アルカング(競走馬)

登録日:2024/06/11 Tue 17:58:48
更新日:2024/06/15 Sat 18:01:00
所要時間:約 10 分で読めます




Absolutely Shocking!! Impossible Victory!!

とても驚きました!!有り得ない勝利です!!

トム・ダーキン=アナウンサー

アルカング(Arcangues)は、フランス・アメリカ合衆国の元競走馬、種牡馬。
世界のダート最強馬決定戦・BCクラシックにて「a tremendous longshot(とてつもない大穴)」によって優勝した馬、「one of the biggest upsets in horse racing history(競馬史上最大の波乱をもたらした1頭)」として知られる。

日本の競走馬世代でいうとトウカイテイオーナイスネイチャらと同世代である。

+ 目次

【データ】

性別:牡
毛色:栗毛
誕生:1989年3月4日
死没:2006年10月(2009年3月付けJRA公式発表)
享年:18歳
父:Sagace/サガス
母:Albertine/アルベルティヌ
母父:Irish River/アイリッシュリヴァー
調教師: Andre Fabre(仏国)→Richard Eugene Mandella(米国)
主戦騎手:Thierry Jarnet (フランス時代15戦中11回騎乗)
馬主:Daniel Wildenstein
生産者: Allez France Stables Ltd.
産地:アメリカ合衆国ケンタッキー州
獲得賞金:1,670,000フラン+1,681,550ドル(約2億8330万円+約2億6000万円)
通算成績:19戦6勝 [6-2-2-11]
主な勝鞍:1993年GⅠBCクラシック、GⅠイスパーン賞、ほか重賞3勝

【血統】

Sagace(サガス)は、フランスで13戦8勝2着4回の名馬。凱旋門賞・ガネー賞・イスパーン賞の仏国三大タイトルを制覇、史上6頭目の凱旋門賞2連覇を果たすべく1位入線したが、レインボウクエスト陣営の猛抗議により2着降着となった。
引退後はアメリカで種牡馬入りするも9歳の若さで早世、3世代しか産駒を残すことが出来なかった。
アルカングと同年生産馬にGⅡ勝ち馬サガネカがおり、その仔が凱旋門賞馬サガミックス・2歳GⅠクリテリウムドサンクルー勝ち馬サガシティーである*1。この母系は続いており、イスパーン賞勝ち馬セージバーグやGⅠ2勝・2021年ジャパンC参戦馬ジャパンなどが活躍している。

Albertine(アルベルティヌ)は、フランス・アメリカで7戦2勝重賞3着1回。17頭を出産し内15頭がデビュー・10頭が勝ち上がる好成績を残した。
アルカングの全姉アフリクブルーアズールの仔が英1000ギニー勝ち・1998年欧州最優秀3歳牝馬ケープヴェルディである。
半妹アガセ(仏1000ギニー2着)からGⅠ3勝・凱旋門賞2着アクワレリスト・GⅠ勝ちアルティストロワイヤル姉弟が産まれている。
半妹アンジュブルーの仔アンガラもGⅠ馬であり、仔出しの良さが高く評価されケンタッキー州スリーチムニーズファームで功労馬となり2013年に32歳で亡くなるまで大事にされた。

母の父Irish River(アイリッシュリヴァー)は、フランスで12戦10勝内GⅠ7勝を挙げたマイル戦無敗の名馬。代表産駒でGⅠ4勝・ジャパンC2着のパラダイスクリークを通じて日本でテイエムプリキュアなど子孫の活躍が多くみられる。

父・母父ともにフランス・パリロンシャンに強く、どう見てもガチガチの欧州クラシック血統だといえよう。

競走馬時代

誕生

1989年3月4日にフランスの馬産団体アレフランスステーブルの管轄するアメリカ合衆国ケンタッキー州クローバリーファーム*2で誕生した。
母父アイリッシュリヴァー譲りの栗毛で、父サガスのオーナーだったフランスの画商・絵画史研究家にして、馬産団体アレフランスステーブルを取締まるダニエル・ウィルデンシュタインに所有されることとなった。
アルカングの父サガスの降着事件も含め、英国競馬関係者とは深い確執があった人物でもあり、所有馬の殆どを仏国もしくは米国に預け遠征させている。
死後、凱旋門賞ウィークエンド開催のGⅡダニエルウィルデンシュタイン賞にその名を遺している*3
馬名はフランス南西部バスク地方ピレネー・アトランティック県にあるアルカング村が由来とされる*4

