登録日:2025/09/22 Mon 14:32:38
更新日:2025/09/25 Thu 19:54:22
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201系は、日本国有鉄道(国鉄)が開発・製造した通勤形電車である。
国鉄分割民営化後は
JR東日本・
JR西日本の2社に承継された。
概要
長らく製造が続いていた
103系に代わるモデルチェンジ車であり、老朽化した
101系の置き換えを目的に開発され、1979年に試作車が登場した。
国鉄の通勤形電車では初となる電機子チョッパ制御と回生ブレーキを採用し省エネルギーを図ったことが最大の特徴で、登場当時は「省エネ電車」の愛称で呼ばれていた。
チョッパ制御以外にも内外装に多数の新機軸を取り入れており、後年の国鉄車両にも多大な影響を与えた。
しかし、車両製造費が高価になったことから総製造両数は1018両に留まり、以降の増備は省エネに加えコストパフォーマンスを重視した
205系へと引き継がれた。
電機子チョッパ制御
201系最大の特色と言えばこの制御方式なので、今回は特別に解説を行う。
電車の制御方式は有史以来抵抗制御…要するに回路内で電気抵抗をかませるかどうかのスイッチをたくさん用意して順次切り替えていく構造が使用されていたが、この方式は抵抗器からの放熱と電力損失が発生し、接点の保守が必要という欠点があった。
放熱は特に地下鉄でトンネル温度の上昇に繋がるので、結果として他の機器類が熱で損傷するリスクも生じてしまう。
これらの欠点を克服する為に開発されたのが電機子チョッパ制御である。
電機子チョッパ制御は、モーターの全ての電流を「入」「切」するもので、無駄な電気が少なく、滑らかかつ高い加速を出す事が可能である。
加えて電動車の数を減らす事もできるので経済性も高い。
この制御の特徴として、力行・減速に「ツーン」という独自の電子音を出す。
関東では営団地下鉄(現:
東京メトロ)、関西では阪神電気鉄道が1960年代から研究開発を進めており、1970年には阪神が力行専用ながら、日本初の電機子チョッパ制御車の7001・7101形を導入し、営団も回生ブレーキ付き電機子チョッパ制御を
千代田線用の
6000系で実用化を果たした。
国鉄でも上述の2社と同じ時期から研究開発をしており、通勤形以外にも近郊形車両への導入を検討していた。
「電機子チョッパは回生失効が起きやすく通勤形以外には不適」というのが定説で実際それを理由に本採用を取りやめた事業者も少なくないが、主回路構成の工夫でカバーする計画を立てており、103系での試験で実用のメドを立てていた。
しかし、折しも赤字や労使関係の悪化等で内部がごたごたし始めていた時期だった為、結果実用化は1979年と大幅に遅れてしまった。
このほかチョッパ特有の粘着性能を生かし電気機関車への導入も検討しており、これは
山陽本線セノハチ区間用のEF67として実現している。
その後、1973年のオイルショックを機に世間で省エネムードが高まったことから私鉄各社が開発に乗り出し試作車も導入されたが、ここで大きな欠点が露呈する。
それは車両製作費が高いこと。
当時は大容量の半導体を制御する装置が未発達だった為、かなり大型の装置を搭載しなければならなかったのだ。
その為、この制御方式は元祖である営団及び阪神以外の事業者での採用は公営地下鉄程度にとどまり、それ以外の事業者は安価に省エネが可能な界磁チョッパ制御を採用することとなった。
一方国鉄では複巻電動機のメンテナンス問題から界磁チョッパの採用を見送り、205系では直巻電動機が使用可能な新開発の界磁添加励磁制御を採用した。
こうして電車の制御方式は様々な試行錯誤を繰り返し、1980年代後半以降は現在の主役であるVVVFインバータの時代が到来することとなる。
車両解説
本項では量産車について解説する。
車体
普通鋼製車体だが、外板は冷間圧延鋼板を使用し腐食に強いものとした。
この腐食対策は功を奏し、
後輩である209系がボロボロだったのに対し運行終了まで特段の傷みが見られなかった。
前面形状は高運転台だが、窓配置を左右非対称としその周辺に黒で処理したパネルをはめ込んだブラックフェイスと呼ばれる斬新なデザインを採用。窓の形がどうなっているかわかりにくいことから、この構造は輸送機械としてのデザインの自由度を大幅に上げたため、以降205系を筆頭に国鉄・私鉄各社で類似デザインが多数登場するようになった。
