三式戦闘機 飛燕

登録日:2014/06/08 (日) 01:29:00
更新日:2024/02/11 Sun 01:43:23
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三式戦闘機は、大日本帝国陸軍が運用した戦闘機である。帝国陸軍唯一の液冷エンジン搭載型戦闘機。愛称は飛燕、連合軍のコードは「Tony(トニー)」。
米軍視点ではイタリア機のパチモノに見えたようで、イタリア系移民によく見られる「Antony」の愛称である「Tony」と呼ばれるようになったんだそうな。
搭載されたエンジンの素性から『和製メッサー』とも呼ばれる、ガラスハートな高性能ながら繊細な扱いを強いられた機体だった。


性能諸元(二型)

試作名称:キ61-Ⅱ改
全幅:12.00m
全長:9.16m
全高:3.75m
翼面積:20㎡
自重:2,855kg
正規全備重量:3,825kg
発動機:ハ140(離昇1,500馬力)
最高速度:610km/h(高度6,000m)
上昇力:5,000mまで6分00秒
武装:機首20mm機関砲2門、翼内12.7mm機関砲2門
爆装:250kg爆弾2発


開発経緯

時は1940年2月。陸軍から川崎に対し、ダイムラー・ベンツが開発したDB601のライセンス生産品であるハ40を用いた液冷エンジン搭載型戦闘機2機種の開発が指示される。
重戦闘機キ60と軽戦闘機キ61のナンバーが与えられ、前者は開発指示から即座に、後者は12月から設計開始となった。設計主務は両機ともに土井武夫。
副主任の大和田曰く「戦闘機は総合性能で敵に勝って何ぼ、軽戦とか重戦とかバカじゃねーの?」であり、同時に川崎の開発チームに共通する理念だったという。
また、土井自身もキ61を理想的な戦闘機としてまとめあげようとしていたと後に語っている。

飛行試験の結果、キ60はキ61と同等のエンジン(キ60にはオリジナルのDB601、キ61にはハ40を使用)でありながら速度と格闘性能で劣っていたこと、
また鍾馗に対しても絶対的に優越でなかったことから制式採用されず、キ61は43年10月に制式採用された。
その飛行性能は、設計者の土井自身でさえも予想外なレベルであったという。


機体の特徴

上述のようにドイツの液冷エンジンのライセンス品を心臓として生み出された飛燕だが、その心臓こそが本機の最大の特徴にして癌でもあった。
原型はたしかに先進的かつ高性能だったが、日本でコピーする際に戦略物資であるニッケルの使用を禁じられてクランクシャフトの強度が低下。
また工作機械不足や性能の問題から、工作精度をオリジナルより2桁ほど妥協せざるを得ず、クランクシャフトやベアリングの破損が多発。
さらに戦況悪化からくる熟練工員の欠乏が追い討ちとなり、極めつけに当時の帝国軍の標準だった空冷エンジンとの整備の差異がとどめとなって、
確かに高性能ではあったが前線からは端的に「飛ぶと壊れる」とまで忌避された。
整備の差異や整備兵の未熟に関しては習熟でどうにかなったが、部品精度の低下まではどうしようもなかった。

しかしこの『ガラスの心臓』は、本機に優れた飛行特性をもたらした。頑丈な機体は突っ込みが利き、帝国軍機の典型的欠陥である急降下性能も申し分なかった。
イタリア機のような流麗なボディは空力特性に優れ、頑丈かつ高アスペクト比な主翼は高速性と旋回性のどちらにも程よく良好な結果をもたらした。
航続距離も帝国軍機らしく長大であり、侵攻にも邀撃にも扱いやすい機体となっている。これでエンジンさえまともだったら……
一方で上昇力は貧弱の一言であり、せっかく帝国軍機の中ではまともな部類の高々度性能を活かせない場面も目立ったという。
オリジナルを搭載したBf109Fよりも全備重量が1トン近くも重いせいとする見方もある。

