俺は……自分って人間が壊れる音を聞いた。
それを味わった人間は良くも悪くも大きく変わる……。
本作の重要事件とテーマの両方に関わる男であり、江原による痴漢事件、および御子柴殺しの共犯者。そして本作のラスボス。
桑名の目的は、江原の復讐を成し遂げさせること、
そして、いじめ被害を少しでもなくすこと。
本編以前からいじめ加害者を粛清し回っており、すでに7人は殺害している。
『桑名仁』と言う名前は偽名であり、本名は『喜多方悠(きたかたゆう)』。
13年前、黒河学園で国語教師をしており「体育教師じゃないのか」と突っ込んだ人は多い、澤先生や間宮の高校時代の担任であった。
そして教え子である『楠本充』が飛び降り自殺を図った件で、当時いじめを見てもそれを問題視せず、軽く扱っていたことから世間のバッシングを受け、退職した教師でもある。
当時の桑名は自分が生徒に慕われていると自惚れており、そのため「そんな自分のクラスでいじめなんて起きるわけない」と高を括っていた。
なので、楠本充が『川井信也』にいじめられている現場を見ても「男同士のじゃれ合い」だと思い、体格差があるので怪我しないように「やりすぎんな」と笑って軽く注意するだけであった。
しかし当時生徒だった『澤陽子』、後の澤先生に「本当に気付いていないの?」と憐れむような目で問いかけられたことで「もしかして?」と思い、
教室に隠しカメラを設置したものの、その日の内に充は飛び降りてしまう。
その結果、責任を取る形で教師をクビに、やがて異人町に来て便利屋を始める。
しかし便利屋として裏社会にコネを作っていったのは生活のためではなく、充への贖罪のため全国のいじめ加害者を抹殺しようと考えてのことだった。
そして手始めに充の件でまったく反省していないどころか、武勇伝の如くその出来事を語っていた川井を殺害する事を計画する。
まずそのための人手として元教え子たちを招集、江原の痴漢事件の被害者である間宮もその一人であった。
前述のいじめ事件で川井は責任を取ったが、実はいじめは川井だけではなく十数名は参加していた。彼らは全責任を川井に背負わせたのだ。しかし桑名の隠しカメラは、いじめの映像をしっかりととらえていた。
当時その映像を公開すれば川井以外のいじめ関係者にも責任を追及することはできた。
しかし、法律ではいじめ加害者の罪は軽いうえ、いじめグループのその他大勢という立場では主犯以上にたいした罪には問われない。未成年なので容易に社会復帰もできる。
そこで桑名は、犯した罪と対等な罰を与えるためにあえて当時映像を秘匿し、
いじめっ子たちが、社会で、家庭で大成し「守られる立場」から「守る立場」になったタイミングを見計らい、この隠しカメラの映像を使って脅迫した。
こうして人手を確保した桑名は全国で自殺に発展したいじめ加害者の抹殺に乗り出す。
目的は被害者家族の恨みを晴らしながら、無惨に殺した加害者達を見せしめにする形で「いじめをすると殺されるかもしれない」という認識を広げるため。
なお桑名は独断で行動しているわけではなく、自殺した被害者の家族に「復讐するか?」と問いかけているうえ、ちゃんといじめがあったか下調べをしてから行っている。
また充の母・楠本玲子や江原のように、本人が望んだ場合は被害者家族に加害者のとどめを刺させてもいた。
勿論桑名の復讐の提案を「許されないことだ」と断る被害者家族もいたが、断りこそすれ、桑名の事を警察に通報する者は誰一人としていなかった。
裏を返せばそれは実行するかしないかに関わらず、
「復讐」という桑名の考え方自体は理解できないものでは無い、ということである。
当然、こんな事を続けていてもいじめが完全になくなる訳ではない。いじめは人間の本能によるものであり、根絶など不可能に等しいのだ。
しかしだからといって何もしないのは、「トイレはすぐ汚くなるから掃除しない」と言っているのと同じだと桑名は語る。
そしてそのために私刑を執行していく道を選んだ。
桑名にはもうその道しか残されていなかったのだ。
ちなみに元教え子に接する時は『便利屋・桑名仁』ではなく、『教師・喜多方悠』として接している。
桑名は桑名なりの正義を持って行動しているが、これが意図していない虎の尾を踏んでしまい澤先生が巻き込まれる形で死んでしまう。
「自分のせいじゃない」「死ぬとは思わなかった」と言える立場ではあるが、
この言葉は「いじめ加害者」と同じになるため決して言えず、澤先生の犠牲に対して目をつむるしかできなかった。
これが八神との対立要因のひとつにもなる……気になる人は前作で、八神の過去と経緯も復習されたし。
八神とは澤陽子の犠牲を巡って何度も衝突する一方で時に助け合い、ライバルあるいは悪友のような奇妙な関係を築く。
澤陽子に対しては永遠に頭を下げ続けるしかないと悔いる一方で、いじめ被害者を見捨てている法に代わって誰かが手を汚さなければならないとする桑名に対し、
