ヴルトゥーム

登録日:2022/08/03 Wed 21:50:42
更新日:2023/06/26 Mon 01:44:06
所要時間:約 9 分で読めます




わしはヴルトゥームだ……それにお前はこの世の始めからわしのもので、それは未来永劫かわることなく……


ヴルトゥーム』(Vulthoom)は、アメリカ合衆国の作家クラーク・アシュトン・スミスによるSF小説、並びにそれに登場するキャラクターの名前。
作品の初出は「Weird Tales」1935年9月号の掲載。


概要

C・A・スミスの手掛けた、人類が入植した未来の火星を舞台にした小説の一作。
同じく火星を取り扱ったスミスの作品は他にも『ヨー・ヴォムビスの地下墓地』『深淵に棲むもの』が存在するが、この2作がホラー傾向の作品なのに対し、
本作はどちらかと言えば純SF短編と言った趣き。

後述の通り、本作の登場人物であるヴルトゥームが所謂クトゥルフ神話の体形に組み込まれた事もあって、その括りで語られがちな作品であるが、
本作は元来、クトゥルー神話どころかスミスの得意としていたハイパーボリア・アヴェロワーニュ・ゾティークのシェアワールドとも全くの無関係であり、
ジャンルすらもホラー・ファンタジーの線が薄めなSF小説である、という事は念頭に置くべきであろう。
実際のところ、小説作中のそれに対するクトゥルー神話におけるヴルトゥームは、大分設定が盛られている別物に近い側面があるのも事実である。

日本における邦訳は、1986年に国書刊行会のアーカム・ハウス叢書より刊行された短編集『呪われし(ロキ)』(訳:小倉多加志)に収録されたものが今のところ唯一であり、
絶版となって久しい現在はやはりというべきかプレミア化、実際に本を手に取る事すら骨が折れる現状。
大きな市町の図書館なら本を置いてある場合もあるので、運よく地元に蔵書されてたら活用しよう。


登場人物

  • ボブ・ヘインズ
地球人。本作の実質的な主人公。
地球定期船の三等操縦士補佐だったが、上司からの個人的な恨みを買ってしまい、火星のイグナルーに残留させられてしまった身。
火星の滞在費で予算をほぼ使い果たしてしまい、似たような境遇のチャンラーと出会って親友となり、火星を放浪しているところを案内人に誘われ、
ヴルトゥームの元に引き合わされた事で、結果として地球と火星、両方の運命を左右する事態に巻き込まれる事に……

  • ポール・セプティマス・チャンラー
地球人。SF作家で、取材も兼ねた火星旅行に赴いていたが、手違いか出版社からの仕送りが届かず彼もまた無一文ギリギリになってしまった身。
意外と義理堅い性格の人物である事が終盤判明する。

  • 案内人
アイハイ人。路頭に迷っているヘインズとチャンラーをヴルトゥームの待つラヴォルモスに案内した張本人。

  • タ=ヴォ=シャイ
アイハイ人。ヘインズとチャンラーにラヴォルモスを案内する役割を担った。
彼を始めとするヴルトゥーム信徒のアイハイ人はその元で遥かな時間を冬眠しつつ生きながらえており、
それ故に生物学の限界を越えた9フィートから11フィート規模の長身の体躯を有するに至っている。

  • ヴルトゥーム
火星の地下世界ラヴォルモスに潜んでいる、アイハイ人達からは「邪神」と称される存在。日本語訳における一人称は「わし」。
作中では水晶の塊に設置された化石の花を通じてヘインズ達とコミュニケーションを取っており、
クトゥルー神話でも知られる「球根植物から生えた小妖精的外見」と言ったビジュアルを露わにしたのは最後の最後。
その存在は地球人の入植が進んだ現在の火星においても知られているが、ヘインズ達は実際に目にするまでサタンなどと同じ迷信の類だと思っていた。
化石の花はヴルトゥームが元居た世界から持ち込んだもので、嗅いだ者に人知を超えた恍惚にもたらす芳香を放つ。
不滅の存在ではないが、それでも地球人や火星人から観れば遥かに人知を超えた悠久の寿命の持ち主。

