登録日:2012/10/21 Sun 21:49:47
更新日:2025/05/30 Fri 13:42:06
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営団地下鉄(東京メトロ)6000系とは、帝都高速度交通営団が1968年から
千代田線に導入した車両である。
2018年に全車引退済み。
目次
導入の経緯
千代田線開業に際し、
「21世紀の電車」というコンセプトを基に開発された。
大都市の交通機関ということで
タクシーを
ライバル視しており、閑散時にも快適な乗り心地を提供できることも念頭に入れていた。
また、かねてから試験を実施してた回生ブレーキ付きサイリスタチョッパを世界で初めて採用し、内外装に取り入れた新機軸はその後の日本の鉄道車両に多大な影響を与えた。
長期にわたって増備され、最終編成の登場は1991年。
そのため内外装のマイナーチェンジや更新工事など、ネタに事欠かない系列でもあった。
1972年鉄道友の会ローレル賞を受賞。
車両概説
車体
営団車では本格的にアルミ合金の車体を採用し、以降の営団および東京メトロの標準となった。
運転台のスペースを広く取るため、正面の貫通路を向かって左側に寄せた。
これはアメリカ・サンフランシスコの都市鉄道・BARTの車両の影響を受けたもので、途中駅で分割や併合が必要ないからこそできたデザインである。
また、貫通扉はそのまま前に倒すと非常脱出階段になるというスグレモノだった。
側面ドアは文字通り、勢いよく開閉する
爆弾ドアである。これはドアの開閉時間を少しでも短くする為の画期的なものであった。
これらの意匠は、続いて登場した
有楽町線7000系・
半蔵門線8000系にも引き継がれた。
側面窓は
東西線5000系に近い小さなものが並び、ドア窓もラッシュ時の破損防止策として小窓になっていた。側面窓は8000系登場後に大型のものへマイナーチェンジし、ドア窓は修繕工事時に通常サイズに変更されたものが現れた。
内装
前述のようにタクシーを意識したことから、車内を広く見せるかつ車内の空気を通しやすくする目的から、妻面はキノコのような貫通路を採用した。
しかし冬季の風の吹き抜けが酷いことや火災時に煙が広がるとの理由で、順次扉付きの貫通路へと改造された。
1次試作車では座席がスライドできる機能も試作されたが、こちらは採用が見送られた。
…ちなみに、これだけの新機軸を搭載しておきながら、車両冷房は搭載されていなかった。
これは、当時営団が車両よりもトンネル内の冷房を進めていたことや、冷房排熱処理についての技術が未発達だったことが理由とされる。
しかし乗り入れ他社が冷房を搭載するようになるとさすがに見劣りすることになったからか、1988年以降は車両冷房の搭載が始まった。
変遷
北は
常磐線の茨城県取手から、南は
小田急線の神奈川県本厚木まで、幅広く運用された。ただし2003年~2016年までの期間は、唐木田行の運用が中心だったので、小田急線新百合ヶ丘~本厚木での定期運用は無かった。
まれにダイヤ乱れで新宿に入線することもあった。
2010年まで廃車もなく千代田線の主力車両であったが、後継の16000系電車の導入により廃車が始まった。
試作車3両を除いた第01〜35編成のうち、第03・05〜07・09〜15・23・25〜28・33〜35編成の19本が2010年10月から2016年1月にかけて廃車となった。
そのうち、第03・09・10・14・28・35編成は車両故障や制御装置の都合で解体されたが、残りは同僚のJR203系と共に全てインドネシアへと譲渡された。
登場から46年走り続けた試作車がいる一方、登場から21年しか経っていなかった第35編成は廃車解体。この差は一体…
2017年5月には小田急への乗り入れを終了し、2018年11月に正式に全車引退した。
特筆すべき編成
車両番号が量産車と違い「6000-1」「6000-2」「6000-3」だったことから「ハイフン車」とも呼ばれる試作編成。
登場当初は前面の緑帯が回り込んでおらず、床下全域にスカートが装備されていた。
