オジュウチョウサン(競走馬)

登録日:2023/01/31(日) 00:48:20
更新日:2025/04/29 Tue 22:11:10
所要時間:約 64 分で読めます





超えていく、王者。


惨敗もあった、故障もあった、苦戦もあった。

その障壁を越えるたび強くなった。

心通うパートナーと、互いの才能を信じ、

鍛え、解き放った。

記録を刻み、記憶を彩り、

人馬一体、進む飛越の王者。

超えていくその勇気を、その闘志を、

愛さずにはいられない。

ヒーロー列伝No.82 オジュウチョウサン

オジュウチョウサン(英:Oju Chosan)とは、日本競走馬・種牡馬。

突然だが、「障害競走」という競馬レースの一種を知っているだろうか?
その名の通りコース上に設置された生垣・竹柵・水壕etc……といった数々の障害を飛び越えつつ、1着でゴールすることを目指すレースだ。
障害競走を実施する国は少なく、イギリスやアイルランド、フランスのように盛んな国もある。だが一方、平地競走をメインとする日本の場合は、「平地競走で成功しない馬の行き先」というイメージが強く、平地競走に規模・人気いずれも劣るのが現状である。
そしてオジュウチョウサンもまた平地から障害に転向した一頭だが、そこで能力を開花させて11歳までの長きに亘り王者として君臨し、障害競走馬としては異例とも言える人気を誇った名馬である。
別名「障害の絶対王者」「100年に一頭の障害馬」
そして平地競走での、つまりは「普通のレース」での各種記録を紹介する際、わざわざ『平地の』という文言を付け加えなければいけなくなった理由を作った存在である。
逆に言うと、このワードが使われている場合大抵この馬が理由である。*1

【データ】

父:ステイゴールド
母:シャドウシルエット
母父:シンボリクリスエス
生年月日:2011年4月3日
調教師:小笠倫弘(美浦)→和田正一郎(美浦)
厩務員:不明→長沼昭利
馬主:(株)チョウサン(代表・長山尚義)
生産者:坂東牧場
産地:北海道平取町

【保有レコード】

  • 中央競馬11連勝(単独1位)
  • 1番人気での障害競走13連勝(単独1位)
  • 国際GⅠ級競走9勝(1位タイ)
  • 中央競馬GⅠ競走9勝(単独1位)
  • 中央競馬での重賞9連勝
  • 中央競馬での重賞15勝(単独1位)
  • 同一重賞6勝(1位タイ)
  • 中央競馬での同一重賞5連勝(単独1位)
  • 同一GⅠ最長間隔勝利(単独1位)
  • 中山大障害コース9勝(単独1位)
  • 中山大障害コース出走機会7連勝(単独1位)
  • 中山大障害コース5連勝(単独1位)
  • 春秋大障害レコード更新
  • 障害重賞15勝(単独1位)
  • 障害重賞13連勝(単独1位)
  • 中央競馬での重賞勝利年数7年(単独1位)
  • 中央競馬での重賞勝利連続年数7年(単独1位)
  • 中央競馬でのGⅠ勝利年数7年(単独1位)
  • 中央競馬でのGⅠ勝利連続年数7年(単独1位)
  • JRA最優秀障害馬での受賞5回(単独1位)
  • 日本調教馬でのGⅠ制覇11歳(単独1位)
  • JRA所属馬での重賞制覇11歳(単独1位)
  • JRA所属馬でのGⅠ制覇11歳(単独1位)
  • 同一GⅠ競走5連覇(世界1位タイ)
  • 障害競走獲得賞金9億1545万7000円(世界1位)

【主な戦歴】

  • 2016年中山グランドジャンプ・中山大障害
  • 2017年中山グランドジャンプ・中山大障害(レコード)
  • 2018年中山グランドジャンプ(レコード)・有馬記念(9着)
  • 2019年中山グランドジャンプ・アルゼンチン共和国杯(12着)・ステイヤーズステークス(6着)
  • 2020年中山グランドジャンプ・阪神スプリングジャンプ(レコード)
  • 2021年中山大障害
  • 2022年中山グランドジャンプ

【血統】

父はステイゴールド、母はシャドウシルエット*2。母父にシンボリクリスエスをもつ。
1歳上の全兄にラジオNIKKEI賞を勝利したケイアイチョウサンがいる。
オジュウチョウサンの全きょうだいはケイアイチョウサン含め4頭おり、うち3頭の牡馬は全員障害レースを走ったことがある。

そも、競馬では優れた血統配合をニックスと呼ぶ。
特に有名なものはドリームジャーニーゴールドシップオルフェーヴルを生んだステマ配合だが、そのニックスと理論を同じくする配合で生まれたのがオジュウチョウサンである。
ステマ配合とは、ステイゴールドの頑健性にメジロマックイーンの柔軟性を付与することで筋肉の軟性と靭性を調整する血統理論のこと。
オジュウチョウサンにはメジロマックイーンの代わりにシンボリクリスエスの血が流れている。
これは相馬眼に優れたオーナーが直々に研究した末に辿り着いた血統理論の集大成だった。
その有用性が産駒成績で証明されると、社台グループが後追いで同じ配合を試みた。
しかしステイゴールドがオジュウチョウサンの大成より早く死亡して幻の配合となった経緯がある。
外見的特徴はシンボリクリスエス由来の米粒のように特徴的な形をした耳と、ディクタス由来の白眼が見えやすい輪眼である。
燃え上がる火の玉のような流星、11年にわたり関わった装蹄師をして健康そのものと評する蹄、杉の大木のように太く長く伸びた脚、筋骨隆々の500キロを超える雄大な馬体を誇る。


【気性】

レースでの姿だけ見れば賢く真面目に走り続ける馬である。…のだが、
内面的特徴として、まさにステゴ産駒らしい気性難であった。
なお気性の話は本馬の場合、活躍したことで関係者の露出が増えた結果の「身内にバラされた系」であり、
実際に「レースではそんな姿は見せないが」の枕詞付きで語られることが多い。

最初は調教すら難しいほど激しく暴れ狂い、厩務員も担当する日が憂鬱だと感じていた。
しかし11歳まで現役を続けたこともあり近年では丸くなったという。
かのシンボリルドルフを彷彿とさせる気性のスイッチがあり、レース場では全く荒れずにファンサービスまで行えるほどの落ち着きを見せる。
レースに勝てば自信に満ち溢れた表情を見せ、負ければ自分自身に腹が立って暴れ回る……つまりステゴ産駒でありながら勝つことに意味を見出している稀有な存在である。

競走馬として並外れた賢さがあり、「レースの仕掛けどころを理解している」と騎手からも評され、指示がなくとも自動操縦のように必要な動作を自己判断することもあったという。
この賢さはレース本番以外でも発揮されており、客観的かつ分かりやすいところだと中山グランドジャンプでの馬体重は7回出走してそのうち6度510㎏と優れた安定性を見せている。
ただしこの頭の良さはイタズラするときにも発揮されるため、厩務員が手を焼くことも多かったらしいが。

引退した後は自分が2度とレースに出ないことを察知しているのか、穏やかさが増しているとか。


【走法】


ちょっと場内どよめくような飛越でしたが大丈夫!──2017年中山大障害、山本直アナ(ラジオNIKKEI)
戦車みたいで(中略)ブレない。普通重心低いから跳べないはずなんですけどね──石神深一(主戦騎手)

脚が障害に接触する瀬戸際のジャンプ、そして頭から地面に突っ込んでいく着地を特徴とする。
それ故に、オジュウチョウサンは飛越が上手い方ではない…どころかむしろ下手だと思われることが少なくない。
特に飛越全体のうち一瞬だけを映す静止画だと下手に見えがちである。

しかし、2016年11月に行われたインタビューで石神騎手は
「飛越は初めから上手かったんですけど、ゲートが出てくれなくて」と語り、むしろ飛越を褒めている。
実際、通算32回走った障害レースで一度たりとも転ばなかったのだから飛越下手というのは正しいとは言えないだろう。
練習不足や技量の問題で高く飛べないのではなく、人間がハードル競争でするように低いジャンプが有利だと理解している。
平地の加速を最大限に、着地の減速を最小限に、必要十分な飛越しか行わない。
ただノーリスクというわけではなく、レースで脚をぶつけたこともある。

「普通はあり得ないんですけど、障害を越えるとき、ぼくの視界に馬の後ろ脚が入ってくるんです」
瞬発力に優れた筋肉で着地の衝撃をバネのように全身で吸収、爆発的に再加速する。
草食獣でありながら肉食獣のような低重心姿勢によるスパートを伴った飛越。
言わずもがな一瞬のミスで姿勢を崩しかねない危険な走法である。

「オジュウは踏み切るとき、絶対に転ばないとわかるんです」
石神騎手はオジュウチョウサンの“絶対”を誰よりも信じていた。
そのうえ障害を飛ぶよりも跨ぐ方が速いと理解しているのだから始末に負えない。
驚くべきは陣営が特別な調教を施した訳でもなくオジュウチョウサンが勝手に走法を生み出した事実で、まさに飛んでもない馬といえる。

ただ、大逃げ馬を追う最中には明らかに違う様子を見せることがある。
わかりやすい例が2017年中山大障害の、2度目の大障害コースをクリアした直後の生垣障害。
スロー再生や他の馬との比較をしてみれば一目瞭然だが、どう見ても飛んでない。土台に脚を乗せて突っ切っている。

全盛期はそんな感じだったのだが、キャリア終盤では一転、綺麗なジャンプを見せるようになった。
かつての跳び方の理由が効率の良さだったのと合わせて、「飛越下手」は間違いだろう。
10歳にしてスタイルを一新して勝ってみせるのがそもそもおかしいというのはさておき。


【脚質】


普通は脚質といえば大きく分けて逃げ・先行・差し・追い込み、他には大逃げや捲りなど…といった具合なのだが、障害レースでは事情が異なる。
平地と異なり、長い距離を走る最中に追走できなくなる馬がどんどん出てくるので、有力馬は基本的に前の方で走る。
なので障害では、強い馬の場合(大逃げ-)逃げ-先行のどれかなのが普通で、後ろから行く例は少ない。

