三井グループ

登録日:2011/06/26(日) 21:32:43
更新日:2025/08/24 Sun 12:58:07
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三井グループ」は、戦前の三井財閥の流れを汲む日本の企業グループ。




【■概要】

元は三井家によって形成された日本最大の財閥で、戦後も六大企業グループの一つとして現在も日本経済に多大なる影響を与えている。

戦前の三井財閥のようにグループ全体を統括する持株会社や銀行を中心とした強力な資本関係は存在せず、旧三井財閥を起源とする独立した会社同士の集合体である。

創業の地である日本橋室町には三越を筆頭に三井関連の施設が集積しているが、三菱や住友のような俗称は存在しない。

【■特徴】

戦後の再結集が三菱住友よりも遅れたため、三井グループは表面上あまり結束が強くないと言われることが多い。
しかし表に現れない部分での結束は未だ残っており、三井系列企業経営層専用のクラブ、そして三井記念病院にも経営層クラス専用の特待病室がある。

グループの新陳代謝も活発であり、三井グループ加盟の企業の中では、三井の名前を冠さない三井傍系の大企業が多数あり、それらと直系との強い結びつきを模索する動きが見られる。

【●歴史】

三井の根元は平安時代まで遡る。
出は(ぶっちゃけ誰もがそうだが)藤原氏の末裔と言われ、近畿佐々木家の家臣となる。
佐々木家没落の後伊勢の松坂に移住して質屋・酒屋を営んだ。

そして…

時は延宝の世…

1673年に三井高利(名前が既にアレ)が創業した三井越後屋呉服店(現在の三越)を創業したのに始まる。

みんなも小学校で勉強したはずだ。

『現銀(金じゃない)掛値なし』

これは『掛値(実際の売値より値段を高くつけること)をしないから今ここでナマで払え』

という意。

今までは売値を少し高くして貸付という形で代金を回収していた。
今では当たり前だが当時としては画期的で、この薄利多売戦略は大成功。
その後江戸・大坂(今の大阪)に両替商を開業し、幕府の御用商となる。
また営業政策も、分業制・賞与制を導入するなど積極的に新機軸を打ち出した。

彼は1694年に死去するが8万1000両とも言われる莫大な財産を残し、三井家繁栄の礎を築いた。

その後、明治維新を迎えると政商として常に権力に密着。
商売敵である新興の三菱・古河を抑え、また元老井上馨の援助を得、財閥を着々と形成していく。
しかし、第二次世界大戦敗戦の後、GHQの財閥解体により三井系企業はバラバラになり、同時に三井家と企業も切り離された。
その後GHQは去り、主権が日本に戻るが、同じ旧財閥の三菱グループ・住友グループに比べて再結集が遅れた上に本来中核となってグループに資金供給をすべき三井銀行が帝国銀行の分裂によって規模が縮小してしまったり高度経済成長期の重化学工業化に乗り遅れたことが重なって戦前に比べその相対的な地位は低下した。

それでも三井系企業は三井銀行を中心に再結集を図る。
政府は過度経済力排除法などにより防ごうとしたが、他の旧財閥系企業と共に政治家への献金などで骨抜きにし、見事、三井グループとして再スタートを切った。


【■グループ内組織、呼称】

  • 御三家
かつては旧三井銀行・三井物産・旧三井鉱山の三社が「三井グループ御三家」と呼ばれていた。
戦後は三井本社を吸収合併した三井不動産が、旧三井鉱山(現在の日本コークス工業)に代わり、さらに三井銀行の流れを汲むさくら銀行が最終的に住友銀行と合併したことで、三井住友銀行・三井物産・三井不動産の3社が「三井新御三家」となった。

  • 二木会
1961年に発足したグループ企業の会長・社長を集めて行う懇談昼食会を活動の中心としている。
読みは「にきかい」ではなく「ふたもくかい」で、毎月第2木曜日に開かれるのでこの名が付いている。
母体は財閥解体で緩みかかったグループの連帯維持を目的に設けられた「月曜会」。

  • 月曜会
三井グループ各社の役員間の相互親睦と情報交換を目的とする会合。
月曜日に会合が行われていたためこの名がある。
二木会の母体だが、二木会発足後も存続している。

  • 三井広報委員会
三井グループの広報を目的としている。

  • 三井業際研究所
二木会の直属機関として1978年に設立され、業種の枠を超えた「異業際分野における知識集団としての機能を果す」事を目的にしている。

  • 綱町三井倶楽部
グループ企業の課長クラス以上の役職員・OBの親睦を図る目的で設立された会員制クラブ。
グループの迎賓館として使用していた同名の歴史的建造物を拠点としている。

