このゲームを考察するために中澤氏のコメントを読み漁っていて
思ったことがあります。

それは、製作サイドは、このゲームに関して
『2つの大きな誤算』があったんじゃないだろうか。
という思いです。


このゲームが未完成だと言われることや、
製作が批判されるということは、
重々承知、覚悟の上だったんだろうと思います。
その上で唯一無二の領域に挑戦したゲームだったのでしょう。

そんな製作でも、予想だにしていなかったことがあったのだろうな。
と思うのです。


1つ目の誤算は
『朝日が昇り そしてまた落ちる』という考察サイトの存在
10年ほど前に消えてしまったサイトですが、
それまでにゲームをプレイした方なら、
知っている方は多いのではないでしょうか。

ご存じない方にざっくり説明すると、
『Remember11をEver17を基に考察したサイト』です。


Ever17のプレイヤーがあの世界に奇跡をもたらしたのと逆に、
Remember11のプレイヤーは、死をもたらしてしまった。

プレイヤーはゲームの情報から、沙也香が死んだと思い込んだ。
思い込んだプレイヤーの超越的な力によって、
沙也香を死なせてしまった。

ユウキドウ計画は、
沙也香を殺したプレイヤー=セルフを閉じ込め、
沙也香を救う計画であり、
それによってプレイヤーが幽閉されるから唐突に終わり、
セルフの幽閉が成立したことによって、沙也香は救われる。

という考察です。
これが実に読ませるうまい文章で、当時非常にウケた。
私もこれが真相か。と感動したものです。

が、このゲームはEver17とは真逆のゲームであり、
プレイヤーは沙也香を殺してなどいません。
Ever17準拠で考察しても、
出口のない迷路に入り込んで出られなくなる
トラップのようなゲームです。

なのに、朝日~はその迷路に入り込んだ上で、
出口のない迷路の壁をゲンコツでぶち壊すようにして外に出た。

製作側の最大の誤算は、その考察に
大きな説得力があったことじゃないかと思うのです。

考察を見た多くの人が感動し、これが真相か。と
当時、未完成だと炎上していたRemember11の評価を覆したほどの考察でした。

しかしこれは、製作側からすれば頭を抱えることでしょう。

Ever17とは真逆のテーマのゲームなのに、
Ever17と同じように考えても答えが出ないはずのゲームなのに、
その真逆の方向で真相だと読者に信じさせる考察だったのですから。

例えが下手かもしれませんが、
本当は東京からスタートして迷いながら北海道に辿り着くゲームなのに、
朝日~を見た多くの人は、
沖縄がゴールだと思い込んでしまうようなものではないでしょうか。

これは、本当に困ったことだったんじゃないかと思うのです。

なぜなら、その人達が真相だと信じてしまったら、
沖縄がゴールだと思いこんでしまったら、
誰も北海道を見ようとしない。

その人達のRemember11はそこで終わってしまうからです。

あのエピローグは主人公の死が原因だということも、
何もかも悟が悪かったということも、
トゥルーエンドの存在も、
かごめ歌のようなゲームであることも、
知られないまま終わってしまうわけです。

だからといって、真相を明かすわけにはいかないし、
個人の考察に名指しで「それは違うよ」と否定するわけにもいかない。

・・頭を抱えると思いませんか?


結局どうすることも出来ず5年が経過した・・

いえ、正確には、それとなく『そうではない』と匂わせるような
コメントをいくつかしたものの、
誰にも気づいてもらえなかった。でしょうか・・?


そして、真相も製作側の意思もプレイヤーには伝わらないまま、
2009年になり、PSP版を出す機会に乗じて、一計を案じた。

『真相に肉薄できる情報』として年表を追加し、
そこで『ユウキドウ計画は、セルフを幽閉するための計画』
という確定情報を記すことで、
朝日~のユウキドウ計画は沙也香を救う計画という考察を否定、
同時に、真相はまだ見つかってないことを我々に教えた。

あの年表は、真相へと繋がる情報であると同時に、
真相とは逆の方向へ向かった迷子達に
『そっちじゃないよ』
ということを遠回しに伝え、
方向修正を促していたのではないのかと思うのです。

あの年表は、我々プレイヤーには伝わらない、
見えない苦悩と苦労の上に生まれたのではないでしょうか?

 


2つ目の誤算は・・

1つ目がプラス方向の誤算なら、2つ目はマイナスの方向の誤算
正直言って、あまり気持ちのいい話ではないし
私の思いすごしの可能性もある話ですが・・・


『プレイヤーの心理、心情』が誤算だったのではないかと


このゲームは謎が難解で容易に答えの見つからないゲーム
それゆえに、様々な考察がなされました。

問題なのは、難解な上、誤解を招くゲームであるがために、
謎の答え合わせができない構造だったこと。
間違った答えが間違っているとわからないゲームだったこと。

それゆえに、当時存在したKID公式掲示板や匿名掲示板では
度々、プレイヤー間で考察のぶつかり合いが起きた。

それは想定内だったはずです。
プレイヤーが集まって喧々諤々考察を出し合い、
真相へと辿り着くことを願って作られたゲームだと私は思います。

しかし、そうならなかった・・。

真相が出ないばかりか、予想だにしていない事が起こった。

答え合わせの難しいゲームであるがゆえに、
間違った答えが間違っているとわからないゲームであるがゆえに、
行き過ぎた人間が出てきた。

自分が見つけた答えこそが正解だ、真相だと強弁し、
相手の考察を否定することで自分が正しいと思い込もうとする人間が現れだした。

たとえ相手が間違っていたとしても、自身が正しいとは限らないのに。

自身の考察を持って相手の考察を否定するのではなく、
ただただ相手を否定することで、自身が正しいと思い込もうとし
自身の考察と違う考察を上げる相手を馬鹿にし、
相手の人格まで否定する者が現れた。

そんな人間を見た別の人間が、
その人の行為を否定するという悪循環で掲示板は荒れました・・。

そんな光景は製作者の方々の目にはどんな風に映ったでしょうか・・?


・・・耐え難い光景だったのではないでしょうか・・・。


自分たちの作り出したゲームが、醜い言い争いの火種になっている。


未完成だと言われることや、製作が批判されることは覚悟していても、
これは予想していなかった。


そして、個人を名指しで否定することもできなければ、
真相を明かすこともできなかった。


だから、中澤氏は、ご自身のHPやゲームの特典でこう言ったのではないでしょうか

>最も納得した(あなたにとって妥当性のある)真相こそが、
>あなたにとっての真実です。


「答えを用意してないからそんなことを言うのだろう。」
とまで言われた言葉ですが、そんなはずがないのです。
それなら、年表で朝日の考察を否定する必要は無い。

あの言葉は、プレイヤーに答えを丸投げにした言葉ではなく、
「もうこれ以上争うのはやめてくれ」
という、悲鳴に近い懇願だったのではないでしょうか・・・?

あの言葉も、見えない苦悩の上に生まれた言葉だったのではないでしょうか。


Remember11というゲームは、
いかに人間が自分の信じたいものだけを信じる生き物なのか、
いかに簡単に争う生き物なのか、
そういう人の愚かさを浮き彫りにしてしまうゲームになってしまったのではないかと思うのです。

最終更新:2024年03月11日 01:08