はてしない物語

登録日:2021/09/15 Wed 00:01:11
更新日:2025/02/04 Tue 22:12:29
所要時間:約 56 分で読めます






TU

WAS DU

WILLST



(汝の欲することをなせ)



はてしない物語』はミヒャエル・エンデが1979年にドイツで発刊した児童文学。
この作者の作品では多分『モモ』に並んで知名度が高い。

原題は「Die unendliche Geschichte」。英語にすると「The Neverending Story」。

現実世界と、『ファンタージエン』という物語の中の異世界を舞台にしたファンタジー。

主人公はピザで弱虫でいじめられっ子というまるでいいところがないバスチアンという少年。
彼が『はてしない物語』というファンタージエンを舞台とした一冊の本を手に入れるところから話は始まる。
物語は二部構成。
第一部ではアトレーユという少年がファンタージエンの危機に立ち向かう物語(を読むバスチアンの物語)が描かれる。
第二部ではバスチアンがファンタージエンに転移。そこで世界改変というチートな能力を手に入れついでにイケメン化して冒険を繰り広げる。
何でも自分の思い通りになる世界で好き勝手していたバスチアン。その中で彼は様々な体験をして『真の意思』に気が付いていくことになる。

……調子乗ったバスチアンは最初こそウザいが、見ているうちに必死過ぎて痛々しくなってくる。

途中で様々なサイドストーリーが描かれるが、「これは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう」という言葉でぶったぎられ本筋に戻る。


後述するが本の装丁がやたら凝っていることでも有名。印刷屋泣かせとも言う。
そのため出来ればハードカバー版で読んでいくことをおすすめする(一応上下巻で文庫版もある。電子書籍版?知らんな)。


1984年に初めて実写映画化された(続編及び関連作品含めて後述)。


【あらすじ】


◇一部



落ちこぼれな主人公・バスチアンはある日古本屋で『はてしない物語』という小説を見つける。その本が何故か欲しくなってしまった彼は、店主に無断で盗み出してしまう。
学校の屋根裏に隠れ『はてしない物語』を読むバスチアン。それは『ファンタージエン』という世界の危機を描いた物語だった。

ファンタージエンではふたつの危機が起こっていた。ひとつはこの国に「虚無」と呼ばれるものがはびこりだしたこと。もうひとつはファンタージエンを統べる女王『幼ごころの君』が重い病気で臥せっているということ。
幼ごころの君はこの二つの危機を救うための使者として、緑の肌族の少年・アトレーユを任命する。アトレーユ自身もこの使命を受け入れ、彼の旅が始まることとなった。

最初はただの物語だと思われた『はてしない物語』。だがこれを読むバスチアンの周りでも不可解な現象が起こるようになっていく。


◇第二部


ファンタージエンの真の救い主とは他でもないバスチアンのことであった。
ファンタージエンに転移した彼は、幼ごころの君に新しい名を授けるという方法で世界の危機を救う。

幼ごころの君はバスチアンに新たな使命を与えた。それは彼が様々な望みを得ること。彼が様々な望みを持ち、それを幼ごころの君が叶えることでファンタージエンは作り直され、より豊かな形になっていくと。
幼ごころの君は願いをかなえるアイテムである『アウリン』を渡すとどこかに消えていった。
こうして『ファンタージエンを自由に作り変える』というとんでもない能力を得たバスチアン。
彼はアウリンの力でファンタージエンのたくさんの民から名声を得て、またアトレーユとも親友になった。
だがその反面、何でも望みが叶えられるという力にバスチアンは少しずつ増長していく……。


【用語】


◆はてしない物語
本作の中核となる一冊の本。コレアンダー氏の古本屋に置かれていた。
表紙はあかがね色の絹で装丁され、互いに相手の尾を咬んで楕円になった明暗二匹の蛇の文様があしらわれている。
中にはファンタージエンを舞台とした物語が描かれている。
一見ただの本のようだが、徐々に奇妙な現象を巻き起こしていく。


◆ファンタージエン
「はてしない物語」の舞台となる世界。王道ファンタジーと言うべき異世界になっている。
文化は大体中世程度。果てがないほど広い世界であり、人間や動物の姿をしたものまでさまざまな民族が暮らしている。ドラゴン、人狼、スフィンクスと人間が空想するようなモンスターなら大体いる。なお割と戦争は起こっておりそこまで治安はよくない様子。
中心にはこの世界の心臓と言えるエルフィンバイン塔がある。その中で女王・幼ごころの君が暮らしている。


◆アウリン
幼ごころの君の名代となるメダル。ひもが付いているため首からさげることができる。
一部はアトレーユが、第二部ではバスチアンが所有する。
「おまもり」や「おひかり」とも呼ばれる。彼女の代わりであり大きな力を持っているらしい。
表面には明と暗の二匹の蛇がお互いに尾を噛みあうウロボロスが彫られている。このマークは「はてしない物語」の表紙と同じもの。
裏には「TU WAS DU WILLST(汝の欲することをなせ)」と記されている(現実世界の言葉で書かれていたためアトレーユは気が付かなかったが)。
それを体現するように、現実世界の人間がアウリンを使った場合「ファンタージエンの改変」をすることができる。
だがこの力には大きな代償があり……。


◆虚無
ファンタージエンのあちこちで起こっている怪異。この世界では各地が唐突に何もなくなってしまうという現象が起き、それが「虚無」と呼ばれた。「虚無」のはびこる場所に目を向けると何も見えなくなってしまうため、本当に「何もない」としか表現しようがない。
またこの空間に入ったものはどこかに消えてしまう。体の一部分だけを入れるとそこだけがきれいに消える。不思議と痛みはないらしい。
虚無は徐々に広がっており、このままではファンタージエンが消えてしまうことも考えられる。



◆シカンダ
第二部序盤でバスチアンがグラオーグラマーンからもらった剣。ファンタージエンで最も強力な魔法の剣であるらしい。本当に必要な時に鞘から自動で抜き出て卓越した剣技を繰り出せるようになる。
逆に所有者自身の意思で抜けば大いなる災いがもたらされるという。


◆真の意思
人間が自分にとって本当に心から成し遂げたい願いのこと。アウリンの裏に記された「汝の欲することをなせ」とはこれのことを指す。
ファンタージエンを真の意味で豊かにするためには「真の意思」が必要不可欠。


【登場人物】


◇メインキャラクター


◆バスチアン・バルタザール・ブックス
本作の主人公である小学生。イニシャルを並べると「BBB」になる。
彼が古本屋で「はてしない物語」という本を手に入れたのがすべての始まりとなった。
まるでいいところのない弱虫少年。外見は作中で言われていることを要約すると『デブでX脚で腐ったチーズのような色白』。この作者、なかなか容赦がない。成績も悪く去年は一度落第してしまったらしい。運動能力もてんでだめでスポーツはほぼすべて苦手。そんなことからクラスメイトからはいじめられている。教師陣にも出来の悪さから呆れられがち。性格もあまりよくない。弱虫なのもあるが、ヘタレな面が強くさらに卑屈でぐちっぽい。
そんな彼の唯一得意なことが空想。物語を作ったり読んだりすることが大好き。ただ不意に独り言を話すため周囲には白い目で見られることも少なくなかったとか。

元々出来は悪かったが、ここまで酷くなったことには数年前の母の病死が関係している。
彼女が死んで以来、父とバスチアンの間が全く変わってしまった。父は目に見えて落ち込み、バスチアンに殆ど構わなくなってしまう。父はバスチアンが望むものを何でも買ってくれたが息子のことを気にしなくなった。彼が落第した時ですら何も言わなかった。そうしているうちにバスチアンはどんどん腐っていった。
そんなことから無意識に「愛されたい」という想いをかかえている。

第二部ではファンタージエンに転移。幼ごころの君から授かったアウリンの力で自分含めたファンタージエンを改変する能力を得た。マジでなんでも改変可能。この力でバスチアンはまず自分を東洋の王子風の美少年にした。
さらに世界を改変させることも出来てしまう。彼が「○○というものが存在する」と言った場合、言葉にする遥か過去から本当に存在していたというように世界が改変される。バスチアンは得意の物語づくりという形でファンタージエンを変えていった。この力で何度も奇跡を起こし、ファンタージエンの住民に崇めれることになる。
  • 「孫子の代まで、語り草になる、これは!」
  • 「あなたの天才的なお力で、われわれを助けてはくださらんか?」
  • 「ただ今はさとりのひらめきをいただき、なんとお礼を申せばよいか、そのことばもない」
ただこの絶大な力が自由に使えるはずなく、「現実世界の記憶」という大きな対価がある。力を使うたびにそれに対応した記憶が消えていく。例えばバスチアンが美貌を得た時、現実世界の自分の容姿を忘れてしまった。ついでに記憶は徐々に消えていくため代償を支払っていることに気が付いていないという極悪仕様。
こうして何かを得るたびに何かを忘れていき、徐々に「バスチアンではない誰か」になっていく……。
アイゥオーラおばさん曰く「誰かになろうとはするが自分が変わろうとしなかった」。


