ざわめきの中、私は携帯電話を耳に当てていた。
『お姉ちゃん大丈夫? ちゃんと乗れる?』
「大丈夫だよー。もう大学生なんだし、乗り場を間違えたりなんてしないよー」
電話の向こうで、いろいろと憂が心配そうな声をかけてくる。
私が高校生の頃からいろいろと世話を焼いてもらっていたけど、今もそれは変わりない。
一週間に一度は電話をしてきて、調子とか困った事はないかとか、仕送りの事だったりを尋ねてくる。
そんなに頼りないかなとも思うけれど、これは頼りなさからじゃなくて憂の私に対する想いの強さなんだなって思うとそんな気遣いも嬉しく思えた。
私とムギちゃんは、これから実家に帰る。
今日は八月十二日。明日から三日間は暦上お盆休みだ。
私と憂の両親は今も海外で、お盆は特にこれといった予定はない。
でもムギちゃんは私と違って、いろんな親戚やお得意さんなどと会うパーティーやお墓参りなどもあるとのこと。
やっぱりムギちゃんの家はすごいなあと思う今日この頃だ。
だから今日帰って、お盆が終わるまではそれぞれの家でそれぞれの時間を過ごす事にする。
私は私で、憂とゆっくり家でのんびりしたい気持ちもある。
そしてお盆が終わった次の日の、十六日。
久しぶりに放課後ティータイム全員集合の日だ。
今は懐かしい軽音部の部室に、私たち四人はOGとして上がらせてもらう。
私とムギちゃん、そしてりっちゃん澪ちゃんの四人と、今まさに学園祭に向けて頑張っているだろうあずにゃんという豪華な顔ぶれが揃うのです。
楽しみだなあ。
あずにゃんちょっとは成長したかな。
りっちゃんは少しは元気になったのかな。澪ちゃんもどうだろう。
「それにムギちゃんも一緒にいるんだから、安心してよ」
『う、うん……わかった。紬さんにお礼言っておいて。あと私、駅まで迎え行くからいつ頃到着とか教えてね。あと、お昼御飯何がいい?』
うーん、憂のご飯は久しぶりだな。
私はムギちゃんと一緒に駅のホームで電車を待っていた。
帰省する人が多いからかホームにはそれなりにたくさん人がいて、同じ大学の子も何人もいた。
人ごみはあまり好きじゃないけれど、あと数分で電車は到着するみたいでホッとする。
「じゃあねえ……憂の――」
私がメニューの名前を伝えると同時に、汽笛が鳴った。
最後まで名残惜しそうにしている憂の声と別れ、私は携帯電話をしまった。
「あ、憂ちゃんどうだった?」
ムギちゃんが尋ねてきた。
「別に普通だったよ。あと、憂がムギちゃんにありがとうだって」
「私に? 何かしてあげたかしら」
「さあ?」
電車は私たちの前にゆっくりと停車した。降りて行く人はあんまりいなかった。
代わりに乗り込む人はたくさんいて、私たちは少しどぎまぎしてしまう。
乗り込んで席を探そうとするが、人ごみを掻きわけてまで座席を探すメリットはないように思えた。
私とムギちゃんは、吊り革につかまって立っている事にする。
「大丈夫? 唯ちゃん」
ムギちゃんが心配そうに顔を覗きこんできた。
それは多分背負っているギー太の事だと私は勘づいた。
ムギちゃんは実家にもキーボードがあるので、下宿に持ってきていたものをわざわざ持って帰る必要はない。
でも私はギターがこの一本――大事なギー太だけしかないから、持って帰る必要があったのだ。
だからその分荷物は増えていて、その事をムギちゃんは不安に思ったのだろう。
「うん大丈夫。ありがとー」
私がそう言うと、ムギちゃんはいつものように微笑んだ。
『お姉ちゃん大丈夫? ちゃんと乗れる?』
「大丈夫だよー。もう大学生なんだし、乗り場を間違えたりなんてしないよー」
電話の向こうで、いろいろと憂が心配そうな声をかけてくる。
私が高校生の頃からいろいろと世話を焼いてもらっていたけど、今もそれは変わりない。
一週間に一度は電話をしてきて、調子とか困った事はないかとか、仕送りの事だったりを尋ねてくる。
