*1 セカイオー('56-'58 鳴尾記念(現GIII))、シゲルホームラン('93-'95 セイユウ記念(同年を以て廃止))、タップダンスシチー('03-'05 GII金鯱賞)、エリモハリアー('05-'07 GIII函館記念)、マツリダゴッホ('07-'09 GIIオールカマー)に次ぐ記録。なお後にアルバート('15-'17 GIIステイヤーズステークス)も達成しており、2022年現在7頭。
*2 うちGI 6勝、GII 4勝、GIII 1勝。なお重賞11勝はテイエムオペラオーとオグリキャップの12勝に次ぎ、オルフェーヴル(海外2勝含む)と並ぶ記録である。
*3 国際競馬統括機関連盟 (IFHA) が発表する、世界の競走馬の格付け。各競走4着までの入線馬の斤量・着差・相手馬の実績を基準とした平均レーティング(単位はポンド。なおレースそのものの格付け基準ともなっており、GIは115以上を要する)からスコアを算出する。特にジャスタウェイが2014年にドバイDFで記録した単独世界1位記録となる130が著名。ゴルシの場合は2012年有馬記念・2013年・2014年宝塚記念の124(L:長距離部門)、2014年・2015年阪神大賞典の120(E:超長距離部門。2014年より天皇賞春の優先出走権付与につきリスト入り)を記録している。
*4 ちなみに白くなる前の毛色は栗毛であり、特に当歳時は既にピンクがかっていた鼻先とそこへ額から通る大きな流星もあって父の母ゴールデンサッシュを彷彿とさせる外見であった。
*5 元々小柄な馬はあまり人気が無く、おまけにステイゴールド自体が晩成型の長距離寄りの中距離向けと思われていたが、彼が2001年香港ヴァーズ(国際GI)を制していた事、更にステゴ産駒初のグランプリ馬で、ステマ配合最初の馬であったドリームジャーニーが1600mの朝日杯フューチュリティステークスを制覇。これを以て小柄でも丈夫で幅広い距離に対応出来て安価で国際GI制覇馬に種付け出来た事で、地位を確立していた経緯があった。
*6 しばしば性格面について「中和させようとして配合した」と語られることがあるが、企図されたのはあくまで(母父にマックイーンが来る)小柄かつ頑丈な仔の産出だけであり、そもそも性格を近づけると言う事はあっても、血統理論上中和させる事は血統の複雑さ(+それによる市場価格変動)を含めて生き物である以上不可能である。現に細かな性格を狙った交配が無駄なことは、かのドリームジャーニーの性格が相棒の池添謙一をして「(同じく母オリエンタルアートの全弟)オルフェーヴルより狂暴」と言わしめた時点で明白であった、
*7 ステマ配合が認知されたのはひとつ上の世代であり、母を異にするオルフェーヴルとフェイトフルウォーが揃って重賞を制覇したのが要因であり、ゴールドシップが配合された時点では「ステイゴールド産駒は当たり外れはデカいが小柄で頑丈になる傾向がある」くらいにしか思われていなかった。ところがそれらより大柄なゴルシの活躍からこのステマ配合はさらに加速。五匹目六匹目のドジョウを狙ってステゴxオリエンタルアート・ポイントフラッグをはじめとしたステマ配合馬の種付けが繰り返され、中にはヤマニンリュウセイのような2x3(父父・母母父にSS)の強烈な近親交配に走ったケースまで現れるも、産出された全弟・全妹はじめとした馬は成績を出せずにブームは終焉。皮肉にもゴルシがそのステマ配合で大成した最後の馬であった。
*8 それでも半兄・半姉よりは馬体重にして20kg程軽く、この時点では最も小柄な部類である。
*9 1931~32年に掛けてアメリカから輸入された6頭(この馬の血統は俗に「星の血統」と呼ばれている)のうち最初に輸入された牝馬。戦前帝室御賞典を制した女傑「クレオパトラトマス(月城)」、第8回日本ダービーを制した「クモハタ」と言った名馬を生み出した。かの社台の創設者であった吉田善哉氏が女王と仰ぎ「ああいう馬が欲しい」と述懐し憧れを持った馬でもあった。
*10 彼を生産した日高の出口牧場は、現在レースの総獲得賞金の約7割がゴルシによるものという規模であり、それまでの中央競馬重賞勝ち馬は1988年のアルゼンチン共和国杯(GII)、1986年のセントライト記念(GIII)を勝ち鞍とするレジェンドテイオー(獲得賞金1億8350万円)のみであった。
*11 尤も、オルフェーヴルも幼少期は体の小ささから群れの中でいじめに遭いやすく、それがレースで見せる強烈な反骨心を育んだと言われている。
