あの終わりは、主人公の死によって起こったもの――

では、ユウキドウ計画は失敗だったのでしょうか?

超越的な意思の幽閉、という意味では失敗でしょう。

しかし、俺悟からすれば、
ユウキドウ計画は成功になるはずです。

彼はオレ悟の死をどう見るのか。
俺悟の視点で考えてみましょう。


彼は『沙也香の死』を超越的な意思のせいだと判断した。
それは転移装置によって起こった、死ぬ理由のない、
ありえない死だったからでしょう。

彼は『オレ悟の記憶障害』を、アイツの記憶移植だと判断した。
これも、彼の目からすれば、計画開始の矢先に発生する、
起こるはずのない、ありえない記憶障害だったから。

『時計台の影』も、誰も来るはずもないところに、
ありえない影が現れたから、セルフだと思い込んだ。


オレ悟の死も同じでしょう。


俺悟は『オレ悟の死』を、
黛の否定によって『廃人』になったもう一人の自分を見て
『セルフを仕留めた』と考えるはずです。
 

我々がそうだったように、黛の否定は死因に結びつかない。
 

『ありえない死』であるがゆえに、
沙也香の死と同じ『人格の死』であるがゆえに――


アイツの記憶を移植されていたから、
そこにセルフがいたから、
ユウキドウ計画が成功したから――



『オレが死んだ』のだ。と『誤解』する。



それが、自責の念に耐えきれず、
妹の記憶を消してしまったもう一人の自分の、
最後に残った『心すらも殺した』ことだと気づかずに


 

『悟』は『心』がいないと、ただの『吾/われ』になってしまう
という言葉は、
俺が記憶を失いオレになってしまう。
悟が心を失ってしまう。
という意味だけではなかった。

『吾』という文字は人名にも使われるため、
馴染みのある方も多いでしょう。
しかし、吾を英語でなんと呼ぶか
ご存知の方は少ないのではないでしょうか?

吾を英訳すると『self』になります。

あの言葉は、

『悟』は『記憶』を失って『吾/オレ/self』になってしまう。
『悟』は『心』を失って『吾/self』になってしまう。

という意味でもあったのです。


 

オレ悟が廃人になったことで、
計画が成功したと判断した俺悟は、
沙也香を救う次の行動へとうつる。

彼もいつかはオレ悟と同じように、
自身が真犯人であることに気づくでしょう。
それでも、沙也香の救済だけは間違いなく起きる。
それは断言できます。
沙也香の死と生は表裏一体、
過去の沙也香が死んでいるということは、
未来の彼女は生きているからです。

そして、おそらくですが、真実を知っても
オレ悟のような記憶障害は起きないでしょう。
なぜなら、黛を救ったから。
時計台の悟には無い心の支えが、未来の俺悟にはあるからです。


セルフが自身だと知らないまま、セルフを幽閉する計画、
ユウキドウ計画によって、もう一人の自分を殺し、彼は先に進む。
その結果、過去の沙也香は死に、
過去の悟は、復讐と救済のために転移装置を作り出す。


それは無限に繰り返される――


テラバイトディスクが時をめぐる数だけ

沙也香が死ぬ数だけ

E人格が11年間を繰り返す数だけ


――オレ悟は俺悟に殺される

 


 

妹を殺した真実に気づかず、もう一人の自分まで殺した俺の物語


妹を殺した真実に気づき、妹の記憶まで殺したオレの物語 

 



真犯人が真実に気づかないまま、
もう一人の真犯人を無限に殺す物語


真実に気づいた真犯人が、その罪を償うかのように、
無限に殺される物語



それが、この物語の真相。

 

 

そして、その真相を知って、様々なことが2人の悟、
俺悟とオレ悟を意味していたことに気づきました。


俺悟の言う『セルフ』も『アイツ』も彼自身でした。

『セルフ』とは、沙也香を殺した犯人、すなわち『俺悟』
『アイツ』とは、2012年のSPHIAに現れたセルフと思われる存在、すなわち『オレ悟』

サウル(俺悟)が、
ダビデ(超越的な意思)に、
投げた槍(ユウキドウ計画)は、
ダビデには当たらなかったが、
アイツ(オレ悟)に突き刺さった。

聖書では、サウルはダビデを狙うものの失敗し、
『自殺』してしまう結末になっていますが、
その聖書の結末と、この物語の結末は『同じ』

自らをサウルになぞらえた悟は、
『自分を殺し』『自分に殺されていた』のです。

 

 
Remember11というタイトルは、
11年前に死んだ沙也香と、
11年間を繰り返すE人格だけでなく、
沙也香のために生きてきた俺悟と
沙也香のことを忘れてしまったオレ悟のことも意味していた。

 

OPの文言も沙也香と犬伏景子だけでなく、俺とオレのことも意味していた。
「同一軸より生じた双子は、不思議な運命を共有する」
「失われた半身を求めて、どこまでもどこまでも追い続ける」
「光を超えて――。 無限を超えて――。」 

 

ワタシを殺す記憶の迷路というキャッチコピーも、
悟と沙也香のことを意味していたのでしょう。

『ワタシ(沙也香)』を殺していた悟は、
その真実を知って『ワタシ』の記憶まで殺していた。
そして
絶望した『俺』が記憶を殺して『オレ』となり、
最後にはその『オレ』さえも殺されるがゆえの『ワタシ』
『ワタシ』は無限に繰り返す時の迷路の中で殺され続ける・・。
だから『ワタシを殺す記憶の迷路』だったのです。

 


かごめ歌も俺とオレのことを

かごめかごめ
籠の中の鳥は (悟は)
いついつ出やる (いつ目的を達成できる)
夜明けの晩に (グッドエンド後のエピローグに)
鶴と亀が滑った (俺がオレを殺すことで訪れる)
後ろの正面だあれ (悟の追い求めた真犯人は悟自身なのだから)


かごめ歌の主題も、俺とオレを意味していた。

ゆに「この世界は二律背反するふたつの要素がうまく重なりあって共存してるんだ」
  「『かごめ歌』の主題はまさにこれ」 

沙也香の死と生が重なり合って共存していたように、

虚無の人格が無限の時を繰り返していたように、

悟の計画は、虚偽と真実が、失敗と成功が、誤解と正解が、被害者と加害者が、

重なり合って共存していたのです。

 

中澤氏のこの言葉も、俺とオレのことを意味していた。


「本作のストーリーは、キャラクターたちによる“終わりのない復讐の物語”です。」

「悟は過去に『アイツ』にひどいことをされている。
 だから呼び出して復讐してやろうと、本作はそういう物語なんです。」 

 
この言葉は、
『超越的な意思(≒プレイヤー)を、終わりのない無限ループに幽閉して復讐する物語』ではなく、
『俺悟がオレ悟に無限に復讐する物語』であることを言っていたのです。 

 

 

Remember11 -the age of infinity- は、
未完成のような終わりの裏に潜む真実を、
俺とオレが無限に繰り返す、生と死と罪と罰を知るゲームだったのです。
 

最終更新:2024年02月02日 09:32