そんなに頼りないかなとも思うけれど、これは頼りなさからじゃなくて憂の私に対する想いの強さなんだなって思うとそんな気遣いも嬉しく思えた。
私とムギちゃんは、これから実家に帰る。
今日は八月十二日。明日から三日間は暦上お盆休みだ。
私と憂の両親は今も海外で、お盆は特にこれといった予定はない。
でもムギちゃんは私と違って、いろんな親戚やお得意さんなどと会うパーティーやお墓参りなどもあるとのこと。
やっぱりムギちゃんの家はすごいなあと思う今日この頃だ。
だから今日帰って、お盆が終わるまではそれぞれの家でそれぞれの時間を過ごす事にする。
私は私で、憂とゆっくり家でのんびりしたい気持ちもある。
そしてお盆が終わった次の日の、十六日。
久しぶりに放課後ティータイム全員集合の日だ。
今は懐かしい軽音部の部室に、私たち四人はOGとして上がらせてもらう。
私とムギちゃん、そしてりっちゃん澪ちゃんの四人と、今まさに学園祭に向けて頑張っているだろうあずにゃんという豪華な顔ぶれが揃うのです。
楽しみだなあ。
あずにゃんちょっとは成長したかな。
りっちゃんは少しは元気になったのかな。澪ちゃんもどうだろう。
「それにムギちゃんも一緒にいるんだから、安心してよ」
『う、うん……わかった。紬さんにお礼言っておいて。あと私、駅まで迎え行くからいつ頃到着とか教えてね。あと、お昼御飯何がいい?』
うーん、憂のご飯は久しぶりだな。
私はムギちゃんと一緒に駅のホームで電車を待っていた。
帰省する人が多いからかホームにはそれなりにたくさん人がいて、同じ大学の子も何人もいた。
人ごみはあまり好きじゃないけれど、あと数分で電車は到着するみたいでホッとする。
「じゃあねえ……憂の――」
私がメニューの名前を伝えると同時に、汽笛が鳴った。
最後まで名残惜しそうにしている憂の声と別れ、私は携帯電話をしまった。
「あ、憂ちゃんどうだった?」
ムギちゃんが尋ねてきた。
「別に普通だったよ。あと、憂がムギちゃんにありがとうだって」
「私に? 何かしてあげたかしら」
「さあ?」
電車は私たちの前にゆっくりと停車した。降りて行く人はあんまりいなかった。
代わりに乗り込む人はたくさんいて、私たちは少しどぎまぎしてしまう。
乗り込んで席を探そうとするが、人ごみを掻きわけてまで座席を探すメリットはないように思えた。
私とムギちゃんは、吊り革につかまって立っている事にする。
「大丈夫? 唯ちゃん」
ムギちゃんが心配そうに顔を覗きこんできた。
それは多分背負っているギー太の事だと私は勘づいた。
ムギちゃんは実家にもキーボードがあるので、下宿に持ってきていたものをわざわざ持って帰る必要はない。
でも私はギターがこの一本――大事なギー太だけしかないから、持って帰る必要があったのだ。
だからその分荷物は増えていて、その事をムギちゃんは不安に思ったのだろう。
「うん大丈夫。ありがとー」
私がそう言うと、ムギちゃんはいつものように微笑んだ。
それから窓の景色は流れに流れ、少しずつ乗っている人たちは減っていく。
いつの間にか、この車両に乗っているのは私たちだけになっていた。
空いている座席はたくさんあるのに、私たちは立ったままだった。
いつの間にか、この車両に乗っているのは私たちだけになっていた。
空いている座席はたくさんあるのに、私たちは立ったままだった。
「ムギちゃん、席空いてるし座らない?」
茫然としているムギちゃんに声をかけるけれど、反応はない。
遠い目。まるでここではない、どこか遠くの情景を思い浮かべてるみたいな。
もう一度名前を呼んでみる。
「ムギちゃん」
「あ、ごめんなさい……ぼーっとしてて」
それから笑ってごまかした。
私はそれがなんとなく嫌だった。
「やっぱり、りっちゃんの事考えてた?」
「――」
表情をなくす。私は分かりきって尋ねていた。
「ムギちゃんがね。ぼーっとしてて呼びかけてもあんまり返事しない時は、いつもりっちゃんの事考えてるの、私わかってるんだ」
