登録日:2022/10/17 Mon 19:30:56
更新日:2025/03/28 Fri 23:39:58
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プロ野球日本シリーズとは、毎年秋に開催される
プロ野球(NPB)の日本一決定戦である。
正式名称は「プロ野球日本選手権シリーズ」(1953年までは「日本ワールドシリーズ」)。
本項では二軍の日本シリーズに相当する「ファーム日本選手権」についても記述する。
概要
2リーグ制に分裂した1950年以降、セントラル・リーグとパシフィック・リーグの優勝チームが日本一の座をかけて争う。
かつてはレギュラーシーズン優勝チーム同士の対決だったが、クライマックスシリーズ(CS)が導入された2007年以降は2位や3位のチームが優勝チームを倒して下克上する番狂わせが起きる年もしばしばあり、必ずしも優勝チームが出場するとは限らなくなっている。
戦後に始まったこともあり、現在に至るまで中止になった年はない。
日本シリーズ参加球団のみ抜粋。チーム名は2024年時点。
灰色は過去のチーム。
2005年~2013年の間は、勝者がさらに「アジアシリーズ」(2009年・2010年のみ「日韓クラブチャンピオンシップ」)に日本代表として参加していた。
各球団の略称は以下の通り。本項では前身球団も同一カウントするが、松竹と近鉄は傍系という観点から基本的に個別のチームとして取り扱う。
登録名や球場名なども基本的に開催当時のもので表記する。
※巨=巨人、神=阪神、中=中日、松=松竹、横=横浜、De=DeNA、ヤ=ヤクルト、広=広島、オ=オリックス、南=南海、ダ=ダイエー、ソ=ソフトバンク、西=西鉄→西武、映=東映、日=日本ハム、毎=毎日・大毎、ロ=ロッテ、楽=楽天、洋=大洋、急=阪急、近=近鉄
日本シリーズまでの道のり
クライマックスシリーズ |
|
日本シリーズ (7戦4勝制) |
|
ファーストステージ (3戦2勝制) |
|
ファイナルステージ (6戦4勝制、1位は1勝のアドバンテージ) |
|
JERA クライマックスシリーズ セ |
|
SMBC日本シリーズ |
ビジター |
セ・リーグ3位チーム |
→ |
ファーストステージ勝利チーム |
→ |
セ・リーグCS優勝チーム |
ホーム |
セ・リーグ2位チーム |
セ・リーグ優勝チーム |
パーソル クライマックスシリーズ パ |
|
vs |
ビジター |
パ・リーグ3位チーム |
→ |
ファーストステージ勝利チーム |
→ |
パ・リーグCS優勝チーム |
ホーム |
パ・リーグ2位チーム |
パ・リーグ優勝チーム |
2007年以降はAクラスによる3チームが出場し、ステップラダー方式(2ステージ勝ち抜き制)で実施され、日本シリーズ出場権を争う。
詳細は当該項目を参照。
プレーオフ(PO)
2006年までは主にパ・リーグでプレーオフ(PO)が実施された年がある。CSとは違って優勝決定戦の意味合いも持っており、当時は年間勝率に関係なくPOに勝利したチームがそのままリーグ優勝だったのが最大の特徴。
こちらも詳細はCSの項目を参照。
ルール
SMBC日本シリーズ |
|
第1戦 |
第2戦 |
移動日 |
第3戦 |
第4戦 |
第5戦 |
移動日 |
第6戦 |
第7戦 |
(第8戦) |
(移動日) |
(第9戦) |
(第10戦) |
(第11戦) |
(第12戦) |
(第13戦) |
(第14戦) |
偶数年 |
セ球場 |
パ球場 |
セ球場 |
(パ球場) |
第10戦以降は実例がないので不明。 |
奇数年 |
パ球場 |
セ球場 |
パ球場 |
(セ球場) |
こうしてPO→CSが決着した後、主に10月下旬に行われる。ただし、諸事情から10月上旬に前倒しされたり、あるいは11月にずれ込んだりした例もある。
基本的に7試合が実施され、先に4勝したチームがその年の日本一となる。CSと同じく決着がついた場合は残りの試合は行われない。
引き分けやコールドが生じて第7戦までに決着がつかない場合、翌日にその球場で第8戦を行う。それでも4勝にならない場合は移動日を挟み、もう一方の球場で第9戦を行うことになっている。
第8戦以降は延長無制限で行われることから何らかの理由でコールドにならない限りは基本的に必ず勝負がつくため、理論上は最長第14戦まで発生し得る。
実際に第8戦が行われたのは1986年が唯一であり、第10戦以降は実例がないので具体的なルールは決められていない。
このことは2010年に中日をリーグ優勝・日本シリーズ進出に導いた
落合博満監督からも指摘された。
使用球場は1954年以降、西暦が偶数の年はセ・リーグ、奇数の年はパ・リーグのチームがそれぞれ第1・2・6・7戦をホームで行い、第3戦~第5戦はビジターになる(上記の表を参照)。
開催地を移動する第2・3戦目および第5・6戦目、引き分けなどが絡んだ場合の第8・9戦目の間には移動日が設けられている。これは当該本拠地同士がどれだけ近距離であっても同様である。
出場2チームの本拠地が離れていて当日移動が難しいと判断された場合は移動日を設ける場合があるが、実現した例はない。
雨天などで試合中止になった場合は2006年までは移動日を含めた全日程が順延していたが、2007年以降は第5戦までの試合が中止になった場合は第5・6戦目の移動日がなくなるようになっている。
なお「順延」であるため、試合のチケットは開催日ではなく「第◯戦」の表記が有効となる。
オールスターゲームと同様に規定上は収容人数3万人以上の球場での開催が条件になっているため、設備や他のイベントとの関係で本拠地以外の球場で開催されることもしばしばある。
レギュラーシーズンやCSと異なり、主催はNPBが担当。
2011年以降は冠スポンサーが付くようになり、2011年~2013年は『パワプロ』でおなじみのコナミ、2014年以降はNPBパートナーである三井住友銀行(SMBC)がスポンサーを担当している。
かつては各チームの本拠地が全て屋外球場であり、季節的に寒くなり出すこともあって1993年までは平日を含めた全試合がデーゲームで実施されていた(1964年のみ全試合ナイター)。
当時のプロ野球は国民的人気だったこともあり、学校の授業中に先生までもグルになってこっそり見た人も多いと思われる。
しかし、平日のデーゲームでは会社や学校を休まなければ観戦もままならず、視聴率や収益面の兼ね合いもあってか1994年は平日開催試合のみ試験的にナイターを実施し、1995年以降は曜日を問わず全試合ナイターに移行した。
もっとも、近年は現地観戦者への配慮から土休日だけでもデーゲームに戻してほしいとの声も上がっている。
出場可能な選手はレギュラーシーズンの延長線上にあるCSとは違い、第1戦の2日前までに提出した最大40人の「出場有資格者選手」の中から試合ごとにベンチ入りメンバーを26人選出する。一度公示されると変更することはできない。
通常の出場選手登録とは別の扱いのため、「引退選手特例」で抹消された引退選手の登録も可能。
予告先発は両監督の間で合意がなされた場合に行われるが、セ・リーグにも予告先発制度が導入された2012年以降に予告先発なしで行われたシリーズは2015年・2017年・2021年の3例と少なく、実質的にはほとんどのケースで使用されている。
2018年以降、第7戦までは延長12回、引き分けなどが絡んだ場合に起こる第8戦以降は無制限で行われる。
かつては最長で延長18回までの上限があり、1986年までは時間制限もあって過ぎた場合はそのイニングで終了した。
ダブルヘッダーやサスペンデッドゲームの適用はない。
- ~1966年 - 日没(1964年のみ22時30分)
- 1967年~1981年 - 17時30分
- 1982年~1986年 - 試合開始から4時間30分
- 1987年~1993年 - 第7戦までは延長18回、第8戦以降は無制限
- 1994年~2017年 - 第7戦までは延長15回(1994年はデーゲームのみ延長18回)
- 2018年~ - 第7戦までは延長12回
指名打者制は1985年に初めて採用され、阪神の弘田澄男がセ・リーグ初の指名打者として出場。当初は1年ごとに採用と不採用を繰り返す規定だったが、1987年以降は年に関係なく交流戦と同様にパ・リーグ球場で採用されている。ただし、2020年はコロナ禍の影響を考慮し、1985年以来となるセ・リーグ球場も含めた全試合で採用された。
CSと同様に審判は外審も含めた6人制で行われる。
CSにも言えることだが、短期決戦であるがゆえに総合的な戦力よりも運や流れで決まることの方が多いとされる。
また、特に野手ではシーズン中は出番の少なかった選手が意外な活躍を見せる「シリーズ男」の登場もある一方、リーグ優勝に貢献しながらシリーズではブレーキになってしまう「逆シリーズ男」が生まれてしまうこともあり、短期決戦特有の難しさがあるとも言われる。
試合終了時にはまず勝利監督インタビューが行われ、その後に通常のヒーローインタビューが行われることが多い。
日本一のチームが決まると、リーグ優勝の時と同様にベンチやブルペンから選手たちが一斉に飛び出してマウンドで歓喜の輪ができ、監督の胴上げが始まる。チームによっては胴上げ投手をはじめとする一部の選手やオーナーに対しても行われることがあり、その年限りで引退する名選手がいる場合には両チーム総出で送り出すこともある(例:2019年の阿部慎之助)。
なお、日本シリーズに出場したチームは第2次戦力外通告の期限が4日間延長される。
表彰
CSと同じく表彰制度が設けられている。勝利チームからMVPが選出されるのは同様だが、日本シリーズではこれに加えて1953年以降は敗戦チームからも敢闘(選手)賞が授与される。
その他、スポンサーを迎えた2011年以降はコナミやSMBCからの特別賞が授与されることもある。
賞品はトロフィーと賞金700万円。1954年~2006年は乗用車が贈呈され、基本的に
トヨタ自動車製だが広島が勝利した1979年・1980年・1984年はスポンサーの関係で
マツダから贈呈された。
原則としてチームの日本一に最も貢献した1人が選出されるが、1962年のみ土橋正幸・種茂雅之のバッテリーがダブル受賞した。
最多の表彰者は4回受賞した長嶋茂雄(1963年・1965年・1969年・1970年)。最年少受賞者は1958年の稲尾和久(21歳)、最年長は2011年の小久保裕紀(40歳)である。
複数回の受賞者は上述の長嶋に加え、別所毅彦(1952年、1955年)・堀内恒夫(1972年・1973年)・工藤公康(1986年・1987年)・秋山幸二(1991年、1999年)・
古田敦也(1997年、2001年)・今江敏晃(2005年、2010年)の6人が2回ずつ。
2年連続の受賞者は長嶋・堀内・工藤の3人。秋山は2チームで受賞した唯一の選手(1991年は西武、1999年はダイエー)。
外国人選手の受賞者は宮本敏雄(1961年)、ジョー・スタンカ(1964年)、ジム・ライトル(1980年)、ランディ・バース(1985年)、オレステス・デストラーデ(1990年)、トーマス・オマリー(1995年)、トロイ・ニール(1996年)、李大浩(2015年)、ブランドン・レアード(2016年)、デニス・サファテ(2017年)、ジュリスベル・グラシアル(2019年)の11人。
キューバ出身のデストラーデとグラシアル、韓国出身の李大浩以外はアメリカ出身。
シーズンMVPとの同時受賞者は別当薫(1950年)、別所毅彦(1952年)、杉下茂(1954年)、稲尾和久(1958年)、杉浦忠(1959年)、長嶋茂雄(1963年)、ジョー・スタンカ(1964年)、堀内恒夫(1972年)、山田久志(1977年)、ランディ・バース(1985年)、石井丈裕(1992年)、トーマス・オマリー(1995年)、古田敦也(1997年)、松井秀喜(2000年)、デニス・サファテ(2017年)の15人。
ただし、2006年まではCS導入前のため、サファテ以前の14人は実質的にはシーズンと日本シリーズのMVP二冠を達成していると言える。
なお、シーズンMVPとCSMVPの同時受賞者は
ダルビッシュ有(2007年第2)、
アレックス・ラミレス(2008年)、和田一浩(2010年)、内川聖一(2011年)、田中将大(2013年)の5人がいるが、いずれも日本シリーズでは敗退ないしチームメイトがMVPを受賞しているため、シーズン・CS・日本シリーズのMVP三冠王は例がない。
賞品はトロフィーと賞金100万円。1953年から制定され、敗戦チームで最も活躍した1人が選出される。4勝3敗など接戦で決着した際は仮に優勝していた場合のMVPという側面もある。
これは4戦ストレート負けであっても例外ではなく、「該当者なし」は一度も例がない。
唯一の例外として1956年の巨人は2勝4敗ながら選出されず、勝利した西鉄の稲尾和久が受賞した。
最多の表彰者は3回獲得した足立光宏(1967年・1972年・1978年)。最年少受賞者は1956年の稲尾和久(19歳)、最年長は2012年の稲葉篤紀(40歳)である。
複数回の受賞者は上述の足立に加え、稲尾和久(1956年、1963年)・長池徳二(1968年・1969年)・清原和博(1993年・1994年)
川上憲伸(1999年、2006年)の4人が2回ずつ。
2年連続の受賞者は長池と清原の2人。1956年の稲尾は前述の通り優勝チームからの選出。
外国人選手の受賞者は宮本敏雄(1957年)、ジョー・スタンカ(1961年)、タフィ・ローズ(2001年)、アレックス・カブレラ(2002年)、アレックス・ラミレス(2008年)、ランディ・メッセンジャー(2014年)、ブラッド・エルドレッド(2016年)、ホセ・オスナ(2022年)の8人。
ベネズエラ出身のカブレラ・ラミレス・オスナ以外はアメリカ出身。
MVPと敢闘選手賞の両方を受賞したことがあるのは大下弘(1954年に敢闘選手賞、1957年にMVP)、稲尾和久(1956年・1963年に敢闘選手賞、1958年にMVP)、宮本敏雄(1957年に敢闘選手賞、1961年にMVP)、ジョー・スタンカ(1961年に敢闘選手賞、1964年にMVP)、柴田勲(1966年にMVP、1976年に敢闘選手賞)、山田久志(1971年に敢闘選手賞、1977年にMVP)、西本聖(1981年にMVP、1983年に敢闘選手賞)、石毛宏典(1985年に敢闘選手賞、1988年にMVP)、稲葉篤紀(2006年にMVP、2012年に敢闘選手賞)の9人。
シーズンMVPとの同時受賞者は大下弘(1954年)、藤田元司(1958年)、足立光宏(1967年)、長池徳二(1969年)、野村克也(1973年)、山本浩二(1975年)、タフィ・ローズ(2001年)、アレックス・カブレラ(2002年)、ダルビッシュ有(2007年)、アレックス・ラミレス(2008年)、和田一浩(2010年)、山田哲人(2015年)、山本由伸(2021年)の13人。
CSMVPとの同時受賞者はダルビッシュ有(2007年)、アレックス・ラミレス(2008年)、和田一浩(2010年)、吉見一起(2011年)、ホセ・オスナ(2022年)の5人。
従って、ダルビッシュ・ラミレス・和田の3人はシーズンMVP・CSMVP・敢闘選手賞のトリプル受賞を果たしている。
賞品はトロフィーと賞金100万円。一定の成績を残した3人の選手に授与される。
配分は試合展開によって異なり、基本的に4勝3敗決着であれば勝利チーム2人と敗戦チーム1人、ストレート決着であれば勝利チームからのみ3人選出されるが、4勝2敗・4勝1敗決着の場合は各試合の展開によって配分が変わる。
1979年までは「打撃賞」「最優秀投手賞」「技能賞」など部門ごとに分かれていた。
放送・配信
地上波では全試合が民放の全国ネットで試合終了まで放送される。当初はNPB側が推奨したテレビ局に直接放送を交渉するという方式を取っていた。
しかし、2010年には第1・2・5戦の3試合で地上波全国放送が見送られる事態が起こった。
これは、当時すでにプロ野球中継の大半がローカル放送または衛星放送に移管したことで関東地区での視聴率が望めなかったことや、テレビ局側が他番組を編成していたので動かせなかったのが理由とされる。
視聴者側にも「後番組がいつ始まるか不明なので迷惑」というイメージが定着していたことに加え、局側からすると「ゴールデンタイムに視聴率が見込めず、終了時間もわからない特番を編成する」ことになるので、日本シリーズを放送すること自体がかなりハイリスクになっていたと言ってもいいだろう。