*12 蹄の後にある蹄球部が挫傷する事で起こる炎症。俗称「ツキアゲ」とも。疼痛・跛行により発覚する事が多いが、進行した場合裂蹄する事もある。
*13 蹄球炎により4日休んだものの調整に遅れが生じて2か月後の凱旋門賞を断念。
*14 蹄球炎で引退。
*15 2013年阪神大賞典4着のベールドインパクト(無謀にも福永がゴルシにスタミナ勝負に挑んだ結果重度の右前脚屈腱炎で引退)、2012年の菊花/有馬で出走したスカイディグニティ(有馬後に右前脚屈腱炎発覚で全治9か月)。特に2012年日本ダービーはゴルシは5着であったものの、1着のディープブリランテ(7月のキングジョージ6世・クイーンエリザベスステークス出場後に右前脚屈腱炎で引退)をはじめ、3位のトーセンホマレボシ(右前脚屈腱炎で引退)、4着のワールドエース(彼と同じ上がり最速タイで攻めた結果、左前球節炎→左前脚屈腱炎で約1年半強休養)とディープ産駒が軒並み故障する事態に見舞われ、2004年の死のダービーの再来ともされた。なおこうやって怪我引退したのが軒並みディープ産駒だった一方で、先述のダービー2位のフェノーメノ(ステゴ産駒)は普通に無事だったため、ステゴ産駒の親父譲りな出鱈目とも言える頑丈さが強調されることになった。
*16 一般的に彼はスタートで出遅れがちと言うイメージが強いが、岩田康誠が騎乗していた際にはどう言う訳か好スタートを切っており、岩田の騎乗4レース中'14・'15阪神大賞典で勝ちを決めている(が、'14年有馬記念・'15年AJCCでは周囲のレースペースに合わせすぎて積極的に行けず終始後手に回り過ぎた)。
*17 その逆がディープ産駒のジェンティルドンナであり、東京競馬場と2014年に路盤改修で高速馬場化した中山競馬場ではその加速力を活かして強さを発揮した一方、阪神・京都を制したのは桜花・ローズS・秋華の牝馬戦もといヴィルシーナの絶妙なペース配分の恩恵であり、阪神では宝塚でゴルシに2度、京都では京都記念でデスペラードに敗けるなど苦手としていた。
*18 ゴールドシップ以外では同じ芦毛の名馬ヒシミラクル(血統的にはゴルシの従兄弟違い)もこのような戦法を取ることがあった
*19 競馬評論家の井崎脩五郎氏曰く「頭が凄く良くて繊細過ぎて調子に波がある」とし、レースペースが遅いと「付き合ってられるか!行かせろ!!」、出走頭数が多いと「ごちゃごちゃしてんなァ…」、レース間隔が短いと「この前走ったろ!なんでまた走らせるんだ!!」と言う感情になっていたのだろうと語っている。
*20 競走馬が走るコースの柵を埒(ラチ)と言い、内ラチはコースの内回りの柵のこと。ちなみに慣用句の「埒が明かない」の埒はこれ。
*21 内ラチに沿って走れば距離が縮むため当然有利なのだが、旋回角度がきつくなって足への負担が大きくなるため、苦手とする馬は少なくない。先行して楽なコースを取ろうにも、それもまた簡単なことではない。
*22 なお、2着のワールドエースもゴルシと同様後方からの競馬で2着に突っ込んでいるが、こちらはセオリー通り荒れた内側を避けて大外から捲りを仕掛けていたため、結果的にコース取りの差がそのまま着順に響く形となった。
*23 京都競馬場の3000m/3200mコースでの重賞レースは18頭前後で開催される為、馬群が密集して終始外を回らされ大幅に距離をロスしてしまう。故に通常は逃げ馬でない限りは内枠が有利とされ、追い込み馬は仕掛けが遅いと致命的な負けに繋がる。これもあって通常1枠1番をかなぐり捨てる事は無謀な行為である。あくまで通常はであるが。
*24 この淀の坂の下からスパートを掛けて勝利した馬としては、件のミスターシービーの他に1995年第111回天皇賞・春でのライスシャワーぐらいである。おまけに2015年の天皇賞(春)でも同じ手を使っている為、彼は唯一複数回淀の坂で仕掛けた馬でもある。
*25 ただし、彼の出走全レースのうち稍重だったのは2011年の札幌二歳S(2位。勝ち馬はグランデッツァ)と、かの2012年皐月賞のみで他は良馬場だった。しかし一応2014年の宝塚記念では直前に大雨レベルの通り雨があった(須貝師が雨乞いした事でも有名)事もあった。
*26 その中に春天連覇を達成したフェノーメノ、GI7勝(G1開催5場制覇)を挙げJC連覇を果たし、当時の賞金女王となった三冠牝馬にしてJRA顕彰馬のジェンティルドンナ、ヴィクトリアマイルを其々連覇したヴィルシーナ(2013,2014)・ストレイトガール(2015,2016)、そしてドバイDFでレコードの圧勝劇を演じ、日本調教馬として初めて世界レーティングで単独1位になったゴルシの盟友ジャスタウェイ、ダート無双のJRA賞最優秀ダートホースにして、東京大賞典連覇馬のホッコータルマエなどがいる。
