1996年F1モナコグランプリ

登録日:2023/06/15 (木) 23:57:02
更新日:2025/02/02 Sun 13:59:21
所要時間:約 13 分で読めます





1996年F1モナコグランプリとは、1996年F1世界選手権の第6戦として開催されたグランプリである。
雨上がりのモナコという難しい環境のため、最後まで走り切ったクルマがたった3台というF1史に残る大波乱が巻き起こった伝説の一戦であり、30年以上経った今でも「モナコGPの名場面」にこの年を挙げるファンは多い。

舞台となるのは、F1史上最短にして最難関のサーキット、モンテカルロ市街地コースである。
コースの詳細は各自で調べていただきたいが、本項では解説にモナコのコーナー名やコーナー番号を多用しているため、それだけでも頭に入れておくと、より理解しやすくなることだろう。




概要:モナコグランプリまでのあらすじ

さて、本題に入る前に、モナコグランプリに至るまでの1996年のF1の模様をお伝えしよう。
この年の主役はなんといっても、ウィリアムズのドライバー、デイモン・ヒルジャック・ヴィルヌーブの2人。
どちらも偉大なF1ドライバーを父に持つ「2世ドライバー」であり、片や確かな努力と紳士的なキャラで’60年代のF1を席巻した「伝説」グラハム・ヒルの息子、片や卓越したドライビングで数々の名勝負を演じ、クラッシュで非業の死を遂げた「無冠の天才」ジル・ヴィルヌーブの息子という、紛うことなきレジェントの血統である。

ヒルは1992年にF1デビュー。
93年からウィリアムズで経験を積み、堅実な走りと確かな能力ででその腕を認められてきた。
94年にチームメイトだったアイルトン・セナ事故で亡くなると、それ以来新たなリーダーとして奮闘。常に全力の努力を尽くしながらも、中々ワールドチャンピオンに手が届かない苦労人である。

一方のヴィルヌーブは欧州とアメリカで研鑽を積み、当時の北米最高峰レースであるチャンプカー・シリーズの史上最年少チャンピオンという肩書を引っ提げてF1に参戦。
すると人生初のF1グランプリとなったオーストラリアでいきなりポールポジションを叩き出すという衝撃の結果を見せつけ、一気にチャンピオン争いに名乗りを上げた。

また伏兵として、今年からフェラーリに移籍したミハエル・シューマッハも見逃せない。
一昨年、昨年とベネトンで選手権2連覇を成し遂げた「若き皇帝」だが、暗黒期に喘ぐ古豪復活のために、馴染みのエンジニアたちを引き連れてフェラーリに移籍。
のちにF1を支配する黄金時代の最初の一歩を踏み出したところだった。一方エースドライバーとエンジニア多数を失ったベネトンは急失速した

ここまでの1996年シーズンは、5戦を終えてヒルが4勝、ヴィルヌーブが1勝とウィリアムズの無双状態
一方シューマッハも前戦サンマリノグランプリでポールポジションを獲得し、この状況に一矢報いる。
グランプリ開幕前の状況としては、ここまでモナコ2連覇中のシューマッハがセナ以来の3連覇達成なるか、それともデイモン・ヒルが、通算5勝を挙げた「モナコ・マイスター」の父を追いかけて念願のモナコ初制覇か、はたまたヴィルヌーブが初モナコで躍動するのか…といったところだった。

1996年モナコグランプリ開始前の選手権ランキング

Pos Driver Points
1 デイモン・ヒル 43
2 ジャック・ヴィルヌーブ 22
3 ミハエル・シューマッハ 16
4 ジャン・アレジ 11
5 エディ・アーバイン 9
Pos Constructor Points
1 ウィリアムズ・ルノー 65
2 フェラーリ 25
3 ベネトン・ルノー 18
4 マクラーレン・メルセデス 9
5 ジョーダン・プジョー 8


予選

そして迎えたモナコグランプリ当日、決勝でのスタート位置を決める予選最終ラウンド。
デイモン・ヒルが暫定トップのままセッションは終盤に差し掛かり、ヒルのポールが確実だと思われていた。