ムギちゃんも、りっちゃんの事好きなのを、私は知っていた。
そう、ムギちゃん『も』だ。
それは私の事を言っているんじゃない。もしムギちゃんがりっちゃんと恋人同士になりたいというのなら、
それはそれは強い誰かが立ち塞がってる。とってもとっても強い壁だ。
澪ちゃん『も』りっちゃんが好き。
私が思うに、ムギちゃんじゃ澪ちゃんに勝つことはできない。
でも、ムギちゃんに『諦めた方がいい』とは言わない。
そうすることは、ムギちゃんにとっていい事でも何でもないし、むしろ傷として残ってしまう事に繋がるのだ。
私が諦めろと言う事は、誰も幸せにならない。ムギちゃんは想いの捌け口をなくすだけだろう。
「会ったらちゃんと言った方がいいよ、りっちゃんに」
「……うん」
「……ムギちゃん?」
いつもなら笑ってくれるけど、今度ばかりは悲しそうに目を細めた。
どうしたの、と言った後に気付いた。失恋を覚悟している誰かが、愛想良く笑うこと自体がおかしい事を。
本当はムギちゃんも、心の中で振られてしまうことが怖いのだろう。
澪ちゃんという勝てやしない相手がいる事に悔しさを感じているのだろう。
どうしたの、は軽率だった。
そんなムギちゃんの胸中を察すことができなかった自分が情けない。
「――りっちゃん、不合格だった時、一人で帰っちゃったよね」
ムギちゃんが、語るように静かに切り出した。
「……そうだったね」
私は小さな相槌と、それを思い出すことしかできなかった。
「苦しかったんだろうなって思うの、一人で電車に乗ってる時。私たちに対して、心の中で何度も謝ったんだろうなあって、思って」
動く電車。誰もいない座席。
そこに、ムギちゃんはりっちゃんの姿を思い浮かべていた。
だから、あんな虚ろな目をしていたんだ。
「……私、どうすればいいんだろう」
それは何に対する迷いなのか、私にはわからなかった。
でもムギちゃんの葛藤は、少なからずりっちゃんと関係する事だろう。
そして澪ちゃんもその葛藤の渦中にいることも。
茫然としているムギちゃんに声をかけるけれど、反応はない。
遠い目。まるでここではない、どこか遠くの情景を思い浮かべてるみたいな。
もう一度名前を呼んでみる。
「ムギちゃん」
「あ、ごめんなさい……ぼーっとしてて」
それから笑ってごまかした。
私はそれがなんとなく嫌だった。
「やっぱり、りっちゃんの事考えてた?」
「――」
表情をなくす。私は分かりきって尋ねていた。
「ムギちゃんがね。ぼーっとしてて呼びかけてもあんまり返事しない時は、いつもりっちゃんの事考えてるの、私わかってるんだ」
ムギちゃんも、りっちゃんの事好きなのを、私は知っていた。
そう、ムギちゃん『も』だ。
それは私の事を言っているんじゃない。もしムギちゃんがりっちゃんと恋人同士になりたいというのなら、
それはそれは強い誰かが立ち塞がってる。とってもとっても強い壁だ。
澪ちゃん『も』りっちゃんが好き。
私が思うに、ムギちゃんじゃ澪ちゃんに勝つことはできない。
でも、ムギちゃんに『諦めた方がいい』とは言わない。
そうすることは、ムギちゃんにとっていい事でも何でもないし、むしろ傷として残ってしまう事に繋がるのだ。
私が諦めろと言う事は、誰も幸せにならない。ムギちゃんは想いの捌け口をなくすだけだろう。
「会ったらちゃんと言った方がいいよ、りっちゃんに」
「……うん」
「……ムギちゃん?」
いつもなら笑ってくれるけど、今度ばかりは悲しそうに目を細めた。
どうしたの、と言った後に気付いた。失恋を覚悟している誰かが、愛想良く笑うこと自体がおかしい事を。
本当はムギちゃんも、心の中で振られてしまうことが怖いのだろう。
澪ちゃんという勝てやしない相手がいる事に悔しさを感じているのだろう。
どうしたの、は軽率だった。
そんなムギちゃんの胸中を察すことができなかった自分が情けない。
