国鉄(JR東日本)203系電車

登録日:2012/10/21 Sun 11:57:49
更新日:2025/09/24 Wed 20:28:42
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国鉄203系電車とは、日本国有鉄道(国鉄)が開発した通勤型電車である。
国鉄分割民営化後は全車がJR東日本に継承された。

概要

常磐緩行線は1971年から千代田線との相互直通運転を開始し、これに合わせ103系1000番台が導入されて運用されていた。
しかし、千代田線内のシールドトンネルでは抵抗器の排熱が内側に流れることで夏場はサウナと化してしまい、「鉄板焼き電車」「走る電熱器」とと呼ばれるなど評判は最悪で、この熱で機器類の損傷が頻発するトラブルも発生していた。

加えて、103系は抵抗制御車のため営団6000系は勿論、同じ千代田線に乗り入れていた界磁チョッパ車の小田急9000形とも消費電力の差があり、この差額を営団に支払うよう会計検査院から命ぜられていた。

これらの状況を打破するために、当時増備されていた201系をベースに開発されたのが203系である。

解説

前述したように201系をベースとして、地下鉄線内で求められる性能(主に加速性能)を確保するために様々な改良がなされた。
車体は軽量化を図るために301系以来となるアルミ合金となり、前面と側面にエメラルドグリーン帯、幕板部にJNRマーク(後に撤去)が配された。
側面は二段窓だが、軽量化を図るため戸袋窓が廃止されている。

前面は少し傾斜をつけた形状となり、地下鉄に乗り入れるため車体正面中央部に貫通路が設けられ、上部に運行番号表示器・行先表示器・JNR(→JR)マークが窓縁とともに黒地で統一されて並べられた。窓下には前照灯と尾灯が縦に並べられている。
他の国電でも見られない独自の前面だが、乱暴に言ってしまえば営団6000系と小田急9000形を足して二で割ったような前面である。

1985年からの増備車はマイナーチェンジが行われ100番台に区分され、台車が205系と同じボルスタレス式、内装が201系の軽装車と同じような意匠に変更されており更なる軽量化が図られた。

常磐緩行線車両では初となる車両冷房を搭載したが、千代田線内ではスイッチを切って運用された*1

アルミ合金の採用で編成重量は0番台で318.3トンと、103系に比べ30トン以上の軽量化を実現しており、編成も従来の8M2Tから6M4Tと電動車を減らし経済性の向上にも貢献した。

沿革

1982年に量産先行車1編成が落成し、同年11月のダイヤ改正から運行開始。
当初は緩行線の取手延伸に伴う運用増で登場したため即座に置き換えとはならなかったが、冷房車で好評だったこともあり1984年から本格的な置き換えを開始。1986年までに103系を全て置き換えた。
ここで置き換えられた103系は常磐快速線に転用されたほか、一部の車両は105系に改造され地方へ転出した。

当初は真新しいアルミ車体が光輝く最新鋭の電車だったが、時の経過とは残酷なもので…。
アルミ車体は次第に茶色く汚れていき、直流モーターを用いていたためにJR型に比べるとモーター音のうるささが目立ち、アルミのドアはパタパタと大きな音を立てていた。いわゆる陳腐化である。

これらのことから一部の人たちからは散々な言われようだったとか…。

そんな203系もE233系2000番台に置き換えられる事が決まり、2010年11月から廃車が開始。
最後まで残ったマト55編成も2011年9月26日をもって営業運転を終了。10月15日には松戸車両センターを去っていった。
29年間、常磐緩行線と千代田線一筋で走ってきた歴史に幕を下ろした。
なお、一部編成は解体されずに海外へと譲渡され、第2の人生を歩み始めた。

海外譲渡

以下は各編成の廃車回送日とその後。

【0番台】
マト51・2011年6月7日廃車
インドネシア譲渡

マト52・2011年6月14日廃車
→インドネシア譲渡

マト53・2011年9月3日廃車
→フィリピン譲渡

マト54・2011年10月1日廃車
→フィリピン譲渡

マト55・2011年10月15日廃車
→フィリピン譲渡

マト56・2010年12月27日廃車
→長野総合車両センターで解体

マト57・2010年12月2日廃車
→長野総合車両センターで解体

マト58・2010年11月5日廃車
→郡山総合車両センターで解体


【100番台】
マト61・2010年12月16日廃車
→郡山総合車両センターで解体

マト62・2011年1月18日廃車
→長野総合車両センターで解体

マト63・2011年1月25日廃車
→1〜9号車は郡山総合車両センターで解体され、10号車(クハ203ー103)は鉄道ファンに引き取られた。

マト64・2011年2月22日廃車
→長野総合車両センターで解体

マト65・2011年2月28日廃車
→長野総合車両センターで解体

マト66・2011年5月24日廃車
→インドネシア譲渡

マト67・2011年7月27日廃車
→フィリピン譲渡

マト68・2011年8月23日廃車
→インドネシア譲渡

マト69・2011年8月17日廃車
→インドネシア譲渡

余談

  • 本形式は203系となったが、当時国鉄の直流アルミ電車の形式は「3」から始まっていたこともあり、形式は303系*2になるべきで、203系という形式はおかしいという投書が鉄道雑誌に掲載されたことがある。
    サービスに関与しないどうでもいい案件にクレームをつける鉄ヲタの悪癖はこのころからあったという証左である
  • マト67編成は地下鉄サリン事件の際に車内にサリンを撒かれた編成で、1号車のクハ202-107には林郁夫が傘でサリン袋に穴を開ける際で出来た傷が床に残っていたという。


追記・修正のついでに洗車もお願いします。


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最終更新:2025年09月24日 20:28

*1 当時の営団はトンネル冷房を推奨していた関係上、車両冷房についてはかなり否定的な見解を示しており、相互直通先の車両全般にこのような措置をしていた。

*2 この形式はのちにJR九州筑肥線用電車で採用された。