そのためNPBは2011年以降、広告代理店経由で放送を交渉する方式に変更。前述の冠スポンサーを設け、そのCMを多数流すことで何とか放映枠を確保して現在に至っている。
もっとも、上記の不満が解消されたわけではないことに加えて、視聴率も2桁に達するのは後半以降という傾向があるため、現行の方式も今後どうなるか正直厳しい状況でもある。
テレビ局の編成都合で試合開始時間が変更された例もあり、2011年の第1戦はフジテレビがゴールデンタイムに「ワールドカップバレー2011」を中継するため、17年ぶりのデーゲームでの開催になった。
2016年の第5戦も試合開始時刻が30分早い18時からの開始になったが、これは中継するテレビ朝日が後番組に『
ドクターX 〜外科医・大門未知子〜』を放送するため、延長時の時間確保が目的とされる。
なお、NHKでの放送は1990年代までは地上波総合テレビで実施した例もあったが、民放の全国ネットワークが一通り完成したこともあり、現在はBSのみで放送されている。
一方、ネット配信の対応については消極的で、初めて実施されたのが2016年とかなり遅い。
ネット配信はTVer含めた民放系のみでの実施で、公式戦を配信しているDAZNやパ・リーグTVでの配信もない。
そのためメジャーリーグ(MLB)や
Jリーグと異なり、放映権が一括管理されていないゆえの弊害と見る向きもある。
CSと同様に中継では通常の野球解説者に加え、出場しないチームの選手や監督・コーチがゲスト解説として登場することも多い。
各年の結果
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いずれも「セ・リーグ - パ・リーグ」の順に表記し、太字は優勝チーム。
球団名・球場名・選手名などは開催当時のもの。
NPBが2リーグに分裂したことで導入された、日本シリーズ黎明期の年代。
- 1950年:松竹 - 毎日(毎日4勝2敗、初優勝)
記念すべき第1回シリーズ。この年創設されたばかりの毎日が松竹を破り、初代日本一に輝いた。
当時はまだフランチャイズ制度が導入されておらず、第1戦から順番に神宮→後楽園球場→甲子園→阪急西宮球場→中日スタヂアム→大阪スタヂアムと毎回異なる球場を舞台に、松竹から交互にホームとして開催された。
第1回にしてサヨナラ勝ちでの日本一決定で、失策によるものでは現在でもシリーズ史上唯一である。
MVPは別当薫。
ちなみに、第1回にして11月22日~28日開催という現在でも最も遅い時期に行われたシリーズで、裏では4チームが所定の140試合を消化しきれていなかったが、すでに順位が確定したこともあって11月20日までにシーズンを打ち切った。
- 1951年:巨人 - 南海(巨人4勝1敗、初優勝)
- 1952年:巨人 - 南海(巨人4勝2敗、2年連続2度目)
- 1953年:巨人 - 南海(巨人4勝2敗1分、3年連続3度目)
2リーグ制後初の優勝から3連覇を達成した巨人と南海が3年連続で対決した第2回~第4回シリーズ。
日米野球の影響を大きく受けたシリーズでもあり、1951年は当初の予定から日程が繰り上がり、1953年は全日程移動日なしという強行軍で行われて史上初の第7戦および引き分けが発生。この年から敢闘賞も設けられるようになった。
いずれも巨人が南海を破り、セ・リーグ初代日本一を含めた3連覇を達成した。ちなみに、1952年の第5戦の試合時間は1時間35分でシリーズ史上最短である。
MVPは1951年から順番に南村不可止・別所毅彦・川上哲治。
- 1954年:中日 - 西鉄(中日4勝3敗、初優勝)
リーグ初優勝を決めた中日と西鉄による第5回シリーズ。5回目にして初めて九州が舞台になり、関東や関西で一度も開催されなかった。
この年も両チームともに初出場であり、第7戦までもつれた末に中日が球団史上初の日本一を達成。天知俊一監督は初めて日本一を花道に勇退した監督にして、現在でも史上唯一となる「プロ経験のない日本一監督」である。
MVPは杉下茂。
- 1955年:巨人 - 南海(巨人4勝3敗、2年ぶり4度目)
2年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人と南海の再対決になった第6回シリーズ。
リベンジを誓った南海は3勝1敗と優位に試合を進め、山本一人監督は「再び昭和30年の轍は踏むまい」と意識したものの、第5戦からまさかの3連敗を喫してしまった。
MVPは別所毅彦。
- 1956年:巨人 - 西鉄(西鉄4勝2敗、初優勝)
- 1957年:巨人 - 西鉄(西鉄4勝1分、2年連続2度目)
- 1958年:巨人 - 西鉄(西鉄4勝3敗、3年連続3度目)
3年連続で巨人と西鉄の同一カード対決になった第7回~第9回シリーズ。
三原脩・水原茂両監督は 香川県の同郷で、中等学校から長年のライバル関係だったことから「巌流島の決闘」と称された。結果はいずれも西鉄が巨人を下し、球団史上初の日本一を含めた3連覇を達成。
1956年はシリーズ史上唯一、優勝チームから敢闘賞(稲尾和久)が選出された。
1957年は1分を挟み、シリーズ史上初の無敗で日本一になった。
MVPは1956年から順番に豊田泰光・大下弘・稲尾和久。中でも1958年の稲尾は現在でも史上最年少での受賞であり、彼は数々のシリーズ記録を打ち立てて「神様、仏様、稲尾様」と讃えられることに。
- 1959年:巨人 - 南海(南海4勝0敗、初優勝)
4年ぶり通算5回目の対戦になった第10回シリーズ。
これまで巨人に4連敗を喫した南海だったが、鶴岡一人監督が「この年だけは負ける気がしなかった」と自著で振り返っていた通り、シリーズ史上初の4戦スイープで球団史上初の日本一を達成。初の快挙に大阪市民は熱狂し、決着2日後の10月31日に行われた優勝パレードには沿道に20万人が集まったという。
これにより、対戦成績が両リーグともに5勝ずつのタイになったが、以降は巨人の「V9」もあって長年に渡ってセ・リーグリードの時代が続くようになる。
MVPは杉浦忠。
テレビ中継の普及とともに巨人が爆発的な人気を獲得し、「V9」と称される空前の全盛期を迎えた年代。
- 1960年:大洋 - 大毎(大洋4勝0敗、初優勝)
6年連続最下位からのリーグ優勝を達成した大洋が初出場した第11回シリーズ。史上初の「関東対決」でもある。
全試合が1点差という珍記録を持つ大接戦のシリーズで、大毎が誇る「ミサイル打線」を大洋投手陣が封じ込めてこの年もストレートで決着。大洋は史上初となる前年最下位からの日本一(大洋としては最初で最後)の栄冠を勝ち取った。
また、川崎球場で行われた唯一のシリーズでもある。
MVPは近藤昭仁。新人選手初の受賞である。
- 1961年:巨人 - 南海(巨人4勝2敗、6年ぶり5度目)
2年ぶり通算6回目の対戦になった第12回シリーズ。巨人が4勝2敗で6年ぶり5度目の日本一を決め、川上哲治監督は就任1年目で頂点に立った。
当時は20勝がエースの基準とされていたが、南海は杉浦忠がシーズン終盤に離脱し、巨人もチーム最多勝が中村稔の17勝が最高だったことから、マスコミは「エース不在のシリーズ」「エースなき日本シリーズ」などと評した。
4度も雨天中止になった異色のシリーズで、予定では第7戦が行われるはずの10月29日にようやく第4戦が行われるという遅延っぷり。
そしてこの年以降、「パ・リーグは丑年には王手すらかけられない」というジンクスが生まれることになってしまう。
MVPは宮本敏雄。
- 1962年:阪神 - 東映(東映4勝2敗1分、初優勝)
東映が球団史上初の日本一を達成した第13回シリーズ。阪神も含めた両チームが(2リーグ制後)初優勝だったため、これまた初出場チーム同士の対決でもあった。
当時の東映は神宮を本拠地としていたが、第5戦に関しては学生野球との兼ね合いで使用できなかったために後楽園球場で開催された。
阪神が連勝でスタートしたものの、そこから引き分けを挟んで東映が4連勝。東映としては最初で最後の日本一であった。
シリーズ史上唯一、2人の選手(土橋正幸・種茂雅之)がMVPを受賞した。
- 1963年:巨人 - 西鉄(巨人4勝3敗、2年ぶり6度目)
2年ぶりにリーグ優勝を決めた巨人と、NPB史上最大となる 14.5ゲーム差からの大逆転で5年ぶりのリーグ制覇を決めた西鉄が対戦した第14回シリーズ。
通算4回目にして初めて巨人が初めて西鉄を破り、第7戦で達成した「 1試合18得点」「 14点差勝利」「 1イニング9得点」は現在でもシリーズ最高記録である。
なお、西鉄は 福岡時代および西鉄としてはこの年が最後のリーグ優勝兼日本シリーズ出場になり、合わせて平和台球場での開催も最後になった。
MVPは長嶋茂雄。
- 1964年:阪神 - 南海(南海4勝3敗、5年ぶり2度目)
2年ぶりにセ・リーグを制した阪神と4年ぶりのリーグ優勝を決めた南海という、史上初の「関西対決」になった第15回シリーズ。「御堂筋シリーズ」とも呼ばれた。
東京五輪の開催に伴い、開会式までに決着させる目的から初めて全カードナイターで行われたが、雨天順延の関係でよりによって第7戦は開会式と思いっきりかぶってしまい、観客動員もイマイチだったという。
なお、南海としてはこの年が最後の日本一になった。
MVPはジョー・スタンカ。外国人選手初の受賞であり、彼以外にも両チームともに助っ人の活躍が目立ったことから「外国人シリーズ」とも称された。
- 1965年:巨人 - 南海(巨人4勝1敗、2年ぶり7度目)
- 1966年:巨人 - 南海(巨人4勝2敗、2年連続8度目)
- 1967年:巨人 - 阪急(巨人4勝2敗、3年連続9度目)
- 1968年:巨人 - 阪急(巨人4勝2敗、4年連続10度目)
- 1969年:巨人 - 阪急(巨人4勝2敗、5年連続11度目)
(1970年代の項に続く)
高度経済成長とともに巨人の「V9」が終焉を迎えるという一時代の終わりを迎え、シリーズ初出場となったチームが多いのも特徴。
(1960年代の項の続き)
- 1970年:巨人 - ロッテ(巨人4勝1敗、6年連続12度目)
- 1971年:巨人 - 阪急(巨人4勝1敗、7年連続13度目)
- 1972年:巨人 - 阪急(巨人4勝1敗、8年連続14度目)
- 1973年:巨人 - 南海(巨人4勝1敗、9年連続15度目)
1965年から1973年までの第16回~第24回シリーズは、巨人が 日本一9連覇を達成するという前人未到の黄金時代「V9」であった。
1965年の第5戦では土井正三がサヨナラ適時打を放ち、1950年以来2度目となるサヨナラ日本一で幕を開ける。
1968年のパ・リーグはシーズン最終戦まで阪急と南海が熾烈な優勝争いを繰り広げており、阪急の連覇が決まったのはシリーズ開幕前日の10月11日で、西宮で優勝を決めたナイターの翌日に後楽園でデーゲームの第1戦という休む間もない日程だった。
1969年はクロスプレイの判定をめぐって阪急の岡村浩二が球審に手を出すという、シリーズ史上初の退場事件が発生。
1970年は巨人とロッテの初顔合わせで、「GOシリーズ」とも呼ばれた。
さらに後楽園球場と東京スタジアムという史上初の同一都道府県( 東京都)のみが舞台になったシリーズでもあり、「東京シリーズ」とも呼ばれた。特に両翼90mと非常に狭い東京スタジアムでは長嶋茂雄の4本を筆頭に3試合で両チーム合計9本の本塁打(第4戦だけで5本)が飛び出すという花火大会。
ロッテの宿舎は大田区の池上本門寺が使用され、東京スタジアムまで車で約2時間かかったことも日本一を逃す遠因に。
1973年からはパ・リーグが前後期制になり、年間3位(前期優勝)ながらPOで年間1位(後期優勝)の阪急に勝利した南海が出場。初めて勝率2位以下のチームが日本シリーズに出場した。
上記のようにいずれの年も第7戦までもつれて王手をかけられることはなかったが、逆に無敗のストレート勝ちも引き分けもなかった。
また、日拓・太平洋・ 近鉄とも戦っていない。
MVPは1965年から順番に長嶋茂雄・柴田勲・森昌彦・高田繁・長嶋茂雄・長嶋茂雄・末次民夫・堀内恒夫・堀内恒夫。
- 1974年:中日 - ロッテ(ロッテ4勝2敗、24年ぶり2度目)
巨人の「V10」を阻止して20年ぶりにセ・リーグの頂点に立った中日と、4年ぶりのリーグ優勝を決めたロッテによる第25回シリーズ。
当時のロッテは宮城球場を暫定本拠地としていたが、規定上の収容人数が3万人に満たなかった(2万8000人)ことから後楽園球場で開催された。
第1・2・4戦が逆転、第6戦が延長戦と混戦で、6試合で両チーム合計17失策と守備のミスも目立ったシリーズだったが、1勝2敗からロッテが3連勝で24年ぶり2度目の日本一に輝いた。
また、第1戦・第3戦を中日が勝利した時点でセ・リーグの勝利試合数の勝ち越しが24になっており、これは現在でもシリーズ史上最多の貯金である。
MVPは弘田澄男。
- 1975年:広島 - 阪急(阪急4勝0敗2分、初優勝)
1962年以来となる「どちらが勝っても初の日本一」対決になった第26回シリーズ。1964年以来となる関東が舞台にならない「西日本シリーズ」でもあり、複数回の引き分けが発生した唯一の年でもある。
阪急は年間2位(前期優勝)ながらPOで年間1位(後期優勝)の近鉄に勝利しており、 球団史上初の日本一が年間勝率2位以下なのは阪急が唯一である。
詳細は 当該項目を参照。
- 1976年:巨人 - 阪急(阪急4勝3敗、2年連続2度目)
- 1977年:巨人 - 阪急(阪急4勝1敗、3年連続3度目)
「V9」で一度も巨人に勝てなかった阪急がリベンジを果たし、3連覇に輝いた第27回・第28回シリーズ。
1976年の巨人は球団史上初の最下位から3年ぶりのリーグ優勝を果たしたが、3連敗の後3連勝というジェットコースターの末に敗退。 3連勝の後に3連敗したチームが優勝した唯一の年でもある。「V9」でリーグ最多の5敗を喫した借りを返し、6度目にして西本幸雄監督時代からの悲願だった「打倒巨人」が実現した。
1977年は第4戦の9回表、巨人が2勝2敗のタイに持ち込むかという2-1の状況で2死からチャンスを作り、代打・高井保弘の浅い安打から本塁へ突入した二塁走者が 捕手のタッチをかいくぐって左手でホームベースに触れるという好走塁を見せて追いつくと、さらに追加点を挙げて試合をひっくり返す大逆転が生まれた。この勢いに乗った阪急がそのまま第5戦を下して3連覇を決めたため、シリーズの分岐点になった攻防と評される。
なお、阪急としてはこの年が最後の日本一になった。
MVPは1976年が福本豊、1977年が山田久志。
- 1978年:ヤクルト - 阪急(ヤクルト4勝3敗、初優勝)
リーグ初優勝のヤクルトと3連覇中の阪急の初顔合わせになり、ヤクルトが阪急の4連覇を阻止して球団史上初の日本一を達成した第29回シリーズ。
東京六大学野球との兼ね合いから神宮が使用できず、ヤクルトの主催試合は後楽園球場で開催された。
第7戦ではヤクルトの本塁打を巡り、阪急の上田利治監督がファウルではないかという抗議で史上最長となる1時間19分も中断。阪急はこれが敗因になったとも言われる。
このカードの対決は近鉄も含めて以降も4度行われており、下記のように2021年まではヤクルトが全勝している。
MVPは大杉勝男。
- 1979年:広島 - 近鉄(広島4勝3敗、初優勝)
(1980年代の項に続く)
昭和の終わりと平成の幕開け、ドーム球場の登場といった時代の転換期になった年代。
(1970年代の項の続き)
- 1980年:広島 - 近鉄(広島4勝3敗、2年連続2度目)
リーグ連覇を果たした広島と近鉄による2年連続の顔合わせで、広島が球団史上初の日本一を含めた連覇を決めた第30回・第31回シリーズ。これまた「どちらが勝っても初の日本一」シリーズでもある。
POと同様に日本生命球場や藤井寺球場は収容人数(2万500人)やナイター設備の関係で2年とも使用できず、近鉄の主催試合は大阪スタヂアムで開催された。結果的に同球場で行われた最後のシリーズになった。
1979年は第7戦以外全てホームチームが勝つという「内弁慶シリーズ」に。この年の近鉄は年間2位(前期優勝)ながらPOで年間1位(後期優勝)の阪急を破って出場。第7戦9回裏の攻防はプロ野球史に残る名勝負と呼ばれ、これを題材とした山際淳司のノンフィクション作品『江夏の21球』でも知られる。その実、ただの江夏の一人劇場だったことは内緒だ。
