登録日:2012/03/19 Mon 05:08:22
更新日:2025/04/21 Mon 23:32:53
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TM NETWORKとは小室哲哉、宇都宮隆、木根尚登の三人で結成された音楽ユニットである。
略称はTM。
【概要】
1980年、
小学校からの
幼なじみ同士である宇都宮と木根が在籍していたバンド・SPEEDWAYに小室が加入し、三人に接点が出来る。
その後、1982年ごろにSPEEDWAYは活動終了(のちに解散)。木根と小室はとある外国人ボーカリストを起用して新しいバンドを結成しようとするが、
その外国人がビザを取っていなかった事によりこの話が流れた為、木根の幼なじみである宇都宮に白羽の矢が立つ。
こうしてバンドのメンバーが決まり、三人とも多摩地区在住という事からTAMA NETWORKというバンド名を考案するも、ゴロの悪さから頭文字を取って名称をTM NETWORKとする。
その後レコードデビューする際に、所属会社から「名前の由来がTAMAではかっこ悪い」と言われた為、
TMはTIME MACHINEの頭文字という事となった。
バンド名の由来を強引に後付けするのは意外とあるあるネタである。
1984年にシングル「金曜日のライオン」、アルバム「RAINBOW RAINBOW」でメジャーデビュー。
当時のジャケット写真では小室と宇都宮のみが写り、木根が写る事はなかった。
これに関しては「当時は二人組としての活動をメーカーに強要されていた」と後に小室が語っており、木根は謎のメンバー扱いとなっていた。
デビュー当時はその音楽性から
YMOの二番煎じという評価も多く、セールスにもあまり恵まれなかったが、
BOOWYの海外のロックの音と日本人馴染みの歌謡曲のメロディを融合させるセンスへのリスペクト、小室の楽曲のコンペへの積極的な参加、
当時は見た目的にまだまだ粗削りだったものの特殊な演出を積極的に採り入れたコンサートツアーは重ねる毎に動員を着実に増加させ、
四枚目のアルバム「
Self Control」の先行シングルとして発売された
同タイトル曲がロングセールスを記録した事がブレイクへの足掛かりを作り、
レコード会社・サンライズから「
売れるシングルを作れ」「この映像にきっちり合わせてくれ」という要請を受けた
小室が背水の陣で製作したのが、アニヲタにも馴染み深いアニメ版
シティーハンターの主題歌「
Get Wild」である。
「Get Wild」の大ヒットにより、その直後に発売された初のベストアルバム「Gift for Fanks」で初の一位を獲得。
人気バンドとしてブレイクした彼らは、その後も名盤と名高いアルバム「humansystem」をリリース。その地位を不動の物とする。
その後、1988年にリリースされたアルバム「CAROL」が彼らにとって初のミリオンセールスを記録。
この年に初の紅白出場も果たしている。
1990年、バンド名をTM NETWORKからTMNに改名。
直後に発売されたシングル「
TIME TO COUNT DOWN」とアルバム「
RHYTHM RED」では、
今でいう
DAWの先駆けであるシンクラヴィアの全面採用、
これまでのTMとは違うハードロック色を前面に押し出したアレンジによって、新しいTMの形を見せた。
しかし、1991年発売のアルバム「EXPO」とそれに関連したツアーを最後に、
小室はTMの「最初は売れてもその後が伸び悩み、世間に定着しない現象」を憂慮し、
小室がTM以外の可能性を求める為に以前から行っていた他アーティストへの楽曲提供&プロデュース活動・
小規模のクラブでのDJ・オーディションの審査員としての活動を
以前よりも活発に行う様になっていった為、徐々にTMの…というより純粋な表に出るバンドマンとしての活動の機会が少なくなっていく。
宇都宮「おいおい、それじゃTMのコンサートは何なんだよ」小室「シンセは生演奏より自動演奏が多い、僕はただ立っているだけで成立してしまう」
当時の小室は事務所との折り合いが複雑化していて、更に今までのTMに対して1993年当時の売れ線とは全くルーツが異なる世界観・情報展開の手法を引用した小室主導の企画にウツ・木根を安易に巻き込めないという配慮もあったのだが、もうちょっと言葉を選んだほうがよかったのでは…
そして1994年、シングル「Nights of The Knife」のリリースと東京ドームライヴを行い、TMNはその活動を「終了」した。
だがそれから五年後の1999年、木根と宇都宮が小室のイベントにゲスト出演し、TMの復活を発表。
名前を再びTM NETWORK名義へと変更し再始動したり充電期間に入ったりしたのだが、2018年に後述する小室の引退に伴い活動休止状態になった。
2021年10月、突如無観客ライブとして、「How Do You Crash It?」を隔月で全3回を有料配信する形で活動再開。
2022年7月、40周年を見越した有観客ライブツアー「FANKS intelligence Days」を長期間に渡って開催。
【メンバー】
小室哲哉(キーボード、シンセサイザー、プログラミング)
TMのリーダー兼プロデューサー。愛称はTK、またはてっちゃん(主に身内に近い面子から)。
彼の嗜好であるシンセサイザーを用いて作り込まれたデジタルサウンドの楽曲達は、デビュー当時から時代を先取りし過ぎていたという意味でも評価が高い。
デビュー時のマネージャーが
YAMAHAとちょっとつながりがあった為、コネを最大限に利用、以来今日まで続く関係を作った。
90年代前半から、現場で扱うシンセはRoland等に浮気して主軸にしてしまったのは内緒だ!
