「ブリッツ」
[解説および歴史]
ブリッツとは、簡単に言えば機装兵同士でチーム戦を行う競技です。
聖華暦837年には既に自由都市同盟全土に広まっていますが、発祥は聖華暦800年に南部諸国連合にある機装兵訓練校や、操手科もしくは操手養成科がある中高の学校が個別で始めた対抗戦が元になっています。
聖華暦837年には既に自由都市同盟全土に広まっていますが、発祥は聖華暦800年に南部諸国連合にある機装兵訓練校や、操手科もしくは操手養成科がある中高の学校が個別で始めた対抗戦が元になっています。
そして聖華暦805年に、南部諸国連合にある全校が協議し、機装兵での年1回の公式対抗戦が行われる様になります。
この頃にはまだ「ブリッツ」と言う競技名は付いていませんでしたが、これが正式な始まりと見る人も多いです。
この頃の競技は、各校とも正直貧乏なので、訓練用の機材としては従機か、もしくは当時南部諸国連合地域特有の機装兵であった最低機兵、いわゆるロアコフが用いられていました。
当然この競技においても従機とロアコフが用いられ、これに機装兵や魔装兵を持ちださない事は不文律となっていました。
この頃にはまだ「ブリッツ」と言う競技名は付いていませんでしたが、これが正式な始まりと見る人も多いです。
この頃の競技は、各校とも正直貧乏なので、訓練用の機材としては従機か、もしくは当時南部諸国連合地域特有の機装兵であった最低機兵、いわゆるロアコフが用いられていました。
当然この競技においても従機とロアコフが用いられ、これに機装兵や魔装兵を持ちださない事は不文律となっていました。
当時のレギュレーションは、以下の様になっています。
- :使用する戦場は、同盟軍の第49演習場。5km×5kmの広さの、クメール王国にある狭い同盟軍演習場で、大きく廃墟区画(市街戦演習用)、丘陵区画(山岳戦演習用)、平地区画の3区画に別れている。
- :使用する機体は、双方の学校が所有する機体のみ。他から借りて来る事は認めない。
- :4対4のチーム戦。大将機を撃破されるか、互いの陣地に設置したフラッグ(旗)を奪取されれば敗北。
ここで聖華暦810年、変化が起きます。とある裕福な強豪校が、金にあかせて競技に機装兵を投入したのです。
正式にレギュレーションで縛りが無かったのが、災いしました。
その年以降の大会は、一部の裕福な強豪校が機装兵もしくは重機兵までもを用い、上位を攫って行く様になってしまいます。
正式にレギュレーションで縛りが無かったのが、災いしました。
その年以降の大会は、一部の裕福な強豪校が機装兵もしくは重機兵までもを用い、上位を攫って行く様になってしまいます。
なお、「ブリッツ」の名が付いたのも、この頃です。
この競技に機装兵をはじめて用い優勝した学校の学校長が、大会3連覇した聖華暦812年に大会委員会に強要し、この競技名を「ブリッツ」と名付けさせたのです。
なお「ブリッツ」とは、この学校が大会初優勝を飾ったときの大将機の名前でした。
この競技に機装兵をはじめて用い優勝した学校の学校長が、大会3連覇した聖華暦812年に大会委員会に強要し、この競技名を「ブリッツ」と名付けさせたのです。
なお「ブリッツ」とは、この学校が大会初優勝を飾ったときの大将機の名前でした。
そしてこの大会は、競技に機装兵を出せる裕福な強豪校のみの大会になってしまいました。
競技人口が少なければ、必然的に大会はマイナーになり、先細りに消えていくはずでした。
競技人口が少なければ、必然的に大会はマイナーになり、先細りに消えていくはずでした。
ですが聖華暦815年、台風の目が現れました。
なんと、とある弱小の中等学校操手養成科が、従機×2と最低機兵×2で、爽快に優勝をさらって行ったのです。
そして翌816年の大会でも、この学校は最低機兵、従機で優勝して見せたのです。
この時の記録映像が自由都市同盟全土に運ばれ、大ブームを巻き起こしました。