*27 宝塚記念のゴルシ、ジャパンカップのドンナ、春天のフェノ、ヴィクトリアマイルのヴィルシーナとストレイトガール(なお後者は7歳牝馬初のG1制覇でもある)、東京大賞典のホッコータルマエ
*28 前ポツン代表格の1998年菊花賞でのセイウンスカイと並びノリポツンの代表格とされるレースでもある。なお後方追随且つ横ポツンで勝利したレースは2000mまでで複数例あるが、長距離且つ重賞以上での後方&横ポツンは未だこれが唯一。
*29 この時走った京都競馬場でのそれまでの戦績は4戦1勝と振るっておらず、ゴルシの勝利を予想する下馬評は少なかった(この際の1番人気はキズナでゴルシは2番人気)。とは言え、上述したように逃げ・先行有利、仕掛けても早めの仕掛けで無ければ勝ちきれない京都での2度の天皇賞(春)や京都大賞典で敗れたレースでは、何れも3コーナーから先の捲りを封じられるなどして不発となっていた。そこで鞍上の横山典弘は珍しくゴルシへゲキを入れ、淀の坂全力疾走策に出たのであった。
*30 関わった人々は口を揃えて「頭が良いのは間違いない」と証言しており、実際に人の意図や場の空気を理解しているかのような反応も複数目撃されている。
*31 日刊スポーツ「会いウマ Vol.1」におけるBRF木村主任曰く、父ステイゴールドもリンゴを苦手としていたらしく、ゴルシも同じらしい。ただし匂いだけでも嫌がり遂には喰わなかったステゴと違い、ゴルシはリンゴを喰えない訳ではなく、丸ごと齧って喰っている姿を目撃した者も存在する。
*32 ただしこれに関しては気性難の馬なら特に珍しい事例ではない。例えばゴルシの父ステイゴールドがサンデーサイレンス、ヘイロー、ヘイルトゥリーズン、と連なる容赦なく噛みついたり踏み付けたりとガチで人を殺しに来るレベルの暴れん坊血統であるのは有名な話。
*33 トーセンジョーダン自体が(あの池江厩舎だけにドリジャの跡を継いだ)栗東の大ボスで、ゴルシが入厩時に彼に威嚇された為一方的に仕掛けに行っていた模様。
*34 フェノーメノが美浦でドルジ(朝青龍)と呼ばれたボス格の馬だった為にケンカを売りに行った模様。
*35 宝塚記念前の栗東での坂路調教中威嚇していた事が日刊ゲンダイにより報じられている。また同時にサンライズメジャーにも威嚇していたとも報じている。
*36 舎弟のつもりだったからとか、ジャスタウェイが芦毛フェチだったからという説もある。
*37 相反する性格の二頭を隣同士の馬房とすることで、欠点を埋め合わせることを期待したのだが、意に反してそのまま仲良くなってしまった。とは言え「実際にこの2頭がいたからこそ成長した」旨を今浪氏が語っている。
*38 タイセイモンスターは引退後、その穏やかな性格から公益財団法人軽種馬育成調教センター(BTC)の研修馬として活躍している。なおゴルシを大人しくさせた馬・ゴルシの親友と言う事でこちらもBTCではネタにされているようである。
*39 しかもタイセイモンスターが登録抹消されたのは2013年の11月6日付だった為、同月24日に開催された第33回ジャパンカップの15位惨敗の原因の1つが、彼の引退抹消によるガチ凹みによるものともされている。もっとも須貝の怒りを買って主戦騎手を下ろされたように、当時内田が騎乗ミスを犯した事も要因であるが。
*40 対する今浪氏も「手の掛かる性格な分、とても可愛い」と評しており、種牡馬入り後もしばしば顔を見せては喜ばれているなど、ゴルシとは切っても切れない関係にある。とはいえ不機嫌な時はその今浪氏でも手を付けられなかったが。
*41 その須貝調教師はゴルシに翻弄されすぎたせいか、2015年には円形脱毛症になっていた。ただし、引退式数日前のトレセンで須貝師にじゃれついていたりする。いわゆるツンデレである。
*42 実際にローブティサージュ、クルミナル、レッドリヴェールあたりが入厩していた。なおほぼ同様の例として、かのステゴを担当した池江泰郎厩舎も「あのステゴを(ry」と言う理由で癖馬ばかり集まるようになり、定年により後を継いだ息子の池江泰寿も実際にドリジャ・オルフェ兄弟を担当している。
*43 『他の仔馬達から少し離れてどっしり構え、仔馬らしからぬ落ち着きぶりでその様子を観察し、喧嘩があればすぐ止めに入ってた』など。