アルカングは、30度のフランス・チャンピオントレーナーの座に輝き、凱旋門賞8勝の実績で著名なアンドレ・ファーブル厩舎に入った。ハーツクライを破ったハリケーンランやディープインパクトを破ったレイルリンクを手掛けたことで日本でも有名だろう。

2歳シーズン

2歳11月13日にサンクルー競馬場のアダリス賞がデビュー戦となった。D.ブフ騎手を迎えるも不良馬場が苦手なのか、19頭立ての最下位という残念なデビューとなった。

3歳シーズン

3歳初戦は6月22日、ロンシャン競馬場のプレカトラン賞だった。再びD.ブフ騎手を迎え、2着ミシェルジョルジュに半馬身差つけて初勝利となった。
7月のGⅡユジェーヌアダム賞に出走し、ファーブル厩舎に所属したばかりのT.ジャルネ騎乗となった。
ティエリ・ジャルネ騎手はフランス国内で1万9412戦2304勝内GI48勝を記録するレジェンドジョッキーだ。名牝トレヴで連覇した凱旋門賞を歴代2位タイの4勝している。
武豊が「僕がフランスで騎乗し始めたころ*5の若手ナンバーワンで、それからもずっとトップであり続けた。騎乗技術は卓越していました。本当にジェントルマンで、そんな姿も騎手としてかっこいいな…と、いつも憧れていました」とコメントし、クリストフ・ルメールも「ボクにとって一番のアイドル」と尊敬する人物だ。

重賞馬スティーマーダック・フォーチュンズホイールやプレカトラン賞勝ち馬グリティ、同厩で後の重賞馬ウィオルノらを抑え2.1倍の1番人気に支持された。
レースでは後方から末脚を発揮しフォーチュンズホイールを3/4馬身差で制し重賞初制覇となった。
8月のGⅡギョームドルナノ賞はグリティの僅差2着だったが、3着に抑えたコタシャーンはBCターフなどGⅠ5勝し1993年エクリプス賞年度代表馬となる超大物であった。

9月のGⅡニエル賞はP.エデリー騎手を迎え出走した。パリ大賞1着・仏ダービー2着、同厩かつジャルネ騎手のお手馬であるスボティカ、クリテリウムドサンクルーなどの勝ち馬ピストレブルーという2頭のGⅠホースとの競り合いの結果はスボティカの僅差3着だった。
陣営は力量不足を覚えたか、凱旋門賞ではなく、残念凱旋門賞と呼ばれたことのあるGⅡコンセイユドパリ賞の出走となった。ジャルネ騎手に戻り相手的にも負けるはずないと思われたが、300m手前で失速し3着、3歳時を5戦2勝と歯痒い結果に終わった。

なお当年度の凱旋門賞はスワーヴダンサーら3歳馬が掲示板を独占する結果となった。ピストレブルーがスワーヴダンサーから3馬身差3着、2着マジックナイトは翌月のジャパンCで2着と強豪揃いの世代だといえよう。

4歳シーズン

4歳時は4月のGⅡアルクール賞で復帰したが、末脚不発で6着。フォーチュンズホイール・ピストレブルー・グリティら顔馴染みに太刀打ちできなかった。
5月のイスパーン賞でGⅠ初出走となる。父サガスが7年前に制したレースだがアルカングは11頭立て7番人気だった。
凱旋門賞・ジャパンC2着マジックナイト、英チャンピオンS勝ち馬テルクウェル、クイーンエリザベスⅡ世S勝ち馬セルカーク、仏オークス馬カーリーナ、重賞連勝中で後のGⅠ馬イグジットトゥノーウェア、重賞4勝ゾーマンなど格上揃いだったが、3番手積極的な先行策でゾーマンを追い詰め、首差2着と素質の高さを示した。