「――りっちゃん、不合格だった時、一人で帰っちゃったよね」
ムギちゃんが、語るように静かに切り出した。
「……そうだったね」
私は小さな相槌と、それを思い出すことしかできなかった。
「苦しかったんだろうなって思うの、一人で電車に乗ってる時。私たちに対して、心の中で何度も謝ったんだろうなあって、思って」
動く電車。誰もいない座席。
そこに、ムギちゃんはりっちゃんの姿を思い浮かべていた。
だから、あんな虚ろな目をしていたんだ。
「……私、どうすればいいんだろう」
それは何に対する迷いなのか、私にはわからなかった。
でもムギちゃんの葛藤は、少なからずりっちゃんと関係する事だろう。
そして澪ちゃんもその葛藤の渦中にいることも。
それから、ムギちゃんは言った。
「しばらく考えたいことあるから……話しかけないでね」
そのまま俯いてしまった。
長い髪で横顔は隠れてしまう。
「しばらく考えたいことあるから……話しかけないでね」
そのまま俯いてしまった。
長い髪で横顔は隠れてしまう。
私たちはそのまま無言で揺られた。
懐かしい街並みが窓を横切っているとわかったのは、それから数時間もした後だった。
私たちは、帰ってきた。
懐かしい街並みが窓を横切っているとわかったのは、それから数時間もした後だった。
私たちは、帰ってきた。
■
律は決意してくれたけど、まだ不安なところもあるだろう。
ギリギリの所で踏み留まって、無理に私のために一歩を踏み出しただけかもしれない。
律は壊れやすくて、繊細な女の子だってこと、私が一番知っているから。
だから、一緒にいたいって思える。
律が以前の律に戻る事を決めたのなら、私はそれを支えよう。
律はまだ辛いかもしれないけど、一緒にまた笑い合える時が来るのなら。
ギリギリの所で踏み留まって、無理に私のために一歩を踏み出しただけかもしれない。
律は壊れやすくて、繊細な女の子だってこと、私が一番知っているから。
だから、一緒にいたいって思える。
律が以前の律に戻る事を決めたのなら、私はそれを支えよう。
律はまだ辛いかもしれないけど、一緒にまた笑い合える時が来るのなら。
澪先輩と律先輩――ごめんなさい。
りっちゃん、澪ちゃん――ごめんなさい。
澪は、私が少しだけ無理をしている事に勘づいている。
私が辛いのも苦しいのも我慢して、以前の私に戻ろうとしてる事もバレているはずだ。
澪が頼れる女の子だって、私が一番知っているから。
だから、一緒にいてよって思える。
私が以前の私に戻る事を、澪は支えてくれている。
私はまだ皆を信じ切れていないけど、信じるための一歩はもう始まっている。
澪が望む事が、私の望む事だから。
もうちょっとだけ、脆い私を支えてほしい。
私が辛いのも苦しいのも我慢して、以前の私に戻ろうとしてる事もバレているはずだ。
澪が頼れる女の子だって、私が一番知っているから。
だから、一緒にいてよって思える。
私が以前の私に戻る事を、澪は支えてくれている。
私はまだ皆を信じ切れていないけど、信じるための一歩はもう始まっている。
澪が望む事が、私の望む事だから。
もうちょっとだけ、脆い私を支えてほしい。
私たちは、それぞれのお盆を過ごしました。
そして、八月十六日。
放課後ティータイム、久しぶりの全員集合の日は訪れました。
そして、八月十六日。
放課後ティータイム、久しぶりの全員集合の日は訪れました。
■■
朝、後輩に電話した。あと数時間で先輩たちに会う。
私は落ち着かなくて、制服のままベッドの上に倒れ携帯電話を耳に当てた。
「言ってた通り、今日は部活なしだから」
『でもOGの先輩方が来られるんですよね? 私お会いしたいです』
ギターの後輩の子の気持ちはわかる。
彼女は一年生だから、卒業してしまった澪先輩たちのライブを生で見た事はない。
部室にあるDVDで鑑賞した程度だ。私が感動したライブの数々を、後輩二人も興奮気味で見ていたのを思い出す。