側面は従来通り戸袋窓付きかつ上段下降・下段上昇式の側窓となったが、乗降扉と戸袋窓はラッシュ時の破損が絶えなかったことから小型化された。
内装
20年の使用を見越して様々な改良がなされた。
通勤形なのでロングシートだが、7人掛けの座席はロームブラウンと中央部をヘーゼルナッツのモケットとし、着席区分を明確化する試みがなされた。
化粧板もクリーム色と暖色のカラースキームになっており、この内装は後年の新形式や103系特別保全工事車にも採用された。
運転台は
0系新幹線電車にも似た横軸マスコンが導入されている。
機器類
前述したように電機子チョッパ制御を採用したが、高速走行時の電圧上昇を抑えるため、75km/h以上の時に抵抗を挿入、90km/h以上の時に回生絞り込み制御が入る。
主電動機は新規に開発された定格出力150 kWのMT60が導入された。大形の主電動機にしたのは、高速域からの回生ブレーキを充分に活用することが目的で、先述した新近郊形へも対応できるようにしたもの。
結局近郊形の登場はならなかったが、後年本形式は高速性能の高さを生かし国電区間外への乗り入れを果たすこととなる。
台車は国鉄の通勤形電車では301系以来となる空気ばね式を採用し、軸箱支持装置は蛇行動を起こしにくいシュリーレンタイプとなっている。
バリエーション
その番台の通り、1979年に導入された試作車。
4M1Tの5両編成が2本落成し、組み合わせると8M2Tという強力な編成となった。
量産車との相違点として戸袋窓の大きさが103系と同じものとなっていることや、試作車のため内装に寒色系のものがあったり、運転台が旧来の103系と同じタイプもあったりと作り分けがなされた。
また、車内中央部にのちの6ドア車のようなスタンションポールが設置されていたが、量産に際してはラッシュ時に頭をぶつける可能性があるため本格採用は見送られた。
1983年の量産化改造後は一部の電装が外され6M4Tとなり、1990年以降のATS-P導入後は床下に積載スペースがないことから量産編成の中間車に組み込まれ、廃車までその形態で運用された。
1984年以降に導入された量産車の通称。
コストダウンのために内外装の一部がマイナーチェンジしており、窓が二段上昇式に、車両番号標記がステンレス切り抜き文字から転写式に、前面の黒色処理がジンカート処理鋼板から電解二次着色アルミニウム板に…と変更されている。
2001年に
青梅線に4両1本が導入された観光電車。
多摩川側の側窓を大型の固定一枚窓に変更し、その部分の座席はテーブル付きのボックスシートに変更している。
塗装は当初多摩の四季をイメージした4色だったが、2005年に白に青ラインの塗装にリニューアル。
2009年まで運行された。
JR西日本名物の延命工事車。
2003年から207系と同等の内外装に合わせるリニューアルが実施された。
外観では側面窓の戸袋窓がなくなり、103系の体質改善工事と同じタイプとなった。また前面部分もぱっと見変わりはないが窓の形状が変更されている。
その後、行先方向幕が1/10じゃないと止まらない撮り鉄泣かせのLED式に変更されており、「[O]大阪環状線」など、アルファベット路線記号に対応した表示ができるようになった。
運用
塗装はオレンジバーミリオンで、「中央線=オレンジの201系」のイメージがある方も少なくはないだろう。
101系・103系の置き換えを目的に1981年から本格的な導入が始まり、1985年3月改正で置き換えを完了。唯一201系による車種統一が図られた線区である。
1986年11月改正からは高尾から先、
自称日本のパリこと大月までの乗り入れを開始した。
10両固定編成と6+4の分割編成が存在し、後者は青梅・五日市線や富士急行線への直通に使用された。
なお、分割編成はE233系導入時に連結順が逆順(6+4→4+6に変更)となり、編成組み換えが実施されている。
特徴と言えば前面の愛称表示で、1986年3月までは特別快速運用時に板式のヘッドマークを装備していた。
この愛称表示はJR化後に差し込み式となって復活、1992年からは電動幕式に変更され、引退までそのスタイルで運用された。
特筆すべき臨時運用としては中央線松本地区への貸し出しがある。