7月には初遠征を行い、イギリスのGⅠエクリプスSで2番人気に支持された。前走勝ち馬ゾーマンをはじめ、愛1000ギニー・コロネーションSの勝ち馬クーヨンガ、英国際Sの勝ち馬テリモン、後のGⅠ3勝馬オペラハウス、GⅡ5勝ロックホッパーなどが出走した。
前走の敗戦を反省し、更に強気の2番手競馬するも逆効果で、直線に入るとすぐに失速し8着、クーヨンガがエクリプスS史上2頭目の牝馬優勝を果たしたのだった。

帰国してGⅢプランスドランジュ賞に出走、単勝1.4倍の1番人気アラジ*6が衰えを見せる中、対抗馬として2番人気となった。
思い切って最後方からの競馬を選び、直線で爆発的な末脚を見せるとアラジらを一蹴し6馬身差圧勝してみせた。
陣営はこの勝利を大きく評価し、凱旋門賞出走となった。
しかしこのレースは欧州オークス三冠・英セントレジャーなど6戦無敗の名牝ユーザーフレンドリー、愛ダービーとキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを圧勝しているセントジョヴァイト、英ダービー馬ドクターデヴィアス、仏ダービー馬ポリテン、仏オークス馬ジョリファら3歳強豪が揃う。
更に重賞2連勝中のマジックナイト、GⅠ3勝マシャーラー、コロネーションC勝ちサドラーズホール、アーリントンミリオンの勝ちディアドクターが顔を連ね、同厩のGⅠ2勝馬スボティカがジャルネ騎手を迎えていた。
アルカングはG.モッセ騎手を迎え、14番手から追い込むも重馬場では届かず、スボティカの6・3/4馬身差の7着だった。ユーザーフレンドリーはクビ差2着、15番人気ヴェールタマンドが3着・16番人気で同じサガス産駒サガネカが5着と掲示板は荒れていた。
4歳時は5戦1勝とまたもイマイチな結果に終わった。

なおスボティカ・ドクターデヴィアスがBCターフに挑むもそれぞれ4着・5着。ジャパンCにユーザーフレンドリー・ドクターデヴィアス・ディアドクター・ヴェールタマンドが挑むもそれぞれトウカイテイオーの6着・10着・3着・13着ブービーだった。

5歳シーズン

5歳時は5月のガネー賞で復帰し、オペラハウス・ディアドクター・ヴェールタマンドやイタリアのGⅠ馬ミシルと対戦した。終始後方のままヴェールタマンドから13馬身半差7着ブービーという惨敗だった。
続いてイスパーン賞では7頭立て5番人気、前走3着ミシルや英1000ギニー馬ハトゥーフ、仏2000ギニー馬シャンハイと対戦した。
前走は何だったのだろうか?先行策が直線でも衰えずミシルに1身半差で勝利、GⅠ初勝利を挙げたのだった。

自信を持って英国エクリプスSにリベンジ遠征を行うが、オペラハウスの5・3/4馬身差6着と惨敗、2着ミシルということで前走の勝利は「まぐれ」だと思われるようになる*7
フランスに戻りGⅡドラール賞に出走、GⅠ馬ゆえのハンデが危険視されると、予感は的中する。重賞3連勝中のナイフボックスから10馬身差の4着と目をそむけたくなる惨敗に終わった。

これじゃ凱旋門賞は無理、コンセイユドパリ賞かな?と他の競馬関係者が考える中、アルカング陣営は遠征を決行した。
英国チャンピオンS?BCターフ?ジャパンC?…いやいや…アルカング陣営は気でも狂ったのか、アメリカ最高峰かつ世界最高峰のダートGⅠ競走BCクラシックが開催される西海岸・サンタアニタパーク競馬場へと向かったのだった。

第10回ブリーダーズカップ・クラシック

ダニエル・ウィルデンシュタインはかつて凱旋門賞含めGⅠ8勝の「ロンシャンの女王」アレフランスを生まれ故郷アメリカのサンタアニタH出走の試金石として格付無しのダート競走に出したことがある。それは7馬身差以上の殿負けだった。

アルカングにも同じことをさせたいのか?どう比べてもアレフランスには及ばないのに?と思いつつウィルデンシュタインはブリーダーズカップ委員会の役員でもあったため、記念出走の色が濃いのだろうか?残念ながら出走理由の分かる資料は残っていない。
なお、このBCクラシックを引退レースと予定していたようだ。

