1975年日本シリーズ

登録日:2019/12/22 (日曜日) 08:26:00
更新日:2020/12/31 Thu 15:58:16
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この項目では、1975年のプロ野球日本シリーズの死闘を紹介する。

球団創設以来初の日本シリーズ出場を果たした広島東洋カープと、近鉄バファローズとのプレーオフを制した阪急ブレーブスとの対決となった。
この日本シリーズで阪急は4勝2分と、広島に1勝もさせないまま球団創設以来初の日本一に輝くこととなるのであった。

また、この年からパシフィックリーグでは指名打者(DH)制が採用されていたが、日本シリーズでは採用されていない。日本シリーズでのDH制採用は1985年まで待つことになる。

日本シリーズとしては第26回目のプロ野球日本選手権シリーズとなる。


出場チーム

阪急ブレーブス

監督:上田利治
1975年の阪急は、前年就任した上田監督の元、充実した戦力で日本シリーズ出場を果たした。
リーグ最強の1番打者である福本豊、無類の勝負強さを誇る3番打者・加藤秀司に加え、DH制導入により不動の4番・長池徳士が指名打者として定着*1。新外国人のウイリアムスとマルカーノを加えた打線は破壊力抜群であった。
一方の投手陣では、アンダースローの大投手山田久志が不調ながらも引き続きエースとして活躍。更に新人の山口高志が野村克也をして「誰よりも速いストレート」と言わしめる直球を武器に先発を支えた。

チームの成績としては前期優勝*2であったが、後期優勝した近鉄とのプレーオフを制し日本シリーズ出場を決めた。

阪急は前監督である西本幸雄の元黄金時代を築き、1967~69・71・72年とリーグ優勝を果たしてきたが、日本シリーズの相手はいずれも読売ジャイアンツ。しかも川上哲治監督の元、日本シリーズ9連覇を達成することになる最強の時代であった。
阪急も善戦はしたが、5度の挑戦でいずれも敗退。日本一は絶対に達成したい目標であった。


広島東洋カープ

監督:ジョー・ルーツ→(シーズン途中から)古葉竹識
長らく低迷が続いていた広島であったが、巨人の衰退と入れ替わるかのように、一気に黄金時代を築くことになった。1975年はその最初の年である。

監督はアメリカから招聘したジョー・ルーツでスタートし、彼の要望で球団カラーも赤へと変更された。今に繋がる赤ヘル軍団の誕生である。
ところが、肝心の監督が日米の野球観の違いからトラブルを連発。なんと4月30日に辞任してしまう。
変わって指揮を執ったのがコーチを務めていた古葉竹識であった。すると育ってきた選手層が結果を残していき、初のリーグ優勝を達成した。

選手では衣笠祥雄・山本浩二等が台頭。


主な試合内容

第1戦


阪急 3-3 広島(延長11回引き分け)

阪急はアンダースローのベテラン足立光宏、広島は3度のノーヒットノーラン(うち完全試合1回)を達成したエース外木場義郎を先発に送った。

広島が初回ゲイル・ホプキンスのタイムリーで先制するも、その裏阪急は大熊忠義のソロホームランで同点に追いつき、さらにボビー・マルカーノの2ランで勝ち越した。
その後広島は5回に三村敏之の犠牲フライで1点差に迫り、さらに8回には山本浩二のソロで同点に追いついた。
その後8回1死で阪急はこの年新人王の剛腕・山口高志を、広島は9回に金城基泰をリリーフに送り、両投手とも1点も許さない好投を見せた。

試合は結局引き分けのまま時間切れとなり、当時の日本シリーズ最長試合時間記録を更新した(4時間29分)。


第2戦


阪急 5-1 広島

山田
佐伯

阪急はこの年不振だったエース・山田久志を、広島が佐伯和司を先発に送った。

阪急が初回、世界の盗塁王・福本豊が四球で出塁後すぐさま盗塁を決め、長池徳二のタイムリーで早くも先制する。
さらに5回に福本・大熊の連続タイムリーで3点を奪い、佐伯を降板させると、2番手・池谷公二郎からもバーニー・ウイリアムスのタイムリーで1点を奪った。

山田は公式戦の不調が嘘のような好投を見せ、リッチー・シェインブラムのソロで1点は失ったものの、悠々3安打完投勝利を収め、自身日本シリーズでの初勝利を決めた。


第3戦


広島 4-7 阪急

山口
宮本

広島市民球場に舞台を移しての第3戦は、阪急が山口、広島が金城と第1戦のリリーフ投手同士が先発することになった。

阪急は2回、金城の立ち上がりを攻めて5安打を集中し3点を奪い、3回にも大橋譲のタイムリーで1点を加え、金城をマウンドから引きずりおろした。
一方山口も5回まで広島打線をノーヒットに抑えるも6回山本浩に2ランを浴び、7回には三村のタイムリーで同点に追いつかれてしまう。
しかし阪急は9回、広島の4番手・宮本幸信から世界の代打男・高井保弘がヒットを放ち、続く中沢伸二・大橋の連続ホームランで3点を奪って勝ち越しに成功し、その裏も山口が逃げ切った。

