プロ野球日本シリーズ

登録日:2022/10/17 Mon 19:30:56
更新日:2025/03/28 Fri 23:39:58
所要時間:約 40 分で読めます





予測不能、日本最高峰の決戦

ボクも、戦う。


プロ野球日本シリーズとは、毎年秋に開催されるプロ野球(NPB)の日本一決定戦である。

正式名称は「プロ野球日本選手権シリーズ」(1953年までは「日本ワールドシリーズ」)。

本項では二軍の日本シリーズに相当する「ファーム日本選手権」についても記述する。


概要

2リーグ制に分裂した1950年以降、セントラル・リーグとパシフィック・リーグの優勝チームが日本一の座をかけて争う。
かつてはレギュラーシーズン優勝チーム同士の対決だったが、クライマックスシリーズ(CS)が導入された2007年以降は2位や3位のチームが優勝チームを倒して下克上する番狂わせが起きる年もしばしばあり、必ずしも優勝チームが出場するとは限らなくなっている*1
戦後に始まったこともあり、現在に至るまで中止になった年はない。

2005年~2013年の間は、勝者がさらに「アジアシリーズ」(2009年・2010年のみ「日韓クラブチャンピオンシップ」)に日本代表として参加していた。

各球団の略称は以下の通り。本項では前身球団も同一カウントするが、松竹と近鉄は傍系という観点から基本的に個別のチームとして取り扱う。
登録名や球場名なども基本的に開催当時のもので表記する。
※巨=巨人、神=阪神、中=中日、松=松竹、横=横浜、De=DeNA、ヤ=ヤクルト、広=広島、オ=オリックス、南=南海、ダ=ダイエー、ソ=ソフトバンク、西=西鉄→西武、映=東映、日=日本ハム、毎=毎日・大毎、ロ=ロッテ、楽=楽天、洋=大洋、急=阪急、近=近鉄


日本シリーズまでの道のり

クライマックスシリーズ 日本シリーズ
(7戦4勝制)
ファーストステージ
(3戦2勝制)
ファイナルステージ
(6戦4勝制、1位は1勝のアドバンテージ)
JERA クライマックスシリーズ セ SMBC日本シリーズ
ビジター セ・リーグ3位チーム ファーストステージ勝利チーム セ・リーグCS優勝チーム
ホーム セ・リーグ2位チーム セ・リーグ優勝チーム
パーソル クライマックスシリーズ パ vs
ビジター パ・リーグ3位チーム ファーストステージ勝利チーム パ・リーグCS優勝チーム
ホーム パ・リーグ2位チーム パ・リーグ優勝チーム


クライマックスシリーズ(CS)

2007年以降はAクラスによる3チームが出場し、ステップラダー方式(2ステージ勝ち抜き制)で実施され、日本シリーズ出場権を争う。
詳細は当該項目を参照。


プレーオフ(PO)

2006年までは主にパ・リーグでプレーオフ(PO)が実施された年がある。CSとは違って優勝決定戦の意味合いも持っており、当時は年間勝率に関係なくPOに勝利したチームがそのままリーグ優勝だったのが最大の特徴。
こちらも詳細はCSの項目を参照。


ルール

SMBC日本シリーズ
第1戦 第2戦 移動日 第3戦 第4戦 第5戦 移動日 第6戦 第7戦 (第8戦) (移動日) (第9戦) (第10戦) (第11戦) (第12戦) (第13戦) (第14戦)
偶数年 セ球場 パ球場 セ球場 (パ球場) 第10戦以降は実例がないので不明。
奇数年 パ球場 セ球場 パ球場 (セ球場)
こうしてPO→CSが決着した後、主に10月下旬に行われる。ただし、諸事情から10月上旬に前倒しされたり、あるいは11月にずれ込んだりした例もある。
基本的に7試合が実施され、先に4勝したチームがその年の日本一となる。CSと同じく決着がついた場合は残りの試合は行われない。
引き分けやコールドが生じて第7戦までに決着がつかない場合、翌日にその球場で第8戦を行う。それでも4勝にならない場合は移動日を挟み、もう一方の球場で第9戦を行うことになっている。
第8戦以降は延長無制限で行われることから何らかの理由でコールドにならない限りは基本的に必ず勝負がつくため、理論上は最長第14戦まで発生し得る*2
実際に第8戦が行われたのは1986年が唯一であり、第10戦以降は実例がないので具体的なルールは決められていない。
このことは2010年に中日をリーグ優勝・日本シリーズ進出に導いた落合博満監督からも指摘された。