初のダート競走だからアルカングのことを熟知するジャルネ騎手を乗せたかったのだが、彼は仏国で2歳GⅠクリテリウム・ド・サンクルーの騎乗が控えており、これを優先させるため渡米できなかった*8
陣営は本場の騎手を頼るしかなかった。
1991年BCクラシックをテン乗りのブラックタイアフェアーで初勝利したジェリー・ベイリー騎手の騎乗が空いていたため依頼すると、快く承諾してくれた。
しかし、ここで致命的な問題が発生したのだ。ベイリー騎手はフランス語が分からないのだ、そして陣営のスタッフ一同はフランス語しか話せないのだ。ファーブル師と担当厩務員が必死に語り掛けるも意思疎通はできなかった。…どうやって騎乗依頼したのだろうか?と思うが。
更に不運が重なる。前が止まらないアメリカのスピーディーなレースにおいて、できる限り先行したいわけだが、アルカングは大外枠入りが決まってしまった。

このようにどう初ダートを対策すればいいのかわからない状況で、アメリカ中からダートの強豪たちが集まってきた。

  • 枠順1番はダート・芝問わずGⅠ3勝を挙げている6歳馬マーケトリー、この年は10戦3勝、前走GⅠを8馬身差圧勝している古豪である。
  • 2番はアルカングと同じく欧州から参戦のエズード、英国際S勝ちの4歳馬で、前走GⅠ2着とアルカングよりマシな成績だが全く期待されず単勝106.7倍の11番人気である。
  • 3番は3歳馬プレザントタンゴ。ダート9ハロン重賞で3着経験した程度で、アメリカ勢では最低人気*9
  • 4番はその生涯が絵本として作られるほど愛された西海岸の名馬ベストパル。タフなセン馬これが31戦目、GⅠ6勝の実績の上、前走を快勝しており2.8倍の3番人気。
  • 5番は3歳馬キッシンクリス。GⅠハスケル招待H勝ち馬でベルモントS・トラヴァーズS2着の実績、7.3倍の4番人気。
  • 7番はミッショナリーリッジ。欧州で重賞2勝後、米国に移籍しダートGⅠ2着2回と力を見せ始めている6歳馬。
  • そして8番こそが2.2倍の圧倒的1番人気バートランドである。ここまでGⅠ2勝2着5回であり、パシフィッククラシックSでミッショナリーリッジ・ベストパル・マーケトリーを相手にレコード勝ち、そしてウッドワードSで2着に13.5馬身差の圧勝と最強格であった。父スカイウォーカーは第3回BCクラシック勝ち馬であり、史上初の親子制覇も期待されていた。*10
  • 9番はここまで19戦してきた3歳馬ワレンダー。GⅠスーパーダービーを制し2連勝中だが33.9倍の9番人気だった。
  • 10番は4歳馬デヴィルヒズデュー。GⅠ4勝のうち3勝をこの年に挙げているがウッドワードSでバートランドの大差2着・前走も4着と成績を落としており21.7倍の7番人気だった。
  • 11番は三冠最後のベルモントS勝ち・3歳馬コロニアルアッフェアー。ベルモントSの鞍上クローン騎手はアメリカ競馬史上初の女性によるクラシック制覇であり、その快挙が注目されていた。主戦がサントス騎手に代わるが、ジョッキークラブ金杯で僅差2着だったため16.5倍の5番人気だった。
  • 12番は3歳馬ダイアゾ。ケンタッキーダービー5着後にGⅠペガサスHを優勝、23.8倍の8番人気だった。
  • 13番にアルカングが入り、バートランドら同様に57.2の斤量である。単勝オッズ134.6倍最低人気であった。完走するので精一杯だろうというこの支持、BCクラシック史上こんな数字めったにない。
  • 14番大外枠は3歳馬マイナーズマーク。ジョッキークラブ金杯は5頭立て5番人気だったがコロニアルアッフェアー・デヴィルヒズデュー・ダイアゾを破る大金星を挙げ、20.4倍の6番人気となった。母は13戦無敗の名牝パーソナルエンスンである。