しかしその矢先、終了間際にミハエル・シューマッハが鬼のような走りでモンテカルロを駆け抜けると、ヒルの記録を0.5秒上回って見事ポールポジションに飛び込んだ
これでシューマッハはサンマリノに続く2戦連続のポールであり、モナコ3連覇に向けて幸先のいい滑り出しとなった。ヒルの後ろ、セカンドローの3番手4番手にはアレジとベルガーのベネトン勢が並ぶ。
ヒルの相方ヴィルヌーブは初めてのモナコに手こずり、10番手でマシンを降りた。

日本勢としては、ティレル・ヤマハミカ・サロが11番手、我らが片山右京は15番手を獲得。
リジェ・無限ホンダオリビエ・パニスが14番手、ペドロ・ディニスが17番手。
フットワーク(アロウズ)・ハート*1ヨス・フェルスタッペン*2が12番手、リカルド・ロセットが20番手となった。
全22台のマシンが、たったひとつのモナコの栄光を見据え、静かにスタートの時を待つ……




1996 Formula One
Round 6
Monaco Grand Prix
STARTING GRID

Position Car No. Driver Team
PP 1 ミハエル・シューマッハ フェラーリ
2 5 デイモン・ヒル ウィリアムズ・ルノー
3 3 ジャン・アレジ ベネトン・ルノー
4 4 ゲルハルト・ベルガー ベネトン・ルノー
5 8 デビッド・クルサード マクラーレン・メルセデス
6 11 ルーベンス・バリチェロ ジョーダン・プジョー
7 2 エディ・アーバイン フェラーリ
8 7 ミカ・ハッキネン マクラーレン・メルセデス
9 15 ハインツ=ハラルド・フレンツェン ザウバー・フォード
10 6 ジャック・ヴィルヌーブ ウィリアムズ・ルノー
11 19 ミカ・サロ ティレル・ヤマハ
12 17 ヨス・フェルスタッペン フットワーク・ハート
13 14 ジョニー・ハーバート ザウバー・フォード
14 9 オリビエ・パニス リジェ・無限ホンダ
15 18 片山右京 ティレル・ヤマハ
16 12 マーティン・ブランドル ジョーダン・プジョー
17 10 ペドロ・ディニス リジェ・無限ホンダ
18 21 ジャンカルロ・フィジケラ ミナルディ・フォード
19 20 ペドロ・ラミー ミナルディ・フォード
20 16 リカルド・ロセット フットワーク・ハート
21 22 ルカ・バドエル フォルティ・フォード
22 23 アンドレア・モンテルミーニ フォルティ・フォード





決勝

1996年5月19日、迎えた決勝当日。朝から降っていた雨が昼前にかけて土砂降りになってしまい、なんとかレース開始前には止んでくれたものの、路面はまだ濡れているという状況の中でレースの準備が進められた。

そんな中、予選最後列にいたアンドレア・モンテルミーニ(フォルティ)がウォームアップ走行中にトンネル内でクラッシュし負傷。パーツ不足で代役走行ができなかったため、フォルティは2台体制を諦め、ルカ・バドエルのみの出走を決断した。

早くも1人が脱落し雲行きが怪しくなる中、モンテルミーニ以外の全21台が決勝のスターティンググリッドに。前述の路面状況も鑑みて、ほぼ全員である20台が雨用のレインタイヤを履いてグリッドに着いた。なお残りの1台とは、ただ一人だけドライ用のスリックタイヤを履くという大ギャンブルに出たヨス・フェルスタッペン(フットワーク)である。また、ヘルメットのバイザーが曇ってしまう問題に直面したデビッド・クルサード(マクラーレン)は、スタート直前にシューマッハに頼み込み、彼のスペアヘルメットを借りてレースに臨んだ。顎とペヤング、ヘルメットは本当に合ったのだろうか


現地時間14時30分、ついにスタートした伝統の一戦モナコグランプリ。2番手スタートのヒルが好ダッシュを見せ、1コーナーでシューマッハを追い抜きトップに浮上。後方ではスリックタイヤを履いたフェルスタッペン(フットワーク)が1コーナーの壁に突っ込むギャンブル大失敗でレースを終え、同じく1コーナーでジャンカルロ・フィジケラペドロ・ラミー(共にミナルディ)がもつれて接触するなど初っ端から混乱が発生