◆アトレーユ
第一部の主人公である『緑の肌族』の少年。幼ごころの君の使命を受け、ファンタージエンを救う旅をすることになった。
緑の肌族はファンタージエンに住む狩りを主にする民族のこと。アトレーユも使命を受ける直前に、狩人となる初の狩りに向かう予定だった。まあ使命のせいで中断させられたが。
なおアトレーユ自身何故自分がファンタージエンを救う使者に選ばれたのか全く分かっていない。
両親は彼を生んだ直後に野牛に殺されている。つまりはみなしご。だがその分部族のみんなが彼に愛情を注ぎ続けていた。『アトレーユ』とはファンタージエン語で「みなの息子」。『親を亡くしている』という設定にバスチアンは共感を覚え、すぐに彼のことが大好きになった。
性格はまさに『物語の主人公』といった感じの出来過ぎた男。勇気があり知能と身体能力にも優れている。そのスペックを活かして第一部ではファンタージエンを救うために全力で戦った。そんな自分とは真逆のカッコよさにバスチアンはさらに惹かれていく。

第二部にはもうひとりの主人公ポジで登場。ちょっと成長した姿になっており、「救い主(つまりバスチアン)を探す旅団のリーダーを務めている。
バスチアンとすぐに打ち解け、彼が元の世界に帰還するための旅に同行することになった。
頭の良さから『アウリンには記憶を奪うという代償がある』と物語の中で初めて気が付いた。そのことからバスチアンの身を本気で案じ、出来る限りアウリンの力を使わないように助言する。だが現実世界と違い何でも思い通りになるこの世界を気に入っていたバスチアンにとってその言葉は煩わしいもの。そのため彼らの友情に徐々に亀裂が生じていくことになる
余談だが、調べた限り映像作品で本当に肌が緑色だったことはない。


◆フッフール
アトレーユの相棒である『幸いの竜』。人語を喋ることができる(ファンタージエンの動物大体そうだけど)。
幸いの竜とはファンタージエンの中で最も珍しい動物のこと。純白の美しいボディを持ち、一度聴いたら忘れられないという素晴らしい歌を奏でることができる。『翼の無い蛇のようなドラゴン』という説明と作者の日本好きを考えると、おそらくモチーフは東洋の龍。
元々毒を持つ怪物・イグラムールに捕まっていた時にアトレーユと出会った。その後アトレーユの機転で救われたことで恩を感じ、彼の旅に同行することになる。幸いの竜は飛行速度が高いため重宝されることになる。アトレーユのことは「若殿」と呼んでいる。
アトレーユのことは本気で気に入っているらしく彼のためなら命を懸けることもいとわない。基本的に彼以外を背中に乗せることを好んでいない。
「幸運です!」が口癖である意味落ち込むことは少ないドラゴン。


◆幼ごころの君
ファンタージエンを統べる女王。普段はファンタージエンの中心であるエルフェンバイン塔に住んでいる。
彼女が病気で臥せったことが「はてしない物語」の始まりとなった。
変な名前だが原文だと「die kindliche kaiserin」になる。直訳すると「子供っぽい女帝」。
ファンタージエンを統べる概念的な存在であるとこの世界の者たちには認識されている。この国のあらゆる命の源になる存在であるらしい。本文中では「幼ごころの君は、ただ存在するだけだった。けれども、それが特別のことだった」と記されている。
この世界の住人はそのことが理屈ではなく、本当のこととして何となく理解している。そのためみんなが彼女を崇め敬っていた。
もし幼ごころの君が死ねば、ファンタージエンそのものが滅亡するらしい
滅多に姿を見せないが、本人はバスチアンと同じくらいの年の幼い少女。
常に落ち着き全く声を荒げることはない。彼女の言葉は抽象的であるため理解しにくいことが多い。どちらかといえば「ファンタージエンという概念が擬人化した存在」というようにも見える。


◆サイーデ
第二部中盤以降から登場する魔女。甲冑に身を固めた巨人を召喚し操る力を持つ。
若く美しい姿をしている。また両目がオッドアイであり赤と緑の瞳。
増長したバスチアンの「アトレーユたちに畏れられる存在になりたい」という願いによって誕生した。つまりバスチアンにカッコよく倒されるためのかませ犬……そのはずだったが。
作中ではバスチアンの願いで生み出され、彼らの一行に襲い掛かる。だがバスチアンと対峙すると突如として降伏し、彼の下僕になると言い出した。チヤホヤされ気をよくしたバスチアンもこれを受け入れ、パーティーに加わる。
彼女の真の狙いはアウリンを持つバスチアンを陰から操ること。アウリンの仕様上、バスチアンの願いで誕生したイコール100%バスチアンの支配下にあるではないということ。
こうして徐々にバスチアンの心の闇を増大させていく。一度はバスチアンとアトレーユを完全に決別させた。
ラストはあっさり死んだ。


◆バスチアンの父
名前通り。歯科技工士をやっている。
元々息子とは非常に仲の良い家族関係だったが、上述の通り妻の死で変わってしまった。
妻の死に苦しみ、バスチアンと同じ悩みを抱えている。自分の苦しみの殻に閉じこもってしまっており、息子を傷つけていることに気が付けていない。
バスチアンは父に愛されていたことすら忘れている。二部でアトレーユに「帰らないと家族が心配するんじゃないか」と言われたときには、「むしろいなくなって喜んでいるかも」と返してしまっていた。


◆カール・コンラート・コレアンダー
バスチアンが「はてしない物語」を盗み出した古本屋の店主。イニシャルは「KKK」。
太ってずんぐりとした、いかにも機嫌の悪そうな男。
見た目通り偏屈な性格であり、特に子供は「本を汚すから」と嫌っている。


◇サブキャラクター


めっちゃ多いので重要な方々だけ抜粋。


◆ブルッブ
◆ユックユック
◆ヴシュヴーズル
◆ピョルンラハツァルク
冒頭に登場。鬼火・豆小人・夜魔・岩喰い男。国の異変を伝えるべく幼ごころの君の元に向かっていた。


◆カイロン
ケンタウロスの老人。幼ごころの君からアウリンを預かりアトレーユへと届ける。


◆アルタクス
アトレーユの初代相棒であるウマ。序盤でアトレーユをかばってフェードアウト。


◆太古の媼モーラ
ファンタージエンのどんな生き物よりも長生きしている亀。長生きゆえにどんなことでもしっているらしい。
孤独だったためか自分で自分に話しかけるような話し方をする。


◆群集者イグラムール
緑の肌族の間で伝わっている凶悪な虫。1時間で死ぬ強力な毒を持つが秘密がある。


◆南のお告げ所のウユララ
「静寂の声」とも呼ばれる声だけの存在。詩のように韻を踏んだ話し方をするので、こちらも詩のような話し方をしなければならない。


◆エンギウック
◆ウーグル
小人の夫婦。ウユララを研究しているエンギウックと口うるさいその妻のウーグル。


◆グモルク
人狼。世界を破滅に導く一団に仕えている。


◆さすらい山の古老
ファンタージエンすべての事象を「はてしない物語」に記録している老人。
幼ごころの君とは対になる関係。


◆色のある死グラオーグラマーン
色のある砂漠ゴアプの王であるライオン。夜になると石になって死に朝になると蘇る。肉体が常に灼熱で包まれており、彼が死んでいる間のみ砂漠は森になる。
二部序盤で登場し色々重要なことを教えてくれる。


◆イハ
二部中盤までバスチアンが乗ることになる牝ラバ。雑種であるゆえにある種の直感が働くらしい。
子どもが出来ないのが悩み。


◆ヒンレック
救い主捜索隊を決める競技大会に参加するため旅をしていた騎士。
実は救い主には特に興味はないが、想いを寄せるオグラマール姫が求める、最も偉大な勇士としての証を立てるため、数多の勇士、力自慢の中から最も優れた者たちを選ぶ競技会への参加を決めた。大口を叩くだけの実力をもってはいるのだが横暴というかませっぽい男。バスチアンに見事なまでにかませにされる。
その結果、姫に振られてしまい生きがいを失ってしまうが、哀れに思ったバスチアンに「オメー少しは手加減しろよ」ばりの無理ゲーな強敵を用意されることになるちょっとかわいそうな人。


◆ヒクリオン
◆ヒスバルト
◆ヒドルン
救い主捜索隊に志願した三人の騎士。それぞれ強力、迅速、粘りの二つ名を持ち、それに関しては何者にも負けないと豪語している。救い主本人であるバスチアンに心酔している。良くも悪くもイエスマンでバスチアンを信じて疑わない。


◆アッハライ
バスチアンの力によって生み出された銀細工工の虫たち。ファンタージエンで最も醜い姿と言われている。本人たちはそのことを何より恥じている。
創造主として責任を感じたバスチアンは助けようとするが……。


◆予感の母ウシュトゥー、観照の父シルクリー、怜悧の息子イージプー
星僧院の院長、沈思黙考師の三人。体つきは人間であるが、それぞれフクロウ、鷲、狐の頭を持っている。
ファンタージエンの真理を知るためバスチアンの元に訪れる。


◆アーガックス
「元帝王たちの都」の管理人である猿。


◆イスカールナリ
バスチアンが「ひとりでいたくない」という願いから生み出した民族。「いっしょ人」という意味を持つ。
集団で初めて「イスカールナリ」となる。故に彼らにとって個々の独自性に意味はない。仮に1人死んだとしても集団でひとつであるため代替可能。


◆アイゥオーラおばさん
「変わる家」に住む植物の身体を持ったおばさん。全てを失ったバスチアンに対し、母のような暖かい愛を与えてくれる。
バスチアンにとって最後の救済措置であり、最初のターニングポイント。


◆ヨル
絵の採掘抗で仕事をしている盲目の炭鉱夫。いっけん寡黙なおじさんだが意外とツンデレ。


【ストーリー】


◇第一部



ある日クラスメイト達にいじめられ追いかけられていたバスチアンは、コレアンダーという男が店主の古本屋に逃げ込んだ。
そこで彼は「はてしない物語」という変わった本を見つける。何故かそれが無性に欲しくなりコレアンダーが見ていない隙を狙って盗んでしまうのだった。