カナダ三冠馬でこの年のKYダービー馬シーヒーローを破ったことのあるピートスキーは出走取消となった。米国三冠馬アファームド産駒だけに惜しかった。
3歳馬でケンタッキーダービー馬シーヒーローは回避、プリークネスS勝ち馬プレーリーバイユーは既に死去している。とはいえ、最強ダート馬を決めるのに相応しいメンバーである。

アルカング陣営と全くコミュニケーションが取れなかったことを気にしていたのかどうか、ベイリー騎手はゲート入りに際して、バートランドのG.スティーヴンス騎手に「I don’t know a thing about the horse. I don’t have any idea how to pronounce his name.(俺はこの馬のことについて何もわからないんだ。それに、Arcanguesってどう発音するのか見当もつかないんだぜ…。)」と漏らしたという。

滞りなくスタートするとバートランドがシャドーロールをたなびかせながら颯爽と逃げを打った。それにマーケトリーが続き、ベストパルらが離れて馬群を形成した。大外枠のアルカングはベイリー騎手に巧みにリードされて1コーナーを迎えるまでにスッとインコースへと入ったのだ。ベイリー騎手はこの馬のことを把握していなかったが、アルカングのハマれば炸裂する末脚にかけて馬群のやや後方から競馬をすることにした。

経過ラップは24.3, 48.3, 1:12.2, 1:37.1, 2:01.2, 2:25.0と刻まれ、アメリカ競馬特有のハイペースの中、バートランドについていった各馬の手応えは怪しくなった。
4番手ベストパルは最後の直線を迎える頃には失速し、コロニアルアッフェアーも末脚が出ずズルズル後退する中、バートランドはまだまだ余裕だ!逃げ切る

…と思われた矢先にその外からアルカングが抜群の手応えで伸びてきた!後方インコースで溜めに溜めていた末脚がバートランドをあっという間に差し切り2馬身差つけて快勝したのだ。アメリカダートの正統派競馬を否定するかのような、強い勝ち方であった。

Absolutely Shocking!! Impossible Victory!!」と実況が驚きを隠せず、場内も何が起こったのかとパニック状態であった。テレビ放送では後ろすぎて見えていなかったので競馬ファンもてんやわんやである。
勝ち時計は2:00.83、バートランドが2着を確保し3歳馬キッシンクリスが3着、マーケトリーが4着でアメリカ勢最低人気のプレザントタンゴが5着であった。
アイルランドのエズードが7着、ベストパルが10着、3歳組のマイナーズマークとコロニアルアッフェアーが最下位を占めた。

ベイリー騎手はインタビューでも素直に自分の気持ちを語った。
「Since I didn’t know the horse . I had never laid eyes on him until I was in the paddock. I just let him run along the rail .(私はアルカングのことを知らなかったので…パドックに来るまで一度も見たこともなかったんです。私はただ内ラチに沿ってアルカングを走らせただけなんですがね。)」
「I got more confidence in him as we went along because he started to pick up horses and I still had a lot of horse under me.(彼はスタートしてもじっと我慢してくれましたし、私の後ろにも沢山他馬がいた (馬群の中で落ち着いていてくれた) ので、アルカングに対する信頼はより大きくなりましたよ。)」と天才肌のベイリー騎手らしいコメントが出た。

バートランドのスティーブン騎手もコメントしている。
「My horse absolutely exploded at the quarter pole and I thought it was all over.(バートランドは残り400mで脚を使って突き放し、これはもう勝ったな、と思いました。)」「Then here comes this horse. I had no idea who he was, and he runs right by me.( そしたらあの馬がやってきたんですよ。何が来たのか分からなくて、私のそばを通り過ぎて行ったんです。)」
フランケル調教師は「I'm really kind of in shock.(本当にショックだよ…)」「I guess it just wasn't meant to be … I'm surprised that anybody was able to catch him.(非常に残念無念ですよ…いやぁ誰かがバートランドを捕まえることができるなんて驚いたよ。)」と言った。

