ブルートレイン

登録日:2018/12/21 (金) 22:56:45
更新日:2025/05/08 Thu 19:44:08
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ピィィィィィィィィッッ

甲高い汽笛とリズムのいいジョイント音を響かせ、夜汽車が往く。
ブルートレイン、それは少年の日の憧れ……………。


ブルートレインとは、かつて運行されていた、車体が藍色で塗られていた寝台列車の総称。
本来の定義では「機関車に牽引されて走る客車」の編成を指していたが、晩年は電車である581系・583系もブルートレインの仲間に含めていた。

☆概要

始発駅を夕方から夜にかけて発車し、目的地に早朝から昼にかけて到着する「夜行列車」の一種。
しかも寝台付き、食堂車付きなのに加え、ブルートレインは登場当時「完全電化、冷暖房完備の寝台列車」という優美な車両であった。
乗客からすれば「寝ている間に目的地へ連れて行ってくれるため、目的地での時間を有効活用できる」「夜行バスや飛行機と違い、移動中に完全に横になって熟睡出来る」「前泊不要」というメリットがある。

ブルートレインブーム

ブルートレインを語るのに欠かせないのがこのブームである。
1978年、東京発着列車の牽引機がEF65形PFに交代した前後からマスメディアで取り上げられるようになった。この年の夏以降「ポスト・スーパーカー」として本格的なブームが到来し、発着する各駅には小中学生のファンが殺到するようになった。また、1979年からはテール部分に絵入りマークが入るようになり、人気は最高潮に達した。一方過熱するブームは関西地区を中心に*1深夜に小中学生が駅構内で撮影するなど、教育上の問題も引き起こした。

ドラえもん』でブルートレインセットなるひみつ道具が登場したことや、水島新司の野球漫画である『ドカベン』にも「ブルートレイン学園」なる高校が対戦相手として登場したことからもブームの過熱ぶりがうかがえるだろう。西村京太郎の十津川警部シリーズ第1作『寝台特急殺人事件』も、このブーム中に刊行されたものである。

これだけのブームにもかかわらず、国鉄の収益には一切貢献せず、ブーム期間中も多くの列車が廃止に追い込まれている(もっとも小中学生の財力ではブルートレインに乗ることすらなんて夢のまた夢だったのだが)。
関連グッズも多数発売されたが、当時は鉄道会社がグッズ監修やライセンス料を取るなんて発想すら無かったため*2、これも収益には結びつかなかった*3

フィクションへの登場

動く密室という特徴が作家の諸氏の執筆翼を擽るのか、古今東西ブルートレインの車内における殺人事件を扱う推理・サスペンス小説は多い。日本だと前述した『十津川警部シリーズ』がそれだし、もとはと言えばアガサ・クリスティの『オリエント急行殺人事件』がその源流であろう。
米花市の小さな名探偵金田一少年も実在架空を問わずブルートレインで殺人事件に直面している。

☆ブルートレインの設備

☆開放A寝台
車両中央の通路を挟んで定員2人のボックスが並び、利用者はレールに対して並行にセットされたベッドで寝る。2段ベッドで、幅は100cm。
通路とはカーテンで仕切られただけで、完全なプライベート空間にはならない。
長らく客車にしか存在しなかったが、国鉄最末期の1985年に電車にも登場した。

☆開放客車B寝台
通路を片側に寄せ、利用者はレールに対して垂直にセットされたベッドで寝る。幅は20系以外70cm、20系は52cm。
通路とはカーテンで仕切られるだけなのは開放A寝台と一緒。
当初は詰め込み重視のためか3段式が標準となっていたが、1970年代以降は日本人の体格向上および快適性の向上の観点から2段式が登場し、国鉄末期には2段式が標準となった。

