千代大海龍二

登録日:2015/11/22 (日曜日) 03:21:13
更新日:2018/05/16 Wed 21:06:28
所要時間:約 5 分で読めます






大関 千代大海

大分県 大分市出身 九重部屋






千代大海とは、大相撲の元力士である。最高位は大関。
しかし、大関とは名ばかりの凄惨たる成績を残している。
一応得意技は突き押しということになっている。

大関在位中の成績は69章96杯15級。勝率に直すと僅か0.418しかない。
これは、歴代最弱大関議論に度々顔を出す雅山や豪栄道といった面子が裸足で逃げ出すレベルの酷さである。
また、日馬富士や稀勢の里といった若手の有望株を相手に大きく負け越している。本来なら大きな壁として立ち塞がらなければいけないはずなのに…。
さらに大関という地位にありながら、皆勤で2勝13敗を喫するという非常に不名誉な記録も作ってしまった。


そしてその成績の酷さから「チヨス」(千代大海クオリティテラワロスwwwの略)というあだ名を頂戴している。



追記・修正お願いします。




























ここまで2007年九州場所以降のチヨス

ここからそれ以前の大関千代大海



















大関 千代大海

大分県大分市出身 九重部屋






千代大海とは、大相撲の元力士である。最高位は大関。現在の九重親方
数いる歴代の大関の中でもトップクラスの実力と実績を持つ。
得意技は立ち会い時の猛烈な勢いを生かした突き押し。そしてそこからの引き。


・来歴


子どもの頃からかなりの大柄であり、小学生の時点で身長は170cm、体重に至っては90kgに達していた。
しかしただのデブというわけではなく、むしろ運動神経抜群で運動会などではクラスの主砲としてチームを引っ張っていたらしい。
また、この頃に家の前で群れていた高校生3人を相手に正面からのガチ喧嘩で薙ぎ倒したこともあった。
何だこのチート。





中学校に入学したときには前述の喧嘩のエピソードが既に学校中に広まっており、まだ中学1年生でありながら、その学校の番長を務めることになった
そして自身の度胸を見せるために、疾走する車に正面からぶつかって行くというとんでもなくアホなことをやらかす。当然の如く無傷だったとか。
何だこのチー(ry





また、この頃から中学生でありながら暴走族を率いるなど、凄まじい悪童として有名になる。
暴走族の面子も、各地域のそれぞれの暴走族の総長格のみを集めた精鋭部隊である。
その知名度は九州全体にその名が轟く程。「地域」とか「県」ではなく、まさかの「地方」単位である。
何だこの(ry。





しかしヤンキーと一口に言っても世間一般のDQNとは違い、幼い頃から柔道を習ってきたこともあって目上の人間に対しては非常に礼儀正しかったという。
また弱いものいじめも絶対にしなかったらしい。




中学卒業後は一旦就職するが、母親を助けたいという思いから角界入りを決意する。本当はボディガードになりたかったらしいが、母親に「お前ふざけんなよ」と殺されかけたので泣く泣く断念したとか。
そして金髪に剃り込みという髪型のまま、ウルフこと横綱千代の富士率いる九重部屋に入門志願しに行くという暴挙にでる。





本人としてはずっと喧嘩に明け暮れてきていたこともあって、例え力士が相手でも…という自信はあったらしい。
が、部屋の奥に座っていた千代の富士の威圧感と「その前にこの頭を何とかしてこい!」という怒鳴り声に一発KOされる。



しかし次の日に素直にちゃんと坊主頭にしてきて、そこでやっと入門が許された。



・角界入り


凄まじい出足と突き押しを武器に番付を猛スピードで駆け上がり、僅か2年半で十両に昇進。
4年をかけて新十両となった魁皇でもスピード出世と言われているので、この成績がどれだけ凄いかが分かるだろう。


