魁皇

登録日:2012/04/28(土) 02:36:21
更新日:2021/01/28 Thu 03:56:58
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大関 魁皇 博之

福岡県 直方市出身 友綱部屋



魁皇は日本の元大相撲力士
第234代大関である。
本名は古賀博之
昭和47年7月24日生まれのしし座のO型
3人兄弟の末っ子である。


幼い頃から周りより一回りも二回りも身体が大きく力も強かったため、たびたび地元の相撲大会にかり出されていた。

だが本人は
「人前でお尻を出すのが嫌だ」
と逃げ回っていた。

中学3年のある日、自らの将来を考えているときにふと漏らした言葉
「俺、九重部屋にでも見学にいこうかな」

その言葉を聞いて相撲界入りに脈があると勝手に判断した大人たちによって後の師匠友綱に紹介。
本人の預かり知らぬところでいつの間にか力士になる段取りが整い、昭和63年3月、本名の古賀で初土俵
晴れて(?)大相撲の力士となった。
後の横綱 曙、貴乃花、若乃花は同期である
なんだこのメンツ
平成4年初場所新十両
関取昇進を記念に四股名を魁皇と改めた


平成5年春場所に新入幕を果たす
入幕後初の相手はあの舞の海である

得意の左を差したところを一本背負いのような豪快な腕捻りで転がされた
翌日は琴椿に勝ち幕内初白星を飾ったもののこの場所は4勝11敗
全く通じなかった。


平成7年頃にはだいぶ実力を付け三役に定着するが、この頃の魁皇は力に頼り切った単純で安易な相撲で、格下の相手への取りこぼしが非常に多かった。
平成12年夏場所

この場所西の小結
7回ほど大関昇進を逸し、万年大関候補になりかけていた魁皇がなんと大関昇進を前に初優勝

師匠は泣いた
福岡県民も泣いた

本人は部屋の後輩の戦闘竜と熱く抱き合った
アッー♂的な意味でもってなんでもなく涙がこぼれるシーンであった。



そして平成12年名古屋場所
この場所11勝を上げ魁皇が念願の大関昇進

口上は
「大関の名に恥じぬよう、稽古に昇進します。」
であった

シンプルイズザベストである



だが魁皇の真の物語はこれからである。
平成13年春場所
魁皇は武双山との相星決戦を制し2度目の優勝
横綱昇進へ誰もが期待した
(横綱昇進の条件は大関での連覇またはそれに準ずる成績)


同年夏場所
魁皇は持病の腰が悪化し途中休場

翌名古屋場所
魁皇は復活した。

横綱貴乃花がこの場所から長期休場、初めて1人横綱を努めたプレッシャーでガチガチになった武蔵丸を破り3回目の優勝。

次こそは横綱だ!
相撲ファンの期待が集中した翌秋場所

魁皇はまたも体調を崩し途中休場


優勝→休場→優勝→休場

本人曰わくジェットコースターのようであった。
平成15年名古屋場所に4度目の優勝
平成16年秋場所に5度目の優勝
5度目の優勝の時点で魁皇は32歳
そろそろ横綱への挑戦も最後だろうと思われた翌九州場所

優勝は……
















朝青龍

だが魁皇は意地を見せ、千秋楽に朝青龍を破り12勝3敗の準優勝


人々はわずかな望みにかけた……

だが横綱昇進はあっさりと見送られたのである(泣)

準じてたのに……(泣)