オジュウチョウサンの場合、キャリア初期はスタートに難があったため、必然的に後ろからとなっているレースが多い。
この問題が解消され、好スタートが持ち味となってからは、先行し王道の好位追走が定番となった。
大逃げされた場合やハイペース展開にも強く、レコードを更新するレベルでの時計勝負も問題なし。

一方で弱点・できないことについては負けたレースの敗因分析として挙げられることが多い。
ハイペースには滅法強いのだが、反面スローペースには我慢しきれないことがある(2021年中山グランドジャンプ)。
先行がメインで、大逃げされても問題は無いが、最初から自ら先頭に立って逃げるのは向かない(2019年アルゼンチン共和国杯)。
平地と障害の違いはあるが、これらの弱点すら無く逃げもできてずっと先頭で走ってレコードが出せるのがイクイノックスである。

【体質】


剥離骨折でも王者の時計は止まっていませんでした!──2017年東京ハイジャンプ、山本直アナ(ラジオNIKKEI)

先述の独特な走法や、レコードを3度達成した出力の高さがありながら、2歳のデビューから11歳の年末まで無事に走り抜けた。
そういった意味ではまさに「無事之名馬」であり、頑丈さ(とスタミナ)が売りのステゴ産駒らしいのだが、ケガや長めの休養、レース回避は何度も経験している。
キャリア初期から後述の通りデビュー2戦後に長期休養となっており、2018年の平地挑戦時にはレース回避でプラン変更となっている。2019年には、宝塚記念に向かうプランがあったがこれも回避となった。

ただ調整力は見事なものがあり、J・GⅠのレース数が初挑戦からラストランまで13回(平地挑戦時除く)であるところ、そのうち12回に出走し全て完走。回避したのは2020年中山大障害のみ。
回復力もあり、治っても影響が続くような負傷はしなかったのもあるが、剥離骨折から約半年で実戦復帰を果たすなど、ケガはしてもちゃんと戻ってきたのがそのすごさを物語る。

ただし、レース数という面ではそこまで頑丈というわけではない。
距離の長い障害レースを主戦場としていたのもあるが、年月としてはこれだけ長く現役だった一方で、レース数は平地含め40戦。
年間のローテーションの観点からは、4月中旬の中山グランドジャンプ→次走が秋シーズンというのが何度もある。
走りまくった馬の例としてよく名が挙がる父ステイゴールドが現2歳デビュー~7歳引退で50戦(うち49戦が芝2000m以上)なのを考えると、「40戦も多いが…」とはなってしまう。
しかし、ただレースに出ていただけではなく、勝ち星の多さも考えると相当多く走っていた側である。


【障害への転向と躍進】

そんな王者も当初は芝でデビューするも2歳新馬は11着、未勝利戦も8着で早々に見切りをつけて障害へ転向。
しかし1年の休養を挟んで障害3歳上未勝利に挑むも13着に大差をつけられる大敗により転厩を余儀なくされた。
和田厩舎へ転厩して山本康志騎手を背に初戦はそれまでの大敗が嘘のように馬券に食い込む走りを見せ、転厩後3度目の4歳以上未勝利戦で勝利し次走のOP戦も勝利。
東京ジャンプSでは山本は別に鞍があったことで調教を手伝っていた騎手に乗り換わりとなった、それが共に障害レースのスターとなる石神深一とのコンビ結成だった。
この年未勝利戦を含め3勝と決して後に王者と言える走りは見られず、中山大障害に出走するもアップトゥデイトの6着に敗れるなど決して注目の高い馬ではなかった。

2016年にはOP戦を初戦にするも2着に敗れるなど好走はしつつも勝ち鞍は増えなかった。
だがある時石神騎手がメンコの耳あてを外すことを提案
実はこの頃のオジュウチョウサンはレース開始直後に実況から名指しで言及されるほどにスタートが下手で出遅れが多く、これが勝ち鞍が増えないことにも繋がっていた。
助言通り耳あてだけ外したところ出遅れ癖が治るどころか好スタートが得意技になるほど劇的な改善を見せここから彼の躍進が始まった
中山グランドジャンプでは前年覇者の不在など有力馬も少なかったことで、1番人気がオッズ1.3倍のサナシオンの1強という状況ではあったが6.5倍、2番人気の支持を受けた。
だが好スタートから3番手で追走すると最後はそのサナシオンに3馬身半差をつけて勝利。
もちろん本馬にとっては初重賞勝利にして、初のJ・GⅠ*3制覇。
それだけでなく、石神騎手(当時デビュー16年目)、和田正一郎調教師(初重賞勝利でもある)、生産者の坂東牧場、長山尚義オーナー(名義は法人)にとっても初のGⅠ勝ちであった。
加えて長沼昭利厩務員にとっては、父長沼昭二氏が八大競走時代の有馬記念などを制したトウショウボーイの担当であったことから、親子ともに大舞台での勝利を記録することとなった。

次走はコンビを組んで初めて挑んだ東京ジャンプSを選択し見事勝利、東京ハイジャンプでは空馬の影響で不利を受ける場面もあったが早々に立て直し1馬身半差で3連勝。
中山大障害では前年覇者アップトゥデイトとの対決が実現、人気も一騎打ちとなり1番人気に支持された。
実際最終障害前で2頭の一騎打ちとなり最後は9馬身差をつける形で前年覇者を下した。
和田正一郎調教師にとっては、父の和田正道師がフジノスラッガーで中山大障害(秋)を制したのと合わせて、調教師親子での勝利となった。
これによりJRA賞最優秀障害馬に満票選出、石神騎手もJRA賞最多勝利障害騎手になる躍進・栄光を手にした。

翌2017年、阪神スプリングジャンプ・中山グランドジャンプでアップトゥデイトらを相手に堂々の勝利。…したはいいももの、
レース後に剥離骨折が判明。約半年の離脱を強いられることとなった。
がしかし、幸いにも術後快調であり、暮れの大障害を待つまでもなく復帰を果たす。
復帰戦となった重馬場の東京ハイジャンプはスタミナが切れた大逃げ馬を最後の直線で捉えて後続に大差の完勝、大一番の中山大障害へ歩を進めた。

【2017年中山大障害】

後の2022年、JRAが「競馬名勝負列伝」という形で歴代レースのファン投票を行った。
時代を彩る素晴らしいレースのなか、ただ1つ障害レースで選ばれたのがこのレースである。
投票総数は9万票以上。
栄えある1位は、コントレイル・デアリングタクト・アーモンドアイによる三冠馬3頭の直接対決が実現した2020年ジャパンカップ
3位はあの「大接戦ドゴーン!」でおなじみ、ウオッカ対ダイワスカーレットの2008年天皇賞(秋)。
そして2位がこの2017年中山大障害。
1934年に始まった「華の大障害」屈指の名勝負、既視聴でも色褪せぬ伝説の一戦を是非とも御覧あれ。

さてこのレース、アップトゥデイトと鞍上の林満明騎手にとってはリベンジを果たすべき場であった。
アップトゥデイトはオジュウチョウサン台頭前の2015年に春の中山グランドジャンプ・暮れの中山大障害の両方を制覇。しかも前者はレコード勝ちである。
ただ馬が強かっただけではなく、騎手は現役30年のベテランにしてJRA障害通算騎乗数最多記録更新者という最強コンビである。
だがしかし、この中山大障害がオジュウチョウサンとの初の顔合わせにして初勝利であったその後、対戦結果は3戦3敗。
今回のレースは5度目の対決であり、「前・王者」としてはもう負けていられなかった。
だがオジュウチョウサン相手に普通に走っていても勝つのは困難であった。
何せ相手は終盤まで横並びで走っていようと、最終障害の後だけで大きな差を付けてくるのである。
そんな王者を前にしてどうすれば勝てるのか。

そしてレース本番、彼らは必勝を期してある策に打って出た。

大逃げである。
後ろとの差は目測で20馬身、約4秒ほどもあろうかという大逃げ。乾坤一擲の大逃げだ。
それも後ろの騎手が下手を打ったのではなく、レコード更新ペースでの走りを見せてきた。
こんな逃げは障害GⅠではおそらく空前にして絶後といっても過言ではないだろう。
大逃げはレース後半のスタミナが問題となるが、単に距離だけ見ても4,000メートルオーバーなのだ。
しかも平地レースとは違い、障害を何度も飛び越えねばならないし、ひとたび飛越事故が起これば予後不良になることも珍しくない。
よって全身全霊で逃げながら障害を飛び越えるだけの体力は温存する。それは無尽蔵のスタミナを誇るアップトゥデイトにしか使えない戦術だった。
一方でそもそもの話として、そんな走りができるのなら本来は大逃げなどしなくても勝てるはずである。
それでも普通の作戦ではオジュウチョウサンに勝てないという事情があり、同時にアップトゥデイトの能力が高かったが故に実現したのがこの大逃げであった。

先頭の風を切っていくアップトゥデイト&林騎手。障害の天才と呼ばれた人馬一体の美しい飛越は他の追随を許さない。
追う立場となったオジュウチョウサンと石神騎手も黙ってはいられない。2度目の大障害コースクリア後猛追を開始。
後続は誰もついてこれない。マッチレースの幕開けだ。

オジュウチョウサンが、その差を徐々に詰めにかかる!後は離れた!3番手以降は大きく後ろ!
4コーナーに向かいます!さあ先頭はアップトゥデイト!その後ろから、オジュウチョウサン!
さあ!前・王者か!現・王者か!青い帽子2頭の追い比べに変わる直線!