その後2年間十両の地位で足踏みするが2回の優勝を得て無事入幕し、幕内力士として活躍することになる。



・入幕後


入幕後も快進撃を続け、僅か1年半で横綱若乃花を本割、決定戦で2回張り倒して見事優勝。魁皇、武双山、雅山、出島、栃東、土佐ノ海といった超強力な大関候補達を尻目に場所後に大関に昇進する。


昇進後は1年程低迷するが、徐々に高いレベルで安定しだし、全休明けの2001年夏場所辺りから全盛期に突入する。


相変わらず怪我による休場は多いものの、皆勤すれば安定して二桁、クンロクは稀、1年間の勝率が7割付近が当然と名実ともに名大関となる。


そして2002年の名古屋場所にて、一緒に優勝を争っていた当時関脇の地位にいた朝青龍を真っ向からぶっ飛ばして(比喩ではない)14勝1敗の好成績で優勝。


しかし綱取りだった秋場所では、長期休場明けの貴乃花に場所前から話題を全部持ってかれた挙げ句、12日目まで10勝2敗で踏みとどまっていたものの、その貴乃花にまさかの立ち会い変化をされて敗れ、その時点で綱取りは絶望的に。しかし、貴乃花の変化など誰も予測できなかったのに、自身のロケットスタートを躱されてもすぐに対応できる辺りは流石と言うべき他無い。




そして2003年春場所。大関魁皇には敗れたものの、新横綱でガチガチの朝青龍を真っ向から破って3回目の優勝を挙げる。


しかし3回目の綱取りとなった夏場所では、やはり10勝2敗まで漕ぎ着けたが後半3連敗を喫して轟沈。以降優勝同点以上の成績は残せなくなる。



2004年春場所では自身と、横綱朝青龍、大関魁皇、ついでに平幕の朝赤龍を加えた4人が初日から11連勝。
12日目に朝赤龍に敗れた魁皇を尻目に朝青龍とともに13勝まで白星を伸ばすが14日目、千秋楽と魁皇、朝青龍に続けざまに敗れて結局13勝2敗で取り終えた。
この場所は優勝した朝青龍が15戦全勝で、残る千代大海、魁皇、朝赤龍の3人が13勝という色んな意味で伝説の場所となった。




2005年を過ぎた辺りからは安定感はあったが基本的にクンロク、3回に1回くらいは二桁勝つがそれでも11勝が限界と、段々下降して行くこととなる。



・引退への引き金となった2007年九州場所白鵬戦


このとき千代大海は絶好調であり、13日目の時点で横綱3場所目のまだ垢抜けない白鵬と11勝で並んでいた。
そして14日目に優勝をかけた一番をすることになるのだが、この時点で白鵬がまだまだ経験不足であったことなどから世間は千代大海有利と見ていた。


しかしその白鵬の経験不足が結果的に自身の不幸へと繋がってしまう。
立ち会いの過程で軽く組んだ際に白鵬の方が慌てて無理な小手投げへと走ってしまい、その影響で突き押しタイプの力士の生命線とも言える右肘を大怪我。結局その場所は途中休場することになってしまった(因に白鵬は千秋楽に琴光喜に敗れたので、皆勤していれば優勝できていた可能性は十二分にあった。)


その後は冒頭で述べた通りである。
しかしそれでも千代大海のことを愛していたファンは多く、関脇に陥落し、自身最後の場所となった2010年初場所でも、10勝以上を挙げて再び大関千代大海として土俵に上がってくれると信じて疑わなかった人もいたという。

因に最初に日馬富士と稀勢の里に大きく負け越していると述べたが、それはあくまで2008年以降の話。それまではこの2人との対戦で圧倒していたりする。やはり強かったのだ。



・主な取り口


先にも述べたが、強烈な立ち会いからの猛烈な突き押しを得意とする。というかこれ1本で大関の地位まで登りつめた。
逆に、四つに組んでしまうとなす術無く敗れてしまうという非常に両極端な特徴があり、クンジョニ(組んだら序二段)を自称する程。
しかし2001年~2004年辺りは格下が相手であれば、組んでも十分に寄り切れるだけの実力があった。この時代の上位陣がチート過ぎて、相対的に弱く見えただけである。