また、所謂「売れる音楽」作りを得意とし、90年代後半は彼のプロデュース曲がチャートの上位を席巻した。
そのBeing並の商業主義を隠そうともしない制作方針・
大人の事情が少なからず絡む楽曲制作エピソードを
明け透けに話す態度は嫌う人にはとことん嫌われた。
一部のラジオ局では小室プロデュースの曲は流さないというスタンスも取っていた。
その向こう側にある疲れた現代人に歩み寄る姿勢、音色・パート・リズムの職人・開発者としての拘りを嗅ぎ取り、惚れ込んだ人も多数いるのも事実。
しかし、2000年代以降の売り上げは低迷し、2008年には詐欺容疑で逮捕。
有罪判決を受けるも、この時ファンや業界関係者から減刑嘆願書が提出されており、ブームが去った現在でも根強い人気を証明している。
復活しソロ活動やTMNとしての活動が順調に進んでいたが、2018年初頭に不倫疑惑が週刊誌で報道され記者会見を行い突然の引退宣言。
小室自身もC型肺炎や突発性難聴などを患い自身の作曲活動に限界を感じていたとのこと。
その後は難聴の治療を続けながら、前々から関わっていた環境音楽制作の依頼を受けたのもあり、2019年から水面下で活動再開。
2020年夏からは表舞台にも立つ様になる。
ちなみに、TM時代を知らない人には温厚な人物と見られがちだが、ライヴではキーボードクラッシャーと化す。
後先考えない・
日本語の使い方がおかしい・身の丈に合わない発言が目立つが、
大体許されてしまうのも一ミュージシャンとしての腕前と機材に対する嗅覚のセンス故か。
宇都宮隆(ボーカル)
愛称はウツ。
美声の持ち主であり、またビブラートなどの小技を用いない真っ直ぐな歌い方が特徴。
楽曲製作には他の二人ほどは関わらず、専業ボーカリストとしての側面が強い。
TMの「終了」前のライヴやTV出演の際には、ファンから「体操」と呼ばれる独特の動きのダンスを披露していた。
また歌詞間違いも多い(2000年以降はウツにしか見えないディスプレイでのカンペで対応しているが、それでも間違える)。
レコーディングスタッフが口をそろえて「運動神経の塊」と評しており、ボウリングのスコアは250以上をコンスタントにたたき、特にトレーニングしてなくても息が切れず、ブレスの吸い方がうまいと言われている。
TKが男性ボーカリストをあまりプロデュースしないのは、ウツ以上のボーカルに出会えないからと言われている。
ちなみにソロワークスの中でアニメ系なものとしては、『
モンスターファーム~伝説への道~』の主題歌担当や、
Sound Horizonのアルバム・ライブ『
Moira』へのゲスト参加がある。
30代のころの好物は、ジャックダニエルと緑のたぬき。ほとんどこの2つしか食してなかった時期がある。
木根尚登(ギター、キーボード、コーラス、ヒューマン担当)
グラサンがトレードマーク。
TKのデジタルサウンドとは真逆のアコースティックサウンドの楽曲作りを得意とし、
彼の作るバラードには根強い人気があり、ファンからは「木根バラ」と呼ばれている。
SPEEDWAY時代から本分はキーボード・アコースティックギター…なのだが、
デビュー前の「絵的に地味」という小室の判断により
エレキギターを担当する破目になる。
サポートの腕が目立ち過ぎるため、ライヴでの真の役割は
エアギター・中間での寸劇。
しかしその弾くフリの演技はあのポール・マッカートニーすら欺く程の怪演であった。
2010年以降に一念発起、エレキギターの練習を開始。腕は相手に合わせることが出来るまでに成長、未だに伸び盛り。
ウツが歌詞を間違えた時・小室の突拍子もない発想の一番の犠牲者。
また『ユンカース・カム・ヒア』等の小説やTM回顧録『時計じかけの予言者たち』シリーズ等複数の著書があり、
処女作はTMの同名アルバム及びライブ内ストーリーを
ノベライズした『CAROL』(
アニメ化もされ、宇都宮がライブと同じ役を演じた)。
実家は水道の設備屋で、デビュー当時は屋号の刻印された車を乗り回しており、頻繁に小室邸に通っていたため、小室哲哉家ではしょっちゅう水のトラブルが発生していると近所から思われていたらしい。
【サポートメンバー】
小室みつ子(作詞家)
苗字は小室だが、メンバーの小室とは親族関係ではない。
彼女が詞を書いた曲が入っていないアルバムは「EXPO」と「SPEEDWAY」の二枚のみという程、TMの楽曲になくてはならない存在。
なお、初期のアルバムの作詞欄に見られる「西門加里(さいもん・かり)」もこの人。
小室みつ子版のGet Wildもある。
松本孝弘(ギター)
B'zのギタリスト。
過去に彼がサポートで参加したTMのライヴ映像でも、一度聴けば誰もが分かる自重しない彼のギターを聴く事が出来る。
浅倉大介(キーボード、マニピュレーター)
accessのキーボディスト、音楽プロデューサー。accessでの相方は後に
