国鉄マニ30形客車

登録日:2021/07/07 Wed 19:49:02
更新日:2025/05/08 Thu 23:18:11NEW!
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マニ30形とは、国鉄→JR貨物に在籍していた荷物車の形式である。

本項では初代と2代目の両形式について解説する。

概要

造幣局、印刷局で出来たばかりの紙幣・硬貨を各地の日銀支店へ、逆に各地の日銀支店に集められた古い紙幣・硬貨を運ぶという鉄道版現金輸送車である。道路事情が劣悪だった昭和時代は現金の輸送も鉄道の仕事だったのだ。
その役割故に色々とデリケートな存在でもあった。そういうものほど変な話題も飛び交いやすいもので
  • 雑誌・専門誌で「そういう車両がある」と書かれることはあっても詳細に取り上げられることはなく、写真に写り込んでいてもスルーされ、子供向けの図鑑でも詳しく書かれなかった(実話
  • ある鉄道雑誌がマニ30の模型製作記事を図面付で掲載。たまたま掲載号を購読していた日銀職員がこれを目にし、編集長が呼び出されて取り調べを受ける実話
  • ↑とは別の鉄道誌の編集長宛に国鉄から「マニ30を載せるな!」と釘を刺される(実話
  • 本車が連結された荷物列車の写真が鉄道誌に掲載されたが、単なる荷レとしての紹介のみで写真内にはっきりマニ30がいることへの言及一切なし(実話
  • 制服を着た国鉄職員が車両の採寸を始めたら、採寸していることに気付いた警備員に止められた(実話
  • パソコン通信の鉄道フォーラムでマニ30の話題を出すことは禁止(実話
  • 警備員室の窓ガラスは防弾ガラスである(実話
  • マニ30を撮影すると警備している警官にフィルムを没収される(
  • マニ30を撮影すると公安警察に監視される(
  • マニ30を撮影すると金運に見放される(
  • 自爆装置がある(
  • マニ30は現金以外にも国立大学の入試や国家公務員試験の問題用紙も運んでいる(
など様々な噂が流れた。

なお撮影禁止となることが多い諸外国の要人専用車両や軍関係車両と異なり、荷役作業中以外は特に撮影が咎められることは無かったようで、現役時代に撮影された写真は多数存在する。

なお、初代・2代目は車体形状が異なるが製造番号は通番となっている。

形式解説

初代

戦前から戦後混乱期の現金輸送は普通の貨車に現金を積み込み、日銀職員が貨車に添乗して運んでいた。
この頃はとにかく貨物列車のスピードが遅かった時代で、下手すると目的の駅に着くまでに1週間以上を要していた事も。
更に貨車なので人を乗せることは前提としておらず、暖房どころか照明もなく、食事は保存の効く乾パンぐらい、トイレも好きなタイミングで行けないという劣悪な環境下で現金のお守りをしなければならなかった。
トイレに行くために長時間停車する駅で職員が列車を降り、トイレで用を足している間に列車に置いていかれたという逸話も残る。

そんな状況の改善と現金輸送の安全性アップ、高速で進行するインフレに伴う紙幣需要増大のため、GHQ統治下の1948年に6両が製造された。
当時の国鉄は車両製造にGHQの許可が必要で、20両の製造をGHQに申請するも一旦却下され、強盗団が輸送列車を狙っている!という話をしたら6両の製造許可が降りた。
見た目は極力普通の荷物車に似せてあり、窓の穴は開けた上で現金輸送中は鉄板で蓋をし、茶色一色の塗装や表記類は普通の荷物車と揃えられてカムフラージュされている。

車内は荷物室・警備員室・荷物室・車掌室の順で配置され、荷物室側の車端は貫通路や窓が一切なく、鉄板の壁にテールランプが付いているだけ。
車掌室側には貫通路・幌と後方監視用の窓があるが、荷物室と車掌室の間は扉のない壁で仕切られ車内から相互に行き来することはできない。