火力面では初期型では12.7mm機関砲が完成まもなくで数が揃わなかったこと、また20mmに至っては開発の目処さえ立っていなかったため、
鍾馗同様に12.7mmと7.7mmの混載(ただし搭載箇所は鍾馗と逆)となっている。
12.7mmが充当してからは全火砲を12.7mmに、また20mmが完成してからは翼内機銃を20mmに換装している。
火砲の開発が遅れたこと、またエンジンがお通夜状態だったことさえ無視すれば、頑丈で高速、なかなか使いでのある汎用戦闘機であったと言えるだろう。
……エンジンさえまともだったらな……


戦歴

第14飛行団の第68戦隊によって、ラバウル方面への戦力増強として展開したのが初の実戦運用となる。
彼らは42年3月に編成されたばかり。43年の年明けからキ61(この時まだ制式化前)への機種転換を開始したが、この時点では初期不良の洗い出し未了で整備兵も水冷エンジンに不慣れ、
各員の努力でどうにかこうにか“飛ばせる程度には”習熟できたものの、出撃時期の3月末が迫ってもなお未修飛行と戦闘訓練数回程度という有様だった。
空母『大鷹』でトラック諸島に移動し、空路でラバウルを目指すものの、隊長機のコンパス故障などから先発隊12機中2機がエンジン不調で自爆、
隊長機含む9機が道中で不時着、ラバウルに到着できたのは1機のみという惨憺たる結果であった。
後発隊も故障で1機喪失していたため、進出作戦で到着したのは機体27機中15機、喪失搭乗員3名、喪失機材10機という見ちゃいられない結果となった。
教訓:訓練未了で出撃はダメ、絶対。

空輸された補充機で戦力を補充し、5月15日の九七式重爆撃機護衛で初陣を飾り、7月5日までにラバウルへの進出を完了した。
その後は陸海の作戦領域分担に伴いニューギニアのウエワクへ転進。
P40相手に無双するが、8月17日の戦爆連合による奇襲攻撃で壊滅的損害を受け、12月には一型丙の到着で大幅に火力が増強されるが、
その頃には人員・機材ともに消耗しており、さらにはアメーバ赤痢やマラリアの蔓延で戦力発揮が困難な状態だった。
翌年2月にはホランジアへ後退し、7月25日に第14飛行団解散となった。

第22飛行団が飛燕を受領してマニラに進出した頃には、「三式は爆撃機邀撃に適」という評価を受け、制空戦闘に関しては疾風の方に期待が移り始めていた。
やはりここでも過酷な戦闘による人員損耗と補充物資の質的劣化に悩まされ、45年1月9日の第17戦隊長(荒蒔義次少佐)のフィリピン離脱をもって第22飛行団は残存人員の内地帰還をほぼ完了する。

その後はもっぱら本土防空に運用されるが、帝国軍機共通の弱点から高度10,000m以上では浮いてられるのが精一杯で、外せるものを全て外して上昇力を確保し、
航空特攻(パイロットは直前で脱出するので海軍のアレより人員損耗率はマシ)でB-29を決断的に破壊する震天制空隊が編成されることさえあった。
カーチス・ルメイの戦術転換で高々度爆撃が行われなくなってからは多少はマシになったが、エンジンに泣かされ続けるのは終始変わらなかった。

唯一現存する機体(二型改)は知覧特攻平和会館で展示保存されている。

敵国の評価

米軍が43年に鹵獲機を用いて行った評価試験のレポート「陸海軍合同識別帳」によると、飛燕は「重武装と良好な防御力を備えた素晴らしい機体」という。
実際、帝国軍機の中ではかなり良好な防弾性能であったし、機体強度もスマートな外観からは想像できないほどではあった。
しかし飛燕の特性を思い出していただきたい。良好だけど米軍の超出力エンジンには負ける速度性能、十分良い部類ではあるが帝国軍機の中ではそこそこレベルの運動性……
ぶっちゃけ米軍機に勝ってる部分がそこそこの運動性の差しかなかったのだ。と言うか性能特性では結構似ていたりするので、パイロットからの評価は
「ZEROやHAYABUSAほど小回りは利かないし、絶対的に足が速いってわけでもない。むしろ対処が楽だったぞ?」という辛口なものだったりする。
評価試験で好評だったのは、元々米軍が戦闘機に求めているものと合致していたからのようだ。

