大石達也(プロ野球選手)

登録日:2015/10/16 (金) 17:38:38
更新日:2024/11/15 Fri 22:19:32
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絶対に点はやらないつもりでいきました




大石達也とは、元プロ野球選手である。

解説

1988年10月10日に、福岡県太宰府市で生まれる。

身長は185cmで、体重は90kg。
ポジションは投手であり(大学時代は遊撃手も経験)、右投左打。

福岡大学附属大濠高等学校を経て早稲田大学に進学。
やがてドラフト会議では、6球団競合の内に埼玉西武ライオンズにドラフト一位で入団。

埼玉西武ライオンズでは主にリリーフをこなしていた。

投球スタイル

大学時代は、剛速球の名にふさわしいストレートが持ち味だった。

ストレートは自己最速で155kmを記録しており、大学時代の最速記録は151kmにもなる。
そのストレートは打者の目からすると相当な物だったらしく、明治大学に専用の練習をさせたほどである。
スライダーやチェンジアップという変化球も操り、ストレートと合わせて三振を奪う武器となっていた。

しかし、プロ入り以降はこの投球スタイルが大きく変化する。

プロ入り後は先発経験の不足からスタミナが無いことが露呈。
これでは中継ぎの酷使に耐えきれるわけもないので、先発経験でスタミナを強化させる方向になるが……。
先発転向の方針が逆に悪い方向に働いたらしく、これが大石に悪い意味での影響を与える。

投球フォームはプロ入り前とはだいぶ異なる物に変化する。

元々大学時代から既にフォームが変わってきていたのだが、大石が言うにはこの頃は気にしてなかったらしい。
しかしプロに入ってから球速が突如として低下し、大石もそれに対処しようと試行錯誤する。
だが試行錯誤も実らず投球フォームは崩壊、球速の低下と肩の疲労に拍車をかける事態となってしまった。

このような育成失敗や大学時代の疲労から球速は低下。
2013年は149kmを記録してはいるが球速は安定せず、2015年時点では平均130km台になった。
一部の試合では120km台を記録してしまったこともある。
ただ大石曰く、2015年シーズン終盤において、森慎二2軍投手コーチのアドバイスで球速は回復したとのこと。
また、復活と称された2016年度のストレートは「速くないものの独特な投球で詰まらせている」とコーチに評されるほどで、自分の感覚を掴みかけている様子。

球速が落ちる中、コントロールも今一つ安定しないと言ったところ。
元々大石はコントロール重視というよりは剛速球で押すタイプの投手なので、それが影響しているか。

ちなみに野手としての才能も高く、2014年には野手転向の打診もあったほど。

経歴

プロ入り前

福岡大大濠高時代は、1年春時点では左翼手のレギュラーとして活躍していた。
現在のポジションである投手となったのは2年生の春からである。
福岡南部大会準々決勝では、参考記録ながらもノーヒットノーランを達成するなど既に才能を見せていた。
甲子園出場経験は無いが、九州ではトップレベルの右腕投手という評判が出来上がっていた。

その後は高校時代の監督の縁もあって早稲田大に進学。
元々野手としてのセンスもあった大石は遊撃手を経験するが、怪我後は投手に復帰。

ここから大石は投手としての実績を積み上げていく。

1年秋から3年春の4シーズンにかけて38回2/3連続無失点という驚異の数字を記録。
3年秋のリーグ戦ではベストナインを受賞。
しかし、4年生の時点では落ち目だったという指摘もあるが、その指摘が当たってしまうとは……

何はともあれ、2010年のドラフトではハンカチ世代の一員として大きく注目を集める。

早稲田の仲間である斎藤佑樹福井優也中央大学の澤村拓一など様々な注目選手がいた。
注目度的に言えば斎藤が一番だったが、斎藤がプロで通用するかどうかは議論があった。
これらの選手の中で大石はトップレベルの素材と称され、斎藤や福井より大きく上だと評価する声も出た。