使用球場は1954年以降、西暦が偶数の年はセ・リーグ、奇数の年はパ・リーグのチームがそれぞれ第1・2・6・7戦をホームで行い、第3戦~第5戦はビジターになる(上記の表を参照)。
開催地を移動する第2・3戦目および第5・6戦目、引き分けなどが絡んだ場合の第8・9戦目の間には移動日が設けられている。これは当該本拠地同士がどれだけ近距離であっても同様である。
出場2チームの本拠地が離れていて当日移動が難しいと判断された場合は移動日を設ける場合があるが、実現した例はない。
雨天などで試合中止になった場合は2006年までは移動日を含めた全日程が順延していたが、2007年以降は第5戦までの試合が中止になった場合は第5・6戦目の移動日がなくなるようになっている*3
なお「順延」であるため、試合のチケットは開催日ではなく「第◯戦」の表記が有効となる。
オールスターゲームと同様に規定上は収容人数3万人以上の球場での開催が条件になっているため、設備や他のイベントとの関係で本拠地以外の球場で開催されることもしばしばある。

レギュラーシーズンやCSと異なり、主催はNPBが担当。
2011年以降は冠スポンサーが付くようになり、2011年~2013年は『パワプロ』でおなじみのコナミ、2014年以降はNPBパートナーである三井住友銀行(SMBC)がスポンサーを担当している*4

かつては各チームの本拠地が全て屋外球場であり、季節的に寒くなり出すこともあって1993年までは平日を含めた全試合がデーゲームで実施されていた(1964年のみ全試合ナイター)。
当時のプロ野球は国民的人気だったこともあり、学校の授業中に先生までもグルになってこっそり見た人も多いと思われる。
しかし、平日のデーゲームでは会社や学校を休まなければ観戦もままならず、視聴率や収益面の兼ね合いもあってか1994年は平日開催試合のみ試験的にナイターを実施し、1995年以降は曜日を問わず全試合ナイターに移行した。
もっとも、近年は現地観戦者への配慮から土休日だけでもデーゲームに戻してほしいとの声も上がっている。

出場可能な選手はレギュラーシーズンの延長線上にあるCSとは違い、第1戦の2日前までに提出した最大40人の「出場有資格者選手」の中から試合ごとにベンチ入りメンバーを26人選出する。一度公示されると変更することはできない。
通常の出場選手登録とは別の扱いのため、「引退選手特例」で抹消された引退選手の登録も可能。
予告先発は両監督の間で合意がなされた場合に行われるが、セ・リーグにも予告先発制度が導入された2012年以降に予告先発なしで行われたシリーズは2015年・2017年・2021年*5の3例と少なく、実質的にはほとんどのケースで使用されている。

2018年以降、第7戦までは延長12回、引き分けなどが絡んだ場合に起こる第8戦以降は無制限で行われる。
かつては最長で延長18回までの上限があり、1986年までは時間制限もあって過ぎた場合はそのイニングで終了した。
ダブルヘッダーやサスペンデッドゲームの適用はない。
指名打者制は1985年に初めて採用され、阪神の弘田澄男がセ・リーグ初の指名打者として出場。当初は1年ごとに採用と不採用を繰り返す規定だったが、1987年以降は年に関係なく交流戦と同様にパ・リーグ球場で採用されている。ただし、2020年はコロナ禍の影響を考慮し、1985年以来となるセ・リーグ球場も含めた全試合で採用された。
CSと同様に審判は外審も含めた6人制で行われる。

CSにも言えることだが、短期決戦であるがゆえに総合的な戦力よりも運や流れで決まることの方が多いとされる。
また、特に野手ではシーズン中は出番の少なかった選手が意外な活躍を見せる「シリーズ男」の登場もある一方、リーグ優勝に貢献しながらシリーズではブレーキになってしまう「逆シリーズ男」が生まれてしまうこともあり、短期決戦特有の難しさがあるとも言われる。

試合終了時にはまず勝利監督インタビューが行われ、その後に通常のヒーローインタビューが行われることが多い。
日本一のチームが決まると、リーグ優勝の時と同様にベンチやブルペンから選手たちが一斉に飛び出してマウンドで歓喜の輪ができ、監督の胴上げが始まる。チームによっては胴上げ投手をはじめとする一部の選手やオーナーに対しても行われることがあり、その年限りで引退する名選手がいる場合には両チーム総出で送り出すこともある(例:2019年の阿部慎之助)。

なお、日本シリーズに出場したチームは第2次戦力外通告の期限が4日間延長される。


表彰

CSと同じく表彰制度が設けられている。勝利チームからMVPが選出されるのは同様だが、日本シリーズではこれに加えて1953年以降は敗戦チームからも敢闘(選手)賞が授与される。
その他、スポンサーを迎えた2011年以降はコナミやSMBCからの特別賞が授与されることもある。

  • 最高殊勲選手賞(MVP)
賞品はトロフィーと賞金700万円。1954年~2006年は乗用車が贈呈され、基本的にトヨタ自動車製だが広島が勝利した1979年・1980年・1984年はスポンサーの関係でマツダから贈呈された。
原則としてチームの日本一に最も貢献した1人が選出されるが、1962年のみ土橋正幸・種茂雅之のバッテリーがダブル受賞した。
最多の表彰者は4回受賞した長嶋茂雄(1963年・1965年・1969年・1970年)。最年少受賞者は1958年の稲尾和久(21歳)、最年長は2011年の小久保裕紀(40歳)である。