自国からの評価

さんざん上述しているが、「エンジンさえまともだったら悪い機体じゃなかった」というのに尽きる。
一撃離脱後に急降下して離脱する敵機に食いついて叩き落とす事例もあったようで、性能を活かす戦術と徹底した整備、あともっと頑丈なエンジンさえあればもっと活躍できただろう。
頑丈だし、重武装だって積めるし、空戦も爆撃機迎撃も両方こなせるのだから、エンジンさえまともだったら相当使い潰しの利く機体となったはずだ。
実際、後述する五式戦はエンジン取っ換えただけでまともに動き、戦えるようになっているのだから、なんとももったいない話である。


バリエーション

○一型甲(キ61-Ⅰ甲)
最初期生産型。防漏タンクはゴムとフェルトの複合型(ゴムの消費軽減が目的と思われる)だったが、421号機以降はゴムのみでの防漏に改められた。
生産機数は機体番号113から500までの388機。

○一型乙(キ61-Ⅰ乙)
翼内機銃を12.7mmに換装した初期計画での正規生産仕様。514号機からは操縦席後方とラジエータへの防弾板が追加装備(着脱式)された。
同機以降は欠陥のあった燃料タンクを廃止したため、機体の燃料搭載量が200l低下している。
また650号機以降のナンバーでは防漏タンクのゴム厚を増やしたため、その分さらに燃料搭載量が下がった。
生産機数は約600機。

○一型丙(キ61-Ⅰ丙)
43年9月-44年7月にかけて生産された、ドイツから輸入した20mm航空機関砲(通称:マウザー砲)を翼内にマウントした重火力タイプ。
主翼から砲身が突き出ているので他のタイプとは見分けやすい。
わざわざ輸入したのは陸軍が20mm航空機関砲の開発に手間取ってたから。海軍と共用しろって?言うな。
生産機数は既存型からの改修を含めて約390機程度。

○一型丁(キ61-Ⅰ丁)
44年1月-45年1月にかけて生産された一型の最終生産仕様。輸入したマウザー砲を使い切ったあともその火力が求められたため、ようやく実用化の成った国産20mm航空機関砲を搭載できるよう機首を再設計した。
マウザー砲に比べると火力で劣る代わりに小型だったため、機首に搭載できたのだという。
その他胴内燃料タンクの復活など細々とした改修がなされているが、重量増で飛行性能はやや劣化している。
生産機数は1,358機と、飛燕の全仕様でも最多。二型ほどではないが、ハ40の徹底改良が理由で後述の「首なし」はそれなりにあった。

○キ61-Ⅱ
42年頃から計画された飛燕の強化改良型。より大出力なエンジンへの換装や主翼への20mm機関砲搭載のための改修など、見た目以外は別物と言っていいレベルで手が加えられている。
最大で20mm機関砲4門を搭載し、最大時速640km/hを誇る高速重戦闘機として完成する予定だった。
搭載したエンジン(ハ40改良型のハ140)の目を覆うばかりの不安定さから実用化は難航し、最終的に計画中止となった。

○二型(キ61-Ⅱ改)
キ61-Ⅱをベースに主翼を一型丁に差し戻したもの。飛行性能の向上が顕著でなかったとか20mm機関砲の供給のせいだとか異説はそれなりにある。
全備重量は増加したが、高出力化したハ140の恩恵で速度と上昇力は向上している。
防漏タンクを強化したため翼内タンクの容量がまた下がったが、この頃になると完全に迎撃機として認識されていたので問題視されなかったようだ。
44年9月から量産が開始され、所定の性能を発揮できれば高性能を存分に見せつけられたのだが、案の定ハ140がお察しだったので生産は100機程度で打ち切りとなった。
というのも、ハ40の時点でマテリアルの質が劣るところに無理やり性能向上を試みたため、飛ぶと壊れるどころか触れたら砕けるレベルまで質が落ちてしまったのだ。
機体は374機分完成していたのだが、肝心のエンジンが品質死亡宣告&生産遅延で99機分しかできなかった。
この残された「首なし飛燕」をどうするか、という模索の果てに生まれたのが後述の五式戦闘機である。
ちなみに生産打ち切りと制式化決定はほぼ同時だったという。

