「機機兵 グロウエン」
グロウエンA型

グロウエンB型


[ショートストーリー]
驚く高弟たちに、房主は更に言葉をかける。
「これで出来上がった機装兵のうち、優れている方を造った者を、我が工房の跡継ぎとする。」
2人の高弟は、勇んで機体を製作した。出来上がった機体は、一長一短はあれど甲乙つけがたかった。
そして房主は裁定を下す。量産性に優れていた方を、勝ちとしたのだ。そして、そちらを造った高弟が跡継ぎの座を射止める。しかしもう1人も「のれん分け」が許されて、新たな工房を立てた。
そして房主は裁定を下す。量産性に優れていた方を、勝ちとしたのだ。そして、そちらを造った高弟が跡継ぎの座を射止める。しかしもう1人も「のれん分け」が許されて、新たな工房を立てた。
……だが結局、この高弟たちの実力は親方である房主には及ばなかった様だ。房主が設計した操縦槽周辺のデザインは、聖華暦800年代の現代でも「軽機兵グリモール」の胴体に名残を残している。しかし2人の高弟が造った機体は、時代の波に飲まれ、消えていったのだ。
[解説]
「機装兵 グロウエン」は、聖華暦800年代の現代に遺されている記録によれば、第三世代機兵が出現してしばらくした頃に、とある工房の房主が弟子に課題として造らせた機装兵である。
房主は2人の弟子に、競って機体を造らせてその出来によって後継者を決めたらしい。
房主は2人の弟子に、競って機体を造らせてその出来によって後継者を決めたらしい。
2人の弟子が競って造ったため、この機装兵は同名で2種類存在している。
当時の軍人たちは便宜上、一方をA型、一方をB型と呼んでおり、今現在の歴史学者たちもそれに倣っている。
ちなみに「グロウエン」は機装兵とは銘打っているものの小型軽量タイプであり、今現在の分類で言うならば軽機兵に相当する機種だ。
当時の軍人たちは便宜上、一方をA型、一方をB型と呼んでおり、今現在の歴史学者たちもそれに倣っている。
ちなみに「グロウエン」は機装兵とは銘打っているものの小型軽量タイプであり、今現在の分類で言うならば軽機兵に相当する機種だ。
この「グロウエン」2機種のうち、A型は見た目はスタンダードながら機敏な動きを追求した機体で、それこそ現代の軽機兵の設計思想となんら変わりは無い物であった。
一方のB型は、外観は現代の軽機兵である「グリモール」に何処となく似ているのだが、能力の傾向的には通常型の機装兵(当然、当時の水準ではあるが)に近く、小型でありながら装甲強度もそこそこのレベルを維持していた。
一方のB型は、外観は現代の軽機兵である「グリモール」に何処となく似ているのだが、能力の傾向的には通常型の機装兵(当然、当時の水準ではあるが)に近く、小型でありながら装甲強度もそこそこのレベルを維持していた。
A型、B型のどちらが房主の目にかなったのかは、記録が散逸していて今では確かめる術もない。
ただ確かな事は、どちらの機体も歴史に大きく名を遺す事は叶わず、すなわち造り手の弟子たちも名を上げる事は無かったと言う事だ。
ただし、彼らの親方であり、課題を出した当の房主が自ら設計した操縦槽部分のデザインは、「軽機兵 グリモール」の胴体部分の設計に、500年後の今に至るまで形を残している。
ただ確かな事は、どちらの機体も歴史に大きく名を遺す事は叶わず、すなわち造り手の弟子たちも名を上げる事は無かったと言う事だ。
ただし、彼らの親方であり、課題を出した当の房主が自ら設計した操縦槽部分のデザインは、「軽機兵 グリモール」の胴体部分の設計に、500年後の今に至るまで形を残している。