ちなみに、優勝チームの総得点が敗退チームよりも下回ったことはシリーズ全体で9回あるが、この年の6点差(広島17点・近鉄23点)は史上最高である。
MVPは1979年が高橋慶彦、1980年がジム・ライトル。
- 1981年:巨人 - 日本ハム(巨人4勝2敗、8年ぶり16度目)
4年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人と、東映時代以来19年ぶりにパ・リーグを制覇した日本ハムの初顔合わせになった第32回シリーズ。
1970年に続いて東京都のみの開催で、さらには両チームともに後楽園球場を本拠地とすることから開催地移動が行われなかった異色のシリーズであり、「後楽園シリーズ」とも呼ばれる。
巨人の4勝は全て完投勝利であり、比較的中継ぎ投手という概念が浸透してきた時代にあってリリーフの出番がほとんどなかった。
なお、後楽園球場が廃止された1988年以降は両チームとも新造された東京ドームを本拠地としていたが、その間は日本シリーズで対決することはなく、さらに日本ハムは2004年から札幌ドームに移転したため、現在は複数のチームが本拠地を共用することはなくなっている。
MVPは西本聖。
- 1982年:中日 - 西武(西武4勝2敗、24年ぶり4度目)
西武が西鉄時代以来24年ぶり4度目、西武としておよび所沢移転後初の日本一に輝いた第33回シリーズ。この年は年間2位(前期優勝)だったが、POで年間1位(後期優勝)の日本ハムに勝利して日本シリーズに進出し、8年ぶりにセ・リーグを制覇した中日と対戦した。
両チームとも2勝2敗で迎えた第5戦、2死二塁という場面で中日の平野謙が放った打球は一塁塁審の足に当たり、捕球した 二塁手が三塁に投げて走者をタッチアウトする珍事が発生。
これにより中日は先制のチャンスを逃して敗退したことから、シリーズの流れを変えた「石ころ事件」とも言われた。
MVPは東尾修。
- 1983年:巨人 - 西武(西武4勝3敗、2年連続5度目)
所沢移転当初から巨人とはさまざまな因縁があったゆえ、球界の盟主の座を賭けるという意味で試合前から大いに盛り上がった第34回シリーズ。
3度のサヨナラ勝ちに加えて逆転に次ぐ逆転と大きく盛り上がり、シリーズ有数の名勝負と呼ばれることに。
結果西武は巨人を下して連覇を果たし、黄金時代の幕開けになる。
MVPは大田卓司。
- 1984年:広島 - 阪急(広島4勝3敗、4年ぶり3度目)
4年ぶりのリーグ優勝を果たした広島が1975年の借りを返し、4年ぶり3度目の日本一を決めた第35回シリーズ。
通算6度目となった「西日本シリーズ」で、阪急としての出場も阪急西宮球場での開催もこの年が最後になった。
また、広島の日本一達成もこの年が最後になっており、12球団唯一の1900年代かつ昭和になっている。
MVPは長嶋清幸。
- 1985年:阪神 - 西武(阪神4勝2敗、初優勝)
中埜肇球団社長が亡くなった「日本航空123便墜落事故」を乗り越え、阪神が球団創立50年目にして初の日本一を達成した第36回シリーズ。初めて指名打者制が導入されたシリーズでもある。
NPB最強外国人として名高いランディ・バースを筆頭に、真弓明信・掛布雅之・岡田彰布ら「ニューダイナマイト打線」の活躍で21年ぶりのリーグ優勝を決めた阪神と、廣岡達朗監督の元で「管理野球」を標榜し、工藤公康・東尾修・松沼博久・高橋直樹・渡辺久信ら強力な投手陣を擁して2年ぶりにパ・リーグを制覇した西武が対決した。
セ・リーグとしては昭和最後の日本一になり、関西ではリーグ優勝からの阪神フィーバーが最高潮に達し、バースに見立てたカーネル・サンダース像を道頓堀川に投げ落としたことで2年後からの暗黒時代の幕開けになってしまった。
MVPはランディ・バース。
- 1986年:広島 - 西武(西武4勝3敗1分、3年ぶり6度目)
- 1987年:巨人 - 西武(西武4勝2敗、2年連続7度目)
- 1988年:中日 - 西武(西武4勝1敗、3年連続8度目)
リーグ4連覇の西武が日本一3連覇を達成した第37回~第39回シリーズ。
1986年は上述の通り、唯一第8戦まで行われたシリーズである。森祇晶・阿南準郎両監督という史上初の「新人監督対決」で、広島が第1戦の引き分けの後3連勝して王手をかけたものの、そこから西武が怒涛の4連勝で日本一というジェットコースター。この年は指名打者制なしで行われた。
1987年から毎年パ・リーグ球場で指名打者制が採用されるようになり、第8試合以降の延長戦が無制限に。この年は4年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人が出場し、後楽園球場で開催された最後のシリーズにして清原和博・桑田真澄というPL学園高校同期の「KK対決」が話題に。第6戦の西武は巨人の守備の隙をついて走者を一気に生還させ、9回2死では 一塁手の清原が涙を流したりする場面もあった。
1988年は昭和最後のシリーズになり、 近鉄を下して優勝を決めた勢いそのままに6年ぶりのセ・リーグ王者になった中日を圧倒し、最後は1965年以来3度目となるサヨナラ日本一を収めた。
MVPは1986年から順番に工藤公康・工藤公康・石毛宏典。
- 1989年:巨人 - 近鉄(巨人4勝3敗、8年ぶり17度目)
平成初、並びに初めてドーム球場(東京ドーム)で開催された第40回シリーズ。巨人は近鉄とは初対戦で、当時のパ・リーグ6球団全てと戦ったことになった。
近鉄の主催試合はナイター整備が行われた藤井寺球場で初めて開催。3連勝で王手をかけたものの、加藤哲郎のいわゆる「巨人はロッテより弱い」発言によって巨人が奮起し、まさかの4連敗を喫してしまった。
MVPは駒田徳広。
西武の黄金期が終わり、ヤクルトの快進撃が目立った年代。
- 1990年:巨人 - 西武(西武4勝0敗、2年ぶり9度目)
- 1991年:広島 - 西武 (西武4勝3敗、2年連続10度目)
- 1992年:ヤクルト - 西武(西武4勝3敗、3年連続11度目)
リーグ3連覇の西武がまたしても日本一3連覇を決めた第41回~第43回シリーズ。
1990年はNPB史上最速となる9月8日にリーグ連覇を決めた巨人だったが、シリーズまで1か月半もブランクがあったことから前年とは打って変わって1勝もできずにあえなく敗退。「野球観が変わった」(岡崎郁)・「思い出すのもおぞましい」(川相昌弘)など、当時の巨人ナインにトラウマともいえるほどの大きな傷を残したという。
1991年は5年ぶりにセ・リーグを制覇した広島が出場。この年が広島市民球場で開催された最後のシリーズになり、西武は2勝3敗からの逆転で接戦を制した。
1992年は14年ぶりのリーグ優勝を決めたヤクルトが参戦し、本拠地として初めて神宮で開催された。
森・野村克也両監督ともに捕手出身で野球論を展開することも多かったことから、「狐と狸の化かし合い」と呼ばれて大いに盛り上がった。
7試合中4試合が延長戦という拮抗ぶりで、1983年と並んでシリーズ屈指の名勝負と呼ばれることも多い。
西武が日本一を決めた当日は貴花田と宮沢りえ氏の婚約会見とバッティングし、翌日のスポーツ新聞一面もかっさらわれたという珍事なオチもついている。
MVPは1990年から順番にオレステス・デストラーデ、秋山幸二・石井丈弘。
- 1993年:ヤクルト - 西武(ヤクルト4勝3敗、15年ぶり2度目)
最後の平日デーゲーム開催になった第44回シリーズ。
前年に引き続き両リーグを制覇したヤクルトと西武の顔合わせになり、ヤクルトが西武の4連覇を阻止して15年ぶりの日本一に輝いた。
2年連続同一カードで勝敗が入れ替わった初のシリーズで、これまで無敗だった森監督が初黒星を喫したことは歴史的な話題になった。
第4戦でヤクルトの中堅手・飯田哲也が安打の打球を処理し、二塁走者を本塁タッチアウトにした返球はシリーズ史に残るスーパープレーとして語り草に。
野村監督は現役時代パ・リーグ一筋ながらセ・リーグ球団を日本一に導くという唯一の記録を残した。
MVPは川崎憲次郎。
- 1994年:巨人 - 西武(巨人4勝2敗、5年ぶり18度目)
「10.8決戦」を制して5年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人がパ・リーグ5連覇の西武を破り、5年ぶり18度目の日本一に輝いた第45回シリーズ。
長嶋茂雄監督の「予言」はさることながら、試験的に平日のみ30年ぶりのナイター開催、西武の黄金時代を築いた森監督の勇退報道が第6戦の朝に出るなど、さまざまな面で時代のひと区切りになったシリーズでもあった。
ちなみに、海を超えたアメリカではワールドシリーズが232日間に及ぶ長期ストライキで中止されたため、海外でも中継されるという異例なものになった。
MVPは槙原寛己。
- 1995年:ヤクルト - オリックス(ヤクルト4勝1敗、2年ぶり3度目)
2年ぶりのリーグ優勝を決めたヤクルトと、この年に発生した阪神・淡路大震災で未だ傷心の 兵庫県を盛り上げるために奮起して阪急時代以来11年ぶりのリーグ優勝を達成したオリックスによる第46回シリーズ。
野村・仰木彬両監督による「野村ID野球 vs 仰木マジック」の対決が注目され、ヤクルトが2年ぶり3度目の日本一を収めた。
この年から全カードナイターとなり、第2~4戦は3試合連続で延長戦にもつれ込む大接戦が繰り広げられた。中でも第4戦の11回裏に行われた攻防は「小林の14球」と呼ばれ、瞬間視聴率55.9%を記録するなど「江夏の21球」以来となる名勝負とされた。
MVPはトーマス・オマリー。
- 1996年:巨人 - オリックス(オリックス4勝1敗、19年ぶり4度目)
最大11ゲーム差を逆転する「メークドラマ」を達成して2年ぶりのリーグ優勝を大逆転で飾った巨人と、リーグ連覇を果たしたオリックスによる第47回シリーズ。
勝利チームの星取りが前年と全く同じで、オリックスは4勝1敗で阪急時代以来19年ぶり4度目、オリックス・ブルーウェーブとして最初で最後の日本一を達成。近畿地方のパ・リーグ球団が巨人との日本シリーズを初めて本拠地で制した。
ちなみに、この年の巨人は守備率1.000を記録しており、シリーズ失策0は現在でも唯一である。
MVPはトロイ・ニール。
- 1997年:ヤクルト - 西武(ヤクルト4勝1敗、2年ぶり4度目)
2年ぶりにヤクルトをリーグ優勝に導いた古田敦也と、3年ぶりにパ・リーグ覇者になった西武の伊東勤両正捕手の頭脳が注目された第48回シリーズ。
開放型の西武ライオンズ球場としては最後のシリーズになり、翌年からは屋根が設置されて 西武ドームに改修されたため、西武の選手がホームランを放ったり試合に勝利した場合に打ち上げられたりする花火も見納めになった。
MVPは古田敦也。
- 1998年:横浜 - 西武(横浜4勝2敗、38年ぶり2度目)
「 マシンガン打線」と呼ばれる強力打線を擁した横浜が、38年ぶりのリーグ優勝の勢いそのままに日本一に輝いた第49回シリーズ。史上初となる東京都以外の「関東シリーズ」でもある。
全試合で 先制点を挙げた方がそのまま逃げ切るという異色のシリーズで、試合途中の逆転もなく淡白な試合が多かったとも言える。
上記の通りこの時点での西武ドームはフィールド部分が屋根で覆われていなかったため、第3戦が雨天中止になった。
MVPは鈴木尚典。
- 1999年:中日 - ダイエー(ダイエー4勝1敗、35年ぶり3度目)
1900年代最後となった第50回シリーズ。
11年ぶりにセ・リーグを制覇した中日と、史上最長となる20年連続Bクラスの暗黒時代を脱出して26年ぶりのリーグ優勝を決めたダイエーが対戦。全試合がドーム球場(ナゴヤドーム・福岡ドーム)で開催された初めてのシリーズでもある。
ダイエーが4勝1敗で35年ぶり3度目、ダイエーとしておよび福岡移転後初の日本一になった。
MVPは秋山幸二。上記の通り西武時代の1991年にも受賞しているため、史上初の複数球団での受賞になった。
2000年代の始まりと世紀の境目、近鉄の消滅と楽天の登場、そしてCSの導入などさまざまな面で時代の変革を迎えた年代。
- 2000年:巨人 - ダイエー(巨人4勝2敗、6年ぶり19度目)
2000年代初、そして20世紀最後となった第51回シリーズ。
6年ぶりに巨人をリーグ優勝に導いた長嶋茂雄監督と、ダイエーのリーグ連覇を果たした王貞治監督という、巨人の「V9」時代を支えた盟友同士の対決だったことから「ON対決」「ONシリーズ」と呼ばれて大いに盛り上がった。
MVPは松井秀喜。
特筆すべき点として、この年の日程は「東京ドーム・東京ドーム→福岡ドーム→休み・休み→福岡ドーム・福岡ドーム→東京ドーム・東京ドーム」という、通常の移動日がなく3連戦から2日空けて4連戦という特殊な日程になっていたが、これは日本脳神経外科学会の会合(2000年10月24日~27日)のために福岡ドーム側が球団の許可なく勝手に球場を貸し出してしまったため。
これは、ドーム側は日程を依頼された1997年の時点でチームが20年連続Bクラスと低迷し、どうせ出られないだろうと勝手に判断してしまったことが原因である。
しかし、1998年は一転して福岡移転後初のAクラス入りを果たしたことで問題が発覚したものの、この会合は世界各国から約2万人が集結する大規模な学会だったことから日程の変更などすでに手遅れであり、仮にできたところでダイエーが出場できなければ元も子もなく、球場や日本シリーズそのものの日程変更も叶わなかった。
最終的には学会側が27日の会合を中止し、26日を午前中で打ち切るなどの厚意を示したことで事なきを得たが、選手にとっては移動日なしでの連戦に加えての2日間の休みも球場が使用できないなど負担も大きく、結果的に日本一を逃してしまう原因になった。
一見すると無許可で勝手に日程を取り決めたドーム側の責任にも見えるが、依頼のあった1997年から1998年秋まで1年以上も球団の発見が遅れたことをNPBに問題視され、間接的にリーグ優勝を目指していない球団の体質を批判されて3000万円の制裁金を受けている。これは個人・球団への罰金として最高額である。
- 2001年:ヤクルト - 近鉄(ヤクルト4勝1敗、4年ぶり5度目)
21世紀初となった第52回シリーズ。4年ぶりのリーグ優勝を支えたヤクルトの扇の要・古田敦也の頭脳と、北川博敏の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打など「いてまえ打線」と呼ばれる強力打線でパ・リーグ初の前年最下位から12年ぶりのリーグ優勝を決めた近鉄の勝負が最大の注目になり、若松勉・梨田昌孝両監督による生え抜き監督対決でもあった。
ヤクルトは第2戦を除いて「いてまえ打線」を2点以下に封じ切り、4年ぶり5度目にして若松監督は球団生え抜き初の日本一を達成。
一方で近鉄はチーム総失点・防御率リーグ最下位の投手陣が史上初となる第3戦まで3試合連続6失点以上を喫し、自慢の「いてまえ打線」も上述の通り第2戦以外はシーズン中に見せた本領を発揮できず、この年が最後の日本シリーズ出場になってしまい、結局一度も日本一になれないまま2004年にオリックスと合併して55年の歴史に幕を閉じることになる。
MVPは古田敦也。
- 2002年:巨人 - 西武(巨人4勝0敗、2年ぶり20度目)
原辰徳・伊原春樹両監督という2度目の「新人監督対決」になった第53回シリーズ。
2年ぶりのリーグ優勝を決めた巨人が勢いそのままに「V9」にもなかった球団史上初のストレート勝ちを収め、1990年の借りを返して原監督は就任1年目で日本一を達成。
巨人の投手陣は8人全員が1試合のみの登板であり、複数試合に登板した投手が1人もいないという珍しい記録を残した。
また、この年時点でセ32勝・パ21勝とセ・リーグの勝ち越しが11となり、1973年(17勝7敗)・1981年(21勝11敗)・1985年(23勝13敗)の勝ち越し10を上回って史上最多に。
MVPは二岡智宏。
- 2003年:阪神 - ダイエー(ダイエー4勝3敗、4年ぶり4度目)
暗黒時代を脱出して18年ぶりのリーグ優勝を決めた阪神と、3年ぶりのリーグ優勝を果たしたダイエーが激突した第54回シリーズ。
両チームが本拠地のみで勝つという「 内弁慶シリーズ」はさることながら、「ダイエーのシリーズ最多得点零封試合(13-0)」「阪神の2試合連続サヨナラ勝利」「勝利投手が全員左投手」といった新記録(珍記録)の多さも話題に。
また、本拠地が 山陽新幹線沿線であることから JR西日本は「山陽新幹線シリーズ」と命名し、両球団のペットマークを付けた特別列車を走らせた。