*44 それでも北村氏はデビューから引退まで一貫して調教を担当していた為、今浪氏と共に彼を知り尽くした言わば相棒である事に変わりはない。なお北村氏は彼のデビュー1年半前に騎手を引退した転身組であり、彼に乗れなかった事が悔いとして残っている事と、乗るなら大逃げ戦法を取っていた事を挙げている。
*45 ちなみにこの宝塚記念でのジェンティルドンナと鞍上の岩田康誠のコンビは、前年2012年のジャパンカップでもオルフェーヴルに体当たりして強引に進路を抉じ開けた事で、騎乗2日停止が下されるなど物議を醸していた。が、オルフェーヴルが460㎏(かつ凱旋門賞から帰国したばかりであった)と軽かったのに対し、ゴルシは500㎏の大型馬だった上にスタミナのバケモンだった(+岩田が直近の安田記念でもロードカナロアでラフプレーをかましたために鞍上の内田が「どうせ来るだろう」と構えていた)事から、470㎏のジェンティルドンナは逆に押し返されて失速している。
*46 「鳴く」「嘶く」というレベルではなく、熊のソレを思わせるまさに「吠える」ような野太い声である。その吠えように騎手はほぼ全員が覗き込み、その場にいたスタッフも後に「馬が吠えるのを初めて見た」と証言する程(競走後、隣のゲートにいた勝ち馬のフェノーメノに騎乗していた蛯名正義騎手(2022年から調教師)がその様子を絶叫混じりでマネしているところを中継で抜かれてネタにされた)。更に当時中継でレポーターを担当していた細江純子女史すら取り乱し、後に「寒気すら感じたほど恐怖した」と言わしめている。
*47 今浪氏はフェノーメノを威嚇したと推測しているが、他方でゲートイン時に誘導員がゴルシの尻を軽く叩く様子も目撃されており、これが原因(主要因)とする見方もある。
*48 同氏曰く「賢いが故に反感を持つと意地でも従わなくなってしまうらしいので、とにかくゴルシの機嫌を損ねないことを優先した」とか。元々が「馬に合わせる」スタンスの騎手だった事もあってかこのご機嫌取り戦法で見事優勝をもぎ取っている。
*49 これは横山氏の逆で立場を解らせてメリハリをつけるスタイルであった内田博幸氏も同様で、基本的に「馬が全部わかっているので馬を信じて僕が乗るだけ」(2014年天皇賞春レース前)とも語っていた。果ては須貝師も「ま、勝てるかどうかは…シップに聞いてみてよ」(2015年同レース1週間前のインタビュー)と発言している。
*50 おかげで番組や雑誌などといったプロが撮った綺麗なゴルシには(気付かれないよう)遠くから収めた姿が少なくない。逆に見学客などにはすまして決めポーズを取ったり、(中々カメラを下げないので?)写真でなく動画だと見るや走ってみせる事もあるなど、ターフを去って尚賢くもひょうきんである。
*51 しかも見出しが、ハリウッドの映画会社「MGM」のライオン風の構図に顔芸で舌を出しているシーンという拘りよう。
*52 ゴルシのラストランとなった2015年有馬記念を制した『ゴールド』アクターの祖父でもある。
*53 岡田総帥曰く「ゲートの横後ろで騒いでいる馬がいると、ケンカを売ってるのかと思ってガンガン騒いで怒る」、「スタート直前まで目隠ししてスタート時に取ったら?」と敢行するも条件が合わず断念したとの事。
*54 奇しくもともにサンデーサイレンスの孫であり、またブチコは鹿毛のぶちが入ってたとはいえ白毛、つまり葦毛のゴルシ以上の「白いの」である。
*55 2018年産白毛馬(父はクロフネ、母ブチコの父はキングカメハメハ)。主な勝鞍は2020年阪神ジュベナイル/2021年桜花賞で、'21牝馬クラシックでティアラを分け合った「USAトリオ」の「S」でその筆頭。白毛馬としては世界初のGI競走・クラシック制覇・国際平地芝重賞勝利馬である。母方の祖母シラユキヒメから続く非常に珍しい白毛のサラブレッドで、ブチコと違いブチも無い「真っ白い馬」である。なお担当厩務員が今浪氏のチームゴルシ体制であり、そのせいかゴルシ産駒と間違えられる事がある。と同時にゴルシのような略称と勘違いされる事があるが正式な馬名である。
*56 展開が似ていた菊花賞と比べて十分に成長した強豪が相手であり、ゴールまで一息入れるタイミングが無くて追いっぱなしになったため流石に途中でバテた。全盛期を過ぎていたという見方が多かったが状態はそれまでと比べても遜色なく、担当の松井装蹄士は「まだ衰えていない。むしろ磨きがかかっている」とまで評している。父のステイゴールドは「引退直後が全盛期」と武豊が評しており、非常に息の長い馬だったことを考えると未だ全盛期を過ぎていなかったのかもしれない。坂でパワーを温存できる先行策をとれていたら、もしくは距離をしっかり測って最終直線でまくりあげれば勝利する可能性は十分あったという者もいる。
