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ここではウマムスタンスレに登場した銃器について解説する。
銃器
カラムルトゥク
中央アジアの中でもウズベクやカザフ地域で使用された銃身長160-180cm前後の小銃。
装飾を廃し、実用重視の簡素な作りが特徴。
命中率、威力、射程ともに当時の西洋の小銃より優れていたが、銃身の長さゆえに装填に時間がかかった。
ヒトミミの一般兵向けか?(100-134~141)
身の丈を超えるほどの長銃を始めて見た外国兵は「小人が大砲を抱えている」と評したが、自軍の銃の射程外から命中させてくる「小人の大砲」にその嘲笑はすぐさま打ち砕かれた。やがて数十万の「ロング・マスケット」はウマムスタン軍の恐怖の代名詞となった(100-200,101-7~25を基に一部編集者妄想)。
装飾を廃し、実用重視の簡素な作りが特徴。
命中率、威力、射程ともに当時の西洋の小銃より優れていたが、銃身の長さゆえに装填に時間がかかった。
ヒトミミの一般兵向けか?(100-134~141)
身の丈を超えるほどの長銃を始めて見た外国兵は「小人が大砲を抱えている」と評したが、自軍の銃の射程外から命中させてくる「小人の大砲」にその嘲笑はすぐさま打ち砕かれた。やがて数十万の「ロング・マスケット」はウマムスタン軍の恐怖の代名詞となった(100-200,101-7~25を基に一部編集者妄想)。
ジェザイル
中央アジアの中でもアフガン地域で使用された銃身長160-180cm前後の小銃。
カラムルトゥクとの違いは装飾と銃床の湾曲の有無。
命中率、威力、射程ともに当時の西洋の小銃より優れていたが、銃身の長さゆえに装填に時間がかかった。
ヒトミミの指揮官向けか?(100-134~141)
カラムルトゥクとの違いは装飾と銃床の湾曲の有無。
命中率、威力、射程ともに当時の西洋の小銃より優れていたが、銃身の長さゆえに装填に時間がかかった。
ヒトミミの指揮官向けか?(100-134~141)
ユルドゥズェリ・ヴシュ
名前の意味は(Yıldızları vur/星を撃ち抜く→星撃ちあるいは星穿ち)。
建国期の80年戦争で使用されたウマ娘用の狙撃銃。
銃身の長さは軽く2mを超え、カラムルトゥクやジェザイルと比較しても長い。
長い銃身とライフリングにより、同時代の西洋式小銃と比べても高い命中率を誇った(100-134~141)。
建国期の80年戦争で使用されたウマ娘用の狙撃銃。
銃身の長さは軽く2mを超え、カラムルトゥクやジェザイルと比較しても長い。
長い銃身とライフリングにより、同時代の西洋式小銃と比べても高い命中率を誇った(100-134~141)。
80年戦争後のWWⅠ前後のウマムスタン陸軍の銃器開発事情
大戦前「小銃の改良?そんなものに金を出す余裕はない(軍縮)」
大戦中「小銃の改良?悪くはないが……、現在の大戦で様々な知見を得られるからその後でも遅くはないだろう(義勇軍団、観戦武官派遣)」
大戦後「小銃の改良?いや、そんなちまちましたことせずとも半自動小銃開発して、短機関銃を大規模配備するぞ(五代目指名、軍拡決定)」(196-33)
大戦中「小銃の改良?悪くはないが……、現在の大戦で様々な知見を得られるからその後でも遅くはないだろう(義勇軍団、観戦武官派遣)」
大戦後「小銃の改良?いや、そんなちまちましたことせずとも半自動小銃開発して、短機関銃を大規模配備するぞ(五代目指名、軍拡決定)」(196-33)
クィディルヴチラー
建国期にミスタープロスペクター氏族によって開発生産された小銃につけられたのではないかと妄想されている名前。
意味は(Qidiruvchilar, ウズベク語で探鉱者)(62-85)