見終わった後、すごいと褒め称えていた。
それを聞いて、その五人の中に私も入っていた事を誇らしく思うと同時に、その五人で今はバンドをやれていない事を寂しく思うこともあった。
感動した後輩がOGである澪先輩たちに会いたいと思うのは不思議じゃないし、
私が彼女の立場であればぜひギターを教えてもらいたいと思うだろう。
極端だったが、唯先輩のギターは確かにすごかったのだから。
でも。
「今日は……五人で話したいんだ」
『……他の日とかお願いできないですか?』
「うん……今日は無理だけど、多分別の日なら」
『お願いします! じゃあ、楽しんできてくださいね』
後輩は快活な声で言った。私は適当に話をして、別れを言う。
ピッという音が携帯から鳴って、無音になった。
溜め息一つ。
私は仰向けになって、天井を見つめた。
手足をだらしなく伸ばす。
私は落ち着かなくて、制服のままベッドの上に倒れ携帯電話を耳に当てた。
「言ってた通り、今日は部活なしだから」
『でもOGの先輩方が来られるんですよね? 私お会いしたいです』
ギターの後輩の子の気持ちはわかる。
彼女は一年生だから、卒業してしまった澪先輩たちのライブを生で見た事はない。
部室にあるDVDで鑑賞した程度だ。私が感動したライブの数々を、後輩二人も興奮気味で見ていたのを思い出す。
見終わった後、すごいと褒め称えていた。
それを聞いて、その五人の中に私も入っていた事を誇らしく思うと同時に、その五人で今はバンドをやれていない事を寂しく思うこともあった。
感動した後輩がOGである澪先輩たちに会いたいと思うのは不思議じゃないし、
私が彼女の立場であればぜひギターを教えてもらいたいと思うだろう。
極端だったが、唯先輩のギターは確かにすごかったのだから。
でも。
「今日は……五人で話したいんだ」
『……他の日とかお願いできないですか?』
「うん……今日は無理だけど、多分別の日なら」
『お願いします! じゃあ、楽しんできてくださいね』
後輩は快活な声で言った。私は適当に話をして、別れを言う。
ピッという音が携帯から鳴って、無音になった。
溜め息一つ。
私は仰向けになって、天井を見つめた。
手足をだらしなく伸ばす。
――楽しんできて、か……。
あと数時間……厳密に言うと、昼の一時に部室で集まる事になっている。
昨日の夜唯先輩から送られてきたメールによると、ムギ先輩は豪華なお菓子とお茶を持ってくるらしい。
どうやら先輩たちが卒業する前の、甘い香りのする部室に一旦戻るようだ。
それもまた、楽しいだろうな。
ずっと先輩たちと会うのを……一緒に演奏するのを楽しみにしていたから。
だけど、今の私で楽しめるだろうか。
こんな気持ちで、皆さんに会ってもいいのだろうか。
昨日の夜、私は悩んで悩んだ。
五人で会う時、『あれ』をどうやって切り出せばいいのか。
どうやってこの想いを伝えるかという事を。
昨日の夜唯先輩から送られてきたメールによると、ムギ先輩は豪華なお菓子とお茶を持ってくるらしい。
どうやら先輩たちが卒業する前の、甘い香りのする部室に一旦戻るようだ。
それもまた、楽しいだろうな。
ずっと先輩たちと会うのを……一緒に演奏するのを楽しみにしていたから。
だけど、今の私で楽しめるだろうか。
こんな気持ちで、皆さんに会ってもいいのだろうか。
昨日の夜、私は悩んで悩んだ。
五人で会う時、『あれ』をどうやって切り出せばいいのか。
どうやってこの想いを伝えるかという事を。
悩んでも終わりなどない事はわかっている。
でもどうにかこの気持ちを叶えたいと願う事は、悪いこと。
だから……。
だからって、収まりなんてつかない。
でもどうにかこの気持ちを叶えたいと願う事は、悪いこと。
だから……。
だからって、収まりなんてつかない。
家にいて寝転んでいたら、いつまでも悩んでばかりいそうだ。