  • 敢闘(選手)賞
賞品はトロフィーと賞金100万円。1953年から制定され、敗戦チームで最も活躍した1人が選出される。4勝3敗など接戦で決着した際は仮に優勝していた場合のMVPという側面もある。
これは4戦ストレート負けであっても例外ではなく、「該当者なし」は一度も例がない。
唯一の例外として1956年の巨人は2勝4敗ながら選出されず、勝利した西鉄の稲尾和久が受賞した。
最多の表彰者は3回獲得した足立光宏(1967年・1972年・1978年)。最年少受賞者は1956年の稲尾和久(19歳)、最年長は2012年の稲葉篤紀(40歳)である。

  • 優秀選手賞
賞品はトロフィーと賞金100万円。一定の成績を残した3人の選手に授与される。
配分は試合展開によって異なり、基本的に4勝3敗決着であれば勝利チーム2人と敗戦チーム1人、ストレート決着であれば勝利チームからのみ3人選出されるが、4勝2敗・4勝1敗決着の場合は各試合の展開によって配分が変わる。
1979年までは「打撃賞」「最優秀投手賞」「技能賞」など部門ごとに分かれていた。


放送・配信

地上波では全試合が民放の全国ネットで試合終了まで放送される。当初はNPB側が推奨したテレビ局に直接放送を交渉するという方式を取っていた。

しかし、2010年には第1・2・5戦の3試合で地上波全国放送が見送られる事態が起こった。
これは、当時すでにプロ野球中継の大半がローカル放送または衛星放送に移管したことで関東地区での視聴率が望めなかったことや、テレビ局側が他番組を編成していたので動かせなかったのが理由とされる。
視聴者側にも「後番組がいつ始まるか不明なので迷惑」というイメージが定着していたことに加え、局側からすると「ゴールデンタイムに視聴率が見込めず、終了時間もわからない特番を編成する」ことになるので*6、日本シリーズを放送すること自体がかなりハイリスクになっていたと言ってもいいだろう。

そのためNPBは2011年以降、広告代理店経由で放送を交渉する方式に変更。前述の冠スポンサーを設け、そのCMを多数流すことで何とか放映枠を確保して現在に至っている。
もっとも、上記の不満が解消されたわけではないことに加えて、視聴率も2桁に達するのは後半以降という傾向があるため、現行の方式も今後どうなるか正直厳しい状況でもある。

テレビ局の編成都合で試合開始時間が変更された例もあり、2011年の第1戦はフジテレビがゴールデンタイムに「ワールドカップバレー2011」を中継するため、17年ぶりのデーゲームでの開催になった。
2016年の第5戦も試合開始時刻が30分早い18時からの開始になったが、これは中継するテレビ朝日が後番組に『ドクターX 〜外科医・大門未知子〜』を放送するため、延長時の時間確保が目的とされる。

なお、NHKでの放送は1990年代までは地上波総合テレビで実施した例もあったが、民放の全国ネットワークが一通り完成したこともあり、現在はBSのみで放送されている。

一方、ネット配信の対応については消極的で、初めて実施されたのが2016年とかなり遅い。
ネット配信はTVer含めた民放系のみでの実施で、公式戦を配信しているDAZNやパ・リーグTVでの配信もない。
そのためメジャーリーグ(MLB)やJリーグと異なり、放映権が一括管理されていないゆえの弊害と見る向きもある*7

CSと同様に中継では通常の野球解説者に加え、出場しないチームの選手や監督・コーチがゲスト解説として登場することも多い。


各年の結果

ここでは、各年の見どころを10年ごとに分けて紹介していく。
1975年2005年2007年2010年2013年2014年2016年2023年2024年は別記事ができているのでそちらも参照。

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いずれも「セ・リーグ - パ・リーグ」の順に表記し、太字は優勝チーム。
球団名・球場名・選手名などは開催当時のもの。











記録

チーム別記録


最多の優勝チームは巨人の22回。次いで西武の13回・ソフトバンクの11回と続き、出場回数の面でもこの3チームがダントツのトップ3である。
逆に少ないのは2013年の1回のみの楽天で、次いで中日・阪神2回ずつ、広島・日本ハム・DeNAが3回ずつと続く。セ・リーグは巨人以外の5球団を合わせても16回と遠く及ばず、パ・リーグもソフトバンク以外の4球団を合計しても西武の13回と同数であるため、どれだけ上位3チームが突き抜けているかが分かるだろう。

2022年にオリックスが勝利したことにより、21世紀になってからパ・リーグ全球団が日本一を達成。逆にセ・リーグは広島が未達成で、最後の日本一が1984年と唯一の20世紀である。DeNAも2024年に日本一を達成したが、12球団で唯一21世紀のリーグ優勝も未達成である。
また、西武は最後の出場が2008年と12球団で最も古く、従ってパ・リーグに限っても最古の日本一である。さらに、楽天は日本一になった2013年が唯一の出場であるため、12球団で唯一敗退がない。