アップトゥデイトの通過は1-1-1-1、最終コーナーまで常に先頭。
対するオジュウチョウサンは2-2-2-2。最終直線に入ってもまだ2番目。

大逃げで作った大差はほとんどなくなったが、その最後の差がなかなか縮まらない。
あれだけ逃げてまだ足が残っているのだ。残り100メートルでもまだアップトゥデイト先頭。
そして2頭は、僅か半馬身差でゴール板を通過した。

逃げに逃げたアップトゥデイト。その上がり1ハロンは最速タイの13.5、タイムはレコードを1秒上回る衝撃の4分36秒2
戦前・戦後最強格の障害馬として記憶されても不思議ではなかった。

ただ一頭、オジュウチョウサンを除いては。

これだけやって、最後の瞬間先頭だったのはオジュウチョウサン。その走破タイムは4分36秒1
絶望的なまでの大差を差し切り、26年前にシンボリモントルーが斤量59kgで出したレコードを63kgで更新。

しゃあない。生まれる時代を間違えた
レース直後のインタビューにて、林騎手が記者にこう語った。

なお、オジュウチョウサンにとっては前走の東京ハイジャンプに続けて連続で大逃げをされたわけだが、両方とも本格的に追いかけるタイミングはかなり終盤だった。
このことについて後に石神騎手は、
東京ハイジャンプでは「向こう正面で全く反応せず、4コーナーでやっとエンジンがかかった」、
中山大障害では「ゴーサインを出してるのに動かない」と語っている。
これだけだとズブい馬の様子に見えそうだが、肝心の終盤では加速も良く猛スピードを出しているのでそういうことではない。
陣営によると「仕掛けどころを自分で理解している」とのことで、実際にちゃんとどっちも勝っているあたりとんでもない賢さである。
後のラストラン直前のインタビューでの石神騎手「アップのせいで約3000m近く追いっぱなし、いや林(満明)さんのせいですね」

この日、オジュウチョウサンは障害重賞8勝で歴代1位の座に就いた。
さらに重賞8連勝により、世紀末覇王テイエムオペラオーにも並んだ。
そして当然のごとく2年連続でJRA賞最優秀障害馬に輝いた。
何故か満票ではなく289/290、残り1票はアップトゥデイトや他の馬ですらなく「該当馬なし」だったが。
さらに、年度代表馬投票ではキタサンブラックにほぼ全ての票が集まる中、それ以外で唯一票が入り、3票が記録された。

オッズと順位の数字だけ見れば、1着が単勝支持率68.31%、単勝1.1倍という驚異的人気で堂々の勝利を収めたオジュウチョウサン、2着が2番人気6.8倍のアップトゥデイトのガチガチ決着。
しかしこの一番を名レースと呼ばずして何と言うのか。
1着のオジュウチョウサンは勿論、2着のアップトゥデイトにも万雷の拍手が送られた。
ちなみにアップトゥデイトに大差をつけられた3着のルペールノエルは4分39秒4。例年であれば1着であっても不思議ではないタイムである。
単純にオジュウチョウサンとアップトゥデイトが他馬よりも圧倒的に強く、そしてオジュウチョウサンを倒せるような馬はアップトゥデイトしかいない。
これでアップトゥデイト側からは直接対決4連敗ではあったが、まだ終わったわけではない。
今度こそと、次の勝負へ進み始めた。


【逆襲のアップトゥデイト】

あの日から、オジュウチョウサンは暴れ回る気性が嘘のように大人しくなった。
大障害を制した激走の代償はタダでは済まず、前哨戦も使えないほど弱っていたのだ。
さらに鞍上の石神騎手も大障害から22戦して1つの白星もあげられなかった。
現・王者が、人馬共に絶不調に陥っていた。

その頃、前・王者アップトゥデイトの主戦である林満明騎手は中山グランドジャンプ含むこの春のレースを最後として、障害競走2000回騎乗達成と同時に引退する運びとなった。
1997年には最多勝障害騎手となっている名手は30年以上もの月日を馬に乗って過ごしてきた。
しかし彼は昔から、何の因果か中山大障害と中山グランドジャンプで勝てなかった。
29年にわたり戦い続けた騎手生活で、何度もチャンスを手にしては敗れた。1番人気で出走すれば落馬し、完璧に騎乗してもハナ差で敗れた。
だからこそ、2015年中山グランドジャンプをアップトゥデイトと勝利した日には「GⅠをとるのに30年かかりました」と、嗚咽交じりに語ったのである。
そんな彼にとってアップトゥデイトはまさに待望の戦友であり、「(芦毛なのもあって)俺のゴールドシップ」と言い切るのも当然だろう。
さらに同年の中山大障害を制覇した日には、もはや障害競走に未練はなかった。

しかし林騎手がアップトゥデイトと出会ったように、石神騎手もオジュウチョウサンと出会った。
30年の月日をかけて登った障害競馬の頂点。それを1年で崩されたことなど、騎手のプライドが許さない。
もはやオジュウチョウサンを倒すには次の中山グランドジャンプしかない。

アップトゥデイトも中山グランドジャンプのレコードを持つ歴代トップクラスの障害馬である。
現・王者不在の前哨戦となった阪神スプリングジャンプは絶好調で迎え、他馬を蹂躙。
最初の障害からゴールまでずっと先頭。スタート直後以外は一切他馬の影響が無い独走っぷり。
林騎手の「オジュウのためにもここで負けるわけにはいかない」とのレース前コメント通り、2着に8馬身差の完全勝利。
レース後の騎手コメントは「後ろのことを気にしないで逃げた。強い勝ち方だった」と、公開調教のようなレースだった。
もしこの頃の障害レースを知らない人に「この時代には絶対王者がいた」と伝えてこのレースを見せたとしたら間違いなくそれがこの馬だと思われると言えるほどの圧勝っぷり。
もはやオジュウチョウサンを除けば現役最強はアップトゥデイトに違いなかった。

馬も好調なのに加えて、騎手も気合十分。
林騎手はその年、中山グランドジャンプ前の成績はなんと12戦5勝。勝率にして4割超というとんでもない数字である。
まさに鬼気迫る覚悟で最後のレースへ臨まんとしていた。
「石神君、待っててね」
こうしてオジュウチョウサンを倒すための中山グランドジャンプが始まった。


【2018年中山グランドジャンプ】

去年の中山大障害が注目され、障害馬として初めてヒーロー列伝のポスターが制作されたオジュウチョウサン。
さらに障害馬初となるターフィー人形も制作され、ターフィーショップには長蛇の列が生まれた。
しかしオジュウチョウサンは前走のダメージが抜け切っていない噂からか単勝1.1倍から1.5倍に下がり、
それとは対照的にアップトゥデイトは6.8倍から2.3倍と大きく上がった。
曇天の空にファンファーレが鳴り響く。かつてないスタンドの熱気が最高潮に達した。
ゲートが開かれる。

再びアップトゥデイトが逃げを図る。
大逃げはさせじとオジュウチョウサンがその何馬身か後ろに位置を取る。
2頭だけのレースじゃないぞと言わんばかりに、他の馬が何度も前に出てくる。
先頭のアップトゥデイト自身が保持するレコードを更新するペースでありながら、後続とはさほどの差は付かない。
それでも、直線にある最後の障害の一つ前、3コーナーの障害の時点でまだアップトゥデイト先頭。
勝負の行方はあと600メートル強の距離の平地力と最終障害次第となった。

終わってみれば、当然と言うべきレコード決着。
アップトゥデイトは自らのレコードを1秒2更新、見事に自己ベストのタイムを叩き出してみせた。

ではオジュウチョウサンはどこにいたのか?

無敵の王者オジュウチョウサン!
最終障害を越えさえすれば、もう敵はありません!
──矢野吉彦アナ(テレビ東京)

……レコードの先のさらに先、アップトゥデイトより2秒4も前にいた。
これだけ離れれば着差記録は当然の「大差」、従来の記録を3秒6も更新したオジュウチョウサンの圧勝である。
なんならこの記録、このレースがかつて4100メートルで行われていた当時のタイムまで更新している。

レース展開は非常にシンプル。
アップトゥデイトから数馬身の差で追い続けるオジュウチョウサンが4コーナー手前で交わしてリードを広げていった。
最終障害の後は勝負にもならず、ゴールするまで差が開き続ける圧勝劇。
今回の他馬の記録はというと、3着二ホンピロバロンのタイムでもなお旧レコードからコンマ2秒遅れるだけ。例年なら必勝のペースである。
オジュウチョウサンはその20馬身以上先を駆け抜けていった。

この結果、オジュウチョウサンは
  • 中山大障害コース最多連勝記録
  • 中山大障害コース最多勝記録
  • JRA障害重賞最多勝記録
  • 春秋大障害レコード独占
  • JRA障害レース獲得賞金ランキング歴代1位
という空前の大記録を達成。絶対王者の誕生である。

「かなわない。化物だ。時計、メッチャ速いよ。自分の競馬はできた。これでもう悔いなく辞められる」
このインタビューを最後に、林騎手はアップトゥデイトに別れを告げた。
アップトゥデイトの障害GⅠ成績はこれで6戦2勝、2着3回、3着1回。
4度の敗戦の勝者はすべてオジュウチョウサン。
“もしも”が運命に許されるなら。オジュウチョウサンさえ生まれなければ、中山大障害コース5勝馬の栄光に輝いていたのはアップトゥデイトではないか。
90年にも及ぶ日本障害競馬の歴史上、わずか2頭しか存在しない伝説。
10年に1頭どころか、50年に1頭の天才として語り継がれていただろう。
ならば100年に1頭の化物が現れたのは偶然か、必然か。
史上最強の2頭が戦う様を競馬の神が見たがったのならば、もはや誰が責められようか

ところでこのレース、タイムだけではなくオッズ・払戻金もある意味で凄いことになっている。
まず単勝1番人気が6番オジュウチョウサンの1.5倍、2番人気9番アップトゥデイトの2.3倍、3番人気が大きく離れて3番ニホンピロバロンの14.1倍。
それに対して馬連1番人気は6-9の1.3倍。「どっちが勝つかはともかくワンツーフィニッシュ」状態である。
三連単は1・2・3番人気がオジュウチョウサン-アップトゥデイト-3着、4・5・6番人気がアップトゥデイト-オジュウチョウサン-3着。
そして先に述べたようにレースは人気順で決着。
三連単も当然1番人気のものがそのまま的中となったのだが、その払戻金はなんと570円。JRAの重賞では歴代最低を記録した。