ファーブル調教師は1990年にBCターフをインザウイングスで制しており、米国二大タイトル制覇という偉業を成し遂げた。しかしこれといったコメントは残されていない。

絶対に勝つと思われていたバートランドの敗戦の影響は大きかった。
エクリプス賞古馬牡馬チャンピオンこそ受賞したが年度代表馬部門において評価されることはなかった。バートランドはこのあと2年現役を続けたがGⅡと一般競走2勝のみ、GⅠでは惨敗を繰り返したのだった。種牡馬として5戦無敗のGⅠ馬オフィサーを送り出したが、オフィサーも2001年のBCジュヴェナイルで欧州調教馬ヨハネスブルグの5着に敗れており、親子して屈辱的敗北を味わっている。

年度代表馬部門は米国にしては珍しい芝活躍馬2頭の争いとなった。BCマイル2連覇のルアーとの接戦を制し年度代表馬・最優秀芝牡馬を受賞したのはアルカングが3歳時に争ったコタシャーンであった。ジャパンCをゴール板誤認事件で2着となるもBCターフを含むGⅠ5勝が評価され、日本で堂々と種牡馬入りしたのだった。

アルカングは何も受賞されなかったが、ファーブル調教師ら陣営はこれで引退させてあげられる、フランス・バフ牧場で種牡馬入りできるなぁ、と思っていた。
しかし…アルカングは南カリフォルニアのリチャード・マンデラ厩舎に転厩させられ、現役続行させられたのだった*11

6歳シーズン

ファーブル調教師の手元から離れひとりアメリカへと送られたアルカングは、年明け5月の芝1800mGⅡジョンヘンリーHで復帰した。エディ・デラフーセイ騎手を迎え2.5倍の1番人気に。同じくアメリカに移籍したミシルを半馬身差で破っている。
なおミシルはこのあとGⅡなど2勝したがGⅠ制覇とはならなかった。日本で種牡馬入りし重賞馬2頭を輩出するも、2005年に静内スタリオンステーションの閉鎖ととも用途変更というGⅠ3勝馬とは思えない最期となっている。

さてアルカングは月末の芝2000mGⅠハリウッドターフHにも出走した。前年のBCターフでコタシャーンの2着・GⅠ4勝のアメリカ最強芝馬ビエンビエンやこの年のジャパンC勝ち馬マーベラスクラウンの半兄グランドフロティラなど8頭が出走し、まずまずの2番人気に支持された。しかし4コーナーで失速しグランドフロティラから9馬身1/4差5着という惨敗に終わった。
7月のダートGⅠハリウッド金杯では再度ベイリー騎手を迎え2番人気となる。BCクラシックと同じダート2000mなのだが、終始最後方でまったく競馬にならず勝ち馬から10馬身差5着しんがり負け、もはや走る意味はないと決断が下ったのか、ひっそりと引退が決定した。

通算19戦6勝、芝ダートでGⅠ2勝は名馬にしか成しえない戦績なのだが…イスパーン賞があまり評価されずBCクラシックはノーマークの一発屋だという見方になり、あまり話題にならない。BHAによる1993年距離区分Iでは1位だしBCクラシックの歴代ベイヤー指数も中の上くらいと悪くないのだが…。

引退後

フランスで種牡馬入りする予定も、有限会社中村畜産の中村和夫に購入されたため、日本に輸入されて種牡馬入り、1995年より供用開始した。
日本に種牡馬としてミルジョージを導入するなど先見の明に優れた中村の期待に応えられるのかとも期待された