以下は考察当時(62-85)の仮称(採用時期や性能は建国期編で変更の可能性あり)
クィディルヴチラー30(デルヴィーニュ銃相当)
クィディルヴチラー51(ミニエー銃相当)
クィディルヴチラー67(シャスポー銃相当)
クィディルヴチラー74(グラース銃相当)
クィディルヴチラー86(ルベル銃相当)
クィディルヴチラー95(Gew98,三八式歩兵銃,リー・エンフィールド,モシン・ナガン,スプリングフィールドM1903相当)
意味は(Qidiruvchilar, ウズベク語で探鉱者)(62-85)
以下は考察当時(62-85)の仮称(採用時期や性能は建国期編で変更の可能性あり)
クィディルヴチラー30(デルヴィーニュ銃相当)
クィディルヴチラー51(ミニエー銃相当)
クィディルヴチラー67(シャスポー銃相当)
クィディルヴチラー74(グラース銃相当)
クィディルヴチラー86(ルベル銃相当)
クィディルヴチラー95(Gew98,三八式歩兵銃,リー・エンフィールド,モシン・ナガン,スプリングフィールドM1903相当)
クィディルヴチラー113
ウマムスタン陸軍が後方警備や機械化騎兵部隊向けに新規開発した自動小銃
当時制式採用が始まっていた半自動小銃は重い上にまだ連射性能が低く、一方カラカゾンラールの機関騎兵銃は連射性能が高いものの構造上警備用、護身用としては重量、射程共に問題点が多かった
そのためウマムスタン陸軍は軽量かつ程良い連射性能、射程を持つ新型自動小銃の開発を決定
1933年に採用されたのがクィディルヴチラー113である
同様のコンセプトで後に開発されたダートのM1カービンに対して、ウマムスタン陸軍はカザフやパシュトゥーニスタンの平原での戦闘を重視していたため射程に関する要求はより高いもののとなっており、弾薬としてはこちらも新開発の5.5×40mm弾が使用されることとなった(196-139)
何か赤い……赤くない?
戦前に加害範囲がエグいなんてもんじゃない弾薬を普及させるなんて人の心とか無いんか?
……いや、80年戦争でダムダム弾を経験している分躊躇しないか(196-145)
上二つ(カラカゾンラール97、109)の形状と弾薬規格に気を取られていたからスルーしていたけれど1930年代に自動小銃!?
比較にM1ガーランドが出されていたから勝手に半自動小銃だと思っていたけれど突撃銃……ってコト!?
幾ら何でも歩兵装備の技術力が飛躍し過ぎだろうがよ、えーー―っ!(197-187)
113の比較対象はガーランドではなくm1カービンですね
アレをもっと先進的にできないかという妄想です
ウマムスタンの戦術思想と国力、m1カービンのような護身用武器の需要の悪魔合体の産物ですね
まあウマムスタンなら同じく平原での戦闘を考えてより大口径のアサルトライフルにシフトしていくでしょうが(なんならコイツライフルじゃなくてカービンですし)(地下シェルター暗黒武闘会2026年5月分参照)
当時制式採用が始まっていた半自動小銃は重い上にまだ連射性能が低く、一方カラカゾンラールの機関騎兵銃は連射性能が高いものの構造上警備用、護身用としては重量、射程共に問題点が多かった
そのためウマムスタン陸軍は軽量かつ程良い連射性能、射程を持つ新型自動小銃の開発を決定
1933年に採用されたのがクィディルヴチラー113である
同様のコンセプトで後に開発されたダートのM1カービンに対して、ウマムスタン陸軍はカザフやパシュトゥーニスタンの平原での戦闘を重視していたため射程に関する要求はより高いもののとなっており、弾薬としてはこちらも新開発の5.5×40mm弾が使用されることとなった(196-139)
何か赤い……赤くない?
戦前に加害範囲がエグいなんてもんじゃない弾薬を普及させるなんて人の心とか無いんか?