それでも、消滅した近鉄に代わって結成された楽天が2013年に頂点に立ったことにより、現存12球団は全て日本一を経験しており、これはMLBにもない記録である*31。さらにパ・リーグは史上初めて同一年号中(平成)に全球団が日本一を経験しており、2023年に阪神が2度目の日本一に輝いたことにより、最も歴史の浅い楽天以外の11球団が日本一を複数回経験したことになった。
過去には松竹が一度・近鉄が4度日本シリーズに出場したが、結局一度も日本一になれないまま大洋・オリックスとの合併により球団消滅。特に後者は合併以降もリーグ優勝すら遠ざかっており、上記のように18年経った2022年に初めて「バファローズ」が日本シリーズを制した。
また、西日本・大映・高橋に至ってはリーグ優勝すら果たせないままロッテ・西鉄と合併する形で球団消滅となっているため、当然ながら日本シリーズへの出場経験はない。

ちなみに、連覇の最長は巨人の9年連続(1965年~1973年)。パ・リーグではソフトバンクの4年連続(2017年~2020年)が最長記録だが、こちらは2年連続2位を含むことから完全優勝という点では阪急(1975年~1977年)・西武(1982年~1984年、1990年~1992年)の3年連続が最長である。
逆に日本一のブランクが最も長いのは中日の53年(1954年~2007年)。パ・リーグでは日本ハムの44年(1962年~2006年)が最長である。


リーグ別記録

リーグ 日本一回数 敗退回数 直近のリーグ優勝
(2リーグ制後)
直近の出場
(対戦相手)
直近の日本一
(対戦相手)
セ・リーグ 38回 37回 巨人
(4年ぶり39度目)
2024年のDeNA
(ソフトバンク)
パ・リーグ 37回 38回 ソフトバンク
(4年ぶり20度目)
2024年のソフトバンク
(DeNA)
2022年のオリックス
(ヤクルト)
2024年現在のリーグ別成績は38勝37敗でセ・リーグがリードしている。第1回の1950年をパ・リーグが制し、1959年に2度目のタイになって以降は長い間セ・リーグが勝ち越しており、巨人が「V9」を達成した1973年には17勝7敗で初の貯金10に到達。その後も2003年まで5回記録しており、2002年は史上最多となる11もの貯金(32勝21敗)があった。
だが、この年から2023年・2024年までセ・リーグでの日本一連覇がなくなり*32、代わってパ・リーグが大きく躍進。2013年からは楽天・ソフトバンク・日本ハムによる「V8」を達成し、2020年の時点で36勝35敗と初めてセ・リーグをリードした。
2021年にヤクルトが日本一に輝いたことで9連覇は阻止されたものの、2022年にオリックスが頂点に立ったことで再度貯金を作り、21世紀にパ・リーグ全球団が日本一を達成した。


球場記録


最多の開催球場は後楽園球場の29回。巨人以外のチームも主催試合を開催していることからダントツのNo.1であり、決着した回数も16回と群を抜いている。次いで西武ライオンズ球場→西武ドーム*33の16回、大阪スタヂアムの13回と続く。
現行の12球場では西武ライオンズ球場→西武ドームが開催16回・決着8回でいずれも最多であり、次いで開催数では東京ドームの12回、決着回数は明治神宮野球場の6回が続く。

2023年に京セラドームで開場以来初めて日本一が決定したことにより、一度だけの開催だった川崎球場や同年開業したエスコンフィールドを除いた12球団の現行本拠地では唯一セ・リーグ球団も含めてZOZOマリンスタジアムでの日本一決定がない*34。同様に阪神も2度の日本一がいずれもビジター(1985年は西武ライオンズ球場、2023年は京セラドーム)であるため、こちらもセ・リーグでは唯一本拠地で日本一を決められていない。西武も1998年のドーム化後は本拠地での日本一決定がない*35
上記の通りロッテは最後の年間勝率1位が12球団で最も古い1974年であるため、千葉移転後のリーグ優勝およびPO→CSファイナルステージ開催も行われていない。

上記の通り過去は全球団の本拠地が屋外球場だったが、東京ドームを皮切りに次々と建設されたことで現在は巨人・中日・西武・ソフトバンク・オリックス・日本ハムの6球団がドーム球場になり、屋外球場はヤクルト・広島・DeNA・阪神・ロッテ・楽天の6球団になったことから、対戦カードの関係で全試合が屋外球場で開催されたのは2005年が最後になっている。

上記のように出場チームにはあらかじめ使用する球場の日程確保が義務付けられており、怠ると罰金が課される。
なお、諸事情で他の球場を使用する場合でも他球団の本拠地で開催される場合が多く、収容人数やナイター設備の条件面も含めて純然たる地方球場で行われたことはない。


