だから、律は濡れない。
 浴槽に入ろうとしても透ける。物は持てるのに水は通り抜けるのか。その辺りの判定がよくわからない。
 でも、わかりたいとも思わなかった。そんなこと、いちいち気にしてる余裕もないから。
 とにかく律は今、実体がないことを思い知らされているんだ。
 律だけじゃない、私も。
「……『タイミング』ってのは、いつ来るんだ」
 それだけが気がかりだった。律はその時が来るまで、どうやら目が覚めないらしい。
 私としては早く目が覚めることを祈るばかりだった。こんな窮屈で、よくわかんない生活は嫌だ。
 何より律に触れないのが嫌だ。喋ってて周りに変な目で見られるのが嫌だ。
 嫌なことだらけなんだ。だから、早く元に戻ってほしい。
「わかんない。でも、まあそんなに長くはないんじゃないか? 多分、二日三日……長くて一週間ぐらい」
「なんでわかるの?」
 根拠のない言葉を言われて、ぬか喜びしたくなかった。
「勘っていうか、なんとなく」
「なんだよそれ」
「でも、まあ多分合ってると思う」
 律は今日の昼間も言っていたけど、律が絶対死なないことや、『タイミング』だとかいうのは全部なんとなくの勘らしかった。
 でも、律は幽霊で、でもただの幽霊じゃなくて。ちゃんと本物の寝ている律が生きている。
 だから本当は、幽霊と言うよりも生き霊というのが正しかった。つまり、実体からはみ出た魂みたいなものなんだ。
 そうなると、どうやら実体との共鳴とか感覚とかがよくわかるのだとか。
 私にとってもちょっと難しい。ただ律の言葉と目には根拠めいた自信があって、私は信じてみようと思った。
 それに、信じなきゃやってられない。それに、二日三日で目が覚めて元に戻るという情報はすごく嬉しかった。
 私が呆けていると、律は思いだしたように言った。
「そーいや澪。明日学校どうすんだ?」
 あ……考えてなかった。今日は、律が入院して目が覚めないから、いろいろと不安で心配だったから休んだんだ。
 でも今は、別に律と話せるし目が覚めない不安もちょっとだけ落ち着いている。完全になくなったわけじゃないけど。
 もちろん学校には行った方がいいんだと思う。でも、私はあんまり行きたいわけじゃなかった。
 行って何になるのだろう。皆から声を掛けられて終わりな気がする。
 それに、律といつも通りな生活を送れない学校生活なんて、面白くないんだろうなって思うから。
「行きたくは、ないな」
「澪ちゃんの不良ー」
「こら。私は真面目にだな……」
 私がガクッと項垂れると、律はそのままの微笑みで続ける。
「まあでも、澪がしたいようにしろよ。私はなんでもついてくし、どーせ幽霊なんだから澪にくっ付いてなきゃ駄目なんだからさ」
 幽霊の律は、私にべったりくっつくようだった。嬉しいのかよくわからなかった。今、私は私の感情の整理が良く効かなかった。
 律が傍にいてくれる。それは別に、幽霊だろうとなかろうと、私と律が一緒にいる限り当たり前なことだと思う。
 でも、今日の朝は酷く落ち込んでて、律がもう隣にいてくれなくなっちゃうのかなって怖かった。
 だから、幽霊だとしても、律が近くにいてくれるのは、曲がりなりにも落ち着けるし嬉しいことだったのかもしれない。