*57 ここまで阪神競馬場で7戦6勝(神戸新聞杯、阪神大賞典3回、宝塚記念2回)。残り1回もラジオNIKKEI杯2歳Sの2着のみと、重賞連対率100%、3歳以降はGII以上全勝という空前絶後の戦績。その為俗に「阪神専用機」「仁川の鬼」とまで称されていた。
*58 そもそも宝塚記念は6月末~7月頭に行われる関係上、天皇賞・安田記念などから直行する場合が多く好調を維持しづらく、加えて梅雨時の夏季である事から馬場が悪くなる場合が多い事からも宝塚記念の50年以上の歴史において連覇ですらゴルシが初であった。それ以降はクロノジェネシス(2020・2021)しか達成できていない記録。なおクロノジェネシスは3度目の2022年宝塚記念より前、2021年有馬記念で引退したため、3連覇への挑戦機会は未だゴルシしか掴んだことがない。
*59 ちなみに冒頭注釈にもある通り、重賞3連覇馬は彼含め7頭いるが、JRAにおける同一平地GIを3連覇した馬は2022年現在未だに存在しない。3連覇の挑戦権を得て出走したのは、マイルCSのデュランダルとエリ女のアドマイヤグルーヴ('05 それぞれ8着と3着)、JCのジェンティルドンナ('14 4着)、そして一番近かったのは、かの有名な'93年の天皇賞春のメジロマックイーンである。
*60 加えて前年・前々年の宝塚記念ではいつもの後方からの捲りではなく最初から先行勢につけて4角で抜け出す安定安心の横綱相撲で勝利を掴むというのをそれぞれ別の鞍上で実践しており、やる気が出るか次第ないつもの後方からの競馬を展開する可能性も低かった。
*61 オッズ1.9倍。2番人気は5.1倍。前走の2015年天皇賞(春)で悲願の盾を手にした上、その前には阪神大賞典の史上初の3連覇を成し遂げるなど、絶好調としか言えない戦績が後押しした。
*62 なお、ウマはヒトの怒った顔などの脅威たりえるものを左目で向て右脳で処理・判断をする傾向があるとされており、この時のゴルシが顔を逸らしていたのも右側、つまり左目を向ける形だった。そのため、気まずそうにしていると見せかけてがっつり調教師を見ていたと思われる。(同時にそれだけ自分のやらかしを把握していたとも言えるが)
*63 その他、レース前にはゴルシ包囲網体制が敷かれる事が予想されていた。とは言えまさかこのような結果になろうとは想像もしなかったであろうが。
*64 例:2019年有馬記念・アーモンドアイの200億円。
*65 例:2002年菊花賞・ノーリーズンの110億円。
*66 例・1991年天皇賞(秋)・メジロマックイーンの140億円。
*67 2012年天皇賞(春)
*68 屡々ゴルシに関して「オルフェ/ドリジャ兄弟がいる上に完全非社台なので社台入りが出来なかった」と言う話が挙がるが、実際には一応社台での繋養も取り沙汰されていた。ところが馬主の小林氏が「日高で生まれた馬だから日高で種牡馬に」と言う意向だった事や、加えてBRFのトップであったマイネル軍団総帥こと故・岡田繁幸氏が彼を非常に気に入っており、2015年11月23日に東京競馬場で開催されたブリーダーズトークで『社台の吉田兄弟に「ゴルシはBRFで繋養する」と直談判し手を出さない事で何とか納得してもらった』と語っている。結果、引退前に即刻70口からなる5年建て10億円のシンジケートローンが組まれた。なおグリーンチャンネルでの対談で吉田照哉氏もゴルシを評価していたが、総帥に「社台はオルフェーヴルでいいじゃないですか」と言われている。
*69 というのはBRFの担当スタリオンスタッフ談。なお当人はステゴも担当しており、「ステゴなら襲われていた」とも回想し、身構えていたら意外な程おとなしかったと語っている。それでも人は選ぶようだが……。
*70 2021年のひだかうまキッズ探検隊「ビッグレッドファーム編」で登場した際も、大人しいながらも貫禄のある姿で登場しては、わざと立ち上がるなど子供相手にキッチリファンサービスをやっており、直前まで変顔してたのにカメラのシャッター音が聞こえた途端にすまし顔へ戻るなど、ある意味必見。
