三ない運動

登録日:2017/08/03 Thu 21:17:47
更新日:2025/01/12 Sun 16:39:45
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オートバイの免許を取らせない

オートバイを買わせない

オートバイを運転させない

三ない運動とはかつて行われていた社会運動である。正式名称は高校生に対するオートバイ自動車の三ない運動
地域によっては「車に乗せてもらわない」を加えた「四ない運動」や、さらに「親は子供の要求に負けない」を加えた「四プラス一ない運動」の名称で呼ばれることもあった。*1


三ない運動誕生までの経緯

各地の高校で1970年代後半から1990年代にかけて行われていたが、三ない運動が正式に始まったのは1982年のことである。

高度経済成長期の余韻も冷めかけ、国民の経済水準が平均的に豊かに且つ落ち着きを見せた1970年代後半頃、若者の多くは高校に入学すると、ほぼ同時に自動二輪運転免許中型限定(現:普通自動二輪免許)を取得するようになった。
1980年代に差し掛かると、収入に期待できない若者でも手の届く価格帯のオートバイが発売されるようになり、これまで交通手段が貧弱だった若者にとって楽に遠くへ行ける乗り物として、爆発的な普及を見せた。

乗り手の多くなったことに伴い、交通事故件数が大幅に増加。
オートバイに乗るための社会的・金銭的ハードルが大きく下がったことと並行して暴走族(共同危険型暴走族)の増加につながり、騒音や危険走行、暴力事件等が社会問題となる。
峠道などでは、先の暴走族とはタイプの違うローリング族(違法競争型暴走族)による超高速走行・急旋回走行等によって事故が続出することとなる。

これらの要因により、「バイクは危険な乗り物、暴走族の乗り物」というイメージが社会に広がり、全国高等学校PTA連合会(高P連)は冒頭に記述した
「オートバイの免許を取らせない」「オートバイに乗せない」「オートバイを買わせない」といった
「3つの指針」を掲げた「三ない運動」を推進することを決議した。


三ない運動に対する政府の立場

日本政府や教育を所管する文部省は三ない運動に対して批判的な立場だった。

実際政府は1971年にアメリカの高等学校過程で行われている運転者教育を手本にした
自動車の運転に関する交通安全教育を取り入れることの可能性について報告書を出した他、
文部省も学習指導要領に載っていない三ない運動を容認するつもりはなく、
高校生のオートバイ利用に対応した交通安全指導書の整備を積極的に図っている。
これらの成果から、1989年に運転者教育を将来的に高校の授業カリキュラムに組み込む構想を発表している。


三ない運動の終焉と現在

で、効果はあったのかというと、はっきり言って無いに等しかった。

いくら3ない運動を掲げても結局免許を取る*2高校生は居なくならなかったし、それを黙認する親も少なからず居たからである。

そもそも、高P連側は「バイクに乗りたがる高校生たち」を正しく認識していたとは言えない。
例えばこの1982年を基準としてその前後を見ると、(共同危険型)暴走族文化の全盛期であったことが分かる。
それら暴走族は、そもそも免許があろうが無かろうがバイクに乗る(=無免許上等というスタンス)のであって、まず第一に免許取得などハナから視野外なのである。
高P連側が最も排除したかった対象であろう共同危険型に対しては効果無きにも等しい運動であったことは自明の理である。

そしてまた、彼らが乗るバイク(車体)そのものも「先輩からのお下がりで貰った(譲ってもらった)」「そこら辺から盗んできた」などが全く珍しくない……どころか全国的な“スタンダード”ですらあった。

実際、1980年代後半から始まった第二次交通戦争の結果を見ても、三ない運動の効果は殆ど見られず、
「だったらオートバイに安全に乗せられるよう教育すればいい」という機運が高まった。
1990年の高P連全国大会で「地域の実情に応じた運動」を付帯決議として採択し、
1992年に「学校の立地条件等の特別な理由で正しく処置されたものに対する許可」という項目を決議文に追加。

これらの経緯をたどり、事実上三ない運動は終焉を迎えた。


1992年の決議からおよそ2年後、福島県でバイクを運転中の高校生が車で巡回中の生徒指導教員に見つかり、
逃走中に事故死するという事件が発生。事実上終焉を迎えた三ない運動に対する批判は一層高まった。

1997年の高P連大会において三ない運動は「全国決議文」から、単位PTAに対する拘束力のより弱い「宣言文」へと扱いが変わり、
現在では各高校単位で取り組みが行われている。
免許の取得・原付等での通学を全面許可する学校もあれば、特定の条件を満たせば免許取得・原付通学を認める学校もある。

…が、現在でも地方都市など一部で原付等での通学どころか免許取得をも一切認めない学校もある。
確かに通学に関する指定は可能であっても、免許の取得自体はそもそも国が定めた国家資格であり、また同時に各々のプライベートたる領域であり、そこに学校側の介入は不自然である。

事実「校則で免許取得禁止と定めていた高校が、免許を取得した生徒を退学させたため、生徒側が起訴して裁判にて勝訴」した判例がある。


ホンダの考え方

国内オートバイメーカーの第一人者であるホンダは、1986年から徳島県の生光学園中学校・高等学校と安全運転教習を共同で行っている。
また、ホンダ創業者である本田宗一郎は、著書の中で


『教育の名の下に高校生からバイクを取り上げるのではなく、
バイクに乗る際のルールや危険性を十分に教えるのが学校教育ではないのか』

と批判している。

この考え方は後の首脳陣にも受け継がれ、会長の池忠彦は「三ない運動は思考停止である」(意訳)とある時に発言している。


その他の三ない運動

高校生の免許取得にまつわる三ない運動以外にも否定形のスローガンを3つ掲げて「三ない運動」と称する運動が提唱されることがある。

公職選挙法に基づいたものであれば
  • 政治家は有権者に寄付を募らない
  • 有権者は政治家に寄付を求めない
  • 政治家から有権者への寄付は受け取らない
という具合。余談だが、現在「三ない運動」でGoogle検索をするとこの選挙関係の三ない運動が多く引っかかる。


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最終更新:2025年01月12日 16:39

*1 五ない運動にならなかったのは語呂の問題か

*2 様々な手段を尽くして学校側に露呈しないように取得したり、取得後に教師に取り上げられた場合は免許証を「紛失」扱いにして届け出ることで交付し直されるシステムを有効活用したりと、いくらでも抜け穴があった。