どうしてもそれが読みたいバスチアンは、誰も来ない学校の物置部屋でそれを読み始める。
それは『ファンタージエン』という異世界を舞台にした物語だった。


ファンタージエンでは、様々な地域で虚無が広がること、女王たる幼ごころの君が病に倒れたことなど変事が続いていた。
幼ごころの君は、アトレーユという少年にアウリンを渡し、世界を救う旅に出るように命じる。アトレーユもこの申し出を了承し、彼の旅が始まった。


そうは言ってもこれは手掛かりひとつない旅。進歩は見えずアトレーユは徐々に焦り始める。
そんな中彼はとある夢を見た。それは使者になっていなければ狩りで戦うはずだった雄牛が語りかけてくる夢。
そいつは、「憂いの沼の甲羅山にいる太古の媼モーラを訪ねれば道は開ける」と告げると消えていった。

アルタクスを犠牲にしながらもモーラの元にたどり着いたアトレーユ。
ボケたような喋り方しかせず、知っているのに答えようとしないモーラを懸命に説き伏せていく。
ようやく答えたのは「幼ごころの君に新しい名前を付ければ危機は去る。だがファンタージエンの住民に新しい名前を付けることはできない」そして「誰が名付けられるかを知っているのは南のお告げ所のウユララのみ」ということだった。
ひとつ進んだが、同時に新たな謎が生まれることになった。


アトレーユはまた手掛かりのない旅に戻ってしまった。
そんな中毒の怪物イグラムールが幸いの竜フッフールを捕まえている光景を見つけてしまう。アトレーユは正義感からフッフールを助けようとする。
イグラムールとの問答の中で、アトレーユは彼の秘密を知る。それはイグラムールの毒にかかると、1時間で死に至る代わりに望んだ場所に瞬間移動できるということだった。
アトレーユはあえて毒にかかり、南のお告げ所に向かう。お告げ所までは距離が遠すぎたためにこうするしかなかった。


アトレーユが目を覚ますとエンギウックとウグールという老夫婦の家だった。そしてフッフールもいた。
眠っている間に彼らが解毒してくれたのだった。一回とは言え瞬間移動能力手に入るのに解毒可能とかイグラムールもそりゃ秘密にしたがるだろうな。

エンギウックは幸いにも南のお告げ所の研究者だった。
通らなければならないからと話を聞くも、帰ってきたのは「たどり着くまでには三つの門を越える試練がある」ということ。
ひとつ目は二体のスフィンクスに阻まれた大いなる謎の門。
ふたつ目は自分の真の姿が見せられ発狂してしまう魔法の鏡の門。
みっつ目はあらゆる意図を忘れなければ通れない鍵なしの門。

老夫婦に心配されながらもアトレーユは門に向かうことに。

ひとつ目とふたつ目の門は難なく通ることができた。
ただ、アトレーユは自身の真の姿を映す魔法の鏡の門を通る時、何故か太った少年が物置で本を読んでいる姿を見た。

そしてみっつ目の門を通ろうとしたとき、アトレーユは自分が何者かも含めすべてのことを忘れてしまった。「あらゆる意図を忘れる」とはそういうことだったのである。

そのおかげでみっつめの門も通ることができた。そうしてウユララと対面するアトレーユ。
全てを忘れているアトレーユであるが、奇跡的に会話が成立し、幼ごころの君に新しい名前を付けられる存在について聞く。
それはファンタージエンの外側にある「外国(とつぐに)」の住民にのみ名付けられるということであった。
そうして話が全て終わった時ウユララが消えると同時にアトレーユは全ての記憶を思い出した。

フッフールと合流し老夫婦に簡単な挨拶をすると外国に向かうことになった。
……だが、アトレーユもフッフールもファンタージエンの外側なんて聞いたことがなかった。

その悪い予感は当たってしまった。
旅の中でアトレーユたちはファンタージエンの東西南北を統べる4人の大風坊主と出会う。
しかし4人とも「ファンタージエンの果てなど見たことがない」と答えたのである。
つまりファンタージエンはどこまでも広がる国であるため、国境などないのである。そうなれば当然外国の住人を呼ぶことはできない。
絶望するアトレーユは大風坊主の嵐に巻き込まれフッフールとはぐれてしまった。


気が付けばアトレーユは虚無の広がる廃村にいた。そこで鎖に捕まったグモルグという人狼と出会う。
彼は虚無、そしてこの世界についての衝撃的な事実を知らされる。
それはこの世界が「外国」の想像力によってつくられた物語であるということであった*1
「虚無」は外国の住人の想像力がなくなり、この世界が破壊されたことによって生じた現象なのである
なにより虚無に飲み込まれたファンタージエンの住人は、外国に転移し「虚偽(いつわり)」となってしまう。虚偽は外国の住人に取り付き、彼らに憎しみや不安の気持ちを抱かせる。そのような気持ちを抱いたことでますます想像力はなくなりファンタージエンの虚無は広がる。そうすれば虚無に吸い込まれるものも増えるため虚偽も増える。
こうしてふたつの世界のバランスが崩れていくというのが一連の事件の真相であった。

なおグモルグはこの世界を崩壊させるための一派の刺客であった。そのため使者であるアトレーユをずっと追っていた。だがイグラムールで転移したため見失っていた。
彼が「自分がそのアトレーユだ」と言うとグモルグは何ともいえない表情で絶命した。


フッフールのおかげで虚無から逃げ出したアトレーユ。もはや時間はないと一度幼ごころの君の元へ戻ることにした。
この時点で世界の大半は虚無に飲み込まれていた。


幼ごころの君の前で「何もできなかった」とうなだれるアトレーユ。
だが彼女は穏やかなままであった。
幼ごころの君はアトレーユの冒険の経緯を、彼が冒険を始める前から知っていた。
何故そんな茶番に付き合わせたとアトレーユは憤る。
彼女は静かに、アトレーユには真の使命があったと告げた。

アトレーユの真の使命。
それはアトレーユがファンタージエンの危機を救う旅に出る『はてしない物語』という物語の主人公となることであった。
その物語によって、今この物語を読んでいる『救い主』にファンタージエンに興味を持たせ、『救い主』がこの世界に来る道を作ることであった。

グモルグの言葉は真実の半分しか明かしていなかった。
確かにファンタージエンの住民が外国に行けば虚偽になってしまう。
だが外国の住人がファンタージエンに来れば「救い主」となり、この世界を書き換え再生することができると。
冒険物語の主人公になることで救い手が来る道を作るのがアトレーユの真の使命だった。

なお明言されていないが、アトレーユが使者に選ばれたのはバスチアンと境遇が近く感情移入しやすいキャラだからという説がある。

こうして、外国の救い手がこの世界に来る道は開かれた。
しかし、誰も来なかった。


バスチアンはもうこれがただの物語ではないことに気が付いていた。救い主が自分ということも理解している。幼ごころの君の新しい名前も考えている。
だが臆病ゆえにその名前を口に出すことができなかった。
あとまあ、行ったら行ったで「救い主は求めていたけどピザデブは求めてねえよ……」みたいに幻滅されるのが怖かった。

流石にしびれを切らした幼ごころの君。アトレーユを休ませると、最終手段としてさすらい山の古老の元へ向かった。


さすらい山の古老はファンタージエン全ての出来事を「はてしない物語」という本に記している男である。
そこで幼ごころの君は『救い手』が巻き込まれたこの「はてしない物語」をはじめから記すことを命じた。
少しの問答があった後、古老はそれに応じた。

物語はとある少年が古本屋で「はてしない物語」を盗むところから始まった。
バスチアンは既に、「はてしない物語」の一部になっていたのである。
はてしない物語ははてしなくループし続けた。アトレーユの冒険に移り、そうして最後にまたさすらい山の古老が物語を書き始めて古本屋のシーンに戻り、そしてまた……。

怯えるバスチアン。しかしもう彼は物語の一部になっていた。本を閉じようとも物語が見えていた。

この繰り返しを終えるため、ついにバスチアンはファンタージエンに向かう決心をした。


月の子(モンデンキント)! 今ゆきます!


「月の子」という新しい名前を告げると同時に、バスチアンは消えてしまった。
あとは「はてしない物語」だけが残された。


◇第二部


気が付くとバスチアンは何もない空間に、幼ごころの君と共にいた。

ファンタージエンは滅びてしまったのか?困惑するバスチアンに対し、幼ごころの君はバスチアンの望みから新たなファンタージエンが生まれるのだと言う。バスチアンの望みを私が叶える。そうしてバスチアンが望む度に、その願いによってファンタージエンは再生していくと。
そして幼ごころの君は、突然のことに戸惑いなにも思い浮かばないというバスチアンに小さな粒を手渡した。
これはただの砂粒?いいや、植物の種だ!