*71 相手の牝馬との顔合わせまでに自力で「臨戦態勢」に入る、種付けも早く済む、相手の牝馬に紳士的、さすがに若い方を好むがそれでも相手の老若はほぼ問わない、などなど。これは先にもある通り、牝馬が暴れてもその柔軟かつ大柄な体で対応できることにあるようである。
*72 平均受胎率は70%弱。失敗率1/3前後でもヒトには恐れ入る話だが、ゴルシはそこに同世代種牡馬トップクラスの数値を叩きつけており、繁殖でも名馬と言う他無い。
*73 2019年6月に今浪氏と再開した際に現役時代の蹄鉄を見せると嫌がるそぶりを見せている為、競走馬時代は思い出したくない模様。やっぱりあれは自己管理だったのだろうか…?とは言え、メジロマックイーンも武豊を見るなり(また走らされると思い)逃げ出したエピソードがあるので、そこはやはり祖父の血なのだろう。
*74 ウォーエンブレムのケースが特に有名だろうか。彼はポストSSを狙える種牡馬候補として鳴り物入りで輸入されたのだが、好みの相手(栗毛の小柄な馬(金髪ロリ))でないと「臨戦態勢」に入らないという厄介な性癖を抱えていたため種付けでは失敗続きだった。どうにか送り出せた数少ない産駒が非常に優秀な資質を見せたものの結局はアメリカへ返品され、しかも返品時、アメリカで義務付けられていた馬伝染性子宮炎の感染検査での種付けも拒み去勢されると言うヲチ付きである。
*75 穏やかだったことで有名だった一方、種牡馬になってから繁殖牝馬への噛み付きが常態化し、しまいには(赤っぽい)栗毛馬を見ると暴れ出すようになってしまっていたスペシャルウィークなど。
*76 後年には好みの牝馬と会わせたり牝馬の尿を嗅がせたり、果ては投薬しないと発情しなくなっていたディープインパクトなど。
*77 同じステマ配合のドリームジャーニーが顕著で小柄な体格が災いしてか一回の種付けに90分以上かかる場合もある。
*78 メジロファントムやロードバクシンの例がある。
*79 主な勝ち鞍が1997年の阿寒湖特別(2勝クラス)止まりで、惜敗続きだったステイゴールドが2000年に勝利したレースでもある。
*80 オークスで2着に入ったアカイトリノムスメ(父・ディープインパクト、母・アパパネ)の捩り。主な勝ち鞍は2021年秋華賞で'21牝馬クラシックでティアラを分け合った「USAトリオ」の「A」。なおアカイトリは母名の由来であるアカハワイミツスイ(アパパネ)というハワイに生息する鳥の事である。2022年に阪神牝馬Sで跛行→後に右第三趾骨の骨折で引退し現在は繁殖牝馬。
*81 2018年産青鹿毛牝馬。母:マイネテレジア(母父:ドバイWC馬ロージズインメイ)。主な勝ち鞍は'21年優駿牝馬。'21牝馬クラシックでティアラを分け合った「USAトリオ」の「U」。新馬戦以降ブロンズコレクターが続くが2勝目となるオークスでオヤジ譲りの末脚を見せてGI馬となっている。名前の意味は「生き残る」であり、代々母方の血統は母・母父共に屈腱炎で引退した屈腱炎と切れない関係であるが、彼女自身も屈腱炎手前の屈腱周囲炎になり、調整不足の中で挑んだ秋華賞でも外傷性鼻出血に見舞われるたが、親父の頑丈さを受け継いだのか周辺炎も早期に収まりその名の通り生き残って現在に至る。なお性格はアレとは全く真逆で大人しくおっとりしており、得意とするコースも(アレが1勝も出来なかった)府中のような高速馬場と全く真逆な事もネタにされた。
*82 ちなみにユーバーレーベンの母父のロージズインメイもBRFで繋養されている為純BRF産であるのだが、岡田総帥にとっては長らく果たせなかった純BRF産による3歳クラシックレース初制覇と言う夢を(オークス2ヶ月前に逝去した為生きて見る事は出来なかったが)達成した馬であった。
*83 種付け年度2016年のAEIが1.38、2017年が1.48
*84 ゴールドミッション(右中手骨開放骨折)、スマイルパワー(左第1趾骨粉砕骨折)、ウインベイランダー(左前肢副手根骨粉砕骨折)、コスモホクシン(右前管骨開放骨折)。
*85 このあたりはゴルシ(と父ステイゴールド)の頑丈さが遺伝されることを期待して怪我しがちな血統の牝馬につけられがちなことも一因と思われる。後述するユーバーレーベン等。
*86 母マイネテレジアは2歳未勝利戦、祖母マイネヌーヴェルはオークスの後に屈腱炎を発症している。