また、突き押しを得意とする力士全般に言えることなのだが、引き技が非常によく決まる。
特に千代大海は立ち会いの圧力が大きい分、上位が相手でも気持ちがいいくらいホイホイ決まる。貴乃花や武蔵丸、朝青龍さえも何度か餌食になる程の切れ味である。
しかし立ち会いから一気に押し切れないと、十分に余裕のある相手でもつい引いてしまい自滅するという悪い癖があった。
当時はこの癖により、そもそも地力が段違いな魁皇や、朝青龍と互角の勝負を繰り広げた栃東らとよく比べられ、かなり悪い評価を貰っていたこともあった。


そして千代大海の最大の長所と言えるのが、格下の力士に非常に強いことである。
メンタル面で少々不安が残り右四つに組まれると弱いところがあった魁皇や、そもそも満身創痍だった栃東らと比べると、序盤での取りこぼしが格段に少ない。
「そんなの雑魚に強いだけじゃないか」と思われる方もいるかもしれないが、早い段階で勝ち越して、特にプレッシャーも無く上位と対戦ができるというのは大きな強みである。

また、貴ノ浪や若の里などの実力者を得意としており、ほとんど一方的にフルボッコにしている。
若き日の日馬富士や稀勢の里にとっても同様で、実力面で衰え始めてからも、若手に取っては上位に挑戦する際の登竜門的存在であった。



・他の力士との関係



大関魁皇とは年齢が近く実力も対抗していたため、互いに最大のライバルと認め合う間柄であった。
幕内では54回も対戦し、大きく負け越してはいるものの毎場所のように死闘を繰り広げた。
2003年の名古屋場所では千秋楽に優勝をかけて相星決戦になり、結果的には敗れたが平成の名勝負集に十分加わるレベルの大熱戦となった。

また自身最後の相手も幕内最多白星数を更新せんとする魁皇であり、この対戦で敗れて引退することになるのだが、勝負がついた後の戦友に手を差し伸べる魁皇が涙を我慢しているようにも見える。
そしてインタビューでも千代大海を気遣い、勝負についてのことは何も話さなかった。
もう今日で終わりだ、と察していたのかもしれない。

千代大海の方も最後の相手が魁皇で良かったと話している。

そしてその1年後に魁皇も現役を引退することになるが、最後の土俵となった琴欧州戦で力無く敗れるのを見て、「今日で終わりだな」と直感したという。

魁皇が引退し浅香山親方となってからは、先輩親方として若い衆の指導方法など色々手助けをしていたらしい。



また、同じ時期に活躍していた大関栃東ともライバル関係にあった。
栃東の新大関の場所では千代大海が単独トップにおり、星1つの差で追っていた栃東と千秋楽で戦ったが、本割で完敗、さらに決定戦でも相手の変化に沈むという屈辱的な敗北となった。
それからは5連勝することもあったが、結局黒星先行のまま終わっている。といってもほとんど互角であるが。

引退後は、解説に2人揃って参加したこともあり、交友関係は良好な模様。


大関武双山とは、まだ番付が低かった頃に壮絶な殴り合いを演じたことがある。その勝負では敗れたが、勝った武双山の方に出血が多く見られ、改めて相撲という競技の厳しさを世間に広めることとなった。


この3人とはプライベートや大関同窓会などで一緒に呑みに行くことも多く、自分たちの現役時代や部屋の弟子の話題などで毎回盛り上がるという。



最高位 東大関

生涯戦歴 771勝528敗115休(104場所)

幕内戦歴 597勝402敗115休(75場所)

大関戦歴 515勝345敗115休(65場所)

優勝 幕内最高優勝3回

十両優勝2回

三段目優勝1回

序ノ口優勝1回



追記・修正お願いします。


この項目が面白かったなら……\ポチッと/