ちなみに、出発時間が早い列車は寝台を展開せずに出発し、途中で職員が寝台の展開を行っていた。

☆電車B寝台
581・583系のみ。作りは客車A寝台と同じだが、ボックスの定員が3人の3段ベッドなのが大きな違い。
昼夜兼用の581・583系は昼間は4人用座席として使われる関係で下段の幅がA寝台に匹敵するほど広く、ちょっとツウなお客は電車3段の下段を指名買いしていた。
もっとツウなお客はパンタグラフの下の中段・通称パン下を指名買いしていた。
これはパンタグラフを搭載する場所だけ屋根が切り下げられており3段寝台が設置できなかったから。
中段と上段の幅は70cm。これは20系のB寝台よりも広く、後に登場する客車もこの幅に拡大された。

☆個室A寝台
1人用から2人用まで。寝台スペースの入口に扉を設置し、完全なプライベート空間を確保。
歴史は意外と古く、1958年に登場した20系客車にルーメットと称する個室A寝台車が連結されている。
その後はしばらく開放式の増備が続き、再び登場したのは1976年のオロネ25形。
…が、膝が延ばせない狭さや各種設備の使い勝手がよろしくないと当時からあまり評価は高くなく、「走る独房」とも揶揄された。
それを分割民営化後にシングルデラックス扱いにしたのは詐欺だと思う。
本格的なグレードアップが進められたのは国鉄末期からで、内部には広々としたベッドとオーディオ機器などが備えられ、列車によってはトイレ・シャワールーム、ベッドとは別のリビングスペースまで設けていた。

☆個室B寝台
1人用が「ソロ」、2人用が「デュエット」、4人用が「カルテット」と呼ばれた。
スペースの入口に扉を設置し、完全なプライベート空間を確保。1984年に「さくら」「みずほ」用14系に連結された「カルテット」が最初。
A個室に比べると狭いものの、カプセルホテルの感覚で利用できる。内部での着替えは頑張れば出来る。
ちなみに、前述の開放B寝台にも開閉扉を設置した車両も存在しており、そちらは「Bコンパート」と呼ばれた。

☆食堂車
長距離列車のお供。始発駅出発後に夕食、翌朝到着前に朝食のサービスが提供されていた。
調理と言っても、地上のキッチンで調理・加工済みの食材を車内備え付けの電子レンジや電気コンロで温めるぐらいしか出来なかったが、駅弁と違って温かい食事を摂れるとあってそれなりに繁盛していた。
北斗星やカシオペア・トワイライトエクスプレスの食堂車は「列車の旅を楽しむ」目的の意味合いが強く、夕食は要予約でフランス料理のフルコースなどが提供され、ディナータイム終了後はパブタイムとしてコーヒーや軽食などが提供されていた。朝食営業もあった他、トワイライトエクスプレスの札幌行のみ発車時間の関係でランチ営業もしていた*4

なお食堂車従業員の賄い飯として目玉焼き丼が提供されていたが、これは俗にハチクマ丼(ハチクマライス)と呼ばれていた。

☆ラウンジカー/ロビーカー
乗客全員が自由に利用できるフリースペース。ホテルのロビーのようにソファーなどが設置され、車窓を眺めながらゆっくりくつろぐことが出来る。
一部の列車には車掌が手売りするシャワーカードを購入することで利用できるシャワーが設置されていた。
1985年に「はやぶさ」に連結されたのが最初。

☆座席運用
寝台を使用しない時間帯に昼行特急の代わりに寝台料金を払わずにブルートレインに乗車することができる。通称「ヒルネ」。
開放A寝台はグリーン料金、開放B寝台は指定席特急券または立席特急券で利用可能。列車ごとに運用区間は決められており、B寝台しか開放されない事例もある。
なお、後年には「ゴロンとシート」や「ノビノビ座席」など、最初から指定席扱いで販売される形態も登場している。

☆電源車
客車で消費される電力を提供する車両。冷暖房・食堂車の調理器具などの電力を一手に引き受けていた。
ただし客車でも、車掌室のある車両床下に自車を含む6両分の電力を賄う発電機を設置していた14系には電源車がなかった。

