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三大始祖とは、現存する
サラブレッドすべての父系祖先を可能な限り遡った最古の地点に座す種牡馬のことである。
数世紀にわたる子孫たちの競争と勝利と繁殖と繁栄の果てに他の始祖種牡馬たちをねじ伏せた、サラブレッドという品種の始祖たちの頂点。
概要
上記の通り、サラブレッドという品種の父系祖先を「コイツの父の父の父の父の父の…………辿り着ける限界の父ッ!!」と遡っていくと、必ずある3頭の種牡馬のうちいずれかに辿り着く。
すなわち、
バイアリーターク・
ダーレーアラビアン・
ゴドルフィンバルブである。
現存するサラブレッドの血統的追跡限界点がこの3頭に収束するため、三大始祖というわけだ。
案外勘違いされがちだが、彼ら自身はサラブレッド
ではない。そもそもサラブレッドという概念そのものが彼らの現役時代には存在してなかったからね、
仕方ないね。
また、これも勘違いされがちだがサラブレッドの始祖種牡馬が彼らしかいなかったわけでもない。サラブレッドの定義基盤「ジェネラルスタッドブック」に曰く、かつてありし始祖種牡馬は100頭以上にもなったが、三大始祖以外の父系は完全断絶しており直系子孫は存在しない。
ただし一度牝系に入ることで影響力を維持している始祖種牡馬もおり、その中でも有名なのとなるとやはり
オルコックアラビアンであろうか。ダーレーアラビアンとだいたい同時代の馬で、父系としては18世紀末に早くも断絶したが、芦毛遺伝子の祖として、牝系を通じ今なおサラブレッドの血統基盤に浸透している(芦毛子孫の例:
種付上手のゴルシさん)。
各三大始祖について
本節では各三大始祖について解説する。
が、17〜18世紀の馬であるため、散文的な記述にならざるを得ないことはご承知おきいただきたい。何しろ300年から昔のお馬さんですけえ……
バイアリーターク
三大始祖第一の矢。
17世紀末に活動したターク種の種牡馬。ただし残された絵画に描かれた特徴はアラブ種のものであり、トルコ産アラブ種の可能性もある。
とはいえ彼の生きてた頃はトルコ近辺から輸入してた馬全部タークと称してた時代だし、バチクソ今更なんで馬名が変わることはないだろうが。
名前の通り「バイアリーさん所有のターク種」ということだけは確定してるのだが、彼がイギリスにやってきた経緯は今もって判然としない。少なくとも何らかの手段でロバート・バイアリー大尉(当時)が入手したターク種であることだけは確かである。
ある説によれば「ブダペストの戦い(あるいは第二次ウィーン包囲)で敗走するオスマン帝国軍からバイアリー大尉がお持ち帰りした」とか。
渡英直後は生地トルコと同じく軍馬として使用され、大佐に昇進した新たな主とともにアイルランドでの反乱鎮圧に従軍。包囲されたバイアリー大佐をそのスピードを活かし脱出させるなど、確かな武勲を立てて軍馬としての価値を証明した。
その後は競走馬として記録に残る限り1戦1勝し、1691年ごろから種牡馬として供用されることになる。
しかしあてがわれた牝馬の質・量ともにお察しで、直仔の成績はお世辞にも高いとは言い難かった。今でもそこそこ名が知られてるとなると、無敗のマッチレーサーとして名を残したバスト、無双種牡馬の曽祖父ジグくらいだろうか。
その後子孫の活躍を見ることなく1705年ごろ没、供用されていたゴールドバラの何処かに埋葬。没年齢不明。
ぶっちゃけ他の輸入馬に秒殺されてもおかしくなかったこの零細血統が盛大に
ヒャッハーするのは、彼から見て玄孫の代……
ヘロドが種牡馬として供用されてからである。
ヘロドとその息子
ハイフライヤーが凄まじい勢いでヒャッハーヒャッハーアンドヒャッハーし、競馬界を席巻する巨大勢力としてヘロド系が台頭したのだ。まあヒャッハーしすぎて血の袋小路に爆速で突っ込んだ結果、生地イギリスでは盛大に没落したんですけどね。
平家かな?