10年ぶりに第7戦までもつれたシリーズになり、ダイエーは連勝→3連敗→連勝と激戦を制して4年ぶり4度目の日本一を手にした。
MVPは杉内俊哉。
- 2004年:中日 - 西武(西武4勝3敗、12年ぶり12度目)
こちらも落合博満・伊東勤両監督による「新人監督対決」になった第55回シリーズ。
12年前と同じく、西武はシーズン2位ながらこの年から導入されたPOを勝ち抜いて進出し、奇しくも再び中日を下して12度目の日本一を達成した。
第5戦の10月23日に新潟県中越地震が発生したが特に黙祷などは行われず、勝利した西武は予定通りビールかけを実施した。一応、中日の選手会は寄付金100万円を被災地に送っている。
MVPは史上初めてレギュラーシーズンを上回る勝利数(2勝)を挙げた石井貴。彼はこの活躍でオフの トレード説が流れ、2007年に引退するまで生涯西武を貫き通したが、そのトレード予定先は皮肉にも対戦相手の中日だったそうな。
- 2005年:阪神 - ロッテ(ロッテ4勝0敗、31年ぶり3度目)
ある理由により、特にネタ人気で名高い第56回シリーズ。全試合が屋外球場で開催された最後のシリーズでもある。
いわゆる JFKで逃げ勝つ野球で2年ぶりのリーグ優勝を決めた阪神と、2位からPOを勝ち上がったロッテの対決になったが、いざ蓋を開けてみれば 笑撃的衝撃的な結末に。
詳細は 当該項目を参照。
- 2006年:中日 - 日本ハム(日本ハム4勝1敗、44年ぶり2度目)
第1回WBCを制して日本中が歓喜に沸いたこの年、2年ぶりのリーグ優勝を決めた中日と25年ぶりにパ・リーグを制覇した日本ハムによる第57回シリーズ。
札幌ドームはホームチームが三塁側ベンチを使用している事情から、全試合とも中日が一塁側・日本ハムが三塁側のベンチを使用した珍しいシリーズになっている(2012年と2016年も同様)。
日本ハムがパ・リーグ最長ブランクとなる44年ぶり2度目、日本ハムとしておよび北海道移転後初の日本一に輝いた。
MVPは稲葉篤紀。また、同年限りで引退するSHINJO( 新庄剛志)は最後まで中堅手として活躍しチームの日本一に貢献。ウイニングボールを掴んだ森本稀哲はマウンドではなく真っ先に新庄に駆け寄り、胴上げもトレイ・ヒルマン監督や大社義規前オーナー、リーグMVPの小笠原道大らを差し置いて1番最初に行われた。
- 2007年:中日 - 日本ハム(中日4勝1敗、53年ぶり2度目)
CSが導入されて初めての開催になり、2年連続の顔合わせになった第58回シリーズ。
巨人を撃破して2位から出場した中日が前年と全く同じ星取りで雪辱を果たし、第5戦では参考記録ながらMLBにも例がない 継投での完全試合を決めて12球団最長ブランクとなる53年ぶりの日本一に輝いた。前述の通りPOでは勝利チームがそのままシーズン優勝の扱いだったため、優勝チーム以外が日本一になるのも初である。
詳細は 当該項目を参照。
- 2008年:巨人 - 西武(西武4勝3敗、4年ぶり13度目)
西武が4年ぶり13度目の日本一に輝いた第59回シリーズ。
最大13ゲーム差をひっくり返す「メークレジェンド」を達成してリーグ連覇を大逆転で飾った巨人と、首位に立ってから一度も陥落することなく4年ぶりのリーグ優勝を達成した西武が対戦した。
岸孝之はカーブを武器に三振の山を築き、日本シリーズ初登板で初完封を達成してMVPに輝いた。
一方、敗退した巨人は頼みの中継ぎだった越智大祐が被安打1で逆転された試合があったためか、「日本シリーズ戦犯越智」と呼ばれてしまった。
- 2009年:巨人 - 日本ハム(巨人4勝2敗、7年ぶり21度目)
WBC連覇で列島が歓喜に沸いたこの年、「後楽園シリーズ」以来28年ぶりの対決になった第60回シリーズ。
「V9」以来のリーグ3連覇を達成した巨人と、2年ぶりにパ・リーグを制した日本ハムが対戦した。上記の通り日本ハムは1988年~2003年は東京ドームを本拠地としていたが、その間は一度も日本シリーズに出場していなかったため、ビジターとしてではあるが初めて東京ドームで日本シリーズに出場することになった。
また、新型インフルエンザへの感染に対する特例処置として出場資格者の人数制限がなくなった唯一のシリーズでもある。
WBCで世界の頂点に立った原監督は巨人も日本一に導いた。
MVPは阿部慎之助。
平成から令和に変わる年代。CSでの下克上も含めてセ・リーグ全球団が出場を果たしたが、ソフトバンクをはじめとするパ・リーグの快進撃が目立った時期でもあった。
- 2010年:中日 - ロッテ(ロッテ4勝2敗1分、5年ぶり4度目)
4年ぶりのリーグ優勝を果たした中日と、CSでソフトバンクを倒して3位からの下克上で勝ち上がったロッテによる第61回シリーズ。
前述の通り、一部試合のテレビ全国中継が行われなかったが、その状況とは裏腹にロッテは5年ぶり4度目にして史上初の 3位からの日本一という 史上最大の下克上を達成したことで大きく盛り上がった。
また、ボールカウントが「SBO」の順で実施された最後の年でもある。
詳細は 当該項目を参照。
ロッテの直近の日本シリーズでの戦いのプレイバックのせいでトラウマをほじくり返されまくった無関係の球団についてはここでは語らない。
- 2011年:中日 - ソフトバンク(ソフトバンク4勝3敗、8年ぶり5度目)
リーグ連覇を達成した中日とソフトバンクの2度目の対戦になった第62回シリーズ。この年からコナミをスポンサーに迎えて「KONAMI日本シリーズ」として開催されるようになる。
東日本大震災の影響でシーズン開幕自体が遅れたこともあり、シリーズ全体でも4番目に遅い開催(11月12日~20日)になっている。上記の通り、第1戦は17年ぶりのデーゲームで行われた。
第6戦までは全てビジターチームが勝利したことから「外弁慶シリーズ」とも呼ばれ、第7戦までもつれながら両チームともにホームで本塁打が1本も出なかった珍しいシリーズでもある。
ソフトバンクがダイエー時代以来8年ぶり5度目、ソフトバンクとしては初の日本一に輝き、リーグ優勝・交流戦優勝・CS優勝・11球団勝ち越し・日本一という「完全制覇」を達成した。
MVPは小久保裕紀。40歳での受賞は史上最年長である。
- 2012年:巨人 - 日本ハム(巨人4勝2敗、3年ぶり22度目)
それぞれ3年ぶりのリーグ優勝で通算3度目の対決になった両チームによる第63回シリーズ。
1998年のように全試合で逆転勝利がなく、第4戦の日本ハムのサヨナラ勝利を含めて先制点を挙げたチームがそのまま勝つという逆転のないシリーズでもあり、この年も4勝2敗で巨人が日本ハムを下して3年ぶり22度目の頂点に立った。
なお、セ・リーグとしては平成最後の日本一であり、2010年代のシリーズでは唯一セ・リーグが勝利した年でもある。
MVPは内海哲也。
- 2013年:巨人 - 楽天(楽天4勝3敗、初優勝)
東日本大震災で未だ傷心の東北を盛り上げるために奮起した楽天が、球団史上初のリーグ優勝を決めた勢いそのままに日本一まで上り詰めた第64回シリーズ。
巨人は1934年、楽天は2004年創立という新旧チームによるシリーズで、両チームとも王手をかけて第7戦までもつれるという大激戦が繰り広げられた。
宮城球場(クリネックススタジアム)および仙台市としては、1974年に叶わなかった悲願の日本シリーズ・優勝パレード開催を達成した。
詳細は 当該項目を参照。
- 2014年:阪神 - ソフトバンク(ソフトバンク4勝1敗、3年ぶり6度目)
CSで巨人を倒して2位から勝ち上がった阪神と、オリックスとの最終戦をサヨナラ勝ちで制して3年ぶりのリーグ優勝を決めたソフトバンクによる第65回シリーズ。
この年からSMBCをスポンサーに迎えて「SMBC日本シリーズ」として開催されるようになる。
詳細は 当該項目を参照。
- 2015年:ヤクルト - ソフトバンク(ソフトバンク4勝1敗、2年連続7度目)
セ・リーグでは1976年の巨人以来となる前年最下位から14年ぶりのリーグ優勝を決めたヤクルトと、リーグ連覇を果たしたソフトバンクによる第66回シリーズ。これまた真中満・工藤公康両監督による「新人監督対決」でもある。
チーム名が鳥の名前同士であるのも初で、山田哲人・柳田悠岐という65年ぶりの「トリプルスリー対決」でもあった。
ソフトバンクは5戦全てでヤクルトの先発を5回までにKOし、21世紀初にして球団史上初、そして史上唯一となる2人の監督で日本一連覇を果たした(前年は秋山幸二監督)。
MVPは李大浩。韓国人選手初の受賞である。
- 2016年:広島 - 日本ハム(日本ハム4勝2敗、10年ぶり3度目)
25年ぶりのリーグ優勝を果たした広島と、 大谷翔平の二刀流の活躍で4年ぶりのリーグ優勝を決めた日本ハムが激突した第67回シリーズ。
セ・リーグ最西端の広島、パ・リーグ最北端の日本ハムと最も地理的に離れた2チームであることから「 史上最長距離シリーズ」とも呼ばれた。
また、札幌ドームで開催された最後のシリーズでもある。
詳細は 当該項目を参照。
- 2017年:DeNA - ソフトバンク(ソフトバンク4勝2敗、2年ぶり8度目)
CSで広島を撃破して3位からの下克上で勝ち上がったDeNAと、2年ぶりのリーグ優勝を決めたソフトバンクが対戦した第68回シリーズ。
ソフトバンクは3連勝から連敗の末、最後は平成唯一のサヨナラ日本一を達成。第6戦で来日初となる執念の3イニング回またぎを決行し、勝利を引き寄せたデニス・サファテがMVPに輝いた。
延長15回制限はこの年が最後になった。
- 2018年:広島 - ソフトバンク(4勝1敗1分、2年連続9度目)
平成最後となった第69回シリーズ。巨人以来2球団目となるセ・リーグ3連覇を達成した広島と、2位からCSで西武を撃破して勝ち上がったソフトバンクが対戦した。
「西日本シリーズ」としては初の中国・九州対決で、日本標準時子午線(東経135度線)以東が舞台にならなかったシリーズでもある。
第2戦以外は全て3点差以内での決着という接戦続きであり、1敗1分から4連勝でソフトバンクが連覇を達成。史上初めてリーグ連覇なく日本一を連覇した。
甲斐拓也はシリーズ新記録となる6連続盗塁阻止を決めてピンチの芽を摘み、育成出身選手初のMVPに輝いた。
- 2019年:巨人 - ソフトバンク(ソフトバンク4勝0敗、3年連続10度目)
(2020年代の項に続く)
コロナ禍に見舞われた年代でもあり、毎年異なるチームが日本一を決めるとともにブランクが20年以上あるチームが多いのも特徴。
- 2020年:巨人 - ソフトバンク(ソフトバンク4勝0敗、4年連続11度目)
巨人とソフトバンクの顔合わせになった令和初の第70回・第71回シリーズで、ソフトバンクがMLBでも前例のない「2年連続同一カード4連勝」を決めてパ・リーグ初の日本一4連覇を達成した(2019年は2位からの出場)。
巨人は打線が壊滅的に振るわず、中でも2020年は上記の通り全試合指名打者制の特別ルールだったにも関わらず2005年の阪神すら下回るほどの不名誉な記録の数々を打ち立ててしまい、「26-4」「オールブラックス」などと揶揄されてしまっている。
これにより2013年の第7戦から9連敗となり、同一監督としては史上ワーストに。原監督個人としても史上初となる同一監督によるシリーズ4連勝・4連敗経験、球団史上2人目となる選手・監督両方でのシリーズ4連敗の記録を打ち立てている。
一方で、上記の通りソフトバンクはセ・リーグ全球団と日本シリーズで戦い、その全てに勝利するという快挙を達成。2018年の第3戦以降は負けなしの12連勝で、本拠地(2011年の第7戦以降)およびポストシーズン(2019年CSファーストステージ第2戦以降)全体でも16連勝を達成した。
さらに2019年には1959年以来50年ぶりに対戦成績をタイに戻すと、続く2020年はパ・リーグが36勝35敗となり、第1回を除いて初めてセ・リーグをリードした。
MVPは2019年がジュリスベル・グラシアル、2020年が栗原陵矢。
前述の通り、2020年はコロナ禍の影響で6月開幕の縮小シーズンになっており、さらにセ・リーグはCSが全面中止、パ・リーグもファイナルステージのみをアドバンテージも含めた4戦3勝制で開催された。
また、東京ドームは都市対抗野球開催の兼ね合いで使用できず、巨人の主催試合は京セラドームで開催された。本拠地以外の会場で開催されたのは1980年の近鉄以来40年ぶり、セ・リーグでは1978年のヤクルト以来42年ぶりで、パ・リーグの本拠地を使用したのは初である。
観客収容率の上限が定員の50%以下に制限されこともあり、観客数は前売券なしで平日昼の開催だった1986年の第8戦以来34年ぶりに1万人台を記録した。
- 2021年:ヤクルト - オリックス(ヤクルト4勝2敗、20年ぶり6度目)
- 2022年:ヤクルト - オリックス(オリックス4勝2敗1分、26年ぶり5度目)
史上初の「2年連続最下位からリーグ連覇を達成した下克上対決」になった第72回・第73回シリーズ。
2022年の第3戦を除いた13試合中12試合が3点差以内の決着で、さらに2点差以内が10試合・1点差が6試合とシリーズ史上でも屈指の大接戦続きになった。
2021年はヤクルトが阪神・巨人との三つ巴の末に6年ぶり、オリックスはロッテにマジック点灯を許しながらも逆転で25年ぶりにそれぞれリーグ優勝を決め、日本シリーズでは4勝2敗でヤクルトが20年ぶり6度目の日本一を達成。パ・リーグ9連覇を阻止し、令和初のセ・リーグ日本一に輝いた。
前年に引き続き観客収容率の上限が定員の50%以下に制限された中の開催だった。
MVPは中村悠平。
2022年は 史上最速で優勝マジック53を点灯させたヤクルトと、2014年のお返しとばかりにシーズン最終日の大逆転で マジック点灯なく連覇を決めたオリックスという対照的な優勝形態が話題に。
この年は2敗1分から怒涛の4連勝で阪急・ブルーウェーブ・近鉄時代を含めて過去4度苦杯を舐めたヤクルトにリベンジを果たし、オリックスが26年ぶり5度目の日本一を達成。 大阪府を本拠地とするチームでは1964年の南海以来58年ぶり、さらに「バファローズ」を名乗るチームでは史上初の日本一になっている。同時に2020年以来2年ぶりにパ・リーグが37勝36敗で勝ち越した。
引き続きマスク着用義務・声出し不可の制限があったものの、この年は入場制限が撤廃されて3年ぶりに収容率100%で開催された。
MVPは杉本裕太郎。
なお、2021年のNPBは東京五輪の関係で7月15日~8月12日の1か月に渡ってシーズンが中断しており、その関係から日本シリーズも11月20日~27日とかなり遅い時期に行われた。加えて神宮は学生野球、京セラドームは第6・7戦がAAAのコンサートとの兼ね合いで使用できず、ヤクルトの主催試合は東京ドーム、オリックス主催の第6戦は25年ぶりとなるほっと神戸で行われた。11月27日の決着は第1回の28日、さらにこの年は9回打ち切りルールだったことから初の延長戦に突入し、12回の死闘の末に決着したため、試合終了時刻23時05分は2010年の23時07分に次いでそれぞれ2番目の遅さであり、最終的に気温は7度台にまで落ち込むという極寒の中での試合であった。
3球場以上で開催されたのは1962年以来59年ぶり、3都府県以上で行われたのは1953年以来68年ぶりで、両チームが球場を変更したのは史上初。
両年ともに出場したヤクルトの守護神スコット・マクガフは2021年の胴上げ投手になった一方で、シーズンのような安定感はなく、2021年の第1戦と両年の第5戦で敗戦投手になるという、救援登板のみでシリーズ通算3敗という史上ワーストの記録を残した。よって、2022年のヤクルトの敗因の1つは「マクガフの乱調」とも言われる。
また、オリックスの吉田正尚はそのマクガフから2年連続でサヨナラ打を放っており、シリーズ2度のサヨナラ打はケント・ハドリ以来2人目。2年連続としては史上初の記録になった。
ちなみに、高津臣吾・中嶋聡両監督は現役時代の1995年にそれぞれ選手として出場しており、第3戦の延長10回では直接対戦している(結果は四球)。
- 2023年:阪神 - オリックス(阪神4勝3敗、38年ぶり2度目)
2009年以来のWBC優勝で列島が狂喜乱舞したこの年、18年ぶりにセ・リーグを制した阪神と21世紀初のパ・リーグ3連覇を達成したオリックスによる、1964年以来59年ぶりの「関西対決」になった第74回シリーズ。
阪神が第7戦までもつれ込む激戦を制し、38年ぶり2度目となる「 アレのアレ」を達成した。
詳細は 当該項目を参照。