きっかけを与えられたバスチアンの空想の翼は大きくはためき、一粒の種から無数の植物が生まれ、瞬く間にそこは色も形も一つとして同じもののない木々が密集する夜の密森へと姿を変えた。

その森に夜の森ペレリンという名前を付けたバスチアンは、なぜ自分の呼びかけに気づいていながらなかなか答えてくれなかったのか尋ねられ、冴えない自分の容姿が恥ずかしかったのだと答える。しかし幼ごころの君の目に映る自分の姿を見てバスチアンは驚いた。そこには自分が思い描く、強く美しい少年の姿になった自分が映っていたのだから。
しかし驚きから我に返ると、幼ごころの君はどこかに消えてしまっていた。

バスチアンは幼ごころの君の名前を呼ぶが返事はない。途方に暮れるバスチアンだったが、いつの間にか自分の首に何かがかかっていることに気づき、それが何かを知って驚愕した。それはアウリンだったのだ!
ふとアウリンの裏側を見ると「汝の欲することをなせ」を彫られていた。
アトレーユがこの文字に気が付いていないことを少し疑問に思うバスチアン。だがすぐにその考えも消え、この言葉を「自分は心ゆくまで何をしてもいい」と解釈するのであった。

一人になりあてもなく夜の森ペレリンを探索するバスチアンはやがてどこまで続くかもわからない森の景色に飽きてきた。同時に自分を鍛えたい、自分の力を確かめたいという望みを抱いた彼は、ファンタージエン一の砂漠をさすらってみたいと願った。すると訪れた夜明けとともにペレリンの森は瞬く間に枯れ果てて塵のようになり、無数の色の砂でできた果ての見えない大砂漠へと変わった。これを色の砂漠ゴアプと名付けたバスチアンは、喜び勇んで砂漠の冒険へと乗り出した。思うまま砂漠を歩き回り、自分がここに来たという証としてイニシャルを砂漠に書き残す。
そうして満足したバスチアンだったがそうするとすぐに次の欲望が現れてきた。厳しい環境に耐え抜くというのも悪くはないけど、もっと勇気が試されるようなことがしたい。何かとても素晴らしくて美しく、そしてファンタージエンで一番危険な生きものがいればいい。そうしたら僕はそれに立ち向かってやる。
すると地平線上に何かが現れた。こちらに向かってくるそれはまるで炎の悪魔のようで、バスチアンも一瞬恐怖に捉われるが、すぐに勇気を奮い立たせてやってきたそれに向かい合う。それは炎のような色をした美しくたくましく恐ろしい一頭のライオンだった。色の砂漠の主、グラオーグラマーンと名乗ったライオンとバスチアンは視線を交え見えない力比べを繰り広げる。そしてそれに勝ったのはバスチアンだった。グラオーグラマーンはバスチアンに頭を垂れ彼の召使いとして忠誠を誓った。
バスチアンは彼の元に滞在することになる。グラオーグラマーンの炎は全てのものを燃やし尽くすため、この砂漠には彼以外誰もいなかった(バスチアンはアウリンの力で守られていた)。

バスチアンはグラマーグラオーンの元から動く気になれなかった。新しい願いが無かったのだ。
バスチアンには言っている意味がよく分からなかった。だが考えなければいけないことではあると思った。……この時点では。


そんな中彼から「汝の欲することをなせ」という言葉について詳しく聞く。
それは、バスチアン自身が真に欲することを見つける「真の意思」を持つことであると。それは自分のいくつもの望みをひとつひとつ辿っていけば見つかると。だが同時に誠実さや細心の注意が無ければ道を間違えてしまうだろうと。
バスチアンには言っている意味がよく分からなかった。だが考えなければいけないことではあると思った。……この時点では。

あとこのシーンの前後でシカンダをゲットしている。だが絶対に鞘から抜いてはいけないと忠告を受けた。

そんなことを考えているうちにバスチアンはようやく次の望みが見つかった。
それは多くの人間に会いたいということ。ここではグラオーグラマーンしかいなかった。
バスチアンはここに来て初めて力を得た。それをみんなに見てもらいたかった。要するに承認欲求が膨れ上がったのだ。
その願いを持つことで初めてゴアプに出口が生まれたバスチアンは世話をしてくれたグラオーグラマーンに感謝を述べると別の場所に向かっていった。


バスチアンがたどり着いたのはアマルガントという都市だった。ここではかつてファンタージエンを救った「救い主」を探すための捜索隊を募集していた。そのために競技大会が行われるらしい。なお捜索隊のリーダーを務めているのはちょっと成長したアトレーユである。

どうせ自分の力をみんなに見せつけたいと考えていたバスチアンもその大会に参加する。
現状競技大会でトップとなっているのはヒンレックと言う男だった。力はあるがそれを鼻にかけている金髪の若者というかませっぽい奴である。
こいつならちょうどいいとバスチアンも勝負を挑む。
弓術、フェンシング、力比べ…どの勝負もバスチアンの圧勝であった。最後には怒り狂ったヒンレックが直接殴りかかってくるもそれもあっさりいなしてしまった。
そしてこの光景を見た観客全員がバスチアンを称賛するのであった。

そこでアトレーユが現れた。彼は目の前にいる少年こそが「救い主」であると気が付いたのだ。
こうしてふたりは初めて直接対面をし、名乗りあうのだった。彼らはすぐに打ち解け友達になった。

それから少ししてアマルガントの詩人祭に参加することになった。
この世界にある物語や詩を語り合うお祭りである。バスチアンが得意の空想を駆使してオリジナルの物語を語ろうとすると住民たちに驚かれた。ファンタージエンのものは新しい物語を作ることができないのである*2。ゆえに詩人祭では既存の物語を語りあうだけであった。
現実では馬鹿にされてきた空想がここでチヤホヤされいい気になるバスチアン。

そうして彼は新しい物語として、行き当たりばったりで考えながらアマルガントの由来の物語を作った。
それはアッハライという銀細工工である醜い虫がアマルガントをつくったというもの。
この物語はアウリンの力によって実際の出来事ということになった。
バスチアンの途方もない力にアトレーユも驚くしかなかった。


アトレーユ含めた捜索隊は相談した結果、バスチアンが元の世界に戻るための旅に付き合うこととなった。

そうして旅に出ることになった矢先、バスチアンはヒンレックが落ち込んでいるのを見かける。
前々から恋をしていたオグラマール姫に振られてしまったらしい。姫は強い戦士が好きであった。なのでヒンレックがバスチアンに完敗する場面を見て幻滅してしまった。
元々ヒンレックをあそこまでかませにしたことを後悔していたバスチアン。アウリンの力で彼を助けることを決める。

それはオグラマール姫がスメーグという凶悪な竜にさらわれてしまうという物語。そして姫はヒンレックの助けを待っているという。
それを聞きヒンレックはすぐさま姫の元に向かおうとするのだった。

こうしてバスチアンとアトレーユたちの旅が始まった。


旅をする中、バスチアンはひとつだけ心残りがあった。それはヒンレックと姫のこと。
バスチアンがヒンレックを助けたいという善意でアウリンの力を使ったのは紛れもない事実。だからと言って、姫を危険な目に遭わせる資格はバスチアンにあったのか。またスメーグが姫とヒンレック以外を傷つける可能性も十分考えられる。
そんなアウリンについての彼の懸念は最悪の形で当たってしまうことになる。

とある夜、アトレーユと休んでいたバスチアンは見るだけで怖気が走る気持ち悪い芋虫を見かける。
その虫はアッハライと名乗った。バスチアンがアマルガントの成り立ちの物語を話した際に出てきた虫であった。彼らもアウリンの力で実際に存在することになっていた。
醜悪な見た目だが話してみれば悪い奴らではなかった。彼らは自分たちの見た目を何よりも恥じ、忌み嫌っていた。
これを聞き創造主として責任を感じたバスチアン。アッハライのために新しい物語を作ることを決める。
バスチアンが作った新たな物語は、彼らが常に楽しく笑っている蝶である「常笑いのシュラムッフェン」になるというもの。
……この時点ではまた自分の力を誰かに活かせたつもりであった。

しかし次の日の朝とんでもないものを見てしまう。
それはシュラムッフェンが狂っているとしか思えない行動を取り続ける姿だった。アッハライ時代に作っていた銀細工もためらわず壊そうとしている。にもかかわらず彼らは楽しそうに笑っている。
急いで作ったあまり物語の精度が低く、意図せず「気が狂っているため常に笑っていられる」という存在を作ってしまったのである。

バスチアンは絶望し、アトレーユはアウリンの危険性について考え始めた。


それから旅の中、バスチアンはアトレーユに呼び出された。
アトレーユは彼に現実世界での生活について聞く。バスチアンの答えはぼんやりしたものであった。いくつかの問答を経て、アトレーユは「アウリンの力を使うたびにバスチアンは現実世界の記憶を失う」という結論を出した。
当然それを心配するアトレーユ。アウリンを一時的に預けてくれないかと提案する。
だが既にアウリンの力に酔いしれていたバスチアンにとってそんな忠告が聞けるはずもない。友人の気持ちもくみ取れず、冷ややかに断ってしまう。
口論になりアトレーユに「君はもう君じゃない誰かになりかけている」と突き付けられる。

本心を見透かされ我を忘れたバスチアン。怒りのままに「君は僕に嫉妬してアウリンを奪いたいだけだろう」と言ってはいけない言葉を吐いてしまう。
もう現実世界には帰らず、この居心地のいいファンタージエンで暮らすことを決めるのだった。

アトレーユたちは純粋にバスチアンを心配しているだけであった。
けれども増長したバスチアンにはそれが見下されている、子ども扱いされているように感じられた。
バスチアンはどんどん歪んでいく。彼はアトレーユに対して抱く「対等な友でいたい」という気持ちをいつしか「畏れられたい」というものに変質させていった。
そうしてまたアウリンが力を発揮した。


旅の一行の近くにサイーデという魔女の城が現れる。「畏れられたい」というバスチアンの願いによって生み出された敵キャラであった。
避けて通ろうという真っ当な提案をするアトレーユに対し、バスチアンはかっこいいところを見せるためにも直進すると言い出す。
どの道パーティーのメンバーがサイーデに攫われてしまい、どの道行かなければならない状況になった。