元は地球に文明の欠片も無かった時代の頃、何らかの存在(ヴルトゥーム曰く「執念深い敵」)との戦いの末、宇宙船で外宇宙から火星に落ち延びてきた、早いが話宇宙人。
当時火星に文明を築いていた者達からの攻撃を受けながらも、仲間に引き込んだ一部のアイハイ人達に自身の所有する長寿などのテクノロジーを分け与え、
悠久の時を過ごしながらラヴォルモスに潜伏していたが、すっかり文明として老化した火星を見限り、地球を新たな潜伏先にすべく行動を開始。
手始めに露頭に迷っていた地球人ヘインズとチャンラーにコンタクトし、長寿の霊薬や100万ドル相当の貴金属、
更にはあらゆる麻薬すらも凌駕するであろう芳香を放つ化石の花の提供などを条件に、自身の地球行きを支援するよう仕向ける。

スミスが創作した神性系キャラクターの類に漏れず、地球人相手にも一応強引ながらも終始敬語で接するなど、どことなく人間臭さも感じられる描写が多く、
最終的に自身の作戦が一時頓挫した際にも、いずれ死にゆくヘインズ達の一応の勝利を認めつつ、再び千年の眠りにつくことを受け入れるなどの言動を見せている。


『ヴルトゥーム』における火星

言うまでもなく太陽系第4惑星。作中の時点では宇宙進出した地球人類が入植して久しい。シコール皇帝なる人物が政権を握っている。

  • アイハイ人(火星人)
火星の原住民である知的生命体。
口数こそ少ないが友好的であり、地球人による入植も受け入れた上で、地球との通商も許可している。
一方でヘインズが「地球人と火星人の間にわだかまる進化上の深淵」と称する、両者間で分かり合えない生物としての交流の限界もあるようで、
特に文明についてはレムリア大陸の沈没以前に様々な要因で「老化」しており、ごく簡単な習慣すらもほぼ別世界と評して過言でない物である模様。
独自の宗教や習慣などを持っているが、ヴルトゥーム崇拝をしているのは火星人の中でもごく少数派。

  • イグナルー
火星の商業中心地にして宇宙船の空港所在地。
ヤーハン大運河の東側には、火星人たちがイグナス=ヴァルと呼ぶ古代の住宅街と評される雑居地区が存在。
近代都市イグナス=ルスには地球人の領事館や宇宙船会社、ホテルなどが点在している。
地球人用ホテルの宿泊費はべらぼうに高いらしく、ヘインズがここの滞在で手持ちの予算を使い果たしてしまい、チャンラーと出会ったのが物語の発端。

  • ラヴォルモス
火星の地下洞窟に張り巡らされた世界。ヴルトゥームが火星に持ち込んだ外宇宙の科学力によって支えられている。


ストーリー解説

地球人類が火星(ハイサイ)に入植した遥かな未来。
それぞれの事情で路銀も尽きて困っていた2人の地球人ヘインズとチャンラーは、見知らぬハイサイ人の援助の勧めを受け、彼の案内のもと地下世界ラヴォルモルを訪れる。

……果たして、その先で彼らが引き合わされたのは、火星に邪神として伝わる地球外生命体ヴルトゥームであった。
化石の花を通じてヘインズ達に話しかけるヴルトゥームは、自身が火星を捨てて地球に赴く腹積もりである事を明かし、2人に協力を求める。
花の芳香で眠らされている間に2人はラヴォルモルの庭園に移されており、目を覚ましたヘインズ達は状況を整理。
早いが話ヴルトゥームなる存在が危険なドラッグなどと共に、地球に持ち込まれようという状況で、自分達はそれに加担させられようとしているのだ。
既に地球行きの宇宙船は建造中との事で、タイムリミットは48時間……
2人は断れば死あるのみと判断し、ヴルトゥーム信徒の一人、タ=ヴォ=シャイを謀ってラヴォルモルからの脱出を図る。

しかし2人はヴルトゥームの手先である三つ首の怪物に阻まれ、再び眠らされてしまう。
覚醒したヘインズが目にしたのは、ヴルトゥームに100万ドル相当の資金を約束されて寝返ったチャンラーの立体映像メッセージであった。
ヘインズは迷いを抱えながらも、あれがチャンラー本人の言葉とは思えない、きっと操られでもされたに違いないと判断し、メッセージに従い道を行く。
その過程でヘインズは、タ=ヴォ=シャイによる案内の際に教えられた「眠りの壺」……ヴルトゥームとその信徒が千年の眠りにつくためのガスの貯蔵庫を発見する。
これさえ破壊すれば、ヴルトゥームと信徒たちは千年は目覚めないが、長寿の処置をされていないヘインズとチャンラーは眠ったまま寿命が尽きてしまうだろう……