【長山尚義という男】

彼のオーナーにはがあった。
「オジュウチョウサンの血を残したい」
そもそも大のギャンブル好きで、若い頃から血統理論の本を読み漁っていた。
その熱意と努力が実ったのか、一口馬主を始めて2年目でGⅠ馬を引き当てる相馬眼が培われた。
事実、この後もステイゴールドジェンティルドンナオルフェーヴルなど9頭のGⅠ馬を引き当て、
優れた一口馬主としてスポーツ新聞に取材されるほど注目を集める。

そのようなオーナーが本格的に馬主業に参入したのだ。
オジュウチョウサンの血統はオーナーが入念な研究の末、間違いなく走るという確信のうえ配合されている。
この配合の有用性がオジュウチョウサンによって証明されると、社台グループが後追いで同じ配合を試みた。
しかし当のステイゴールドがオジュウチョウサンの大成より早く死亡したため幻の配合となったのである。
もはや二度と生まれない血統理論の集大成が名声を高めるたび、オーナーの思いは積もっていく。
「オジュウチョウサンの血を残したい」
しかし障害競走は平地競争と比べて肩身が狭い。
フジノオー、バローネターフ、グランドマーチス。引退式が行われるような大物ならば種牡馬になれたのも今は昔。
現代の障害競走馬として血を残すのは先人よりも遥かに厳しい道となるだろう。
いくつ障害で勝ち続けようと平地レースの実績なしでは種牡馬として先が危うい。

熟慮を重ねた末、オーナーは彼を信じて大きな賭けに出ることにした。
ファンによる人気投票で出走馬が選ばれる有馬記念への挑戦である。
それも決して楽な道ではない。
票を得たとしても、有馬記念は平地未勝利馬が出走できないため、まずは1勝しなければならない。
それだけではなく、大前提の話として平地レースに求められる能力は障害レースと大きく異なる。
障害馬としては規格外のスタミナを発揮するオジュウチョウサンだが、平地GⅠ級のスピード勝負に対応できるかは定かでない。
ともすると勝負にすらならない大惨敗に終わる可能性もある。
しかし中山グランドジャンプの上がり3ハロンは最速の36.9
この数字だけだと平地の一流馬には劣るように思えるが、斤量63㎏、飛越1回込み、上がり3ハロンの前に3650メートル走破、しかもレコード決着という条件でこれである。
参考までに言えば、直近10年の大障害レースで3ハロン36秒台を叩き出した馬はオジュウチョウサンただ一頭。
オーナーは思案した。
展開と状況によっては平地の重賞勝利に手が届くのではないか。

もはや障害競走の世界では他馬が超えられない壁そのものと化したオジュウチョウサン。
主戦の石神騎手をして「もう負けないと思います」と言わしめるのは誇張でない。
運要素があるはずの競馬では本来有り得ない絶望的なまでの実力差があり、それが絶対王者と呼ばれる理由であるのは確かだ。
しかしアップトゥデイトのように戦わされる側にとっては理不尽極まりない化物である。
50年に1頭の天才ですら10年に1頭の存在だと思われてしまう。
障害界にとって愛すべきアイドルであり恐るべきバケモノ。
ついにオジュウチョウサンによる有馬記念への挑戦が幕を開けた。

【障害馬と平地競走】

さて、障害競走に転向した馬が、それも中山グランドジャンプや中山大障害を勝った馬が平地競走に出てきた例がどれだけあるのか。
その答えは「割とある」し、「むしろ勝ったのが理由で平地へという事例もある」。加えて言うとそのようなケースは昔は今より多くあった。
何故かと言うと、大障害(現:J・GI)を勝つと障害での斤量が重くなり、レースを使った調整が難しくなるため。
現在では増量は限られ、例えばJ・GIは定量、J・GIIではJ・GIでの勝利経験があれば2㎏増といった具合で済んでいるが、昔はよりハードな斤量設定だったのだ。例えば、グランドマーチスは「中山大障害1勝につき2kg増」のルールで通常より8㎏重い66㎏を背負わされたことがある。

なので例えば、1979年、障害五冠馬バローネターフは東京芝3200時代の天皇賞(秋)を走っている。(13頭立て、13番人気、11着)
斤量は58㎏であり、これが障害オープン戦であった場合計算上70㎏を超える斤量であったことを考えると平地を走るのも納得である。
もう少し現代に近い例だと、1997年、ポレールがデビュー1年が経ったばかりの和田竜二騎手を背に天皇賞(春)に出ている。(16頭立て、12番人気、12着)
オジュウチョウサン以後も斤量のルールはあるので、2024年にはマイネルグロンがケガ明けで1勝クラスに出走している。

バローネターフやポレールの例と比べると、今回のオジュウチョウサンの試みには大きな違いが2つある。
一つは、目的が障害の大一番のための調整ではなく、平地復帰・挑戦であること。
もう一つは、レースに出るために必要な実績である収得賞金(勝利または重賞2着で加算)という制度があるのだが、昔と違って平地と障害の成績が別扱いということである。

前者は単なる目的の違いでしかないが、後者は制度上無視できないルールの話である。
上述の通りこの時点でのオジュウチョウサンは、平地では単なる「2戦0勝、収得賞金ゼロ」の馬でしかないのだ。
これでは有馬記念に限らず、平地の重賞には出られないというのがJRAのルールである。要は平地で1勝しないと話にならないということだ。
ついでに言うと、当時あった別のルールによって、平地未勝利馬は東京・中山・京都・阪神の4場の平地競走に出走制限が設けられていた。なのでそれら以外でのレースに出なければならない。

有馬への道も1勝から。
「ある7歳の未勝利馬」が、武豊騎手を背にローカル競馬場へと向かっていった。


【閑話:騎乗依頼とあれこれ】


騎手の変更、それも1度も乗ってない騎手への新規依頼であるからには、騎手にとっては当然新規のオファーとなる。
その依頼の話が来た武豊騎手は、オジュウチョウサンの件でまず言ったのが「障害の免許持ってない」ことだったと、2018年8月の地方でのトークショーで笑いを取っている。

乗り手がチェンジとなれば、これまでに乗っていた騎手と新たな騎手との間でやり取りがあるのは珍しくない話なのだが、今回は騎手の組み合わせがレアである。
石神騎手が武豊騎手に馬のクセなどをアドバイスしたのだが、これ自体「こんなことはもうないな(武豊談)」という話。
周りの騎手はどうだったのかというと、武豊騎手曰く「見てた横山ノリさんがめちゃくちゃ笑ってた」模様。

ただ、石神騎手にとっては相棒の突如の乗り替わりであり、「正直、冗談かと思いましたよ。それが本当なんだと知って、ショックというか、なかなか受け入れられなかった」と述べている。
なお、調教は引き続き石神騎手が乗っており、有馬記念前の追い切りも彼の騎乗。
和田調教師は、「難しい面がある馬。それでも彼は“オジュウに乗るのは楽しい”と引き受けてくれた。調教の加減も彼が一番分かっている。」と語っていた。
調教内容は、当初は平地向けのもののみだったが、2勝目を狙う頃には障害を含めたメニューで行われるようになった。

ちなみに武豊騎手上記の収得賞金絡みの件は知らなかった模様で、オープンしか出られないものだと思っていたと述べている。
騎手が無知だったというわけではなく、氏のデビューは平地・障害の収得賞金が分離される前だし、そもそも障害王者となったような馬が平地未勝利で、それが調整目的ではなく本格的な挑戦をするのが前例のない話である。
これらの経緯や事情から、現在では「ルールを学べる馬」として名が挙がるうちの1頭となっている。

【1勝クラス開成山特別500万下(10連勝・通算獲得賞金5億)】

通常、500万円以下の馬は降級(2019年廃止)を使おうと勝利数は2つ。片方を新馬勝ちとして2勝分はせいぜい2,000万円弱。
条件戦というシステムの都合上、賞金が一番増えるのは当然1着だがそれだとクラスが上がるので、同クラスのまま獲得賞金を増やすのには2着以下が必要。
つまり、500万下(現1勝クラス)の場合であれば、獲得賞金が5,000万円を超えるような馬は滅多にいない。
しかし王者は常識を超えた
獲得賞金53307.3万円、ドル換算すると4,096,500ドル。2番目のジュンファイトクンの4,704.6万円の10倍以上。
誰が言ったか、開成山特別500万ドル下

この日、開場100周年の福島競馬場は前年比138.3%1万4247人の観客数を記録した。
大歓声に包まれる水色のチークピーシーズ、耳覆いの無いメンコ。
背中に武豊騎手を乗せ、とうとう日本競馬史上最強の平地未勝利馬が姿を現した。
GⅠ並みの鳴りやまない拍手。幾つものシャッター音。
1勝クラスとは思えない注目の舞台が今、スタートした。

結論から言うとオジュウチョウサン快勝である。
武豊騎手の戦法は王者の強さを際立たせた。
障害で鳴らした体力にモノを言わせ、常に先行集団につけながら他馬の体力を消耗させる。
それはメジロマックイーンのような横綱相撲を思わせるレースであった。
平均して1ハロン12.3、上がり3ハロンは37.2。これでは前走の中山グランドジャンプの方が速い。
背に跨った武豊騎手いわく、驚くほどに重心が低かったという。
それは障害を飛んでいないと称される独創的な飛越の特徴を色濃く反映していた。

「障害がなくても強いですね」
未勝利馬とは思えない程のレースを終えて、武豊騎手がインタビューで答えた。
「有馬記念を使いたい。もうそれだけ。有馬オンリー。ぜひ投票をお願いします」

長山オーナーは夢を膨らませて喜色満面の様子である。
4,000メートル以上の距離も、水濠も、大竹柵も、大生垣も存在しない。
少し不満げにウイニングランを終えたオジュウチョウサンは走る気を余らせていた。
これが平地競争最高齢初勝利記録(7歳7カ月)、同時に1番人気における史上最多9連勝記録を達成した。
事情を知らないと全くわけがわからない記録が横に並んでいる。
あのタケシバオー、マルゼンスキー、マックスビューティー、テイエムオペラオーの8連勝を超える単独1位である。
ついでに、ジャンプグレード制導入後のJ・GⅠ勝ち馬としては初の「J・GⅠ勝利後に平地勝利」を達成した。