これは毎年8月・9月に開催される諏訪湖花火大会の臨時輸送用で、4扉のロングシート車は観客輸送に存分な威力を発揮。2007年までこの貸し出しは実施され、最後の運用は廃車回送を兼ねての使用だった。
2006年末からの
E233系の導入で徐々に運用を狭め、2010年10月に撤退。
引退後も量産車のトップナンバー・クハ201-1が車籍を残した状態で残されていたが、青梅鉄道公園への保存展示が決まり2025年に正式な廃車となった。
1982年8月から運行開始。塗装はカナリアイエロー。
分割運用もないのに6+4の編成で導入されたのは検修設備の関係によるもの。
途中から中央線快速からの転属車も現れ、900番台もこちらに転属している。
1988年に東中野駅で発生した追突事故の影響でクハ201-3を除く9両が廃車。
そのクハも2005年頃まで車籍が残された状態で留置されていた。
2000年から
E231系の導入に伴い撤退。京葉線と青梅・五日市線へ転用された。
1986年3月改正から豊田電車区所属の6両編成が導入された。
青梅・五日市線用の車両と共通運用で、京葉線に最初に乗り入れた201系でもある。
1996年の8両化に伴い撤退。
古くから豊田電車区の6両編成が使用されていたほか、2000年以降に中央・総武緩行線からの転属車が103系置き換え用として多数導入された。
塗装は同じオレンジバーミリオンのため、誤乗防止のため前面に「青梅・五日市線」のステッカーが貼り付けられた。
こちらもE233系の導入に伴い、2008年で運行終了。
2000年に中央・総武緩行線から転属した編成が運行開始。塗装は関東では初のスカイブルーとなった。
初期の転属車は6+4両だったため、連結器に自動解結装置を設置して
外房線・東金線乗り入れに使用された。
山手線からの205系転属後は900番台が運用を離脱し廃車となり、これを組み込んでいた編成の組み換えが行われた。
その後、2007年には中央快速線からの転属車も登場。これは205系を武蔵野線・埼京線へ転用するため京葉区から捻出し、その補填として導入されたものである。
2008年に209系500番台、2010年からE233系の導入で廃車が進み、2011年6月に引退。
これにより首都圏から201系は姿を消した。
1983年2月から運行開始。201系初となるスカイブルー塗装が採用された。
京阪神緩行線に導入されたのは車両性能が路線にマッチしていたことに加え、捻出した103系を
片町線・関西線の101系置き換えに廻し、両線区の冷房化率向上を図りたかったのが理由。
32編成224両と中央線快速に次ぐ大所帯になったため、「関西の201系=スカイブルー」を思い浮かべる人も多いだろう。
特徴である高速性能を生かし、1985年からは運行区間を東は草津、西は加古川まで延長。
1997年からは
JR宝塚線新三田まで運行範囲を拡大している。
阪神・淡路大震災発生時の臨時運用では8・6両編成に組み替えられたほか、6+6両の12両編成も存在した。
321系の導入に伴い、2007年までに撤退。
2005年から京阪神緩行線からの転属車が導入され、編成を8両化して運用された。
当初は8両固定と4+4両の編成が存在し、後者は全て大和路線に転出している。
塗装はオレンジバーミリオンだが、2009年まではスカイブルーの車両も運用されていた。
また、JRゆめ咲線用
USJラッピング電車も103系に代わって登場した。
323系の導入に伴い、2019年に引退。
2006年から運行開始。京阪神緩行線・環状線からの転属車両で、塗装は201系史上初のウグイス色(+前面白帯)となった。
ラッシュ時には
和歌山線や
万葉まほろば線に乗り入れる運用もあった。
おおさか東線は2008年の久宝寺~放出開業時から運用され、
新大阪開業後も2022年3月改正まで使用された。
JR京都・神戸線への225系増備の伴う221系の転属で徐々に廃車となり、2025年3月改正で引退。
引退後は5月から京都鉄道博物館で特別展示を実施。途中からクハの前頭部を京阪神緩行線時代のスカイブルーに復元し、そこからカナリアイエロー・オレンジバーミリオン・(元の色である)ウグイスの歴代4色でラッピングする粋な計らいも行われ、201系有終の美を飾った。
派生形式
千代田線直通の103系置き換え用として1982年から導入された常磐緩行線用の車両。