実際にドラフトでは6球団競合と、多くの球団が斎藤以上に大石に注目していることが見て取れる。
抽選の結果、大石との交渉権は埼玉西武ライオンズが獲得。

プロ入り後

西武入団時の背番号は15。

入団一年目は、上記でも記載したがスタミナ不足や先発転向など不安要素が募る。
そんな中、シコースキーの帰国によって開幕一軍の座を掴むが、右肩の痛みですぐに登録抹消。
結局一年目は一軍での登板機会は無かった。

2012年に1軍デビューを果たし、プロ初登板は中継ぎとして好投した。
この年の楽天戦でついに大石はプロ初勝利を記録し、これからが期待されていた。
同期の澤村や福井、斎藤が既に勝利を挙げていた中での初勝利だったので本当に嬉しかっただろう。
ちなみに、この初勝利の際には斎藤からお祝いのメールが来た模様。
結果的に2012年は24試合登板で1勝1敗・防御率2.75だった。

2013年は抑えとしての活躍が期待されるが、投球が安定せずに苦しむ。
プロ初セーブは記録したが抑えの立場にはサファテが定着し、大石は抑えの立場を失ってしまった。

5月のロッテ戦において、ノーヒットでのサヨナラ暴投という暴挙を起こしてしまった(下記参照)。
8月のロッテ戦では、史上四人目の1イニングで2本の満塁本塁打を打たれる(自責点は5)。
登板数は増加したが防御率は6点台であり、とてもリリーフとして良い数字では無かった。

2014年は右肩痛の問題で1軍登板は無し。
二軍の成績もよろしくなく、夏場にはついに野手への転向を首脳陣から提案された。
大石はこの提案を拒否し、30セーブ以上を記録することを目標としていることを明かしている。

2015年は5月の楽天戦で1軍に復帰。
久々の試合で球速がさらに低下した姿は心配されたが、楽天打線に対し1回1/3を無失点で切り抜ける。
それ以降も2試合程登板し、無失点で切り抜けていたが、右肩の張りを訴えて登録抹消。
結局2015年は3試合に登板しただけだったが、防御率は0.00なので今後に注目したいか。

2016年に久々に勝ち投手となったが、1イニング3暴投(プロ野球タイ記録)で点を献上しつつその裏の味方の攻撃でサヨナラによる物となんともいえない結果を残す。

プロ入り前の評判とは裏腹に、プロでは苦難の道を歩んでいる大石。

早稲田三人衆の中ではトップレベルだった評判も、今や逆の図式と化した(福井>斎藤>大石)。
同期の福井は、広島でローテーションの一角を担う投手に成長した。
斎藤も大石同様にプロでは苦労しているが、良くも悪くもあがいており、定期的に勝利を挙げてはいる。
通算成績的にも他二人に大きく差を付けられてしまっている(2015年時点で通算1勝6敗)。

同世代の斎藤に注目が集まっていたこともあり、彼の陰に隠れてあまり悪評が目立つことは無い。
しかしこのままでは、6球団競合の選手としてはかなり低い評価のまま終わってしまう危険性もある。
実際に『史上最低の競合ドラ1』と罵倒するような人も出てきてしまっている。

選手としての才能に関してはトップレベルだったことは間違いない。
だが、自身の疲労や指導者たちの指導のズレという不幸な要素があったのは悲しいところ。
ただ、大石自身が言うには今は右肩の調子も良くなってきたらしく、投球フォームも安定してきたらしい。
そのため、大石選手がプロ選手として本格的な覚醒をすることを期待されていた。


そして、2016年の大石達也は一味違う力を見せる。


ぶっちゃけ、当項目での文章でも分かるように、開幕前の期待値は高くなかった。

シーズン序盤は一軍登板とはいえ、多くが点差が開いている処理的な役割だった。
ところが、その立場でも何やかんやで無難に抑えていったため、徐々にファンや首脳陣の信頼を回復させていく。
やがて、ある程度の接戦などでも起用されるようになり、少しずつ実績を積み重ねていくのだった。
満塁で登板を任された際には満塁弾をぶちこまれ、先発のポーリーノを泣きそうな顔にさせて自分は防御率詐欺をするなど、三代目総帥の素質を見せたこともあるが。

