マラウイ

登録日:2011/10/05(水) 21:43:34
更新日:2018/04/10 Tue 14:16:30
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マラウイ共和国はアフリカ南部に位置する共和国。面積は11万平方kmで、北海道と九州を合わせた程度。首都はリロングウェ。
正式名称はRepublic of Malawiで、現地の言葉ではDziko la Malawi(wの上にはヒゲのような発音記号がつく)。
周囲をタンザニア、モザンビーク、ザンビアに囲まれた内陸国だが、マラウイ湖を擁する為に漁業が盛んである。

「マラウイ」とは現地の言葉で「揺らめく炎=朝日」を現すが、この言葉の為に最近まで日本と不思議な共通点を持っていた。


【マラウイの歴史】
〇1500~1700年頃、ザンビア、モザンビークの一部を含む地域にマラヴィ王国(Kingdom of Malavi)が成立。
ポルトガルとの象牙貿易で財を成す。

〇1840年、アフリカ東部のザンジバル島にオマーンのスルタンが移住、奴隷貿易を開始。マラヴィ王国にも奴隷狩りの手が伸びる。
北東部に住むヤオ族・南部に住むンゴニ族もアラブ側に着き、大規模な襲撃が繰り返される。マラヴィ王国、衰退。

〇19世紀後半にキリスト教の宣教団が停戦と奴隷貿易の中止を求める。イギリス軍が駐屯し、奴隷貿易に携わるアラブ人やヤオ族を処刑。
以降はイギリス領ニアサランドとして、ローデシア(現在のザンビア、ジンバブエ)の一部となる。

※さぞ過酷な植民地時代を…と思いきや、鉱物資源もプランテーションの土地も少なかった為に、白人は最盛期ですら1万人程度しか居なかった。
悪い書き方をすると、何もない場所だった為に圧政から逃れられたという事である。
当時のイギリス総領事が土地の多くをアフリカ人の為に分け与えた事や、
イギリスの政治を担う中心的存在であるイングランド人ではなくスコットランド人が入植のメインになった事もマラウイの安定に関係している。

但し現地の黒人は周辺国の鉱山へ出稼ぎに行っていた為、黒人差別はバッチリ体験している。

〇20世紀に入ると、スコットランド人のブース牧師が独立運動を開始。
マラウイを追放されるが、南アフリカでカムワマ師やチレンブウェ師に出会い独立運動を拡大。
両氏は帰国後現地に戻り、ニアサランド政府に抗議運動を行うが弾圧され、カムワマ師は亡命、チレンブウェ師は白人を殺害した罪に問われ処刑された。

〇1943年には独立運動が強まりニアサランド・アフリカ会議(NAC)が結成されるが、イギリス政府も1953年ローデシア・ニアサランド連邦を発足。
地下資源の豊かな北ローデシア(ザンビア)、製造業が盛んな南ローデシア(ジンバブエ)に、
ニアサランドの安価な労働力を使おうとするローデシアの白人政権の統治下に置かれる。

〇1958年、NACのチペンベレがイギリスに留学していたバンダを呼び寄せる。
バンダはアフリカ人の教育に力を入れており、ガーナやケニアの初代大統領とも交流があるエリートだった。

〇翌59年にはイギリスへの抗議活動が激化。バンダ達は投獄されるが、60年に出獄。
翌年にはマラウイ議会党(MCP)と改称したNACが選挙で大勝、独立が決定的になる。

〇1964年にマラウイが無事に独立。めでたしめでたし…と思いきや、ここでバンダが大暴走。
独立して1ヶ月で3名の閣僚を罷免、チペンベレを含む3名が辞任。

〇1965年にチペンベレが亡命、70年にMCPが一党独裁となる。そして遂に、71年にはバンダが終身大統領を宣言する。
「死ぬまで大統領」って、専制君主と何が違うんだか…
※バンダ大統領は20~25万人を政治犯として当時の首都・ゾンバにある政治犯用刑務所に収容した。
一人一畳以下のスペースに数十人が押し込められただけでなく、照明のない暗闇で手枷や足枷のついた独房で過ごす者もいた。
中には遺体と同室で収容された者もいるという。

※バンダ政権は対外的には親西側諸国のポーズを取り、宗主国のイギリスは元より中国ではなく台湾と国交を持っていた他、
当時バリバリのアパルトヘイト中だった南アフリカ、モザンビークを植民地にしていたポルトガルとも外交を持っていた。
当然、他のアフリカ諸国からは総スカンを食らっていた。

〇1993年、冷戦の終結や国内の反発によりバンダも遂に折れ、複数政党制に移行。
翌年には野党が大勝し、ムルジ大統領が選出された。今度こそめでたしめでたし

〇1995年、閣僚と有力議員の暗殺を指示したとしてバンダが起訴されるが、結果は無罪。しかしバンダは大統領時代の失政を国民に詫び、97年にこの世を去った。

〇2004年、ムルジ大統領の任期満了によりムタリカ大統領が選挙で選出された。

〇2012年、ムタリカ大統領が急死。
後任にはバンダ副大統領が昇格し、アフリカ二人目の女性大統領となった。


【マラウイの国旗】
独立当初はMCPの党旗を元に作られた、黒・の三色旗で、黒い部分に真っ赤な太陽が描かれていた。


意外な事に、赤で太陽を現す国は日本とマラウイぐらいしかなかった(他の国は大体黄色)。

…が、政権交代に伴い国旗は大幅に変更。太陽の色も白になってしまった…

政治的な問題であるため仕方ないとは言え、赤い太陽の国としては複雑…
と思ったら2012年に元の国旗に戻りましたとさ。


【マラウイと日本】
青年海外協力隊が活発に活動している為、マラウイ人はかなりの親日家が多い。
一方の青年海外協力隊員達にもマラウイの風土は馴染みやすいらしく、「日本に帰るのが辛い」「またマラウイに行きたい」という声が多い。
実はマラウイはアフリカの中でもかなり治安が安定しており、とりわけバンダ政権後は7%近い経済成長を遂げている等明るい話題も多い。
※但し、貧富の格差は広がっており、2011年7月には物価の高騰に対する大規模なデモが行われた。

そんな青年海外協力隊の中でも、マラウイで人気になった人物として山田耕平氏が挙げられる。
山田氏はエイズ対策の為に現地の人気歌手等と共にキャンペーンソング「Ndimakukonda(=愛してる)」を作成。
マラウイ唯一のTV局である国営放送で流した所大人気となり、何度も繰り返し放送されるようになった。
彼の知名度も当然向上し、青年海外協力隊の任期が終わり帰国する頃には現地の新聞が取材に来た。
現在はシニア隊員達による科学番組を放送。此方も人気らしい。


【オナラ禁止令】
2011年、一つの法律が施行された。

「公共の場での放屁を禁止する」

んなアホな…と思うだろうが、政府曰く「自由化に伴いあちこちで所構わずオナラをする人が増えた」との事。
当然というか何というか、「わざわざ法律にする事ないだろ」という声もある。
米倉涼子涙目www


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