雨に濡れたモナコという難コンディションは2連覇王者にも容赦なく牙を剥き、なんとポルティエ手前の下り坂でシューマッハがスピンを喫しガードレールに激突。現役唯一のワールドチャンピオンにしてモナコウィナーが、1周も経たないうちに呆気なく姿を消す予想だにしない展開に。さらに同じ周の終盤、ラスカスでルーベンス・バリチェロ(ジョーダン)がスピンし脱落。なんとスタートしてから1周も経たないうちに5台が脱落するという近年稀に見る波乱の幕開けに。

なんとかレースは2ラップ目に入るも、片山右京(ティレル)とロセット(フットワーク)がそれぞれ単独スピンしクラッシュディニス(リジェ)がトランスミッションのトラブルでリタイアと混乱は止まらず、10周目には3位を走行していたベルガー(ベネトン)までもが、ギアボックスの不調でピットに入ると、そのままマシンを降りてしまった。

10周目を終えるとリタイアのラッシュは一旦落ち着き、1位ヒル、2位アレジ、3位アーバイン(フェラーリ)のオーダーに。アーバインはなかなかペースが上がらないが、モナコの抜けないコース特性に雨というコンディションが重なったことで、アーバインを抜くに抜けない後ろのマシンが数珠つなぎに行列を作っていた。しびれを切らしたフレンツェン(ザウバー)がヘアピンで強引に抜かしにかかるが、アーバインに追突してフロントノーズを壊し、逆に最後尾まで後退。この頃になると路面は完全に乾いており、30周目前後には全車がピットインし、ドライタイヤに交換した。

このピットインで大きく順位を上げたのが、予選14番手だったオリビエ・パニス。燃料をたっぷりと積んでレースを開始し、ピットでの給油時間*3を短縮させることで7位から4位に浮上。最速ラップを連発して先頭集団を追いかけ、追いついたアーバインに対してフレンツェンと同じくヘアピンでの追い抜きを狙う。今度は追い抜きに成功しパニスは3位になったが、抜かれたアーバインは弾みでガードレールに接触した上、シートベルトを緩めてしまった*4ことで緊急ピットインを強いられ、大幅なタイムロスを食らってしまった。

さて、そんな後方の混乱をよそに、1位のヒルは快調な走りを続け、2位アレジに20秒以上の大差をつける余裕の独走を見せる。デビュー以来、セナやシューマッハなどの名だたるバケモノたちの前に屈し、クラッシュやマシントラブルで幾度となく涙を呑んできた夢のモナコ制覇。マシンは最強、シューマッハはリタイア、後続も遥か後ろで今のヒルに隙は無い。「モナコ・マイスター」の父に続く、F1史上初・親子二代でのモナコ・ウィナーに向けた絶好のチャンス



……の、はずだった。



41周目、トンネルを全力疾走するヒルのマシンから突如として煙が上がる。なんとここ一番でルノーエンジンが音を上げ、エンジンブローしてしまった*5。ヒルはヌーベル・シケイン奥にマシンを止めると、がっくりと項垂れ天を仰いだ。親子二代の栄冠*6という夢は、呆気なくヒルの手から滑り落ち、そして再びヒルが手にすることは、ついになかった。

ヒルのリタイアにより、1位はベネトンのジャン・アレジに繰り上がった。アレジもまた後ろのパニスに30秒という大差をつけていたが、60周目に突然ピットイン。一度はコースに戻るも、1周後に再びピットに戻るとここで無念のリタイア。サスペンションのトラブルが原因であった。これにより、14番手スタートでアレジの後方2位まで上がっていたパニスがラップリーダーとなる。一方、雲の広がるモナコには再びポツポツと雨が落ち始めていた。

モナコの波乱はまだ終わらない。67周目、5位を走っていたヴィルヌーブが6周遅れのルカ・バドエル(フォルティ)を追い抜かそうとミラボーに切り込んだところ、両者は接触。ヴィルヌーブはイン側の壁に押し付けられるようなかたちとなり、ヘアピンでストップ。一方のバドエルもリアサスペンションがぽっきりと折れてしまい、トンネル入口でマシンを止めた。これによりコースに残っているのは…