……いや、80年戦争でダムダム弾を経験している分躊躇しないか(196-145)
上二つ(カラカゾンラール97、109)の形状と弾薬規格に気を取られていたからスルーしていたけれど1930年代に自動小銃!?
比較にM1ガーランドが出されていたから勝手に半自動小銃だと思っていたけれど突撃銃……ってコト!?
幾ら何でも歩兵装備の技術力が飛躍し過ぎだろうがよ、えーー―っ!(197-187)
113の比較対象はガーランドではなくm1カービンですね
アレをもっと先進的にできないかという妄想です
ウマムスタンの戦術思想と国力、m1カービンのような護身用武器の需要の悪魔合体の産物ですね
まあウマムスタンなら同じく平原での戦闘を考えてより大口径のアサルトライフルにシフトしていくでしょうが(なんならコイツライフルじゃなくてカービンですし)(地下シェルター暗黒武闘会2026年5月分参照)
ムフタール重機関銃
UMI製。14.5x114mm弾を使用。
イクバール設計局も開発に関わっており、その名称は同設計局のルーツであるイクバールの孫にしてグローリアスソングとケトマンの長男であるムフタルに由来している(139-141)。
KPV重機関銃をベースに軽量・近代化したもので主に戦車を始めとした装甲車両の車載機関銃、装甲猟兵部隊で運用(76-165)されている他、近年では装甲騎兵の主武装としても使用(40-14)。
ベースであるウマエトのKPV重機関銃は対重装甲猟兵を意識して設計された(86-92)。
イクバール設計局も開発に関わっており、その名称は同設計局のルーツであるイクバールの孫にしてグローリアスソングとケトマンの長男であるムフタルに由来している(139-141)。
KPV重機関銃をベースに軽量・近代化したもので主に戦車を始めとした装甲車両の車載機関銃、装甲猟兵部隊で運用(76-165)されている他、近年では装甲騎兵の主武装としても使用(40-14)。
ベースであるウマエトのKPV重機関銃は対重装甲猟兵を意識して設計された(86-92)。
〇〇(製造元、クィディルヴチラーやモスボロー想定)38半自動小銃
1938年にウマムスタンが開発した半自動小銃。(弾薬はそれまでウマムスタンが使っていたものによる。前の話だと7.5mmクラスなのかね?世界的にはスタンダードな7.5mm×50mmあたりかアキツやロマーニャ、スウェーデンと同じような6.5×50~55mmぐらいの弾だと考えられる)
当時の世界では自動火器の開発が盛んで、徐々に疎遠になりつつあったものの未だ繋がりを維持していたガリアでは後にMAS40となる半自動小銃の開発が進んでいた。ウマエトにおいても開発中との情報があり(後のSVT-38,40を指していると考えられる)、何よりダートはすでにM1ガーランドを配備していた。
今後自動火器が世界のスタンダードになると睨んだ陸軍はワジリスタン事変もあり半自動小銃の開発に着手。開発は急がれ1938年に試験に供された。性能は概ね良好で心配された信頼性の問題もウマムスタンの工業技術の高さから発生しなかった。
これ以降次期主力小銃として議論されることになる。(147-199)
当時の世界では自動火器の開発が盛んで、徐々に疎遠になりつつあったものの未だ繋がりを維持していたガリアでは後にMAS40となる半自動小銃の開発が進んでいた。ウマエトにおいても開発中との情報があり(後のSVT-38,40を指していると考えられる)、何よりダートはすでにM1ガーランドを配備していた。
今後自動火器が世界のスタンダードになると睨んだ陸軍はワジリスタン事変もあり半自動小銃の開発に着手。開発は急がれ1938年に試験に供された。性能は概ね良好で心配された信頼性の問題もウマムスタンの工業技術の高さから発生しなかった。