日本シリーズの対戦カード

前身球団も含む。いずれも「セ・リーグ - パ・リーグ」の順に表記。
「×」は対戦例なし。灰色は過去のチーム。
球団 パ・リーグ
西武 ソフトバンク オリックス ロッテ 日本ハム 楽天 近鉄




巨人 巨3 - 7西 巨9 - 3ソ 巨5 - 3オ 巨1 - 0ロ 巨3 - 0日 巨0 - 1楽 巨1 - 0近
ヤクルト ヤ2 - 1西 ヤ0 - 1ソ ヤ3 - 1オ × × × ヤ1 - 0近
広島 広1 - 1西 広0 - 1ソ 広1 - 1オ × 広0 - 1日 × 広2 - 0近
中日 中1 - 3西 中0 - 2ソ × 中0 - 2ロ 中1 - 1日 × ×
阪神 神1 - 0西 神0 - 3ソ 神1 - 0オ 神0 - 1ロ 神0 - 1日 × ×
DeNA De1 - 0西 De1 - 1ソ × De1 - 0ロ × × ×
松竹 × × × 松0 - 1ロ × × ×
楽天以外はどの球団も必ず1チームには通算成績で負け越しており、全球団に勝ち越しているチームはない。
対戦カード別では巨人とソフトバンクの顔合わせが最も多く、2020年までに12回対戦している。対戦成績は巨人が9勝3敗と圧勝だが、ソフトバンクが勝利した3回は全て4勝無敗のスイープである(1959年・2019年・2020年)。
西武とソフトバンクは現行のセ・リーグ6球団全てと対戦経験があり、中でもソフトバンクは上記の通り2010年代だけで全チームを撃破し、史上初の日本シリーズ6球団勝利を達成。さらに通算でも長らく巨人以外は全て無敗(敗退例なし)だったが、2024年にDeNAに敗れたことでソフトバンクとして初の敗退を喫した。
中でもロッテは唯一松竹と対戦経験があるため、ヤクルトと広島と対戦すればパ・リーグ唯一の7球団対戦を達成できることになる。
セ・リーグでは唯一巨人が近鉄も含めたパ・リーグ7球団と対戦。逆に現行6球団での対戦例はないが、同様に近鉄と対戦経験があるヤクルトと広島は7球団対戦を達成できる可能性は残されている。
一方で、前身球団も含めて一度も対戦していない組み合わせが現行12球団だけでもまだ11例残されている。


ファーム日本選手権

二軍にも日本シリーズが設定されており、「ファーム日本選手権」と呼ばれる。1987年に「ジュニア日本選手権」としてスタートし、当初は9月に行われることもあったが、再開した1997年から大会名を「ファーム日本選手権」と改めたのを機に、以降は10月のフェニックス・リーグ前に行われている。
二軍リーグは一軍とは違い、東日本の7チームで構成されるイースタン・リーグ(セ・リーグが運営)、西日本の5チームで構成されるウエスタン・リーグ(パ・リーグが運営)に分かれており、地域別に設定されている。
かつては一軍と同じく両リーグ6チームずつだったが、近鉄の解散と楽天の結成が行われた2005年以降はイ・リーグ7チーム、ウ・リーグ5チームと数が分かれて奇数になり、両リーグとも効率的な試合開催ができなくなっていた。
2024年からは二軍のみのチームとしてイ・リーグにオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ、ウ・リーグにくふうハヤテベンチャーズ静岡が加入し、チーム数が偶数になって前述の問題が改善されている。


一軍の日本シリーズとの主な違い

  • 試合数
一軍とは違って一試合勝負で、各リーグの優勝チームがそのまま出場する。「ファーム日本シリーズ」ではなく「ファーム日本選手権」という名称なのもこのため。
一軍が「にっぽん」なのに対してこちらは「にほん」という違いもある。

  • 延長戦
一軍の第8戦以降と同様に無制限。2020年と2021年はコロナ禍の関係で「ファーム日本選手権特例2020」として、延長10回終了時に同点の場合、11回以降は決着がつくまで毎回継続打順で無死1・2塁から始めるタイブレークを採用した。

  • ホームおよび使用球場
西暦が偶数の年はウ・リーグ、奇数の年はイ・リーグのチームがホーム扱い。使用する球場もお互いの本拠地ではない地方球場の場合が多く、2013年以降は毎年宮崎県総合運動公園硬式野球場(サンマリンスタジアム宮崎→KIRISHIMAサンマリンスタジアム宮崎→ひなたサンマリンスタジアム宮崎)で開催されている。

  • 出場可能な選手
出場チームは試合の数日前に出場資格者名簿をコミッショナーに提出する。近年の出場資格は「その年の新人選手」「その年に一度も一軍出場がなかった選手」「その年のファーム公式戦の規定打席もしくは規定投球回の3割を満たした選手」からいずれかに該当する選手であることが多い。
本来一軍の選手は二軍の試合に出場することもできるが、上記の規定からバリバリの一軍主力選手の出場はできない。逆に言えば実績十分の選手でも二軍暮らしが多ければ出場することが可能。