  • 三井文庫
三井文庫本館と三井記念美術館からなる公益財団法人。


【●主な所属企業】

○『三井』がつく企業

  • 三井物産
新御三家。二木会、月曜会、三井広報委員会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
四大総合商社の一つ。
通称『物産』と呼ばれる。売上では『商事』に劣るが、人の三井と組織力の…と言われる。
同時に三井グループの中核企業の一つでもある。

  • 三井不動産
三井でふふふ

新御三家。二木会、月曜会、三井広報委員会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
三井グループの総合不動産デベロッパー。
財閥解体により清算中の三井本社を合併したので一応三井の本流
日本初の超高層建築、霞が関ビルを所持を筆頭に高層建築を多数保有しているほか、日本初の都市型ショッピングセンター「ららぽーと」や「三井アウトレットパーク」等も運営する。
2021年からは東京ドーム(運営会社)も同社の傘下となっており、これが回りまわって読売ジャイアンツ本拠地の築地移転計画(噂レベルだが)にたどり着くこととなった*1

  • 三井住友銀行
新御三家。月曜会、三井広報委員会、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
三井銀行→さくら銀行(旧名:太陽神戸三井銀行)→三井住友銀行
三井住友フィナンシャルグループ(以下SMFG)傘下の大手都市銀行。三菱UFJ銀行、みずほ銀行と並ぶ3大メガバンクの一角。
実は三井銀行時代は旧財閥系の銀行の中では最弱の銀行だった。
そのため、さくら銀行発足初期は行内の三井派が主導権を取れずにいた。
三井住友銀行もどちらかといえば住友色の方が強い。
日本野球機構とパートナー契約を結んでおり、2014年からはプロ野球日本シリーズの冠スポンサーとなっている。

  • 三井住友カード
月曜会、三井文庫加盟企業。
上の三井住友銀行と同じ系列(三井住友フィナンシャルグループ)に属するカード会社。
こちらも住友色が強い。VISAカードを日本で初めて導入したことで有名。
ここが発行する三井住友VISAカードはどえらいコピペが有るほど最強だとか。気になる方はググってみては。CMも結構しっくりくるよね。
自社だけではなくANAカードの発行を始め、他の銀行のVISAカードと運営支援を主導するなど銀行系カード会社の盟主としても活動している。
実はVISAだけでもなくMasterCardや銀聯(Union Pay)も扱っており、Amazonカードもここの連携カードである。

  • 三井造船→三井E&S
二木会、月曜会、三井広報委員会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
船舶用ディーゼルで世界トップ。
船を造るノウハウを応用して家も造る。

  • 三井住友信託銀行
月曜会、三井業際研究所、三井文庫加盟企業。
住友信託銀行と中央三井信託銀行・さくら信託銀行が合併。信託銀行でも住友と一緒になった。
信託業務は邦銀第1位、銀行業務で邦銀第5位の規模を誇る。
三井住友銀行やその系列のSMBC信託銀行とは関わりが薄い...どころか経営的にもほぼ繋がりが無いため、双方が競合相手と見做している*2

  • 商船三井
二木会、月曜会、三井広報委員会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
海運会社。
日本郵船と並ぶ代表的定期船会社。ここも旧住友系の大阪商船と合併している。
基本は貨物船の運行主体だが、大阪商船由来のクルーズ船部門や商船三井由来の国内フェリー部門(さんふらわあ)もある。

  • 三井化学
二木会、月曜会、三井広報委員会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
総合化学会社。
国内二位。ちなみに一位は永遠のライバル、三菱化学。

  • 三井金属鉱業
二木会、月曜会、三井広報委員会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
総合非鉄金属会社。
液晶の普及によりガッポガッポ。
採掘から精製まで一貫生産している。
神岡鉱業所は東洋一。

  • 三井住友建設
二木会、月曜会、三井広報委員会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
家憲として建設業に参入しなかった三井家が、昭和になりやっと重要性に気が付き設立。
霞が関ビルの設計・施行に取り組む。
その後住友建設と合併。

  • 三井住友海上火災保険
二木会、月曜会、三井広報委員会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
元業界三位。
ここも住友海上火災保険と合併。
三井住友海上プライマリー生命保険」社もあり、こちらは月曜会にのみ加盟。

  • 三井倉庫
個人向けの引っ越し業もやっている。
ホールディングス」と「ロジスティクス」の2社があり、ホールディングスは二木会、月曜会、三井広報委員会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫全てに加盟しているが、ロジスティクスは月曜会にのみ加盟。

○『三井』が付かない会社

  • IHI
旧称:石川島播磨重工業
二木会、月曜会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
名前変えたのは正解だったと思う。
石川島(ryはなんか田舎臭いし。
ジェットエンジン造ったりいすゞ自動車を生んだりしてる。
なのにいすゞ自動車は三井グループじゃない。
…気にするな。
同じグループの東芝と仲良し。