続く平成17年初場所は肩を痛め途中休場となり、横綱 魁皇は叶わぬ夢となってしまった。
平成22年初場所3日目

この場所関脇に陥落していた千代大海を送り投げで破り幕内808勝目
千代の富士の幕内勝利数807を抜き歴代1位となった

そして翌日、千代大海は17年の土俵生活に幕を降ろした。


11年あまり努めた大関を陥落してもなお現役に固執する千代大海を思い切り投げ飛ばし、もう力士として通じないということを教え、踏みん切りを付けさせたのだ


なお、幕内勝利数歴代1位となった千代大海戦の後、魁皇は戦友を気遣い勝利インタビューに全く答えなかった。

男や……
平成22年夏場所千秋楽
初土俵から22年、通算の白星数が1000となった
満員御礼の国技館は魁皇の殊勲を祝い大いに盛り上がった。

建て主も叫んだ。




そして平成23年名古屋場所。通算1046勝と言う歴代最多勝利記録を更新し、更に1勝を重ねて歴代最多勝利記録を1047に伸ばす。
しかし10日目の琴欧洲戦で力なく敗れ、3勝7敗となったこの日、これ以上は体力の限界と判断し24年あまりの長い長い現役生活を終えた。
限界を知るやカド番を経ずに引退を決意した姿は潔い。

通算成績は1047勝700敗158休

優勝回数5回は大関以下では1位大関在位65場所も同じ九州出身であり戦友であった千代大海と並んで1位である
通算勝数も1位
あの千代の富士より北の湖より貴乃花より多く勝った
しかしこちらの栄光はもう過去のものになってしまった。
あの蒙古の大横綱白鵬が抜いてしまったのである。


引退後は年寄 浅香山として現役時代の師匠であった友綱と共に後進の指導に当たっていたが、2014年1月に独立し、浅香山部屋を設立した。

全盛期は横綱昇進が期待されたほどの実力の持ち主で、特に右上手を取ったときは横綱も恐れるほどの強さを発揮していた。
怪力と言われるほどの強烈な腕力と握力があったため、魁皇の得意な体勢になってしまうと、巻き返しが困難だったのである。
一度右上手を取ってしまえば、230kgを超える曙や武蔵丸でも余裕でブン回し、それよりも軽い貴乃花に至っては土俵外へとぶっ飛んで行く。いやマジで。


しかし現役終盤において、角番を頻発させたり、角番からの大関降格を回避するために不自然な戦績が散見するようになった。
これはいわゆる「ハチナナ」(8勝7敗)というものであり、平成21年に至っては年6場所全て8勝7敗の成績だった。
そのため、同じく角番を頻発させていたチヨスこと千代大海関と合わせて、八百長相撲の代名詞とされる事が多々あり、ネット上では未だに「互助会会長」などと呼ばれている。
一時期は魁皇、千代大海、栃東の3大関が互いに角番記録を伸ばす不名誉な争いも行われていた。


とはいえ、一時期に余りに大関を作り出しすぎたためバランスが偏ったこと、力の衰えた日本人大関にすら勝てないほど、実力ある若手力士が少なかったことも事実であり、世代交代の過渡期に巻き込まれてしまった感は否めない。
一方で体のケアを入念に行なっていたため、現役生活最後の2年間は休場が全くなかった。
全盛期を過ぎてボロボロになりつつあった中、相撲を取り続けられる最低限の体を維持していたのである。



○余談
JR九州の筑豊・篠栗線(博多駅~直方駅間)を走る特急電車「かいおう」は彼の四股名が元ネタである。
人名が由来となった列車名というのはこまちなど非常に珍しく、故人ではない人名がつけられたのは日本においては特急かいおうが今のところ唯一の例となっている。
なお、彼の引退後もJR九州は名称を変えず、特急かいおうは、かいおうという名前のまま走り続けている。

魁皇が勝利したとき、地元の直方市では花火の打ち上げ免許を持つ男性が祝砲の花火を打ち上げていた。
2011年1月にその男性が亡くなってからは、地元の魁皇後援会の若者たちが意思を次ぎ、花火の打ち上げを引き継いでいた。
ちなみにこれはテレビ番組『ナニコレ珍百景』で紹介され、MV珍を獲得した。

2014年09月25日に大関魁皇像が完成し、同年10月26日に直方駅前広場で魁皇像除幕式とそれを記念したイベントが行われた。



追記、修正お願いします。


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最終更新:2021年01月28日 03:56