 でも、その度に律が幽霊なんだってことを自覚させられるのも辛い。
 でも、学校、どうしよう。
 行くべきかもしれない。授業を休むのは良くないし、一応律は寝たきりなわけだからノートも取ってあげなきゃいけない。
 あんまり長く休んだら余計に悲しくなっちゃうかもしれない。
 だって、私は『考える隙間があったら律のことを考えて』しまうんだ。その度にまた胸が苦しくなる。
 つまり、学校に行くなり何かして、少しぐらい不安を紛らわせていた方がいいのかもしれないということだった。
 でも、学校に行っても何もできないぐらい律が心配でやる気もない。だからこそ今日は学校に行かなかったんだ。
 ああ、もう。どっちなんだろう私。
 学校に行きたいのか行きたくないのか。いや、行きたいわけじゃない。
 できればずっと家で引き籠ってた方が楽だ。でも、律が幽霊として現れたから、あまり引き籠る理由もないかもしれない。
 でも、怖いし心配だし。気持ちの整理がつかない。
 何回同じこと考えて、悩んでるんだろう。
「とりあえず、上がろっか澪。熱いだろ」
「あ、うん」
 私は浴槽から出て、軽くシャワーを浴びた。長話が過ぎたかもしれない。風邪ひいたりしてないといいな。
 いや逆か。別に風邪ひいてもいいかもな。私は自嘲気味に息を吐いて、お風呂の入口から出た。


 脱衣所にママが立っていた。


「――!」




■



「マ、ママ……」
 私は鷲掴まれた心臓を、なんとか抑えるだけ精一杯に心を突き動かした。
 表情に出ないように頑張ったけど、もしかしたら驚いた表情が出てしまったかもしれない。いや、きっと出た。
 だって脱衣所にママがいるなんて、これっぽっちも思わなかったから。律との会話に集中し過ぎて気付かなかったのか。
 ママの手にはタオルが掛かっていて、それを持ってきたというのがわかった。
 律が私の後ろからぬっと出てきて、あっと声を挙げた。
 見るな、私。今律の方を見たら変だと思われる。
 私には隣に律がいるように見えるけど、ママからすればそこには『何もない』ように見えるんだから。
 視線を泳がすだけならいい。律をまじまじと見ては駄目だ。
「ご、ごめん澪! また変な事なりそうだし部屋に先に戻ってるな!」
 律は焦ったような、それでいて申し訳なさそうな顔で私に言うと、すっと脱衣所の壁を通り抜けて何処かへ行ってしまった。
 う、裏切り者! いや、でも律が隣にいたら夕方のように間違えて声を掛けちゃう可能性がある。
 逆に一旦いなくなってくれた方が私も落ち着けたのかもしれない。
 いや、でもやっぱり落ち着けるわけがない!
 だって、さっきの律との会話、聞かれたかもしれないから。
 だから、聞かれたのかもって思うと不安になった。
「ど、どうしたのママ」
「タオルを持ってきたの」
「そ、そう? あ、ありがとう」
 声が震える私。
 ママは私にタオルを渡すと、私の顔をじっと見つめた。疑い深い目だった。
 私はドキッとした。その品定めをするような、そして嘘を吐いている誰かさんをそっと問い詰めるような、そんな思慮深い瞳が私の落ち着きを壊していく。
 でも、無理にでも平静を装った。
「澪ちゃん、大丈夫?」
「えっ?」
 大丈夫って。
 何が?
