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基本情報



略歴

シャルティア王国貴族。
父はそれまでシャルティア国が周辺諸国に対して行っていた戦争を終わらせた外交の立役者。
その父を誇りに、自身も国の中枢に仕えるべくガーマス7970年国立リストレア魔導学園に入学。

学園ではその智謀の冴えをたびたび見せ、卒業生であるレマダスが立てこもり事件を起こした時は彼女の作戦により地下の玄室に入り込むことに成功した。

卒業後はシエルと共に「銀鷲組」と呼ばれる派閥を作り、シャルティア国の将来のための組織作りをはじめる。
王族であるリクハルドは、銀鷲組を自らの派閥に取り込もうと接近、彼の依頼によりブレイアスに攻撃を仕掛ける為、センティースは、兵器利用できないことからこれまで回収が後回しにされていたゴルドラドの遺産である「ミノス」の情報を意図的に流してブレイアスを誘い出すが、そこでブレイアスのメンバーとなっていたかつての学友たちと血の同窓会を迎えることとなる。

しかし、マルティンの提案により同盟国朱焔国への侵略が開始され、この戦いへの参戦が命令されるとやむを得ず暁美ヶ原の戦い朱焔里の戦いに参陣。
銀鷲組は、この戦いで自分たちが一番手柄を上げ、その功績をもって式守珠月を説得する機会を貰い、朱焔国は一時的な形だけでもいいので属国にさせ、後に再び独立させようとしたが、朱焔国と、ブレイアスに所属するかつての学友たちからは手柄ほしさに嬉々として前線に来た様にしか見えず、ついに交渉の機会を得ることはできなかった。

更にマルティンを総指揮官に二度目の国立リストレア魔導学園攻略戦がはじまり、その主力部隊に編入される。
この時は、ラナを失い、平民組に一度は伝えた脱出の手引きも無視されたことから、これまでと違いかつての学友と本気で戦うことを選び、激しい籠城戦の末に学園の陥落に大きな戦功をあげる。(魔導学園攻略戦
この戦功と忠誠を認められ、学園攻略戦の最中に手に入れたゴルドラドの遺産である「カルザイアス」は銀鷲組に託された。

ブレイアスを中心とした反王国連合軍が本格的に挙兵、王都を目指して北上してくると、これを食い止めるべくアルブレッド渓谷の戦いに参戦。
ブレイアスが採るであろう作戦を先読みして、敵本陣に奇襲を仕掛けるが、レオニダの奮戦と、ヴィオラたち別動隊が風向きを変えた事によってあと一歩届かずに決戦に敗北すると、王都に戻らず密かに姿をくらまし、レミリアル国と戦っていた学園の先輩であるカミュアが所属する部隊へ移動し、「本国からの特命を受けた」と偽って強引に部隊の主導権を奪い(元々の司令官は事故にみせかけて暗殺)レミリアル国に圧倒的に有利な条件で和睦を結び、国境で戦っていた主力部隊を率いて戻ってくる。
完全なる越権行為であるが、戦いにさえ勝てば国王ボルニファースの性格から不問に付されるであろうという自信をもっての作戦であった。

しかし、一度は壊滅に追い込んだブレイアスは、朱焔国の援軍を得てスメリア森の戦いに勝利、この戦いで平民出身の兵士が四散したことからこれ以上戦うことは不可能と悟ると、自分の領地に戻り、その後の情勢の推移を見守った。
ボルニファースは暗殺され、領地や爵位を奪われたものの、それまで統治していた領民から擁護の声もあった為それ以上の罪には問われず、平民としての生活がはじまった。
そんな折、ブレイアスを自分たちの組織として受け継いだヴィオラ達から声がかかり、ここに一度は敵対した学生時代のメンバーが再結集し、7976年2月聖杯の蜂起と呼ばれる政変に協力、ボナトゥーラ一派を討って、セシルを国王とした新たな国造りを始めた。

険悪になった周辺諸国との外交、平民の許容するギリギリの税制の中での国の立て直しと仕事は山積みであったが、ある時国立リストレア魔導学園再建に携わっていたアステリアたちの招きを受け、共にゴルドラドの深淵である翡翠の森へと向かう。

しかしそこにカミルが自分の儀式を邪魔されない為の時間稼ぎのため呼び寄せたルードルフが現れ、獅子王グレイファントの怨念によってシャルティア国を亡ぼすことしか考えられなくなった彼の前に敗北し、ティメスガーナ起動に必要な翡翠の数珠も奪われる。
シャルティア国の王都を射程に捉えて動き始めたティメスガーナの砲身の中で再びルードルフと戦い、衝撃で正気を取り戻したルードルフが自らの命を引き換えに魔力炉に飛び込むことでティメスガーナは止められた。

更に、娘のルチアを蘇生させようと世界の法則を変えようとした校長カミルと対峙するが、ゴルドラドの叡智をもってしても禁忌を変えることはできず、カミルは娘のもとへと旅立った。

一連の騒動のすべての元凶はゴルドラドの遺産であり、これはまだ人類が手にするべきものではなかったと結論を出したアステリアは、世界樹に存在するゴルドラドの遺産すべての原動力となる魔力の源である水晶の破壊を提案、これに賛同して協力した。

再び国政に戻ると、国を発展させるため裏側から進んで汚れ仕事を引き受けた。
だが、そのことから各地で恨みを買い、7991年に王位継承が行われると「兄を毒殺した」と讒言された新国王キュラによって処刑された。
センティースが無実なことを証明する書類をもった使者が到着するわずか数時間前の処刑であった。


関連項目


最終更新:2026年06月16日 03:36