1位 オリビエ・パニス(リジェ)
2位 デビッド・クルサード(マクラーレン)
3位 ジョニー・ハーバート(ザウバー)
4位 ハインツ=ハラルド・フレンツェン(ザウバー)
5位 ミカ・サロ(ティレル)
6位 ミカ・ハッキネン(マクラーレン)
7位 エディ・アーバイン(フェラーリ)※1周遅れ

…という、たった7台のオーダーに。この時点で本当にこれだけしか残っていないのだ。なお、この当時のF1は入賞範囲が6位までとなっていたため、この時点でもうほぼ順位は確定したようなものである。
2位クルサードは借り物のヘルメットで猛追し、この頃にはパニスの1秒後ろまで追いついていたが、パニスは冷静に対処しクルサードに追い抜く隙を与えない。ここはモナコモンテカルロ

71周目、フィニッシュまであと7周というところで更なる波乱が。周回遅れとなっていた7位アーバインが、よりにもよってチームメイトのシューマッハがクラッシュした地点で同じようにスピン。何とかガードレールとの衝突は避けられたが、体勢を立て直すべくスピンターンをしたところに、ちょうど後ろからバトル中だったサロとハッキネンが遭遇。玉突き事故のようなかたちで追突し、ここまで生き残ってきた実力者3人が一気に姿を消してしまった

さらに、4位を走るフレンツェンだが、すでに周回遅れになっておりこれ以上の順位アップはもう望めないという状況にあった。しかし先ほどの玉突き事故によってフレンツェンより後ろのドライバー全員がリタイアしたため、これ以上順位が下がることもなくなった。ここから先、いかにリスクを冒して運転したところで、順位は確定し、動かなくなっていたのだ。この状況に気付いた陣営は75周目にフレンツェンをピットに呼び、フレンツェンは自主的にマシンを降りることとなった。
これは「規定周回の90%を消化していればリタイヤしたとしても完走扱いになる」というルールがあり、周回遅れだったフレンツェンは自力での順位アップは期待できず、前のクラッシュを願うよりかは、降りて順位を確定させてしまったほうがメリットが多かったのである。

モナコグランプリは78周が規定周回数。地獄のようなこのレースも確実に終わりが近づいていた。しかし、ここでレース開始から2時間が経過。雨でモナコにおける最高速すら出せなかったこと、相次ぐ1位のリタイアで全体のペースが落ちまくっていたこともあり、2時間ルール*7が適用されることに。レース開始から2時間と45秒、パニスがラスカスを曲がり、どこか誇らしげにホームストレートまで帰ってきたところでチェッカーフラッグ75周をもってレースが打ち切られることとなった。4位フレンツェン以下全ドライバーが何かしらの理由でリタイアしたため、最後まで生き残ってチェッカーフラッグを受けたのは優勝したパニス、2位クルサード、3位ハーバートの3台のみ。これはF1の長い長い歴史の中でも史上最少であり、この項目の初回作成時点(2023年)でも破られていない

ピットでマシンを降りたフレンツェンが4位。クラッシュでチェッカーは受けられなかったが、周回数の9割を消化していたサロ、ハッキネン、アーバインが完走扱いとなり、それぞれ5位、6位、7位に。完走扱いを含めても生還たった7台という、F1の歴史に残るサバイバル・グランプリはここに幕を閉じた。