とは言ってもサイーデの能力自体はバスチアンが勝てるものとして設定されている。
あっさりと部下を助け、サイーデと対面することができた。
だがサイーデは唐突にバスチアンに降伏した。それどころか彼に忠誠を誓うと言い出す。気をよくしたバスチアンはサイーデをパーティーに加えると決める。

サイーデは実はバスチアンを操るために降伏した。アトレーユもすぐにそれに気が付いた。
そのことを忠告するも、自分の非を認めたくないバスチアンを不機嫌にさせるだけであった。


そんなふたりの不仲を見ていたサイーデは、あることをバスチアンに吹き込む。
それはアトレーユとフッフールがアウリンを奪おうとしていることだった。
いくら喧嘩中とはいえアトレーユのまっすぐな性格だけは信じていたバスチアンは、サイーデの言葉に怒りを見せる。

だが夜中、実際にアトレーユたちがアウリンを奪おうと計画しているのを聞いてしまう
もちろんそんな計画を立てたのは、バスチアンを元に戻すにはもう腕ずくで立ち向かうしかないと考えたから。力に溺れたバスチアンにそんなことまで考えられない。

バスチアンは激怒し彼らをパーティーから追放することを決める。
アトレーユはその決定に静かに従った。ただ悲しそうな目でバスチアンを見つめていた。


友の裏切りで完全に暴走を始めてしまったバスチアン。彼はサイーデにそそのかされ、ファンタージエン全てを統べる帝王になる願いを抱く。それは恩人である幼ごころの君に成り代わろうとしているようなものだった。
幼ごころの君が住んでいたエルフェンバイン塔に戻ったバスチアン。彼はきたる日にすべての民族の代表をここに呼び、そこでアウリンに「帝王になる」ことを願うと決めた。

しかしいくら救い主の行動とはいえあまりにも横暴なもの。各地で不満が集まりつつあった。

そして案の定というべきか、反乱軍が集い、クーデターが起きてしまった。
反乱軍のリーダーを務めているのはアトレーユであった。
アトレーユはただ友を救いたくてこの反乱を起こしたのだった

結局嫉妬していたのはバスチアンの方だった。
アトレーユは自分の力だけで世界を救いかけ、バスチアンを呼ぶことに成功したまぎれもない英雄である。
対してバスチアンは何も成し遂げていない。今までやってきたことはアウリンの力を借りてきただけである。

最早バスチアンにとってアトレーユは憎しみの対象にしかならなかった。
怒りに任せ、あれほど「抜いてはいけない」と言われていたシカンダを抜いてしまう。
シカンダの力は絶大だった。防御しようとしたアトレーユの剣を砕き、そのまま彼の身体を貫いた
しかし言いつけを破って抜いた代償でシカンダは力を失ってしまい、バスチアンには二度と使えない剣になってしまった。

とどめを刺そうとするもフッフールに妨害され、アトレーユを逃がしてしまう。
それで怒りが収まるはずもない。部下を率いてアトレーユを殺すことを決める。

だが怒りとアウリンバフでものすごいスピードで走っており、気が付けば自分しかいなかった。


そんな中、バスチアンは老若男女気ぐるいの住民しかいない奇妙な町にたどり着く。
監視者であるという猿のアーガックス曰く「元帝王たちの都」であるらしい。

  • 言葉が通じない
  • 建物すべてがまっすぐではなく歪んでいる
  • 住民の着ている服が電灯の笠の帽子やテーブルかけの服、タルの靴など服ではない物が混じっている
  • 手押し車を引いたり押したりしている者が多かったが、中にはガラクタしか入っていない
  • アルファベットを適当に描き続けいつの日か文章になるかもしれないという遊びやっている
  • この異常な状況の中、誰も異常だと感じずむしろ楽しそうにしている

とにかく狂気にまみれており気の滅入る街であった。

そこでアーガックスは恐ろしい事実を告げた。
ここの住人はファンタージエンではなく、皆バスチアンと同じ現実世界の人間なのである
そしてアウリンを使い過ぎた人間の成れ果ての姿がこの元帝王たちの都の住人たち

つまりこういうこと。


転移者は「汝の欲することをなせ」と書かれている通り「真の意思」による願いをアウリンにかけファンタージエンを豊かにする
そうしてファンタージエンを繁栄させ最後に現実世界に帰還するのが正規のアウリンの使い方

しかしバスチアンのような心の弱い人間は欲に負け「真の意思」に気が付かずアウリンの力を使いまくってしまう

アウリンの仕様上記憶を対価にしていることに気が付かない

そのような人間は経緯は違えど「ファンタージエンの帝王となりこの国の最高権威を得る」と言う願いを抱く

だがアウリンの力の源泉はファンタージエンの最高権威である幼ごころの君
ゆえにこの願いは「最高権威の力で最高権威の力を奪う」という矛盾が発生する

その結果アウリンがバグり願いはかなわないのに記憶をすべて持っていかれる
もう願いは叶えられないのでアウリンは消失し、それにより今まで得ていた力も消える

力も記憶も失ったからっぽな気ぐるいの出来上がり!

彼らはあてもなくさまよい集落をつくる。それが「元帝王たちの都」

※なお帝王にならない場合でも、記憶を使い切った瞬間同じことになる。



という殺意高めのデストラップが用意されていたわけである。
アウリンの力のコストは記憶だが、記憶を使い切れば力が消えるどころか廃人になってしまう。
ファンタージエンでいつまでもチート三昧なんて美味しい話は存在しなかった。アウリンには限度があるし、限度を越えれば全てを失うのである。
何よりあの時アトレーユが反乱を起こしていなければ、間違いなくバスチアンも同じ道をたどっていただろう。

ちなみにランダムに文字を並べ続け確率で文章を作ることを「無限の猿定理」と言う。
これの監視者が猿であるのが中々皮肉


バスチアンはようやく自分の間違いに気が付いた。だがこの時点で現実世界の記憶はほんのわずかしか残っていなかった。
現実の記憶がなくなった瞬間ゲームオーバー。彼も無限の猿定理に参加するだろう。

アーガックス曰く「真の意思」があれば元の世界に帰れるかもしれない
グラオーグラマーンが言っていた「本人が心から望む願い」のことである。しかしバスチアンは未だに自分にとっての真の意思が分かっていない。

とにかく何とかしなければならないと、バスチアンは走り始めた。
……しかし何日も続く一人旅の寂しさに耐えかねたバスチアンは「ひとりでいたくない」という願いから個人名どころか個性すらほとんどないイスカールナリ(いっしょ人という意味)という民族と出会う。彼らの船に水夫として乗せてもらい共に霧の海を渡ることにしたバスチアンは、やがてみんなが一緒で一人ひとりのことを気にかけることはない彼らとの関係に物足りなさを覚えるようになる。欠点のない人間になろうとは思わない、欠点があってもそれを含めてありのままの自分を愛されたいと願ったバスチアンは向こう岸についたのを機会に再び一人で旅を始める。


そうして旅を続ける中バスチアンは「変わる家」にたどり着いた。
そこではアイゥオーラおばさんという植物の身体を持った人物がバスチアンを待っていた。彼女はバスチアンを自分の子どものように甘えさせてくれた。そのしぐさにバスチアンも亡くなった母を思い出していた。
アイゥオーラおばさんは、元帝王たちの都などファンタージエンの秘密を知っている。そのためバスチアンにとっての最後の救済措置と言える人物であった。

バスチアンは彼女の申し出で、しばらく変わる家で暮らすこととなった。アイゥオーラおばさんはただひたすらバスチアンを愛してくれた。ある日はアトレーユを殺しかけたことに今更後悔していることを吐露してしまった。それでも「それも含め大きな回り道だけど必要な道だった」と言ってくれた。
そんな毎日が続き、バスチアンは「おばさんがくれた愛に、何かを返したい」と考えるようになっていた。

そうしてようやくバスチアンは自分にとっての真の意思に気が付いた。それは「誰かを愛したい」というものであった。
アウリンの力で何でもかんでも欲しがってきたバスチアン。しかし本当に欲しいものは真逆であった。
何かを欲しがるのではなく、誰かに愛を与えられる心。それこそがバスチアンが真に欲しているものであった。
そしてファンタージエンの境にあるという「生命の水」を飲めば愛することができると。
最後の望みが導いてくれると聞き、バスチアンは次の日から生命の水を探しに旅立つこととなった。
旅立ちの朝。アイゥオーラおばさんは枯れていた。自分の役割を終えたのだ。彼女のためにも「真の意思」をかなえると決めたのだった。


そうして彷徨ううちにたどり着いたのは「絵の採掘抗」であった。
ぶっきらぼうな盲目の抗夫・ヨル曰くここはバスチアンのような人間のためにある場所だと。
絵の採掘抗に埋まっているのは、現実世界の人間の記憶が基になった絵である。ここにはバスチアンのものも含めて、全ての記憶が眠っている。
今のバスチアンに「愛したい」という真の意思はある。だが記憶をほぼ欠落しているバスチアンは誰を愛したいのかを忘れている。それを知るためにも彼はここで記憶を巡りその答えを探す必要があった。

それは過酷なものであった。ここで眠っている絵はあらゆる時代のすべての人間の記憶である。その中からバスチアンの、しかも愛したい相手の絵を探さなければならない。その上坑道はほぼ手探りで進まなければならない暗闇。記憶の絵は大きな音に弱いため音すらできるだけたててはならない。

