SPHIAで起きた事件の真相にαとβという双子の胎児の人格がいたように、
この物語の真相には、俺悟とオレ悟という、
双子のような存在がいた。
転移装置によって生まれた双子のような存在の、
無限に繰り返す物語こそが『infinity loop』
infinity loop…無限ループといえば、
繰り返しの果てに望む未来を掴み、そこから脱出するものだと誰しもが思うでしょう。
しかしこのゲームは違う。
このゲームの主人公である冬川こころも、オレ悟も、
我々プレイヤーも、そのinfinity loopを変えられない。
変えてはいけない。
変えてしまえば、過去の沙也香が殺されることはなくなるでしょう。
犬伏が殺されてしまうジェノサイドエンドがまさにそれです。
あのエンドでは、E人格を持つ犬伏が殺され、
オレ悟がエピローグに辿り着けなかったために、
過去の沙也香の人格との交換がなくなり、
タイムパラドックスが発生、
歴史が変わり、沙也香が死なない別の世界線になってしまった。
それはそれで、その別世界の沙也香と悟は救われるでしょう。
沙也香は死なず、犬伏景子は存在しなくなり、
黄泉木夫妻が潤一を失うこともないでしょう。
ユウキドウ計画もなくなり、
SPHIAに悟、カーリー、犬伏がいることもなく、
その彼らに会いに行こうとしていた、
こころ、黄泉木、黛(おそらくゆにも)が、
飛行機に乗ることも、事故にあって遭難することもなくなるでしょう。
だからジェノサイドエンドで世界線の変わった山小屋は、
誰も避難することなく、きれいな状態だったのです。
過去の沙也香の死と未来の沙也香の生が繋がっていたように、
SPHIAの犬伏の死も過去の沙也香の生、そして彼らの生に繋がっているのです。
しかし、それでは沙也香の死がきっかけだった転移装置も生まれなくなってしまう。
それでは我々が見ていた『あの世界』の登場人物は救われない。
だからバッドエンドになるのです。
ゆにが歴史をなぞろうとしたことと同じです。
だからエピローグのゆには、悟にこう言ったのです。
「『なぜ歴史をなぞる必要があったのか?』――いまそう言ったよね?」
「その理由をひとことで言うと『時空間転移を発生させるため』ってことになる」
転移装置を悟に使わせるために、
山小屋のゆにが過去をなぞらなければいけなかったことと同じように、
沙也香が2001年に死ぬことも、オレ悟がエピローグで死ぬことも、
『時空間転移を発生させるため』に必要
沙也香だけではなく、こころや黛や黄泉木を救うためにも必要なのです。
『ゆにの献身』と『沙也香の死』と『オレ悟の死』は、
我々が見ていた登場人物達にとって、
欠くことの出来ない歯車として成り立ってしまっている。
その歯車の名こそが『infinity loop』
Remember11の3つの重なり合う輪は、
SPHIAのゆに(&テラバイトディスク)と山小屋のゆに、
沙也香とE人格、俺悟とオレ悟、という3組の双子のような存在の、
変えることの出来ない無限の円環を表していたのでしょう。
その3つの輪が重なり合う中心部にいるのが、ゲームの登場人物達なのです。
だから、オレ悟のエピローグの『死』が、
バッドエンドにはならなかった。
このゲームにおけるバッドエンドとは、
『主人公の死ではなかった』のです。
このゲームのバッドエンドとは『infinity
loopを止めてしまうこと』
エピローグにいたメンバーが誰一人欠けても、
3つの歯車のいずれかが止まり、
残りの2つの歯車の動きが狂ってしまうのです。
・沙也香が殺されないと転移装置が生まれない。
・ゆにが転移装置を利用してこころ達を救いださないと、
オレ悟がエピローグに到達できない。
・オレ悟がエピローグで死なないと、俺悟は沙也香を救わ(殺さ)ない。
沙也香、ゆに、オレ悟、
三者の因果は完全に繋がっており、
いずれを欠いても成り立たない。
だから3つの輪は重なり合っていた。
3つの輪のどれか1つでも切ってしまうと、
他の2つの輪も外れてバラバラになってしまうという図形、
ボロミアンリングと同じだった。
重なり合う3つの輪は、それぞれがいなくては成立出来ない、
繋がり合う状態を表していたのです。
我々プレイヤーの視点は、
こころと悟という『主人公の意識とリンク』していた。
だから彼らの意識が途切れれば、
その時点のあの世界の様子はわからなくなるし、
彼らが死ねばそこで終わる。
それに加え、彼らのいた場所が閉鎖された空間であったため
気づかなかったことですが、
バッドエンドは全て過去の歴史が変わっていたはずです。
エピローグ到達前にオレ悟が死ねば、
カーリーは犬伏がやったことだと判断し、迷わず犬伏を殺すでしょう。
そうすればジェノサイドエンドのように、タイムパラドックスが起きる。
こころが死ねば悟も死んでしまうため、その場合も同様。
たとえカーリーが犬伏を殺せなかったとしても、
エピローグでオレ悟が死ななければ、
俺悟は計画が失敗したと判断するため、
過去の沙也香は死なず、やはり歴史が変わってしまう。
主人公の意識とリンクしていた我々は、ほとんどのバッドエンドで、
歴史の変化を眼にすることが出来なかった。
あるいは、眼にしていても世界線が違うことに気づけなかった。
新聞記事の内容が変わるバッドエンドも、
新聞だけが変わったのではなく、
過去の歴史が、世界線が変わっていた。
新聞や山小屋の様子が変わるバッドエンドが特別だったわけではなく、
他のバッドエンドでは、歴史の変化、
世界線の違いに気づくことができなかったのです。
2つのグッドエンドとエピローグだけが、
3つのinfinity loopが繋がり、歯車が正しく回っている状態だった。
エピローグのオレ悟の『死』は、オレ悟と我々にとっては終着点でも、
『時空間転移を発生させるため』という意味では、通過点――
――その先にのみ、転移装置の発生が、沙也香の『生』と『死』がある。
優希堂兄妹は無限に殺され無限に殺し無限に救う。
infinity loopは繰り返される。終わることなく永遠に――
だから、エピローグの後にこう記されていたのです。
This story has not finished yet.
Truth is not revealed.
And it circulates through an incident.
----it is an infinity loop!
この物語は、infinity loopを打ち破る物語ではなかった。
救うために、救われるために、infinity loopを成立させなければいけない物語だったのです。