1996 Formula One
Round 6
Monaco Grand Prix
RESULTS

Position Car No. Driver Team Start position Time/Retired
1 9 オリビエ・パニス リジェ・無限ホンダ 14 2:00:45.629
2 8 デビッド・クルサード マクラーレン・メルセデス 5 +4.828
3 14 ジョニー・ハーバート ザウバー・フォード 13 +37.503
4 15 ハインツ=ハラルド・フレンツェン ザウバー・フォード 9 棄権
5 19 ミカ・サロ ティレル・ヤマハ 11 接触
6 7 ミカ・ハッキネン マクラーレン・メルセデス 8 接触
7 2 エディ・アーバイン フェラーリ 7 接触
DNF 6 ジャック・ヴィルヌーブ ウィリアムズ・ルノー 10 接触
DNF 3 ジャン・アレジ ベネトン・ルノー 3 サスペンション
DNF 22 ルカ・バドエル フォルティ・フォード 21 接触
DNF 5 デイモン・ヒル ウィリアムズ・ルノー 2 エンジン
DNF 12 マーティン・ブランドル ジョーダン・プジョー 16 スピン
DNF 4 ゲルハルト・ベルガー ベネトン・ルノー 4 ギアボックス
DNF 10 ペドロ・ディニス リジェ・無限ホンダ 17 トランスミッション
DNF 16 リカルド・ロセット フットワーク・ハート 20 スピン
DNF 18 片山右京 ティレル・ヤマハ 15 スピン
DNF 1 ミハエル・シューマッハ フェラーリ 1 スピン
DNF 11 ルーベンス・バリチェロ ジョーダン・プジョー 6 スピン
DNF 20 ペドロ・ラミー ミナルディ・フォード 19 接触
DNF 21 ジャンカルロ・フィジケラ ミナルディ・フォード 18 接触
DNF 17 ヨス・フェルスタッペン フットワーク・ハート 12 事故
DNS 23 アンドレア・モンテルミーニ フォルティ・フォード 22 負傷欠場

※DNF=リタイア DNS=出走せず




順位推移

Pos. Grid Lap1 Lap11 Lap21 Lap31 Lap41 Lap51 Lap61 Finish(Lap75)
1 シューマッハ ヒル ヒル ヒル ヒル アレジ アレジ パニス パニス
2 ヒル アレジ アレジ アレジ アレジ パニス パニス クルサード クルサード
3 アレジ ベルガー アーバイン アーバイン アーバイン クルサード クルサード ハーバート ハーバート
4 ベルガー アーバイン フレンツェン クルサード パニス ハーバート ハーバート ヴィルヌーブ フレンツェン
5 クルサード フレンツェン クルサード ヴィルヌーブ クルサード ヴィルヌーブ ヴィルヌーブ サロ サロ
6 バリチェロ クルサード ヴィルヌーブ サロ ハーバート サロ サロ ハッキネン ハッキネン
7 アーバイン ヴィルヌーブ サロ ハーバート ヴィルヌーブ ハッキネン ハッキネン フレンツェン アーバイン
8 ハッキネン サロ ハーバート パニス サロ フレンツェン フレンツェン アーバイン ヴィルヌーブ
9 フレンツェン ハーバート ハッキネン ハッキネン ハッキネン アーバイン アーバイン アレジ
10 ヴィルヌーブ ハッキネン パニス ブランドル フレンツェン バドエル バドエル バドエル
11 サロ ブランドル ブランドル フレンツェン バドエル ヒル
12 フェルスタッペン パニス バドエル バドエル ブランドル
13 ハーバート 片山 ベルガー
14 パニス バドエル ディニス
15 片山 ロセット ロセット
16 ブランドル ディニス 片山
17 ディニス シューマッハ
18 フィジケラ バリチェロ
19 ラミー ラミー
20 ロセット フィジケラ
21 バドエル フェルスタッペン
22 モンテルミーニ





余談

  • 優勝したオリビエ・パニスはこれが初優勝であり、エンジンを担当した無限ホンダもこれが初優勝。またリジェにとっても15年ぶりの優勝であり、フランスのチームに所属するフランス人のパニスが、モナコでトリコロールを掲げるお祝い尽くしのウイニングランとなった。しかし、パニスは2004年*8までF1を続けるが結果的にこのモナコが最初で最後の優勝となり、リジェも1996年限りで身売りしF1から撤退。これが最後の輝きとなった。

  • この勝利により、パニスはドライバーズランキングでヒル、ヴィルヌーブ、シューマッハに次ぐ4位に急浮上し、リジェもコンストラクターズランキングでウィリアムズ、フェラーリ、ベネトンを追う4位につけることに。なお、最終的にパニスはランキング9位、リジェはランキング6位でシーズンを終えている。