初年度から79頭、76頭、54頭、58頭の繁殖牝馬を集め、まずまずのスタートを切った。
初年度産駒ハイテンションパルが公営・新潟競馬場で活躍し、新潟ジュニアC・東北サラブレッド3歳チャンピオン・新潟皐月賞・新潟ダービーなど8連勝し新潟二冠達成、ジャパンダートダービーでは「新潟から凄いヤツが来た」と騒がれた。その後も重賞2勝し、高知ではマルチドラゴンが高知優駿を優勝している。
アルカングは地方で人気種牡馬となる。5年目には82頭の繁殖牝馬を集めることができた。
園田チャレンジカップ優勝キーホーク、東海金杯等重賞複数勝利のエンシェント、赤レンガ記念優勝モエレエトワール、福山ダービー馬モエロアルカングが活躍した。あとは馬術連盟に登録されたアルマンリ、アートサンキューぐらいか。
代表産駒はJRA所属のアルアラン。母父ミルジョージ・母の全兄ユーワフォルテが新潟大賞典馬という中村畜産の結晶で、
50戦8勝し、オグリキャップ記念・ブリーダーズゴールドCの交流重賞2勝、GⅠにも3度挑戦し、産駒唯一となるJRAGⅠ出走を天皇賞(春)で果たした*12
ちなみにアルアランの半妹(父シンボリクリスエス)シャドウシルエットの息子が、後の障害王者オジュウチョウサンである。
…一応ダートのBCクラシック馬なので、活躍産駒がダート馬なのはある意味必然だったかもだが、芝で活躍したのは36戦5勝の牝馬フライトソングくらいで、獲得賞金は7,416万円と寂しい結果。
結局264頭の産駒のうち競走馬としてデビューしたのは94頭、勝ち上がったのは23頭という結果であった。
そしてアルアランは種牡馬入りせずそのまま功労馬となったため希少になったバイアリータークのサイアーラインを繋ぐ事は叶わず、
繁殖に上がった牝馬も少なかったせいでBMSとしても活躍馬は殆ど見られず、2024年に孫娘のハピネストソングが123戦し引退したのをもってアルカング系は競馬場から消えたといっていい状況に。

…時は流れ、アルカングは2006年春に種牡馬を引退して消息不明となった。その三年後2009年3月にJRAより「06年10月に蹄葉炎で死亡したことが分かった」という報告があり、世界各地に知らされた。
なぜ3年も経ってからなのかという疑問から「本当は屠殺されたのではないか」という噂が出るようになった。前述のミシルや1987年BCクラシック優勝・エクリプス賞年度代表馬ファーディナンドが日本で2002年9月以降屠殺処分された可能性がきわめて高いという報道が米国を中心にされたこともあり、何とも言えない。
産駒アルアランは引退名馬繋養展示事業の助成対象馬として故郷で大事にされ、母アルベルティヌは32歳の大往生を遂げている中、名馬としては寂しい最期だったといえよう。

なお3歳時のライバルであったコタシャーンは日本で種牡馬入りも僅か6年で失敗の烙印を押されるも、アイルランドに輸出され障害競走用種牡馬として少し成功したそうだが、その後の動向については伝わっていない。

余談

  • ベイリー騎手はアルカング以降コンサーン、シガーという異なる馬でBCクラシック3連覇という偉業を成し遂げた。通算5勝は1位タイという記録だ。
  • BCクラシックはシガー・ティズナウ・ゴーストザッパー・ゼニヤッタ・アメリカンファラオ・アロゲート・フライトラインといった怪物が優勝する中、波乱もあった。1999年にキャットシーフが20.8倍8番人気で、2002年にヴォルポニが44.5倍最低12番人気で優勝している。しかしアルカングの134.6倍は更新される気配はない。

海外調教馬のBCクラシック挑戦

アルカングの優勝以降、有力海外調教馬の参戦が目立つようになった。翌年には欧州GⅠ馬5頭が参戦している。
95年にはホーリング*13、96・97年には日本のタイキブリザード*14、98年にはスウェイン*15、99年にはUAE所属アルムタワケル*16、00年にはジャイアンツコーズウェイ*17、01年には凱旋門賞馬サキー*18・ガリレオ*19、02年にはホークウイング*20、06/08年にはジョージワシントン*21とかなりの強豪が出走していた。
そして09年オールウェザーで初開催されたBCクラシックで英国調教馬レイヴンズパスがレコード勝ちし2着ヘンリーザナヴィゲーターも愛国調教馬という欧州馬のワンツーとなった。ただ米国馬はオールウェザーに適さないとして2年で廃止となっている。
10年には日本のエスポワールシチー*22、11年にはソーユーシンク*23、15年にはグレンイーグルス*24、18年にはUAE所属サンダースノー*25らが挑戦している。
ただ、13年には英国デクラレーションオブウォーがアタマ差3着、英国トーストオブニューヨークがハナ差2着、23年には日本のデルマソトガケ・ウシュバテソーロ*26が掲示板入りと追い詰めている。
世界各国から挑戦があれども、アルカングのような欧州血統の馬が完全ダートで優勝していない以上、彼の激走は語り継がなければならないだろう。