これ以降次期主力小銃として議論されることになる。(147-199)
AEK-971
ウマムスタン軍で正式採用されている自動小銃(1-127)。2000年代に採用された(9-113)。
ウマエト崩壊後からの最新技術買い漁りセールであれもこれも採用した結果、現在でも使用されている(40-17)。
ウマエト崩壊後からの最新技術買い漁りセールであれもこれも採用した結果、現在でも使用されている(40-17)。
カラカゾンラール90
1910年にホージャ・カラカゾンラール社によって開発された世界初のサブマシンガン。
1905年のアキツ-ウマシア戦争の戦訓をもとに従来のボルトアクション式の短銃と機関銃の間を埋める『敵部隊発見から迅速に発砲可能な自動火器』として、『機関騎兵銃』という新種の武器の開発が陸軍から各企業や研究機関に依頼され、その中でも拳銃弾を発射するタイプの本銃が比較的良好な成績を示し、当時試験運用されていた自動車化騎兵部隊からも「車内に収容しやすく、取り回しも良好」と評価されたため、制式採用に至った。
当初は試験運用的な面が強く、広大な戦場を想定していた陸軍上層部からは射程の不安などで不信感を持たれ、採用からWWⅠが勃発する1914年までの五年間に製造されたのは1500丁ほどであった。
しかし、1915年に遣土義勇軍団に騎兵連隊長として参加していたタヤスツヨシが、欧州戦線のレポート内に頻繁に登場する塹壕や市街での近接戦闘で有効な兵器を探した結果、取り回しが良く連射速度が速い本銃に注目したことから、本銃の評価は一変する。
タヤスツヨシは自身の指揮する連隊で機関騎兵銃を集中運用する突撃部隊を編成し、メソポタミア戦線の要衝バスラ奪還戦に投入、入り組んだ市街地が多いバスラ市内の戦闘において本銃の瞬時に弾幕を形成できる連射力は猛威を振るい、市街地に立てこもるアルビオン軍の駆逐に大いに貢献した。
遣土義勇軍団内では近接戦闘で猛威を振るった本銃を大いに評価する意見が多く、本国に追加配備を強く要求するとともに歩兵部隊の中でも最精鋭とされた「イェニチェリ連隊」が本銃の優先配備を受け、オリエント戦線最大の激戦地ガリポリの戦いに投入され、連合軍相手の近接戦闘で本銃の性能を遺憾なく発揮した。
当然、友軍として遣土義勇軍団の戦いぶりを見たテュルキイェ軍やゲルウマン帝国軍将校からはウマムスタン本国に対して本銃の大量供給が要請され、同様にオリエント方面撤退後の連合軍側も中央同盟側が本銃をウマムスタンに大量発注するのは必至とみて、少しでも中央同盟側に供給される量を減らすべくこちらも本銃をウマムスタンに大量発注し、両陣営合わせて100~150万丁の本銃が欧州戦線に供給されたことから各地の近接戦闘で互いに猛威を振るい、死体の山を築いた。
一説には本銃が「塹壕の死神」「人食い釜」とまで呼ばれたのは、弾丸が共通していたため敵軍から接収した本銃本体と弾丸が即座に戦力化可能であり、攻勢時には本銃を装備した兵士による突撃部隊が機関銃陣地を避け、従来のボルトアクション式小銃を装備した部隊に対して優位に立った一方、軽量で取り回しが良かったため陣地内に敵軍の侵入を許しても本銃を装備した部隊による敵突撃部隊に対する防御展開が容易だったためといわれている(180-99~100を基に一部編集者妄想)。
詳しくは研究資料ページの本銃に関する記事を参照。
1905年のアキツ-ウマシア戦争の戦訓をもとに従来のボルトアクション式の短銃と機関銃の間を埋める『敵部隊発見から迅速に発砲可能な自動火器』として、『機関騎兵銃』という新種の武器の開発が陸軍から各企業や研究機関に依頼され、その中でも拳銃弾を発射するタイプの本銃が比較的良好な成績を示し、当時試験運用されていた自動車化騎兵部隊からも「車内に収容しやすく、取り回しも良好」と評価されたため、制式採用に至った。
