前キャラクター態

登録日:2021/04/08 Thu 22:30:51
更新日:2021/10/05 Tue 22:02:53
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前キャラクター態(プロト-たい、以下、キャラ性)とは、絵柄や作風によって変わらないキャラクターの特徴である。漫画評論家の伊藤剛が著書『テヅカ・イズ・デッド: ひらかれたマンガ表現論へ』(2005)で提唱した概念。

目次



概要

たとえば某D社のネズミを例にとってみよう。
耳の大きさが大きくなったり小さくなったり、目が真っ黒だったりキラキラしていたり、という様に、媒体や描かれた年代によって描かれ方が変わる。
仮に公式サイドから「好きに同人誌描いていいよ」と言われたとして、原作のセル画を完璧に再現しようとする者は少数派であろう。

が、我々はそれらを見て「ああ、D社のネズミだ」と分かるのである。
これはなぜかといえば、そのキャラクターをそのキャラクターたらしめている最小の要素と、年代や描き手によって変化するそれ以外の要素が分かれているからに他ならない。
伊藤は前者を「前キャラクター性」または単に「キャラ性」(Kyara)、後者を「キャラクター性」(Character)と呼んだのである。

◆定義

キャラとキャラクターの区別は実際のところ曖昧であり、後述する著作権関連の判例などによる法理論的な定義がされているに過ぎない。

 漫画史・文化表象論の研究家である宮本大人によれば、キャラクターの諸要素は以下の6項目に求められ、「キャラクターが立っている」とはこれらの要素が強いことを指すという。伊藤はこのうち最初の4つをキャラ性、残りをキャラクター性とし、キャラクター性は手塚治虫の台頭以降大きく全面化したとしている。
・独自性
 他のキャラクターと区別できる特徴を持つ。
・自立性・疑似的な実在性
 物語に縛られず、キャラクターの住む世界が存在していることを想起させる。
 この世界は作者が整合性のもとに作っているとは限らず、ストーリーの流れで説明される世界観とは別に、受け手はそのストーリーに縛られず存在する世界観を補完する。
・可変性
 ストーリーの展開や、作者の絵柄の変化によってキャラクターの見た目が変化する(が、同一人物とみなされたり、話の展開や描き手の変化によって元に戻ったりする)。
・多面性・複雑性
 類型的な性格ではなく、意外な一面を持っている。
・不透明性
 他者から見えない内面を持っている。
・内面の重層性
 自分にもよく見えず、コントロールできない不透明さが自分の中にあることが意識されている(=近代的な自我意識がある)。

 また伊藤は、東風人と織田小星による漫画『正チャンの冒険』(1924-1925)のイラストに描かれた本を読んでいる陰影が複雑でリアルに描かれた子供たちをキャラクター性の強い図像、画面中央に単純な線で描かれた主人公をキャラ性の強い図像として例示している。

経緯

作家の大塚英志は 『戦後まんがの表現空間:記号的身体の呪縛』(1994)などにおいて、こうしたデフォルメされた簡単な図像でありながら、それらを組み合わせることで画面外の現実へと肉薄しようとする、いわばデフォルメの「呪縛」が存在していると説明している。

当時スーパーマンなどの作品での訴訟を通し実在の人物の代わりに物語の登場人物にも著作権があるという考えが浸透していたアメリカでは、この登場人物をやがて著作権を持つことが容易な方向にデザインしていく流れが生まれ、そうして生まれた「キャラ」が日本にもたらされていった。
そうした中、キャラの簡単な図像を使ってリアルな演出を行おうとしたのが手塚治虫である。
大塚によればこの志向が映画的で多彩な表現を生み、手塚以降の後続作品は特に少女漫画・エロ劇画において精神的・肉体的なリアル(=現実世界への回路)を追求していく。

伊藤のキャラ/キャラクター概念は大塚のこの考えの一部に異を唱えるものであり、実際には単一の人物には複数のコマを横断してもその人物が同一であると読者に理解させるだけの強度を持った「キャラ」と、リアリティに近づくことを志向する「キャラクター」とが、それぞれの程度はどうあれ同居していると捉え、画面外の現実ではなく、画面内部に現実が存在するような仕組みを作ろうとしたのだという。

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最終更新:2021年10月05日 22:02