ヘインズは、自分達の犠牲で地球と火星、双方に後千年の猶予が与えられるならば、と即断し、眠りの壺を破壊。
次々と信徒達が眠り斃れる中、ヘインズは化石の花があった部屋の更に奥、得体の知れない機械の部屋に辿り着く。
……果たしてそこに居たのは、拷問用具を手にしたタ=ヴォ=シャイと、彼に拘束されて拷問を受けていたチャンラー、
そして球根植物から生えた小妖精といった外観を有したヴルトゥームの本体であった。
チャンラーは眠りにつく前、自分は一切裏切っていなかった、あの立体映像は全くの偽物であった事実をヘインズに釈明する。

ヘインズもまた永久の眠りにつこうとする直前、同じく眠ろうとするヴルトゥームは彼に対し、
今回は彼ら人類の勝ちだが、自分は不注意を悔やんでいるだけでヘインズに対する憎しみは無い。
やろうと思えば眠りの壺のガスすらも克服可能だが、今回はたった千年程度眠っておいてやる。
その間に寿命が尽きたお前達の骸は塵芥になってるだろう、という旨の言葉を投げかける。

ヘインズとチャンラーは生涯最後の死に至る眠りにつき、ヴルトゥームとその信徒達も千年の眠りについた。
静寂の海の様に、眠りがラヴォルモルの洞窟をすっぽりと包み込んでしまった―――


クトゥルー神話におけるヴルトゥーム

上記の通りヴルトゥームの初出作品は神話作品どころかコズミックホラーですらない単独のSF小説といった趣きであったのだが、
1964年にラムジー・キャンベルの発表した小説『湖の住人』*1において、作中に登場する書物「グラーキの黙示録」に記された内容の一つに
「(吸血鬼伝説の元となった種族と比較して)ヴルトゥームすらほんの子供に過ぎない」という記述があった事で、本作もクトゥルフ神話に結び付けられるようになった。

その後はリン・カーターの著作によって、ヴルトゥームが外なる神ヨグ=ソトースの息子にしてツァトゥグァとは事実上の異父兄弟の「旧支配者」であると位置付けられ、
旧支配者が太陽系に進出した際にヴルトゥームは火星を領地としながらも、旧神によってアイハイ人達と共に地下洞窟ラヴォルモスの深淵に幽閉された……と肉付けされている。
ただし、初出作品の内容に基づく限りは、ヴルトゥームが地下世界ラヴォルモルに隠遁したのは外部の存在に封じ込められたとかではなく、
単純に火星の崇拝者に飽いて自らの意思で地下に隠遁したと解釈すべき方が自然であり、実際にそちらの解釈に沿った記述をしている資料*2も少なくない。

クトゥルフ神話TRPGの分野では、書籍『マレウス・モンストロルム』においてヴルトゥームを崇拝するアイハイ人についても設定が幾つか整理されており、
大多数のアイハイ人はヴルトゥームを崇拝しながらも基本的には温和かつ文化的で人類に対しても友好的だが、
その亜種はヴルトゥームと直接的に通じ、勢力を拡大しつつラヴォルモスを拠点に活動している、と解釈されている。
また、H・G・ウェルズの小説作品『宇宙戦争』に登場する火星人(所謂非ヒューマノイド的な外観のあれ)とは同じ火星に住む知的生命体でありながらも、
その性質と生態の根本的な相違故か、アイハイ人とは不安定な休戦協定によって共存しつつお互いにほぼ関わる事の無い間柄、とされている。

ちなみに書籍『恐怖と狂気のクトゥルフ神話』(笹倉出版社)の紹介においては、火星が占星術や魔術でも重要な存在とされている事からノストラダムスの滅びの予言と関連付けられ、
恐怖の大王はヴルトゥームを指しており、1999年に世界が滅びなかったのはヴルトゥームがさほど支配や侵略に興味が無かったおかげかもしれない」という説も掲載されている。



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最終更新:2023年06月26日 01:44

*1 旧邦題『湖畔の住人』

*2 ダニエル・ハームズ著『エンサイクロペディア・クトゥルフ』、PHP文庫『「クトゥルフ神話」がよくわかる本』など。