  • なお、「完走台数」の最少記録(3台)は本グランプリだが、「完走扱い」まで含めた最少記録(4台)1966年のモナコグランプリである。ちょうど30年前にあたるこのレースには、のちにリジェF1チームを創設するギ・リジェが参戦しており、しかもこれがデビュー戦であった。リジェは100周*9のレースを25周遅れでなんとか走り切るも、「規定周回の9割走破で完走扱い」というルールがこの年から施行されていたため、完走は認められなかった。
    完走扱い台数最少のモナコでF1の世界に入った一人の人間がF1チームを設け、そのチーム*10が30年後の完走台数最少のモナコを制する。なんとも数奇なドラマである。

  • 時代は流れ、コロナ禍によってF1も大きなダメージを負った2020年。本来であれば開催されるはずだった春から夏にかけてのレースがことごとく中止・延期となる中、F1公式は過去の名レースのフル尺をYouTube上で無料配信するという大盤振る舞いな企画を打ち出す。その第3弾*11として選定されたのが、この1996年モナコグランプリであった。関係者やファンにとっても、いかにこのレースが記憶に残っているかが窺える。
    2023年現在はレース全編の映像は非公開となってしまったが、同時に投稿されたレースハイライトや、リタイアに焦点を絞って編集されたデスゲームハイライト「The Race With The Fewest Finishers In F1 History」は現在も視聴可能。世紀のサバイバルレースを当時の英語実況とともに視聴できる。目まぐるしい展開の連続に思わず絶叫する実況陣も見もの。

  • なお、このモナコでパニスが優勝して以降長きにわたって、フランス人がF1で優勝することは無かっ。次にフランス人ドライバーが優勝してフランス国旗が表彰台の真ん中に掲げられるのは、24年後のイタリアである。

1996年モナコグランプリ終了時の選手権ランキング

Pos Driver Points Result
1 デイモン・ヒル 43
2 ジャック・ヴィルヌーブ 22
3 ミハエル・シューマッハ 16
4 オリビエ・パニス 11
5 ジャン・アレジ 11
Pos Constructor Points Result
1 ウィリアムズ・ルノー 65
2 フェラーリ 25
3 ベネトン・ルノー 18
4 マクラーレン・メルセデス 16
5 リジェ・無限ホンダ 11



追記・修正はフランス国旗を掲げながら、無限ホンダに感謝してからお願いします。

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  • デーモン・ヒル
最終更新:2025年02月02日 13:59

*1 日本の運送会社が買収して運営していた日系チームだが、このシーズン序盤に運営母体が移り、チーム名を買収前の「アロウズ」に戻している。英語実況もアロウズ呼びだが、登録名は一応フットワークのままである。

*2 2021年のF1チャンピオンであるマックス・フェルスタッペンの父

*3 1994年から2009年まで、F1ではレース中の給油が可能だった。燃料が少ないと当然マシンは軽くなり、速く走れるため、燃料補給の量とタイミングが重要な戦略要素となっていた。

*4 F1ドライバーは、コース走行中はシートベルトでガッチリとマシンに拘束されている必要があり、途中で締め直すにはピットに入るしかない。当時はセナの事故もあり、この手の安全対策には特にピリピリしていた。

*5 この年のウィリアムズFW18は信頼性も完璧に近く、エンジン由来のリタイアもほぼ無かった。ここ一番のモナコで壊れてしまうのは本当に運が悪かったといえる。

*6 なお、親子二代モナコ制覇という記録は、2013年にニコ・ロズベルグが達成している。

*7 決勝レース開始から終了までを2時間以内に収めるルール。レースという極限状態で2時間以上走るのはドライバーの体力的に危険とされており、2時間を超えた周で強制的にレース終了となる。

*8 同年日本GPをもって引退。この間に、無限ホンダ、ホンダ、トヨタとF1内で日本メーカー3社のエンジンを乗り継ぐという稀有な経験をしている。

*9 1967年までのモナコは規定周回数が100周だった。ただどう頑張ってもレース時間が2時間をオーバーするため、1968年から現在の周回数に減らされた。

*10 なお、ギ・リジェは1992年にチームを売却し、リジェ運営から身を引いている。

*11 ちなみに第1弾は、豪雨の中をドライかと見紛う走りでマックス・フェルスタッペンが躍動した2016年ブラジルグランプリ。第2弾は、F1史に残る熾烈なチームメイトバトルが印象的な2014年バーレーングランプリである。