☆ブルートレインの車両

本項では便宜上、車体が青くないものの、同種の用途で使用される形式についても解説する。

☆20系
1958年に登場した元祖ブルートレイン。
それまで1両単位で管理していた客車に電車と同じ「固定編成」という概念を取り入れ、電源車+B寝台+食堂車+A寝台を基本とする編成を組んだ。『あさかぜ』を皮切りに様々な寝台列車に投入され、初代ブルートレインとして輝かしい功績を残した。
一方、編成内に電源車を1両しか置かない『集中電源方式』を採用したことで
  • 分割・併合には対応できない(分離する編成には別に電源車を用意する必要がある)
  • 10数両への電源供給能力を持つ電源車は、短編成においては過剰な出力である→需要に合わせた短編成化に向いていない
と言った問題点も浮かんだ。
それまでの寝台車とは一線を画す冷暖房完備の車内から走るホテルとも称され、その優美なスタイルは多くの鉄道少年を虜にした。
ドアは自動式ではなく手動式ながら車掌室から一斉にロック出来る。開閉と個別の施錠は寝台の組み立て・解体を担当する列車ボーイが担っていた。
たまに全部のドアを外からロックしてしまい、走り始めた列車に車掌室の窓から飛び乗るボーイが居たという逸話もある。
登場時の日本人の体格に合わせてB寝台の幅を52cmとしたために、14系・24系客車の登場後は特急運用から外されるようになり、1970年代後半以降は老朽化が進んでいた夜行急行の寝台車に転用され、12系客車と併結できるように改造した車両も現れた。
変わり種ではジョイフルトレイン「ホリデーパル」として14系を併結して使用された車両もあり、年寄りの厚化粧派手な塗装に変更されて運用されていた。
特急運用は1980年、定期運用は1986年にそれぞれ終了したが、少数が臨時列車用としてJRに引き継がれ、1998年に全廃となった。
大宮の鉄道博物館、京都鉄道博物館をはじめ各地に保存されており、現役時代には縁のなかった北海道にも保存車がある。
それまでの客車とは一線を画す優雅なデザインに加え画期的な装備を持った名車であるが、実はブルーリボン賞・ローレル賞には縁がなかった。
実はデビューした1958年にはローレル賞の設定が無く*5、ブルーリボン賞も同時にデビューした「こだま型」こと151系に掻っ攫われてしまったのが理由。

☆14系
20系の後継として1971年に登場。
ベースは波動輸送用として開発された12系客車で、これを特急用設備に変更したものである。この車両からブルートレインでも自動ドアが導入された。
電源車をなくし、小型化した発電機を車掌室のある車両の床下に搭載する「分散電源方式」を採用することで途中駅での切り離しや多層建て列車の運行などに対応し、20系の問題点を克服した。
20系と違ってスタイルは実用性一辺倒で個室寝台車は新造されなかったが、B寝台の幅が20系に比べて18cm拡大されたことで快適性がアップ。JRになってからも現役の車両が多く存在した。
しかし増備途中に北陸トンネル火災事故*6が発生。
「可燃性の燃料と乗客を同じ車両に乗せるのは危ないのでは?」
という意見から一旦増備が打ち切られ、下記24系の増備に移行。
その後、自動消火装置の搭載など安全対策を施し、外見も24系25形に揃えた14系15形にマイナーチェンジして増備が再開された。
一部は折戸→引戸化などの耐寒改造を施されて北海道に渡っており、気動車と併結できるように改造した車両も存在する。
因みに波動輸送用として183系特急型電車をベースとした座席車タイプも存在しており、一部の列車では寝台車と連結して運用された。
門司港の九州鉄道記念館や富士急行の下吉田駅などで展示されている。他にも列車ホテルとして再利用されているものもあるので、昔を偲びながら一夜を明かしたい方にお勧め。
1972年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。