「何かひとり言を喋ってたようだけど……」
 私は息を呑んだ。
 そうだった。律の姿と声は私以外には見えないし聞こえない。だから、お風呂の中で私が律と話していたとしても、ママには『私のひとり言』に聞こえたんだ。
 だけど、それは少しも不安要素を取り除いたことになってない。
 ひとり言として聞かれてしまった。
 それは間違いなく怪しいことだった。
「律がどうとか言ってなかった?」
「えっ、あいや、ええっと、その」
 しっかり聞かれていた。いやでも、律がどうとかってことは、きちんと細部までは聞かれていないようだった。
 そこは助かった。だってさっきの私の言葉達は、律への質問だったり返事だったりするのだ。
 それをしっかり細部まで聞かれていたら、ひとり言だとは思えないだろう。
 お風呂の中は声がぼやけて聞こえる。ママにはあまり聞き取れなかったんだ。私はひとまず助かったと思った。
「律が心配でさ、えっと、ひとり言」
「そう、ならいいわ……りっちゃんが心配なのはわかるけど、気を確かにね」
 気を確かに、か。
 皆には、やっぱり私が律を大好きで、律があんな風になったからヒステリックでも起こしてるとでも思ってるのかな。
 本当はそんなんじゃなくて、ただ皆には見えない律の幽霊という存在がいて。
 それによって私の行動が普段とはちょっとずれたり、挙動不審に見えちゃったりしてるだけなのに。
 でも、律の幽霊の姿は周りに見えないから、私一人がなんだか変な行動を取ってるように見えちゃうのだろう。
 だから気を確かになんて言われたり、皆からいろいろ心配されてしまうんだ。
 なんだか複雑だ。
「うん、大丈夫」
 ママは微笑んで、脱衣所から出て行った。
 私は素早くパジャマに着替えて、部屋に戻った。



■



 律はベッドの上で倒れて寝ていた。
 寝ていたとはいっても、眠っていたわけじゃなくて、目を開けっぱなして天井を見つめていた。
 私は入ってドアを締めると、立ったままドアに背を預けて息を吐いた。お風呂に入ったというのに、ずいぶん疲れた。
 この調子だと、律が元に戻るまで私がどうにかなっちゃいそうだ。
「あ、どうだった?」
 律は倒れたまま、ドアに背を預ける私に目配せしながらそう言った。
「どうだったっていうか、すっごい怪しまれたぞ」
「なはは、やっぱりか」
 律は冗談っぽく笑いながら体を起こす。
「何て答えたんだ澪は?」
「ひとり言って言っておいた」
「かなり無理があるな」
「うん。ママにも、気を確かにって言われた」
 一瞬、律は虚を突かれたような顔をした。表情を失ったのだ。それは、予想外の反応だった。
 だけど律はすぐに口元を吊り上げて笑う。それでも、私にはその笑顔が、ちょっと寂しそうに見えた。
「そっか。ごめんな」
 笑ってるのに。
 ごめんな、なんて言うなよ。
 いっつもそうだ。
 律はそうなんだ。
「謝るなよ。別に、律が悪いわけじゃないだろ」
「でも、澪が変な風にママさんが感じたのは、私がいるからじゃん」
「そうだけど……でも、別にいいんだよ。律が謝る必要なんてない」
 悪いのは別に、律じゃないんだ。律だって望んで幽霊になったわけじゃないし、むしろなりたくはなかっただろう。
 なんでこんな風になったかわからないし原因も分からない。そんなうちから、どちらが悪い何が悪いを考えるのは少し無駄な気がした。
 何を考えるのがいいかなんて、全部無駄だ。
 非日常すぎるんだ。私には予想もつかないことだらけ、経験したことないだらけなんだよ。好きな人が、幽霊になってしまったんだ。
 他の人には見えないし聞こえないし、それに、触れないんだ。もうわけがわからないことばっかりだ。
 平静を装ってるけど、私もう、心の中いろいろとごちゃごちゃだよ。律がいるから、なんとかやってられてるのに。
「そうはいうけど、やっぱ私の体がおかしいのが駄目なんだよなあ」
「だから、駄目とかじゃなくて……」
 言いかけた時、机の上の携帯が震えた。律と目を合わせて数秒、私は机まで移動して椅子に座り携帯を開いた。