当初は試験運用的な面が強く、広大な戦場を想定していた陸軍上層部からは射程の不安などで不信感を持たれ、採用からWWⅠが勃発する1914年までの五年間に製造されたのは1500丁ほどであった。
しかし、1915年に遣土義勇軍団に騎兵連隊長として参加していたタヤスツヨシが、欧州戦線のレポート内に頻繁に登場する塹壕や市街での近接戦闘で有効な兵器を探した結果、取り回しが良く連射速度が速い本銃に注目したことから、本銃の評価は一変する。
タヤスツヨシは自身の指揮する連隊で機関騎兵銃を集中運用する突撃部隊を編成し、メソポタミア戦線の要衝バスラ奪還戦に投入、入り組んだ市街地が多いバスラ市内の戦闘において本銃の瞬時に弾幕を形成できる連射力は猛威を振るい、市街地に立てこもるアルビオン軍の駆逐に大いに貢献した。
遣土義勇軍団内では近接戦闘で猛威を振るった本銃を大いに評価する意見が多く、本国に追加配備を強く要求するとともに歩兵部隊の中でも最精鋭とされた「イェニチェリ連隊」が本銃の優先配備を受け、オリエント戦線最大の激戦地ガリポリの戦いに投入され、連合軍相手の近接戦闘で本銃の性能を遺憾なく発揮した。
当然、友軍として遣土義勇軍団の戦いぶりを見たテュルキイェ軍やゲルウマン帝国軍将校からはウマムスタン本国に対して本銃の大量供給が要請され、同様にオリエント方面撤退後の連合軍側も中央同盟側が本銃をウマムスタンに大量発注するのは必至とみて、少しでも中央同盟側に供給される量を減らすべくこちらも本銃をウマムスタンに大量発注し、両陣営合わせて100~150万丁の本銃が欧州戦線に供給されたことから各地の近接戦闘で互いに猛威を振るい、死体の山を築いた。
一説には本銃が「塹壕の死神」「人食い釜」とまで呼ばれたのは、弾丸が共通していたため敵軍から接収した本銃本体と弾丸が即座に戦力化可能であり、攻勢時には本銃を装備した兵士による突撃部隊が機関銃陣地を避け、従来のボルトアクション式小銃を装備した部隊に対して優位に立った一方、軽量で取り回しが良かったため陣地内に敵軍の侵入を許しても本銃を装備した部隊による敵突撃部隊に対する防御展開が容易だったためといわれている(180-99~100を基に一部編集者妄想)。
詳しくは研究資料ページの本銃に関する記事を参照。
カラカゾンラール97
欧州大戦でカラカゾンラール90が大活躍したことにより急遽開発された改良型
工数削減のための部品の一部変更が行われた他、戦場からのフィードバックを受けてより人間工学的に洗練された形状となった(196-139)
90がドラムマガジン、97が人間工学的に洗練された形状となっていることに加えて90の資料で挙げられている銃を参考にすると
90→スオミみたいな銃把と銃床一体型
97→トンプソンみたいなピストルグリップ付き
みたいな感じかしら?(196-145)
工数削減のための部品の一部変更が行われた他、戦場からのフィードバックを受けてより人間工学的に洗練された形状となった(196-139)
90がドラムマガジン、97が人間工学的に洗練された形状となっていることに加えて90の資料で挙げられている銃を参考にすると
90→スオミみたいな銃把と銃床一体型
97→トンプソンみたいなピストルグリップ付き
みたいな感じかしら?(196-145)
カラカゾンラール109
五代目期の軍拡に伴い新たに設計された新型機関騎兵銃
突撃歩兵部隊の他、当時急速に拡大していた機械化騎兵部隊、空挺部隊に大量に配備され、第二次大戦でも猛威を振るった(196-139)
突撃歩兵部隊の他、当時急速に拡大していた機械化騎兵部隊、空挺部隊に大量に配備され、第二次大戦でも猛威を振るった(196-139)
PB-117(Piyoda-Bana-117)