- 2024年:DeNA - ソフトバンク(DeNA4勝2敗、26年ぶり3度目)
激戦の末に巨人を下して3位からCSを勝ち上がったDeNAと、パ・リーグを独走して4年ぶりにリーグ優勝を決めたソフトバンクが対戦した第75回シリーズ。DeNAは3位から複数回出場した史上初のチームである。
2017年と全く同じ構図だが、この年のDeNAの勝率は.507(71勝69敗)で、1975年の阪急の.520を下回るシーズン最低勝率での日本シリーズ参戦であり、ソフトバンク(91勝49敗)とは貯金差40・勝率差.143にものぼる史上最大の格差対決でもあった。
ソフトバンクが勢いそのままに連勝でスタートしたものの、第3戦からDeNAが怒涛の4連勝で26年ぶり3度目、DeNAとして初の「 \横浜優勝/」を達成。セ・リーグ初となる3位からの日本一の快挙になった。
詳細は 当該項目を参照。
「-」は引き分け。特筆なき場合はシーズン優勝チーム。
回数 |
年 |
優勝チーム【年間順位】 (監督) |
優勝回数 |
勝敗 |
星取表 |
対戦相手【年間順位】 (監督) |
最高殊勲選手(MVP) ※数字は回目 |
敢闘選手 ※数字は回目 |
決着球場 |
セパ勝敗 |
勝 |
分 |
負 |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
日本ワールドシリーズ |
第1回 |
1950年 |
毎日 (湯浅禎夫) |
|
初優勝 |
4 |
|
2 |
毎 |
毎 |
松 |
松 |
毎 |
毎 |
|
|
松竹 (小西得郎) |
別当薫 |
- |
大阪スタヂアム |
セ0勝 |
パ1勝 |
第2回 |
1951年 |
巨人 (水原茂) |
|
初優勝 |
4 |
|
1 |
巨 |
巨 |
巨 |
南 |
巨 |
|
|
|
南海 (山本一人) |
南村不可止 |
- |
後楽園球場 |
セ1勝 |
パ1勝 |
第3回 |
1952年 |
2年連続 |
2度目 |
4 |
|
2 |
巨 |
巨 |
南 |
巨 |
南 |
巨 |
|
|
別所毅彦 |
- |
後楽園球場 |
セ2勝 |
パ1勝 |
第4回 |
1953年 |
3年連続 |
3度目 |
4 |
1 |
2 |
南 |
巨 |
- |
巨 |
巨 |
南 |
巨 |
|
川上哲治 |
簑原宏 |
後楽園球場 |
セ3勝 |
パ1勝 |
日本シリーズ |
第5回 |
1954年 |
中日 (天知俊一) |
|
初優勝 |
4 |
|
3 |
中 |
中 |
西 |
西 |
中 |
西 |
中 |
|
西鉄 (三原脩) |
杉下茂 |
大下弘 |
中日スタヂアム |
セ4勝 |
パ1勝 |
第6回 |
1955年 |
巨人 (水原円裕) |
2年ぶり |
4度目 |
4 |
|
3 |
巨 |
南 |
南 |
南 |
巨 |
巨 |
巨 |
|
南海 (山本一人) |
別所毅彦2 |
戸川一郎 |
大阪スタヂアム |
セ5勝 |
パ1勝 |
第7回 |
1956年 |
西鉄 (三原脩) |
|
初優勝 |
4 |
|
2 |
巨 |
西 |
西 |
西 |
巨 |
西 |
|
|
巨人 (水原円裕) |
豊田泰光 |
稲尾和久 (西鉄) |
後楽園球場 |
セ5勝 |
パ2勝 |
第8回 |
1957年 |
2年連続 |
2度目 |
4 |
1 |
0 |
西 |
西 |
西 |
- |
西 |
|
|
|
大下弘 |
宮本敏雄 |
後楽園球場 |
セ5勝 |
パ3勝 |
第9回 |
1958年 |
3年連続 |
3度目 |
4 |
|
3 |
巨 |
巨 |
巨 |
西 |
西 |
西 |
西 |
|
稲尾和久 |
藤田元司 |
後楽園球場 |
セ5勝 |
パ4勝 |
第10回 |
1959年 |
南海 (鶴岡一人) |
|
初優勝 |
4 |
|
0 |
南 |
南 |
南 |
南 |
|
|
|
|
杉浦忠 |
土屋正孝 |
後楽園球場 |
セ5勝 |
パ5勝 |
第11回 |
1960年 |
大洋 (三原脩) |
|
初優勝 |
4 |
|
0 |
洋 |
洋 |
洋 |
洋 |
|
|
|
|
大毎 (西本幸雄) |
近藤昭仁 |
田宮謙次郎 |
後楽園球場 |
セ6勝 |
パ5勝 |
第12回 |
1961年 |
巨人 (川上哲治) |
6年ぶり |
5度目 |
4 |
|
2 |
南 |
巨 |
巨 |
巨 |
南 |
巨 |
|
|
南海 (藤本定義) |
宮本敏雄 |
ジョー・スタンカ |
大阪スタヂアム |
セ7勝 |
パ5勝 |
第13回 |
1962年 |
東映 (水原茂) |
|
初優勝 |
4 |
1 |
2 |
神 |
神 |
- |
映 |
映 |
映 |
映 |
|
阪神 (藤本定義) |
土橋正幸 種茂雅之 |
吉田義男 |
甲子園球場 |
セ7勝 |
パ6勝 |
第14回 |
1963年 |
巨人 (川上哲治) |
2年ぶり |
6度目 |
4 |
|
3 |
西 |
巨 |
巨 |
西 |
巨 |
西 |
巨 |
|
西鉄 (中西太) |
長嶋茂雄 |
稲尾和久2 |
平和台球場 |
セ8勝 |
パ6勝 |
第15回 |
1964年 |
南海 (鶴岡一人) |
5年ぶり |
2度目 |
4 |
|
3 |
南 |
神 |
神 |
南 |
神 |
南 |
南 |
|
阪神 (藤本定義) |
ジョー・スタンカ |
山内一弘 |
甲子園球場 |
セ8勝 |
パ7勝 |
第16回 |
1965年 |
巨人 (川上哲治) |
2年ぶり |
7度目 |
4 |
|
1 |
巨 |
巨 |
巨 |
南 |
巨 |
|
|
|
南海 (鶴岡一人) |
長嶋茂雄2 |
森下整鎮 |
後楽園球場 |
セ9勝 |
パ7勝 |
第17回 |
1966年 |
2年連続 |
8度目 |
4 |
|
2 |
巨 |
南 |
巨 |
巨 |
南 |
巨 |
|
|
柴田勲 |
渡辺泰輔 |
後楽園球場 |
セ10勝 |
パ7勝 |
第18回 |
1967年 |
3年連続 |
9度目 |
4 |
|
2 |
巨 |
巨 |
巨 |
急 |
急 |
巨 |
|
|
阪急 (西本幸雄) |
森昌彦 |
足立光宏 |
阪急西宮球場 |
セ11勝 |
パ7勝 |
第19回 |
1968年 |
4年連続 |
10度目 |
4 |
|
2 |
急 |
巨 |
巨 |
巨 |
急 |
巨 |
|
|
高田繁 |
長池徳二2 |
後楽園球場 |
セ12勝 |
パ勝 |
第20回 |
1969年 |
5年連続 |
11度目 |
4 |
|
2 |
巨 |
急 |
巨 |
巨 |
急 |
巨 |
|
|
長嶋茂雄3,4 |
阪急西宮球場 |
セ13勝 |
パ7勝 |
第21回 |
1970年 |
6年連続 |
12度目 |
4 |
|
1 |
巨 |
巨 |
巨 |
ロ |
巨 |
|
|
|
ロッテ (濃人渉) |
井石礼司 |
東京スタジアム |
セ14勝 |
パ7勝 |
第22回 |
1971年 |
7年連続 |
13度目 |
4 |
|
1 |
巨 |
急 |
巨 |
巨 |
巨 |
|
|
|
阪急 (西本幸雄) |
末次民夫 |
山田久志 |
後楽園球場 |
セ15勝 |
パ7勝 |
第23回 |
1972年 |
8年連続 |
14度目 |
4 |
|
1 |
巨 |
巨 |
急 |
巨 |
巨 |
|
|
|
堀内恒夫 |
足立光宏2 |
阪急西宮球場 |
セ16勝 |
パ7勝 |
パ・リーグ前後期制開始 |
第24回 |
1973年 |
巨人 (川上哲治) |
9年連続 |
15度目 |
4 |
|
1 |
南 |
巨 |
巨 |
巨 |
巨 |
|
|
|
南海【3位】 (野村克也) |
堀内恒夫2 |
野村克也 |
後楽園球場 |
セ17勝 |
パ7勝 |
第25回 |
1974年 |
ロッテ (金田正一) |
24年ぶり |
2度目 |
4 |
|
2 |
中 |
ロ |
中 |
ロ |
ロ |
ロ |
|
|
中日 (与那嶺要) |
弘田澄男 |
高木守道 |
中日スタヂアム |
セ17勝 |
パ8勝 |
第26回 |
1975年 |
阪急【2位】 (上田利治) |
|
初優勝 |
4 |
2 |
0 |
- |
急 |
急 |
- |
急 |
急 |
|
|
広島 (古葉竹識) |
山口高志 |
山本浩二 |
阪急西宮球場 |
セ17勝 |
パ9勝 |
第27回 |
1976年 |
阪急 (上田利治) |
2年連続 |
2度目 |
4 |
|
3 |
急 |
急 |
急 |
巨 |
巨 |
巨 |
急 |
|
巨人 (長嶋茂雄) |
福本豊 |
柴田勲 |
後楽園球場 |
セ17勝 |
パ10勝 |
第28回 |
1977年 |
3年連続 |
3度目 |
4 |
|
1 |
急 |
急 |
巨 |
急 |
急 |
|
|
|
山田久志 |
河埜和正 |
後楽園球場 |
セ17勝 |
パ11勝 |
第29回 |
1978年 |
ヤクルト (廣岡達朗) |
|
初優勝 |
4 |
|
3 |
急 |
ヤ |
急 |
ヤ |
ヤ |
急 |
ヤ |
|
阪急 (上田利治) |
大杉勝男 |
足立光宏3 |
後楽園球場 |
セ18勝 |
パ11勝 |
第30回 |
1979年 |
広島 (古葉竹識) |
|
初優勝 |
4 |
|
3 |
近 |
近 |
広 |
広 |
広 |
近 |
広 |
|
近鉄【2位】 (西本幸雄) |
高橋慶彦 |
井本隆 |
大阪スタヂアム |
セ19勝 |
パ11勝 |
第31回 |
1980年 |
2年連続 |
2度目 |
4 |
|
3 |
近 |
近 |
広 |
広 |
近 |
広 |
広 |
|
近鉄 (西本幸雄) |
ジム・ライトル |
小川亨 |
広島市民球場 |
セ20勝 |
パ11勝 |
第32回 |
1981年 |
巨人 (藤田元司) |
8年ぶり |
16度目 |
4 |
|
2 |
日 |
巨 |
日 |
巨 |
巨 |
巨 |
|
|
日本ハム (大沢啓二) |
西本聖 |
井上弘昭 |
後楽園球場 |
セ21勝 |
パ11勝 |
第33回 |
1982年 |
西武【2位】 (廣岡達朗) |
24年ぶり |
4度目 |
4 |
|
2 |
西 |
西 |
中 |
中 |
西 |
西 |
|
|
中日 (近藤貞雄) |
東尾修 |
上川誠二 |
ナゴヤ球場 |
セ21勝 |
パ12勝 |
パ・リーグ前後期制終了 |
第34回 |
1983年 |
西武 (廣岡達朗) |
2年連続 |
5度目 |
4 |
|
3 |
西 |
巨 |
巨 |
西 |
巨 |
西 |
西 |
|
巨人 (藤田元司) |
大田卓司 |
西本聖 |
西武ライオンズ球場 |
セ21勝 |
パ13勝 |
第35回 |
1984年 |
広島 (古葉竹識) |
4年ぶり |
3度目 |
4 |
|
3 |
広 |
急 |
広 |
広 |
急 |
急 |
広 |
|
阪急 (上田利治) |
長嶋清幸 |
山沖之彦 |
広島市民球場 |
セ22勝 |
パ13勝 |
第36回 |
1985年 |
阪神 (吉田義男) |
|
初優勝 |
4 |
|
2 |
神 |
神 |
西 |
西 |
神 |
神 |
|
|
西武 (廣岡達朗) |
ランディ・バース |
石毛宏典 |
西武ライオンズ球場 |
セ23勝 |
パ13勝 |
第37回 |
1986年 |
西武 (森祇晶) |
3年ぶり |
6度目 |
4 |
1 |
3 |
- |
広 |
広 |
広 |
西 |
西 |
西 |
西 |
広島 (阿南準郎) |
工藤公康2 |
達川光男 |
広島市民球場 |
セ23勝 |
パ14勝 |
第38回 |
1987年 |
2年連続 |
7度目 |
4 |
|
2 |
巨 |
西 |
西 |
巨 |
西 |
西 |
|
|
巨人 (王貞治) |
篠塚利夫 |
西武ライオンズ球場 |
セ23勝 |
パ15勝 |
第39回 |
1988年 |
3年連続 |
8度目 |
4 |
|
1 |
西 |
中 |
西 |
西 |
西 |
|
|
|
中日 (星野仙一) |
石毛宏典 |
宇野勝 |
西武ライオンズ球場 |
セ23勝 |
パ16勝 |
第40回 |
1989年 |
巨人 (藤田元司) |
8年ぶり |
17度目 |
4 |
|
3 |
近 |
近 |
近 |
巨 |
巨 |
巨 |
巨 |
|
近鉄 (仰木彬) |
駒田徳広 |
新井宏昌 |
藤井寺球場 |
セ23勝 |
パ16勝 |
第41回 |
1990年 |
西武 (森祇晶) |
2年ぶり |
9度目 |
4 |
|
0 |
西 |
西 |
西 |
西 |
|
|
|
|
巨人 (藤田元司) |
オレステス・デストラーデ |
岡崎郁 |
西武ライオンズ球場 |
セ24勝 |
パ17勝 |
第42回 |
1991年 |
2年連続 |
10度目 |
4 |
|
3 |
西 |
広 |
西 |
広 |
広 |
西 |
西 |
|
広島 (山本浩二) |
秋山幸二 |
川口和久 |
西武ライオンズ球場 |
セ24勝 |
パ18勝 |
第43回 |
1992年 |
3年連続 |
11度目 |
4 |
|
3 |
ヤ |
西 |
西 |
西 |
ヤ |
ヤ |
西 |
|
ヤクルト (野村克也) |
石井丈裕 |
岡林洋一 |
明治神宮野球場 |
セ24勝 |
パ19勝 |
第44回 |
1993年 |
ヤクルト (野村克也) |
15年ぶり |
2度目 |
4 |
|
3 |
ヤ |
ヤ |
西 |
ヤ |
西 |
西 |
ヤ |
|
西武 (森祇晶) |
川崎憲次郎 |
清原和博2 |
西武ライオンズ球場 |
セ25勝 |
パ19勝 |
第45回 |
1994年 |
巨人 (長嶋茂雄) |
5年ぶり |
18度目 |
4 |
|
2 |
西 |
巨 |
巨 |
西 |
巨 |
巨 |
|
|
槙原寛己 |
東京ドーム |
セ26勝 |
パ19勝 |
第46回 |
1995年 |
ヤクルト (野村克也) |
2年ぶり |
3度目 |
4 |
|
1 |
ヤ |
ヤ |
ヤ |
オ |
ヤ |
|
|
|
オリックス (仰木彬) |
トーマス・オマリー |
小林宏 |
明治神宮野球場 |
セ27勝 |
パ19勝 |
第47回 |
1996年 |
オリックス (仰木彬) |
19年ぶり |
4度目 |
4 |
|
1 |
オ |
オ |
オ |
巨 |
オ |
|
|
|
巨人 (長嶋茂雄) |
トロイ・ニール |
仁志敏久 |
グリーンスタジアム神戸 |
セ27勝 |
パ20勝 |
第48回 |
1997年 |
ヤクルト (野村克也) |
2年ぶり |
4度目 |
4 |
|
1 |
ヤ |
西 |
ヤ |
ヤ |
ヤ |
|
|
|
西武 (東尾修) |
古田敦也 |
松井稼頭央 |
明治神宮野球場 |
セ28勝 |
パ20勝 |
第49回 |
1998年 |
横浜 (権藤博) |
38年ぶり |
2度目 |
4 |
|
2 |
横 |
横 |
西 |
西 |
横 |
横 |
|
|
鈴木尚典 |
大塚光二 |
横浜スタジアム |
セ29勝 |
パ20勝 |
第50回 |
1999年 |
ダイエー (王貞治) |
35年ぶり |
3度目 |
4 |
|
1 |
ダ |
中 |
ダ |
ダ |
ダ |
|
|
|
中日 (星野仙一) |
秋山幸二2 |
川上憲伸 |
ナゴヤドーム |
セ29勝 |
パ21勝 |
第51回 |
2000年 |
巨人 (長嶋茂雄) |
6年ぶり |
19度目 |
4 |
|
2 |
ダ |
ダ |
巨 |
巨 |
巨 |
巨 |
|
|
ダイエー (王貞治) |
松井秀喜 |
城島健司 |
東京ドーム |
セ30勝 |
パ21勝 |
第52回 |
2001年 |
ヤクルト (若松勉) |
4年ぶり |
5度目 |
4 |
|
1 |
ヤ |
近 |
ヤ |
ヤ |
ヤ |
|
|
|
近鉄 (梨田昌孝) |
古田敦也2 |
タフィ・ローズ |
明治神宮野球場 |
セ31勝 |
パ21勝 |
第53回 |
2002年 |
巨人 (原辰徳) |
2年ぶり |
20度目 |
4 |
|
0 |
巨 |
巨 |
巨 |
巨 |
|
|
|
|
西武 (伊原春樹) |
二岡智宏 |
アレックス・カブレラ |
西武ドーム |
セ32勝 |
パ21勝 |
第54回 |
2003年 |
ダイエー (王貞治) |
4年ぶり |
4度目 |
4 |
|
3 |
ダ |
ダ |
神 |
神 |
神 |
ダ |
ダ |
|