なお、オジュウチョウサンが本来出るべきレースは、扱いが「未勝利馬」であるためこれより下の未勝利戦である。
ただルール上はそうであるのだが、出られる未勝利戦そのものが無いため条件戦に出たということである。
つまりこのレースはあくまでも格上挑戦扱いである。
いったい1勝クラスとは何だったのだろうか。

【南武特別1000万下】

前走において平地初勝利を納めたことで、平地重賞に出走するための最低限の資格は得ることができた*4
だがまだ平地1勝でしかなく、オジュウチョウサンは有馬記念に出走するには未だ経験不足と評されていた。
加えて有馬記念のファン投票でより評価されるために、ファンに「平地でも行ける」とアピールする必要もあった。

余談だがこの頃、フランスギャロからあるオファーが届いていた。
何のレースなのかというと、凱旋門賞ウィークエンドのGⅠの一つ、「カドラン賞」。条件はこの年新装したパリロンシャン競馬場の、平地・芝・4000メートル。
意外な話ではあったが、鞍上に関してはクリンチャーと凱旋門賞挑戦という予定があったため都合はいい。
結局は有馬記念出走とそれに向けたローテーションのために見送りとなったのだが、フランスギャロもよく見ていたものである。

オジュウチョウサンは有馬記念の予行演習として10月の九十九里特別1000万下(中山・芝2500メートル)を予定していたが、直前に脚部不安が発覚して回避。
改めて11月の南武特別1000万下に挑戦する運びとなった。
500万下とは格が違う相手。全戦全勝で勝ち上がったアパパネ産駒ジナンボーと1000万下で7戦2着5回と好走を続けるブラックプラチナム。
開成山特別では1番人気となったオジュウチョウサンも今回は3.1倍の3番人気であり、本格的な平地のスピードレースでは敗北するという見方が大きかった。
上がり3ハロン36秒台の末脚もこのレベルでは珍しくない。それどころか遅い部類に属するだろう。
しかし既にアイドルホースと化していたオジュウチョウサンの人気は前走から衰えるどころか勢いを増し、1勝馬でありながら特設売店が設置された。
競馬場にあるまじき黄色い声援を浴びながら、夢を乗せて王者が現れる。

波乱の展開
途中でジナンボーが先頭グリンオブライトに掛かってしまい、レースは強制的にハイペースに追い込まれた。11秒台のラップが続く。
4馬身ほど離れて追走するオジュウチョウサン、上がり3ハロン34.5秒で驚異の末脚を発揮、最後の直線でジナンボーをかわしていった。
しかしブラックプラチナムも34.3秒の切れ味で追い込む。
もはや絶叫に近い大歓声に迎えられてゴール板を突っ切ったのは、オジュウチョウサンだった。

「人気のある馬なので何とかしたいと思っていたが、勝ててよかった。乗りやすいし、レースセンスがある」
鞍上の武豊騎手も安堵の様子でガッツポーズを見せた。
有力馬を抑えての勝利はオジュウチョウサンの実力を証明する形となり、特にブラックプラチナムから逃げ切った末脚は直線的な加速力の高さを改めて裏付けた。

ちなみに、このレース前の時点でのオジュウチョウサンのクラスは、平地収得賞金が500万なのでそのまま500万下(1勝クラス)。なのでこのレースも格上挑戦だった。
それにこの勝利を合わせると、500万+600万で1100万なので、1000万下(2勝クラス)をスキップして1600万下(3勝クラス)となった。
いわゆる準オープンがこのクラスのことなので、平地2勝目を上げたこの時点では3勝クラス(準オープン)の条件馬という扱いである。

「さすがは世界の武。場内の盛り上がりも凄かった。もう僕の馬ではなくファンの馬だから。勝ててよかったです」
いよいよ有馬記念が見えてきた11月の東京競馬場、オーナーの顔は綻んだ。
平地ファンの驚愕、そして障害ファンの歓喜とともに、オジュウチョウサンの挑戦は黄金期へと向かっていく。

【有馬記念ファン投票】

開成山特別、南武特別を経て、ついに迎えた有馬記念のファン投票。
もはやオジュウチョウサンの人気はターフィーショップに専用スペースが設けられ、スポーツ新聞のインタビューに限らずJRA公式YouTubeからも特別動画が公開されるほどに高まった。
投票結果は、堂々の10万382票。見事に有馬記念出走が当確となる第三位
「これだけファンの人たちに投票していただけて本当にありがたいしうれしいね」と、オーナーは喜びを爆発させた。
サトノダイヤモンド、キセキ、ミッキーロケット、アルアイン、マカヒキなど数々の平地馬を超える投票数は障害競馬の枠を超えて平地ファンすらも虜にした証左であった。

前走の南武特別とは桁違いの実力馬が集まる有馬記念、平地収得賞金順では1100万円のオジュウチョウサンにとって格上も甚だしい舞台である。
テレビ中継のテロップに表示された成績は「4戦2勝」。しかし応援の声は絶えない。
平地では勝負にもならず、障害転向後も4歳時の初勝利まで負け続けた馬が「絶対王者」の肩書きと共に帰ってきたのだから。
「どんな夢があってもいい。見たことのない世界を見てみたい。」
1枠1番を引いたオジュウチョウサン。本馬場入場で真っ先に紹介される前に挟まれた導入の言葉は、果たしてどんな「夢」の話だったのだろうか。

曇天にファンファーレが鳴り響き、10万人以上の拍手が会場を揺らす。
平成最後のアイドルホースという肩書を背負い、暮れの中山を飛越の王者が駆ける。
ゲートが開いた。

【第63回有馬記念】

振り下ろされる旗、開かれたゲート、その刹那、弾丸のように馬群が飛び出した。
「オジュウチョウサンがいった!オジュウチョウサンがハナを獲りました!」

突き抜けた、抜群のスタートで先陣を切る、先行で足を溜めていく。
菊花賞馬キセキ、代わりにハナを出した、うなりを挙げて先頭を奪う。
宝塚記念馬ミッキーロケット、王者に続いて3番手、みなぎる闘魂注入だ。
武豊騎手自身の騎乗経験があるダービー馬マカヒキ、京都記念馬クリンチャー、府中の名牝スマートレイヤー。歴戦の最強2勝馬サウンズオブアース、投票・オッズ共に1番の天皇賞馬レイデオロ。
中団には良血馬サトノダイヤモンド、これが引退レース、有終の美を飾れるか。
後の九冠馬アーモンドアイこそジャパンカップでのレコード激走後であり不在だがメンバー十分。

たった2分30秒に500億円が紙と散る名馬の祭典の中に1頭、7歳の「条件馬」。あまりにも異常な光景、しかし誰もが夢見た光景、ひたすらにオジュウチョウサンが駆け抜ける。
ルーティンのような横綱相撲、過去11戦を飛び越えた飛越の王者、12戦目も越えうるか。

「先頭キセキ!川田将雅が、信じて、組み立てる!その組み立てが、今後こそ、ハマって、主役に、成れるのか!?」
3コーナーから4コーナー、若駒が一頭、3歳馬ブラストワンピースが猛然と追い上げる。「平成のグランプリ男」池添謙一騎手のムチが唸り、抜群の手応えでぐんぐん馬群を突き抜ける。
しかし王者は譲らない、譲ってはならない、2倍以上の年齢差、遠く及ばない平地の実績、それらを捩じ伏せて譲らない。
障害なき平地で常識を飛越する、そのために相棒すらも置いてきた。
石神騎手はこの日、中山大障害3連覇を手土産にスーツ姿で観戦していた。もちろん表彰式に出るためだ。
長沼厩務員も帰りを待っている。

「雨が降ったり中山!降ったり止んだりの中山!」
馬場は稍重、さらに荒れた内馬場を走っては、むべなるかな、無情にも勢いが殺される。
残り400mを切った、泥に濡れた体に鞭が打たれる、超一流の切れ味勝負だ。
怒号のような地響きが鳴り、数々の平地重賞馬が1頭の障害馬に襲いかかる。
だがスタミナは無尽蔵だ、最後の坂路200m、飛越の王者は再加速、あくまでも譲らない、

「2番手ミッキーロケット!内からオジュウチョウサンまだ粘っている!」
オジュウチョウサンいまだ3番手、それは100年に一頭の障害馬、絶対王者のプライドか。

「外から!ブラストワンピース!」
しかし外馬場からレイデオロ、ミッキースワロー、ブラストワンピースが追い上げる。
上がり3ハロン35秒台、ゆうゆうと詰められていく、3馬身、2馬身、1馬身。
そしてついに、オジュウチョウサンは競り返すことなく、力尽きたか、馬群に吞み込まれた。

「ブラストワンピース!」「3歳馬が勝った!池添謙一グランプリ4勝目!」
平地のGⅠ制覇は夢と消え、連勝記録に終止符が打たれた。
悔しがるように減速したオジュウチョウサンに送られたのは、しかし万雷の拍手だった。
先頭との差は約4馬身、コンマ8秒のみで、並みいる平地重賞馬に先着した9着。
その後ろには、クリンチャー、パフォーマプロミス、スマートレイアー、リッジマン、ミッキースワロー、2歳年下のダービー馬マカヒキの姿もあった。

なお、この前日に行われた中山大障害は、絶対王者不在の中石神騎手がニホンピロバロンで勝利。騎手として3連覇を達成した。
引退した林騎手の後を継ぎ白浜雄造騎手が乗ったアップトゥデイトは最終障害で落馬競走中止。結果的にこれが現役最後のレースとなった。
また、この年の最優秀障害馬は得票率こそ落としたがオジュウチョウサンが受賞。
年間障害成績は1戦1勝。上述の通り前哨戦は出られず、その後は平地復帰のためこの数字なのだが、その1戦の完勝が評価された。1勝で選出は前例があるが、1戦で選出は史上初となった。