☆24系
14系の改良型として登場した客車。20系と同じく電源車から電気を供給し、列車に合わせてB寝台車、A寝台車、食堂車を連結する。アニヲタWikiに世話になる世代だと、ブルートレインと言えばこの24系という印象が強いと思われる。
14系とほぼ同じ車体の24形と、寝台側の窓が小さくなり側面帯が銀色になった25形の2種類のグループに分かれる。
新造車は開放B寝台・開放A寝台・個室A寝台の3種類のみだったが、国鉄末期から改造で個室車やラウンジカーなどが追加され、バリエーションも多彩となった。北斗星・トワイライトエクスプレスの食堂車には485系改造車が編入されて使用されたほか、12系や50系から改造編入された車両も存在する。
また、1989年には次世代寝台特急の試作車として「夢空間」と名付けられた900番台3両が製造された。当初は横浜博覧会の会場として桜木町駅前に展示され、その後「北斗星」の臨時列車を中心に使用された。
引退後は全国各地で保存施設を筆頭に列車ホテルやレストランとして利用されているものがあるほか、大宮の鉄道博物館にはオロネ25の個室モックアップが保存されている*7
ちなみに『夢空間』の2両はららぽーと新三郷、残り1両は川口市のレストランで保存されていたが、前者は東京都清瀬市にある公園への移設が決定した。
ブルートレインとして唯一、本州・九州・北海道・四国の全エリアに乗り入れた車両である。
四国に乗り入れたブルートレインというのが、24系25型を使用した「瀬戸」しかいなかったが故のことである。
1975年鉄道友の会ローレル賞受賞。ローレル賞の選定基準変更後*8、別料金を取る特急形車両では初の授賞車両となった。

581・583系
厳密にはブルートレインと言えるのか微妙なのだが、夜行列車…いや在来線の全盛時代を支えた名車。そして日本鉄道史上随一の珍車の一角…いや3角?
「利用者はどんどん増えていくし、それに合わせて列車も増やすけど車両基地が絶望的に足りない!」という国鉄の悲鳴に対する
「だったら昼は座席車、夜は寝台車として使えればいいんじゃね?」
という答えから生まれた昼夜兼用電車。24時間戦えますか?コンセプトを実現してしまったのである。
昼間は4人がけのボックスシートで、夜は3段寝台に転換できる専用設計。昼夜を問わず、本州と九州を休み無く駆け巡った。これは冗談でも何でもなく、

博多~名古屋を寝台特急『金星』として運転→車庫に入って寝台から座席に転換→名古屋~富山の特急『しらさぎ』として往復→名古屋の車庫で座席から寝台に転換し、博多行きの『金星』に投入

といった感じであった。
兼用ではあったが、寝台特急としての快適性をある程度考慮した結果、昼間の快適性が犠牲となってしまい*9ほぼ夜行専用に。しかも、他の車両=昼間or夜行車両に比べて一日当たりの稼働時間が長かった事で、後年足回りを損傷する車両も多かった。また、B寝台も2段化が進み時代に合わなくなったことや座席⇔寝台の転換作業は結構な重労働であったこと、新幹線開業に伴う在来線特急の廃止も相まって第一線を退くことに。
結果、同時期に製造された24系や485系に主力を譲ることになる。やはり、両用機では専用機には勝てないんである…
A寝台は1985年に改造車が登場するまで存在しておらず、このため
「普通車の客は横になって寝られるのに、高いグリーン料金を払っているグリーン車の客は横になれない」
という逆転現象が起きていた。
余剰車は長らく駅構内に留置されたのち近郊型電車に改造されており、それがかの有名な715系・419系である。
一方で昼行と夜行の双方に対応できることから定期運用離脱後も波動用車両として重宝され、細く長く走り続けて2017年に引退した。
現在も秋田に保留車名義で先頭車1両の車籍が残されており、京都鉄道博物館、九州鉄道記念館*10と台湾で保存車が展示されている。
1968年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。