もう数えきれないほどの月日が経ち、ようやくそんな絵を見つけた。
それは憂いに沈んだ表情の男の絵。そして絵の中の男はなぜか透明な氷の塊の中に閉じ込められていた。バスチアンはもう忘れていたが、それは彼の父親であった
そうして彼はこの絵をもって旅を再開することを決めた。ヨルの忠告ではこれがバスチアンを導いてくれる最後の希望であり、これが最後にバスチアンがバスチアンと示すもの。というのも、この時点でバスチアンは自分の名前すら忘れていた。
この絵がきっとバスチアンを生命の水に導いてくれるだろうと。
ヨルは「お前は良い鉱夫見習いだった」と言ってくれた。


そうして旅に戻ったバスチアン。だがそこに最悪の事態が待ち受けていた。
偶然シュラムッフェンと出くわしてしまった。彼らは自分たちをこんなことにしたバスチアンを恨んでいた。元のアッハライに戻せと言う。
もちろんバスチアンにもうそんな力はない。すると彼らはバスチアンに襲い掛かり、その騒音に耐えかねて大きな音に弱い絵は破壊されてしまったのだ

最後の希望が失われたとうなだれるバスチアン。
だがそこに、本当の意味でバスチアンをバスチアンとして繋ぎとめてくれる者たちが現れた。
アトレーユとフッフールだった。


お互い何も言わなかった。ふとバスチアンが動き、アウリンをアトレーユの前に置いた
その瞬間、アウリンが輝いた。気が付くと風景が変わり、アウリンに彫られているものと同じお互いの尾を噛む2匹の蛇が現れた。
生命の水及びファンタージエンの出口とはアウリンそのものであった。バスチアンは気が付かないだけで最初から出口を持っていた。というよりも出口に気が付くための旅であった

だが二匹の蛇は簡単にバスチアンを返そうとはしなかった。記憶の無いものはここを通れないのだ。
それに対しアトレーユが「その代わり自分がバスチアンについてすべて覚えている」と言い返した。
アトレーユに何の資格があるのかと問われるも、毅然と「僕はバスチアンの友達だ」と反論した。

ここではファンタージエンで受け取ったものを全て返さなければならない。
通っていくごとにバスチアンは現実世界と同じ容姿に戻っていった。けれども今はこれで満足していた。
ただ、生命の水を現実に持ち帰れないことだけが少し名残惜しかった。

だが現実世界に戻るにはまだ最後の試練が残っていた。バスチアンには創造主として創ってきたすべての物語を終わらせる責任があった。だが物語は最早バスチアンにも制御できないほど広がってしまっている。やはり帰れないんじゃないかと途方に暮れるバスチアン。
だがそこにアトレーユが代わりに自分が全ての物語を見届けると告げた。




アトレーユ、アトレーユ! ぼくはこのことを、絶対に忘れないよ!



うん、バスチアン。それならきみ、ファンタージエンも忘れないでね




こうして2人は今度こそ別れを告げた。
門をくぐる中バスチアンは、父親の姿を見かけた。



父さん! 父さん! ぼくだよ


バスチアン バルタザール ブックス!




気が付くとバスチアンは学校の物置にいた。すでに日は高く昇っている。「はてしない物語」は消えていた
バスチアンは父に会うために急いで家に戻った。

家に戻ると父が泣きながら待っていた。現実世界ではバスチアンは1日行方不明状態だったのである。
ふたりはようやくお互いに向き合うことができた。お互いに愛し合う親子に戻れたのである。
父の目には涙が浮かんでいた。それを見てバスチアンはやはり生命の水を持ち帰れたのだと思った。


次の日、親子は学校も会社もサボって一緒に遊ぶこととなった。
だがその前にバスチアンはするべきことがあった。「はてしない物語」について、コレアンダー氏に話さなければならないと思ったのだ。
父はそんなことは後回しでいいじゃないかと思ったものの、それでもなお真っ先に責任を果たそうとする息子を誇らしく思った。

しかしバスチアンの謝罪を聞いたコレアンダー氏はそもそもそんな本は持っていないと言った。彼はファンタージエンについていたく興味を持ったらしいので一部始終を話すことになった。
そうして彼はとんでもないことを言い出す。なんとコレアンダー氏もファンタージエンに行って戻ってきた一人なのである。
バスチアンの元に「はてしない物語」があったのもそのためではないかと推測した。

コレアンダー氏はバスチアンのような人間が、ファンタージエンに行けるような者を増やすのではないかと密かに期待するのだった。

めでたしめでたし。


【解説と考察】



◆執筆経緯


ミヒャエル・エンデは1929年ドイツで生まれた。
厳格な芸術家の父エドガル・エンデによる教育やナチスによるすったもんだできっつい少年時代を過ごしている。
ちなみにエドガルは事実上の浮気をして妻子を捨てている。

エンデは生活の中で話し言葉に興味を持ち、特に劇作品を書きたいと考えていた。
だが戯曲家として挫折し紆余曲折あった末に児童文学の道に目覚めた。

ここから「はてしない物語」の話。

きっかけは出版社の社長夫妻が別荘に遊びに来たこと。雑談の中で新刊の話になったのだった。
エンデはアイデアをメモにまとめるタイプだった。メモの中で社長が興味を持ったのは「ひとりの少年が、本を読みながら、文字通り、物語の中に入り込み、なかなか出てこられない」というもの。なおこの時点でエンデはなんでこんなメモしていたか覚えていなかった。
「このメモじゃあんまり話膨らまなさそうだよ」と難色を示すも「エンデ君いっつも分厚い本書くしたまにはいいじゃん」と押し切られ、書くことになった。この頃は誰も428ページもある本になるなんて思わなかった


こうして1977年執筆が始まった。発刊は78年予定であった。……うん、結局79年に出されているから大幅に締め切り伸びているね。

元々エンデは父親が芸術家だったせいでかなり凝り性である。一行一行を精査し書いていくタイプである。酷い時だと一日で数行しか書かないこともあった。
ちなみに「はてしない物語」は全26章構成だが、頭文字がAからZになっている。

時間がかかったのはバスチアンであったらしい。
実際のちに『エンデ、自伝と作品を語る』でこう言っている。やっぱバスチアンが一番大変だったと。

バスチアンがダメ少年というのは割と最初から決まっていた。言ってしまえば現実で成功しているリア充だったらさっさと帰りたいと考え、絶対ファンタージエンを楽しめないから。
なお初期稿でバスチアンはダメ少年として高慢な性格だったがこれも没になった。高慢だったら今度は元帝王たちの都入りしてしまうと気が付いたわけである。
このため「ダメ人間だが根は純朴」という設定が出来た。

こうしてエンデは書いては止まり、書いては止まりを繰り返していた。
「プロット出来てから書けよ」と思われるかもしれない。だが芸術家肌のエンデは良くも悪くも書きながら方向性を模索していくタイプだった。

こうして第一部は書き終えたエンデだがここで最大の問題にぶち当たる。
それは、「バスチアンが現実世界に戻る展開が思いつかない」というものだった。
エンデの性格上、適当に現実に戻せばいいやなんて出来るはずもなく本気で悩むことになった。
この時1978年、エンデは出版社にお詫びを入れた。「バスチアンがどうしてもファンタージエンを離れたがらないのです。バスチアンのお供をして、長い旅をさらに続けるしかないのです」と。

この工程はマジで大変だったらしく後年のインタビューで「悩み過ぎて精神病院入るかと思った」と語っている。

そうして悩みに悩みようやく「アウリンこそがファンタージエンの出口である」というアイデアを思い付いた。
エンデはテンション上げて「バスチアンがファンタージエンから戻ってくるよ!」と電話をかけたらしい。その時点で締め切りを大幅に過ぎていたため出版社側もほっとしたとか。
最終調整などでさらに数か月かかり出版社をヒヤヒヤさせたが、それは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう


◆『はてしない物語』の装丁


このようにエンデはかなりの凝り性であり芸術家気質である。
当然のように「発売する『はてしない物語』を作中と同じ仕様にしたい!」と考えた。
……その結果出版社はかなり苦労することになったと思われる。そもそも表紙が作中と同じく絹製である。


まず何より目に付くのはデカいということだろう。独語版のスペックは以下のようになっている。

縦:21.5cm
横:14.5cm
幅:4.5cm

うん、デカい。鈍器ではなく子どもが読む児童文学のはずである。
それにしてもバスチアンはこんな重いものをもって走り回っていたのか……。

次の特徴が文字の色。この本は赤(あかがね色)の2色刷りになっている。作中でもサイーデのオッドアイをはじめとして赤と緑が重要なファクターとされている。
本文では現実世界での出来事が赤色ファンタージエンでの出来事が緑色になっている。
本文以外も例えば中表紙では「ミヒャエル・エンデ」が赤文字、「はてしない物語」が緑色と割と凝った仕様になっている。
流石に同じ文で色が変わるということはない。けれども同じページで変わるということはよくある。本の大きさといい、色といい印刷会社泣かせな本である。


発刊に至るまでに特に出版社が苦労しただろうのが表紙問題である。ここについては出版社の英知と技術が感じられる。
『はてしない物語』ファンタージエンとつながった神秘的な本である。だが現実問題、商業として売る本にはバーコードをはじめとしたさまざまなものを付けなければならない。と言ってもバーコードのついた『はてしない物語』なんて神秘性の欠片もない。
では出版社はどうしたか? 答えは、カバーなんて外してしまえばいいというものであった。

