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- (2021/02/02 (火) 16:04:56) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2011/02/13 Sun 11:54:41
更新日:2024/02/25 Sun 17:47:51
所要時間:約 9 分で読めます




死とは、生きている物が最後にたどり着く状態のこと。
人によっては、死は終わりではなく始まりとする場合もある。

だいたいの意味はそんな感じ。
とりあえずこの項目は色んな死を見ていきます。


【様々な死】

☆社会的死

例をあげるとするなら、
平穏に暮らしていた人が、ある日突然まほうのじゅもんでそれまでの生活、地位、果ては人生までも奪われた状態。


☆個性の死

中二病患者が最も怖れる死。
周りと同じにされ、自分という個性が死んでしまうこと。


☆仮死

心拍や呼吸が停止、もしくは微弱で外見上は死んでいるようだが、適切な処置などを施せば蘇生する状態。
虫などにはこの状態に陥っても自然に回復できる種もおり、仮死状態で冬を越したりもするが、
人間の場合は命を落とす一歩手前で陥る症状なので、一刻も早く医療関係者を呼ぶべし。
ちなみに、たまに間違われるがクマに襲われた時などにやるといいという迷信がある「死んだふり」は「擬死」である。


☆瀕死

厳密には死ではなく、死にそうな状態。
ポケモンではこの状態で空を飛んだり、波に乗ったりする…。
ただしNPCが「戦う元気がないだけ」と教えてくれるので、死にかけではなく単に疲れて戦意喪失しているだけの模様。それはそれで酷な気もするが。


☆競技における死

何らかの原因によって体の一部の機能を失い、それまでしていた競技が出来なくなってしまうこと。


☆精神的死

1:心が死んでしまうこと

感情が無くなってしまうのもある意味死なのである。
周りの人も気がつかないうちに死んでしまうことのあるデリケートなモノなので、危うい人がいたら気にかけてあげてください。

2:昏睡状態、ないしそれに類似した状態で個人とコミュニケーションがとれなくなった状態のこと

肉体の活動は維持されている物の、個人に意志がみられないのは精神的死である。
『人間が人間であるためには人間とのコンタクトが必要である』と定義した上での死といえる。
ただ、今後目覚める可能性があるのなら、『仮死』なのかもしれない。


☆肉体的死

肉体の生命活動の停止のこと。
心肺停止=死である。

人間が死に至る原因は多岐に渡り、他の生物とは一風変わったものがあるのも特徴。
外傷→怪我による失血多量など
疾患→癌や現代医学では治療法が確立されていない病気など
老衰→長く生きたことで身体の各部が衰え、機能不全を起こすなど
事故死→この項目を読んでいる人の一番近くにある死。階段から落ちる、車にはね飛ばされるなど
自殺→何らかの要因で自ら命を断つこと。ダメ、ゼッタイ
他殺→ほぼ毎日どこかしらで起こっているのに現実味が薄いもの

原因は様々だが、行き着く先が肉体の停止である以上、すべて同じ死と考えることが出来る。


☆脳死

言うならば精神的死と肉体的死の中間。植物状態ともいう。
厳密には死ではないとする考え方もある。
自力での生存ではなく、肉体のみを外部の装置などで保っている状態。
ドナーカードを持っていれば、この時点から希望が適用される。


安楽死

生きる義務と死ぬ権利の間にある、グレーな死。



死後の世界

人が死を怖れるのはなぜか。
それは死後の世界が未知の物だからではないだろうか。
あちら側を見る方法もなく、あちら側から帰ってきた人間もいない。
如何に科学技術が進んでも、死んだあとの個性(心、精神)がどうなるかは分からないのである。

【死に関する病】

  • タナトフォビア
死に対する恐怖、不安。
「そんなもの誰でも持ってるじゃないか」と思う人もいるだろうし、実際多かれ少なかれ誰しもが抱いている感情だろうが、
この病気に罹患している人の持つ恐怖は異常なほど強く、一度『死』を意識してしまうと恐怖や不安のあまり日常生活にまで支障をきたす。
自身や親族、友人の死は勿論、他人・動物の死や機械の故障、果ては“死”と言う言葉そのものや連想させる物事にまで恐怖や不安を抱いてしまうため、
“死”からの回避を第一に行動した結果死亡する者もいると言えば、その異常さも窺えよう。

  • タナトフィリア
死そのものに対する羨望、性愛。
死を連想させる物や死んでいく過程に対して性的興奮を覚える。
そのため相手が特定の誰かである必要がない。
リョナやネクロフィリアと似ているが若干異なる。


死をテーマにした作品も多い。
人間は死に恐怖と羨望を抱いているのかもしれない。

【死を中心に扱った作品】


【そもそも死とは】

現代では死ぬのが自然で不死が特別という認識であるが、昔の人はどうして不死ではなく死ななければならないのかを様々な物語で説明づけた。
  • ギルガメシュ叙事詩ギルガメシュは不死を得ようと奔走するが、手に入れた若返りの薬(植物)を蛇に横取りされて不死になれなかった
  • プロメテウス(ギリシャ神話)ゼウスを騙そうとして骨を掴ませたら「肉は腐るが骨は腐らない」と死ぬ定めにされた
  • アダムとイヴが「蛇」に誘惑され「知恵の実」を食べてしまいエデンを追放されたため
  • 日本神話では天津神のニニギノミコトに国津神がコノハナサクヤビメとイワナガヒメを娶らせようとしたが岩の神イワナガヒメを拒んだため不死を失った
  • ハワイ神話で様々なものを創造した神マウイは最期に自らを生み出した死の女神の体内に帰って蘇生を目論んだが、気づかれて潰された


※追記お願いします

余談ではあるが、生きているときにはかった体重と死体の体重は違う。
実は死体の方が幾分軽くなっている。
これを「魂が抜けたから軽くなった」と考える人もいる。
では、抜けた魂はどこへ消えたのか。
それこそが死後、我々の心の行く先なのかもしれない。



【最後に】

この項目の死はいつだと思う?

冥殿に消去されたとき?違う。
ラグナロクに巻き込まれたとき?違う。

…人に、忘れられたときさ。byドクター・ヒルルク


上の文のように人も忘れられた時が本当の死だと思う。

たまには故人を偲ぶのも良いかもしれない。



この項目は個人の主観に基づいて構成されています
早急な追記・修正をしないと死んでしまいます
ほんと、お願いします

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