285系
1998年に登場したJR西日本JR東海共同開発の特急型電車。
平均乗車率が高く、航空機への対抗も十分可能であると見込まれた「瀬戸」「出雲」の置き換えおよびスピードアップを目的に導入された。
従来のブルートレインと異なり朝をイメージした明るいカラーリングと住宅メーカーと共同開発した内装が特徴。
寝台車は全車両個室で、座席指定券だけで使用可能な「ノビノビ座席」もある。
1999年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。

☆E26系
1999年に登場したJR東日本の寝台客車。
ご存じ「カシオペア」の車両であり、12両編成1本のみの存在。
JR東日本の特急車両では唯一となるステンレス製で、無塗装の車体に5色の帯が入る斬新なカラーリングが特徴。
客室は全室2人用個室A寝台で、全室にトイレとシャワーを設置していた。最後端部のラウンジカーを除いた全車が2階建てとなっている。
ラウンジカーは電源車を兼ねているが、その予備車として24系から改造したカヤ27という乗客にとっては残念だが鉄ヲタには大喜びな形式も存在する。
2000年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。
余談だがこの年はローレル賞に同社のE231系も選定されたため、JR東日本は同一鉄道事業者で両賞同時受賞という史上初の快挙を成し遂げている。

☆ブルートレインを牽引した機関車達

ブルートレインは客車自体に電源装置を備えていたため牽引機は原則選ばなかったが、長編成を牽引する故比較的大型の機関車が主に使用され、ブルートレインの興隆とは対照的に運用を減らしていった蒸気機関車も先頭に立つことがあった。

本項では定期列車で使用された機関車について解説する。

☆EF58形
戦後に製造された本線用大型電気機関車。機構面ではいわゆる旧型電機に属するものの、安定した運用実績と高速性能から20系「あさかぜ」の運行開始時に指定機に選ばれた。
後継機の導入や運用列車の電車化などで1968年10月を以て一度はブルートレイン牽引の任を終えるも、1972年に関西発着のブルートレインを牽引する運用が復活した。
分割民営化後もイベント用としてJRの本州3社に引き継がれたので旧型電機の中では非常に知名度が高く、JR化後も臨時ブルートレインの牽引実績がある。

☆EF60形 500番台
EF58の後継機として開発。貨物用の0番台をベースに、20系を牽引するのに必要な装備を加えたもの。
0番台との区別のために専用塗装で登場し、この塗り分けはEF65形にも引き継がれた。
しかしEF60は貨物列車の牽引を前提として設計されたため高速性能が不足しており、それを無理やりEF58時代と同等のダイヤで走らせたので故障・遅延を相次がせた。

☆EF65形 500番台
EF60で問題になった高速性能の不足を解消し、将来のスピードアップにも対応させた設計の機関車。EF65は基本型の0番台が高い高速性能を持っており、小改良だけでも十分に対応することが出来た。

☆EF65形 1000番台
500番台の改良型で、旅客・貨物双方の牽引に対応するPF形。外観上の大きな違いは正面に貫通扉を持つスタイルになったこと。
EF66の投入で東海道本線のブルートレイン牽引からは原則撤退したが、JR発足後にEF66の代走などで先頭に立つことがあった。
JR貨物・東日本・西日本で今なお現役であり、貨物列車や業務用の輸送列車を担当している。

☆EF66形 0番台
もともと高速貨物列車の牽引用に製造された機関車だが、1985年3月のダイヤ改正で「はやぶさ」にロビーカーが増結されるとEF65では牽引力が不足すると判断され、貨物列車の削減で余裕が出た本形式がブルートレイン牽引機となった。
貨物時代からどこか欧州の機関車に似たスタイリングや、大出力と高速巡航を両立できる高い性能で人気を博しており、1970年代には鉄道趣味雑誌にEF66をブルートレイン牽引機とした合成写真が掲載された程。
JR発足後はJR西日本所属機が牽引していたが、運用の都合でJR貨物所属機が牽引することもあった。下記の「富士・はやぶさ」の運行終了に伴い西日本所属機はすべて引退。貨物に残っていた車両も、2022年をもって最後の一両が定期運用から離脱している。
1969年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。通常特急形車両が受賞する傾向が強いブルーリボン賞で、機関車が選定された例はこれが唯一。