つまりこういうこと。『はてしない物語』は普通の本と同じくカバーが付いている。当たり前だがこのカバーにバーコードなどが付いている。だがこの表紙はバスチアンの持つ『はてしない物語』とは似てもつかないイラストが描かれている。
実はこの表紙はフェイクなのである。このカバーを外すと作中と同じ「あかがね色の絹で装丁され、互いに相手の尾を咬んで楕円になった明暗二匹の蛇の文様」表紙が出てくるのである。当然カバー下にはバーコードなんてない
こうすることで作中の『はてしない物語』を完全再現することができるというワケ。出版社一同、よく頑張った。

完成度は高いが、巻末に何故か『モモ』の広告が入っている。
ファンタージエンにもモモって売っているんだろうか?
まあ締め切り遅れに複雑な装丁と迷惑ばかりかけているので、ひとつくらい出版社のためにしてもいい気がする。


「是非この装丁で読んでみたい!」と思ったなら岩波書店版を読もう。
岩波書店版はエンデに「日本の『はてしない物語』は特に出来がいい」と言わしめるほどオリジナル版を完コピしている。

日本版のスペック。

縦:23cm
横:15cm
幅:4cm


やや縦長になった事以外はほぼ同じ。あとは日本語になったことや、日本語故に綴じ方が逆になったことなど、日本ゆえに仕方がない部分が変わった。
挿絵や材質、もちろんカバー下の真の表紙や文字の色もそのままである。
ただまあ、代償として児童書としてはやや高い。新品なら普通に3000円くらいする。

ちなみにエンデは1989年に「はてしない物語」の翻訳を担当した佐藤真理子と結婚している。


◆考察


前提として「はてしない物語」は考察が盛んなことで知られている。
ここまで見ればわかるように、この作品はかなり入り組んだ凝った設定をしている。根っこの部分が「そもそもファンタジーって何なんだよ?」みたいなメタ的なものなので。
そこらへんについて作中で一応解説はされている。だが重要なことほど説明が抽象的になるうえ、作中人物たちはそれを疑問に思わず超速理解している。おつむが弱いはずのバスチアンすら速攻で理解している。そのため読者的には「結局これどういう意味だったの?」という部分が出やすい。
ついでにエンデ本人は「別にみなさんの考察それぞれが正解だと思いますよ(意訳)」というスタンスであまり作品解説はしなかった。

という事情で「はてしない物語」は考察が盛ん。だが考察のシステム上人によって考察内容は割と異なる。とりあえず細部になればなるほど内容は違ってくるだろう。
ということで大まかにみんな共通している考察内容である「現実とファンタージエンの関係」について。


元々エンデは現実と空想は相互関係にあると考えていた。これは作品でも発言でも一貫している。
ようするに現実世界の人間が物語を書くし、物語に影響を受けて人間は変わることもあると。
そうやって人間が物語を書く→物語に人間が影響を受ける→影響を受けた人間がさらに良い物語を書く……というように互いに影響を受けあうのがエンデの理想だとか。
つまり現実と空想のバランスが大事なのである。バランスが取れなければどこかでつまづいてしまう。
これを物語に落とし込んだのが「はてしない物語」。


一番わかりやすいのは虚無と虚偽。
この相互関係は逆に言えば人間が悪い物語を書く→悪い物語に悪い影響を受ける→さらに悪い物語が出来るというようにお互いを破壊しあう負のスパイラルも発生する。
虚無と虚偽も大体同じ事が起きている。想像力がなくなってファンタージエンに生じたのが虚無。虚無によって現実世界にはびこりさらに想像力を奪うのが虚偽。というように「悪い人間と悪い物語が影響しあいさらに悪くなる」という相互関係になっている。
「はてしない物語」で起きた事件は現実世界で夢や想像力を失った人間が増えたことが原因かもしれない。


このことは逆も言える。
現実世界とファンタジーはバランスを取らなければいけない。だから現実を見ずにファンタジーにばかり依存するのは現実逃避。そういう人間はただの阿呆になる。
つまりアウリンの力に溺れ現実世界を見失った、元帝王たちの都の住人たちのこと。

夢を忘れてはいけないだからと言って現実から目を背けていいわけではないどちらもバランスを取るべき
それがエンデの考える現実とファンタジーの関係だった。

夢を忘れた人間はファンタージエンを破壊する
現実から逃げた人間は元帝王たちの都で暮らすことになる
両者のバランスを取れるものがファンタージエンへの道を広げることができる

でもまあ、正規ルートのやり方があまりにも高難易度クエストすぎる気がする。

あとこの手の話でどうしても話題になる「廃人になるかもしれないのにヒントもくれない幼ごころの君腹黒すぎない?」問題。
これについてアイゥオーラおばさんは「本来願いに良いも悪いもないため幼ごころの君は区別せず平等に叶えている」と言っている。
またエンデは「この世に実在する力は、どんなものでもポジティブにもネガティブにも働きうる。どっち側に作用させるかは、人間の意識が決定する」と言っている*3
エンデの発言も合わせると「願いの善悪を判断するのは人間なのでいい目を見るのもしっぺ返し食らうのも人間」らしい*4


ちなみに完全に余談だが「汝の欲することをなせ」の元ネタは『ガルガンチュワとパンタグリュエル』の修道院の戒律である。

あと「名前を付ける」ということについて、エンデはこう解説している。

『はてしない物語』の全体は、人間だけが物や生き物に名前をつけられるという点に基づいている。
名前をつけるとは、創造的行為を通じて、ひとやものとの関係をつくり出し、それによってはじめて現実性を与えるということだ。

『エンデのタイプ原稿』より

ようするに「創作する」という行為の中で「名づける」は高いランクにあるということ。


みんな考えが一致している考察は多分ここまでになる。これ以降の細部は人によって考え方が変わってくる。
例えば「現実とファンタージエンが相互関係にあるのはわかったけど結局虚無や虚偽って具体的になんなん?」みたいなのは人それぞれで異なる。

君も、自分だけの考察を作ってみよう!

エンデ作品の考察本は結構多いのでそれを参考にしてみるにもいいかも。
あとこの作者は大体の作品でテーマが一貫しているので他のも読んでみると見えるものがあるかもしれない。例えばモモは「夢を忘れ現実だけを見る怖さ」を重点的に描いている。



【メディア化】


◆ネバーエンディングストーリー


1984年に公開された、ドイツとアメリカの共同制作映画。
特撮技術の高さから世界的な成功をおさめた作品。監督のヴォルフガング・ペーターゼン(『U・ボート』『アウトブレイク』等)にとってはこれが出世作となりハリウッド進出の足掛かりとなった。
主演はバレット・オリバー
日本語吹き替えは若き日の浪川大輔で、子役時代の代表作として今も名が上がる。
アトレーユはアンパンマンで有名な戸田恵子。

映画プロデューサーは「はてしない物語」を三部作で映画化することを考えていた。
本作はその1作目にあたる。内容としては一応第一部がモチーフになっている。

予算がふんだんに使われた結果、特撮部分がオーパーツレベルで出来がいいものになった。本当にどうやって撮影しているんだか分からないパートが結構ある。
モーラをはじめとした巨大生物は本当に原寸大のセット作ったんじゃないかと言いたくなる。それくらい合成のクオリティが高い。
特に気合が入っているのがフッフールで、本編では『ファルコン』という名前に変更された。
ファルコンを13mの動く模型として実際に制作し、顔の部分は動くし、6000枚の光るプラスチックを鱗として埋め込んでいるしで力作となっている。
ただし「東洋の龍」というのがスタッフでピンとこなかったのか、ファルコンの外見はどう見てもやたら首が長い犬である。

また、リマールによる主題歌も大ヒットした。現在は原曲よりも2005年に発表された坂本美雨のカバー版が時折CMで使われているのでそれを知っている人もいることだろう。
ちなみに日本語版の楽曲も存在し、ファンタジー感に満ち溢れた曲調にも関わらず、日本語版では盗んだバイクで走り出すみたいな訳になっている。日本語版を歌った羽賀研二の色が出過ぎである。

原作者が内容の改変が多いことにブチ切れたことでも有名。
当初、エンデは映画化に好意的で脚色にも参加したが、脚本は無断で書き換えられ、最終的にスタジオ見学すら拒否されてしまう。
とりあえずラストシーンで現実世界に戻ったバスチアンがフッフールに乗っていじめっ子に仕返しをする。*5
元々芸術家気質なこともありエンデはこのことに本気で腹を立てた。映画スタッフを「灰色の男*6」と揶揄したり舞台挨拶をサボったりした。
最終的には裁判を起こしている。まあ敗訴したが。裁判官もエンデの怒りには理解を示している *7。それはそれとしてスタッフとエンデ間の契約書には不備がなかった*8
色々あった末に「スタッフクレジットから自分の名前を消し映画と縁を切る」というのが落としどころとなった。

1980年代を代表するSF映画として今なお知名度が高く、とりわけファルコンは本作の象徴として、日本でも放送当時から様々なパロディのネタにされたのでそこで知ったという人も多いだろう。
この映画に原作があったことをこれで知った人は正直に挙手しよう。


◆ネバーエンディングストーリー2


1990年に公開された映画。タイトル通り前作の続編。
前回原作者とモメてしまったことでみんな思うことがあったのか、ノリは前作と大幅に違う。結構原作寄りの内容になった。
というかそれ以前にスタッフ・キャストがほぼ総とっかえになっている。キャストどころかロケ地も全く別物だが前作の正当続編である。
こういった変化もあり前作よりは態度を軟化させた原作者は出演者と写真撮影に応じるなど宣伝にも協力的だった。
こちらの方の主演はジョナサン・ブランディス。キャストは変わったが吹き替えは変わらず浪川大輔。5年の年月で声変わりしたらしく雰囲気は前作と異なる。
アトレーユはアンパンマンからバーローになった。