山口は結局157球を投げ抜き完投勝利を収め、阪急が2連勝を飾った。


第4戦


広島 4-4 阪急(延長13回引き分け)

雨で一日流れた第4戦は、阪急足立、広島外木場という第1戦と同じ組み合わせとなった。

阪急が2回森本潔のソロで先制するも、広島はその裏山本浩、山本一義の2本のソロで逆転し、3回にも山本浩のタイムリーで1点を挙げた。
しかし阪急も7回に1死満塁のチャンスを作ると、加藤秀司の内野ゴロで1点を返し、さらに長池のタイムリーで同点に追いつく。
ここで阪急は、何と中1日で完投したばかりの山口をリリーフに送った。現代ならあり得ない継投であるが、当時はこういうことがあり得たのである。
試合はまたも延長戦に突入、阪急は13回に投手の山口が自らタイムリーを放って1点を勝ち越すも、その裏1死満塁のピンチを招いてしまう。そして、代打・佐野嘉幸のヒットで3塁走者が生還するも2塁走者・木下富雄がタッチアウトとなり、そのまま第1戦と同じく時間切れ引き分けとなった。

山口は結局中1日で7回110球を投げ、そして外木場は実に200球を投げぬき13回を完投した。試合時間は4時間49分となり第1戦の記録を更新することとなった。



第5戦


広島 1-2 阪急

山田
佐伯
セーブ 山口

阪急が勝てば日本一に王手がかかる第5戦は阪急山田、広島佐伯という第2戦と同じ先発投手となった。

広島が2回、ここまで16打数1安打と絶不調だった衣笠祥雄のソロで1点を先制するも、阪急も大熊のタイムリーで同点に追いつく。さらに4回、1死からマルカーノ・森本・河村健一郎の3連打で佐伯をマウンドから引きずりおろすと、代わった金城から大橋がスクイズを決めて勝ち越した。
山田は第2戦同様広島打線を丁寧に抑え、6回には福本にファインプレーが飛び出すなどバックの援護も大いに受けた。
9回に山田がホプキンス・山本浩に連打されると、阪急ベンチはなんとここでも山口をリリーフに送った。山口は首脳陣の期待に応え広島の攻撃を退けた。

阪急は引き分けを挟んでの3連勝で、ついに日本一に王手をかけた。


第6戦


阪急 7-3 広島

戸田
池谷
セーブ 山口

西宮球場に戻っての第6戦、日本一に王手をかけた阪急は中2日の足立を、もう後がない広島はシリーズ初先発の池谷を先発に送った。

2回広島が道原博幸のタイムリーで2点を先行し、その裏阪急も大橋のタイムリーで1点差に迫った。
阪急は4回2死から池谷を捉え、中沢が逆転2ランを放つ。さらに福本のタイムリーで1点を奪い、4番手・渡辺弘基から加藤がタイムリーを放って2点を挙げた。
阪急は2回から戸田善紀が好投、5回まで許したランナーは2人だけだった。6回先頭のシェーンにヒットを許したところで降板、リリーフにはまたも山口が上がる。
山口は8回にホプキンスにソロを浴びるも後続を抑え、その裏には自らタイムリーを放って失点を帳消しにする活躍を見せた。

山口は4イニングを1点に抑え、ここに阪急ブレーブスは悲願の日本一を達成した。


シリーズMVPには1勝2セーブと大車輪の働きを見せた山口(新人投手としては初の受賞)が選ばれ、打撃賞には打率.368の大橋、最優秀投手には2勝の山田、優秀選手賞には2本塁打の中沢と2試合で21回2/3、合計324球を投げた外木場、技能賞には第5戦で超ファインプレーの福本、敢闘賞に2本塁打で打率.333の山本浩が選ばれた。


備考

1975年は、前年で巨人のV9が終わり、パ・リーグではDH制が導入され、セ・リーグでは広島が初優勝するなど、これまでのプロ野球界からの変化の兆しが多く見られた年である。
広島はこの後1979年の日本シリーズではかの有名な「江夏の21球」で日本一を達成。セ・リーグの覇者交代を印象づけた。
ただし、パ・リーグの人気低迷は留まるところを知らず、ロッテオリオンズに至っては特定の本拠地を持てない状態が続く有り様であった。
阪急はこの年からリーグ4連覇を達成し再び黄金時代を築くものの、それが収益の増加に繋がらなかったことが痛手となり、後のオリックスへの身売りに繋がっていく。

またまさしく彗星のごとく現れ大活躍した山口高志であったが、そのストレートは小柄な体に大きな負荷をかけて初めて投げられるものであった。
故にこれ以降は故障がちになり、選手生命は短いものとなったが、その後藤川球児にストレートの指導をして才能を開花させることになる。

なお2019年現在、2度引き分けた日本シリーズはこれが唯一である。


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最終更新:2020年12月31日 15:58

*1 前年までは外野手としての出場がメインであった

*2 この時代のパ・リーグは、シーズンの前期と後期でそれぞれ優勝を決め、その優勝チーム同士で日本シリーズ出場権を争うプレーオフを実施していた。ちなみに前年のシーズンにおいて阪急は後期優勝を決めているが、前期優勝したロッテとのプレーオフに敗れている