岡崎徹

登録日:2011/12/18(日) 22:05:40
更新日:2020/06/26 Fri 20:56:24
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岡崎徹は1948年生まれ(1950年生まれと書いている資料もあるがこれは間違い)、長崎県長崎市出身の元俳優。

進学校である長崎北高等学校卒業後、「他人と違う道を歩もう」と決意し俳優を志して上京。
日活ニューフェイスとしてデビューするも、当時は日活が経営難だった為に出演作品を持たないまま翌年日活を退社する。


モデルや歌手としての活動(但し、この時の名義は片岡義昌)を続け芸能界に留まり、1972年にようやく東映映画『不良番長 のら犬機動隊』で俳優デビュー。
この時培ったバイクアクションが認められたのか、
1974年には日活製作の子ども向けアクションドラマ『電撃!ストラダ5』にて主人公・堀田貫介/ペガサス役を手にする。
宍戸錠・地井武男といった大ベテランに囲まれ、日活黄金期のスタッフが集まった…が、視聴率低迷の為に『ストラダ5』は僅か13話で打ち切り。
この時は「主役なんだからもっとどっしり構えてろ」と言われたにも関わらず完全に萎縮。「もう子ども番組はいいや」と考えていた…

しかし、この体験が功を成したのか、東映ニューフェイスとして岡崎氏は新たな道を歩む事となる。


仮面ライダーアマゾン役のオファーである。


最初は断ったものの、野性味溢れるアマゾンの企画書を見た瞬間、幼少時に憧れた『ターザン』や『狼少年ケン』のイメージが頭に浮かびすぐに承諾。

「アマゾンがまったく言葉を知らないため、目と体だけで喜怒哀楽を表現しなければならず、
僕としては今まで以上にやりがいのある役だと思って一生懸命にやっていくつもりです」とのコメントを毎日放送に送っている。

クランクインから僅か20日でオートバイの訓練を受ける事になったが、
当時のスタッフからは飲み込みの早さを「今までのライダー俳優の中でも抜群」と評していた。
元々前述の作品群でバイク経験はあったものの、高度なテクニックを一日でマスターするなど勘は良かった。


野生児さながらのアクションで傷だらけになりながらも、
「ダメージを受けた時には血糊まみれになりましょう」等自分からも様々な提案を行うなど積極的に番組作りに参加した。

当時の監督からは「岡崎くんは僕らが『やってくれ』と言うと本当にやってくれるんだね」と良く言われていたそうで、
本人も「『明日はこんなアクションをやってください』なんて言われるとかえって頭でアレコレ考えすぎて『いや、それはちょっと…』と答えてしまう。
むしろその場で『やってください』と言われた方が『よし、やってやろうじゃないか』という気になった」とのコメントを残している。

そんな岡崎氏にとって、番組後半の文明化されたアマゾンは強い抵抗感があったそうで、思い切り違和感が出るようにわざとベラベラ話したりしたとか。


その後はドラマ『白い牙』『勝海舟』『刑事くん』等に出演するなど順調な俳優生活を送っていたが…


1976年、『非情のライセンス』の撮影中に右足を骨折。芸能活動を引退。

「俳優業はちょっと休もう」くらいの感覚で漁師として再スタートを切るが、
当初は平山亨プロデューサーから何度も『仮面ライダー(新))』への客演オファーが来ていたらしい。

当初は仕事が忙しく中々電話が出来なかったが、やがて面倒くさくなり「もういいや。この際、あっちの世界からはキッパリ縁を切ろう」と決意。
1991年のイベント「仮面ライダーワールド」を最後に公の場からは一切姿を消した…

その為、しばらくネット上では「岡崎さんって今はホームレス生活なんじゃ…」といった噂が飛び交ったが、
本人はネットをしない生活を送っていたため全く意に介してなかったらしい。


…が、2005年に自費出版で「アマゾンから帰ってきた男」を発売。
仮面ライダー1号役の藤岡弘、氏やデビュー作以来交友がある梅宮辰夫氏、東映プロデューサーだった平山亨氏等のコメントが寄せられている。
本書を期にメディアへの露出が増え、仮面ライダー関連のイベントやインタビューに答えてくれるようになった。
藤岡氏とはその後、2017年に約40年振りのTV出演を果たしたその場で再会し、撮影前に握手を交わしている。

ちなみに、期待されている俳優業への復帰は残念ながら考えていないとの事。
ただし前述のように『アマゾン』関係のインタビューなどはよく受けている。というか復帰を期待されてる理由の大半は『アマゾン』だろう。
また、『アマゾンズ』の事も知っておられるようだ。



【余談】
岡崎氏と『仮面ライダーディケイド』でアマゾン役を演じたモデルのエンリケ氏は誕生日が同じ。





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