仮面ライダーとなった貴水博之。
その浅倉も
次回作のOPを小室と「PANDORA」なるユニットを組み作曲・編曲・歌詞を担当することに。
TKの弟子であり、師同様デジタルサウンドを得意としている。
また、彼がプロデュースをしていた
T.M.Revolutionの命名の際には、TMの名を冠する事に伺いを立てにも行っている。
葛城哲哉(ギター)
愛称は葛G。
B'zを結成した為、抜けた松本の後釜として参加したギタリスト。
前述のT.M.Revolutionの初期の活動などにも参加している。
現在でもTMサウンドを支え続ける第四のメンバー的存在であり、一時期は木根よりコーラスが多かったりする。
阿部薫(ドラム)
デビュー以前からTMに関わってきたサポートメンバーの一の古株。ライヴにはCAROLツアーから参加。
TMのサポートが縁でB'z、access、
globeなどにも参加し、現在は及川光博のライブに毎年参加している。
またサブで写真撮影も手掛けており、宇都宮の参加した『Moira』コンサート版等でフォトグラフィー担当となっている。
【特徴】
キーボードを主軸にした電子音楽を主軸にしつつも、フォークソング・ファンク・
プログレッシブ・ロック・ハードロック・ハウス・トランス・EDM等
その時代に合わせつつ、時に自身のルーツを垣間見せ、時に時代の少し先を行く感覚でジャンルを悠々と渡り歩く姿勢を持っている。
そのため、松任谷由美女史が40周年関連の公演で数年ぶりにTMの3人に会った際に「伝説のテクノポップユニットと再会」と銘打たれた時はちょっとした物議をかもした。
ライヴでは原曲が形を留めない程にアレンジされる…
いや、初めてのツアー「ELECTRIC PROPHET」で披露された「1974」の時点で、
もう「アレンジ」という生易しい言葉では済まない「
魔改造」とも呼ぶべき編曲が施されている。
もっとも、この手法はメンバー・スタッフの自発的な開発によるものではなく、
サンプラーのデータの読み込み時間でどうしても曲間に空白ができてしまい、「それにどう辻褄をあわせるか」
という所から始まったのだが、それを念頭にいれても、隙の無い出来栄えである。
興味を持った方は「CAMP FANKS!! '89」、「WORLD'S END Rhythm Red Live」、「EXPO ARENA FINAL」、
「FINAL MISSION -START investigation-」「the beginning of the end」、
「QUIT30」「HUGE DATA」「30th FINAL」「How Do You Crash It?」「FANKS intelligence Daysシリーズ」辺りを見て頂きたい。
終了時・吉本に所属していた時期のライヴは大人の事情でその辺が微弱なので注意。
手っ取り早く知りたい方はライヴアルバム「TMN COLOSSEUM I・II」を聞いてみよう。
(もちろん、まずは原曲を知ってから)
また舞台演出面でも並々ならぬ情熱が見受けられる。
初めてのツアーでも「観客の体調に差し障る」というスタッフの忠告を押し切りレーザーライトを導入。
ステージ上の煌びやかさを備えさせると同時にTMの代名詞となった。
2度目のツアー「DRAGON THE FESTIVAL featuring TM NETWORK」では、当時日本に数台しかなかった照明装置・ムービングトラスを採用。
動員は全館満席にもかかわらず、1500万円の赤字を出した。
全盛期にはサラウンドシステムが搭載されたスピーカーを積極的に導入して、大規模のステージでの音響面の向上に貢献。
まだ「5.1ch」なんて言葉すらない時代に音が空中を舞っていたのである。
「EXPO Tour」ではバンドメンバーに「DJ」と名乗る人もいない時期にターンテーブルを導入。
スクラッチを披露しながらも、2000年代のクラブでは当たり前になるミキサーによる即興リミックスを既に志していた。
服装?体操?世界観が体現されてるとは思う。
「MAJOR TURN-ROUND」では採算度外視でインターネット経由で新曲の発表、UMUガラスでメンバーより新曲と映像に集中させた。
「QUIT30~HUGE DATA~30th FINAL」ではLEDスクリーンを導入、事前に制作した映像とメンバーの生演技をシンクロさせた。しかも、それをU2より先んじて行った。
「How Do You Crash It?」では世界で誰もライブに使用していない照明システムを起用し、「FANKS intelligence Daysシリーズ」で更に独自の改造を施した。
ぶっちゃけTMに限らず小室が主催するライブは
「入場料収入・グッズ売上だけでは到底まかなえない」と小室自身も認めているのだが、金の出所はどうなっているのか?