☆EF64形
中央本線などの山岳路線向けに開発された電気機関車。基本型の0番台と改良型の1000番台があり、双方ともブルートレインの牽引実績を持つ。主に山岳路線の上越線で運用されていた。
JR東日本に引き継がれた0番台の37号機、1000番台の1001号機は茶色に塗り替えられ、これがブルトレ運用に入ると大きく注目された。

☆EF30形
関門トンネルの交流電化切替に伴い、通過列車の牽引用に開発された世界初の量産形交直流電気機関車。
車体は防錆対策でステンレスを採用し無塗装となっているのが特徴。
交流電化で運行する区間は門司駅構内のため出力は極端に抑えられ、交流区間の最高速度は30km/hだった。
1984年から廃車が始まり、1987年3月までに全車引退。

☆EF81形
直流と交流50/60Hz全ての電源をスルー運転可能な3電源対応の電気機関車。
当初は貨物列車中心に運用されたが、国鉄末期から複数の電化方式が混在する常磐線・東北本線・日本海縦貫線・関門海峡を走るブルートレインの先頭に立つようになる。
特に民営化後に設定された本州~北海道間のブルートレインでは専用の塗装をまとって活躍した。

☆EF510形 500番台
北斗星・カシオペアを牽引するEF81形の老朽化に対処するべく、JR貨物が開発したEF510形0番台に旅客列車牽引に対応する装備を追加し、JR東日本に導入された。
青色の北斗星色と銀色のカシオペア色の2種類が用意され、平成の世にPF形が復活と話題になった。
なお北斗星・カシオペアの定期運行廃止後はJR貨物へと売却され、塗装は車体側面の流れ星を消した以外そのままで貨物列車に使用されている。
貨物用に開発された0番台も、団体臨時列車で24系をけん引した実績がある。

☆ED75形
交流電気機関車と言えば真っ先に名の上がる車両。
0番台・700番台・1000番台が存在し、東北方面のブルートレインはと言えばこの形式・・だが、実は60Hzに対応した300番台という九州向けの少数派が存在し、こちらもブルートレインの先頭に立っていた。

☆ED79形 0番台
青函トンネルに対応できる機関車として開発された、国鉄最後の新形式機関車。
余剰かつ経年の若かったED75形700番台から改造され、ATCやサイリスタ位相制御など青函トンネルに対応した専用機器類を設置した。運用の都合でイベント列車用にドラえもん塗装となったものやJR貨物所属の50番台(こちらは新造車)が牽引することもあった。
末期には国鉄型の電気機関車では唯一、パンタグラフがシングルアームに交換されていた。

☆ED76形
ED75の交流60Hz版ともいえる交流電気機関車で、九州島内でブルートレインの先頭に立った。
こちらにも北海道向けの50Hz対応車である500番台が存在し、道内のブルートレインで先頭に立ったほか、青函トンネル直通対応改造をした550番台も登場した。
ちなみに500・550番台は前面に貫通扉が付いており、九州向けの同型機とは見た目が大きく異なる。

☆DD51形
本線用大型ディーゼル機関車。箱型ではなく凸型車体を持つのが大きな特徴。
北海道・東北・山陰・九州の4エリアのブルートレインで先頭に立った他、下記のDF50を置き換えた紀勢本線での運用もあった。
JR北海道所属機は青色に星の模様を入れた専用塗装に所属機全てが塗り替えられ、函館-札幌間のブルートレイン牽引の任を担った。