警備員室は警備員の長時間任務(勤務ではない)に備えて3段式の寝台(後にリクライニングシートへ改造)とコンロ台(後に撤去)が設置されていた。

製造後もかなり手が加えられており
  • 警備員室の冷房化と電気暖房の装置
  • 荷物室の強化・荷物室扉の拡幅
などが実施された。ただ冷房の設置で車両重量が増えた関係上、積載量を14トンから11トンに落としている。もし14トン積みを維持した場合、車両の重量等級が1段階上になって連結できる列車に制限が出るため。
登場から1970年までの形式番号は「マニ34」だったが、1970年以降廃車まではマニ30を名乗った。この形式番号の変更はマニ34が現金を運んでいるという事実が外部に知られるようになったのと、THE ALFEEの歌にもなったあの有名な三億円事件が影響しているとか。
1981年までに老朽化を理由に廃車となっており、1両が解体場で倉庫代用としてしばらく使われた他は速やかにスクラップとなった。

2代目

1978年から79年にかけて初代と同数の6両が製造された。外観は同時期に製造されていた一般向け荷物車のマニ50形に準じており、塗装はインクブルー一色。初代はカモフラージュのために荷物室部分にも窓があり、現金輸送中は鉄板の蓋をしていたが、2代目の荷物室部分には最初から窓がない。
最大積載量14トンの確保と警備員室の冷暖房装備を両立するため、車体の材質が客車の標準である鋼鉄からアルミ合金に変更の上、全長がマニ50と比較して1.3mほど長くなっている。
更に警備員室は晩年は座席とデスクぐらいしかなかった初代とは異なり、冷蔵庫・流し台・電子レンジ・電気ポットが設置された。仮眠用にブルートレインのA寝台車に相当する自動昇降機付2段寝台とトイレも設置されている。
更に監視カメラが荷物室と車掌室に設置されており、カメラの映像を流すモニタも警備員室に設置されている。

レイアウトは初代と同じ荷物室・警備員室・荷物室・車掌室であり、初代同様車掌室と荷物室の間に扉はなく、内部から行き来できない。荷物室側の車端は初代同様窓や貫通扉は設置されず、テールランプが腰部に設置されているだけののっぺらぼうに近い見つけとなっている。
反対の車掌室側はこちらも初代同様窓や貫通扉・幌が設置されており、車掌は他の連結車両と相互に行き来できた。ただし本車の車掌室を使用するのは工場への入出場や単独走行時ぐらいで、通常時は連結されている別車両の車掌室で業務をこなしていたようだ。

2003年に鉄道を利用した現金輸送が廃止となり、在籍していた6両全車が翌年に廃車となった。現金の鉄道輸送の廃止は車両の老朽化や道路網の整備もあるが、最高速度が95km/hで100km/h以上で運転する列車に連結できず効率が悪い事(もともと現金輸送の"便乗"に使われていた荷物列車の廃止後は貨物列車に併結していたが、当時すでに大半の貨物列車は100km/h運転対応の新世代貨車前提のダイヤになっていた)、積み下ろしのために貨物駅の1区画を封鎖する必要があったことなども理由とされる。
廃車後、ラストナンバーの2012号が隅田川駅から定期の貨物列車に連結されて北海道まで運ばれ、小樽市総合博物館で保存展示された。それまで機密だった車体の材質や内部の様子などが明らかになった他、マニ30を扱った本の出版、テレビ番組での紹介、鉄道模型でも少数生産の組み立てキットぐらいしか存在しなかったのが一転し、量産のプラ製完成品が大手メーカーから発売されるようになった。
目をつけられたのがマイクロエースだったのがマニ30には運の尽き。お得意の豊富なバリエーション展開で国鉄時代からさかのぼって丸裸にされてしまった。