*87 やはりユーバーレーベンがその代表格であり、2022年2月の京都記念(工事中につき阪神開催)では一番人気に推され嘗ての父の宝塚記念を彷彿とさせる先行策に出るも後半失速して5着と、やる気さえあれば器用に対応していた父と違いスタミナ面などで不器用な面を覗かせた。が、2022年3月のドバイシーマCでは2021年ダービー馬且つ当レース覇者シャフリヤール、JC2着馬オーソリティ、米BCターフ覇者のユビアー(英)と言った超強力牡馬が犇めく中、紅一点として1着より1.5馬身差の5着と健闘しており、高速馬場での高い素質が見られる。
*88 父系のサンデーサイレンスがかなりきつめのクロスになりやすい一方、母方が独自の長距離路線をひた走ったメジロ家系のため。
*89 2019年産葦毛牝馬、母カクテルローズ(母父:タニノギムレット)、栗東飯田厩舎。新馬戦で全頭相手にメンチを切りに行ったり、2戦目にして後方にいたのに阪神の坂を物ともしない強烈な末脚で勝ちを捥ぎ取る(しかも鞍上はゴルシの新馬戦で騎乗した秋山真一郎)など。
*90 2019年産黒鹿毛牡馬、母ノウ(母父:ストリートクライ)、美浦栗田厩舎。新馬戦でライバルではなく誘導馬を威嚇して周り、勝ったもののレースでも調教でも他馬が併せないとサボる癖を原騎手に指摘され、ホープフルステークス前の調教ではついに菊花賞馬のタイトルホルダーまで駆り出される羽目になった。狂暴な上に神経質なため、馬房から出る時は殆どメンコを装着しており素顔の写真がほぼ存在しない。
*91 ウッドシップの子で全兄にツインシップとメガゴールド。母母ブライトウッド牝系は全産駒の芝の勝利僅か1勝、牡馬の芝未勝利絶賛更新中というコッテコテのダート家系
*92 新馬戦から3戦連続で9着以下となり出走停止処分を受け2歳のうちに抹消。笠松競馬に移籍後2戦目から3戦連続大差勝利で解説者に「もっと上でやれる馬」と早くも太鼓判を押された
*93 主取りになった馬は一般的に地方競馬で多く開催されている短距離ダートに活路を見出すことが多いため
*94 特にオルフェーヴル産駒との相性が最悪で、通算で勝率1%、2021年にはなんと勝率“0%”。
*95 2008~2009、2011~2012NAR騎手リーディング1位、2014~2016JRA騎手リーディング1位
*96 中でもノルマンディーファーム小野町の評判が悪く、プリュムドールはオープン昇格を目前にして蟻洞を発症。調教師や出資者からクレームが有った為か次の短期放牧ではチャンピオンヒルズを使用することになった。
*97 社台創業者の次男である吉田勝己氏が代表を務める総合牧場。東日本では天栄、西日本ではしがらきが調教施設。ノーザンファーム天栄は300近い馬房に加え美浦トレーニングセンターをもしのぐ坂路や充実した育成スタッフ、海外遠征用の検疫施設まで備えており、「そもそも天栄帰りは休養明けと思うのが間違い」とまで言われる
*98 1996年産白毛馬、父:SS、母:ウェイブウインド。黒鹿毛と鹿毛の両親から突然変異で生まれた牝馬であり、競馬史上初の白毛馬重賞勝ち馬であるユキチャン・同G1勝利馬ソダシの母であるブチコなど10頭もの白毛馬を生み出し、日本初の白毛牡馬であるハクタイユーと並んで一大白毛血統を築いた事で知られる。俗にいうW14系。
*99 カスタディーヴァ共々南半球はニュージーランドの出身であり、加えてカスタディーヴァは後にJRAの白毛馬初の南半球産まれともなっており、こちらも中々属性過多。
*100 ちなみにカスタディーヴァがJRAに来たのは、とある馬主が「シラユキヒメ系以外の強い白毛馬の系統&白毛のディープ産駒を作ろう」と言う事で、2016年にニュージーランドのセレクトセールにて3300万で落札(消費税・輸送費含めて約5000万)し輸入したため。その産駒の初仔であるカスタディーヴァの2020(のちのアオラキ)は、言わば白毛の歴史に新たな1ページを刻む貴重な仔であった。が、当の種付け予定だったディープインパクトは2019年の種付け開始直後に頸椎の問題で早々に種付け中止。結局頸椎骨折で安楽死措置となった為、急遽その代わりとなるカスタディーヴァの競走馬引退後の種付け相手を立てることになったのだが、そこで選ばれたのがゴールドシップであった。
*101 1963年産白毛馬、父:ケンタッキーカーネル 母:フィリーオマインの純アメリカ産。栗毛と黒鹿毛の両親から白毛が産まれた為、態々カリフォルニア大学でDNA検査まで行った結果DNAの突然変異である事が解かり、米ジョッキークラブで新たに白毛が登録される契機を作った。俗にいう白毛W2系の元祖。