 メールが来ていた。しかも三通だ。唯とムギと梓。どうやら私たちがお風呂に入っている間に来ていたらしい。返事が遅れて申し訳なかった。
「誰からメール?」
 後ろから律の声が掛かった。
 三人から、と答えると、律は足音もなくスッと私のすぐ左から顔を覗かせた。
 正直心臓に悪い。律に足音はないんだった。それに気配もない。
 だけど声は上げずに、私は律にもメールが見えるように受信ボックスを開く操作をした。
 二人で並んで画面を見る。私は座って、律は立って。
「唯は……『明日は学校来るの?』」
 律が読み上げる。ハテナの後ろに可愛らしい絵文字がついている。私はまだ特に反応もせず、次のムギのメールを開いた。今度は私が読み上げる。
「『明日の学校だけど、無理はしないでね。ノートなら取るし、今日みたいに休んでもいいのよ』
 ……えっと、梓は、『お疲れ様です。律先輩がいなくて寂しいでしょうけど、でも無理だけはしないでくださいね』……」
 皆、すごく私のことを心配してくれているようだった。まあ唯はちょっと違うけど。私は泣きそうになった。
 それに、どうやら秋山澪という女の子は、律がいなかったらいろんな人から大丈夫? とか無理はしないで、とまるで風邪をひいたかのような扱いを受けるようだった。
 まあ、当たり前か。普段からあんなにベッタリなんだから。
 依存してるのは百も承知だし、一緒にいない時間だって安心してられた。でも今は、違うんだから。
「あはは、皆、澪は私がいないと駄目だって思ってるんだな!」
「そりゃそうだろ……幼馴染だし、それに、こ、恋人でもあるし……」
「あら、今日の澪しゃんはやけに素直でしゅね」
「う、うるさい! いいだろ、別に」
 律を殴ることはできなかった。声だけで収まった。でも、本当にそうだった。今日の私はあり得ないくらい素直だったんだ。
 いっつもは、簡単に想いを口に出したりなんかしないのに。もう少し言い渋ったり、律への想いは、恥ずかしいからそうそう言うものではなかったのに。
 でも今は、なんてことのない場面ですら簡単に想いを言えた。
 それは、きっと……いつもと違うからだと思う。律が入院して幽霊になって。もうわかんないことだらけ。だから、いつもとは違う。
 律がどこかに行っちゃいそうな不安や、触れない不安、皆にも見えない不安。
 不安がたくさんあるから、少しでも引き留めようと――律のことを愛しいと思う気持ちがいつもよりもずっとずっと高まったから、こんなにも簡単に吐露できちゃうのかな。
「で、どうする? 明日は学校に行くのか?」
「うん……」
 私は携帯の画面を凝視した。無意味に三人のメールを交互に開く。
 学校。行きたいわけじゃ、ない。でも、行きたくないわけじゃない。さっきお風呂でも考えた。
 学校へ行くことは、それほど苦じゃない、はず。『はず』なのは、わかんないからだ。
 行くことと行かないことの両方に、それぞれちゃんとした理由がある。
 行ったら、少しぐらいはこの現実から目を背けられる。だけど行ったっていろいろ声を掛けられたりして、結局は現実に戻される。
 皆にも迷惑がかかる。対して行かなければ、誰かに迷惑はかけない。
 迷ってたけど、やっぱり行かない方がいろいろと都合がいいかもしれない。
 お風呂では、学校に行った方が律のことを考えないで済むって思ったけど……逆だ。私は、律のことをずっと考えてたい。
 さっき口に出して解った。恋人同士だもん。いろいろ私は律と一緒にいて、考えて、律のことをずっと愛しく思いながら、家で引き籠るんだ。
 それに、二人で遊んでもいい。変装でもして街を歩いてもいい。いつもよりずっと律が愛おしい。
 大好きって気持ちが溢れてる。
 だからこそ触れないこと、怖いから。
 だけどそれをいい機会に、律との二人の時間を作ってもいいかもしれなかった。
 いや、それはただの取ってつけた理由付けだけど。
 でも、私はどうでもよかった。
 肝心なのは律なのだ。
「私は別にどっちでもいいんだ。律は……律はどうなんだよ」
「私? 何言ってんだよ澪ー、誰にも見えないんだから私こそどっちでもいいだろー。行っても行かなくても変わんないんだしさ」