ついには、ソフトバンク戦で久々のプロ二勝目も勝ち取ることとなった。
この記念すべき試合でもプロ野球タイ記録となる1イニング3暴投を記録するあたり、大石は良くも悪くも何かあるのだろうが。

例年よりも悪化傾向を見せる西武ライオンズ投手陣酷使体制の中、安定した平常運転投球をする大石は多くのファンの期待を勝ち取った。
最終的には36試合登板で1勝0敗防御率1.71と大きく飛躍する。

早稲田三羽烏の斎藤は例年と変わらず低空飛行、福井は広島優勝の裏で成績を落としてしまったことを考えると、なおさら大石の回復っぷりが目立つ。
上記の活躍度の評価も、(通算成績は置いといて)この年に限れば見事に逆転していると言えるだろう。

ファンからの信頼を再び勝ち取り、期待の中継ぎとして期待がかかる大石は今後もこの調子を保つことができるのか、注目が集まっていた。
その注目の期待を裏切らず、2017年は登板試合数を減らしながらも防御率0.93の成績を記録する。
しかし、この2017年までで大石の名誉挽回の期間は終わってしまう。

2018年は一転して大きく低迷し、2019年には僅か2試合の登板に終わってついに戦力外通告。
現役続行の意思はなく、そのままプロ野球引退となった。

最終的には、早稲田三羽烏の中で一番早くプロ野球の世界からリタイアすることになってしまった。
輝いたシーズンこそあったが、6球団競合という球史に残る競合の前評判に反したような通産成績は何とも言えない結果になった。

引退後

西武の球団本部統括部ファーム・育成グループスタッフに就任。
MLBに派遣されてマイナーリーグで投手コーチとして指導を行うなど、鍛錬を積んでいる。
その後は西部の二軍投手コーチなどで奮闘している。

「俺達」三代目総帥

最近は大石自体の話題があまり出ないため忘れがちだが、西武の燃える集団『俺達』の三代目総帥である。

『俺達』とは、西武の投手陣において『二軍では好投』『一軍ではビハインド時には抑えるがリード時には炎上』という、
一軍と二軍を隔てる壁の狭間で身動きの取れなくなった一軍半の投手の集団である。

そのきっかけを作ったのは、2013年5月9日の千葉ロッテ戦。

同点で迎えた11回裏、西武はこの回から大石を投入することとする。
しかし、大石の悪い面である制球力の低さが出てしまいストライクが入らない。
四球→死球→犠打→敬遠という、ある意味綺麗な流れであっという間に満塁に。
大石はここで迎える対戦打者である荻野貴司を2ストライクまで追い込んだが、ここでまさかの暴投。
ロッテが実質ノーヒットでサヨナラ勝ちした。


あれ、この試合と同じ光景を見たことのあるような……?


それは2009年の9月16日の千葉ロッテ戦である。

この試合でも『俺達』初代総帥とされる大沼幸二が、サヨナラ暴投で敗戦している。
ところが、この試合での大沼の投球と大石の投球は何から何まで一致しているのだ。
それどころか、大石と大沼自身にも共通点が数多くある。それは下記を見てほしい。


  • 千葉ロッテ戦
  • 開催地はロッテのホームであるQVCマリンフィールド
  • スコアは2-2の同点
  • 四球→死球→犠打→敬遠 による満塁でのサヨナラ暴投
  • 暴投時の球速は128km
  • 大石も大沼もドラフト一位で与えられた背番号は15
  • 名字の頭文字はO


この事によって、大石は正式に三代目俺達総帥として就任した。
もっとも、入団前から背番号やドラフト直後の早慶戦での炎上によって俺達入りの決定はしていたのだが。
ちなみに、名称は『達者』である。

しかし、大石は過去に総帥とされた投手よりも一軍で見る機会が無い。
というか、大石が俺達の特徴として挙げられる『二軍では好投』という要素も当てはまっているかも微妙。
それによく比較対象に上がる大沼は、何だかんだで西武の中継ぎ投手としては重宝されていたし……。

ともかく、少なくとも今後の大石には大沼を超えるような活躍を見せて欲しかったのだが、今一つ挽回には至らなかったまま終わってしまった。






追記・修正は、大石選手の活躍を願ってからお願いします。

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