【衰えを見せる王者、されど…】

連勝記録は有馬で止まってしまったオジュウチョウサンだったが、翌2019年、障害に復帰すると相変わらず連勝を続けていた。
障害復帰と同時に名コンビ復活でもあり、石神騎手は「正直、もう障害を走ることはないと思っていたので。他陣営から依頼もあり、既に別の馬で春のスケジュールを組んでいた。」と述べていたのだが、走ってみると圧勝であった。
完全に「オジュウチョウサン一強」状態の中、他の人馬から簡単には勝たせまいと何度も絡まれたり包囲を仕掛けられたりされてなお勝ち続けた。
中山グランドジャンプは、オジュウチョウサンにとっては4連覇となり、石神騎手にとっては空前のJ・GⅠ7連勝となった。
秋は前年の好走もあってか再び平地に挑戦するも、結局ステイヤーズSで6着の好走もあったが勝利できず。
最優秀障害馬の座も、J・GIII→J・GII→中山大障害と重賞を3勝したシングンマイケルに譲ることとなった。
以後、オジュウチョウサンは障害に専念することとなる。

2020年、初戦の阪神スプリングジャンプでそのシングンマイケルと初対戦。結果はというと最終障害までほぼ横並びからの9馬身差圧勝、稍重ながらレコードという勝ちっぷりで王者の強さを見せつけた。
中山GJは不良馬場により3頭が競争中止するほどの死闘*5を制し5連覇を達成、同時に2011年度競走馬では国内獲得賞金トップに躍り出た。
だが京都ジャンプステークスでは出走馬6頭中3着に敗れ障害連勝記録は13でストップ、4年8ヶ月ぶりに障害競走で敗北、秋はこの1戦で終えた。

2021年は脚部不安などもありぶっつけ本番で中山GJに挑むもメイショウダッサイの5着に沈み、更に怪我も判明。年齢も相まって引退説も囁かれるようになった。
実際、この時期に投稿されたオジュウチョウサン関係の動画のコメント欄には、「いつまで走らせるのか」「早く引退させろ」というような声が多くあった。
だが放牧や1戦挟んで久々に臨んだ中山大障害では有力馬不在などもあったものの3馬身差で勝利。復活を遂げると共にJG1勝利数を8に伸ばし、4度目の最優秀障害馬にも選出された。「引退させろ」というようなコメントもこの日を境に一気に減ったのだった。

2022年初戦の阪神SJでは斤量差(※)などもあり3着に敗れたものの、6度目の優勝を狙う中山GJでは斤量は定量。
本番当日は11歳にして堂々の1番人気を背負い、1馬身差で勝利。この年のJRAのGⅠでは初めての1番人気馬の勝利となった。
この勝利でGⅠ勝利数が平地競争で9勝を挙げたアーモンドアイに並ぶだけでなく、父ステイゴールドの産駒によるGⅠ連勝年数も父父サンデーサイレンスに並ぶことにもなった。またJRA調教馬としては初の11歳でのJRA重賞勝利にもなった。
(※)J・GIを勝つと、以後はずっとJ・GIIでは2㎏重い斤量となる。そのためJ・GIを勝った後にJ・GII以下の障害重賞を勝った例は少ない。勝ち続けたオジュウチョウサンや、公開調教モードで圧勝を見せたアップトゥデイトの方が珍しいのである。

だが秋の初戦である東京ハイジャンプは流石に年齢もあってか9着の大敗、この結果を受けて陣営から次走中山大障害が引退レースになることが告知された。
そして迎えた中山大障害では好スタートを切り、道中は番手で進めていく。だが、流石に年齢に勝つことは出来ず、最終直線で往年の走りを見せることなくニシノデイジーの6着に敗れた。
それでも落馬することなく全ての障害をクリアして完走し、ファンからは大きな拍手で迎えられた。総走破距離は13万5680メートル、カンテレの岡安アナによると、超えた障害は通算で381個だった。
勝って終わることこそできなかったが、長きにわたった現役生活で一度たりともレースで転倒することなく最後まで走り切った。
そして最終レース後、障害馬としては42年ぶりの引退式が実施。

幾多の記録を残し、刻んだ記憶も数知れず。
誰がそう言ったか、「その在り方がグランドジャンプ、残した記録は後世の障害馬たちの前に立ちはだかる大障害」。
年の瀬の中山の寒い冬空の中、1.5万人のファンに見送られ絶対王者はターフを去った。

【引退後】

現役最終年の2022年JRA賞最優秀障害馬ではニシノデイジーとの接戦の末僅か1票差で下し、史上最多(5回目)となる最優秀障害馬のタイトルを掴み取った。
年間障害成績1勝での選出は、中山グランドジャンプのレコードを大幅に更新した2018年、10歳でのJ・GI勝利を達成した2021年に続きこれで自身3度目であった。

華々しい実績を残したオジュウチョウサンだが、先に述べたように日本での障害レースの人気の低さもあり、J・GⅠを複数勝利しても種牡馬入りしないことも珍しくない。
何度も鎬を削ったアップトゥデイトも引退後は馬事公苑で乗馬になるなど、引退後の彼の行く先で色んな憶測が飛び交ったが、
最終的には生まれた牧場で種牡馬になることが決まりファンも胸を撫でおろした。
ただこれは便宜上の行き先だったようで、その後同じステイゴールド産駒のプライベート種牡馬エタリオウや坂東牧場出身の先輩重賞馬ビービーガルダンが住むYogiboヴェルサイユリゾートファームへと移動。

実質プライベート種牡馬という形にはなるが、彼がどのような産駒を残すか第二の馬生にも注目したい。
長山オーナーによると、「自分が所有するオジュウの子の馬名には冠名の『チョウサン』ではなく、『オジュウ』を付けることにしました。みんなが『オジュウの子だ』ってわかりますからね。」とのこと。
その「チョウサン」冠自体がそのままチョウサンの活躍に由来しているという経緯があるため、長山氏らしい話といえよう。


【余談】

+ オジュウチョウサンが戦った馬たち
現役生活が長かっただけあり、当然ながら対戦相手も非常に多い。
対戦歴の部分は、その馬が勝ったレースは太字表示、オジュウチョウサンが勝ったレースは赤文字表示している。
各馬の経歴を見てみると、オジュウチョウサンが怪我はあったとはいえ一度の競走中止も無く現役を無事に終えたことの凄さが伝わるだろう。
オジュウチョウサン引退時のオーナーコメントで挙げられたライバルとして、馬名が明言されていたのはサナシオンアップトゥデイトシングンマイケルメイショウダッサイ


サナシオン
対戦歴:2015年障害3歳以上OPイルミネーションJS(3歳以上OP)・中山大障害、2016年中山GJ
快速の飛越巧者。どれだけのスピードかというと、斤量差もあるため単純比較はできないが上述したアップトゥデイトによる公開調教じみた2018年阪神SJ(斤量62㎏)よりも、本馬が勝利した2016年の同レース(斤量61㎏)の方が走破タイムでは上回っている。後にオジュウが彼らより3秒以上早いタイムを斤量62㎏かつ稍重で叩き出したのは別の話である。
J・GI勝ちこそ無いが実力はかなりのもので、2015年中山大障害ではアップトゥデイトに乗る林騎手が徹底マークの対象にしており、2016年中山グランドジャンプでは上述の通り単勝1.3倍の圧倒的人気だった。
2016年秋、中山大障害前に屈腱炎により引退。その後は馬術競技に転身。2024年にも大会に出ていた記録がある。

ルペールノエル
対戦歴:2015年障害3歳以上OP2016年中山大障害2017中山GJ中山大障害2018年中山GJ2019年中山GJ
中山大障害で2016年・2017年と連続で3着。1着オジュウチョウサン、2着アップトゥデイトなので、2年連続で上位3頭が全く同じというJRAのGIでは初の記録となっている。
2016年は3番人気、2017年は5番人気から3着に入っているため、三連単の払戻金はそれぞれ890円・930円となかなかの低さとなっている。
後の2024年にチャンピオンズカップで上位3頭が前年と同じという事例が発生し、その際に「平地GIでは初」のワードと共に本馬の名前も登場した。
キャリアとしては重賞勝ちこそ無かったが大きな怪我もなく走り続け、2020年に引退。乗馬となった。

アップトゥデイト
対戦歴:2015年中山大障害2016年中山大障害2017年阪神SJ中山GJ中山大障害2018年中山GJ
父クロフネの活躍馬の多くは牝馬(のスプリンターやマイラー)であるため、牡馬の代表産駒となると彼を挙げる人が多い。
距離に関してもイレギュラー寄りなのだが、平地の長距離レースとは異なり障害では飛越やその後の再加速が求められるし、スプリンター種牡馬のサクラバクシンオー産駒にJ・GⅠ2勝のブランディスがいることも考えるとそこまでおかしい話ではなかったりする。
対戦結果については上述の通り。2018中山GJで更新されたレコードは自身が2015年に記録したものであり、「オジュウがいなかったから勝てた」のではなく、陣営のコメント通り相手が強すぎたのである。
オジュウチョウサンとの対戦で2度レコード決着になったのも本馬の走りによるものなのは言うまでもない。
2017年中山大障害での走りはリードを奪ってから最終盤までずっと単独走であり、1頭でレコード更新ペースで走れる馬などごくわずかである。
平地レースを含めれば「大逃げ」「レコード級かそれ以上のペース」「2着以下もレコード」のどれかを満たすレースはそこそこあるが、
これらを同時にやってのけ、「レコードを更新するペースで大逃げを敢行し、最後まで垂れずに自身もレコードタイムで走破」した例などそうそうない。障害レースだと絶後に等しいのではないだろうか。
2018年中山GJでは、超ハイペースの中でオジュウが徹底マークをしていた以外にも他の馬が絡みに行っていたのだが、それを実行したマイネルクロップはオジュウから17.4秒遅れでゴール。そういった例も踏まえてみると、ずっと先頭で走れる本馬の強さがより実感できるだろう。
2018年秋、オジュウチョウサンが平地に復帰し有馬記念の人気投票で3位になった裏で本馬への票も入っており、51位になっている。その後も障害馬がある程度の票を集めランキング発表圏内に入るケースが発生している。
同年の中山大障害では最終障害で落馬し競走中止。大怪我をしたわけではなかったが、結果的にこれが最後のレースとなり引退。
その後は乗馬になることが発表され、姿も確認されていたが、その後は明らかになっていない。
ちなみに障害転向前に武豊騎手が1戦だけ騎乗したことがある。そのため、武豊デビュー以降の馬を氏の騎乗経験の有無で分けた場合、障害部門は「ある」側にオジュウ共々持っていかれる羽目になる。