【代表曲】
ミニアルバム「TWINKLE NIGHT」収録曲。
初期のライヴでは必ず演奏されていたTM初期の代表曲。
Get Wildに並ぶ代表曲。
この曲でTV出演した事で知名度が上がり、後の大ヒットへと繋げた。
アルバム「Self Control」収録曲。
「木根バラ」の代表曲。
説明不要のTMの代表曲。
アニメシティーハンターと言えばこの曲。
アルバムバージョンやリミックス、セルフカバーなどのバージョン違いや他のアーティストのカバーなどが膨大に存在する。
遂にはレーベルの域を超えたバージョン違いを集めたアルバム「Get Wild Song Mafia」が発売された。
それでも押さえられていないバージョンもあるが
アルバム「humansystem」収録曲。
TMファン以外には無名の楽曲だったが、某女性歌手のカバーによって、TMファン以外にも広く認知されている。
アルバム「humansystem」収録曲。
トルコ行進曲のメロディを引用したバラード。
映画「ぼくらの七日間戦争」主題歌。
1988年の紅白歌合戦出演時選ばれた曲。ちなみにこの時の紅白は合法的に無料視聴出来る。
「88 Final Mega-Mix」としてアレンジされ、紅白としては珍しくフルコーラスかつ約6分のロングバージョンとして披露された。
アニメシティーハンター2主題歌。
こちらも「木根バラ」として有名な楽曲。
- THE POINT OF LOVERS' NIGHT
通算21枚目にしてシングルでは初の一位獲得曲。
アルバム「RHYTHM RED」からのリカットシングル。
電気グルーヴとのコラボバージョンが存在し、それが彼らのメジャーデビュー作品となっている。
ロックスターと彼女の一夜を切り取ったCDドラマ…なのだが本格的なハウス・時代を感じる台詞のセンス・
棒読みと違和感を覚える為
賛否両論。
TM活動「終了」前の最後のシングル。
ラストライヴでも披露され、終わりではなく始まりを感じさせる前向きな歌詞にファンは涙した。
追記・修正は金色の夢を見て、16歳のあの頃の気持ちを思い出してからお願いします。
- 宇都宮さんの歌唱力は素晴らしい!木根さんのギターテクニックも素晴らしい!ゲットワイルドが好きだ! -- 名無しさん (2013-12-11 17:48:07)
- 歌詞には「TMイズム」とでも言うべき独特な雰囲気があるよな。いい大人達を子どもに戻すような魔力があるというか…。 -- 名無しさん (2013-12-11 18:57:46)
- 30周年おめでとうございます。 -- 名無しさん (2014-04-21 20:26:55)
- タグのコンサート演出に対してのことを中心に、少々追記しました。 -- 名無しさん (2015-05-26 14:52:32)
- •Fool On The Planetの続編がNights of The Knifeだとか -- 名無しさん (2016-06-02 06:33:45)
- ゲームを知ってる人はどれくらいいる…? -- 名無しさん (2017-04-06 22:14:58)
- ↑ゲーム持ってました。ファミコン持ってない当時の知人がやってみたいと言っていて偶々中古で見つけて遊んだ記憶。今も持ってるはずだけどどこに仕舞ったかなあ。あ、2024年になりまして遂に40周年です。おめでとうございます -- 名無しさん (2024-05-21 10:44:14)
最終更新:2025年04月21日 23:32