  • 指名打者制
当初は一軍がパ・リーグに所属するチームがホームの時だったが、2009年以降はセ・リーグ所属のイ・リーグのチーム(巨人・ヤクルト・DeNA)がホームの場合でも採用可能になり、2015年からはセ・リーグ所属のウ・リーグのチーム(中日・阪神・広島)にも拡大されたため、実質的には全チームで採用可能。

  • 表彰
一軍と同じく表彰があり、勝利チームには賞金100万円、敗戦チームにも賞金50万円が贈呈される。
また、勝利チームからMVP(賞金50万)、両チームから優秀選手賞(賞金20万円)が1人ずつ選出されるほか、これとは別に本塁打を放った選手にホームラン賞として金一封が出る。また、記念品として両チームに地元の特産品が贈呈される。
受賞者の中には後にチームや球界を代表する選手に成長した人もしばしばおり、中でも岩嵜翔は唯一2度のMVPを達成している。


結果と記録

一軍と二軍の両方で優勝することを俗に「親子優勝」「親子日本一」と呼ぶこともある。
ただし、組み合わせによっては一軍における同リーグ対決になる場合も少なくなく、親子で同一カード対決になったケースは2005年(阪神・ロッテ)と2024年(DeNA・ソフトバンク)のみである。いずれの年もロッテ・DeNAともに年間勝率1位ではないが、PO・CSを勝ち抜いたことで親子対決が実現し、親子ともに日本一を掴み取った。


チーム別記録


最多の優勝チームは巨人の8回。次いで中日と阪神の6回・ソフトバンクの5回と続き、出場回数の面でもこれらの4チームが突出して多い。
逆に少ないのは2024年から加わったオイシックスとくふうハヤテを除くと、歴史が浅いとはいえ実に6チームが1回のみにとどまっている状況である。
他方で必ずしも一軍の成績と比例するわけではなく、一軍では日本一経験豊富な西武やヤクルトなどが苦戦している一方で、中日・阪神・楽天のように一軍よりも日本一の回数が多いチームもいる。

2024年にDeNAが球団史上初のリーグ優勝および\横須賀優勝/日本一を決めたことにより、既存の12球団全てが一度は日本一を経験したことになった。
ただし一軍以上に幅が広く、日本ハム・ヤクルト・オリックスの3球団は最後の出場が20世紀であり、オリックスに至っては既存の12球団で唯一21世紀のリーグ優勝も未達成である。
さらに当時は合併前のブルーウェーブ時代であり、その近鉄も一軍と同様に一度も日本一の経験なく消滅したため、「バファローズ」の日本一経験もまだない。


リーグ別記録

リーグ 日本一回数 敗退回数 直近のリーグ優勝
(2リーグ制後)
直近の出場
(対戦相手)
直近の日本一
(対戦相手)
イ・リーグ 18回 19回 DeNA
(42年ぶり4度目)
2024年のDeNA
(ソフトバンク)
ウ・リーグ 19回 18回 ソフトバンク
(2年連続15度目)
2024年のソフトバンク
(DeNA)
2023年のソフトバンク
(巨人)
2024年時点でイ・リーグ18勝、ウ・リーグ19勝とウ・リーグが優勢である。当初は1986年からイ・リーグ10連覇を達成した巨人が2度の3連覇もあってイ・リーグが優勢で、1998年には最多の貯金7(9勝2敗)があったが、2000年代に入ってからウ・リーグが大きく躍進した結果、2009年にはついにタイに持ち込む。
そこから一進一退の攻防が続きつつもイ・リーグ視点では勝ち越されない程度に推移していたが、2018年には初めてウ・リーグがリードするようになり、以後も毎年のように交互に優勝しつつもウ・リーグ優位の状況が続いている。


ファーム日本選手権の対戦カード

前身球団も含む。いずれも「イ・リーグ - ウ・リーグ」の順に表記。
「×」は対戦例なし。灰色は過去のチーム。
球団 ウ・リーグ
中日 阪神 ソフトバンク オリックス 広島 くふうハヤテ 近鉄




巨人 巨4 - 4中 巨0 - 1神 巨1 - 2ソ 巨1 - 1オ 巨1 - 1広 × 巨1 - 0近
ロッテ × ロ2 - 2神 ロ2 - 0ソ × × × ×
(1996年は未開催)
楽天 × 楽1 - 0神 楽1 - 1ソ × × × ×
日本ハム 日0 - 2中 日0 - 2神 × 日1 - 0オ × × ×
西武 × 西1 - 1神 × × × × ×
ヤクルト × ヤ1 - 0神 ヤ0 - 2ソ × × × ×
DeNA × De1 - 0ソ × × × × ×
オイシックス × × × × × × ×
上記のように一軍では同一リーグ同士の対戦カードが見られる一方、歴史が浅いこともあってか一軍以上に未対戦のカードが多く、偏りも大きい。
巨人は唯一近鉄と対戦しているため、くふうハヤテを除けば一軍と同じく既存球団全てと対戦経験がある。ウ・リーグでも阪神がオイシックス以外の全球団と対戦している。