ニホンピロバロン
対戦歴:2016年障害4歳以上OP2018年中山GJ2019年中山GJ
2018年中山大障害を鞍上石神騎手で制している。
2018年中山グランドジャンプでは3番人気から3着に入り、上述の払戻金記録の一因になっている。
なお同レースで他の馬を抑えて3番人気に入っていたのは、これまで障害通算9戦で6勝(うち重賞2勝)・2着3回の全連対であったのが理由である。
なので「3着に入れた馬」というよりは、その後J・GIを勝ったのも合わせて「実力実績ともにあるので上位2頭の次」と受け止めるべきだろう。
2019年中山グランドジャンプ後屈腱炎により引退。乗馬となった。
その後は功労馬繋養支援事業の支援対象馬として過ごしている。

マイネルプロンプト
対戦歴:2019年中山GJ、2021年中山GJ、2022年阪神SJ・中山GJ
ユニークな経歴というとオジュウチョウサンがまさにそうなのだが、本馬の経歴も中央未勝利→地方で連勝→中央復帰→障害挑戦→平地復帰→地方で引退とかなりのものである。
主な成績は2019年中山GJ含む二度のJ・GIでの3着と、それに加えて特筆すべきものがある。
それは障害から再び平地へと戻った後に達成した、JRA記録となる史上初の11歳での平地勝利(鞍上は当時デビュー年の田口貫太騎手)である。
2024年12月のレースを最後に引退。12歳まで、ダート1200mから障害4250mを走り続けた。
ちなみにオジュウの2歳下の全弟で平地では現2勝クラス勝利・障害ではオープン2勝の経験があるコウキチョウサン*6との対戦経験がある。

シングンマイケル
対戦歴:2020年阪神SJ中山GJ
2019年、中山大障害を含む重賞3勝で最優秀障害馬に選出。
キャリアで一度だけ石神騎手が乗っており、それが重賞初勝利となった東京ジャンプステークス。
これらの勝利はいずれもオジュウ不在でのものであり、2020年春にまた障害へと戻ったオジュウとの対決は注目を浴びたが、初顔合わせでオジュウが完勝。
次の中山グランドジャンプは不良馬場でオジュウチョウサンの優勝タイムが歴代ブービー級のハードなレースとなり、最終障害で転倒、頚椎関節脱臼により亡くなった。

メイショウダッサイ
対戦歴:2020年中山GJ2021年中山GJ
2018年の阪神ジャンプステークスでアップトゥデイトと対戦しているほか、コウキチョウサンとの対戦経験もある。
初対戦こそ王者の5連覇を許すこととなったが、2020年中山大障害(オジュウは回避)でJ・GI初制覇。
翌2021年中山グランドジャンプで再戦し、6連覇阻止と同時にJ・GI秋春制覇を達成した。
この年の秋に繋靭帯炎が判明、復帰へ向けていたが翌年再発、2022年11月をもって引退となり、その後は馬事公苑で乗馬。

タガノエスプレッソ
対戦歴:2020年京都ジャンプステークス、2021年中山GJ・中山大障害、2022年阪神SJ
オジュウチョウサンの障害連勝記録を止める勝利を上げた馬。
2つの珍しい記録を持っており、ひとつはクラシック3レース全てで13着。もう一つは、JRAの芝ダート障害全てでオープン以上のレース勝利。
2022年8月引退。種牡馬入りと報じられた。

ニシノデイジー
対戦歴:2022年中山大障害
オジュウチョウサンの引退レースで勝利した馬。名前から勘違いされることもあるが牡馬である。
2016年4月18日生まれであり、この2日前がオジュウのJ・GⅠ初勝利だったため、彼の目線ではオジュウは「自身が生まれた時には既に王者」ということになる。
「ニシノ」冠の馬の中でも特別な1頭で、セイウンスカイとニシノフラワーとの間にできた子の子孫である。
元は平地で2歳重賞を2つ勝ち、クラシック皆勤もしたがその2歳での活躍後勝利が無く障害へ転向した。障害未勝利戦時代に芝とダートの境目でジャンプしたエピソードがある。
2024年中山大障害で2度目となるJ・GI制覇を達成。2年前に逃した最優秀障害馬の座も獲得した。
その後、オーナー自ら「執念」と呼ぶほどの血統を残すべく、引退して種牡馬入りすることが発表された。
オジュウと同じく珍しい「障害王者の種牡馬入り」であり、両者ともオーナーの思いが込められた血統という点も共通しているが、実績や意味合いはかなり異なる。
オジュウチョウサンは若い頃は全く勝てず、平地実績はほぼゼロであるのに対し、ニシノデイジーは2歳で平地重賞2勝。
オーナー側の意図も、一方は「オジュウの血を残したい」、もう一方は「セイウンスカイとニシノフラワー(と本馬自身)の血統(ついでに父ハービンジャーの血)を残したい」という違いがある。
種付け頭数に関しては、オジュウは手の指で足りる程度の数であり、デイジーは西山オーナー曰く(初年度の種付けシーズンの途中で)既に25頭とのこと。
産駒デビューは最速でオジュウが2026年、デイジーは2028年となる。


+ 実はこんな馬とも…
クランモンタナ
対戦歴:2017年中山大障害2018年中山GJ
「和田竜二に闘魂注入されまくって小倉記念を制したあの馬」と言えばピンとくる人も多いのではないだろうか。
結果的にこれを平地の最後の勝ち星として熊沢重文騎手を背に障害転向。
障害での最高戦績はオープンでの3着だが、J・GIには2度出て両方とも完走。
その2回がこの通りどちらとも伝説の障害レースなので、「君このレースに居たのか」の文脈で出てくることも多い。
ちなみに障害転向・勝利後に再び小倉記念に出ている(鞍上は熊沢騎手)。
2018年夏に引退。社台ファームに里帰りし、乗馬となった。

マカヒキ
対戦歴:2018年有馬記念
当時、2016年の日本ダービー・フランスのニエル賞(GII)での勝利を最後に長いトンネルに入っていた。
2018年有馬記念では10着。これは国内では当時自身最低の着順であったとともに、よりによって9着のオジュウの後ろであったことから、「障害馬(あるいは条件馬)に負けたダービー馬」となってしまった。
その後も低迷は続いたが、2021年の京都大賞典(GII)で復活の勝利。このレースにはキセキも出ていた(3着)。
これを結果的に最後の勝利として、2022年に引退。種牡馬入りと報じられた。

サウンズオブアース
対戦歴:2018年有馬記念
重賞2着7回を記録した「最強の2勝馬」。オジュウチョウサンとは同世代(2014年クラシック世代)。
一緒に走ったレースは有馬記念だけであり勝負的な意味での絡みも無いが、対戦相手の履歴がユニーク。
この世代からオジュウチョウサン以外で名前が挙がる馬といえばモーリスが代表だろうが、彼とも同じレースで走ったことがある。
かたや5歳引退でクラシックは出ていないマイル・2000m王者、かたや3歳で既に障害に転向し7歳で平地に復帰してそのときのレースの最短距離が2400mの馬であり、本馬がダービー→菊花賞→王道路線を走っていたことも考慮すると、「○○と対戦歴がある~」系の話でも類似の例はあまりないだろう。
この有馬記念で引退し、その後は乗馬。2023年に病気で亡くなった。

アフリカンゴールド
対戦歴:2019年六社ステークス(3勝クラス)、アルゼンチン共和国杯
あの「Twitterをする馬」である。オジュウと同じくステゴ産駒。
当時は既に去勢の件でバズった後だったが、ターフの上ではレースのクラスからわかるようにまだ条件馬であり、この勝利でオープン入り。
その後戦法アンケートをやり始めたりそれで重賞勝ったりしたのはまた別の話…ではあるが、
それで取った2022年の京都記念は、「オジュウの中山GJを待つまでもなく」で達成された父ステイゴールドの17年連続重賞勝利となっている。
この記録の継続は2023年末に本馬のステイヤーズSとマイネルレオーネ・マイネルヴァッサーの中山大障害に託されることとなったが、残念ながら勝利はならなかった。
2024年に引退し、その後は阪神競馬場で誘導馬となった。

マイネルレオーネ
対戦歴:2022年中山GJ、東京HJ、中山大障害
オジュウの一つ下の2015世代にあたるステゴ産駒。そして母父がサッカーボーイ・父ステゴの母がサッカーボーイ全妹のゴールデンサッシュ、つまりは全きょうだいの2×2というインブリードで話題となった馬なのだが、気性は特に問題は無い模様。
もう一つ話題になったのがその馬体重で、400~410㎏ほど。障害関係の最軽量記録で何度も名前が出てくるくらいの軽さである。
障害転向は2018年で以後ずっと障害レースを走っていたが、オジュウとの対戦は2022年のみ。11歳で王者の強さを見せつけたオジュウがおかしいだけで、10歳かつこの馬体重で4000メートル以上を走破し馬券内に入る本馬も相当である。
11歳となった2023年の末、中山大障害で完走はしたものの屈腱炎を再発。年齢もあり引退となった。


+ 各種記録・ニュースに付く「平地」集
冒頭で述べているように、オジュウチョウサンの長きにわたる活躍によって、様々な記録に「平地」の文字が付くことになった。
似た表現として、オジュウ以前の記録であれば「史上初(例:GⅠ9勝のアーモンドアイ)」や「当時」・「引退時(例:テイエムオペラオーのWikipedia記事*7)」といったものもある。
掲示板や動画サイトのコメント欄で競馬の記録の話題が扱われるとき、あらかじめ「平地」と付けたりオジュウチョウサンを「殿堂入り」扱い(ランキングから除外)したりしておかないと、これが理由で突っ込まれるのが定番である。

