イアンブリコス (Iamblichos) は3世紀半ばから4世紀前半の新プラトン主義哲学者。
シリアのカルキスの出身で、後年、独自の学派(シリア派とも呼ばれる)を創設した。
日本語文献ではしばしば
ヤンブリコスとも表記される。フランス語ではジャンブリック(Jamblique)。
生涯
『ブリタニカ国際大百科事典・小項目電子辞書版』、『日本大百科全書』では生年は250年ごろ、没年は330年ごろとされているが、新プラトン主義協会の会長を務めた堀江聡は、ポルフュリオスの『プロティノス伝』に見られる間接的言及から、240年から245年の生まれと推測しており、没年については偽ユリアヌスのイアンブリコス宛の書簡や弟子の動向から320年から325年と見積もっている。
「イアンブリコス」は「彼は王である」ないし「彼が王たらんことを」を意味し、カルキスでも高貴な家柄の出身であったという。一般にはポルフュリオスの弟子と見なされるが、師弟関係の存在については疑問視する見解もある。いずれにせよ、『
アバモンの答え』ではポルフュリオスの批判に真っ向から反論し、対立する関係になったことは確かである。
後年、
シリアのダフネーまたはアパメイアで独自の学派を形成し、その名声を高めたという。彼は「自然学、倫理学、形而上学の研究を通じて哲学と神秘学の新しい結合を企て、あらゆる宗教的儀式、神話、神々を包摂しうる総合的多神教的神学の形成を試みた」。
主著に『ピュタゴラス派について』全10巻がある。現存するのは4巻までで、日本語訳もある『ピタゴラス的生き方』はこの第1巻に当たる。また、5巻から7巻は現存しないものの、逸文がミカエル・プセロス(プセルロス)の著書にある。
他にも『魂について』、『アバモンの答え』等、多数の著書があったらしいが、伝聞しか伝わっていないものも少なくない。
【画像】 イアンブリコス 『ピタゴラス的生き方』
ノストラダムス関連
ノストラダムスが直接的にイアンブリコスに言及したことは確認されていないが、
詩百篇第1巻1番・
2番で描写されている儀式について、その出典がイアンブリコスの『エジプト人の秘儀について』であるとされることがある。
その題名はラテン語訳に付けられたもので、原題に忠実な通称は『
アバモンの答え』である。その著書についてはそちらの記事を参照のこと。
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最終更新:2016年04月30日 09:19