追記・修正は贔屓チームの日本一を見届けてからお願いいたします。

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最終更新:2025年03月28日 23:39

*1 ただし、下位チーム同士の対決は未だに実現していない。

*2 極論ではあるが、第7戦まで全試合引き分けであれば第14戦までもつれることになる。万が一第8戦以降でコールドになった場合は第15戦以降も開催される可能性はあり得る。

*3 これは当時開催されていたアジアシリーズによるもの。大会が事実上終了した2014年以降も引き続き継続している。

*4 2024年には福岡PayPayドームが「みずほPayPayドーム」に改称され、SMBCと競合するからか第3戦のみテロップでは「福岡市中央区」と表記された。

*5 オリックスの中嶋聡監督が取材時に自主的な予告を行った。

*6 通常特番を編成する場合は放送1か月前までに決まっていることが多いが、日本シリーズの放送局が決まるのはCS開催直後とすでに編成が固まっている時期で、一部を除いて21時までしか確保することができないのが実情である。

*7 公式戦およびCSの放映権は球団ごとの管理になっている。

*8 仮に第6戦を松竹が勝って3勝3敗に持ち込んだ場合、第7戦は後楽園球場で開催される予定だった(連戦か移動日を挟むかは不明)。

*9 また、南海主催の第6戦は甲子園で開催されたが、これは当時の規定に「奇数試合と偶数試合の使用球場は毎年両リーグが交互にこれを指定するが、第1~2戦目・第3~4戦目・第5~6戦目の使用球場はそれぞれ連続して同一地域にある球場を指定する」というものがあったため。この年の偶数試合の球場選択権はセ・リーグ(巨人)で、大阪スタヂアムよりも収容能力の大きい甲子園ならば収益力が高いと見込んでいたものの、期待に反して入場者数は史上最少の6346人と振るわなかった。1950年以来となる3球場で開催されたシリーズでもある。

*10 現役時代はアマチュア一筋。当時としては決して珍しい光景ではなかったが、1968年に藤本定義が阪神の監督を退任(就任例は1966年にロッテ監督を務めた田丸仁が最後)して以降はプロ経験のない人物が監督に就任することはなくなった。

*11 1989年にダイエーが福岡へ移転したことで約10年ぶりに本拠地球場になったが、その間は20年連続Bクラスの暗黒時代だったことからリーグ優勝することはなく、1992年を最後に新造された福岡ドームに移転した。

*12 仮にPOにもつれこんでいた場合は10月16日からの開幕になっていた。

*13 ただし、1975年のPOでは藤井寺球場を使用しており、仮に近鉄が勝っていた場合でも同様ではあった。

*14 ちなみに1977年はロッテがリーグ優勝していた場合、対戦相手が巨人だったことからこの年に先がけて「後楽園シリーズ」が開催される可能性があったが、上記の通り阪急の優勝によって実現しなかった。

*15 2008年は甲子園の改修工事によってポストシーズンの阪神の主催試合が京セラドームになったため、仮に阪神とオリックスが日本シリーズに出場していれば全試合が京セラドームで開催される「京セラシリーズ」の可能性もあった。

*16 この年までは第8戦以降も延長無制限ではなかったため、仮に引き分けであれば移動日を設けて西武ライオンズ球場で第9戦以降を行うことになっていた。

*17 彼は元々巨人ファンだったが、実際に1985年のドラフト会議で巨人が1位指名したのは盟友の桑田だった経緯があり、巨人を倒せることによる感慨だったという。後にFA権を行使して1997年に念願の巨人入りを果たし、怪我に苦しみながらも2005年まで所属した。

*18 崖っぷちとなった第5戦で津田恒実から12回裏に自らサヨナラ打を放った。森監督曰く、控え投手よりも工藤の方が広島打線を抑える可能性が高いと判断してそのまま打席に送ったというが、当の本人は「なんか僕、悪いことしたのかなと思いましたよ」「グラウンドではみんな喜んでくれたんですが、ロッカーに戻ったら、みんなシーンとして暗い。何で広島まで行って胴上げ見なきゃいけないんだって」と回顧している。なお、シリーズにおいてパ・リーグの投手がサヨナラ打を放って勝利投手になった最後のケースでもある。