運用

時速95km/hで運転される荷物列車、貨物列車に連結されたほか、客車急行列車に併結することもあったようだ(防犯的にどうだったのだろうか)。性質上常に状況把握を要するため、積車時…すなわち現金が入ってる状態の場合、原則として機関車の次位、つまり事実上の1号車になるように連結されていた。
目的の駅を通る連結できる列車がない場合は臨時列車を設定し、機関車がマニ30を単独で牽引した。
車両の向きはあまりこだわっていなかったようだが、上野駅発着時は細心の注意が払われた。(片側にしか窓がなく、機関車が客車を推す推進運転時に前方監視ができないため)
また帰り道となる空車時は編成最後尾にぶら下がっていることもあった記録がある。

現金は容箱というケースに入れられ、荷物室へと積み込まれる。積み込み完了後に荷物扉を乗車した警備員が施錠。荷室と警備員室の間の扉も施錠し、鍵を地上の日銀職員へ手渡す。このため目的駅に到着するまで荷室には添乗する警備員も立ち入ることは出来ない。
ちなみに容箱1つに入るのは1万円札換算で2億円。2代目であれば2億円入りの容箱を目一杯積み込むと1両でおよそ1400億円分の現金を運べた。ただ実際の運用では小銭や5000円札・1000円札も同時に運んでいたのと容箱を目一杯に積み込むということはなかったので金額的にはもうちょっと少なくなり、数百億円単位が最大だったとか。
現金を積み込んだマニ30は客車急行列車や郵便・荷物列車に連結され、目的駅で待っていた日銀職員が持っている荷室の鍵を添乗している警備員へ渡し、解錠の上現金を降ろす。
なお積み下ろしの際は荷室扉の周囲に待機していた警察官が大勢張り付き、天幕を張って積み下ろしの様子を隠し、現場に近づく人間は子供であろうと容赦なく追い返された。
また警備の厳しさは新券・新硬貨輸送よりも旧札・旧硬貨の回収時の方が厳しかったとされ、警備員だけでなく拳銃射撃中級以上のライセンスを持つ県警の警察官が実弾を装填した拳銃を携行して添乗した時期もある。


警備を担当する職員は「○日の○時に○○駅へ行け」と上から指示されるだけで、それがマニ30の警備任務であるとは職場内でも大っぴらにされず、運転を担当する現場でもマニ30の運転日は直前に電報で関係する現場だけに通達されたという。
この理由から現在でも具体的な運用については謎が多い。おそらく造幣局の印刷・硬貨製造工場があるの自体は公表されている大阪市、さいたま市、広島市(順に天満の本局、埼玉支局、広島支局)近隣の貨物駅を発駅とするのが多かったのではとは思われる。

余談

冒頭の噂の「マニ30で大学入試や国家公務員試験の問題を運んでいた」というものだが、これに関してはガセの可能性が高い。
マニ30は所有者が日本銀行である以上日銀が依頼した物しか積むことが出来ず、日銀が関係しない組織の荷物をマニ30に積んで運ぶことは許されないのだ。おそらく造幣局の事業のひとつ「試験検定事業」と混同されてしまったものと思われる(正しい業務内容は貴金属製品の品位証明、地金・鉱物の分析、貴金属地金の精製など。つまり鑑定作業である)。
日銀職員の採用試験問題ぐらいは現金と一緒に運んでいたかもしれないが、真実は今となっては歴史の闇に埋もれてしまっている。
ついでに自爆装置もガセと思われる。

形式記号のマニはお金を意味するMoneyに引っ掛けたものではなく、車両総重量が42.5t以上47.5t未満の荷物車という意味で、ただの偶然。

先述のようにマイクロエースよりNゲージ完成品が発売されている。現在はマニ30単品のものを時代設定を変えることで複数のバリエーション展開を行っているほか、古い商品には貨物列車にマニ30が併結された運用をほぼ丸ごと再現できるセットも存在した(機関車のみ別売)。

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最終更新:2025年05月08日 23:18