201系の車体をアルミにして更なる軽量化と省エネを図ったもの。
詳細はリンク先も参照。どういうわけだかこの項目だけはるか昔に勃っていた。
福岡市初の市営交通かつ地下鉄電車で、日本初のワンマン運転対応の地下鉄電車でもある。
一見201系とは無縁の形式に見えるが、
筑肥線との相互直通を控えていたことから国鉄が設計開発を担当し、制御方式や内装はまんま201系となっている。
外観はセミステンレスだが当時は珍しかったビード式車体となっており、編成単位での採用例はこれが日本初。
そのため、「
福岡市のお金を使って国鉄が本気で作った通勤電車」と呼ばれることも。
1981年鉄道友の会ローレル賞を受賞。
制御方式がVVVFへ更新されて活躍していたが、2024年から4000系の導入に伴い廃車進行中。
余談
- 本形式の前面非対称のデザインは東急車輛(現:総合車両製作所)が提案したものだが、同時期にはとある私鉄で開発中だった新型通勤車向けにも同種のデザインを提案していた。国鉄側は「他社で採用していないのが気に入った」としていたため、私鉄側への提案を取り下げなければいけない事態となってしまった(そのくらい当時の国鉄は権力が強かったのだ!)。
この通勤車というのが京浜急行電鉄の800形であり、その後現車は前面対称のデザインとなったが鉄道友の会ローレル賞を受賞しており結果オーライだったといえよう。
- 京葉線転属車の方向幕は転入当初前面が白地であったが、JRの「103系と同じ内容の方向幕を使う」という指示を方向幕の制作メーカーが「103系と同じデザインの方向幕を使う」と勘違いしたためとされている(後に黒字に白文字へと変更された)。
関連作品
大きく分けて2つの製品が存在する。
1988~2007年に販売された「ドア開閉通勤電車」は、すでに発売されていた205系の車体をもとに201系と同じ1色塗装を再現し、中間車にドア開閉ギミックを搭載したものである。レギュラー商品では中央線の201系がモデルであったが、2001年に開催されたプラレール博限定商品として、中央総武線のカナリアイエロー塗装のものも発売された。
2024年には上級モデルである「リアルクラス」にて体質改善工事車が発売。4月にオレンジ色の大阪環状線、11月にウグイス色の大和路線、翌年3月にはスカイブルーが発売された。
「2-3000番台」、「プロフェッショナル仕様」、「3 通勤編」、「プロフェッショナル2」、「FINAL」、2017年版(サービス終了)に登場。
いずれの作品でもダイヤに余裕がなかったり、ブレーキにクセがあったりと難易度が高め。
特に通勤編の快速はダイヤの余裕のなさに加えて鉄人モードではATS確認が必須のため、特に難易度が高い。
デビューして間もない時期にKATOで発売…されたのはよかったのだがフライングして基本5色(オレンジバーミリオン・カナリアイエロー・スカイブルー・ウグイス・エメラルドグリーン)を全て商品化してしまった。戸袋窓付きのウグイスやエメラルドはとりわけ珍品だろう。
それ以外の大手メーカーでも製品化されており、変わり種ではHO専業のエンドウからも発売されていたことがある。
1993~1994年に放送されたスーパー戦隊シリーズ。幻影を使って攻撃するシシレンジャーの必殺技「天幻星・霧隠れ」のレパートリーの中に存在。
第2話での「幻総武線」では、カナリアイエローの201系が登場し、それを敵に激突させていた。バラエティー豊かな技ではあるが、終盤の第47話ではロボット大連王に搭乗した状態で「幻山手線」を放った。のだが、当時運用されていた205系ではなく、こちらも201系。KATO製の模型で2色用意していたのか、それとも前述の総武線をウグイス色に塗り替えたのかは定かではない。
上述のダイレンジャーより10年後、2003~2004年に放送されたスーパー戦隊シリーズ。第25話冒頭にカナリアイエローの201系の模型が登場。
追記・修正は201系のチョッパ音を脳内再生しながらお願いします。
- うっかりすると快速移動で221系ばっかになるけど独特の音を聞くためにたまには普通列車を……え!?もうおらんの!?103すらまだ生きてるのに!? -- 情報の遅い奴 (2025-09-23 03:54:55)
- 吹田のは保存されずに解体だしなぁ -- 名無しさん (2025-09-23 08:46:02)
最終更新:2025年09月25日 19:54