相変わらず特撮の質が高い。しかし何故かファンタジーというよりSFっぽいシーンがややある。ザイーデはレーザー光線で戦う

話は第二部がモチーフになっている。
前作でファンタージエンから現実に戻った後、バスチアンはまた燻った生活に戻っていた。
そんなある日バスチアンは幼ごころの君の悲鳴を聞き、もう一度ファンタージエンに向かうこととなる。

物語としては原作の根幹である「母を失い現実逃避していたバスチアンが成長し父と向き合う」という部分が重点的に描かれている。まあ第二部がモチーフなので当たり前だが。
なのでアウリンの力で増長していくバスチアンと、それを止めようとするアトレーユが話の肝。
そのためサイーデが実質的なラスボスポジ。映画だとアウリンで記憶を失うシステムはサイーデの策略ということになっている。なおこのシステムは「思い出マシン」という何とも言えない名称になった。

また原作ではポジションの割にちょっと空気だったバスチアンの父が重要化している。バスチアンの物語の合間に父の物語も挿入される。彼は消えたバスチアンを探すうちに『はてしない物語』を手に入れ、それは息子が主人公の物語と知る。これがただの本ではないと感じた彼が読み進めながらバスチアンを応援し、息子への想いを取り戻していく。


◆ネバーエンディングストーリー3


1994年公開。
原作部分は使い切ったしあとは映画オリジナルで行くぜ! みたいな感じでつくられた作品。
前作とのつながり薄いし、やたら低予算だし、そもそもアトレーユ一切登場しないしですごい何とも言えない評価な作品。
主演はジェイソン・ジェームズ・リヒター。吹き替えは草尾毅

あの冒険から数年、バスチアンは中学生に。父は再婚し新しい母や妹と共に幸せな生活を送っていたはずだった。
そんなある日彼は転校先の図書館で「はてしない物語」を見つけるも不良たちに奪われてしまう。不良たちはこれが願いの叶う本だと気が付きやりたい放題。またも現実とファンタージエンのバランスがおかしくなってしまう……。

つまり今回は現実世界メインの戦いが繰り広げられる。


◆The Neverending Story


1996年にカナダで放映されたアニメ版。全26回。
内容としては原作に大まかに基づいているが、映画版の要素も入っているらしい。
少なくともキャラデザに関しては映画のビジュアルを重視していると思われる(相変わらず首の長い犬にしか見えないフッフールなど)。


◆ Tales from the Neverending Story


直訳すると「はてしない物語からの物語」でいいんだろうか。
2001年にカナダで制作されたドラマ。主演はマーク・レンドール。ここまで来たら歴代バスチアンが共演する映画を作って欲しい。

現代向けに改変されている部分が多い。バスチアンがゲームオタだったり。
  • 現実とファンタージエンを行き来する
  • ファンタージエンを滅亡に導いているのはサイーデで、なんと彼女は幼ごころの君の妹
  • まさかのオリキャラでヒロイン追加。アトレーユの相棒であるフライライと、バスチアンをいじめから守ろうとするマーリー

原作のメタファンタジー要素は消え、良くも悪くも青春ファンタジーものになっている印象。



なお2009年にデカプリオが「はてしない物語」のリメイクを制作すると発表したが未だに続報がない。


◆The Neverending Story&The Neverending Story2


84年と90年に映画公開に合わせて発売されたゲーム。開発はオーシャンソフトウェアでハードはAmstrad CPC。ジャンルはマリオようなアクションゲーム。
この時代に発売されたキャラゲーということで評価は……お察しください
レビューサイトを回った限り「ストーリーがはしょられている上にヌルゲーすぎる」みたいな感想が多かった。


The Real Neverending Story Part 1: Auryn Quest


オクタゴンエンターテインメントが2002年に制作したゲーム。ハードはWindows。
CGによって再現されたファンタージエンを旅し、世界を崩壊の危機から救うパズルゲーム。
なお「Part1」とあるが続編は特にない。会社が力尽きたらしい。



なおこれ以外にも1987年にAMIGOがTRPG版のゲームを制作しているらしい。



【ファンタージエンシリーズ】


エンデの死から8年後の2003年に立ち上がったスピンオフ。原題は「Legends of Fantasy」。
前日譚や外伝など様々な時系列のファンタージエンが描かれる。
企画者は「はてしない物語」の編集者でエンデの友人のロマン・ホッケ。
最初は12冊構成のはずだったがいつの間にか6冊になった。
エンデが日本好きだったおかげか、結構早い段階で日本語訳版が発売された。


◆ファンタージエン 愚者の王


2003年発売。著者はターニャ・キンケル。
時系列としては第一部と同じ。アトレーユとは違う方法で世界を救おうとしたレスという少女の物語。
一言でいえば「モブが主役」。救い主であるバスチアンでも使者であるアトレーユでもなく、ただの少女が主人公。


◆ファンタージエン 夜の魂


「愚者の王」と同日発売。著者はウルリケ・シュヴァイケルト。
主人公は青い髪族の少女であるタハーマ。虚無について話すべく幼ごころの君の元へ向かった父が瀕死の状態で帰ってきた。彼から青い水晶クリソドゥルを受けとったタハーマは自分で旅に出る。
本編ではあまり描かれなかった「虚無」の恐ろしさを描いた作品。


◆ファンタージエン 秘密の図書館


これも「愚者の王」と同日発売。作者は「ネシャン・サーガ」のラルフ・イーザウ。
内容はこの企画に参加したみんなが書きたかったであろうコレアンダー氏主人公の過去編
彼もまた「秘密の図書館」で出会った「失われた本」によってファンタージエンを旅していた。
これ読むとコレアンダー氏の印象がいい意味で変わる。


◆ファンタージエン 反逆の天使


2004年の3月に発売。著者はヴォルフラム・フライシュハウアー。
時系列は第二部。蝶乗りの少年ナディルは、師匠と仲間とともに音の町マンガラートへ旅行に出かける。そんな中、街では数週間前にナディルの祖父が行方不明になっていたことを知る。
ファンタージエンの成り立ちについてが明かされる。
なお原題は「Die Verschwörung der Engel」なので直訳すると「天使たちの陰謀」。でも読み終わると「反逆」でも合っている気がする。


◆ファンタージエン 忘れられた夢の都


「反逆の天使」と同日発売。著者はペーター・フロイント。
主人公はふたり。両親を虚無に奪われ、ファンタージエンで唯一「忘却」から守られた夢の都「セペランサ」を目指す少年カユーン。自分が捨て子だと知った「セペランサ」の長老の娘であるサラーニャ。ふたりの物語が交互に現れる。
ありそうでなかった「救い主によって逆に迷惑が掛かった者たち」の物語。
ザイーデも出るよ!


◆ファンタージエン 言の葉の君


2004年9月発売。著者はペーター・デンプフ。
本編では描かれなかったアトレーユの物語ということになっている。
ファンタージエンの様々な言葉を集める霧小人の村に立ち寄ったアトレーユ。そこで彼は一族最後の末裔である少女・キーライと出会う。
キーライはアトレーユの依頼でファンタージエンを救えるかもしれないという「言の葉の君」を探す旅に出る。



【余談】


峰守ひろかずのライトノベル作品『ビブリア古書堂の事件手帖スピンオフ こぐちさんと僕のビブリアファイト部活動日誌』では、
単行本第1巻収録のエピソードで本作を題材としており、前述のハードカバー版と文庫版の違いにも触れている他、
作中の登場人物による書評としてライトノベル作品『とある魔術の禁書目録』との比較などが言及されている。
海外児童文学と日本のライトノベルにどのような共通点が?と思われる読者も多いかもしれないが、内容は至って大真面目に両作を対比させているため、興味があれば一読お勧め。





追記・修正は何でも願いが叶う状況に溺れず、ノーヒントで「真の意思」の意味に気が付いて、現実世界に帰還できる人にお願いします。
こう書くとやっぱ難易度高すぎるんだよなぁ……。

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最終更新:2025年02月04日 22:12

*1 ファンタージエンが人狼やスフィンクスなど文化ごった煮なのは、古今東西の「外国」の空想の寄せ集めだから

*2 ファンタージエンが物語の国であり、物語を書き換えられるのは現実世界の人間だけだから。物語の登場人物に過ぎないファンタージエンの住民には新しい物語は作れない

*3 「エンデと語る」より

*4 というものの、バスチアンが「元帝王たちの都」で出会った人物に、自身よりも幼いであろう少女がいたので、どうやらこの物語は善悪の判断がつくか怪しい相手にも容赦ないらしい……

*5 仕返しの内容は「逃げるいじめっ子達を一定の距離を保ちながら追いかけ、いじめっ子達が自らゴミ箱に飛び込んで隠れたら、空へ飛び去る(この際、バスチアンは彼らに対し笑顔で手を振っている)」というもの。それもあってか「仕返しと言えるほど仰々しい物か?」「他愛もない内容だからこそ、フッフールも笑って応じたのでは?」という旨の意見が出ることがある。

*6 多分エンデの「モモ」に出てくる悪役のこと。合理性ばかりを重視し本当に大切なことを忘れてしまったものを指す。

*7 裁判で「たしかに本の乱暴な改変にかかわる問題である(意訳)」と言っている

*8 そもそも契約書を熟読していなかったエンデにも責任はある