☆DD54形
1966年に登場したディーゼル機関車。流線型が少し入った箱型の車体が特徴。
DD51とDE10の中間を担う形式として福知山線・山陰本線に導入された。
機器類で西ドイツメーカーとのライセンス契約を結んで開発された…のだが、運用開始当初からトラブルが頻発し登場から15年持たずに全車廃車となってしまった。
問題こそ多かったが整備さえできていれば好調だったという現場の意見もあるが、その整備にはライセンスの関係上、西ドイツに問い合わせをしなければならないという煩雑さや「沿線の鶏が卵を産まなくなった」という騒音問題も生じ、結果全廃に至った。
ブルートレインにはブレーキ増圧工事を実施した32~37号機が充当され、京都鉄道博物館に保存されている33号機も「出雲」の先頭に立った。
EF66や新幹線向け911形にも似た箱型車体は客車を引くと絵になる存在であり、TOMIXで古くから製品化されているのでそれで知った人も多いだろう。

☆DF50形
DD51よりも先に登場した本線用ディーゼル機関車。DF200登場までは唯一の量産型電気式ディーゼル機関車で、本格的な客貨両用ディーゼル機関車である。
当時の技術の未成熟さからアンダーパワー気味で比較的早くに姿を消してしまったが、紀勢本線・日豊本線でブルートレインの先頭に立った。

☆DE10形
1966年登場の貨物・旅客・入換用オールラウンダーディーゼル機関車。運転台が片側に寄ったセミセンターキャブ型。
高速運転を行う特急運用には適さないためブルートレインに起用されることは本来無かったのだが、『あけぼの』が山形新幹線奥羽本線改軌工事のため福島〜新庄間が陸羽東線経由になった際に起用され、7年程牽引していた。
その他臨時列車での充当や、土砂崩れで山陽本線が不通となり非電化の岩徳線経由で運行されることになった際にEF66ごと牽引したこともある。
国鉄の車両では唯一、JR7社に承継された形式でもある。

☆C62形
日本最大級の旅客用蒸気機関車で、アニヲタ的には『銀河鉄道999』の牽引機関車としてもおなじみ。
『あさかぜ』『ゆうづる』において電化までの数年間牽引を担当した。
『ゆうづる』は蒸気機関車が定期的に牽引した最後のブルートレインであり、前面にヘッドマークを装着し、大きなインパクトを残した。ただし、実際には主要幹線での特急牽引には既に難があったようで、夕張産の最高級石炭をわざわざ指定して使用していたというエピソードもある。

☆C59・C60・C61形
九州では、ブルートレインの設定が比較的早くからあったにも関わらず電化は遅れており、当初は門司駅から各終着駅まで蒸気機関車で通して運転されていた。この内長崎本線は規格の関係上C60・C61が運用されていた。
C59の1号機は、ナンバープレートがブルートレインの車体色を彷彿とさせる青色に塗られており、九州鉄道記念館で静態保存されている現在もそのまま残されている。

☆JRになってからも走り続けたブルートレイン



☆ブルートレインの終焉

だが、ブルートレイン含む夜行列車は現在はほぼ全滅してしまった。
大きな理由は新幹線網や航空路線の拡充に負けてしまったから*20
今まで夜行列車でないと目的地での滞在時間が確保できなかった地域でも、新幹線や飛行機の早朝便の利用で滞在時間がたっぷり取れるようになった。
地方にビジネスホテルが増えたのも敗因の一つ。

更に設備がどんどん古くなっていくのに寝台料金は据え置きで高かった。
具体的にいえばB寝台一泊で6,000円(税抜き)である。
仕切りはカーテンのみ、プライバシーとセキュリティの保証がない、各種アメニティやインターネットも無しで2段ベッドにその価格で一泊したいだろうか?
これに運賃と特急料金が別途加算される。
「何万も払ってこんなオンボロに乗せられるのかよ!」
となってしまうと、お客は離れていくばかり。
JR側も手をこまぬいていたわけではなく、一部車両では個室への改造車も存在したのだが、編成全体での連結比率は低く、全車個室が実現したのは新造車の「カシオペア」「サンライズ」のみ。
21世紀初頭まで2段ベッドの車両が主流だったのはさすがに時代錯誤も甚だしかった。
廃止報道が出る直前の乗車率が2割程度というのも珍しくなかった(そして廃止報道が出ると一気にプラチナチケットと化すのがお約束)。