私は起き上がって、むったんの入っているケースと鞄を担いだ。
まるで遠足に行く前の小学生みたいに、前日の夜にほとんどの準備を終えていたのだ。
我ながら恥ずかしいとは思うけど、それだけ先輩たちと会うのは特別だとも言える。
部屋の壁時計は、十一時過ぎを指していた。
……先に部室に行って演奏しよう。ギリギリに出発して、先輩たちを待たせるなんてことになったら情けない。
私は今の軽音部の部長なのだ。一応は招待する側なのだから先に行って演奏なりなんなりでもしておけばいい。
もしそれでも時間が余るのなら、掃除だって。
それは全部、心に広がる黒っぽい何かを取り繕う行為にすぎないけれど。
でも、五人で会った時笑えると信じて。
私は家を出た。
足取りは決して軽いとは言い難いものだったのは、嘘だと思いたいな。
私は起き上がって、むったんの入っているケースと鞄を担いだ。
まるで遠足に行く前の小学生みたいに、前日の夜にほとんどの準備を終えていたのだ。
我ながら恥ずかしいとは思うけど、それだけ先輩たちと会うのは特別だとも言える。
部屋の壁時計は、十一時過ぎを指していた。
……先に部室に行って演奏しよう。ギリギリに出発して、先輩たちを待たせるなんてことになったら情けない。
私は今の軽音部の部長なのだ。一応は招待する側なのだから先に行って演奏なりなんなりでもしておけばいい。
もしそれでも時間が余るのなら、掃除だって。
それは全部、心に広がる黒っぽい何かを取り繕う行為にすぎないけれど。
でも、五人で会った時笑えると信じて。
私は家を出た。
足取りは決して軽いとは言い難いものだったのは、嘘だと思いたいな。
■
朝、寝覚めはよかった。
だけどびっしょりと汗をかいていて、私はすぐにクーラーをつけた。
近場にあったタオルで体を拭く。髪が長いから蒸れたのだろう。一緒に置いてあったシュシュで髪を纏めておいた。
昨日の夜は、いろいろな事を考えた。
そして謝ってしまった。
りっちゃんの事や澪ちゃんの事。
ベッドの中で、暗闇の中で、二人の姿を思い浮かべた。楽しそうにしている二人。
幸せそうな二人。手を繋いで一緒に歩いている二人。
そこに私の姿はないことも分かっていた。
りっちゃんと手を繋ぐのは私ではないということも、嫌というほど思い知っている。
見せつける、という意図は二人にはない。
だけど、私にとっては二人の間にある絆は余計に私を傷つけているんだ。
私は悩んで悩んだ。
五人で会う時、『あれ』をどうやって切り出せばいいのか。
どうやってこの想いを伝えるかという事を。
だけどびっしょりと汗をかいていて、私はすぐにクーラーをつけた。
近場にあったタオルで体を拭く。髪が長いから蒸れたのだろう。一緒に置いてあったシュシュで髪を纏めておいた。
昨日の夜は、いろいろな事を考えた。
そして謝ってしまった。
りっちゃんの事や澪ちゃんの事。
ベッドの中で、暗闇の中で、二人の姿を思い浮かべた。楽しそうにしている二人。
幸せそうな二人。手を繋いで一緒に歩いている二人。
そこに私の姿はないことも分かっていた。
りっちゃんと手を繋ぐのは私ではないということも、嫌というほど思い知っている。
見せつける、という意図は二人にはない。
だけど、私にとっては二人の間にある絆は余計に私を傷つけているんだ。
私は悩んで悩んだ。
五人で会う時、『あれ』をどうやって切り出せばいいのか。
どうやってこの想いを伝えるかという事を。
時刻は十一時……もう起きて準備しなきゃ。
やっとクーラーが効いてきて汗も乾き始める。
ベッドから降りて、身支度を始める。一旦髪を解いて梳かしたり、歯を磨いたり、服を選んだり。
でもその一つ一つの動きに、覇気も元気も感じられない事を私自身が知っていた。
頭の中で転がっている苦悩が、そんな動きを鈍くしている。
久しぶりに五人で会うのに、こんなことでいいのかと。