2次試作車と共に様々な試験を経て、北綾瀬支線開業時に同線区間運転用に転用されるも、何故か抵抗制御にグレードダウン。2014年まで営業運転に使用。
現在は新木場車両基地にある研修センターの訓練車として使用。
別名は2次試作車。元々6両で登場したところ、営業運転投入に際し4両を追加製造した経緯を持つ。
そのため、色々特殊。
まず、代々木上原方の先頭(6101号車)がパンタグラフ付き電動車だった。これにより量産車と組成パターンが異なる。
車体裾が長く、小田急の建築限界に抵触するのか、小田急線には最後まで直通しなかった。
ただし行先表示は、少なくともLED化後は他の編成と共通だったので、小田急の行先が含まれてた。そのため、まれに第01編成も唐木田行等の代走に入ることがあった。
もちろん小田急に入れないので、代走した場合は綾瀬等で車両交換してたが。
他にマニアックな点として、最後まで座席のモケットが茶色だった他、クーラーに車外スピーカー用の穴があった(スピーカーは未設置)。
量産車としてはトップナンバー。
ローレル賞受賞プレートが貼り付けられてる。ラストランにあたって営団マークが張り付けられた。
今もその状態で新木場車両基地にフル編成で保存され、時おりイベントで公開されてる。
アニヲタ的には、2015年12月実施の
ラブライブ!の各線毎に異なるメンバーの広告で統一された編成が設定された際、
小泉花陽の対象編成が第02編成だったことを特記する。
2段窓(いわゆる田窓)にVVVFという珍しい組み合わせで、田窓が残った最後の編成。唯一の形態と思われがちだが、かつては第21編成も同様であった。これは、第21編成の場合はVVVF化が先行し、車体更新が後回しにされたため。
更新時にチョッパ装置をGTOサイリスタに換装。
その際、編成内で日立製と三菱製の装置が混在する唯一の編成となり、それぞれ微妙に違う音が楽しめた。
6310号車に日立製、6710号車と6910号車に三菱製を搭載。
なお他の編成にも言える話だが、日立製のチョッパの方が変調音が激しかった。
他の編成は、後年に帯を板焼付からフィルム貼付に変更したのに対し、この編成だけは何故か板のままだった。
そのため帯の緑が濃い目だったのが特徴。ただしドア部分だけはフィルムに変更してあった。2011年に編成組み替えをした際に全てフィルムに変更。
特記として2005年に小田急線で臨時快速急行に充当されたこともある。
一見何も変哲の無い編成だが、1978年の小田急直通運転開始に伴う記念式典(6000系の直通1本目)に抜擢。
そして2017年5月、小田急線内での列車無線方式変更の影響で6000系の小田急直通が終了したが、奇しくも直通終了前日の最終乗り入れ運用に充当されたのが、この第20編成だった。
いわゆるスーパー6000系。大規模な更新/リニューアルが行われた。その第一陣の編成。
行先表示LED化/ドア窓大型化/制御装置VVVF化/乗降促進と自動放送搭載/化粧板張替等を実施。他に第22・28~32編成も該当。当時最新鋭の0x系列に劣らない内装となった。
前述のようにこちらの編成もリニューアルを実施。
2015年に小田急側の試験のため、試運転で新松田まに入線した唯一の実績を持つ。通常の運用では、営業運転時は本厚木、回送でも伊勢原までしか入らなかった。
また第02編成共々、2018年の引退まで最後まで残った。
後年になりチョッパ制御の編成の中で唯一、編成組み替えが行われたのが特徴。組み替え後は電動車の位置を分散させたので、05系等に似た組成になった。
最終編成で1991年製。
同時期の0シリーズなどと同様、車内LED・ドアチャイム・車外スピーカー・乗降促進放送と新形式と変わりないアップデートがなされた。
帯もそれまでの板焼付からフィルム貼付に変更、チョッパ装置は当時の更新車に採用されてたGTOサイリスタを使用する等、随所で仕様が異なる。
前述の通り、2011年にあえなく廃車解体となってしまった。
追記・修正をお願いします。
最終更新:2025年05月30日 13:42