なお、ヘロド系を除くバイアリーターク直系子孫は残ってなかったりする。なんならハイフライヤー系も断絶してたりする。
どう見ても平家です本当にry
日本において有名な直系子孫となると、やはり
パーソロンの系譜の皆様だろうか。メジロ牧場系列では父子三代天皇賞(春)制覇をかましたメジロアサマ・メジロティターン・
メジロマックイーン一族。
そしてシンボリ牧場系列では永遠なる七冠の皇帝
シンボリルドルフ・不屈の帝王
トウカイテイオー父子がつとに有名であろう。
日本の馬の者でこいつら知らんとかモグリってレベルじゃないけどね
あとは忘れちゃいけない幻の馬・
トキノミノル。
ちなみにあまりにも爆速でヒャッハーした割に元の血統として零細だったためか、遺伝子プールに占める割合は3.3%程度しかなく、三大始祖最低値を叩き出している。それどころかとっくに断絶した始祖種牡馬(具体的にはカーウェンズベイバルブ)より低率だったりする。
そして世界的に見ても直系断絶レッドアラートだったりする。2025年時点でアイルランドのダイヤモンドボーイが最多の種付頭数わずかに85。内国産ヘロド系に至っては断絶寸前と言って差し支えなく、2025年に没したクワイトファイン(父トウカイテイオー)が遺した産駒が種牡馬入りできるかにかかっている。
ダーレーアラビアン
三大始祖第二の矢。
1700〜1703年あたりにシリアの遊牧民が生産した純血アラブ種であることがわかっており、その頃はシェイク・ミルザが所有していた。なお当時の馬名は「マンニカ」といった。
この馬がいかにして英国に来たかに関しては諸説あるが、1704年にアレッポで英国領事をしていたトーマス・ダーレーに所有権が移り、ヨークシャーで種牡馬として供用されたことは確かである。
一説にはダーレーがマンニカを略奪したため、ブチギレたミルザが管理責任者を処刑しアン女王に抗議文を送りつけ、さらに報復としてダーレー家の者を殺害したという。
スペイン継承戦争の戦火を縫うようにどうにか英国入りしたマンニカは、ダーレー邸のあるヨークシャー州アルドビーホール(アルドビーパークとも)で繋養されることになった。
なお購入者のトーマスは自分の結婚式のための帰国途上で死去しており、所有権は父リチャードに移った。
本馬は基本的には乗馬として使われつつ、ときおり種牡馬として供用された。種牡馬としての活動期間はリチャード死後に相続したヘンリー・ダーレーの所有期(1706〜1719)に集中しており、種付数産駒数ともに多くはなかった。というか産駒数を多めに見積もっても数十頭しかいない。
だが、その限られた数の産駒から場外満塁ホームランかますわけだから、やはり持ってる馬だと言わざるを得ない。
1714年もしくは1715年産のフライングチルダースが文字通りの無双蹂躙をかまし、種牡馬としても二度リーディングサイアーを獲る活躍を見せた。なお直系断絶済み。
さらにその全弟バートレットチルダースは鼻出血の持病で出走こそできなかったが、種牡馬としては兄に引けを取らぬ活躍を見せた。……のみならず、こいつの曽孫こそがある意味で「サラブレッドの原点にして頂点」として世界をその手に握ることになる。いや、馬に手はないが。
——
エクリプス。生涯無敗のヒートレースホースであり、あまりに強すぎたため幾度の単走すら経験した、当代随一……どころか競馬史総ざらいしてなおトップ・オブ・ザ・トップに君臨する、まさしく「
完璧で究極の競走馬」である。
無双の神馬は種も無双……とまではいかずともやはり活躍したが、同時期に種付無双していたヘロド&ハイフライヤー父子に抑え込まれリーディングサイアー奪取は叶わなかった。だが、その直仔が繁殖入り後に無双しヘロド系からリーディングサイアーを奪取。
史上最強の珍名馬にしてエクリプス系主流血統の祖・
ポテイトーズ、エクリプス系初のリーディングサイアーにして
煮え滾る蒸気機関車やミスター欧州無双リボーの遠祖・
キングファーガスらを筆頭に大活躍した。
何なら直系閉塞フラグが立ってきた感のあるヘロド系種牡馬に牝馬を提供できてお得。おまけにヘロド系牝馬にも自分たちを余裕で付けられるのでさらにお得である。そりゃ大活躍するわ。
かくてエクリプス直系やその末裔たちがその血を繋げ、そして着実に活躍した結果、サラブレッドの血統は約95%がエクリプスを祖とするダーレーアラビアンの末裔で占められることとなった。なおその割に遺伝的貢献度(7.5%)はゴドルフィンバルブに倍近く差をつけられてる(14.5%)模様
ちなみに、日本競馬においてエクリプス系の生産頭数占有率は2016年時点で99.96%だったそうな。残りの0.04%は……ほぼほぼクワイトファインとギンザグリングラスですね、わかります。
ゴドルフィンバルブ
三大始祖最後の矢。ゴドルフィンアラビアンとも。
