サトル編エピローグの、黛の指摘によってもたらされる唐突な終わり
全てのプレイヤーが困惑したであろうあの終わりにも
確固たる理由があります。
その謎を解く鍵は
『オレ悟の心の乱れ』と、
『記憶障害の真相』です。
サトル編でオレ悟が大きく心を乱した時は、3度あります。
・自分の姿が見知らぬ女になっていることに気づいた時
・隠し部屋でグラサン榎本と会った時
・第三地点で榎本(俺悟)と悟(榎本)に会った時
この3つに共通する点は
『オレが何者なのかわからなくなった時』
です。
オレ悟は、自身が何者なのかわからなくなると大きく心を乱す。
それはなぜか?
それは
『自分がセルフであるという真実を拒絶していた』
から。
彼は自分が妹を殺したという真実を拒絶して記憶を失った。
記憶を失ってなお、それを本能的に拒絶している。
だから、オレ悟が記憶を思い出そうとすると、頭痛という拒絶反応を起こした。
だから、オレは何者なんだ?という疑問を抱いたり、
その真実に近づくほどに彼の心は乱れるのです。
彼が本当に恐れていたのは命の危機ではなく、
妹を殺したという真実だったのです。
そして謎を解く鍵はもう一つ
『悟が沙也香の記憶を失って残るモノ』は何かということ
それは『黛の記憶』です。
沙也香に関する記憶を失ったオレ悟に残るのは、
こころ達の断片的な記憶を除けば、黛の記憶だけでしょう。
そんな彼がやっと、
『こころの体ではなく自分の体で黛と再会出来た』
そう思っていたのに、榎本の体と入れ替わっていたがために、
その自分自身を黛に否定される――
――それは、オレ悟が、
一番してほしくないことを、
一番してほしくない時に、
一番してほしくない人物にされる、
ということ
黛以外の人間に「お前は悟じゃない」と言われても、
「お前がオレの何を知ってる」と鼻で笑って終わりでしょう。
こころの姿の時に黛に「お前は悟じゃない」と否定されても、
今のオレはこころだから。という自分への言い訳ができるが、
元の姿と思い込んでいる榎本の身体で黛に会ったことで、
その言い訳ができなくなっている。
だから、エピローグの黛の「あなた、誰?」という言葉に、
彼はこう言った。
『それは死の宣告に近い衝撃をオレにもたらしたのだった』と
だから、彼の心は、その直後に続けられた
「あなたは……」
「悟じゃない……」
「私の知っている……優希堂悟じゃないわ……」
という言葉に、耐えられなかった――
自分の本当の姿だと思いこんでいた榎本の姿で、
その記憶に残った、たった一人の存在、
悟を最も知るであろう黛に、
悟の愛した黛に、
「あなたは悟じゃない」と否定されたから――
『お前は悟ではなく、妹殺しのセルフだ』
そう『誤解』してしまった彼の心は・・
時計台で大きなヒビの入っていた彼の心は・・・砕けた。
黛の最後の言葉は
オレ悟の『心を殺す』死の宣告
あの終わりは『主人公の死』がもたらしたものだったのです。
グッドエンドを迎えたのだから、
エンディングを迎えたのだから、
ゲームが終わるのは当然
グッドエンドの後のエピローグで、あの言葉が死に結びつくこともない。
そういう、ごく当然に思うであろう常識が目くらましになって
あの終わりを、『ゲームが終わる条件』である『主人公の死』に繋げることが出来なかったのです。
にわかには信じられないかもしれません。
しかし作中にもそのことを暗示するようなやりとりや、
伏線となる情報が複数含まれていたと思います。
サトル編終盤の
『悟』と『心』は、切っても切り離せない関係にある
『悟』は『心』がいないと、ただの『吾/われ』になってしまう
という言葉も、
『悟』が『心』を『失う』という暗示、伏線。
『ユウキドウ』計画がカタカナであることも、
こころとオレ悟の物語が、
『ココロ』編と『サトル』編とカタカナになっていたことも
同様のことだと思います。
なぜカタカナ表記だったのか
それは『喪失』を意味していたから。
俺が『沙也香の記憶を失って』オレになったように、
『沙也香を失って』生まれた計画だから、
オレ悟はあのエピローグで『心を失う』から、
冬川こころはあのエピローグで『オレ悟を失う』から、
カタカナ表記だったのでしょう。
MAO阻害剤も伏線に思えます。
単体だと無害だが、チラミン摂取という、特定の条件下で急激に血圧を上昇させ、
最悪の場合、脳の血管を破裂させ死に至らしめる薬
あの薬は、黛の言葉が
それだけだと無害だが、グッドエンド後という特定の条件下の時のみ、
オレ悟の心を破裂させ死に至らしめる言葉
だったことの伏線ではないでしょうか?
バッドエンドにも伏線がありました。
バッドエンドで生き残り、病院のような施設で榎本と呼ばれたオレ悟が、
全てを諦め外を眺めて終わったあれは『心の衰弱死』であり、
肉体が生きていても、心が死ねばゲームが終わることを表しています。
サトル編のエピローグは、プレイヤーがその死に気づけないほどの、
首を刈り落とされるような『心の即死』だったのです。
エンディングリストも伏線だったと考えられます。
1.ココロ編グッドエンド
19.サトル編グッドエンド
20.サトル編エピローグ
ココロ編にも生き延びた後の後日談があったにも関わらず、
サトル編のエピローグしか無いのはなぜか。
それはサトル編のエピローグが『死のエピローグ』だから。
30あるバッドエンドと同じ死のエンドだから
サトル編のエピローグだけがリストにあった。
皆を救って迎えたグッドエンドと、
その直後に訪れる死のエピローグは、
かごめ歌の『夜明けの晩』なのです。
あの終わりが主人公の死なら、
バッドエンドのようにやり直せないのか?
そう疑問に思う方もいるかもしれません。
たしかにバッドエンドの死は、やりなおすことで打開できるもの。
しかし、あのエピローグの死は違う。
ユウキドウ計画という、セルフを幽閉する計画によって、
俺悟と榎本が身体を入れ替えていたことによって、
結末が決まってしまっている。
こころ達を救い、全員と合流した時、
オレ悟は必ず黛に会いに行く。
あの黛の否定は必ず起きる。
何度やりなおそうとも、グッドエンドの後のあの結末だけは、
オレ悟の死だけは、変えられないのです。
あの終わりは、オレ悟とプレイヤーにとって、
夜明けの後の『明けない晩』
それは定められた終着点
その先のない行き止まり
バッドエンドとグッドエンドの先で待つ不可避のデッドエンド
それがあの終わりの、あのエピローグの正体。
『グッドエンド後の不可避の死』
を
『ゲームを通してプレイヤーが見ていた』
がゆえにこのゲームはあそこで終わり、
あれ以上進めようがなくなる。
主人公が死ぬと終わるゲームだったがために、
その死がグッドエンドの向こう側にあった心の即死だったがために、
主人公の死が隠蔽され、その先に進むことができなくなり、
まるで未完成のような終わりになってしまったのです。
俺悟の『誤解』が招いた復讐劇の顛末を、
ゲームを通して見ていたがために、
我々も『誤解』させられてしまったのです。