ウマムスタン軍が1937年に急遽開発した個人用ロケット兵器。第二次大戦中各地の戦場で用いられた。
戦間期、ウマムスタンは多くの重戦車を開発し、その撃破は対戦車ライフルでは困難なことは明白であった。また、ウマムスタン軍内部では歩兵火力向上も凄まじく、戦車を撃破可能な距離まで引き付けて撃破するのは(相手もウマムスタン軍である想定だったのもあるが)厳しいと判断された。
以上より、対戦車ライフルや対戦車手榴弾を超える新世代型の対戦車兵器、かつ歩兵用火力兵器が必要だとウマムスタン陸軍歩兵総監部は結論づけた。折しもウマムスタン陸軍はアキツ陸軍との交流を深める中で、八九式重擲弾筒など歩兵が小隊レベルで携行可能な火力兵器の開発の重要性を認識しており、トーチカや機銃陣地に対する攻撃手段としても有用になると考えられた。
1936年より開発は始まったが、同年のワジリスタン事変により開発が加速。歩兵部隊にとっては脅威なマチルダⅠ戦車の報告などもあり、開戦のリスクから急速に開発は進められ、1937年には先行量産が始まった。
いくつかのモデルが試作され、その内ラズワルド製のロケット推進型、ロベルト・ハジガク製鋼所製
の無反動砲が共に優秀な性能を発揮し、甲乙付け難かったため、前者をPB-117-1、後者をPB-117-2として採用することが決定された。
(ラズワルド製はM1バズーカ、ハジガク製はパンツァーファウストイメージ)(205-112)
戦間期、ウマムスタンは多くの重戦車を開発し、その撃破は対戦車ライフルでは困難なことは明白であった。また、ウマムスタン軍内部では歩兵火力向上も凄まじく、戦車を撃破可能な距離まで引き付けて撃破するのは(相手もウマムスタン軍である想定だったのもあるが)厳しいと判断された。
以上より、対戦車ライフルや対戦車手榴弾を超える新世代型の対戦車兵器、かつ歩兵用火力兵器が必要だとウマムスタン陸軍歩兵総監部は結論づけた。折しもウマムスタン陸軍はアキツ陸軍との交流を深める中で、八九式重擲弾筒など歩兵が小隊レベルで携行可能な火力兵器の開発の重要性を認識しており、トーチカや機銃陣地に対する攻撃手段としても有用になると考えられた。
1936年より開発は始まったが、同年のワジリスタン事変により開発が加速。歩兵部隊にとっては脅威なマチルダⅠ戦車の報告などもあり、開戦のリスクから急速に開発は進められ、1937年には先行量産が始まった。
いくつかのモデルが試作され、その内ラズワルド製のロケット推進型、ロベルト・ハジガク製鋼所製
の無反動砲が共に優秀な性能を発揮し、甲乙付け難かったため、前者をPB-117-1、後者をPB-117-2として採用することが決定された。
(ラズワルド製はM1バズーカ、ハジガク製はパンツァーファウストイメージ)(205-112)
二式半自動小銃
アキツ帝国陸軍が1942年に開発した半自動小銃。二式小銃との区別化のため半自動小銃という名前になった。
ウマムスタン陸軍が1938年に配備を始めていた半自動小銃や張鼓峰事件でウマエト軍から鹵獲したフェドロフM1916、やシモノフM1936といった半自動小銃に危機感を覚えたアキツ帝国陸軍は、1938年から半自動小銃の開発を開始し、1942年に開発・配備を開始した(196-52~91,152~170,)。
元陸軍大尉の荒坂氏が起こした荒坂株式会社が中心となって設計した(197-78~87)。
ウマムスタン陸軍が1938年に配備を始めていた半自動小銃や張鼓峰事件でウマエト軍から鹵獲したフェドロフM1916、やシモノフM1936といった半自動小銃に危機感を覚えたアキツ帝国陸軍は、1938年から半自動小銃の開発を開始し、1942年に開発・配備を開始した(196-52~91,152~170,)。
元陸軍大尉の荒坂氏が起こした荒坂株式会社が中心となって設計した(197-78~87)。