*102 日本産に限れば、白毛系血統との交配で複数の白毛馬を産出した種牡馬としては、シラユキヒメ系では同じ芦毛のクロフネが6頭(芦毛と鹿毛が1頭ずつ)、キングカメハメハから5頭(芦毛・黒鹿毛が1頭ずつ、鹿毛が2頭)、ハクタイユー系ではアドマイヤジャパンが2頭(栗毛1頭)輩出している。
*103 馬の種付けは生殖活動が活発になるとされる日照時間が長い時期に行われ、受胎後11か月で出産するのが通常である。ところが、競馬はその馬が生まれた年の1月1日から年齢を起算するルール(JRAでは2001年より)となっている。特にサラブレッドは1カ月の成長が速く、早生まれ程能力に繋がる。故に種付けは毎年2月頃から始まり4月と5月がピークとなり遅くとも7月初夏頃までに種付けを行うのが通常である。もし受胎出来ない場合、1年を無駄にしてしまう=種付け料以上の無駄な経費と費用が掛かり最悪生産牧場的に死活問題につながる。その為、1年を無駄にするか200万で重賞の夢を見れるかも知れない受胎率のバケモノであるゴルシor同じく受胎率9割近くを誇る青森のスプリングファームが誇る(しかもゴルシの1/4の種付け料でイケる)東北の種付け帝王ウインバリアシオンに駆け込み縋るか…と言う生産者としては真面目な話である。
*104 JRAのターフィーショップで販売されていたゴールドシップのぬいぐるみは人気が高く、再販されても1日で売切れになる場合も多い。
*105 ちなみに基本的に馬は草食であるが、肉を食べても若干量なら消化可能である(馬を共食いした例も)。
*106 グレード制の導入以後=シンボリルドルフから数えて9頭目。
*107 例:2012年の菊花賞の着順人気は1-5-7-10-11、2013年宝塚記念では2-5-1-3-4、2014年の宝塚記念では1-9-8-12-6、2015年の春天では2-7-10-5-16。
*108 作品内に登場させる際には運営がモチーフの競走馬の馬主さんに許可を取っているが、ゴルシの馬主さんは「何させてもおk(意訳)」と非常に御寛大な対応をしてくださった。……と噂されている。
*109 アニメショップ「らしんばん」が2021年春に行った「ウマ娘人気投票」では、スタッフのお遊びで彼女の顔写真のみ本物のゴルシの顔、それも首を傾げ舌を垂らした変顔が使われて話題になった程。結果は2位のライスシャワーと40票差の309票でぶっちぎりの1位であった。なお、投票のシールは赤丸のシールを貼っていくと言う形式だった為、案の定というべきか本物のゴルシの両目にも貼られていた。
*110 2013年産葦毛馬。父:タピット(USA) 母:ヘヴンリーロマンス(母父:SS)。勝ち鞍:GII UAEダービー。アメリカ三冠レース皆勤でも知られる。引退後は日高のアロースタッドで種牡馬。
*111 2011年産栗毛馬。父:ラッキープルピット、母:ラヴザチェイスの純アメリカ産。勝ち鞍:2014年アメリカクラシック二冠馬(ケンタッキーダービー・プリークネスS)・2016年ドバイWC圧勝などGI級7勝。'14/'16年の全米年度代表馬にも選ばれアメリカの至宝と称された。引退後はアメリカ・テイラーメイドファームで種牡馬+南半球のチリでシャトル種牡馬と言う生活を送っていたが、2019年に日本の日高のアロースタッドに種牡馬として売却され、何の因果かラニの同僚となっている。
*112 栗東で調整中、しつこく絡んで喧嘩を売って来たトラヲサイゴニ(ヒルノダムールの半弟)に後蹴りを3発ブチかまして撃退する、兄であるアウォーディーをはじめ所構わず噛みつく。UAEダービーコース入り初日に前の馬を蹴りに行った際にラチを跨いでスタック→ラチを破壊して自ら脱出。挙句の果てには「馬運車から下ろす際にお隣の馬運車と軽くモメ、ラニの名前を出したらビビって先に下ろせた(厩務員談)」と証言し、評論家から「これが純粋なアメリカの馬であれば騙馬になっていた」と言わしめる等々。
*113 1995年産栗毛牡馬。父:サクラユタカオー、母:アイシーゴーグル(母父:ロイヤルスキー(USA))。勝ち鞍:1999年安田記念/マイルCS。かの「98世代」の中でもマイル路線で猛威を振るい、安田記念ではグラスワンダー、マイルCSではキングヘイローを下し同一年春秋マイルGI優勝を達成し1999年JRA賞最優秀短距離馬を受賞した名マイラー馬。香港C時に重度の屈腱炎が判明し引退。2000年から2017年まで種牡馬の後、現在北海道日高郡の小国スティーブルで余生を送っている。2022年現在、98世代のJRA活躍代表馬の中で唯一の(日本生産のイギリス調教馬であればシーヴァも含め)存命馬でもある。