シリア周辺で1724年前後に生産されたとされる。ベルベル族の居住域からフランスに輸入され、その後イギリスに売られたためバルブ種として登録されていたが、Y染色体ハプロタイプ解析により遺伝子系統的にはバイアリータークと同じグループのターク種であったと判明している。
ちなみにダーレーアラビアンもハプロタイプ解析でターク種であることが判明しており、三大始祖は全頭ターク種、それも遺伝子的近縁性からして同一始祖の血を引いていることが示唆されている。
それはさておき、1729年にイギリスに輸入されたとされるゴドルフィンバルブなわけだが、その生涯に関して判明していることは驚くほど少ない。
肝心要のジェネラルスタッドブックすら彼の没後40年経ってできたものであり、既にして創作コミコミと見る向きもある。というか様々な書籍で伝えられる生涯の中には、露骨に辻褄が合わなかったり、どう見ても嘘松なものすら普通にある。
体の特徴はアラブ種であることを暗示しており、いつ頃からかは不明だが、最後の馬主だったゴドルフィン伯爵の名を取ってゴドルフィンアラビアンと呼ばれるようになった。前述の通り登録種はバルブだし、遺伝子系統的にはタークだが。
ちなみにドバイの王族マクトゥーム家の所有する競走馬管理団体「ゴドルフィン」は彼の名にちなんだもの。勝負服の鮮烈な「ゴドルフィンブルー」はつとに有名である。
わかっている限りの彼の生涯について述べよう。シリアないしイエメンのあたりで生産された彼は幼名をシャムといい、チュニスを経由してフランスへの献上品としてパリに渡った。植民地からの献上品として、相応の素質馬である彼が選ばれたのだと考えられる。
しかし、船旅の際に十分な餌を与えられず痩せこけていた彼を当代フランス王ルイ15世はお気に召さなかったらしく、紆余曲折を経てイギリス人のエドワード・コークの手に渡ることとなる。
イギリスに渡ったシャムは、コークのもとで乗馬時々当て馬として供用された。ちなみにコークのスタッドブックには“ye Arabian”と記載されていたそうな。
1731年のこと。牝馬ロクサナの当て馬としてシャムが使用されたが、その後本命のホブゴブリンが種付を拒否。仕方がないので代役としてそのまま彼が種付に起用された。代打、俺!
そうして生まれたラスは1733年に死没したコークのもとから、父母とともに第2代ゴドルフィン伯爵フランシスに所有権が移る。どうやらこのラス、存外見てわかる程度には素質馬だったようで、ゴドルフィン伯のもとで全弟ケードも生産された。
してこのラスとケードなわけだが……どちらも申し分ない活躍を見せた。ラスは「フライングチルダース以来の名馬」としてその名を轟かせ、ケードも兄ほどではないにせよ名馬として申し分ない実績を上げた。
ただし種牡馬としては兄弟で評価が逆転しており、ケードが現存する唯一のゴドルフィンバルブ直系系統の祖マッチェムを輩出した以外にも活躍馬を出し、計5回英リーディングサイアーに戴冠した。
ラスとケード全兄弟の活躍によりその名を大いに高めたゴドルフィンバルブは種牡馬として重用され、90頭ほどの産駒を残した。
時が経つにつれてマッチェム系以外の直系系統は断絶したが、牝系への影響力は今なお絶大であり、サラブレッドの遺伝子プールにおける占有率はぶっちぎりトップの13.8%を有する。なおこの数値、2〜4位のダーレーアラビアン・ルビーメア・カーウェンズベイバルブの3頭の合計に匹敵するそうな。
1753年にケンブリッジ近郊にゴドルフィン伯が所有するゴグマゴグ牧場で死去、推定没年齢29。墓地は現在ゴグマゴグ丘陵の公園内に存在する。英国競馬聖地巡礼の際に立ち寄ってみるのも一興だろう。
ゴドルフィンバルブは猫好きとしても有名であり、牧場猫グリマルキンを唯一の友としていた。生来気性難として知られたこの馬だが、グリマルキンにだけは心を開いていたのである。ちなみに名前の割に毛色は灰色ではなく、トラちゃんだったとか。
その絆は両者の死にも連動しており、ゴドルフィンバルブの後を追うようにグリマルキンもまたその生涯を閉じたとされる。あるいは逆の異説では、グリマルキンが先に亡くなった後、その死を悼むあまりゴドルフィンバルブは大の猫嫌いになったとも。
その他の始祖
現在でも牝系に入り影響力を維持している始祖種牡馬としては、上述の芦毛遺伝子の祖・オルコックアラビアン以外にも存在する。
名前だけは上述のカーウェンズベイバルブもその一端で、その生涯は極めつけに不明瞭だが、フランス王ルイ14世への献上品が巡り巡ってヘンリー・カーウェンの手によりイギリスに送られたとされる。
その後は直系牡馬に目立った活躍馬を出さなかったらしく、直系系統は早々に断絶したようだが、ファミリーラインの基礎となる牝馬を多く輩出し、サラブレッドの牝系基盤として現代競馬にも確かな足跡と影響を残している。というか前述の通り遺伝的貢献度はバイアリータークより上だったりする。
追記・修正は子孫繁栄させてからお願いします。
最終更新:2026年09月25日 22:55