2015年3月、上野と札幌を結んでいた北斗星が定期運転を終了、翌年に札幌と青森を結んでいた急行はまなすが廃止され、日本からブルートレインの灯火が消えた。
最後まで残ったはまなすは
☆7両中寝台車は2両
☆残り5両は座席車。
と往年のブルートレインからすれば寂しい編成ではあったものの、走っているだけありがたかったし乗車率も悪くなかったからこそ継続できたが、北海道新幹線の開通で従来の機関車が使えなくなるのだけはどうしようもなかった。また、大抵の車両が落成から40年ほど経過しており老朽化も深刻になっていた。

今や定期運行の夜行列車も東京-高松・出雲市を結ぶ『サンライズ瀬戸・出雲』を残すのみとなった。




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最終更新:2025年05月08日 19:44

*1 もともと関西発着列車は東京より発車時刻が遅いほか、深夜帯になると東京発着列車が大阪を通過するため。

*2 国鉄は公共企業体であるため、商標権を保有することができなかったという事情もある。

*3 なお、現在はブルートレインのヘッドマークについてはJR各社が商標権を保有しており、ブルートレインという名称もJR東日本が商標を獲得している。

*4 トワイライトエクスプレスの所要時間はなんと20時間以上!乗客からしたら、昼食営業もやってくれないと困るのである。

*5 ローレル賞の制定は1961年から。

*6 1976年11月6日未明に北陸トンネル通過中の急行「きたぐに」で発生した火災事故。死者30名・負傷者714名を出す大惨事となった。原因は食堂車の電気暖房装置のショートだったが、設備面での不備も被害拡大の原因となった。

*7 こちらは企画展での展示が主で、常設ではないので見に行く際は注意。

*8 当初は選定対象が通勤・近郊型電車のみだったが、特急の通勤輸送が一般化してきたこともあり、1975年からブルーリボン賞に選ばれなかった車両から選定されることになった。ちなみに前年のローレル賞は特急形車両の西鉄2000形(料金不要)が受賞している。

*9 導入当時はボックスでもさほど問題なかったが、1970年代以降昼行特急にリクライニングシート車が徐々に導入されるようになり、設備の差が問題視されるようになった。

*10 715系への改造車を塗装のみ復元。

*11 トンネル内を走行するには海峡線専用のATCを搭載する必要があり、臨時列車ではキハ183系のジョイフルトレインがED79にけん引されて本州で運用された例がある。

*12 上述した経由ルートの違いのため、下り列車はぎりぎり24時間未満で札幌に到着していた。

*13 その場合山陰へむかう『出雲』などは除外され、関西⇔九州を運行する列車が含まれる。

*14 車体塗装が青く夜行列車で主に使用されるほか、車内のフリースペースに「彗星」「明星」とかつてのブルトレの列車名が付けられるなど完全に無関係というわけではない。

*15 ドラマは初版刊行半年後に放送されたが、これは2時間ドラマとしては驚異的な早さを誇る。

*16 客車最末期の1982年~1985年の間は14系座席車を使用していた。

*17 熱田発着の列車は12系改造のジョイフルトレイン「ユーロライナー」が使用されていた。

*18 軽自動車は開始当初から積載不可能だった。

*19 こちらは関西弁で「元取れん」と語感が似ていることもあり、後に「モトとレール」に改称。

*20 関西地区ではこれに加え、安く快適性の高いフェリーに利用客が流れたことも理由。