阪神 (星野仙一) |
杉内俊哉 |
金本知憲 |
福岡ドーム |
セ32勝 |
パ22勝 |
パ・リーグプレーオフ開始 |
第55回 |
2004年 |
西武【2位】 (伊東勤) |
12年ぶり |
12度目 |
4 |
|
3 |
西 |
中 |
西 |
中 |
中 |
西 |
西 |
|
中日 (落合博満) |
石井貴 |
井上一樹 |
ナゴヤドーム |
セ32勝 |
パ23勝 |
第56回 |
2005年 |
ロッテ【2位】 (ボビー・バレンタイン) |
31年ぶり |
3度目 |
4 |
|
0 |
ロ |
ロ |
ロ |
ロ |
|
|
|
|
阪神 (岡田彰布) |
今江敏晃 |
矢野輝弘 |
阪神甲子園球場 |
セ32勝 |
パ24勝 |
第57回 |
2006年 |
日本ハム (トレイ・ヒルマン) |
44年ぶり |
2度目 |
4 |
|
1 |
中 |
日 |
日 |
日 |
日 |
|
|
|
中日 (落合博満) |
稲葉篤紀 |
川上憲伸2 |
札幌ドーム |
セ32勝 |
パ25勝 |
クライマックスシリーズ開始 |
第58回 |
2007年 |
中日【2位】 (落合博満) |
53年ぶり |
2度目 |
4 |
|
1 |
日 |
中 |
中 |
中 |
中 |
|
|
|
日本ハム (トレイ・ヒルマン) |
中村紀洋 |
ダルビッシュ有 |
ナゴヤドーム |
セ33勝 |
パ25勝 |
第59回 |
2008年 |
西武 (渡辺久信) |
4年ぶり |
13度目 |
4 |
|
3 |
西 |
巨 |
巨 |
西 |
巨 |
西 |
西 |
|
巨人 (原辰徳) |
岸孝之 |
アレックス・ラミレス |
東京ドーム |
セ33勝 |
パ26勝 |
第60回 |
2009年 |
巨人 (原辰徳) |
7年ぶり |
21度目 |
4 |
|
2 |
巨 |
日 |
巨 |
日 |
巨 |
巨 |
|
|
日本ハム (梨田昌孝) |
阿部慎之助 |
髙橋信二 |
札幌ドーム |
セ34勝 |
パ26勝 |
第61回 |
2010年 |
ロッテ【3位】 (西村徳文) |
5年ぶり |
4度目 |
4 |
1 |
2 |
ロ |
中 |
ロ |
中 |
ロ |
- |
ロ |
|
中日 (落合博満) |
今江敏晃2 |
和田一浩 |
ナゴヤドーム |
セ34勝 |
パ27勝 |
コナミ日本シリーズ |
第62回 |
2011年 |
ソフトバンク (秋山幸二) |
8年ぶり |
5度目 |
4 |
|
3 |
中 |
中 |
ソ |
ソ |
ソ |
中 |
ソ |
|
中日 (落合博満) |
小久保裕紀 |
吉見一起 |
福岡 Yahoo! JAPANドーム |
セ34勝 |
パ28勝 |
第63回 |
2012年 |
巨人 (原辰徳) |
3年ぶり |
22度目 |
4 |
|
2 |
巨 |
巨 |
日 |
日 |
巨 |
巨 |
|
|
日本ハム (栗山英樹) |
内海哲也 |
稲葉篤紀 |
東京ドーム |
セ35勝 |
パ28勝 |
第64回 |
2013年 |
楽天 (星野仙一) |
|
初優勝 |
4 |
|
3 |
巨 |
楽 |
楽 |
巨 |
楽 |
巨 |
楽 |
|
巨人 (原辰徳) |
美馬学 |
長野久義 |
日本製紙クリネックススタジアム宮城 |
セ35勝 |
パ29勝 |
SMBC日本シリーズ |
第65回 |
2014年 |
ソフトバンク (秋山幸二) |
3年ぶり |
6度目 |
4 |
|
1 |
神 |
ソ |
ソ |
ソ |
ソ |
|
|
|
阪神【2位】 (和田豊) |
内川聖一 |
ランディ・メッセンジャー |
福岡 ヤフオク!ドーム |
セ35勝 |
パ30勝 |
第66回 |
2015年 |
ソフトバンク (工藤公康) |
2年連続 |
7度目 |
4 |
|
1 |
ソ |
ソ |
ソ |
ヤ |
ソ |
|
|
|
ヤクルト (真中満) |
李大浩 |
山田哲人 |
明治神宮野球場 |
セ35勝 |
パ31勝 |
第67回 |
2016年 |
日本ハム (栗山英樹) |
10年ぶり |
3度目 |
4 |
|
2 |
広 |
広 |
日 |
日 |
日 |
日 |
|
|
広島 (緒方孝市) |
ブランドン・レアード |
ブラッド・エルドレッド |
MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島 |
セ35勝 |
パ32勝 |
第68回 |
2017年 |
ソフトバンク (工藤公康) |
2年ぶり |
8度目 |
4 |
|
2 |
ソ |
ソ |
ソ |
De |
De |
ソ |
|
|
DeNA【3位】 (アレックス・ラミレス) |
デニス・サファテ |
宮﨑敏郎 |
福岡 ヤフオク!ドーム |
セ35勝 |
パ33勝 |
第69回 |
2018年 |
ソフトバンク【2位】 (工藤公康) |
2年連続 |
9度目 |
4 |
1 |
1 |
- |
広 |
ソ |
ソ |
ソ |
ソ |
|
|
広島 (緒方孝市) |
甲斐拓也 |
鈴木誠也 |
MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島 |
セ35勝 |
パ34勝 |
第70回 |
2019年 |
3年連続 |
10度目 |
4 |
|
0 |
ソ |
ソ |
ソ |
ソ |
|
|
|
|
巨人 (原辰徳) |
ジュリスベル・グラシアル |
亀井義行 |
東京ドーム |
セ35勝 |
パ35勝 |
第71回 |
2020年 |
ソフトバンク (工藤公康) |
4年連続 |
11度目 |
4 |
|
0 |
ソ |
ソ |
ソ |
ソ |
|
|
|
|
栗原陵矢 |
戸郷翔征 |
福岡PayPayドーム |
セ35勝 |
パ36勝 |
第72回 |
2021年 |
ヤクルト (高津臣吾) |
20年ぶり |
6度目 |
4 |
|
2 |
オ |
ヤ |
ヤ |
ヤ |
オ |
ヤ |
|
|
オリックス (中嶋聡) |
中村悠平 |
山本由伸 |
ほっともっとフィールド神戸 |
セ36勝 |
パ36勝 |
第73回 |
2022年 |
オリックス (中嶋聡) |
26年ぶり |
5度目 |
4 |
1 |
2 |
ヤ |
- |
ヤ |
オ |
オ |
オ |
オ |
|
ヤクルト (髙津臣吾) |
杉本裕太郎 |
ホセ・オスナ |
明治神宮野球場 |
セ36勝 |
パ37勝 |
第74回 |
2023年 |
阪神 (岡田彰布) |
38年ぶり |
2度目 |
4 |
|
3 |
神 |
オ |
オ |
神 |
神 |
オ |
神 |
|
オリックス (中嶋聡) |
近本光司 |
紅林弘太郎 |
京セラドーム大阪 |
セ37勝 |
パ37勝 |
第75回 |
2024年 |
DeNA【3位】 (三浦大輔) |
26年ぶり |
3度目 |
4 |
|
2 |
ソ |
ソ |
De |
De |
De |
De |
|
|
ソフトバンク (小久保裕紀) |
桑原将志 |
今宮健太 |
横浜スタジアム |
セ38勝 |
パ37勝 |
|
記録
チーム別記録
前身球団も含む。黒字はリーグ記録。赤字は12球団記録。青字は最少・最古の記録。
灰色は過去のチーム。
リーグ |
チーム |
リーグ優勝回数 (2リーグ制後) |
出場回数 |
日本一回数 |
敗退回数 |
直近のリーグ優勝 |
直近の出場 (対戦相手) |
直近の日本一 (対戦相手) |
備考 |
セ |
巨人 |
39回 |
36回 |
22回 |
14回 |
2024年 |
2020年 (ソフトバンク) |
2012年 (日本ハム) |
・リーグ優勝、出場回数(タイ)、日本一、敗退いずれも12球団最多 ・2007年、2014年、2024年はCS敗退 |
パ |
西武 (西鉄) |
23回 |
21回 |
13回 |
8回 |
2019年 |
2008年 (巨人) |
2008年 (巨人) |
・リーグ優勝、出場回数、日本一いずれもパ・リーグ最多 ・2018年と2019年はCS敗退 ・出場は12球団最古 |
パ |
ソフトバンク (南海・ダイエー) |
20回 |
11回 |
10回 |
2024年 |
2024年 (DeNA) |
2020年 (巨人) |
・出場回数は西武と並んでパ・リーグ最多タイ、敗退回数はオリックスと並びパ・リーグ最多タイ ・2018年と2019年は2位から日本一 ・2010年はCS敗退 |
セ |
ヤクルト |
9回 |
6回 |
3回 |
2022年 |
2022年 (オリックス) |
2021年 (オリックス) |
|
パ |
オリックス (阪急) |
15回 |
5回 |
10回 |
2023年 |
2023年 (阪神) |
2022年 (ヤクルト) |
・敗退回数はソフトバンクと並びパ・リーグ最多タイ |
パ |
ロッテ (毎日・大毎) |
5回 |
6回 |
4回 |
2回 |
2005年 (年間勝率1位:1974年) ※POなしだと1970年 |
2010年 (中日) |
・2010年は3位から日本一 ・年間勝率1位やポストシーズンを介さないリーグ優勝、完全優勝は12球団最古(1950年) |
セ |
広島 |
9回 |
8回 |
3回 |
5回 |
2018年 |
2018年 (ソフトバンク) |
1984年 (阪急) |
・2017年はCS敗退 ・日本一は12球団最古 |
パ |
日本ハム (東映) |
7回 |
4回 |
2016年 |
2016年 (広島) |
|
セ |
DeNA (大洋・横浜) |
2回 |
4回 |
1回 |
1998年 |
2024年 (ソフトバンク) |
・2017年・2024年は3位からの出場、2024年は3位から日本一 ・リーグ優勝は12球団最古 ・リーグ優勝回数より日本一回数の方が多い唯一のチーム |
セ |
中日 |
9回 |
10回 |
2回 |
8回 |
2011年 |
2011年 (ソフトバンク) |
2007年 (日本ハム) |
・2007年は2位から日本一 ・完全優勝はセ・リーグ最古(1954年) |
セ |
阪神 |
6回 |
7回 |
5回 |
2023年 |
2023年 (オリックス) |
2014年は2位からの出場 |
パ |
楽天 |
1回 |
0回 |
2013年 |
2013年 (巨人) |
リーグ優勝・出場回数・日本一・敗退いずれも現存12球団最少 |
パ |
近鉄 |
4回 |
0回 |
4回 |
2001年 |
2001年 (ヤクルト) |
日本一経験なく消滅 |
セ |
松竹 |
1回 |
0回 |
1回 |
1950年 |
1950年 (毎日) |
セ |
西日本 |
リーグ優勝経験なく消滅 |
パ |
大映 |
パ |
高橋 |
CSの導入後はリーグ優勝しなくとも日本シリーズに進出できる可能性があるため、優勝回数と出場回数が一致しないチームがある。
最多の優勝チームは巨人の22回。次いで西武の13回・ソフトバンクの11回と続き、出場回数の面でもこの3チームがダントツのトップ3である。
逆に少ないのは2013年の1回のみの楽天で、次いで中日・阪神2回ずつ、広島・日本ハム・DeNAが3回ずつと続く。セ・リーグは巨人以外の5球団を合わせても16回と遠く及ばず、パ・リーグもソフトバンク以外の4球団を合計しても西武の13回と同数であるため、どれだけ上位3チームが突き抜けているかが分かるだろう。
2022年にオリックスが勝利したことにより、21世紀になってからパ・リーグ全球団が日本一を達成。逆にセ・リーグは広島が未達成で、最後の日本一が1984年と唯一の20世紀である。DeNAも2024年に日本一を達成したが、12球団で唯一21世紀のリーグ優勝も未達成である。
また、西武は最後の出場が2008年と12球団で最も古く、従ってパ・リーグに限っても最古の日本一である。さらに、楽天は日本一になった2013年が唯一の出場であるため、12球団で唯一敗退がない。
それでも、消滅した近鉄に代わって結成された楽天が2013年に頂点に立ったことにより、現存12球団は全て日本一を経験しており、これはMLBにもない記録である。さらにパ・リーグは史上初めて同一年号中(平成)に全球団が日本一を経験しており、2023年に阪神が2度目の日本一に輝いたことにより、最も歴史の浅い楽天以外の11球団が日本一を複数回経験したことになった。
過去には松竹が一度・近鉄が4度日本シリーズに出場したが、結局一度も日本一になれないまま大洋・オリックスとの合併により球団消滅。特に後者は合併以降もリーグ優勝すら遠ざかっており、上記のように18年経った2022年に初めて「バファローズ」が日本シリーズを制した。
また、西日本・大映・高橋に至ってはリーグ優勝すら果たせないままロッテ・西鉄と合併する形で球団消滅となっているため、当然ながら日本シリーズへの出場経験はない。
ちなみに、連覇の最長は巨人の9年連続(1965年~1973年)。パ・リーグではソフトバンクの4年連続(2017年~2020年)が最長記録だが、こちらは2年連続2位を含むことから完全優勝という点では阪急(1975年~1977年)・西武(1982年~1984年、1990年~1992年)の3年連続が最長である。
逆に日本一のブランクが最も長いのは中日の53年(1954年~2007年)。パ・リーグでは日本ハムの44年(1962年~2006年)が最長である。
リーグ別記録
リーグ |
日本一回数 |
敗退回数 |
直近のリーグ優勝 (2リーグ制後) |
直近の出場 (対戦相手) |
直近の日本一 (対戦相手) |
セ・リーグ |
38回 |
37回 |
巨人 (4年ぶり39度目) |
2024年のDeNA (ソフトバンク) |
パ・リーグ |
37回 |
38回 |
ソフトバンク (4年ぶり20度目) |
2024年のソフトバンク (DeNA) |
2022年のオリックス (ヤクルト) |
2024年現在のリーグ別成績は38勝37敗でセ・リーグがリードしている。第1回の1950年をパ・リーグが制し、1959年に2度目のタイになって以降は長い間セ・リーグが勝ち越しており、巨人が「V9」を達成した1973年には17勝7敗で初の貯金10に到達。その後も2003年まで5回記録しており、2002年は史上最多となる11もの貯金(32勝21敗)があった。
だが、この年から2023年・2024年までセ・リーグでの日本一連覇がなくなり、代わってパ・リーグが大きく躍進。2013年からは楽天・ソフトバンク・日本ハムによる「V8」を達成し、2020年の時点で36勝35敗と初めてセ・リーグをリードした。
2021年にヤクルトが日本一に輝いたことで9連覇は阻止されたものの、2022年にオリックスが頂点に立ったことで再度貯金を作り、21世紀にパ・リーグ全球団が日本一を達成した。
球場記録
ネーミングライツなどによって球場名が異なる場合は個別に記載。ただし、開催実績のない球場や名称は基本的に除く。
黒字は現存球場の記録。赤字は最高記録。青字は最少・最古の記録。
球場欄色付きおよび太字は現行の球場および名称。灰色は過去の球場および本拠地(現存か否かは問わない)。
球場 |
開催回数 |
決着回数 |
直近の開催(戦目) (対戦カード、太字は主催) |
直近の決着 (優勝チーム) |
後楽園球場 |
29回 |
16回 |
1987年3,4,5 (巨人 - 西武) |
1981年 (巨人) |
西武ライオンズ球場 |
16回 (西武ライオンズ球場:12回) (西武ドーム:4回) |
8回 (西武ライオンズ球場:7回) (西武ドーム:1回) |
1997年1,2 (ヤクルト - 西武) |
1993年 (ヤクルト) |
西武ドーム |
2008年3,4,5 (巨人 - 西武) |
2002年 (巨人) |
大阪スタヂアム |
13回 |
5回 |
1980年3,4,5 (広島 - 近鉄) |
1979年 (広島) |
東京ドーム |
12回 |
5回 |
2021年3,4,5 (ヤクルト - オリックス) |
2019年 (ソフトバンク) |
阪急西宮球場 |
11回 |
4回 |
1984年3,4,5 (広島 - 阪急) |
1975年 (阪急) |
福岡ドーム |
11回 (福岡ドーム:3回) (ヤフオク!ドーム:5回) (他1回ずつ) |
5回 (ヤフオク!ドーム:2回) (ヤフードーム・PayPayドーム1回ずつ) |
2003年1,2,6,7 (阪神 - ダイエー) |
2003年 (ダイエー) |