*19 あくまで彼自身は試合後の囲み取材において記者から「(この年リーグ最下位の)ロッテより弱いんちゃうの?」と振られた際に「どっちが怖いか言うたらロッテの方やな」と答えたに過ぎなかったが、メディアはこぞって「巨人はロッテより弱い」という表現を用いた。もっとも、第3戦勝利後のヒーローインタビューで「大したことなかったですね」など過激な発言を行っていたことは事実であり、彼は後年「巨人打線は当時のパ・リーグ打線に比べてホームランバッターが少ないことから対戦しやすかった」「観戦していた父親の姿を目で探していたことから集中力を欠いていた」とも述べている。

*20 西武は全ての試合で4点差以上つけており、前年日本一のチームがスイープされたのはこの年が唯一。

*21 東京六大学野球との兼ね合いもあり、異例となる12時30分の試合開始だった。日本シリーズを見た後にそのまま残って見た観客もいたため、普段よりも非常に入場者数が多かったという。試合が終わって両チームの選手が引き上げる中で大学生がウォーミングアップを開始するという珍しい光景も見られた。

*22 優勝決定後の会見で「西武とのシリーズは4勝2敗でウチが勝つ」、第2戦勝利後のインタビューで「この東京ドームにまた戻ってきます」、王手をかけた第6戦前の会見で「今日は3-1で決めます」とそれぞれ発言しており、全て的中している。

*23 フロントに対する不信感が増したことで退任を決意し、シリーズ開始前の時点でコーチ陣に辞意を伝えていたものの、選手には明かしていなかったことからモチベーションが低下し、これが敗因になったともされる。実際、練習中に東京ドームのオーロラビジョンに退任のニュースが流れており、伊東勤は「噂にあったから驚きはしなかったが、そんな話が出れば試合に集中できない」と回想している。

*24 ただし、球場全体に屋根がつけられたのは1999年からであり、1998年の段階では観客席の部分しか覆っていなかった上にこの年はエルニーニョ現象の影響で日本列島が例年以上の多雨に見舞われたため、ドーム球場でありながら本拠地ゲームの雨天中止試合数の最多記録を樹立するほどだった。

*25 745失点・防御率4.98。この年ぶっちぎりの最下位に終わった日本ハムの713失点・防御率4.79よりも低い。

*26 上記のように当時のロッテは宮城県を暫定本拠地として使用していたが、収容人数の関係で後楽園球場での主催開催になり、中日スタヂアムで日本一を達成した翌日に銀座で優勝パレードを開催。結局仙台はおろか宮城県内での祝勝行事は何も行われないまま終わり、特に仙台市民からの批判を浴びたことで地元での応援熱が一気に低下してしまった。

*27 チーム打率.132・16安打・41三振はいずれもシリーズワースト。4得点も阪神と並んで最少タイ。

*28 この影響を大きく受けたのが中日で、開幕が遅れたことからこの年の開幕権(2018年Aクラスの広島・ヤクルト・巨人)は2021年に持ち越しとなり、2022年も3年前のAクラス(巨人・DeNA・阪神)になるという特別措置が取られたことで開幕権が消滅してしまった。

*29 10月1日時点でソフトバンクが1位だったが、2日の最終戦で「オリックスが楽天に勝利」し「ソフトバンクがロッテに敗北」したことで、両チームが76勝65敗2分の完全同率1位で決着した。パ・リーグの規定では最終勝率が完全同率の2チームが出た場合は対戦成績が勝っているチームが上位になるため、15勝10敗でソフトバンクに勝ち越していたオリックスが優勝を果たした。

*30 支配下選手の参稼報酬の兼ね合いで11月中に決着をつける必要があったため、11月29日までに勝敗がつかない場合、成績がタイであれば延長無制限、1勝差の場合は12回までとし、それでも勝数が同じ場合にはタイブレーク方式の優勝決定戦を行う予定だった。

*31 もっとも、あちらは30球団とチーム数がNPBの倍以上あるので当然ではあり、ミルウォーキー・ブルワーズ、サンディエゴ・パドレス、シアトル・マリナーズ、コロラド・ロッキーズ、タンパベイ・レイズの5球団がワールドシリーズ優勝の経験がなく、マリナーズに至っては出場経験すらない。

*32 同一球団に限ると1979年・1980年の広島が最後である。

*33 屋根が付いただけで同一球場である。

*34 ロッテは2010年までに4度の日本一を達成しているが、フランチャイズ制が確立されていなかった1950年以外の3回はいずれもセ・リーグ球場で決着した(1974年は中日スタヂアム、2005年は甲子園、2010年はナゴヤドーム)。従って東京・仙台・川崎時代も本拠地胴上げを決められていないが、リーグ優勝に関しては東京スタヂアム(1970年)と宮城球場(1974年PO優勝)で経験がある。他にも年間優勝ではないが1980年と1981年の前期優勝を川崎球場で達成している。他球団のリーグ優勝に関しては1993年・2019年の西武、2003年のダイエー、2007年の日本ハムが達成。

*35 2004年はナゴヤドーム、2008年は東京ドーム。セ・リーグ球団では2002年の巨人が達成している。リーグ優勝に関しては1998年に本拠地で達成。