  • 王子製紙
月曜会加盟企業。
国内最大売上高の総合製紙会社。
戦前は一時紙生産の80%を占めたこともある。

  • 三機工業
二木会、月曜会、三井広報委員会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
総合建築設備会社。
新大阪ホテルや虎ノ門病院造ったり。
ゴミ焼却処理施設も造れます。

  • 大樹生命保険
月曜会、三井広報委員会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
大手8社の一角。
しかし日本生命傘下になったことで、三井グループには留まるも「三井」の名前を使い続けることができなくなり、2019年から現在の社名となった。

  • 太平洋セメント
二木会、月曜会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
国内シェア40%で業界最大手。

  • 東芝
二木会、月曜会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
エネルギーシステム、インフラシステム、電子機器、デジタルソリューションまで執り行う総合電機メーカーで、かつては家電からミサイル、果ては原発まで手掛けた。
2015年の不正会計事件をきっかけに経営危機に陥って大規模な事業再編が行われたが、2017年に電池事業などの部門を除いて各事業の分社化・子会社化が完了。

  • 電気化学工業
昔から肥料造っているけど、最近はセラミックスとかも造っている。

二木会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
自分でトヨタグループを形成するほど強大なので二木会ではオブザーバー。
元々は三井財閥とは無関係だったが、戦後すぐに経営危機に陥った際に三井銀行(当時は帝国銀行)と東海銀行が融資をして救済した。
これにより6大グループの中でも三井と特に親密になる。
ちなみに住友銀行(当時は大阪銀行)は貸し剥がしをして、トヨタは未だに恨んでいる*3
後に、さくら銀行が危機に陥ったときには恩返しとしてトヨタグループが資金を融通している。
そのため、三井住友銀行の成立時にトヨタは悶々としたらしい。

  • 東レ
二木会、月曜会、三井広報委員会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
旧称東洋レーヨン。
合成繊維メーカー。
人工腎臓とかの医療にも強い。
ボーイング787用のカーボンファイバー材も作っている。

  • 日本製紙
二木会、月曜会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
紙、パルプの最大手メーカー。

  • 日本製粉
業界二位の製粉会社。

  • 三越伊勢丹ホールディングス
二木会、月曜会、三井広報委員会、三井業際研究所、綱町三井倶楽部、三井文庫加盟企業。
越後屋呉服店の進化形態で、日本最初のデパートメントストアである。
2008年に伊勢丹と合併し「三越伊勢丹ホールディングス」となった。

○準三井系企業

  • TBSホールディングス
東京・赤坂に本社を構え、JNN/JRNのキー局(TBSテレビ/ラジオ)傘下に置く持ち株会社。
二木会、月曜会、三井業際研究所、三井文庫に加盟。
かつては「兼高かおる世界の旅」や平日朝のドラマ再放送(または夏休みアニメ大会)枠でスポンサーを務めていた。
ドラマ「半沢直樹」の舞台となる東京中央銀行の本館ビルは、三井本館を外観として使用している。

  • サッポロ
お馴染みビールメーカー。
サッポロホールディングス」と「サッポロビール」の2社があり、ホールディングスは月曜会に加盟しててビールの方は広報委員会と月曜会のみ加盟してる。

  • トーメン
旧称:東洋綿花
総合商社。
元々綿花を扱っていたが経営の多角化により総合商社に進化。

  • 東燃ゼネラル石油
総合石油会社。
米エクソン系。

○三井グループと親密な企業

系列ではないが三井グループと親密な企業。

イトーヨーカドー、セブンイレブンなどで知られる流通グループ。
グループそのものは独立したものであるが、商品開発や流通ルートなどで三井グループと関係が深く、実質的な「三井グループの小売部門」的な存在。

  • ソニー
こちらも企業グループ自体は独立したものであるが、創業時からメインバンクが三井銀行(現・三井住友銀行)であり、歴代の三井銀行重役が取締役に就任しているなどで関係が深い。






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最終更新:2025年08月24日 12:58

*1 築地市場跡地の再開発を同社が手掛けることが決まり、計画内で多目的スタジアムの建設が発表されたため。

*2 クレジットカード部門は三井住友カードに運営を委託している。

*3 トヨタと住友銀行の関係を語る上で有名な「機屋に貸せても、鍛冶屋には貸せない」の発言はその時に住友銀行の担当者が言い放ったもの。経営危機から15年後の1965年、経営危機に陥ったプリンス自動車の救済を住友銀行から持ち掛けられたトヨタは、先述の発言を引き合いに出し「鍛冶屋の私どもでは不都合でしょうから」と答えて拒否している。なお、この発言の結果名古屋財界で「住友はいざという時当てにならない」という風潮が広まってしまい、自業自得とはいえ同地における住友銀行の苦戦を招くことになった。