福岡 Yahoo! JAPANドーム |
2011年1,2,6,7 (中日 - ソフトバンク) |
2011年 (ソフトバンク) |
福岡 ヤフオク!ドーム |
2019年1,2 (巨人 - ソフトバンク) |
2017年 (ソフトバンク) |
福岡PayPayドーム |
2020年3,4 (巨人 - ソフトバンク) |
2020年 (ソフトバンク) |
みずほPayPayドーム福岡 |
2024年3,4,5 (DeNA - ソフトバンク) |
- |
明治神宮野球場 |
9回 |
6回 |
2022年1,2,6,7 (ヤクルト - オリックス) |
2022年 (オリックス) |
阪神甲子園球場 (甲子園球場) |
9回 |
3回 |
2023年3,4,5 (阪神 - オリックス) |
2005年 (ロッテ) |
ナゴヤドーム |
6回 |
4回 |
2011年3,4,5 (中日 - ソフトバンク) |
2010年 (ロッテ) |
中日スタヂアム |
5回 (中日スタヂアム:3回) (ナゴヤ球場:2回) |
2回 |
1974年1,2,6 (中日 - ロッテ) |
1974年 (ロッテ) |
ナゴヤ球場 |
1988年1,2 (中日 - 西武) |
1982年 (西武) |
平和台球場 |
5回 |
1回 |
1963年1,2,6,7 (巨人 - 西鉄) |
1963年 (巨人) |
広島市民球場 |
5回 |
3回 |
1986年1,2,6,7,8 (広島 - 西武) |
1986年 (西武) |
大阪ドーム |
5回 (大阪ドーム:1回) (京セラドーム大阪:4回) |
1回 (京セラドーム) |
2001年1,2 (ヤクルト - 近鉄) |
2023年 (京セラドームで阪神) |
京セラドーム大阪 |
2023年1,2,6,7 (阪神 - オリックス) |
札幌ドーム |
5回 |
2回 |
2016年3,4,5 (広島 - 日本ハム) |
2009年 (巨人) |
MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島 |
3回 |
2回 |
2018年1,2,6 (広島 - ソフトバンク) |
2018年 (ソフトバンク) |
グリーンスタジアム神戸 |
3回 (グリーンスタジアム:2回) (ほっと神戸:1回) |
1回 |
1996年3,4,5 (巨人 - オリックス) |
1996年 (オリックス) |
ほっともっとフィールド神戸 |
1回 |
2021年6 (ヤクルト - オリックス) |
2021年 (ヤクルト) |
横浜スタジアム |
3回 |
2回 |
2024年1,2,6 (DeNA - ソフトバンク) |
2024年 (DeNA) |
千葉マリンスタジアム |
2回 |
0回 |
2010年3,4,5 (中日 - ロッテ) |
- |
東京スタジアム |
1回 |
1970年3,4,5 (巨人 - ロッテ) |
1970年 (巨人) |
藤井寺球場 |
1回 |
1989年1,2,6,7 (巨人 - 近鉄) |
1989年 (巨人) |
川崎球場 |
1回 |
0回 |
1960年1,2 (大洋 - 大毎) |
- |
日本製紙クリネックススタジアム宮城 |
1回 |
2013年1,2,6,7 (巨人 - 楽天) |
2013年 (楽天) |
エスコンフィールドHOKKAIDO |
開催例なし |
最多の開催球場は後楽園球場の29回。巨人以外のチームも主催試合を開催していることからダントツのNo.1であり、決着した回数も16回と群を抜いている。次いで西武ライオンズ球場→西武ドームの16回、大阪スタヂアムの13回と続く。
現行の12球場では西武ライオンズ球場→西武ドームが開催16回・決着8回でいずれも最多であり、次いで開催数では東京ドームの12回、決着回数は明治神宮野球場の6回が続く。
2023年に京セラドームで開場以来初めて日本一が決定したことにより、一度だけの開催だった川崎球場や同年開業したエスコンフィールドを除いた12球団の現行本拠地では唯一セ・リーグ球団も含めてZOZOマリンスタジアムでの日本一決定がない。同様に阪神も2度の日本一がいずれもビジター(1985年は西武ライオンズ球場、2023年は京セラドーム)であるため、こちらもセ・リーグでは唯一本拠地で日本一を決められていない。西武も1998年のドーム化後は本拠地での日本一決定がない。
上記の通りロッテは最後の年間勝率1位が12球団で最も古い1974年であるため、千葉移転後のリーグ優勝およびPO→CSファイナルステージ開催も行われていない。
上記の通り過去は全球団の本拠地が屋外球場だったが、東京ドームを皮切りに次々と建設されたことで現在は巨人・中日・西武・ソフトバンク・オリックス・日本ハムの6球団がドーム球場になり、屋外球場はヤクルト・広島・DeNA・阪神・ロッテ・楽天の6球団になったことから、対戦カードの関係で全試合が屋外球場で開催されたのは2005年が最後になっている。
上記のように出場チームにはあらかじめ使用する球場の日程確保が義務付けられており、怠ると罰金が課される。
なお、諸事情で他の球場を使用する場合でも他球団の本拠地で開催される場合が多く、収容人数やナイター設備の条件面も含めて純然たる地方球場で行われたことはない。
日本シリーズの対戦カード
前身球団も含む。いずれも「セ・リーグ - パ・リーグ」の順に表記。
「×」は対戦例なし。灰色は過去のチーム。
球団 |
パ・リーグ |
西武 |
ソフトバンク |
オリックス |
ロッテ |
日本ハム |
楽天 |
近鉄 |
セ ・ リ ー グ |
巨人 |
巨3 - 7西 |
巨9 - 3ソ |
巨5 - 3オ |
巨1 - 0ロ |
巨3 - 0日 |
巨0 - 1楽 |
巨1 - 0近 |
ヤクルト |
ヤ2 - 1西 |
ヤ0 - 1ソ |
ヤ3 - 1オ |
× |
× |
× |
ヤ1 - 0近 |
広島 |
広1 - 1西 |
広0 - 1ソ |
広1 - 1オ |
× |
広0 - 1日 |
× |
広2 - 0近 |
中日 |
中1 - 3西 |
中0 - 2ソ |
× |
中0 - 2ロ |
中1 - 1日 |
× |
× |
阪神 |
神1 - 0西 |
神0 - 3ソ |
神1 - 0オ |
神0 - 1ロ |
神0 - 1日 |
× |
× |
DeNA |
De1 - 0西 |
De1 - 1ソ |
× |
De1 - 0ロ |
× |
× |
× |
松竹 |
× |
× |
× |
松0 - 1ロ |
× |
× |
× |
楽天以外はどの球団も必ず1チームには通算成績で負け越しており、全球団に勝ち越しているチームはない。
対戦カード別では巨人とソフトバンクの顔合わせが最も多く、2020年までに12回対戦している。対戦成績は巨人が9勝3敗と圧勝だが、ソフトバンクが勝利した3回は全て4勝無敗のスイープである(1959年・2019年・2020年)。
西武とソフトバンクは現行のセ・リーグ6球団全てと対戦経験があり、中でもソフトバンクは上記の通り2010年代だけで全チームを撃破し、史上初の日本シリーズ6球団勝利を達成。さらに通算でも長らく巨人以外は全て無敗(敗退例なし)だったが、2024年にDeNAに敗れたことでソフトバンクとして初の敗退を喫した。
中でもロッテは唯一松竹と対戦経験があるため、ヤクルトと広島と対戦すればパ・リーグ唯一の7球団対戦を達成できることになる。
セ・リーグでは唯一巨人が近鉄も含めたパ・リーグ7球団と対戦。逆に現行6球団での対戦例はないが、同様に近鉄と対戦経験があるヤクルトと広島は7球団対戦を達成できる可能性は残されている。
一方で、前身球団も含めて一度も対戦していない組み合わせが現行12球団だけでもまだ11例残されている。
ファーム日本選手権
二軍にも日本シリーズが設定されており、「ファーム日本選手権」と呼ばれる。1987年に「ジュニア日本選手権」としてスタートし、当初は9月に行われることもあったが、再開した1997年から大会名を「ファーム日本選手権」と改めたのを機に、以降は10月のフェニックス・リーグ前に行われている。
二軍リーグは一軍とは違い、東日本の7チームで構成されるイースタン・リーグ(セ・リーグが運営)、西日本の5チームで構成されるウエスタン・リーグ(パ・リーグが運営)に分かれており、地域別に設定されている。
かつては一軍と同じく両リーグ6チームずつだったが、近鉄の解散と楽天の結成が行われた2005年以降はイ・リーグ7チーム、ウ・リーグ5チームと数が分かれて奇数になり、両リーグとも効率的な試合開催ができなくなっていた。
2024年からは二軍のみのチームとしてイ・リーグにオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ、ウ・リーグにくふうハヤテベンチャーズ静岡が加入し、チーム数が偶数になって前述の問題が改善されている。
一軍とは違って二軍にはリーグカラーが設定されていないが、本項では便宜上、運営主体に従ってイ・リーグを緑色、ウ・リーグを青色で表記する。
灰色は過去のチーム。
リーグ |
チーム名 |
本拠地球場 |
イースタン・リーグ |
北海道日本ハムファイターズ |
ファイターズ鎌ケ谷スタジアム |
東北楽天ゴールデンイーグルス |
森林どりスタジアム泉 |
埼玉西武ライオンズ |
CAR3219フィールド |
千葉ロッテマリーンズ |
ロッテ浦和球場 |
読売ジャイアンツ |
ジャイアンツタウンスタジアム(予定) |
東京ヤクルトスワローズ |
ヤクルト戸田球場 |
横浜DeNAベイスターズ |
横須賀スタジアム |
オイシックス新潟アルビレックスBC |
HARD OFF ECOスタジアム新潟 |
ウエスタン・リーグ |
くふうハヤテベンチャーズ静岡 |
ちゅ~るスタジアム清水 |
中日ドラゴンズ |
ナゴヤ球場 |
オリックス・バファローズ |
杉本商事バファローズスタジアム舞洲 |
阪神タイガース |
日鉄鋼板SGLスタジアム尼崎(予定) |
広島東洋カープ |
広島東洋カープ由宇練習場 |
福岡ソフトバンクホークス |
タマホーム スタジアム筑後 |
大阪近鉄バファローズ |
藤井寺球場(解散時) |
一軍の日本シリーズとの主な違い
一軍とは違って一試合勝負で、各リーグの優勝チームがそのまま出場する。「ファーム日本シリーズ」ではなく「ファーム日本選手権」という名称なのもこのため。
一軍が「にっぽん」なのに対してこちらは「にほん」という違いもある。
一軍の第8戦以降と同様に無制限。2020年と2021年はコロナ禍の関係で「ファーム日本選手権特例2020」として、延長10回終了時に同点の場合、11回以降は決着がつくまで毎回継続打順で無死1・2塁から始めるタイブレークを採用した。
西暦が偶数の年はウ・リーグ、奇数の年はイ・リーグのチームがホーム扱い。使用する球場もお互いの本拠地ではない地方球場の場合が多く、2013年以降は毎年宮崎県総合運動公園硬式野球場(サンマリンスタジアム宮崎→KIRISHIMAサンマリンスタジアム宮崎→ひなたサンマリンスタジアム宮崎)で開催されている。
出場チームは試合の数日前に出場資格者名簿をコミッショナーに提出する。近年の出場資格は「その年の新人選手」「その年に一度も一軍出場がなかった選手」「その年のファーム公式戦の規定打席もしくは規定投球回の3割を満たした選手」からいずれかに該当する選手であることが多い。
本来一軍の選手は二軍の試合に出場することもできるが、上記の規定からバリバリの一軍主力選手の出場はできない。逆に言えば実績十分の選手でも二軍暮らしが多ければ出場することが可能。
当初は一軍がパ・リーグに所属するチームがホームの時だったが、2009年以降はセ・リーグ所属のイ・リーグのチーム(巨人・ヤクルト・DeNA)がホームの場合でも採用可能になり、2015年からはセ・リーグ所属のウ・リーグのチーム(中日・阪神・広島)にも拡大されたため、実質的には全チームで採用可能。
一軍と同じく表彰があり、勝利チームには賞金100万円、敗戦チームにも賞金50万円が贈呈される。
また、勝利チームからMVP(賞金50万)、両チームから優秀選手賞(賞金20万円)が1人ずつ選出されるほか、これとは別に本塁打を放った選手にホームラン賞として金一封が出る。また、記念品として両チームに地元の特産品が贈呈される。
受賞者の中には後にチームや球界を代表する選手に成長した人もしばしばおり、中でも岩嵜翔は唯一2度のMVPを達成している。
結果と記録
一軍と二軍の両方で優勝することを俗に「親子優勝」「親子日本一」と呼ぶこともある。
ただし、組み合わせによっては一軍における同リーグ対決になる場合も少なくなく、親子で同一カード対決になったケースは2005年(阪神・ロッテ)と2024年(DeNA・ソフトバンク)のみである。いずれの年もロッテ・DeNAともに年間勝率1位ではないが、PO・CSを勝ち抜いたことで親子対決が実現し、親子ともに日本一を掴み取った。
回数 |
年 |
優勝チーム |
優勝回数 |
スコア (優勝-相手) |
対戦相手 |
開催球場 |
MVP ※数字は回目 |
イウ勝敗 |
備考 |
ジュニア日本選手権 |
第1回 |
1987年 |
巨人 |
|
初優勝 |
9-0 |
中日 |
平塚球場 |
加茂川茂治 |
イ1勝 |
ウ0勝 |
巨人は親子優勝 (一軍は日本シリーズ敗退) |
第2回 |
1988年 |
2年連続 |
2度目 |
5-2 |
京都市西京極総合運動公園野球場 |
松原靖 |
イ2勝 |
ウ0勝 |
|
第3回 |
1989年 |
3年連続 |
3度目 |
3-0 |
オリックス |
平塚球場 |
橋本清 |
イ3勝 |
ウ0勝 |
親子優勝・日本一 |
第4回 |
1990年 |
中日 |
|
初優勝 |
6-4 |
巨人 |
東京ドーム |
清水雅治 |
イ3勝 |
ウ1勝 |
・巨人は親子優勝(一軍も日本シリーズ敗退) ・当初は大阪球場で行われたが3回表途中で雨天ノーゲーム(中0 - 6巨) |
第5回 |
1991年 |
巨人 |
2年ぶり |
4度目 |
8-7 |
広島 |
平塚球場 |
呂明賜 |
イ4勝 |
ウ1勝 |
・広島は親子優勝(一軍も日本シリーズ敗退) ・前日に7回裏途中で降雨コールドになったため翌日再試合(巨5 - 5広) |
第6回 |
1992年 |
2年連続 |
5度目 |
3-2 |
中日 |
川崎球場 |
杉山直輝 |
イ5勝 |
ウ1勝 |
|
第7回 |
1993年 |
3年連続 |
6度目 |
3-0 |
福井県営球場 |
松谷竜二郎 |
イ6勝 |
ウ1勝 |
|
第8回 |
1994年 |
オリックス |
|
初優勝 |
6-4 |
巨人 |
相模原市立相模原球場 |
戎信行 |
イ6勝 |
ウ2勝 |
巨人は親子優勝 (一軍は日本一) |
第9回 |
1995年 |
巨人 |
2年ぶり |
7度目 |
1-0 |
近鉄 |
富山市民球場アルペンスタジアム |
門奈哲寛 |
イ7勝 |
ウ2勝 |
|
- |
1996年 |
未開催 (イ・リーグはロッテ、ウ・リーグは近鉄が優勝) |
ファーム日本選手権 |
第10回 |
1997年 |
日本ハム |
|
初優勝 |
1-0 |
オリックス |
宜野湾市立野球場 |
大貝恭史 |
イ8勝 |
ウ2勝 |
|
第11回 |
1998年 |
ヤクルト |
|
初優勝 |
4-1 |
阪神 |
五十嵐亮太 |
イ9勝 |
ウ2勝 |
|
第12回 |
1999年 |
阪神 |
|
初優勝 |
7-3 |
日本ハム |
浦添市民球場 |
濱中治 |
イ9勝 |
ウ3勝 |
|
第13回 |
2000年 |
中日 |
10年ぶり |
2度目 |
4-2 |
巨人 |
筒井壮 |
イ9勝 |
ウ4勝 |
巨人は親子優勝 (一軍は日本一) |
第14回 |
2001年 |
西武 |
|
初優勝 |
5-0 |
阪神 |
坊っちゃんスタジアム |
三井浩二 |
イ10勝 |
ウ4勝 |
|
第15回 |
2002年 |
阪神 |
3年ぶり |
2度目 |
16-3 |
西武 |
藤原通 |
イ10勝 |
ウ5勝 |
西武は親子優勝 (一軍も日本シリーズ敗退) |
第16回 |
2003年 |
2年連続 |
3度目 |
3-0 |
日本ハム |
長野オリンピックスタジアム |
早川健一郎 |
イ10勝 |
ウ6勝 |
阪神は親子優勝 (一軍は日本シリーズ敗退) |