同時に、焦った強豪校のゴリ押しで、レギュレーションの急遽改定が行われたのです。
それが今現在まで続く、基本的なレギュレーションとなっております。
そして翌816年の大会でも、この学校は最低機兵、従機で優勝して見せたのです。
この時の記録映像が自由都市同盟全土に運ばれ、大ブームを巻き起こしました。
同時に、焦った強豪校のゴリ押しで、レギュレーションの急遽改定が行われたのです。
それが今現在まで続く、基本的なレギュレーションとなっております。
これが、現在のレギュレーションです。
- :使用する戦場は、開催予定地区近隣にある同盟軍の全演習場の中から、対戦の前日にランダムで決定。
- :使用する機体は、双方の学校が所有する機体のみ。他から借りて来る事は認めない。
- :従機級、最低機兵級、機装兵級、無差別級の4種類のランク分けを行う。魔装兵、獣操機は(学校が所有しているならば)無差別級にのみ参加可。
- :4対4のチーム戦。大将機を撃破されるか、互いの陣地に設置したフラッグ(旗)を奪取されれば敗北。
- :補足-正式な士官学校は、この大会に参加を認めない。彼らはあくまでプロと見なす。
時は流れて聖華暦820年。
この年に、はじめて第1回の全国大会が行われました。
首都近郊で、「アマルーナ杯」と名付けられた大会が開かれたのです。
南部諸国連合という自由都市同盟中央からかなり外れた場所から、この様な流行が生れるとは、素晴らしい事です。
この年に、はじめて第1回の全国大会が行われました。
首都近郊で、「アマルーナ杯」と名付けられた大会が開かれたのです。
南部諸国連合という自由都市同盟中央からかなり外れた場所から、この様な流行が生れるとは、素晴らしい事です。
4年に1回開催されていたこの全国大会は、残念ながら聖華暦833年に起きたバフォメット事変により、一時中断されてしまいました。
おのれバフォメット。
本来は少年少女たちの学校だけの大会では無く、次からは大人の部門も開催される予定だったのですが。
おのれバフォメット。
本来は少年少女たちの学校だけの大会では無く、次からは大人の部門も開催される予定だったのですが。
ですが837年には、「復興杯」と呼ばれる大会が開かれ、内外に自由都市同盟の復興をアピールする予定になっております。
その際には、きっと大人の部門も開かれることでしょう。
その際には、きっと大人の部門も開かれることでしょう。
[大会種別]
- ラ・カルト杯
- 全国大会ラ・カルト地区予選
アマルーナ杯の予選。
他の地域でも、同様の地区予選が行われている。
全国大会での予選であること以外は、ラ・カルト杯と同様。ラ・カルト杯を始めとする普通の大会と変わり映えしないため、中止が検討されている。
代わりに各地域で行われている地域別の大会での上位入賞校にポイントを与えて、4年間の結果を合計してアマルーナ杯代表チームを決定する事が、ほぼ本決まり。
他の地域でも、同様の地区予選が行われている。
全国大会での予選であること以外は、ラ・カルト杯と同様。ラ・カルト杯を始めとする普通の大会と変わり映えしないため、中止が検討されている。
代わりに各地域で行われている地域別の大会での上位入賞校にポイントを与えて、4年間の結果を合計してアマルーナ杯代表チームを決定する事が、ほぼ本決まり。
- アマルーナ杯
正式名称「全自由都市同盟ブリッツ大会少年の部」。
4年に1回開かれる。同盟全土から中高や専門学校の操手養成科生徒である選手を集め、行われる大会。
出場選手は、各地からの代表校選抜チーム。選抜の方法は、各地域ごとに任されているが、基本は地区予選と銘打った選手権大会を開いている模様。
4年に1回開かれる。同盟全土から中高や専門学校の操手養成科生徒である選手を集め、行われる大会。
出場選手は、各地からの代表校選抜チーム。選抜の方法は、各地域ごとに任されているが、基本は地区予選と銘打った選手権大会を開いている模様。