「そうじゃなくて。律は、私に学校に行って欲しいの?」
「澪が行くなら行く! 行かないなら行かない!」
「じゃなくて、律はどうしてほしいんだよ。それを聞いて考えようかなって」
「いやだから、私の意見は澪の意見ってことで」
 私たちは見つめあった。
 このままじゃ埒が明かない。私の意見が律の意見で、律の意見が私の意見。
 うーん、私は律が行って欲しくないって言ったら行かないし、行ってほしいと思ったのなら行くのに。
 でも、それは律も同じことだとは思った。律は幽霊だから、選択権は自分にないと思ってる。
 私と同じように、私が行きたいといったら行く、行かないといったら行かない。
 結局私たちは、一緒にいることを選ぼうとしてるようだった。
 やっぱりそうだよな。
 私は悩んだ。
 行った方が、そりゃ学生としてはいいだろう。元気なのに休むのはよくない。いや、元気じゃないけど私。
 皆がいろいろ声を掛けてくるぐらい、多分私、皆から声かけなきゃ黙ってられないくらい酷い顔してるんだろうなって。
 律があんなににあって不安で、それが顔や表情にも出てるから、皆あんなにも声を掛けてくるんだろう。
 多分明日学校に行ったら、三人や和、あとクラスの皆からいろいろ言われるんだろうなって。
 大丈夫とか。
「……」
 嫌だな。そんなの。
 心配でとか、私のために声を掛けてくれてるんだから、そりゃ少しは嬉しいよ。
 でも、あまり快くはなかったかな、こんなこといったら、失礼かもしれないけど。
 過度な言葉は、かえって私を追い詰める。
 だから、今はあんまり、優しくて綺麗な言葉を聞きたくなかった。
 そんな言葉を聞いて、私の心が晴れるわけない。
 律が元通りになるわけない。
 わかってるからこそ、余計に痛いよ。皆の言葉が。
 私は、三人への返事を後回しにして、携帯を閉じた。
「行かないことにしよう」
 私は告げた。



■



 私と律はベッドに潜った。私が壁側、律が外側だ。
 部屋の電気を消して真っ暗にしたけど、あんまり眠れなくて。
 昨日も全然眠れなかった。
 二日も連続で眠れないなんて寝不足だ私。でも、眠れないぐらい考えることが多かった。
 昨日よりはまだ気持ちが楽だった。昨日は、律は隣にいなかったから。
 でも今も、隣にいるけど隣にいない。
 二人で並んでベッドに入るのに、特にじゃれあうこともなかった。私はただ天井の一点だけを見つめ、律は私に背を向けて寝ている。
 もちろん律は制服姿だった。幽霊の律には、私たち人間の概念が通用しない。
 結局お腹が空くことはなく晩御飯も食べなかったし、お風呂も入らなかった。
 あと、服を脱ぐという行為は出来ない。律にできるのは、私と喋ること、持とうと思えば物に触れられること、物を通り抜けられること。
 大したことはできなかった。だけど、今はこうしてパジャマの私と、制服の律が並んで一緒の布団に入っている。
 幽霊は寝れるのか、わからない。でも、寝ようとしているのか、律はまったく喋らず向こうを向いているだけだった。
 寝れない。
 眠れない。
 暗闇に目が慣れた。ぼんやりとした視界が、余計に眠りを妨げる。
 時計の音が気になる。
 カチカチカチカチって。
 うるさい。ホラー映画で、こんな感じの見た。
 ベッドの下から幽霊が這い上がってくるんだ。でも、怖くなかった。
 だって、幽霊なら隣にいるじゃないか。でも、落ち着けないし心がそわそわする。だから眠れないんだ。
「……律、起きてる?」
「起きてるぞー」
 律は呆けた声で返事をした。だけど、こっちは向いてくれなかった。
「幽霊って、眠るのか?」
「わかんない。でも、多分寝れると思う」
「そっか」
 心なしか、律に元気がないように思った。
 何を言ってるんだ私は。
 元気がある方がおかしいんだよ。
 律は幽霊なんだ。
 体がないんだ。
 私にしか見えないんだ。
 私にだって触れられないんだ。それなのに、元気がある方がおかしいんだって。一番辛いのは律なんだって、ずっと考えてたじゃないか。
 一番今、苦しいのは律なんだって。なのに、元気がないと思うなんて私は馬鹿だ。
