坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

登録日:2011/06/09 Thu 15:19:02
更新日:2025/10/03 Fri 10:59:17
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坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとは諺の一つ。
昨今の時代、リアルでも創作物でも時たまにこの言葉が使われることがあり、なんとなく耳にしたことがある人もいるかもしれない。


◆どんな意味?

意味は「その人の関わる事全てが憎くみえる」という意味。
簡単に言えば「憎しみに支配されて周りが見えなくなる」、「何の疑問も持たず決め付けに係る」って事。
ちなみに坊主は僧侶のことで、袈裟(けさ)は僧侶が葬儀のときとかに着ている正装。
袈裟には当然ながら罪は無い。しかし、憎い坊主(相手)が着ているならばそれすら憎悪の対象となってしまっている。言葉では袈裟で止まっているものの、次第にその者の住んでいる土地や関わっている無関係の人(他の僧侶)等へどんどん憎しみを向ける対象が広がって行ってしまう…。
過去にハゲの人に酷い目に遭わされたトラウマから、他のハゲの人までも同じように見えてしまい恐怖したり恨みの言動をしてしまう…と言えばわかりやすいか。

そもそもの話こんな諺が生まれてしまったのは、昔の江戸時代辺りまで遡る。
当時の僧侶は「寺請制度」によって強大な権力を持っていた。しかしそんな僧侶の中にはその権力の他に神仏といった信仰を盾にして汚職や強引な民衆管理を繰り返す等の蛮行・愚行を繰り返し働いていた者もいたのだ。当然ながら真っ当に善良な僧侶も数多くいたのだが、やはりというか僧侶という立場の人間がまさに悪人のような所業を起こしていた事実は庶民達の心に悪い意味で残ってしまっていたのだろう…。
そういった様を見てきた庶民の感情から生まれたのがこの「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」である。

対義語は
惚れた欲目:好きになった相手のことが実際以上に良く見えてしまうという意味。恋は盲目と同じ。
あばたもえくぼ:好きになった相手は短所であっても長所に見えるという意味。あばたとは治療した後にも顔に残る発疹の跡で、えくぼは笑った際に頬の辺りにできる窪みのこと。
といったものがある。


◆特徴

意味は上記のような感じだが、我々が周りで使うとまさにこれじゃんって感じるのは以下の通り。
  • 荒唐無稽な物言い
  • 理不尽な決め付け
  • 一纏めに物や人を扱う
  • 「単純」という事が大好きな反面、少しの「複雑」でも嫌う
  • 人には物を言うが、自分は聞かない
  • 罵倒
  • 〇〇が一番!△△は駄目!
  • 超主観主義
  • 二言目には「世間一般から見れば(すれば)~」と言う
といった事が特徴。
※当たり前の事だが、当てはまるといってもそれはその人個人があーだこーだ言ってるものなので、この項目を見ている貴方にもそれが必ず当てはまるわけではないので、悪しからず。

「超主観主義」と「二言目には世間一般から見れば」を持っている確率は異常に高い。
まるで自分の言っていることは他の人々も同じように思っている!ぶっ飛んだ言い方をすれば世界の意思だ!
昨今のSNSなどではこんな物言いをしている人をよく見かける気がする。


◆例

例えば、DQN(不良・暴走族)が嫌いならばそれに関すること(単車やだらしない服装または思考や嗜好)が憎くみえたりする。

オタクが嫌いならば
  • アニメ(主に萌え系)を見ている人は駄目人間
  • ポロシャツ
  • 太った体型
  • 痩せた体型
  • その人が身に付けているもの全て
  • 吐く息
  • 太ったまたは痩せている人はオタク
等々、理不尽な位全てが嫌悪の対象

オタクDQN等の人種の他にも性格や世代でくくって嫌う人もいる。例に漏れずその場合も一纏めにしてしまう。
例)
理系文系問わず勉強の出来る人が嫌い、だと
  • 勉強が出来る人は人間味がない
  • 将来役に立たない事をしている無駄な行為
  • 温かみがない
  • 勉強をするとあの人みたいな性格になる
  • 鉛筆や筆記用具に触りたくない

ゆとり世代が嫌い、だと
  • 温かみがない
  • 融通が利かない
  • 新人の能力が低い
  • 口答えする
  • 俺の常識が通じない
  • デジタル人間で使えない
等、やはり理不尽で荒唐無稽な物言い。

またまた他にも、あの人は他人を小馬鹿にする人だという先入観を持っていると
  • 行動全てが小馬鹿にしている
  • あの人の発言は全て人を小馬鹿している
  • 行動全て癪に触る
これだと「その人の行動≒他人を小馬鹿にしている」ではなく「その人の行動=他人を小馬鹿にしている」と意識せざるとも見えてしまう。
人のとは怖いものである。

そしてそれによって引き起こされた事件もあったわけで…


◆坊主憎けりゃ袈裟まで憎いで起こった事件


競売物件に違法に居座った夫婦とその子供たちが、その物件を扱った不動産鑑定士に殺害された事件。詳細は当該記事参照。
(殺害という手段に走ってしまった段階で既に問題外とはいえ)本来犯人が憎かったのは夫婦のみのはずだが、
容疑者の怒りはそれだけでは収まらずその子供も殺害してしまった。


◆心理

意味や特徴等を述べては来たが、嫌だなーあの人(あの物)悪いよなーあれも嫌だしこれも悪い………だけで終わってしまうのは早計ではないだろうか。

たしかに悪い対象があったというのは事実ではある。が、それに付随するものや人までが本当に悪いものや人だったのか?少し冷静になって考える必要があるのではないだろうか。(本当に悪かったというパターンもあるのでこれが全て当てはまるわけではありません悪しからry)
意味としては上記の通りだが、「理性的に物事を見よう」という"戒め"も込められているのではないだろうか。

他には何らかのことがあってつい感情的になってしまうことは人として生きている上でどこかで確実に起きうること。ただそれは必ずしも憎しみという感情だけで突き動かされるものではないと思われる。憎い!と思うことでも内容によっては、ユーモアとはちょっと違うかもしれないが「あーそういえばあれも似てるよねーあはは」と柔らかく考え直して流すことも出来るのではないか。

憎いという感情そのものを否定するつもりはないしそんな権利は誰にもない。
しかし、時には少しでも落ち着いて考えてみる…そんなことも今の現代社会では必要なのかもしれない。


この項目は主観的に書かれている場合がありますので、気になったら書き直してください。


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最終更新:2025年10月03日 10:59