一通りの身支度を終えて、部屋に戻った。帰ってきてもう四日になるけど、ここまで過ごしやすい実家というのはやっぱりいいものだなあと思う。
下宿の生活に慣れた――もちろん父親の勧めで豪華な下宿に住まわせてもらってるけど――とは言っても、生まれた時から住んでいる家の方が落ち着くに決まっていた。
目を瞑っても歩けるぐらいの家は、最近悩ましいまでに頭が混乱していた私にとっては、憩いの空間だった。
……電車の時間が迫ってる。
私は部屋にしまってあったキーボードを取りだした。
ケースは少しだけ埃が積もってしまっている。それを払って中を見る。
懐かしい七十六の鍵盤が私を迎えた。
本当に久しぶりだ。
キーボードは下宿でもやっていたけれど、五人で演奏した思い出の詰まっているこのキーボードはやっぱり特別で。
指でなぞる肌触りもまるで違った。馴染んだような感触は、あの部室での光景を想起させる。
――あの時は、皆で笑い合えていたのに。
どうしてこんな『想い』まで積もってしまったの。
やっとクーラーが効いてきて汗も乾き始める。
ベッドから降りて、身支度を始める。一旦髪を解いて梳かしたり、歯を磨いたり、服を選んだり。
でもその一つ一つの動きに、覇気も元気も感じられない事を私自身が知っていた。
頭の中で転がっている苦悩が、そんな動きを鈍くしている。
久しぶりに五人で会うのに、こんなことでいいのかと。
一通りの身支度を終えて、部屋に戻った。帰ってきてもう四日になるけど、ここまで過ごしやすい実家というのはやっぱりいいものだなあと思う。
下宿の生活に慣れた――もちろん父親の勧めで豪華な下宿に住まわせてもらってるけど――とは言っても、生まれた時から住んでいる家の方が落ち着くに決まっていた。
目を瞑っても歩けるぐらいの家は、最近悩ましいまでに頭が混乱していた私にとっては、憩いの空間だった。
……電車の時間が迫ってる。
私は部屋にしまってあったキーボードを取りだした。
ケースは少しだけ埃が積もってしまっている。それを払って中を見る。
懐かしい七十六の鍵盤が私を迎えた。
本当に久しぶりだ。
キーボードは下宿でもやっていたけれど、五人で演奏した思い出の詰まっているこのキーボードはやっぱり特別で。
指でなぞる肌触りもまるで違った。馴染んだような感触は、あの部室での光景を想起させる。
――あの時は、皆で笑い合えていたのに。
どうしてこんな『想い』まで積もってしまったの。
……ううん、考えるのはまた後で。
キーボードを時間の許す限り丁寧に手入れした。隙間に詰まった埃やゴミも拭きとって、動作なりを確認する。
約五か月使わなかったけど、それでも弾きやすい。
やっぱり三年間――いや購入したのは随分前だから、もう何年も一緒にいる事になる。
そんな年季や、私のかけた愛情は大きい物だから、それにこの子も応えてくれているのかも。
ごめんね。
約五か月使わなかったけど、それでも弾きやすい。
やっぱり三年間――いや購入したのは随分前だから、もう何年も一緒にいる事になる。
そんな年季や、私のかけた愛情は大きい物だから、それにこの子も応えてくれているのかも。
ごめんね。
ケースに入れて、荷物も準備した。前々から注文しておいた最高級のお菓子とお茶だ。
唯ちゃんが梓ちゃんに聞いたところによると、ティーセットの一部はまだ部室にあるらしいのでこれだけで十分。
電車の時間が危ういので、そろそろ出よう。
足取りは決して軽いとは言い難いものだったのは、嘘だと思う。
だって皆に会えるのに、喜べないのは嘘でしょう?
答えてよ、私。
嘘だと言ってよ。
唯ちゃんが梓ちゃんに聞いたところによると、ティーセットの一部はまだ部室にあるらしいのでこれだけで十分。
電車の時間が危ういので、そろそろ出よう。
足取りは決して軽いとは言い難いものだったのは、嘘だと思う。
だって皆に会えるのに、喜べないのは嘘でしょう?
答えてよ、私。
嘘だと言ってよ。