二階堂盛義(戦国武将)

登録日:2009/12/12(土) 14:02:27
更新日:2025/07/08 Tue 21:28:18
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1544年生~1581年没。

戦国時代に、福島県須賀川市辺りを治めていた大名。

同じく福島の覇権を争っていた蘆名家や田村家と戦いを繰り広げるが、後に蘆名家との決戦に敗れ、長男・二階堂盛隆を人質に差し出して従属。


しかし蘆名家の跡取りが早世した為に、人質になっていた盛隆が蘆名家の跡を継ぐ事に。

盛義は父としての権力を存分に振るい勢力を拡大、田村家を追いやる事に成功する。

しかし1581年に突然体調を崩し死去、更に1584年には盛隆が暗殺され二階堂家は衰退。

そして1589年、二階堂家は伊達政宗に滅ぼされる事となる。
正直な話、武将として特筆すべき点は無い。



だが2002年、シミュレーションゲーム【信長の野望・蒼天録】が発売された時、彼は一躍人気者になった。

その理由は目が異常に釣り上がり口をこれでもかと開け、正に発狂しているような顔グラ。

そのため2ちゃんねるで大きな話題となり、専用AAまで作られる始末。

更には某着メロサイトのCM(全国放送)に、そのAAが流れるなど一時祭り状態に。

信長の野望シリーズ一目立った男かもしれない。

その後

信長の野望シリーズの顔グラを一部流用している太閤立志伝5でも顔芸を継続。胴体も追加された。
PS2版の説明書では「敵に大筒が!ひょえー!」なる迷言も飛び出している。

以降の作品では普通の顔グラになり、顔芸を披露したのは上記の二作品だけ。顔芸仲間の隈部親永や陶濬(三國志シリーズ)も同じ時期に顔芸を止めてしまった。
しかしプレイヤーにとっても印象深かったのか、その後もちょくちょく復刻と言う形で往年の顔芸を披露し続けているのが二階堂。
2022年に発売された『信長の野望 新生』でも過去作品の顔グラで見事一位を獲得し、固有戦法「仰天」を引っ提げて登場している。




余談だが、

盛義の父親・二階堂照行(名は行秀(ゆきひで)、輝行(てるゆき)とも)の顔グラも変顔だった。



肖像画や、変顔だったという逸話は残っておらず、何故そんな顔グラになったのかは永遠の謎。

ちなみに烈風伝の辺りから変顔の兆候は有り、烈風伝では西の隈部親永と並ぶ強烈なインパクトを与える2枚看板として活躍した。


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最終更新:2025年07月08日 21:28