第17回 |
2004年 |
中日 |
4年ぶり |
3度目 |
4-3 |
日本ハム |
サンマリンスタジアム宮崎 |
土谷鉄平 |
イ10勝 |
ウ7勝 |
・中日は親子優勝(一軍は日本シリーズ敗退) ・当初はアイビースタジアムで開催予定だった |
第18回 |
2005年 |
ロッテ |
|
初優勝 |
7-5 |
阪神 |
スカイマークスタジアム |
辻俊哉 |
イ11勝 |
ウ7勝 |
史上初の親子同一対決かつ親子優勝・日本一 (ロッテ一軍は勝率2位だがPO勝利による優勝) |
第19回 |
2006年 |
阪神 |
3年ぶり |
4度目 |
6-0 |
ロッテ |
山形県野球場 |
中村泰広 |
イ11勝 |
ウ8勝 |
|
第20回 |
2007年 |
中日 |
3年ぶり |
4度目 |
7-2 |
巨人 |
吉見一起 |
イ11勝 |
ウ9勝 |
親子日本一、巨人も親子優勝 (一軍でも優勝の巨人を中日がCSで破って日本一) |
第21回 |
2008年 |
ソフトバンク |
|
初優勝 |
5-1 |
ヤクルト |
長崎ビッグNスタジアム |
岩嵜翔 |
イ11勝 |
ウ10勝 |
|
第22回 |
2009年 |
中日 |
2年ぶり |
5度目 |
2-0 |
巨人 |
富山市民球場アルペンスタジアム |
鈴木義広 |
イ11勝 |
ウ11勝 |
巨人は親子優勝 (一軍は日本一) |
第23回 |
2010年 |
ロッテ |
5年ぶり |
2度目 |
6-5 |
阪神 |
HARD OFF ECOスタジアム新潟 |
細谷圭 |
イ12勝 |
ウ11勝 |
親子日本一 (一軍は3位) |
第24回 |
2011年 |
中日 |
2年ぶり |
6度目 |
4-3 |
日本ハム |
サンマリンスタジアム宮崎 |
前田章宏 |
イ12勝 |
ウ12勝 |
中日は親子優勝 (一軍は日本シリーズ敗退) |
第25回 |
2012年 |
ロッテ |
2年ぶり |
3度目 |
4-0 |
ソフトバンク |
坊っちゃんスタジアム |
塀内久雄 |
イ13勝 |
ウ12勝 |
|
第26回 |
2013年 |
ソフトバンク |
5年ぶり |
2度目 |
4-3 |
ヤクルト |
サンマリンスタジアム宮崎 |
田上秀則 |
イ13勝 |
ウ13勝 |
|
第27回 |
2014年 |
ロッテ |
2年ぶり |
4度目 |
6-4 |
ソフトバンク |
KIRISHIMAサンマリンスタジアム宮崎 |
大嶺翔太 |
イ14勝 |
ウ13勝 |
ソフトバンクは親子優勝 (一軍は日本一) |
第28回 |
2015年 |
ソフトバンク |
2年ぶり |
3度目 |
2-0 |
巨人 |
岩嵜翔2 |
イ14勝 |
ウ14勝 |
親子優勝・日本一 |
第29回 |
2016年 |
巨人 |
21年ぶり |
8度目 |
6-2 |
ソフトバンク |
岡本和真 |
イ15勝 |
ウ14勝 |
|
第30回 |
2017年 |
広島 |
|
初優勝 |
5-2 |
巨人 |
坂倉将吾 |
イ15勝 |
ウ15勝 |
広島は親子優勝 (一軍はCS敗退) |
第31回 |
2018年 |
阪神 |
12年ぶり |
5度目 |
8-4 |
熊谷敬宥 |
イ15勝 |
ウ16勝 |
|
第32回 |
2019年 |
ソフトバンク |
4年ぶり |
4度目 |
6-3 |
楽天 |
二保旭 |
イ15勝 |
ウ17勝 |
親子日本一 (一軍は2位) |
第33回 |
2020年 |
楽天 |
|
初優勝 |
6-4 |
ソフトバンク |
ひなたサンマリンスタジアム宮崎 |
村林一輝 |
イ16勝 |
ウ17勝 |
ソフトバンクは親子優勝 (一軍は日本一) |
第34回 |
2021年 |
阪神 |
3年ぶり |
6度目 |
3-2 |
ロッテ |
遠藤成 |
イ16勝 |
ウ18勝 |
|
第35回 |
2022年 |
楽天 |
2年ぶり |
2度目 |
8-2 |
阪神 |
渡邊佳明 |
イ17勝 |
ウ18勝 |
|
第36回 |
2023年 |
ソフトバンク |
4年ぶり |
5度目 |
6-5 |
巨人 |
川村友斗 |
イ17勝 |
ウ19勝 |
|
第37回 |
2024年 |
DeNA |
|
初優勝 |
6-2 |
ソフトバンク |
庄司陽斗 |
イ18勝 |
ウ19勝 |
2度目の親子同一対決かつ親子日本一 (DeNA一軍は3位、ソフトバンクは親子優勝) |
一度も中止がない一軍とは違い、1996年は唯一の未開催になっている。背景には1986年から10連覇中だった巨人がついに優勝を逃したことでスポンサーがつかなかった説があるが、詳細は不明。
チーム別記録
リーグ |
チーム |
リーグ優勝回数 |
出場回数 |
日本一回数 |
敗退回数 |
直近のリーグ優勝 |
直近の出場 (対戦相手) |
直近の日本一 (対戦相手) |
備考 |
イ |
巨人 |
28回 |
17回 |
8回 |
9回 |
2023年 |
2023年 (ソフトバンク) |
2016年 (ソフトバンク) |
リーグ優勝、出場回数、日本一、敗退いずれも12球団最多 |
ウ |
中日 |
16回 |
10回 |
6回 |
4回 |
2011年 |
2011年 (日本ハム) |
日本一は阪神と並んでウ・リーグ最多タイ |
ウ |
阪神 |
18回 |
11回 |
5回 |
2022年 |
2022年 (楽天) |
2021年 (ロッテ) |
リーグ優勝、出場回数、日本一(タイ)、敗退いずれもウ・リーグ最多 |
ウ |
ソフトバンク |
15回 |
5回 |
2024年 |
2024年 (DeNA) |
2023年 (巨人) |
|
イ |
ロッテ |
11回 |
7回 |
4回 |
2回 |
2021年 |
2021年 (阪神) |
2014年 (ソフトバンク) |
1996年は優勝するも未開催のため出場できず |
イ |
楽天 |
3回 |
2回 |
1回 |
2022年 |
2022年 (阪神) |
|
イ |
日本ハム |
7回 |
5回 |
1回 |
4回 |
2011年 |
2011年 (中日) |
1997年 (オリックス) |
|
イ |
西武 |
6回 |
2回 |
1回 |
2002年 |
2002年 (阪神) |
2001年 (阪神) |
|
イ |
ヤクルト |
6回 |
3回 |
2回 |
2013年 |
2013年 (ソフトバンク) |
1998年 (阪神) |
|
イ |
DeNA |
4回 |
1回 |
0回 |
2024年 |
2024年 (ソフトバンク) |
既存の12球団ではリーグ優勝・出場回数・敗退最少 |
ウ |
オリックス |
8回 |
3回 |
2回 |
1997年 |
1997年 (日本ハム) |
1994年 (巨人) |
リーグ優勝・出場・日本一いずれも現存球団最古 |
ウ |
広島 |
9回 |
2回 |
1回 |
2017年 |
2017年 (巨人) |
|
イ |
オイシックス |
0回 |
- |
- |
- |
2024年から二軍のみの球団として参入 |
ウ |
くふうハヤテ |
ウ |
近鉄 |
2回 |
1回 |
0回 |
1回 |
1996年 |
1995年 (巨人) |
日本一経験なく消滅 |
1996年は優勝するも未開催のため出場できず |
最多の優勝チームは巨人の8回。次いで中日と阪神の6回・ソフトバンクの5回と続き、出場回数の面でもこれらの4チームが突出して多い。
逆に少ないのは2024年から加わったオイシックスとくふうハヤテを除くと、歴史が浅いとはいえ実に6チームが1回のみにとどまっている状況である。
他方で必ずしも一軍の成績と比例するわけではなく、一軍では日本一経験豊富な西武やヤクルトなどが苦戦している一方で、中日・阪神・楽天のように一軍よりも日本一の回数が多いチームもいる。
2024年にDeNAが球団史上初のリーグ優勝および\横須賀優勝/日本一を決めたことにより、既存の12球団全てが一度は日本一を経験したことになった。
ただし一軍以上に幅が広く、日本ハム・ヤクルト・オリックスの3球団は最後の出場が20世紀であり、オリックスに至っては既存の12球団で唯一21世紀のリーグ優勝も未達成である。
さらに当時は合併前のブルーウェーブ時代であり、その近鉄も一軍と同様に一度も日本一の経験なく消滅したため、「バファローズ」の日本一経験もまだない。
リーグ別記録
リーグ |
日本一回数 |
敗退回数 |
直近のリーグ優勝 (2リーグ制後) |
直近の出場 (対戦相手) |
直近の日本一 (対戦相手) |
イ・リーグ |
18回 |
19回 |
DeNA (42年ぶり4度目) |
2024年のDeNA (ソフトバンク) |
ウ・リーグ |
19回 |
18回 |
ソフトバンク (2年連続15度目) |
2024年のソフトバンク (DeNA) |
2023年のソフトバンク (巨人) |
2024年時点でイ・リーグ18勝、ウ・リーグ19勝とウ・リーグが優勢である。当初は1986年からイ・リーグ10連覇を達成した巨人が2度の3連覇もあってイ・リーグが優勢で、1998年には最多の貯金7(9勝2敗)があったが、2000年代に入ってからウ・リーグが大きく躍進した結果、2009年にはついにタイに持ち込む。
そこから一進一退の攻防が続きつつもイ・リーグ視点では勝ち越されない程度に推移していたが、2018年には初めてウ・リーグがリードするようになり、以後も毎年のように交互に優勝しつつもウ・リーグ優位の状況が続いている。
ファーム日本選手権の対戦カード
前身球団も含む。いずれも「イ・リーグ - ウ・リーグ」の順に表記。
「×」は対戦例なし。灰色は過去のチーム。
球団 |
ウ・リーグ |
中日 |
阪神 |
ソフトバンク |
オリックス |
広島 |
くふうハヤテ |
近鉄 |
イ ・ リ ー グ |
巨人 |
巨4 - 4中 |
巨0 - 1神 |
巨1 - 2ソ |
巨1 - 1オ |
巨1 - 1広 |
× |
巨1 - 0近 |
ロッテ |
× |
ロ2 - 2神 |
ロ2 - 0ソ |
× |
× |
× |
× (1996年は未開催) |
楽天 |
× |
楽1 - 0神 |
楽1 - 1ソ |
× |
× |
× |
× |
日本ハム |
日0 - 2中 |
日0 - 2神 |
× |
日1 - 0オ |
× |
× |
× |
西武 |
× |
西1 - 1神 |
× |
× |
× |
× |
× |
ヤクルト |
× |
ヤ1 - 0神 |
ヤ0 - 2ソ |
× |
× |
× |
× |
DeNA |
× |
De1 - 0ソ |
× |
× |
× |
× |
× |
オイシックス |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
× |
上記のように一軍では同一リーグ同士の対戦カードが見られる一方、歴史が浅いこともあってか一軍以上に未対戦のカードが多く、偏りも大きい。
巨人は唯一近鉄と対戦しているため、くふうハヤテを除けば一軍と同じく既存球団全てと対戦経験がある。ウ・リーグでも阪神がオイシックス以外の全球団と対戦している。
追記・修正は贔屓チームの日本一を見届けてからお願いいたします。
- 3位同士の日本シリーズなんて見てみたいが、実現したらCS不要論加速しそう -- 名無しさん (2022-10-17 20:35:53)
- 「33-4」「な阪関無」「白い霧事件」←これを見に来た -- 名無しさん (2022-10-17 21:50:59)
- 個人的に92年西武vsヤクルトが1番面白かった。確か最近その年に焦点を当てた本も出てたはず -- 名無しさん (2022-10-17 23:29:58)
- ↑3なんやかんやで3位が日本シリーズ進出したケースって過去16回で確か2010年、2017年の2回だけ(日本一は2010のロッテだけ)で滅多にないから、CSの制度って割とよくできてるんよね。それでも贔屓がリーグ優勝したのにCS敗退したらマジで要らねぇだろってなっちゃうけど -- 名無しさん (2022-10-17 23:57:22)
- ノーコンすぎてヤバいとパ・リーグファンから言われるあの杉山ですら巨人打線がてんてこ舞いにされた2020は改めて酷いと思った -- 名無しさん (2022-10-18 10:07:47)
- 阪神と広島は平成で日本一にならなかったな -- 名無しさん (2022-10-18 11:38:55)
- ↑現12球団だと日本一から最も遠いのがその2チームなのか(シーズン勝率1位&日本一の縛りだとロッテと中日が半世紀以上も前だが) -- 名無しさん (2022-10-18 16:58:28)
- な阪関無は厳密には2010年日本シリーズのほうでは… -- 名無しさん (2022-10-18 19:56:48)
- ロッテはリーグ優勝してなくても日本シリーズに出てくると異様な力を出すイメージがある。 -- 名無しさん (2022-10-19 00:51:17)
- 92年は記事にならないかな -- 名無しさん (2022-10-19 10:24:40)
- 2005年のロッテは優勝したから(血眼) -- 名無しさん (2022-10-19 16:36:27)
- ↑8そもそも2位以下同士ってのがいままで一度もないなんだかんだ片方は1位のチーム -- 名無しさん (2022-10-19 21:00:15)
- ぶっちゃけ20年巨人はぶっちぎりペナント快走の中盤までと比較して終盤はアレな試合が多くて阪神や中日の方が強かったよ。逆にホークスは終盤に怒涛の連勝しての優勝してチーム状態が素晴らしかった。 -- 名無しさん (2022-10-20 22:45:53)
- 2023年11月5日(日)にフジテレビで放送された日本シリーズ阪神VSオリックス最終決戦の視聴率は何%でしたか? -- 名無しさん (2023-11-13 17:56:23)
- 今年は近年稀に見るオワコン日本シリーズ -- 名無しさん (2024-10-27 20:35:57)
- CSの記事分割ってできませんかねえ?気が付いたらそこまで追記されてるなんて -- 名無しさん (2024-10-27 20:39:54)
- 今年もソフバン4タテかと思いきやそうでもなくなった -- 名無しさん (2024-10-31 09:16:05)
- 3連敗からの4連勝逆転優勝は日本シリーズだと過去2例あるけど、ワールドシリーズは1例もないどころか3連敗から2連勝したケースすらない。 -- 名無しさん (2024-11-03 01:24:32)
- 今年の日本シリーズは戦力に依らず監督の脳ミソ次第で勝敗が決まることが証明されたな -- 名無しさん (2024-11-03 23:15:06)
- 相手貶す舌禍事件も大きかった。まさか近鉄関係者というのも因縁感じる。新たな教訓として皆発言にはもっと気を付けるだろうから、そこは良いことだが -- 名無しさん (2024-11-04 11:00:46)
- ↑6 なお実際には結構盛り上がったシリーズだった -- 名無しさん (2024-11-12 01:22:45)
- 92年のヤクルトと西武は記事に欲しい -- 名無しさん (2024-11-28 12:19:04)
- 1度でいいから2位以下同士の日本シリーズ見てみたい -- 名無しさん (2024-12-31 14:59:02)
- 交流戦とCS始まって以来日本シリーズとか茶番だなってずっと思ってるけどファンの間ではどういう認識に変わってきてるんだろ -- 名無しさん (2024-12-31 15:14:30)
- ↑こういう奴って贔屓が日本シリーズに出てないから僻んでるだけだよね -- 名無しさん (2024-12-31 15:37:37)
- いや普通に贔屓どころ出てるしなんなら日本一になってるけど、むしろ出れない所のファンの方がパリーグとの交流見れたり3位でもワンチャンスあるんだから嬉しいんじゃねーの、頭の悪い決めつけ煽りやめた方がいいですよ -- 名無しさん (2024-12-31 18:33:49)
- 3位同士はともかく2以下同士なら2014年の日ハムがあと1勝できてれば実現してた(阪神(2位)VS日ハム(3位)) -- 名無しさん (2025-03-28 09:11:26)
- ロッテちゃんそろそろ下剋上は卒業しましょう! -- 名無しさん (2025-03-28 15:06:43)
最終更新:2025年03月28日 23:39