 律が元気がないのは当たり前なんだ。むしろ、寝る前まであんなにも律が笑ったり私をからかってくれたりしたことの方が変なんだよ。
 私は途端恥ずかしくなって。律の気持ちを、まだ汲んであげれてないことが情けなくて。律とは反対の方向を向いた。だけどやっぱり眠れなかった。
「律は、今、何を考えてる?」
 咄嗟にそんなことを言ってしまった。後悔した。
 だけど、そんな質問が出たということは、心の中でその答えを聞いてみたいと思ってたってことだった。
 だから、撤回も弁明をもせず、静かに答えを待った。ちょっとだけ律がもぞもぞする音が聞こえた。
 私の視界には、壁しか映ってない。だけど、後ろに律がいるんだってわかる。本当に幽霊かどうか疑うぐらいだ。
「わかんない。もう、考えることが多すぎて」
「例えば?」
「早く元に戻りたいなーとかさ」
 私は布団からはみ出た自分の指を見つめた。親指で人差し指のお腹を撫でる。私の質問は、律を傷つけてはいないのだろうか。
 怖かった。だって、私自身が傷ついているから。
 律の心に感情移入してしまうし、早く戻りたいんだって律が切実に考えてるんだってことも伝わってくる。
「澪は何考えてんの?」
 明るい声で言われた。
 私……。
 私は何を考えてるんだろう。
 気持ちの整理がつかない。よくわかんない。ずっとそうだ。もう心の中はぐちゃぐちゃで、本人の私が一番分かってないよ。
 誰か教えてくれたら楽なのに。
 だけど、もう苦しいのには間違いなかった。
 不安だし怖いし、でも、律が傍にいて安心してる気もするし……。
 それでもやっぱり、私の考えてることは。
「律のこと」
 私の声は、思ったよりも穏やかだった。
 止まらなかった。
「昨日からずっと。律が事故に遭ったって聞いた時からずっとずっと、律のことばっかり考えてるよ」
 私は律と幼馴染でお互い好きあってる恋人同士だけれど、普段から四六時中律のことばかり考えてるわけじゃなかった。
 晩御飯の時は忘れてるし、宿題してる時も律のことは考えてない。
 メールする時や電話の時、あとお風呂とかベッドとかだったら律のことを考えてた。
 だけどずっとずっと律に想いを馳せてるわけじゃなかったんだ。
 でも、それが当たり前だったし、むしろ恋人同士でも一日中相手のことを考えてるわけじゃない。
 安心してるからだ。
 恋人の存在を、律の存在を、今は一緒にいないけど別の時間を過ごしてるって、ちゃんと存在してくれてるんだって私は知ってたから。
 だけど今は違う。
 事故に遭ったって連絡を受けてから、私はもう律のことだけだった。
 律律律律ってさ。
 はは……。
 律のことばっかりなんだよ。頭にはもう律のことしか浮かばないよ。
 まるで初めて律のこと好きだって気付いて、普段とはなんか違って頭がぽわぽわしてるみたいに。
 初恋かもしれないって律のことずーっと考えてベッドで転がってた時みたいに。律のことばかり考えてる。
 でもあの時よりも、[[もっと]]残酷で、冷たい頭の中だった。
「律のことしか、考えれないんだ」
「澪……」
 布団がたわむ音がした。多分律は、上半身を起こして私の方を見ている。
 だけど私は振り返らないで、ただ律の方を見ないで、ずっと壁の一点を見つめていた。
 恥ずかしくなって唇を舐める。振り返ったらもっと駄目になるから。
「ありがとな澪。私も、澪のこと考えてるよ。ずっとずっと」
 本当かな。わかんない。
 律は続けた。
「こういう時、澪に抱きつきたいのに、それも無理なこと、ホントに辛い」
 私の喉を、すっと冷気が締めた。
 今、私律に触れないんだ。
 そんなの知ってる。
 だから、抱き締めることもできないんだ。
 キスもできないんだ。エッチなことも。
 律を愛おしく思っても、求めても触りたくても、温もりを感じたくても。
 全部全部、できないんだ――……。
「おやすみ、澪」
「……おやすみ、律」
 今度こそ、本当の沈黙が訪れた。
 私は静かに暗闇を受け入れて、まどろみの中に落ちていった。


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