なお、馬の記録に限ってもこんな感じなので、主戦の石神深一騎手・和田正一郎調教師の記録や種牡馬(ここでは父ステイゴールド)の記録も入れようとするともっととんでもないことになる。
例えば2021年中山グランドジャンプの過去5年データが「父ステイゴールド・母父シンボリクリスエス・鞍上石神騎手・和田正厩舎の馬が100%勝利」だとか。

以下、更新された・並ばれた記録、あるいは本来「平地」の語が必要な情報などには基本的にはわざと「平地」等の文字は付けずに表示する。(その後ろに、オジュウチョウサンの記録を記載。)

  • 1976年、カブラヤオーが皐月賞・日本ダービーを含む9連勝を達成(11連勝)。
  • 2000年、テイエムオペラオーが有馬記念で勝利し、古馬王道路線年間グランドスラムと同時にタイキシャトルに並ぶ重賞8連勝を達成(9連勝)。
  • 2020年、アーモンドアイがジャパンカップで勝利し、GⅠ9勝を達成(同じく9勝)。
    • このレースの3連複300円・3連単1340円は当時のJRAのGⅠ史上最低払い戻し金額(2018年中山GJは、それぞれ290円・570円)。
    • アーモンドアイには「九冠馬」→「きゅうかんば」→「キューカンバー」→「🥒」というネタがあるのだが、オジュウを指してこれが使われるのはまず無い。
  • 2021年、オメガパフュームが東京大賞典で勝利し、同一GⅠ4連覇を達成(5連覇)。
    • 中央平地GⅠは連覇が最高記録で、3連覇の例は無い。
  • 2022年、イクイノックスが天皇賞(秋)で1番人気を背負い勝利し、GⅠ1番人気連敗記録が16でストップ。
    • 前年末のホープフルステークスから桜花賞まで5連敗、中山GJでオジュウが1番人気で勝利、その後皐月賞~菊花賞で11連敗。
  • 2024年10月、ドウデュースが天皇賞(秋)で勝利し、オメガパフューム以来史上8頭目となる4年連続GⅠ勝利を達成。
    • 「平地」と記載しない場合、「4年以上連続はオジュウチョウサン以来史上9頭目」となる。オジュウは7年連続。
    • オジュウ以外でも、上記のオメガパフュームの記録が入っているか(JRAに限るか)どうかで「史上○頭目」の数字が異なっている場合がある。
  • 2024年12月、チャンピオンズカップが史上初の「2年連続で1~3着が同じ馬」でフィニッシュ(2016年・2017年中山大障害で前例あり)。
  • その他、連覇(特に3連覇以上)を狙う馬や高齢馬の重賞・GⅠ出走に関するニュースには「平地」と記載されているものも多い。
  • 武豊騎手(免許は平地のみ)はJRAの平地GⅠ完全制覇まであと1レース(ホープフルステークス)であるため、関連ニュースには正確を期す場合この2文字が入る。



一方で、オジュウチョウサンの名前が出てこない記録にはこのようなものがある。
補足説明部分の通り、条件を変えたり細かくしたりしてみればすぐ名前が出てくることも多いのだが。

  • 賞金記録
    • 現役・引退済を問わないランキングの、海外レースを含まない基準で引退直前期に30位近辺、海外を含むものや最新記録ではもっと下がる。
    • オジュウ現役時のJ・GⅠの1着本賞金が6600万円なので、障害競走のみではダントツの記録だが平地と混ぜるとこうなる。
    • 現役最後の約1年、現役馬賞金ランキングでは1位だった。
  • GⅠ連勝記録(オジュウチョウサンは5勝)
    • 最高記録はテイエムオペラオー・ロードカナロア・イクイノックスの6連勝。グレード制以前も含めると八大競走+宝塚記念のシンザンも入る。
    • オジュウがこの記録に入らないのは、5連勝後の有馬記念で連勝がストップしたため。J・GⅠに限れば7連勝。
  • 連対記録・馬券内記録
    • オジュウの2着・3着は少なく、重賞2着はゼロ、J・G1は全て1着か馬券外なのでこれらの記録だとあまり出てこない(特に連続記録)。
    • ただし、そもそも通算20勝・2着2回・3着4回なので、ランキングの基準次第では普通に名を連ねてくる。
    • なお、「同一レース記録」の場合は中山GJ5連覇含む6勝という大記録の影響がダイレクトに出てくる。
  • 最高齢勝利記録(オジュウチョウサンは11歳が最高)
    • オーストラリアのカラジが中山GJを10歳~12歳で3連覇しており、これが同時にJRA最高齢初勝利・最高齢勝利である。外国馬記録だとこの馬の名前が出てくることが割とある。
      • ちなみに2025年3月30日に、10歳のザスリーサーティが障害で中央初勝利を達成し、同時にステイゴールド産駒1年5か月ぶりの勝利を記録している。
    • 上述の通り、オジュウは中央平地初勝利の最高齢記録(7歳)持ちではある。また、11歳勝利は日本馬記録。



オジュウチョウサン引退後、レース中の映像をジョッキー視点で見られるジョッキーカメラが導入された。
障害レースでも行われ、JRA公式YouTubeチャンネルでレースのダイナミックさを感じることができるようになった。
坂の上り下りなど、普通の中継映像では感覚がわかりづらかった要素を臨場感たっぷりに味わうことができるので是非ご覧あれ。
見られる映像は複数あるが、この項目の趣旨的にはオジュウチョウサンと同じステイゴールド系のマイネルグロン(ゴールドシップ産駒)が鞍上石神騎手で勝利した2023年中山大障害の映像がお勧めだろうか。
石神騎手による「素晴らしい!オジュウと1秒しか変わんない」のパワーワード付きである。
なおこの発言、実際のところは1秒8ほどの差であるため、「これだけの走りをしたとしてもほぼ大差なのがオジュウチョウサン」ということである。


障害専門騎手として話題になった小牧加矢太騎手は、馬術競技時代にオジュウチョウサンに乗ったことがある。
時期的にはオジュウが基礎訓練をやっていた頃であり、オジュウの平地初勝利後の記事では、第一印象は「おとなしくて、もっと覇気があった方がいいと思った」と述べている。
また、「障害でつくられた筋肉が平地でも通用するパターンだった」、「障害を跳ぶとやる気が出たり、人の指示に従順になる。全部があの馬には良かった。」とも。


オジュウチョウサンによる有馬記念挑戦の影響からか、その後もグランプリの人気投票では有力な障害馬にはある程度の票が入るようになった。順位・票数は100位以内で公表され、その中に名前が出てくるのも珍しくはなくなった。
具体例としては2021年有馬記念、メイショウダッサイの38位など。
オジュウ自身の有馬記念人気投票については、2019年以降も引退年まで全て発表圏内で、14位(2019年)→15位(2020年)→50位(2021年)→30位(2022年)。
ちなみにオジュウの投票関係では、3歳時(2014年)の有馬記念はゼロ票、つまりはオーナーや関係者からの票も一切無かったことが明かされている。


香港のレースに出る馬や、香港で馬券が発売されるレースの場合、現地名が漢字4文字以内で付けられる。
有名どころだとステイゴールドの「黄金旅程」、ロードカナロアの「龍王」など。名付け方は直訳・意訳・当て字などいろいろ。
一部はそのステイゴールドのように香港馬名が馬の代名詞・二つ名的存在になったり産駒の命名に影響したりなど、名づけのセンスが光るものも多い。
有馬記念に出たオジュウチョウサンも例外ではなく、その際にはちゃんと香港名が付けられている。
どんな名が付けられたのかというと、「長山之馬」。誤訳でもなんでもないのだが、何か一言言いたくなるような人も少なくないだろう。
そもそも「オジュウ」は長山オーナーの家族が幼少期に「俺」の発音が上手くできずにそう言っていたのが由来で、「チョウサン」はオーナーのあだ名とのことだが、翻訳の際はそのまま長山としか表しようがない。
これより前の馬の例だと、アストンマーチャンがオーナー名から持ってきて「真弓快車」というのもあったりはするとはいえ……
事情が事情なので批判されることは滅多にない*8のだが、スポニチが「翻訳担当の人も苦肉の策だった!?」と記事にしているその通りだったのかもしれない。




追記・修正は同一重賞5連覇またはJ・GⅠのレコードを更新した方がお願いします。


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  • その存在が大障害
最終更新:2025年04月29日 22:11

*1 一応例外が無いわけではなく、2025年にレイチェル・キング騎手がフェブラリーステークスを勝利したのが「JRA初の女性騎手による『平地』GⅠ制覇」と紹介されたような本馬が無関係なケースもある。これはロシェル・ロケット騎手が2002年に中山大障害を制しているため。

*2 半兄にダート地方重賞2勝のアルアラン(父アルカング)がいる。

*3 「ジェージーワン」または「ジャンプグレードワン」と読む、JRA独自のグレードのこと。所謂平地のGⅠと同格として扱われている。

*4 ただし、収得賞金が低いことから登録頭数が多いと真っ先に除外されるため、事実上はフルゲート割れのレースや人気投票による優先出走権が得られるものに限られる。

*5 うち1頭はシングンマイケルだった。なお、残念ながら頚椎関節脱臼のため即死・予後不良となっている(レース中に心臓発作を発症しており、鞍上の金子光希騎手も止めようとしたものの止められないまま最終障害で躓いて転倒した)。

*6 2021年のレースを最後に引退し、その後は岩手大学馬術部へ。2025年現在でも写真付きで様子が見られる。

*7 オジュウチョウサンだけではなく、賞金記録が更新されていることも理由ではあるが。

*8 カレンチャンが当初「真機靈」で、「靈(霊)」の字についてオーナーサイドからの申請で「真機伶」に変わったという例がある。