○五式戦闘機(キ100)
本当は別の機体ということになっているのだがここに記載する。
簡単に言うと、飛燕の機首を大型化してハ112-Ⅱ(海軍名称:金星62型)をブチ込んだだけ。
なお製造理由はエンジン生産が追い付かず「首なし」三式戦闘機できたから。…ここまでくると呆れを超えて涙を誘う。
ちなみにこのエンジンは元々は百式司令部偵察機三型のために製造されたが、機体が間に合わずに余っていたもの。
エンジンが大型化したため空力特性がガタ落ちすることが懸念されたが、Fw190を参考に『生じた渦流をエンジン周りの推力式単排気管で吹っ飛ばしてどうにかする』という方法で解消。
前面投影面積の増大で最高速度は低下したが、空冷化に伴う軽量化で格闘性能と上昇力が大幅な向上を見る。
何よりも稼働率の大幅な向上*1が軍を喜ばせた。ぶっちゃけ液冷エンジンなんか要らないんだ!
だが空襲による生産遅延や施設破壊で生産数は落ち込み、試作機を含む総生産機数はわずか390機程度。劣戦故に余裕がなかったとはいえ、世界的には空冷エンジンが戦争中期には見直されていたのにそれに追いつけなかったのが惜しまれる。

早速受領した実戦部隊からの評価は非常に高く、第244戦隊長の小林照彦少佐などは「五式戦をもってすれば絶対不敗」とまで言い切ったという。
その他寄せられた評価をまとめると、「操縦性、上昇力、旋回性が素晴らしいうえに信頼性も飛燕とは段違いだ。相手がP-51でも互角に戦える。なぜもっと早くこうしなかったし」。
もちろんスペック上、とても戦局を覆せるものではなかったし、元々は二型実用化までのつなぎの機体だったが、確実に稼働し、パイロットの腕に応え、連合軍の主力新鋭機と互角に渡り合い、
しかも状況によっては圧倒できるだけのポテンシャルは有しており、末期の陸軍航空隊の士気の拠り所となっていたことは事実である。
とはいえ得意な空戦高度であれば対抗可能という話は他国でも例があり(MC202やP-39等)、後世のミリオタから過大評価されがちである。
また大戦後期には信頼性で定評のある栄も稼働率が悪化して金星もその例外では無く、あくまでも液冷エンジンよりマシだった事に留意する必要がある。

とまあ、運用していた陸軍からは好評だったが、米軍に接収された機体は特に興味を引くものではなかったらしい。
まぁ当時軽視されていた空冷エンジンで高性機が作れると証明したFW190とかP-47と比べたらね…。
世界唯一の現存機はRAF博物館が所蔵*2しており、全パーツがオリジナルでというわけではないが極めて良好な状態を維持している。


創作における三式戦

三式戦、五式戦ともにIl-2に参戦している。動かしてみたいのならプレイするといいだろう(モロマ
また、蒼の英雄 -BIRDS of STEEL-にも一型丙まで登場している。

仮想戦記では早々に金星へ換装させられて、実質五式戦として運用される例が多い。
日本が連合国側として参戦している場合は、英国製液冷エンジンを搭載して史実よりも高性能化している事もある。


追記・修正は糞みたいな液冷却エンジンを最高の空冷エンジンに換装してからお願いします。

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最終更新:2024年02月11日 01:43

*1 計上するだけ無駄なレベルから、きちんと整備すれば応えてくれるようになっただけでも億兆倍はマシなのだ

*2 シンガポールへ向け回送中にカンボジアで終戦を迎え、そのままイギリスに接収された機体