評価

The Sporting.blogの記事「The biggest shocks at the Breeders' Cup World Championships」においては一番最初にアルカングが挙げられている。
「If you’re assessing the biggest shocks in Breeders’ Cup history, then it is difficult to look past the stunning display by Arcangues in 1993. The horse arrived as an unknown quantity when he arrived in the United States, with many predicting that the Classic would end with a comfortable success for Bertrando.( ブリーダーズカップ史上最大の衝撃を挙げるとしたら、1993年にアルカングが見せた圧巻のパフォーマンスを見過ごすことはできないでしょう。この馬は渡米当時、未知の馬として登場し、多くの人がこのクラシックレースはバートランドの快進撃で終わると予想していました。)」
「However, the 133/1 shot wasn’t about to waste this huge opportunity. The French-trained horse didn’t have any kind of consistency coming into the race, but his performance at Santa Anita on this day was explosive. (しかし、オッズ133倍の同馬はこの大チャンスを無駄にはしませんでした。フランス調教馬は、このレースに臨むにあたり調子には一貫性はありませんでしたが、この日のサンタアニタでのパフォーマンスは爆発的なものでした。)」
「Arcangues was in seventh coming down the final stretch before he turned on the afterburners to steam to the front of the field. It was a stunning success and one that will never be forgotten. (アルカングは最後の直線に差し掛かったところで全体の7位でしたが、残りのエネルギーを再燃焼させて蒸し返し、先頭を走りました。このときの快挙は忘れがたいものとなりました。)」という。

なおその他は以下の通り
  • 2011年BCマイルで、最高で単勝1.3倍1番人気に支持され4連覇を期待されたゴルディコヴァを破った単勝65.8倍最低人気コートヴィジョン(通算GⅠ5勝を挙げている)
  • 2000年BCディスタフで、1番人気リボレッタが撃沈する中、単勝56倍ブービー人気で優勝したスペイン(通算GⅠ2勝、翌年BCディスタフ2着)
  • 前述した単勝44.5倍最低人気で2002年BCクラシックを優勝したヴォルポニ(着差は6馬身半差、翌年BCクラシックしんがり負け、31戦7勝2着12回3着5回)

大川慶次郎は番組でレースを振り返り「2.00.8というのは決してフロック(まぐれ)ではないでしょうね」とコメントしている。そしてアシスタントが言った「フランスから来た謎の馬で終わってしまった」というのがアルカングの生涯を的確に語っているように思う。


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最終更新:2024年06月15日 18:01

*1 サガミックスは競馬雑誌「A Century of Champions」において「下位レベルの凱旋門賞馬」と酷評されている

*2 牧場長ロビン・スキューリー

*3 2006年に日本調教・生産馬のピカレスクコートが武豊とのコンビで2着

*4 オペレッタ歌手ルイス・マリアーノの墓や16世紀に建てられた教会がある観光地として知られている

*5 1994年

*6 前年2歳馬ながらカルティエ賞年度代表馬に輝いたフランス2歳四冠・BCジュヴェナイル勝ち馬

*7 単勝オッズも8頭立て4番人気と期待薄だった

*8 ファーブル師管理のサンシャックで見事優勝、同年の仏国リーディングジョッキーに輝いた

*9 74.9倍であるが11番人気と表記されている

*10 なお、一馬主の馬は1頭扱いとするカップリングによりマーケトリー・ミッショナリーリッジはバートランドと同じオッズとなっている。

*11 なおウィルデンシュタインオーナーとファーブル調教師に亀裂が入った様子はなく、凱旋門賞馬パントレセレブルのコンビなどで契約は続行されている。

*12 16着

*13 GⅠ2勝・8連勝中。1着から19馬身差しんがり

*14 13着しんがり・6着

*15 KGⅥ&QEDS連覇。1馬身差3着

*16 ドバイWC勝ち馬、5着

*17 GⅠ6勝連対率100%、クビ差2着

*18 ハナ差2着

*19 無敗の英愛ダービー馬。6着

*20 GⅠ2勝連対率100%、7着

*21 カルティエ賞2受賞。6着・予後不良

*22 GⅠ6勝馬。10着

*23 コックスプレート連覇。6着

*24 欧州牡馬マイル三冠馬、8着しんがり

*25 のちドバイWC連覇、3着

*26 それぞれ2着・5着