八神も法の不完全さを認めつつ桑名の想いを怖いくらいに理解できると同情していた。
また八神も桑名のせいで澤先生が巻き込まれたことに怒りを見せつつも、イジメとそれを行った奴らに関しては「クズ」と呼ぶなど全く肯定していない。
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結末までのネタバレのため注意!! |
最終的に、楠本玲子を利用しようとする黒幕の命を受け公安の潜入としてRKを手引していた 相馬和樹をおびき出すために、
桑名は逆探知されることを承知で、川井の冷凍遺体という楠本玲子の殺人の証拠を隠していた海沿いの巨大な倉庫施設から彼女に電話をかける。
桑名がRKに殺され、全てが闇に葬られることを危惧した八神たちも桑名を助けるために倉庫へと向かい共闘、死闘を乗り越え相馬を捕えることに成功する。
だが桑名は、楠本玲子とその息子、充にもう苦しんでもらいたくないという想いから、川井の冷凍遺体を倉庫ごと爆破するつもりだった。
その場を離れるよう要求する桑名に対し、八神は楠本玲子を罪悪感から解放し澤陽子の犠牲の真実を明らかにするためにそれを拒否する。
ならばこの場にいる者全員を巻き込んで爆破すると脅す桑名に対し八神は断言する。
いや、あんたがそこまでのクズなら俺らはこんなとこまできちゃいない。
あんたを助けに来たりしなかった。
苦悶の表情を浮かべた末に、爆破装置を投げ捨てた桑名は無念の想いと共に咆哮し、八神と衝突する。
最終決戦のBGM「Unwavering Belief」は「揺るぎない信念」を意味し、悲壮かつダイナミックなメロディーは物語の最後にふさわしい演出となっている。
人を……幸せにしない真実に価値なんてあるのか……?
激戦の末敗れた桑名は涙ながらに楠本親子への想いを零すが、八神は真実を隠した末に、
「身勝手な正義」によって命を落とした澤陽子のような犠牲者を出さない為にも、
闇を抱えたまま苦しむことになる楠本玲子の為にも、全てを明らかにしなければならないと諭す。
そしてその場に現れた楠本玲子に澤陽子を巻き込んでしまった後悔とともに、自分自身や息子、そして桑名のためにも自首することを打ち明けられ、慟哭しながら敗北を受け入れた。
だがこのまま捕まれば公安に消されかねない上に、これまでいじめ加害者たちを粛清してきた証拠も残していなかった桑名は、
この先、もう自分は光の当たらない世界でしか生きられないことを暗示するかのように、八神たちに見送られながら闇に消えていった。
いじめ被害者がいる限りこれからも手を汚し続けると言い残して。
その後桑名は匿名でかつて葬ってきたイジメ加害者たちの遺体の場所を警察に通報。
それはこれまでのことにけじめを付けるということに加えて、江原昭弘の裁判と併せた全国のイジメ加害者たちに対する警告の意もあったのだろう。
桑名の未来に対して思いを馳せながら八神が仲間たちと宴を始めるシーンと共に、物語はエンディングを迎える。
エンディングテーマの「蝸旋」はいじめによって全てを失った者たちの怨嗟と悲哀を唄った、胸を打つ歌詞になっている。
その結末には犯罪者を野放しにしているという意見も見られる一方で、桑名の立場を理解する声も多く存在し、日本でも海外でもクリアしたものの間で議論になっている。これは当時の名越監督によると「現場は怒鳴り合いのような喧嘩」とインタビューで語ってるほど龍が如くスタジオのスタッフ達とかなり揉め合いに発展していた。
劇中では八神だけでなく、海藤や東も桑名の行動に理解を示していた。
また結局八神が問題の根幹ではなく澤陽子の犠牲を主な桑名との対立要因にしていたため、ある種の大義を持つ桑名と比較して批判するものもいる。
その澤陽子でさえ不本意極まりなかったとはいえ江原敏郎のいじめを隠蔽した側であったという点も論争を呼ぶ要因なのだろう。
とはいえ仮に澤が死ななかったとしても、桑名のやり方ではいずれは別の誰かが巻き込まれ、その事でまた別の誰かが桑名と対立していただろう。
八神はそのような不毛な連鎖を止める為に、桑名とぶつかりあった節もある。
いずれにしてもこれだけの議論を呼んでいるのは、現実においても未だ解決策を見いだせていないいじめ問題を取り上げつつ、
様々な正義がぶつかり合うというプレイヤーを引き込むような物語を描けたゆえではないだろうか。
最終決戦の前に海東は八神と桑名に問いかけている。
「お前らふたり どっちが正しいか答えなんてあんのか?」と。
もちろん答えなどあるはずがない…だがもしも、その答えがあるとするならば
「こっちが正しいに決まってる!」と思考停止せず、その狭間で考え続けることであろう。
人と人の間に在る生き物 それが『人間』なのだから。
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